よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は・・・泣ける

2007年11月11日 | よもやま話、雑談
2年前に大ヒットした前作は、昭和34年の東京が舞台。この年、東京タワーはまだ建設中。日本橋の上には高速道路もない。羽田空港もできたばかり、という懐かしい東京の姿に、年輩者、若者を問わず心を打たれた。

今回のALWAYS 続・三丁目の夕日は、前作から4カ月後の設定。やっと東京タワーも完成した。売れない作家・茶川(吉岡秀隆)は、小料理店の元おかみで大衆演劇場の踊り子のヒロミ(小雪)と、身寄りのない少年・淳之介(須賀健太)と3人でつつましやかに暮らすことを夢みる。そして、芥川賞受賞を目指してモノ書き稼業で生活を立ててゆくことを決意する。

感動的なのは、映像の細部に対する徹底的なこだわり。真鍮の地金がはげて見え隠れする水道の蛇口、電柱、電球、ミシンの踏み板、駄菓子、漫画本、煙草、町並みにならぶ昭和30年代の看板、登場人物の服装は当時を知るものを唸らせる。またYS11やこだま号のデジタル映像技術をフル活用した特撮もリアルの一言。見事なできばえだ。

しかし、この映画が提供する経験価値は、特撮技術、ストーリー展開もさることながら、平成の時代がともすれば忘れかけてしまった、ある種の精神への回帰を観るものに対していざなうことだろう。

貧しくも希望に満ち満ちていたあのころ。
高度経済成長がはじまろうとする時代ながらも、まだまだ人情が街々に充満していたあのころ。
そして三丁目のような人々の絆が日本中の町にごく当たり前のように在ったあのころ。
そして誰もが希望を口にして、未来は素朴に明るいものだった。

少年時代の僕は、この時代を静岡県の浜松市で過ごしたが、映画の中の情景をさらに、地方的に色づけた風景であたりは一杯だった。戦争の傷あとがまだ街をよく観ればのこっていて、格差なんて言葉もなく、みんな一様にほぼ貧乏。白黒テレビが家にやってきたのは小学校の1年生くらいだったか。紙芝居屋という今では見られない、子供むきの娯楽があり、駄菓子を買う小銭がなかったので、よくインチキして紙芝居だけを見たもんだったな。

平成の地平線から眺める昭和30年代は、とうに終わってしまったセピア色の過去の時代にしかすぎないのだろう。しかし、観客は昭和の時代に置いてきた大切なものを、忘却の淵から紡ぎだし、たしかめ、温めなおし、できれば持ち帰りたい、と切に願うだろう。また僕も、そのような観客の一人としてこの映画に触れて、とても深く心を揺すぶられた。

人情
希望
わかちあい
ぬくもり
ひたむきさ
いとおしさ

あの時代を知らない世代や平成生まれの世代にもぜひお勧めしたいものだ。

兼六園そぞろ歩き

2007年11月03日 | 講演放浪記
庭園における六勝とは、

宏大(こうだい)
幽邃(ゆうすい)
人力(じんりょく)
蒼古(そうこ)
水泉(すいせん)
眺望(ちょうぼう)

を指すという。

庭園では以上の、六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできないそうだ。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手(人力)を加えすぎると、古びた趣(蒼古)がなくなってしまう。また、滝や池など(水泉)を多く広めに創ってしまうと、遠くを眺めることができない。これらの絶絶妙なバランスをとることは至難の極致ということだろう。

なので、宋の時代にあらわされた書の『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」と喝破する。

惟湖園のみならず、この庭園も此の六を兼ねる!という高邁な理想によって兼六園と命名されたと伝えられる。さて惟湖園を凌駕してゆこうというモノづくり精神が園内のいたるところに顕れている。たしかに庭園づくりはモノづくりなのだが、実のところは、庭園を訪れる人々のための「経験価値づくり」という側面が強い。

そんなことを思いながら、六代藩主の前田吉徳が創建して、平成12年に見事に再建された木造平屋建て柿葺きの時雨亭にて抹茶をいただく。質朴ながらも豊穣な時間がたゆたゆしく流れる空間だ。