よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

Professional Science Master 急増中の米国から見るニッポンMOT

2008年07月28日 | 技術経営MOT
日本ではMOTが「MOT大学院バブル」のように言われてはいる。このあたりの事情は板倉省吾氏が詳しく語っているとおりだ。

日本のMOTはざっくり言えば、科学、技術をビジネスに結びつけ価値をキャプチャーできる人材を専門職大学院=修士課程などで養成してゆこうという動きだ。

この動きの文脈はアメリカでは、このところMOTではなくProfessional Science Master(PSM)で議論されることが多いということに注意を向けたい。



上の図は、Professional Science Master's プログラムを展開している大学院をプロットしたもの。その拠点となる大学が赤マル急増中なのだ。

Professional Science Master's (PSM) は新しい修士号だ。産業社会で高く評価されるビジネススキルを同時に習得させながら、サイエンスや数学の発展的なトレーニングを学生に2年間で与えるというもの。

日本の事情に合わせて言うと、理工学部で4年間学んだ後、その上の博士課程前期で研究を継続しながらビジネススキル、マネジメントのメソッドを学ぶという構図に近い。まわりを観察するにつけ、日本では理工系大学院で専門性のみを狭く深く研鑽するあまり、ビジネススキル、コミュニケーションスキルに欠陥を有する(素質はあるのだが開発する機会に恵まれなかった)人材が少なくない。

もっとも多くの日本の大学の教員は、そのような環境で育つことが多いので、無意識的に同型の経路を作り、あるいはその経路に依存し、似たような人材を作ってきたと言えなくもないが・・・。

いずれにせよ、通常PSMでは学生は2年間のコースワークを義務づけていて、創発・学際領域にくわえビジネスやコミュニケーションを「またがって」学ぶとされる。カリキュラムは実際の産業社会のニーズにもとづいて作られ、優秀な学生がキャリア開発をしやすいように配慮されている。

こうのようにとらえてみると、工学部の「上に」加えられた日本のMOT大学院は名称は異なるがコンセプト的にはPMSに近似した位置取りをしているといってよいだろう。(早稲田大学のようにビジネススクールのなかにMOTを位置づけるのは、十分な志願者が集まれば、長期的な差別化戦略上は日本の特殊事情により卓見である。)

日本のMOTと異なるのはアメリカPSMの徹底振りである。米国のPSM構想では、先端科学領域での専門性は最低マスターレベルでないと話にならない、それにビジネススキルを併せ持った人材を「大量」に育成、輩出することがアメリカの国益を増進するというグランドデザインが一気通貫している。

実はPMSにおいては「大量」がキーワードだ。Top tierのアイビーリーグ+αのみでは量の確保に難点があるため、PSMは州立大学、セカンドクラスの私立大学に集中している。州立大学、セカンドクラスとはいえ、世界ランキングでは堂々たるポジションだ。このような大学に対するグラント方針は、PSMを一気に一般化するという目的に対して合理的な判断だろう。

詳細はこちらから。

社会起業サミット2008 早稲田大学

2008年07月24日 | ビジネス&社会起業


早稲田大学で7/30に社会起業についての集まりがある。
もちろん参加費は無料なので、どんどん行こう。
ざっとこんな感じ。

<以下貼り付け>

社会起業家とは、政治や行政だけでは解決できない社会問題を、
事業を興すことでコストを賄い、解決のために働く人たちのことです。

世の中には、地域経済の疲弊、環境破壊、子育てと仕事の両立など、
さまざまな社会問題が放置されていますが、そのような問題の解決には多くのコストがかかります。 解決に従事するスタッフには、彼ら自身が生活するための人件費も必要です。

そうした市民運動家は増えていますが、彼らに寄付する団体が増えるわけではありません。

つまり、活動原資を寄付金に頼ってばかりもいられないのです。 そこで、自ら収益事業を興してなんとか解決活動が持続可能なものとなるように努めているのが、社会起業家なのです。

http://gogo-socialventure.blogspot.com/

しかし、現在、「社会起業」について、日本人の84%がまだ知りません。

http://www.meti.go.jp/press/20080403005/03_SB_kenkyukai.pdf

こうした現状に対して、10代の学生が中心になって一般市民と一緒に社会起業家を支援していこうというのが「CCC」であり、その最初のアクションがこの「社会起業支援サミット」なのです。

初となる今回(第1回)の開催趣旨は、次の通りです。

社会起業家の求める支援の一つである広報術の無料レクチャーを実施する一般市民に直接、社会起業を知らしめ、社会起業家との人材マッチングを行う報道関係者に社会起業を学ぶ機会を提供し、広報支援をとりつける

<以上貼り付け>

若者のみならず団塊の世代のNPOも登場する。このへんがいかにも早稲田らしい。詳細のサイト


(団塊のノブレス・オブレージ→団塊世代の知恵の還元)


(ノンカフェ→既存の出版のビジネスモデルをスロー化するソーシャルイノベーション)

いろんな世代のパワーに期待。支援を得るのみならず、画期的な社会起業アイディアがスパークするような場になれば面白い。

MOT課外授業

2008年07月23日 | 技術経営MOT
採点済のレポートとテストを返却。
まあ、テストの点など高くても低くても関係ない。
テストの点が高ければ起業に成功するわけでもないし。

オレは学部のころは徹底的に教授をコケにしてテストもマジメに
受けずに卒業した。受けても自分で問題を作って回答するという
裏技に出て、まあ、なんとか「可」はたくさんとったのだが。

さて、こう暑い日が続くと授業の後のビールは欠かせない。



安力川と大村。二人のオジンは授業のあとの飲み会が生きがい
なのか。授業も、まあ楽しいが、やはりその後のほうが楽しい。

とくにこの二人は授業の後のほうが楽しそうなのだが。



そうこうしているとヒダ嬢が楽しそうに写真に納まる
といってもヘンな店の女性ではない。

そう、MOTのM2です!
こういうときのMOTは "The Most Outstanding Talent" の略としておこう。



両手におじさんの図ということになるが。。
理知的なMOT3人衆。

清楚な水仙の花~。

ということで、のこりわずかの授業となるが、がんばって
終わりにしよう。

ヒダは本気で起業するという
よっしゃ、応援するぞ。
経路依存(Path Dependency)を断ち切って、旅に出る若者
は美しい。

Beaten Trackからはずれた道にこそ、美しい風景が拡がる。
決められた道に静かな絶望を自覚し、わき道にそれるちょっと
した勇気と好奇心を持とう。

そんなところから人生のRadical Innovationが始まる。

髪の毛を切ったばっかりのオレの写真はボツ。
加藤さん、また次回載せますのでご勘弁を。

一生学び続ける猿

2008年07月19日 | ニューパラダイム人間学
<貼り付け始め>

7月19日17時31分配信 時事通信

内閣府は19日、「生涯学習に関する世論調査」を発表した。学問やスポーツなど生涯にわたって行う「生涯学習」について「今後してみたい」と答えた人は70.5%と、初めて7割を超えた。3年前の前回調査に比べ6.5ポイント上昇しており、生涯学習への意欲が高まっていることが明らかになった。
 ただ、この1年間で「したことがある」は47.2%と半数に届かず、なかなか実行に至らない傾向も浮かび上がった。 

<貼り付け終わり>

たしかに経験のさいたるものはマナビからやってくる。
急激に少子高齢化する市場で、若年層ばかりにマナビの機会を
傾斜配分するのはアンバランス。

通念としては幼稚園、小学校、中学校までは年齢の天井があるが、
大学や大学院には年齢の上限はない。

人は、情報や知識を食べ続けてゆかないと生きていけない動物だ。
人は情報・知識代謝系の生物だ。
なので、バカでかい脳ミソが頭蓋骨に収まっているのだ。

情報や知識をまとめて取り込むのには大学・大学院が
都合が良い。人間がつくったシステムのなかでも大学・大学院
は傑作の部類だろう。

さりとて先進各国のなかで大学の競争力がビリといわれている日本
の大学は猿やゴリラの学校のままではいけない。

専門職大学院を中心にしてプロフェッショナル化してゆく必然性が
ある。まっとうな生涯学習に対するニーズはますます大きくなって
きている。



Muhammad Yunus氏、MIT卒業式で社会起業を語る

2008年07月07日 | ビジネス&社会起業
先日のMIT卒業式でのスピーチは、ノーベル平和賞受賞者のMuhammad Yunus氏。米国知識人階層やアカデミアでの社会起業への注目度の高さを象徴している。

MITのシステムでYunus氏のスピーチと全文が掲載されている。理路整然と論を組み立て、聴衆のハートに届く明確なメッセージ。

Yunus氏は、バングラディッシュで貧民向けの銀行、グラミン銀行を設立し、マイクロクレジットのビジネスモデルを作り上げた。それまでは銀行は金持ちを相手にしていて貧困者にはまったくお金をかさなかった。そこで小額のローンを貧困者向けに開発して貧困からの脱却を支援するというソーシアル・イノベーションを起こした。

金融サービスのイノベーションなので、サービス・イノベーションとして位置づけられることも多い。いずれにせよ、経済力のみならず、生きる自信と意味を与え続けている偉大な社会起業家だ。

要点はこんな感じ。

従来のビジネスは資本主義経済のなかで動いてきた。その目的は利益を最大化することにある。しかし私のビジネスは私に「幸せ」を最大化することを狙っている。いままでの「ビジネス」は利益志向という、余りに狭く一面的な領域に押し込められてしまっている。

しかし人間には多面的な視点がある。我々が世界で直面している問題は、「利益最大化のレンズ」だけでは見えてこないことに気がつくべきだ。もうひとつの重要なレンズは、社会ビジネスだ。ビジネスから得られる幸せは、「利益の最大化」だけでなく、「広く認められる社会的意味の達成」にある。だからビジネスにも、利益追求事業と社会事業とがあるべきだ。これらの2枚のレンズを通して世の中を眺めて行動しよう。

大きな問題であっても、あきらめてはいけない。どんなに大きな問題でも小さな問題の積み重なりから出来上がっている。だから身のまわりの小さなことから問題を解決するようにしよう。あなた方の世代は世界を変化させることができ、一人一人は世界を変える力がある。

そしてこれからの長い一生のうち何か一つは、あなたが最も心を痛める問題を解決するための、社会事業に関わって生きてほしい。

                       ***

資本主義のダイナミズムをフル活用してイノベーション研究、創発に非常に熱心なMITではあるが、こうして従来の利益獲得のためのビジネスのあり方の大前提を疑い、新しい可能性を切り拓く起業家を卒業式でスピーチさせるというのは、さすがに目のつけどころがいい。

変革者は変化のために社会の制度を活用するし、制度のありかたは起業家に影響を与える。だからEntrepreneurshipは、生態的にCo-evolutionary Dynamism between Innovation and Institutional Systemsととらえる必要がある。その熱い波を感じる。


キワモノのすすめ

2008年07月05日 | ニューパラダイム人間学
イノベーションを起こす人が起業家だ。そして、すべからく起業家はキワモノでなければいけないんじゃないか。

キワ者は、際者でもある。辺境や周囲に位置取りして、中央、権力センターには擦り寄らない反骨精神の持ち主でもある。まわりから中心をじっくり観察することで、中心にいる当事者よりも、よくものが見える。

端っこに居て, 境目を放浪して辺境に遊ぶキワ者は固定されることを嫌う。キワダツ人間とは、端、境界、辺境に立って異界を俯瞰する存在である。interdisciplinary、international、interculturalの"inter"感覚とでもいおうか。

「際」は業際や学際、国際に通じている。越境して異なるものを見届け、比較する。時によっては異質を結びつける契機さえ提供する。接着剤、触媒のような人。また際者はConvergerでもある。

ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術、認知科学(ちなみにを総称して「NBIC」という)が特定のニーズに対応する形で収斂してイノベーションが発生する契機となっているので、キワモノ=際者の活躍の場は拡がっている。NBICもそうだが、産学官のハザマを遊泳する人も自覚的な
キワモノである。

キワモノ=際者は異質な人と人を結びつける。場を接続させる。異質を混ぜる。
ちゃんこなべ型異質の統合者、仲介者、媒介者。

キワ者はConvergerであると同時に余白のような人、ノリシロのような人でもあり、Connectorでもある。学問、仕事、趣味なんでもそうだが、一芸は多芸に通じる。際者は際に住む住人で、キワどく遊び上手。

キワ者は、窮者である。探索の旅に出るQuesterだ。なにかを真剣に求める。
探す。探る。窺う。覗う。ウソ、ホントを疑い、窺う。

求知窮理というように、キワ者は特殊個別の住人というよりは、知識を探索し、
論理、一般法則性を求める。

社会に、そんな自由人ばかりでは困るので、社会は制度という枠組みを作る。なので若い木のようなキワ者を塀で囲むことを困窮させる、と書く。

究める、きわもの。芸、技、学問、スポーツ、領域は問わない。
とにかく深く迫り真髄に肉迫する。その領域ではだれにも負けない。
オンリーワン。

ところで、「究」とは、「穴」が「九つ」あると書く。

昔、中国の賢者が「男子三日あわざれば剋目して見よ」といった。三国志の時代の呉の国の呂蒙のことを言った言葉とされている。で目をギョッ見開いて男の体には穴がいくつあいているのか?答え九つ。

人間を「究めて観察」するのだ、という意味で「穴」を「九つ」よく見究めるべしと。数奇なもの、奇妙なもの、キテレツなものにすぐ目がいってしまう人。窮まり知らないフェッチな好奇心が充満する人でもある。またの名を知的なスケベーとも。

キワ者は極者である。marginalを旨とする。限界費用、限界利益をつねに考えソロバン勘定に長けている。ギリギリのところで勝負する。ギリギリのところでシノ(商)ぐ。市場のユガミ、ひずみにビジネスチャンスを嗅ぎつけキワどく均衡させる。だからmarginalなのだ。「究」+「極」=究極のところでキャッシュベースの損得勘定も忘れない。

際め、窮め、究め、極める人材。
つまるところ、アントレプレナー養成とはキワモノ人材づくりじゃない
のか?