よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

仏教看護の実際

2011年03月30日 | 日本教・スピリチュアリティ

敗血性ショック、他臓器不全で死にそうになった母(彼女は変わった人で臨死体験を2回経験)が入院していた日本医科大学千葉北総病院の書店で偶然、背表紙が目にとまり買い求めた一冊です。その後、このブログが御縁となり、著者の藤腹明子さんと出版社の方と気脈を通わせるようになり、ぜひ書評を、ということになりました。

なんとも不思議な御縁です。記念に張っておきます。(医学書院、看護管理3月号)

<以下貼り付け>

書評 「仏教看護の実際」 

日本の看護界ではアメリカを中心に発祥・生成してきた理論、モデル、アプローチがこぞって紹介され、いわゆる近代科学としての看護学が全面に出てきている。しかしながら、このようなサイエンスとしての看護のみで完全に人を癒し、救済できるのだろうか。

否。患者は、せつなさ、やるせなさ、しんどさ、やりきれなさ、つらさ、不安、焦燥感、絶望、希望、苦しさ、スピリチュアルな痛みなどの内的な世界に、個別、特殊な意味を紡ぎつつ、生老病死という果てのない、小さいながらもかけがえのない物語を生きているからだ。さらには、退嬰化しつつも、実は日本社会の内側に未だ深く埋め込まれている文化、習慣、習俗、価値観、共同体性といった大きな物語を、普遍志向が強いサイエンスのみでは十全に包摂できないからだ。

 私なりに読んだ本書の画期的な点を4つほど指摘しておきたい。第一に、一般的な看護師にはさほど縁がないであろう仏陀の教えを、現代日本の看護の臨床場面で実に分かりやすく解説している点だ。読者は、瑞々しい仏陀の教えを臨床現場で親しく感じ、複雑な判断をするときの依るべ=倫理判断の規準の一端を見出すことができるだろう。

第二に、本書の構成である。筆者は、「仏教では、この世に生を受けるということは、すでにその中にさまざまな『苦』を内包しており、人間が根底的苦を基に据えた存在であるという人間観があすます」(104ページ)としたうえで、生老病死のプロセスに沿って様々なケースを丹念に展開している。どれも深く考えさせられる事例ばかりだ。

第三に、本書では、仏教の正統的な脈絡の上で議論を展開しているということだ。いわゆる大乗仏教の創作経典ではなく、あくまでも釈尊によって説かれた言説を忠実に伝承する阿含経典を中心とする原始仏教の教えと法に依拠している。著者が「七科三十七道品」に言及しているのは、本気で仏陀の教えに向かっている証左である。

第四は、ケアのイノベーションの本質に関連する点だ。近代科学の技術進化を貪欲に利用するキュア(治し)のイノベーションは、要素還元的な方向性をますます強化し、臓器別、疾患別をさらに細分化、分節化させ、分子標的治療、遺伝子治療までをも視野に収めつつある。その方向性が先鋭化するほどに、実はそれとは対蹠的な志向性を持つケア(癒し)の拡張が待たれているのである。本書は、人体のみにとどまらず、精神、身体性、人生、生活、生命、いのち、スピリチュアリティというようにホーリスティクな方向性に沿っている。 

 和魂洋才という古い言葉を借りるのならば、本書は日本の看護における「和魂」を真摯に問いかけている。近代科学は、人間的であること、つまり豊饒なヒューマニティの支えがあってはじめて真価を発揮する。看護に日本的ヒューマニティが、看護に教養なるものが要請されるのならば、私はその一部門として「仏教看護」を薦めたい。

<以上貼り付け>

 


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