よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

新潟大学医歯学総合病院にてソリューション提供

2005年01月30日 | 講演放浪記
昨夜、新幹線で新潟へ移動。地震で脱線したあたりは心なしかスピードを落として運転してようだ。新潟大学医歯学総合病院は地域を代表する高機能病院であり、また医歯学の研究拠点。

さて、業務プロセス、財務、患者満足、学習と成長の4つの領域で組織デザイン、変革、目標管理、業績管理を進めようという主張がこのところ評価いただき、全国の高機能病院はこのソリューションの導入に熱心になってきている。

表面的なバランススコアカードの医療サービスへの焼き直しは不可。医療サービスの特質を深く理解していなければソリューションにはならない。




ケアブレインズ・マネジメントスクール

2005年01月29日 | 講演放浪記
今日は、会社でクリニカルラダー・人材開発システムの構築、導入に関するスクール講座。

このところ、クリニカルラダーが看護界ではちょっとした注目を注びている。HRM,HRDに本格的に取り組もうとする医療機関にとっては、クリニカルラダー・人材開発システムは必須のインフラ。

さて、この講座の目的は:
・職務分析を活用したクリニカルラダーの作成方法を体得する。
・クリニカルラダーの活用方法を理解して、目標管理体系と併用して活用する。
・クリニカルラダーを用いて人材評価するさいのポイントを習得する。

スクールが終わってから、その足で新潟の新潟大学病院へ飛んでゆく予定。1週間アメリカにいたしわ寄せもあって、忙しい週末。

フロー体験

2005年01月28日 | 日本教・スピリチュアリティ
フロー体験とは、極度にハマッテイル体験、没入している体験のことだ。外部からなんの報酬を得なくても、まったく気にならない。やっていることそのものが報酬なので、内発的に動機づけられている状態でもある。

フロー体験に関しては、認知心理学の領域でチクセントミハイが、「フロー理論の展開」のなかで味わい深い記述的分析を加えている。チクセントミハイによると、フロー体験とは、ひとつの活動に深く没入して、他のなにものも問題とならなくなる状態。その経験それ自体が楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすことができる状態。

さて、チクセントミハイによって記述されたフロー経験は、新しいHRDにとっても示唆に富む。

フロー経験とは、自己が行為の場を高い中注力をもって統制し、効果的に環境に働きかけているときに感じる「自己効力感をともなう楽しい経験」のこと。そしてフロー体験とは、外発的な利益とはまったく無縁の、それをすること自体が報酬となる自己目的的(autotelic)活動である。

この自己目的的活動により積極的にいそしみ、内発的な動機を豊かに持っている人にはいくつかの特徴があるとされる。

・自己目的的パーソナリティとは、結果として生じる外発的な目標に達するより、むしろその活動プロセスを楽しむ、人生を楽しむ傾向にある人。

・自己目的的パーソナリティを持つ人は、新しい挑戦をこよなく愛し、自分の能力をフル活用することに楽しみを感じる。

・自己目的的パーソナリティを持つ人は、明確な将来目標を持ち、他者から評価を受け、また深い情緒的体験を有する。また、幸福感が強い。

細かなマネジメントの現場では知的アウトプットが大きな会議やオモシロイ雑談がフロー経験を提供してくれる。本の原稿を書いているときはフロー体験の真っ只中にいる。講演やプレゼンテーションしているときも、けっこうフロー状態だ。大まかなところでは、起業や事業化などのトータルなビヘイビアも、アップダウンはありながらもフロー体験をもたらしてくれるものだろう。プログラミングの最中にフローを体感する人もいれば、流れるような経理処理業務の最中にフローを感得する人もいるだろう。

いずれにせよ、結果のみを追求するスタイルではフロー体験は疎外されてしまう。近年のダメな成果主義(プロセスをとらえずにたんなる結果主義だけ求める)人事のゆきづまりは、フロー体験を仕事から疎外する方向に誘導してきたことに一因があるんじゃないか。

ともあれ、人生の時間の1/3以上を占める仕事のなかで、より多くのフロー体験を得るためには工夫や仕掛けが必要となる。フロー体験の強弱は、仕事のオモシロさを大きく左右するし、生産性にも影響を与えることとなる。いろいろなビジネスパースン、研究者、プロフェッショナルに接していて分かることは、仕事ができる人のなかには、仕事のなかにフロー体験を作り上げている人が圧倒的に多いということだ。

プライベート(私秘的)な時間においてもフロー体験を確保しておくと、社会的文脈のなかの仕事でのフロー経験に接続されることが多いと思う。

ただし、「個人的」な時間はたくさんあっても、その時間が豊穣な「私秘的」な時間になっていないと、真のプライベートな時間にはならない。けっきょくなにも生み出さない空虚な時間になってしまう。

全千葉県県立病院の看護管理者カンファレンスで講演

2005年01月25日 | 講演放浪記
先週はアメリカの西海岸をITやベンチャーのテーマを抱えながらうろついていたが、今はもう日本にいてローカルな活動モードに戻っている。今日の講演はローカルだ。

講演は過去300回以上やってきたが、今回の講演の会場はケアブレインズがあるワールドビジネスガーデンから最も近距離の場所となる千葉県救急医療センターだ。車なら5分もかからない距離だ。この会場に県下に7箇所ある県立病院の看護部長さんをはじめ看護管理者の方々にご参集いただく。

テーマは昨年の冬に出版した本がカバーしている内容だ。つまり、クリニカルラダーのデザイン、導入、運用などに関するもの。各論では以下のようなことがらについて掘り下げる。

・役割期待のデザイン
・成果責任の設定
コンピテンシー(能力・行動特性)
・ラダーの設計と詳細要件の記述
・ラダーと成果目標マネジメントとの統合
・格付けと運用
・ラダーのメンテナンス

などなど。この種のテーマの講演はやたらテクニカルな話題になりがちだが、人材育成・開発というメタなテーマにとって、「ツールの類は手段である」という認識が大切だ。さもないと目的と手段が入れ替わってしまう。手段の目的化現象は医療の現場ではよくあることだから。

近い場所の講演なので移動の苦労はないが、その分、濃い話をしたい。受講者の方々がface to faceで得る経験価値にこそ講演の意味があるのだから。


パロ・アルトのニューウェーブMOT

2005年01月22日 | 技術経営MOT
シリコンバレーのマイクロソフトに移動してレクチャーを受ける。

スタートアップISVに関するテーマのレクチャーが最大級に刺激的だった。ジョン・フェルナンデス氏の切れ味さわやかなプレゼン。久しぶりにプレゼンテーションを聞いて、知的に興奮した。

ソフトウエア系のIT企業におけるMOT(Management of Technology)のあり方を自分なりに模索してきたが、今日はそのひとつのMS社からの明確な回答、方向づけを得ることができた。

米国のMS社は、ソフトウエアの開発のみならず、ソフトウエアの開発を行うスタートアップ企業、ベンチャー企業に対しても、総合的な支援をプラグマティックに行っている。

対象企業を選定する基準としては、
(1)ビジネス、事業形態
(2)技術構成
の二つの項目それに付随する評価軸で厳選する。

そして、支援の内容はおおきく3つにわかれ、
(1)技術支援
(2)マーケティング支援
(3)販売支援

MS社そのものはベンチャーキャピタルではないので資金調達に関しては直接関与しない方針だが、そこはシリコンバレー。関連のベンチャーキャピタルと連携して、資金調達の「支援」まで実質的に行うのだ。

こうしてマイクロソフトはスタートアップ、ベンチャー企業を育成し、長期的なパートナーとして、新規性のあるビジネスモデルそのものを包み込むのだ。包み込まれる方のベンチャーとしても、自力では限界のある技術、マーケティング、販売に関する支援をMS社から得ることのインパクトは大きい。これらを包括する力動的なスキームがMSのISVであり、ISVをレバレッジにしたMS流のひとつのMOTの具体的なカタチなのである。そしてベンチャーから見てもMOTのひとつの有力な実践形態だ。

このスキームはMOTの相互補完、相互還流、クロスオーバーシステムとも言ってよい。こんなダイナミズム、プラグマティズムがシリコンバレーという「弱い連結の場」で蠢いているのである。そしてその場においてもMSは触媒機能を果たしている。グラノベター風に言えば、「弱連結の強み」がいかんなく発揮されているように思える。

さて、このプレゼンは支援先の企業の社長をわざわざよんで話をさせるという凝りようだった。ゆえに大変リアル。泣ける。感動的。

ラビ氏はデータマネジメントのベンチャー企業、Mimosa Systemsの社長。インドの名門、Indian Institute of Technologyを卒業後UCLAでマスターとドクターを取得している。レジュメを読んで、ひとつの言葉に目が釘付けになった。その言葉はKanpur。

学部時代に友人と3人でパーティーを組んで、デリーからカトマンズまでおよそ1500KMを自転車で走破したときに、僕たちはKanpurに立ち寄り500人以上の大群衆に取り囲まれ、騒ぎにまでなったのだ。

そんな話をラビ氏にしたら、大きな目をさら大きくして驚いていた。そりゃそうだろう。マイクロソフトにベンチャー経営の話をしにきたら、知らない日本人が自分の生まれ故郷の町を自転車アドベンチャーで訪れて騒ぎを起こした話をしたのだから。

もうひとつのプレゼンはAKIMBOのジョン・ゴールドマン氏。タフツ大学でコンピュータサイエンスのバチャラーとマスターを取り、ハーバードのビジネススクールでMBAを取り、数社会社を立ち上げ成功させ、今はこの会社をスタートアップさせている。

プレゼンに参加しながらこんなことも考えた。

かつての古い日本では:

・制度的エリート     → 中央官庁、大企業
・フツーの大勢      → 中堅企業
・変わり者、おちこぼれ  → 中小、ベンチャー

っていう図式があった。というか、まだ保守的な人々のマインドの中には歴然とあるのだが。

でもシリコンバレーやボストンのルート128あたりでは

・知的エリート      → スタートアップス、ベンチャー
・フツーの大勢      → それなりに多数の選択枝
・知的おちおぼれ     → お役所、大企業

なんていう図式に切り替わっている。日本も変わんなくちゃ、というか、変えましょう。

さて午後はヒューレット・パッカードへ。

先進的な技術動向のプレゼンテーションが刺激的。詳細は企業秘密に属することなので書けない。一同、小学校の生徒みたいにはしゃぐ。本当にオモシロイ技術の応用はコドモを大人にさせ、オトナを子供にさせる。

ヒューレットさんとパッカードさんが生前仕事をした部屋までみせていただく。「オープンドア・ポリシー」に関してHPは有名だ。ヒューレットさんとパッカードさんが実践していたことだ。

お二人の部屋を隔てる扉、そして二人と他の社員を隔てる扉はいつも開けっ放しにされていた。その証拠に開いているとびらの影になっている床や壁の色が違うのだ。

500ドルのお金から創業した会社、HP。そしてイノベーションをとことん実行し、またとことんリスペクトする会社。胸がいっぱいになった。

今回のツアーを企画、運営していただいた関係者の皆様、ほんとうにありがとうございました!


友あり、遠方より来ました

2005年01月20日 | オープンソース物語
シアトルからサンフランシスコへ移動。

夕方からは「自由行動」。へんな響きの日本語だが妙にうれしい。子供のころ遠足なんかで「自由行動」の時間にはさかんに悪さをしたものだが。

夕刻、パシフィック・ビジョン・パートナーズの創業社長で、ケアブレインズの役員でもあり、コーネル大学院時代からの友人でもある金子昌平がヒルトンホテルに駆けつけてくれた。

懸案のプロジェクトのペーパーをレビューしてもらい、ビールを引っ掛けながらホテルのロビーでひと時の歓談。その後、彼のメルセデスベンツに乗って鈍色(にびいろ)の空のもと暮れなずむサンフランシスコの坂を疾走し、予約してもらっていたフレンチレストランJEANTYへ。

ビールとワインでひたすら話し込む。このカリフォルニア・ワインがまた、美味しいのなんの。アメリカ経済の状況、各種ビジネスの動向、共通の友人、知人のこと、お互いの家族のこと。神戸牛のリブステーキがとほうもなく美味しかった。知的な議論が酒と食事を美味しくするのだ。

僕たちの横に座っていた老年の品のいいカップルのかたわれの女性が「あなたたち、日本人でしょう?」と語りかけてくる。そして彼女は急にハトポッポの歌を歌いだす。それやこれやでテーブルは大いに盛り上がる。僕たちに興味を抱いたようで、しきりに僕たちのバックグランドを聞いてくる。彼女いわく、昌平さんは典型的なヤッピーとのこと。このヤッピーって言葉、相当古い言葉だが、もちろん僕たちには通じるさ。

昌平さんはコーネルでMBAをとり、アメリカでコンサルティング会社を立ち上げ、メルセデスベンツを足がわりにし、美人のアメリカ人の奥さんと二人の子供とベイを見渡す丘の上の瀟洒な家に住む。

う~ん、アメリカ人から見れば、「ヤッピーの成功者」という言葉が最大公約数的な表現か。たしかに成功者だよね。でも成功するまでの努力のプロセスにはなみなみならないものがあったことを僕は知っている。彼の努力のプロセスを知っているからこそ、彼の友人であることを誇りにさえ思う。

猿の惑星

2005年01月20日 | オープンソース物語
稲本さん、ありがとうございます。

今回のツアーの総元締め(兼、添乗員じゃないです)のマイクロソフトの稲本さんの誕生日でもあることから大いに盛り上がる。審査員の時に稲本さんはなにか、とてもマジメそうな人。でも本当はオチャメな人なんですね。

突如、コートで暴れていた猿がコンパートメントにやってきた。この猿、すばらしい運動能力の持ち主だ。稲本さんとともに、写真におさまる。その猿のある部分にさわってみて初めてメス猿だったことを確認。

おどろしい猿が一瞬、「いやーん」っていうようにかわいくたじろいだ。これでまた盛り上がる。

NBA

2005年01月19日 | オープンソース物語
みんなでNBAのバスケットボールの試合を見に出かける。

マイクロソフトはVIP対応その他の用途に使うためにコーポレートの観戦用のコンパートメント=個室をキープしてある。さすが。その部屋でみんなとワイワイやりながらバスケットボール観戦。

カードはシアトル・ソニックス対デンバー・ナゲッツ。第4ピリオドまではシアトル・ソニックスがリード。会場はてんやわんや。でも残り1分で同点にされる。会場はシーン。5分間の延長戦で見事に逆転されました。108:116でシアトル・ソニックスは負けちゃいました。

映像、アトラクション、観客サービスの効果が立体的にゲームを演出している。そこにはバスケットボールにうち高じるスポーツ・エンタテインメントのアメリカがある。かたやイラクではネオコンの論理で戦争にうち高じている、ジオポリティークの帝国主義アメリカがある。

にわかにはNBAのゲームとイラク戦争は結びつかない。とてつもなく大きなリアリティーのギャップがありすぎるのだ。でもイラクに派兵されているソルジャーはNBAの試合をかの地で衛星放送によって観て、憂さ晴らしをしたり、望郷の念を埋めたりしているという。

バスケの試合はとても楽しかったが、複雑な思いもあった。






マイクロソフトのレクチャー、カルチャー

2005年01月18日 | オープンソース物語
まる一日、マイクロソフトづけだ。

MSキャンパスのなかでも重要スポットの奥の院に関する情報に接するときはNDA(機密保持契約)にサインをしてからだ。でもこうまでして重要情報を提供してくれるMS社の姿勢は素晴しい。機密は守るというセキュリティーもさることながら、顧客でありパートナー対象者(候補者)を大切にするというスタンスがはっきり出ていると思う。

でも機密事項は、NDAにサインした以上、ブログにも詳細は書けないのが残念。

ミュージアムにはMSの歴史をサマライズした展示がある。その中になんとマッキントッシュを発見。その上にはビルゲイツの若いころの写真が。80年代後半、ぼくもマックプラスをコーネル大学で大枚を果たして買いこんで、卒論を書いたものだ。あれから10台のマックを買い継いできている。古い時代のマックには勢い、夢、そして偉大なビジョンがあった。そして、今日、偉大なMSの歴史ディスプレイの一こまに、こじんまりと古いアップルの機種が陳列されている。過去形のマックフリークとては、ちょっと複雑な気持。

PCが誕生してから今日までの変化を遥かに凌ぐ巨大な変化が今後5年以内に起こると予測する評論家は多いが、MSの凄いところは、その変化の姿を具体的なタンジブルな形にして「こうなりますよ」とひとつのバカでかいホールをところ狭しとばかりに縦横無尽に使いまくり、変化のシナリオを描き出しているところだ。MS社から見れば、「このようにすべきだ」という明確な市場開拓、市場リーディングのメッセージなのである。

これには素直に感動した。そしてよく考えてみると素朴に納得もした。MSの過去から現在のヒストリー(history)を雄弁に語り、その次は未来の姿、カルチャーを大胆に描いているのだ。過去、現在、未来を結びつける物語がそこには歴然と、かつ過剰に存在する。

とても勉強になった一日だった。