よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

GM連邦破産法11条でGovernment Motors誕生は必至

2009年05月30日 | 恐慌実況中継

<GM中興の祖アルフレッド・P・スローン>

ゼネラル・モーターズ(GM)の債務帳消し交渉で、債権者の9割(債権額ベース)から同意を得る同社の目標達成が27日、困難な情勢になった。6月初めには大騒ぎになるだろう。

債権者のなかでも大口投資家は当然、債務削減には大反対。GMを破綻させてから再生の過程で、経営陣を法廷に引っ張り出して、ちょっとでも悪くない条件での債権回収を目指すほうがいいと判断したからだ。大口債権者は、政府資金という名前のキャッシュを当てにして回収を図るのである。

アルフレッド・P・スローンの卓越した経営手腕にリードされていたころのGMは規格大量生産型技術経営の鏡であった。

高い「擦り合わせ」度が必要な製品の自動車は、特別に最適設計された部品を微妙に相互調整しないとトータルシステムとしての機能が発揮されない製品。企業買収を繰り返してGMグループを垂直的に統合してきたのだ。

しかし、短期的にマネーメークするためには、次世代自動車へ至るイノベーションの追究よりは、ファイナンスで儲けた方がよいとGMは判断した。非常に手厚い、雇用者用の企業健康保険、企業年金制度を維持するためにも。

そしてGMはサブを含めるプライムローンをフル活用してガソリンをガブ飲みする自動車を売って、それを証券化してウォール街で転売してきた。つまり、自動車メーカーとしての、イノベーティブな車作りよりもファイナンスの世界で儲ける会社にかわってしまったのだ。

今回、多くの大口債権者がチャプター11の方を選好した理由は、皮肉なものだ。貸し倒れに対する保険であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)に多くの債権者が加入しており、GMが正式に債務不履行に陥った場合には、債権者に保険金が支払われて儲けることができるからだ。

そもそもサブプライム・ローンを実質的に裏書きしたパンドラの箱=クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を野放しにしてきた金融系貪欲キャピタリズムが今回の不況・恐慌の背後にある。

この悪性の循環構造には、大口債権者は十分自覚しているはずだが、結局は自分の損切りをCDSを使って確定させることに走っているのだ。ここにCDSという仕組みのタチの悪さがある。

再建策の要である過剰債務の帳消ができなくなったことで、GMは連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用申請に踏み切る可能性しかオプションがなくなった。

不況のさなか、アメリカを代表するGMを破産させるのは、オバマ政権としてもどうしても避けたかった。来週あたり、なんらかのコメントがオバマ大統領から出るだろう。しかし、GMのステークホルダである債権者がNoと言ったのだから、もう手のつけようはない。

そして、米政府は500億ドル以上をGMにつぎ込み、新GMの普通株式の約70%を取得することとなる。実現すればGMは事実上の国有メーカーとなり、名実ともにGovernment Motorsとなる。

米国政府、寡頭勢力にしてみれば、米国自動車はすでに覇権産業でもなんでもない。しかし、短期的にはGMの破産はよくない話だ。雇用への影響も同様に大きい。GM、フォード、クライスラーは3社で25万人近く雇用。部品メーカーでは約10万人が雇用されている。米国の失業率は現在6.7%で、1993年以降の最悪。これを機に、失業率は上がってくる。

まさに人的資本(Human Capital)の時代

2009年05月27日 | ニューパラダイム人間学

Gary S. Beckerは説く。

"Education, training, and health are the most important investments in human capital. Many studies have shown that high school and college education in the United States greatly raise a person’s income, even after netting out direct and indirect costs of schooling, and even after adjusting for the fact that people with more education tend to have higher IQs and better-educated, richer parents. Similar evidence covering many years is now available from more than a hundred countries with different cultures and economic systems. The earnings of more-educated people are almost always well above average, although the gains are generally larger in less-developed countries."

100年に一度の構造改革の大変化を危機と受け止めるのか、機会(チャンス)と受け止めるのかは、その人次第。

現下の不況・恐慌下でキャピタルが紙幣、債権、コマーシャル・ペーパーなどマネタリーな表象から、モノへ、そして最初で最後の資本=人的資本へと回帰している。

ユダヤ系学者であるベッカーにとって、寄留民としてのユダヤ人が、古来人的資本を最重要視してきたかについては皮膚感覚で分かり切っていることだろう。

教育、トレーニング、そして健康開発に投資を傾斜することにより、知識、スキル、実践能力を得る。不況の折、企業による教育とトレーニング投資は極端に先細ってきている。企業に依存せずに、自分で投資をすべきだ。自分で教育、トレーニング投資をして、自分でそのリターンを取る。

先日、アイビーリーグのとある教授と話をしていたら、米国の一流ビジネススクールには不況・恐慌を回避して優秀な人材が大挙して押し寄せているという。面白いのは、従来型の学資ローンではなく、間接金融では、学生の通う大学院、学生の成績、保有する技術、スキルで、金利が異なるということだ。

また直接金融スキームでは、ヒューマン・キャピタル・ファンドが大学周辺にできており、直接学生というヒューマン・キャピタルにファンドが投資をする。

でも一番手堅いのは、自己資金で学資をやりくりすることだ。自分でリスクを取り、リターンも自分がすべて回収する。

嵐が過ぎ去るのをBSで勉強しながら待ち、その後で行動開始という学生のビジョンと大学界隈の金融システムがシンクロしている。その背景にはAdam Smith、、 Arthur Cecil Pigou、 Jacob MincerからとBeckerへと連綿と繋がってきた人的資本論のうごめきがある。

コンサルタントが生き残るための処世訓

2009年05月24日 | No Book, No Life


コーネル大学のGeorge T. Milkovichは人的資源管理論(HRM)の中でもcompensation(報酬)領域に特化した研究者だ。

特に職務分析、職務評価、そして職務給、パフォーマンス・アプレイザルに至るまでの全プロセスに深い造詣を有している。コーネル大学にはIndustrial and Labor Relationsと呼ばれる産業労使関係に特化した学部、大学院があり、彼はそこで長年教鞭をとっている。

日本人留学生で彼の授業に出入りしたのは初めてだということで、たいそう面白がられた。なにせ、留学してた当時は、日本的経営の浮名が華やかかりし頃で、なぜ日本人のオマエが米国流のHRMに興味がるのか?と執拗に質された。

当時アメリカでは日本特殊論が旺盛で、年功賃金、終身雇用(長期安定雇用)、企業内組合、集団的意志決定、全社的品質管理などが、さかんに喧伝されていた。

そんなプロパガンダ風の経営論に胡散臭さを感じてたし、共同体から機能体に転換してゆく過程で、年功賃金、終身雇用などの、いわゆる日本的制度なるものは換骨奪胎されてゆくだろう。そして、国際志向が強い企業ほど、メリットクラシーの方向へ変化するだろう。だから、国際基準のHRMを学びたいんですよ・・といったことをたしか説明した。

大学院を終えてHayからコンサルタントとしてJob offerをもらった時にMilkovichに相談に行った。実は、彼はHayの顧問をやっていたのである。コンサルタントが生き残るための処世訓をもらった。

1)ビリング(請求書)の発行がすべてだ。
2)自分でデカいクライアントを持ってこれるようにしろ。
3)勉強を怠るな。
4)自分でコンサルティング手法を開拓しろ。
5)プロフェッショナルとして認められるためには本を出版しろ。

プロフェッショナル・ファームに対してコンサルティングをしているだけのことあって、彼の教訓は金言だったと思う。

時を経てなんの因果か、大学院でHRMの講座を担当している。コンサルティング・ファームを志望する大学院生にも、助言を求められたら上の5項目にふたつ加えておこう。

6)就業規則に触れないように知的な副業(講演、執筆)をやるべし。
7)プロとしての力量を体得したら独立すべし。

米国債格づけのダブルスタンダード

2009年05月22日 | 恐慌実況中継


一時的にダウは反発しているが、いずれは落ちる。またドルの為替レートも落ちてくる。そして米国債が下落すれば、株、為替、国債の3点セットが暴落し、不況を通り越えて恐慌となる。

ムーディーズ・インベスターズ・サービスは21日、米国の「AAA」格付けについて、現時点では満足、と表明した。なるほど、国策機関による米国救済のための捏造的格付けである。

ここでしっかりと思いだすべきは日本が金融危機に陥った1998年11月のことだ。日本の長期債務が増加していたことを受けて、ムーディーズは日本国債の格付けをトリプルAからワンランク下のAa1に格下げした。その後、2002年5月にはA2に落ちた。そしてほどなく日本の金融業界は米国投資銀行などの草刈り場となった。

その後、日本国債は一時、世界最貧国のひとつであるボツワナ並みに格下げされて騒ぎにもなった。しかし、米国債が現下の状況で「AAA」を維持しているのは、ダブルスタンダード(二重規範)であるとしかいいようがない。

二重規範は共同体の常。米国政府と格付け会社は共同体である、ということが再確認された。客観的な評価?中立的な評価?すべて虚偽である。

このことに対する日本の市場関係者の共通の見方は、「米国債は、いったん下げると歯止めが利かなくなり暴落リスクが顕在化する。米国政府が格付け会社に必死に協力をあおいでいる、あるいは政治的な圧力をかけている」というもの。

ただし表だって公式に批判することを意図的に避けているようだ。オモテのマスコミは、ブタフル騒ぎにばかり加担していて、米国債格付け捏造を伝えない。



実態は、米国債の格付けは粉飾されたうえに捏造されている。

しかし、限度というものがある。中国が日本を抜いて米国債保有残高は世界一。中国が米国債の売りに転じるときがターニング・ポイントになるだろう。

「米国債の売り」が現下経済情勢の真のキーワード。過去、その素振りを見せた日本の政治家は失脚の憂き目になっているので、なかなか言い出せない。

次の選挙では、「国益とはいったい何なのか」、「日本人の資産を米国から取り戻す方策」をそろそろ争点にしなければいけない。


大失業時代の副業・資格

2009年05月20日 | ビジネス&社会起業


このところ、経済雑誌には副業ネタが増えてきた。雇用崩壊、給与崩壊で危機をつのらせるプロモーションが一段落。副業がたぶん次のネタか。

減る給料、増える自由時間。では、どうする?その対応方法の一つが副業、資格取得ということ。

自己責任で成果を追及すれば行き先は2つ。

(1)雇用されている企業での職務の中で成果を追及する。→雇用型成果

(2)自分で職務を創って成果を生み出す。→起業型成果

(1)が不安定になり、給与も目減りし、それに費やされる時間が減ってこれば(2)のオプションを考慮するのはしごく合理的。

しかし、いきなり(1)を放棄して起業するのは高いコストを負担しリスクを引き受けることになるので、よほど高い収益性が見込める事業計画を持っていなければ進みにくい。そこで(1)の雇用を得ながら、同時並行的に(2)もやってしまうという選択が副業となる。

長期的に低迷する新規開業率、新卒者の長期雇用志向などを考慮すると、日本社会が短期的に新規開業型に変質するとは考えられない。案外、セコセコと副業をする人の人口と階層が増えることが、(2)の予備軍を増やすことになる。

MOTやMBAで学ぶというのは、それ自体資格の取得という側面もあるが、社会人学生は(1)をやりながら(2)を実行してしまう絶好の立場にいるわけだ。もっと柔軟にやったほうがいい。

タラタラ受動的にマジメに学ぶんじゃなく、(2)もやるべきだよね。起業や副業のネタ探しっていう意味では、MOTやMBAスクールはいい環境だ。このあたり、チョイワル感覚を発揮してクリエイティブになることが大事だ。

したがってマクロ的なイノベーション政策として副業や資格取得を支援する意味はある。

副業も資格取得も広くは、シュンペンター過程の創造的破壊のひとつの現象ということなのだろう。副業からイノベーションが生まれた事例は多い。なにもやらないよりは、遥かに良い選択枝だろう。

ヤドカリ型副業起業のすすめ

2009年05月16日 | ビジネス&社会起業


成果主義は人事部や会社のためにあるのではなく、本来、個人のためにあるものだ。成果主義を自分でリスクを取り、リターンを自分で獲得する生き方、ととらえれば、成果主義的な生き方とは、ズバリ起業家的な生き方である。それは市場の中で自己責任を自覚してリバタリアンとして生きてゆくことでもある。

雇用調整、ワークシェアリング、首切り、成果主義の強化の嵐の中、雇用される立場に甘んじて迷路の中を右往左往するのはやめよう。迷路を飛び越えて生きてゆくのが起業家的行き方だ。

さて、いきなり起業をするよりも勤務先からの給与収入を確保しつつ副業から始めるのが起業リスクを軽減することになる。大手電機メーカーなどは、副業を推奨し始めている。また、不況・恐慌の折、操業短縮や休日は多くなっているので、副業起業は現実的だ。

副業を意識すると今いる会社は宝の山ということが実感できるはずだ。情報、ナレッジ、手法、ビジネスモデル、人脈、商脈はおろか、パソコン、プリンタ、回線、サーバ、コピーマシン、会社が保有する雑誌、書籍、文房具などなど。

さて、ソフトウェアはOS、ミドルウェア、言語、アプリケーションのレイヤーごとにオープンソースや無償のものでコトが足りる。ハードウェアだってデュアルコアの最新パソコンも5万円台で入手できる。

ADSLやスカイプを活用すれば、通信コストが劇的に下がっているのため、副業としての費用の持ち出しは限りなく低めることができる。

副業開始当初の目標はバックログ(受注残)をため込み、勤務先からの給与収入を上回る収入を副業からジェネレイトとすることとなる。それからは副業で自分の人件費を稼ぐこととなる。

つまり、顧客を確保して受注残を積み上げ自分の人件費が確保できれば、副業の失敗リスクは極小化することができる。このプロセスをすべて会社に雇用されている身分でやってしまうのだ。これをヤドカリ型副業起業という。

ゼニ儲け型起業でも社会起業でも、このヤドカリ型副業起業はスタートアップの助走期間として極めて有効である。

ヤドカリ型副業起業では、サイト制作やソフトウェア一品制作などの受注型ビジネスから入ってゆく。資金繰りが安定してきたら、新しいビジネスモデルを用いてマス(B,C,Pなど)に対してサービスを提供する。もちろん、こじんまりやるのだったら、受注型に留まるのもよいだろう。

個人レベルでクラスター化、分散化、P2P化が進んでいる今、成果主義の主語を会社や人事部から、自分に引き戻りして逆張り発想をすることが大事じゃないかとつくづく思う。

どうなるTokyo AIM?

2009年05月13日 | 技術経営MOT


なかなかの逆張り起業家でもある、とあるベンチャー企業の社長と株式公開についてのミーティングの席上、Tokyo AIMの話で盛り上がった。

London AIMは日本ではあまり知られていないが、ベンチャー企業が目指す登竜門としてプロ投資家向けのNASDAQと並ぶ新興市場だ。

直近では1514社がロンドンAIMに上場している。中国56社、インド28社、東南アジア38社で約130企業。日本からも4社上場している。10%はアジア企業130社ということになる。

そこから見えるのは、アジアの新興企業が自国を素通りしてロンドンAIMに行ってしまっていると構図。

さて東証では1991年には127社上場していた外国企業がこぞって逃げ出し、2009年には15社までに激減。国際金融都市ランキングでも東京の魅力度は、前回7位から今年は15位に急落している。その理由は、外国人から見て、日本市場の特殊な制度、商習慣、閉鎖性と今や金融や投資の世界では世界標準となっている英語を使えないことにある。

自分で捲いた種があまりにも負の方向に拡大して、東証は危機感をつのらせた。そこで東証は考えた。長期低迷が続くであろう東京のベンチャー向け新興市場にカツを入れて活性化させたい。でも自分たちにはノウハウがない。

ベンチャーファイナンス敗北宣言なのだ。で、すわロンドンAIM。ならば、ロンドンAIMを東京にもって来よう。というわけで、莫大な授業料、コンサルティングフィー、ロヤリティなどの払う契約にサインをしてロンドンAIMと東証の合作でTokyo AIMを創ることにしたのだ。

Tokyo AIMは、過去の反省をもとに2つの特徴を訴求している。

1)プロ向けの新興市場とする
プロの機関投資家(投資銀行、年金、保険など)のみ、一般個人投資家には高い敷居を設定する。金融資産3億円以上の富裕層の個人投資家のみ参加できるというように。日本の新興市場では、7-8割は個人投資家だった。彼らが熱くなり、バブルを支えたが、また大損したことも事実。欧米の新興市場は7-8割はプロ投資家が参加しているので日本と真逆ということになる。

株価を判断できない、短期売買中心、心理的センチメントに過度に流されるといった傾向は、新興企業市場には向かないと東証は判断しているようだ。ただし、それを言えば、機関投資家とて本質的には大差ない。


2)外国企業でもラクな情報開示
英語でもOK(今までは日本語のみでこれが強烈な負担だった)とし、決算開示を年2回にして、海外の会計基準の使用と認める。

東証は、Tokyo AIMをアジアの新興企業に訴求したいとする。プロの機関投資家がどっと売買するようになるのか?BUY and HOLD 、つまり長期投資がベンチャー企業投資の基本。しかし、長期投資だけでは、取引頻度や売買高をもたらさない。市場の流動性を高めるためには、もっと工夫がいる。

指定アドバイザー制度がポイントだ。指定アドバイザーは、企業の上場適格性を評価するとともに、上場までの過程でアドバイスを行う。欧米に比べて主幹事証券の責任が問われにくい風土(証券界と市場の談合体質)の日本で、「アドバイザー任せ」は定着するのか?

激烈な恐慌を迎えることになるであろう経済情勢の中で、やはりベンチャー企業が成長していかないと経済はダメになる。なんとか、いい方向でスタートしてほしい。

嫌われ成果主義の逆襲

2009年05月11日 | ニューパラダイム人間学


日経ビジネスの特集、「嫌われ成果主義の逆襲」はダイヤモンドの「大失業減給危機」と同じ現象を2つの異なった視点から眺めるものだ。

アンケート調査の結果はこんな具合だ。

・「勤務先が成果主義型の制度を取っている」と答えた944人を対象に、勤務先の成果主義の成否を聞いたところ、「失敗だった」とする回答は68.5%に達し、「成功だった」という回答(31.0%)

・「成果主義に基づく自身の評価に満足しているかどうか」についても聞いたところ、「不満である」は43.3%、「満足している」16.2%。

・「成果主義型の制度の導入後、仕事に対する意欲が向上したか」は、「向上していない」36.3%。「向上した」16.1%。

・「職場に何らかの弊害が発生したかどうか」は、「発生した」65.7%。

・「制度そのものより運用上の問題が大きい」が66.0%。「制度そのものの問題が大きい」は32.5%。


                ***

筆者は1980年代後半からHay Management Consultantsにて、大企業の「嫌われ成果主義」の導入相談に応じてきた。独立してからも、この手の相談、コンサルティングは引きも切らなかった。

成果主義はそれを支える企業体質とのスリアワセで考えなければいけない。

社畜育成型の年功体質、共同体体質、職能資格インフレ体質、ポスト不足体質、中高年賃金コスト体質、曖昧評価体質の企業ほど、成果主義へのニーズは大きかったし、いまでも大きい。

もっと細かに見ていくと、上記のような企業組織には共通点がある。
・上層部ほど職務の定義があいまい。
・上層部ほど職務の成果責任の定義があいまい。
・社畜度が高い経営層が、管理職や一般職に成果主義を強いるといういびつ構造。
・経営層こそが成果主義とはほど遠い。

こういう会社ほど、成果主義へのニーズは大きいのだが、また体質としての乖離も大きい。だから、成果主義を導入したときのねじれ現象が生じるのだ。現場からの反発も強い。また問題をとらえそこなうと、「虚妄の成果主義」のような年功賃金逆行をよしとする、これまた被害者意識迎合型の論説もウケたわけだ。こういう議論に、やれ人本主義だ、新自由主義批判だのが混ざってきて、「嫌われ成果主義」のムードが醸成されてきたのはいかにも日本的だ。

                ***

「転職経験がある」が66%、「会社が倒産するかもしれない」が42%、「解雇されるかもしれない」が30%をしめる35歳のロスジェネ世代が企業の中核をしめ、オジサン社畜世代が、定年、出向、雇用調整を受けている現在、新しい成果主義が再度復活する機会が訪れたのだ。

ロスジェネ世代は、その上の世代に比べ、成果主義をつきはなして冷静に受けとめる素地は格段にある。また成果主義をポジティブに個人で受け止め展開すれば、その創造的な行き先は、独立・起業・セルフエンプロイメントとなる。旧型成果主義には、この個人のキャリアを起業に発展させていくパスがなかった。

不況・恐慌の過程は創造的破壊が顕在化する。成果主義を貫徹するためは創造的破壊のための冷めた構えが必要だ。だれもがハッピーな成果主義はありえない。そんなものがあれば、それこそ、虚妄だ。

役員、役職者、正社員を聖域化せず、全従業員を成果主義の俎上に載せることによって、社会的にリスクを取らされてきたワーキングプアに社会資源が再配分されれば尚いいだろう。

逆張り起業家(アントレプレナー)のすすめ

2009年05月11日 | ビジネス&社会起業


不況・恐慌のときは、だれしもが不安を感じて大胆な一歩を踏み出せない。こういうご時世だからこそ、逆張り発想と時代への逆噴射が大切だ。

大学院の授業、講演、身の上(起業)相談などでよく語る起業に対する4つの新しいアプローチをちょっと紹介する。

(1)能力開発型起業(能力開発のため起業する)

そりゃ、起業してお金儲けできればいい。でも創業からイグジットまで一通りやった経験を振り返ると、お金よりも能力のほうがたまった気がする。もとがトロかったのでそう感じているのかもしれないが、身銭を切ってビジネスをすると、身の周りで起きることがすべて勉強の機会となる。

財務、ファイナンス、マーケティング、顧客開拓、人事・労務管理、PR、IR、統計学などの形式知系のスキルはもちろん、修羅場のくぐり方、葛藤処理、ケンカ、ナダメ、スカシ、シノギなど状況処理能力、人間関係スキル、コミュニケーション能力など暗黙知系、実践力系も知らず知らずのうちに伸びる。

起業というのは成長の場であり、その場を自分で創るというのは究極の成果主義の実行である。

(2)リスク軽減型起業(リスクを軽減するために起業する)

今の時代、規模の大小を問わず組織に雇用されているリクスは、独立して働くリスクより大きい。NHK「35歳を救え」という特集でも紹介していたが、35歳の平均的なサラリーマンは「転職経験がある」が66%、「会社が倒産するかもしれない」が42%、「解雇されるかもしれない」が30%。

内心大きな不安を感じながらビクビクしながら雇用されているのだ。ならば発想を変えよう。他人にコントロールされるリスクと自分でコントロールできるリスクを比べたら、どちらがいいか?明々白々、後者にきまっている。

自分でリスクを取ってコントロールするほうがすがすがしいし、精神衛生のためにもよいのだ。

(3)セルフヘルプ型起業(自分で自分を雇用するために起業する)

英語では起業、起業家的行動様式のことを"Entrepreneurship"っていうが、Self-employmentともいう。いずれもSelf-help(自助努力)の延長にある。自分の能力をテコにして、他者に雇用されるというフックをかければサラリーパースン(Salaried person)。逆張りで、自分が自分を雇用するようにすれば起業となる。

そのためには自分以外のモノ資産ではなく、自分の人的資源(スキル、技術、ノウハウ、人脈、商脈など)でジカに仕事ができるナレッジ・ワークを確立しよう。自分を盛り上げるために、自分に知的シャワーを浴びせることがセルフ・ヘルプに直結する。

自己責任で自分の人生は自分で切り開く。それは自分を雇用することから始まる。

(4)ビークルフリー型起業(ネタ優先、制度はあとで)

なにをレバレッジにして起業するのか?このレバレッジとなるものがビジネスモデルとビジネスプランだ。世の中にないなにかで、絶対的なニーズがあるものを金の草鞋を履いてでも探して見つけよう。市場のなかのムリ、ムダ、ムラ、ネジレ、スキマ、ウラガワなどは機会の宝庫だ。

そのあとで、ビジネスの出口イメージ、社会性、ボトムラインなどをじっくり考え、ビジネスのビークル(制度的乗り物)を選ぶ。個人事業、任意団体、NPO,株式会社などなど、ほんとうにいろいろあるので、ナカミ(コア技術、コアサービス、ビジネスモデルとビジネスプラン)をじっくり練ってから構想する。逆だと発想が狭くなりダメ。

絶対的に世の中に必要とされることだったら、社会起業でもゼニ儲け起業でもどちらでも成功するだろう。つまりビークル(制度的乗り物)を選ぶことができるナカミが大事。

                  ***

サービスの差別化に役立つコア技術をキチンと身につける。ただし、いい技術が市場で売れるわけではない。市場で売れる技術がいい技術なのだ。とくに、エンジニアバックグラウンドを持つ人は、この発想のギアチェンジが大事だ。

すくなくとも他人に雇われているより創造的だ。他人任せの人生(社畜)がいいのか、自分で切り開く人生(創造的人間)がいいのか。断然後者だ。不況・恐慌期に起業するヤツはホンモノだと思う。

大失業減給危機に備える人的資源論

2009年05月09日 | ニューパラダイム人間学


なぜ世の中に失業者がたくさんいても、派遣社員やアルバイトより高い賃金がかかる正規従業員を企業は雇っておくのか?

もうこの問いかけは古い。これからは正社員の雇用調整が本格化するからだ。

労働保持に補助金を出す「雇用調整助成金」の支給対象は、昨年2月にはわずか1269人だったが、今年3月には238万人と2000倍に激増している。このままいけば失業者数は350万人を超えて最悪記録を塗り替えることとなる。

前述の問いに答えるため、効率賃金仮説はいろいろな説と複合して1980年代に盛んに研究されてきている。

(1)離職コスト説

・基幹業務を担当するコアで優秀な社員が「はい、サヨナラ」と辞めたら企業は困る。戦略遂行にも支障がでるし、後継者人材を探したり、育成したりしなければいけないのでとにかくコストがかかる。

・だから企業は「辞められるコスト」の高い従業員には高めの給料を払って、「辞められるコスト」を実際にペイすることを回避しようとする。

(2)インセンティブ説

・人はもしクビになって転職して得られるペイが同じだとしたら、要領よくサボるものだ。

・だから企業は、従業員には相場よりはチョイ高めの賃金を払っておいて、クビになるぞと各種プレッシャーや脅しをかける。よって正規従業員は頑張るか、頑張っているふりをする。

(3)内部労働市場説
・日本の企業の多くは年功序列賃金となっている。 かつては生活保証給という観点から、年功序列賃金の理由がもっともらしく説明された。

・年齢が上がると家族の衣食住コストなどが増大する。だから賃金を上昇させないと生活が維持できないから賃金カーブは右上がりになる。

(4)人的資本説

・ノーベル経済学賞のベッカーは、人的資本論を用いて従業員が体得するスキルを「汎用スキル」と「特殊スキル」と区分した。

・汎用スキルはどの企業でも汎用的に使えるポータブルな技能。特殊スキルはその企業でしか通用しない特殊な技能。企業は特殊スキルの開発には費用をかけるが、汎用スキルに対しては費用をかけようとしない。なぜならば、労働者に一般スキルを高める訓練を一生懸命行なっても、他の企業に転職されたら、その費用を回収できないからである。

                 ***

以上の諸説を用いて、オジサン社畜世代とロスジェネ世代の2つの世代グループの標準的な姿をざっとスケッチしてみる。もちろん、オジサン社畜世代でも、ロスジェネ世代でも、突然変異を起こしてまったく別の個人的なシナリオを突っ走る人もいるが、ここではテーマとしない。

まずは化石となりつつあるオジサン社畜世代。この世代のデキる人は、社内特殊スキル(人脈、社内政治を含める特殊技能)の蓄積にいそしみ、そうすることで、上司やまわりには「こいつはデキル」と思わせておくスキルに長ける。職務習熟度は勤続年数と相関するので、とにかく会社共同体=内部労働市場のよき一員として大過なく過ごすようになる。

社内特殊スキルを高めることが仕事の習熟であり、習熟度は年功的に上がる。会社に埋め込まれたベネフィットは多様。独身寮に住んで、あわよくば彼女も社会で調達。結婚式も社内の宴会みたいなもの。社内住宅に住んで、財形貯蓄を積んで、なんでもかんでも会社ベース。社内旅行に社内宴会、なんでもござれ。会社イコール社会となってゆく。

こうして見ず知らずのうちに会社に囲い込まれてゆき、社畜度があがってゆく。退職金を積んでいるので40歳を超えたあたりから、転職するリスクが激増する。会社の仕事に純粋なパッションも感じないしリスクテークしない人が多い。基本、自分の利益をセコク計算しながら仕事をやってゆく。

                 ***

こんなオジサン社畜がイノベーションを担えるはずがない。こんな社畜の集団に巣食われたら会社はダメになるに決まっている。1980年代後半あたりから、大企業の経営者は気が付き始めた。

だから変革の志のある企業は、古くは能力主義、昨今では成果主義人事を導入してきた。役割貢献度によって今のペイを今の役割達成度で決めてゆくようになる。

    ・貢献度 = 役割責任の大きさ X 役割責任の達成度

    ・役割達成度=f(能力資質、目標達成行動)X貢献度

成果主義(meritocracy)とは、上記の役割達成度で賃金を決定してゆく方式だが、いかんせん日本企業は計測し、評価するということには熱心でない。というか、体質として受容していない。成果主義の考え方を一部導入しているのみであって、年功+暗黙的な能力評価のもとで運用されている。多くの企業では成果主義を中高年の賃金を抑制するために導入してきた。

                 ***

ロスジェネ世代はどうか?この世代のオジサン社畜に対する見方、自分たちのワークスタイルに関する見方は複雑だ。

NHK「あすの日本」の「35歳を救え」という特集。35歳の1万人へのアンケートは、このロスジェネ世代にとって終身雇用や長期安定雇用の活用度は低くなっている。「転職経験がある」が66%、「会社が倒産するかもしれない」が42%、「解雇されるかもしれない」が30%。

この世代は、離職コストを負担して上の世代にくらべればポータブルスキルの研鑽に熱心。内部労働市場、年功賃金にはさほど価値を置かず、一社懸命に働くことをよしとしない。かといって新卒のときは、一つの会社にずっと勤めたいと思っている人の方が多い。ある意味、期待が裏切られながらも、雇用環境に適応してきた結果、複雑な内面を保持している。

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35才以下の世代が元気づいてイノベーションを巻き起こす溌剌たる変化の主体者にならなければ、「あすの日本」はないだろう。さらにヤバイことになる。

衰退産業を衰退するにまかせ、新産業へ元気な人材を流動させる仕組みがぜひとも必要。ワーキングプアにのみ、貧乏くじを引かせてリスクを取らせている雇用労働政策はもう限界なのだ。

公務員を含め解雇規制を撤廃する、あるいは大幅に緩和する。そのかわり究極の失業対策、能力開発である起業(セルフエンプロイメント)支援のためのポータブルスキル・アップの機会を潤沢にするといったような雇用政策が必要だ。ポータブル化するスキル、ポータブル化する人的資源をサポートするために、年金もポータブルにすべきだ。