8月19日(金)
この夏も終わりを迎える事があるのだと、今日の雨でそう思いました。
ひと雨ごとに少しずつ少しずつ。
N先生へ
今日は、ご教示有難うございました。
確かに息子が見たら今までは傷つくような事を書いたかもしれません。だからもう少し言葉に気をつけて書くようにします。
僕は母親には心から感謝しているし、いつまでも長生きしてほしいと心から思っています。
でも私が転職をする際に色々悩んでいた時に言われたある一言で、残念ながら母親は違う生き物だと感じたのでした。
前の仕事を辞めて転職すると伝えてから、今の仕事が決まるまで父は一言も何も言いませんでした。
悩んでもがいているはずと感じて、母が僕に言った一言、悩んでもがいているだろうと感じて、父が僕に言わなかった事・・・・・・。
あの時、父は男で、母は女の人(=違う生き物)なのだと感じ、俺は男なんだ、と感じたのでした。
誤解されたくはないのですが、女だからどうのとか男だからどうのって言ってるわけじゃないんですよ。
親父などという言葉を父に向けて言った事は一回もないし、二人で飲みに行こうとか誘った事は一回もないし、実家に言っても二人で飲もうとこちらから言った事はない。
長い時間真面目な話をするのをこちらが避けている。
どちらかと言ったら母と話している時間の方が多いかもしれない。
でも、それでも父と息子は「男同士=同じ生き物」なのです。
「北の国から ’87初恋」というドラマで、中学3年の純君が父の五郎と喧嘩して、家を飛び出した時、追いかけてきてくれたそうた兄ちゃんが言ってた台詞、
「男は見栄で生きてるもんだ。
いくつになったって男は見栄だ。
おじさんが一番傷付いてるのは、息子のお前にいたわられてるって事だ。
男は誰だっていたわられれば傷付く。
それが男だ。
本当の男だ」
僕にはわかる気がする台詞です。男なら解りたい台詞です。
息子にとって父はいつか、越えられちゃうものなんです。でも越えたと思った後に気付くんです。
「超えるとか越えないじゃない。やっぱり父親は父親なんだ」と。そう気づける事が大切なんだと思うんです。
社会に出て歳つきを重ねて、漸く解る事なのかもしれません。特に僕の場合は。
僕は、「人生は、血と環境」だと思っている人間です。
血、言いかえればDNAです。
生まれながらに受け継いだものは、あります。外観なんかそうですよね。禿げてる家系はやはり確率が高いですよね。背が低い家系は確率が高い。
でも人間それだけじゃないですよね。変われるものと変われないものがあると思うんです。
変われるもの、それが環境です。
自分から違う環境に飛び込める人もいれば受動的に環境を変えた人もいるかもしれませんが、そこであった事象から感じたこと、考えた事、出会った人、また他の人との出会い・・・・、そういったものが血の上に新たに形成されていった本当の「自分」であり、その「自分」で人生を生きていくわけです。
中学3年と言えばこれからそういう環境を形成していく時期です。もうお父さんの膝の上には座れないし、外に出れば男として傷つくこともあるかも知れません。避けては通れない現実に向き合う事もあるでしょう。そして、俺の息子だから、俺みたいな不器用な生き方をしていくんだろうと思います。でも親から与えられた愛情と性格のおかげで、辛い場面も色々な人に助けられながら、最終的には自分でくぐり抜けていけるんだろうなと。これを見ようが見まいが親父はおもてうら無いと分かってもらえればいいのですが。きっとわかってもらえるでしょう。
父親と息子ですから。
PS
妻はこのブログを見ない、と言っています。これを読んでいる人にこのブログの内容をとやかく興味本位に言われたら嫌なのだそうです。息子も見ていません。だからと言って僕がブログを書く事を辞めてとかは言いません。息子には見てもらっても構いません。本当は見ているかもしれませんが、家のPCにもブックマークしていないのでたぶん見ていないでしょう。
それが家族のスタンスです。信じてもらえないかもしれませんが。
今日の2曲 http://www.youtube.com/watch?v=kVhZsSpJEx4
http://www.youtube.com/watch?v=_XRJ8CYm3_8 (苦笑)