HIROの周辺

日々の暮らしの出来事をスナップ形式で切り取っていこうと思います。FC東京の事、登山の事も含めて。

来年の主役

2007年12月30日 | Weblog
結局、仕事納めの昨日の出張は散々で、18時に予約していたハイキングクラブの忘年会に行けず仕舞いでした。それでも、二次会のIさんのお宅で皆さんに会えたのでとりあえずは良かったと思わないとね。

新富士の駅構内に飾ってあった来年の主役のねずみの人形。地元の老人会かなんかで作ったものでしょうが、妙に愛らしかったので写してしまいました。
最近、今年は何年かという十二支が全く分からなくて、今年はいのししだったのかと、このねずみ君を見て思い出した次第。月日の経つのが早過ぎて・・・
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今ちゃーん ! ! (涙)

2007年12月30日 | FC東京
今ちゃんが、残留決定。浦和を蹴って東京に残った!!これで来期のSOCIO年間サポーターの継続を決めました。このブログでサッカーの情報を楽しみにしている人はいないようですが(知っている限り1人)・・・以下は中日スポーツの記事。
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【東京愛が勝った。去就が注目されていたFC東京の日本代表MF今野泰幸(24)の来季残留が決まった。29日午後、今野本人がクラブ側に残留の意向を伝えた。契約の詰めは残されているが、すでに条件提示は受けているため、事実上の残留が決定。熟考の末、今野はJリーグ東西2強の浦和、G大阪を袖にし、来季も青赤のユニホームを着て味スタのピッチに立つことになった。】
 今野がついに決断した。東京残留-。悩める日々に終止符を打った。この日午後、今野本人が鈴木強化部長に連絡を入れ、「残る方向でよろしくお願いします」と最終結論を伝えたという。二転三転した今野の去就問題が、ようやく収束した。
 心は揺れに揺れたようだ。複数の関係者によると、一時は浦和への移籍を決意したものの結論は保留。城福新監督の慰留、クラブ側の熱意が最後の最後に届き、浦和への移籍は消滅、残留へと傾いていたという。だが、急転してG大阪からのオファーが届き、再び最終決断を下せない状況になった。クラブ関係者は「(残留は)分からない。厳しいかもしれない」と語り、“今野流出”という最悪の事態も想定していた。
 ただ、「迷惑をかけたくない」という今野の早期決着を望む意思は変わらず、考え抜いた末、FC東京への残留を選択。愛着のあるチームでのプレーを決意した背景には、クラブ側の強化方針、ビジョン、熱意に理解を示し、「このチームで優勝を」という思いを強くしたことがある。

 今野の残留が決まり、クラブ関係者は「(今野の)残留が最大の補強」と安堵(あんど)感をにじませた。チームの太い中心軸が固まり、来季のチーム編成に見通しが立っただけではなく、今後の補強にも好影響を及ぼすのは間違いない。「東京・今野」の大看板が、巻き返しを狙う来季の大きな力、エネルギーになりそうだ
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JEFの羽生も水本も、今野の残留を条件に移籍を検討するとの事らしいので、今後に期待だ。漸く気持ちよく年を越せそうだ。
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仕事納めイブ

2007年12月29日 | Weblog
12月28日(金)夜になって雨

急に水曜、木曜とまた高崎方面に宿泊していたので、今年最後の週はあっという間のでした。あっという間に今日も時間が過ぎてしまい、仕事納めと言う雰囲気が微塵も感じられなかったのですが、それでも夕方近くなって周囲が机の上を整理し始めると(私の会社は仕事納めの日は一切机の上のものは片付け何も置かない事になってます)、そんな気も徐々に感じられるようになりますが、それでもあっという間に仕事始めがやってくるので、冬休みバンザイ!という気にはなれません。
毎年、仕事納めの日には課のスタッフ全員(5人)で軽く食事をする事が多いのですが、今年は私が出張中に会社の周りじゃなくちょっと違う所に行こうということでドイツ料理屋を押さえてくれていました。六本木と青山一丁目のちょうど中間に
あるそのこじんまりしたその店は、ドイツのサッカー選手がよく訪れる場所だそうで、浦和の前監督のブッフバルトの写真やユニフォームもおいてありました。レッズのユニフォームを見ながら食べたくはないのですが(笑)。

(注)上記の文章は頻繁に六本木とか青山とかかっこよく書いていますが、六本木なんて何年振りでしょう?第一、私はまだ六本木ヒルズに行ったことないんだ!!

今年一年もあっという間に過ぎました。本当にあっという間です。大学時代の親友K1は、今年の10大ニュースをブログに書いていて凄いなあと感心させられます。自分は毎日を漠然と過ごしているのかも知れないなあ、とちょっと反省してます。

42歳という厄年を通過してしまいました。これからの40代を真剣に生きたいと思います。「自分の過去の遺産で生きている。この遺産を使い果たす事の無い様、未来の自分の為に今何かを蓄え続けなくてはいけない」と言った内容の言葉を読みました。確かに最近の自分は自分を成長させる為の努力を怠っているようです。自分が一番よく分かっているんですが、最近は自分に甘く甘く生きてしまいそれに慣れつつあります。最近軌道修正の必要性を痛感しています。2008年は自分を律して生まれ変わらないとと真面目に思っています。仕事も本当に正念場。よし頑張ろう。

昨日は会社の仕事納めですが、今日土曜日はまた日帰り出張ですので、実質的に29日が私の仕事納め。あと一日頑張るかっ!


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End of this year

2007年12月23日 | Weblog
12月23日(日)
我が家では、NHKの衛星放送(いわゆるBSってやつ)が見れないので、実家に行って見て来ました、天皇杯の準々決勝。完敗でした。どっちがJ2に降格するチームか分からなかった。これで、元旦に国立競技場に行く必要がなくなりました(笑)。これで今年も終わり。
キッズクラブ会員の息子にクリスマスカードが届きました。北京五輪の代表候補の3人です。来年期待してるぞ!
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穏やかな日

2007年12月21日 | Weblog
12月21日(金)
群馬県の高崎から信越線で横川に向かう途中にある磯部という駅に来ました。舌切り雀という童話が生まれた場所だと、以前このブログに書いた事がありました。駅前にはゲートのように『磯部温泉峡』と看板に書かれていますが、寂れた駅前には、当時の面影は見当たりません。風邪気味の私には、充分過ぎる程の寒さですが、タクシーの運転手さんは「今日は今年一番の穏やかな日」だとの事。真っ白な雪に覆われた浅間山がくっきりと望めましたが、普段は空っ風に運ばれた雲に覆われて見えないようです。いい時に来たってことですね 。でも寒い!
明日は、サッカー天皇杯の準々決勝。我がFC東京の対戦相手は先日J2に降格したサンフレッチェ広島です。応援しに行きたいけど熊本で開催なので行けません。果報は寝て待て、です。頑張れっ!
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忘年会は日本語

2007年12月20日 | Weblog
昨日の夜から体調不良で、今日は午前半休したわけですが、今晩は客先との合同忘年会だったので、午後から出社した次第です。
火曜日は、韓国のメーカーの方と一緒だったので、会社の忘年会はやるんですかと聞いてみたら、そもそも韓国では忘年会という言葉は、日本から来た言葉だからという理由で使わないのだそうです。じゃあ何と言うのと聞いたら、「送年会」と言うのだそうです。そもそも年を忘れるという意味が分からないと。どっちだっていいじゃない、って感じですが、これも聞かなきゃ分からない現実ですね。でもこんな会話をさらっと出来る事を嬉しく思ったりもします。
皆さんもお体御自愛下さい。ヘックション!
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栗きんとん

2007年12月20日 | Weblog
12月20日(木)
風をひいてしまいました。病院に行ったらインフルエンザではなかったので、じゃあインフルエンザの注射をしてくれと頼んだら、体が弱っている時には注射なんか出来ません、と言われてしまいました。


一昨日の12月18日(火)、名古屋と岐阜の中津川へ。中津川へは何度も足を運んでいますが、栗きんとんの発祥だとは今日まで知りませんでした。午前中に訪問した名古屋のお客さんに教えて貰いました。確かに中津川駅前の観光案内所には大きく書いてあります。ロータリーの向こう側には石碑もありました。仕事で行くだけなので、特産品などの御当地ものは、何も知らないのはちょっと寂しいですよね。アンテナをいつも張っているつもりでいましたが、実際は何も見てなかったようです。記念にちっちゃい栗きんとんを買っちゃいました。
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名古屋駅

2007年12月18日 | Weblog
クリスマスカードを買いたかったので、名古屋駅にある閉店間近の東急ハンズに急いで行きました。2階に上がったら、外の連絡通路はクリスマスのイルミネーション。来週はクリスマスなんですね。

一人で居酒屋に行こうという気が起きません、一人の出張の時は。何ででしょう、誰にも気兼ねせずに行けるのに。寂しいんですかね。結局、松屋みたいなところで簡単に済ませちゃうんです。出張でホテルに泊まるのが、最近無性に苦痛です。ゆっくり寝れればと思うんですが、寝れないんですね、これが。神経質なんです(誰からも言われた事がありませんが)。あー、早く帰りたいなあ、と思うようになりました。歳ですかねぇ。
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お帰り祐介!

2007年12月18日 | Weblog
12月17日(月)

今日は、岡山⇒神戸⇒名古屋、今名古屋に泊まっています。
昨日の日曜日、息子と2人で小平グランドに行って、東京学芸大との練習試合を見に行った時、入り口左にあるユースのグラウンドとメイングラウンドの間の道から
近藤祐介選手が、FC東京のロングのウインドブレーカーを来て(下はジーパン)歩いてきました。隣ではファンが沢山いるので目立たないようにクラブハウスの方に足早に去って行きました。あ、やっぱり帰ってくるんだ、と嬉しくなりました。

祐介選手は、2年前にヴィッセル神戸に期限付移籍をして、J2からJ1への昇格に多大な貢献をしました。今年も試合に出ていたので、このまま戻ってこないんじゃあないかなと心配していました。もっとも神戸のサポーターからは非常に親しまれていたようで、それはそれで嬉しかったのですが。祐介選手は、息子が最初に写真を一緒に撮って貰った選手なので、我々には思い入れがあります。今日、正式にFC東京に戻ってくる事が発表されました。色々な思いがあったでしょうが、敢えて厳しいFWの戦いが予想される東京に戻ってきた事に、この2年間の自信を感じます。

今日、地下鉄の新神戸駅から三ノ宮駅で地上のJR三宮駅に登るエスカレーターの壁に、何十人ものヴィッセルの選手とサポーターのポスターが並べられていましたが、その中に祐介選手の笑顔が。愛されていたんだなあ。



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ハイキングクラブ 景信山で餅つき

2007年12月16日 | ハイキングクラブ
12月15日(土)晴れ一時雨(!)

ハイキングクラブで、「景信山で餅つき大会」に行って来ました。
年末の景信山餅つき大会も今年で3回目。恒例行事になりました。
今回は参加者が100名を超えるという巨大パーティーでした。
駅での集合も、電車もバスの乗車も、登山中も全て今までとは違うものでした。
やはり100人で移動するというのは大変なものだなと痛感しました。
100人の人間が公共の場で集合すると、何かしら迷惑かけますね(笑)。
でも大きな事故もなく、無事戻ってこれてよかったと思います。

このハイキングクラブを通じて、「助け合う」ことの素晴らしさを再認識
しています。スタッフの方々は勿論の事(皆さん素晴らしい方々!)、毎回参加してくださるお母さんの中にも、毎回毎回、お手伝いをして下さる方がいらっしゃいます。しかもさりげなく。その中には、お子さんは卒業なさっているのに来て下さっている方もいるのです。上手く表現出来ないのですが、「分かっていらっしゃる方々」がいっぱいいらっしゃるのには頭が下がる思いです。皆さん、本当に縁の下の力持ちですね。

昨日はこのクラブのこの3年間の集大成を見た気がしました。
それもこれも、M先生の人柄なんだな、と思わずにいられません。

そのほかにも、毎回参加して下さる常連さんも増えてきています。
という事は、ハイキングクラブという行事が、親子を結ぶ大切な時間としてその家庭の行事になっている、ということですよね。これもとても嬉しい事ですね。こういう地道な活動を通じて徐々に徐々に、このクラブの輪が広がっているということですからね

それにしても雨が降るとは思わなかった。昨日は絶対降らないと思っていたので
だけ持っていったのです。自然を甘く見てはいけませんね。反省。

スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

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