英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

外国人の批評は日本人の国民性を映す鏡    中国人の批評「礼儀正しく、仕事熱心」

2013年02月24日 21時15分52秒 | 歴史
 日本最大の中国情報サイト「サーチナ」を時々読む。その中で、筆者は中国人が書いた日本人観についてのブログを気にとめている。日本を訪れた中国人が日本人についてどんな印象を持っているかを理解したいためだ。筆者の印象ではサーチナは日本人に好意的なブログを載せているような印象を持つ。日本人に批判的なブログもどしどし載せてほしい。われわれ日本人にとっても、「他の人」の眼から見た意見も大いに参考になるからだ。最近サーチナに掲載された中国人2人の日本人についての印象が興味深かったので、その文章の抜粋を転載する。

 一人目の中国人
  仕事の関係で半月ばかり日本に行ってきた。日本では様々な点で驚嘆させられてばかりだった。飛行機を降りて感じたのは高層ビルが少ないこと、道路も広々としていないことなど・・・しかし、すべてが合理的で清潔、人間に優しい設計であることを実感した。・・・日本と中国で最も違うのは何か?と聞かれれば、私は「そこにいる人間」だと答えるだろう。日本人はとても文明的で礼儀正しく、遠慮深く、仕事熱心で責任感があるのだ。・・・ 中国人もいつの日か、調和を知り、責任感を持つと同時に遠慮深く、文明的になることができれば、中国も真の強国になることができるだろう。私はいつかこの日が本当に来ることを信じている。
 
 二人目の中国人
  日本に留学していた中国人が日本で経験した「アルバイト」について紹介した。ブログのタイトルは「これが本当の日本人」。中国人留学生は、ある夏休みにエアコンの清掃会社でアルバイトをすることになった。仕事内容は深夜にJR車両のエアコン清掃をすることだった。作業は清掃会社の幹部なども参加して行われていたというが、留学生は当初から企業の上層部の人間が現場で作業を行うことに中国との違いを感じていたようだ。夜中に留学生は1人の60代の日本人男性と一緒になって、たいへん蒸し暑い過酷な条件で掃除をした。・・・休憩時間に中国からの留学生であることを知った60代の日本人男性は、「賢くて立派」と褒めてくれたそうだ。ようやく過酷な環境下での作業が終わると、現場に来ていた幹部たちは朝の仕事に出勤していったそうだ。留学生が60代の日本人男性に「なぜ幹部たちが現場を訪れていたのか」と尋ねると、「社長が現場に来ているのに、幹部が来ないわけにはいかないだろう」と言われたという。驚くべきことに一緒に仕事をしていた60代の日本人男性こそ、留学生がアルバイトをしていた会社の社長だったという。留学生は、「日本はどうしてこんなに経済が発展しているかが分かった」と述べ「社長がこんなに働くのならば中国人の自分が勤勉に働くのは当然」だし、「一生懸命に働けばきちんと評価してもらえる」と語った。中国人留学生は自らの体験をもとに、外国で差別を受けることを心配している中国人に対して「自分の態度にも問題があるのではないか」と主張。その国の人びとよりも一生懸命に働き、努力をすれば「必ず認められるはず」と述べている。

 この二人の中国の若者が見た日本人像は「礼儀正しく、遠慮深く、仕事熱心」「人一倍の責任感」だと思う。さらに「トップが部下と同じ仕事をして、先頭に立って働く」ことだった。
 日本人のすばらしい国民性であり、中国人2人のうちの一人は「日本の発展は、『そこにいる人間』によるところが大きい」と話している。
 この記事を読んで思い出したことがある。約35年前、英国の大学の寮で、一人の英国人と話したことだ。その英国人は学部を間もなく卒業するところだった。筆者は尋ねた。「卒業が決まっておめでとう(英国では日本の大学のように『ところてん式』には卒業させてくれない)。ところで就職は決まった?」
 若い英国人は自慢そうに答えた。「ブリティシュ・レイル(英国の国鉄)」。労働階級出身のイングランド人の若者はニコニコしていた。筆者はうかつにも次の言葉を発した。「日本で言う国鉄(JRの前身で当時はまだ民営化されていなかった)ですね。そうか、では切符切りから始めるわけだ」。日本では大卒でも現場から仕事を始めるのは当然だ。筆者は、日本の慣習からそう思った。
 英国の若者の顔がみるみる険しくなり、「なぜ大卒の新入社員が切符切りから始めなければならないのか」と刺々しい言葉を発した。現在どうなっているのか分からないが、約35年前、英国では高卒の約9-10%しか大学に進学していなかった。これに対して日本は高卒の40%が大学に進学していた。日本人にとって大学進学は特別な意味はなかった。ここを理解していなかった筆者がうかつだった。と言うより知らなかった。
 若者は「大卒の新入社員は、現場は経験しない。マネージメントの訓練をはじめから受ける。一般従業員用の食堂で昼ごはんは食べない。管理職用の食堂がある」と文句を言った。
 筆者は日本社会における大学の位置や大卒の新入社員の現状などを話した。若者は信じられない様子で驚いたが、日本の社会事情を理解した。
 英国人の指導者は日本の指導者同様、仕事の先頭に立つが、労働者と同じ仕事はしないと、筆者はその時に理解した。第1次世界大戦で戦死した死者の階級全体に対する割合は貴族が一番大きかった。貴族出身の指揮官は兵の先頭に立って戦場を駆けていった。つまり司令官の職責を果たすという意味で責任を全うしたが、兵士の職責を全うしたのではない。
 国々により事情は違う。上記の2人の中国人の話から推測すると、中国のお偉方は現場で部下と汗を流してともに働くことはないのだろうか。多分ないのだろう。
 一番大切なことは、中国人の若者が日本社会を直接見たことだ。そこで観察したことは何事にも代えがたい。昨今、日本の若者は外国で生活したがらないという。それが事実なら、筆者は憂う。若者は、日本人であろうが外国人であろうが、外国で生活してほしい。自分が育った社会と違った社会で生活し、そこで得た経験は必ず将来、役に立つし、何物にも代えがたい。そして何よりも、外国人を理解する一助になると思う。
 中国の若者が一人でも多く日本でしばらく生活すれば、日本人の長所も短所も理解でき、その鏡を通して自民族や自分の長所や短所を振り返ることができる。それはとりもなおさず両国民の理解の増進につながる。
 100年、150年単位で眺めれば、このような相互理解が日中の対立が今後、少なくとも先鋭化せずに、解消しなくても、相互の暗黙の了解(中立的な立場)にいたる一助になるだろう。歴史は変化する。その変化から解決の糸口も見つかるかもしれない。
 直ぐに解決しようとして慌てないことだ。焦らないことだ。英国の歴史家で外交官のジェームス・ブライスは1919年、ワシントンで幣原喜重郎・駐米大使に再会した。
 当時、米国政府は日本人移民を排斥していた。黄色人種と言う人種偏見も手伝っていた。この排斥の高まりに日本人の怒りが日に日に増していた。幣原外相は、日本人の怒りの気持ちをブライスに説明した。幣原は当時50歳前後で、ブライスは80歳ぐらい。親子ほどの年齢差があった。
 ブライスはこう忠告した。「あなたは国家の運命が、永遠であるということを認めないのですか。国家の長い生命から見れば、5年や10年は問題ではありません。功を急いで紛争を続けていれば、しまいには二進も三進もいかなくなります。いま少し長い目で、国運の前途を見つめ、大局的見地をお忘れにならないように願います」
 筆者はこの有名な名言が大好きだ。読者のみなさんの中にもご存じの方もいるはずだ。個人の場合でも、国家の場合でも、急がず、状況をつぶさに観察して行動する。感情で話したり行動したりしない。忍耐して気長に時を待つことだ。時間こそがわれわれの味方だと思う。
 ちなみにブライスは19世紀後半から20世紀初頭を代表する英国の歴史家でもあり、死に至るまで毎日多忙な生活を送った。毎日勉強し、社会活動に勤しんだ。亡くなる前年の1921年に公刊された1200ページの大書である『近代民主政治』(Modern democracies)は、現在でも英米人に読まれている。ロンドン・タイムズ紙は出版当時、82歳の高齢になってもたゆまぬ研究を続けているブライスを称えた。
 われわれも謙虚に世界を観察し続け、時には外国に出かけて地元の人々と話を交わし、亡くなるまでテニスやゴルフなどのスポーツや、川柳や読書、旅行などの趣味など自分の好きなことを続けたいものだ。
(写真はジェームス・ブライス Public domain)

闘牛廃止は時代の流れ    メキシコで反対デモ

2013年02月23日 21時30分06秒 | 時事問題
 メキシコの動物保護団体はこのほど、同国で行われている闘牛廃止を求めて抗議行動を起こした。首都メキシコシティーの共和国広場に、ビキニ姿の女性や上半身裸の男性500人が地面に寝そべり、血糊を身体に塗って抗議した。
 メキシコの動物保護団体によれば、メキシコ国民の70%が反対している。 保護団体は「闘牛は血の競技であり、競技は牛を苦しませている」と述べている。一方、闘牛愛好者は「重要な伝統文化であり、闘牛士と闘牛の戦いは芸術である」と論じている。
 闘牛場での闘牛士と闘牛の戦いを書いたブログ「毎日がラテン」を見つけた。「毎日がラテン」の筆者が詳しく書いているので、一部を抜粋して転載する。

 
 闘牛の牛は、できるだけ人間とは接触させず、荒々しい野生の本能を失わないように育てます。その身体能力は凄まじく、人間がそのまま立ち向かえば非常に危険で、それこそ闘牛士は命がいくらあっても足りないのです。そこで、闘牛場では、最初に牛の力を削ぐことに力を尽くします。プロテクターをつけた馬に乗った男たちが槍で牛を突くのです。この槍はあまり深く刺さらない仕掛けになっていて、牛が死にかけるほど弱るのを防ぎます。しかし、槍で突かれた牛はかなり力を失い、フラフラになりますから、それでは闘牛士が対峙しても面白くないのです。そこで、カラフルな装飾を施したモリを何本も牛の身体に打ち込みます。これは、牛に痛みを与えて、一時的に興奮させ、元気にさせるために行うのです。その後で、闘牛士が布を振って牛をあしらいます。そして、頃合を見て、剣で刺し殺すのです。これでは、どんな牛でも闘牛士に勝つのは不可能です。つまり、闘牛士は99.9%の安全を確保してショーを行うのです。

 闘牛士の安全を「99%」確保しても事故は起こる。たまに闘牛士が牛に殺される。闘牛の本家本元はスペインだ。かつては国技として国民から支持され、闘牛士はヒーローだったが、現在、闘牛人気が凋落の一途をたどっている。
 スペインン国営テレビは2007年8月、闘牛のテレビ生中継を2012年9月まで中止すると発表。2008年8月、スペインの国営放送TVEのルイス・フェルナンデス総裁が議会で、「生中継の費用はバカにならない。動物愛護団体の抗議が高まっている」と述べ、闘牛の生中継を永久にやめると発表した。長い歴史に彩られている闘牛は時の変化に抵抗できないのだろう。
 75%以上のスペイン人は現在、闘牛に興味がないという。スペイン人の友人もその一人。筆者が「コリーダ・デ・トロス」というと、友人の奥さんは顔をしかめていた。
 世界で闘牛が合法とされている国は現在、メキシコ、エクアドル、ベネズエラ、コロンビア、ペル、スペイン、フランス南部地方、ポルトガルだという。
 実は、私は1度だけ、40年前、マドリッドの闘牛場で闘牛士と闘牛の戦いを見た。観光気分で見たが、二度と見ようとは思わなかった。日本人には残酷すぎる。熱狂しているスペイン人を見て不思議に思った。そのスペインも変わったということだ。
 闘牛のほかに動物を戦わせる娯楽は、闘鶏や闘犬がそれぞれ東南アジア・アメリカや日本などで盛んに行われている。アメリカでは鶏の足に小型ナイフを装着させて戦わせている。人間は血を見るのが一番好きな動物かもしれない。動物愛護団体などの反対により廃止されるまえに、競技団体自らが廃止を宣言してほしい。
 (写真は闘牛とマタドール  Public domain)

中国人を理解するには虚心坦懐の心   20世紀の文学者、林語堂が語る       「レーダー照射」エピローグ

2013年02月19日 21時34分07秒 | 歴史
  「お隣さんには参ったな。常識が通じない。独りよがりの言行ばかりだ」。人間関係においても、隣人の言行が自分とあまりにも異なっていると、こうぼやくことがある。しかし自分にとって「おかしなお隣さん」でも隣に住んでいることには変わりない。気長な気持ちで、忍耐して付き合っていかなければならない。中国との関係でも同じだと思う。日本人が、尖閣列島と日本列島とともに南太平洋に集団移住はできないのだから。
  中国人の国民性についてのマクマリーやタウンゼントが話しているのと同じ見方を、中国から日本に帰化し、中国文化・政治評論家として活躍している石平氏は抱いている。彼は著書で「中国人は“貴方が悪い”と非難し、日本人は“貴方に悪い”と一歩退く」と記す。
  われわれは中国人に対して、自らの意見を主張することだ。否、中国人だけでなくほかの民族に対してもそうすべきかもしれない。日本人が自らの思いを主張しないで、「わかってくれる」などと沈黙していれば、中国人には理解されず、間違ったシグナルを発信することになる。
  人間関係でも「相手に遠慮して暗黙の誠意を示せば自分を理解してくれる」と思い込み、相手の意志に従えば従うほど「つけあがってくる」人々がいる。中国人すべてがそうではないが、平均的な中国民族はそうなのかもしれない?
  20世紀が生んだ中国の偉大な文学者で評論家の林語堂(1895-1976)は、中国についてこう述べる。「確かに異なる文化を持つ外国、特に中国のような他の国家とは余りに違いのありすぎる国を理解するのは、凡人には荷が重すぎる仕事である」
  林は畳みかけるように述べる。外国人を理解するには「無私の態度と心に純朴さを持つことができた時に初めて異民族を理解することができるのである」「心の目で観察し、先入観を持ってはいけない」「子ども時代に培われた思想、文化、成功、宗教などに縛られずに虚心坦懐でなければ、中国(外国)を理解できない」。
  また、1940年と50年にノーベル文学賞候補にノミネートされた林先生は「中国を理解し世界の民族を理解する唯一の方法は、大衆の価値観を探究し、・・・男性の悲哀と女性の慟哭を通してのみ民族を真に理解できる」とも話す。
  われわれ日本人は「中国人」を「中国人」と呼ぶ。当然ではないか、とお叱りを受けるかもしれない。「中国人」は抽象概念であり、日本人ら外国人は中国を一つの文化にくくってしまう傾向がある。しかし、林先生は言う。「その枠をはずせば、北方の中国人(満州人やモンゴル人)と南方の中国人(福建人、広東人など)は体格も、気質、習慣なども全く違う。長江の東南流域の住民は、安逸な生活に慣れ、教養があり、世辞に長け頭脳は発達し、道を蔑(さげす)む性格の持ち主である。彼らは美食家で目先の聞く商人であり、優れた文人であるが、戦場では相手の拳が飛んでくる前に地面を転げ回って、泣きながら母親を呼ぶ臆病者である。かれらは晋代末期に北方より侵入してきた蛮族に逐われ、書画を携えて長江(揚子江)を渡り南下してきた教養ある漢民族の子孫である」
  林先生は中国諸民族の性格についてこう言及している。中国人の際だった特徴は、火薬の発明を爆竹につかう平和愛好家であり、三大性格は忍耐、無関心、老獪(ろうかい)だという。その性格は、数千年の文化と環境の中で育まれ、中国人の心理的な特性ではない他律的なものだ。
  中国人は儒家に、忍耐をもっとも大切な徳と教えこまれた。忍耐を培う中国人の学校は大家族制だ。今から約1600年前、唐の第3代皇帝の高宗は、宰相の張公芸に9代の家族が同じ屋根の下で暮らしている秘訣を尋ねたという。 張は皇帝に筆と紙を請い、100回「忍」を書いて示した。「百忍」は中国の道徳的な諺になっている。中国では、忍耐が最高の徳になってきた。
  林先生は言う。「中国人は100年にわたる西洋列強の半植民地支配に堪えた。西洋人が我慢できない暴政、悪政に耐えてきた中国人」
  林先生が欧米の人々に中国人を紹介した「My Country and My People」が1935年に出版された後も、中国人は忍耐してきた。(新中国、毛沢東時代の)文化大革命、大躍進、百家争鳴、反右派運動が次から次へと容赦なく中国人を襲ってきた。まるで圧制が自然法則の一部であるかのようだ。
  「中国人の忍耐と較べれば、キリスト教徒の忍耐はよほど短気に見える。恐らく中国人の忍耐は中国の景泰藍(けいたいらん=中国明の時代から作られるようになった工芸品)のように世界に二つとない」
  第二の中国人の特性は無関心だ。無関心は個人の自由が法律や憲法の保護を受けていないところから生じる。「個人の権利が法律の保障を得ていない社会にあっては無関心がもっとも安全な方法である」。林先生はこう述べる。
  林先生は英国の古典小説「トム・ブラウンの学校時代」を引用し、母親が息子のトムに「他人の質問には、顔を上げ、胸を張って、はっきり答えなさい」と訓戒をたれるところを紹介する。中国の母親なら息子に「他人のことに首を突っ込んではいけませんよ」というのが普通だ、と話す。
  中国人は単独で政治的な冒険をすることは、皇帝が君臨した時代も、現在の共産党の時代も同じように危険極まる行動だと考える。中国人は若いときに「公」の精神を持っていても30歳もなれば円熟し、無関心になる。家庭を守らなければならない。一般の中国人から見れば、中国の人権活動家は「円熟」の域に達していないのかもしれない。
  個人の権利が法で保障されていない社会では、公事に関心を持つことは危険きわまりないことだ。「管閑事」は余計なことに首を突っ込むなという意味だ。林先生は「中国の老人は身にしみてこのことを知っている」と話す。
  第3の特性は老獪。林語堂は「現在中国はすでに老齢の域に達し、・・・その魂の中には老犬独特の狡猾が潜んでいるのだ。その狡猾は非常に深い印象を与える。何と不思議な年老いた魂であることか・・・」と中国人を評している。
  老獪な人は豊かな人生経験を積み、老練で慎重、実利的で冷淡、進歩を懐疑する。体験と観察から勝ち得た人生観であり、中国古代の思想家、老子の精神に通じるという。「一卒を失いて全局に勝つ」「三十六計逃げるに如かず」「君子危うきに近寄らず」「一歩退いて考えよ」。 老獪は「中国人の最大の知恵」だという。
  老獪の最大の欠点は理想と行動を否定することだ。また人生の努力を徒労で無益だと断じる。冷淡で実利的な中国人の態度は老獪そのものだ。「四十にして老獪になれなければ、その人が低能でなければ、天才であろう」と、林先生は述べている。
  中国共産党が1949年に国民党を台湾に駆逐し、新中国が成立してから60年余が経つ。社会主義経済理論の生みの親、カール・マルクスが1840年に共産党宣言を世に出して170年余。これに対して中国の歴史は5000年。気が遠なる歳月が流れている。 
  モンゴル族や満州族などの北方異民族が中国・漢民族を征服しても、漢民族の文化、慣習、思想に飲み込まれた。同じように西洋人が創造した共産主義の独自性を、中国人は骨抜きにした。
  中国文化は、西洋人がつくり出した共産主義を飲み込んでしまった。汚職、縁故や人脈が共産党の屋台骨を、今日侵食しているのを目の当たりにするとき、すでに飲み込まれてしまったと見るのが妥当だ。
 中国共産党員は、経済発展に対して「中国の特色を持った社会主義市場経済」と呼ぶが、中国文化に飲み込まれた姿ではないのか。マルクス経済とは縁もゆかりもない姿に変貌した。
 中国は悠久である。中国史は悠久である。歴史の特質の一つである連続性の中に中国人は身を横たえ、自らの身の安全を法律に見い出すことができず、「賢人」の善政を追い求めている。昔は賢帝であり、今は共産党の指導者である。
 法家思想家、韓非が2000年以上前、著書「韓非子」で、法を国家統治の中心に据えるように説いたが、いまだ法は万人に平等に施行されていない。悠久の中国史を通して権力者の道具になってきた。今も昔も変わらない。
  韓非子が官僚の腐敗を嘆いたように、中国では2000年間、帝室が代わろうと、国民党が政権を握ろうと、国民党を倒した共産主義者の時代であろうと、多数の官僚は腐敗の海にどっぷりつかっている。清朝後期の林則除のような清廉な官僚を探すのには骨が折れる。
  林は1839年に広東に到着後、英国のアヘンを全て没収して処分した。広東の商人から賄賂を受け取り、アヘン貿易を黙認した多くの清国の官僚は、林則徐によりその金が絶たれた事を恨んだ。林則徐を要職(欽差大臣)から引きずりおろしたのは腐敗官僚であり、このことにより英国とのアヘン戦争(1839-42)に敗北したという説もある。
  新中国の建設者、毛沢東が1927年、国民党との内戦のさなか、解放軍将兵に腐敗を戒めた布告「三大規律八項注意」は闇のかなたに消えている。「三大規律八項注意」は(1)大衆のものは針1本,糸1すじもとらない(2)いっさいの捕獲品は公のものとするーなどを将兵に要求した。共産党の勝利と新中国統一は、腐敗した国民党軍と違って、規律と清貧を重んじた人民解放軍を、国民が支持したことが大きな要因だ。
  今日、人民解放軍は特権階級に登りつている。物資を横流しし、高速道をフリーパスで通過し、交通違反をしても警察官に注意されることはない。注意されるなら、「軍だ」の通行証を振りかざす。中国の悠久の歴史は、かつての規律正しい人民解放軍を骨抜きにした。
  1967年8月18日、赤い表紙の毛沢東語録を高く掲げた10代の紅衛兵約百万人を前に、天安門の楼上から毛沢東は叫んだ。大学受験に失敗した予備校生の筆者も北京放送から流れてくる毛主席の声を聞いた。「君たちは午前8時の太陽だ」
  「造反有理」を合言葉に文化大革命の先頭に立ち、すべての旧弊を叩き壊した紅衛兵はもう中国のどこにもいない。毛主席を慕った日本の「団塊の世代」も中国の紅衛兵も、毛主席が文化大革命を始めた年に間もなくさしかかる。自分を鏡の中に見て過去を振り返り、「我々は何をしてきたのだろうか」と、紅衛兵は自問しているだろう。
  社会主義は紅衛兵の希望であり、毛主席は輝かしい先生であり星だった。毛沢東の理想を実現するため、政治闘争の中で“反動派”(走資派)への苛酷な弾圧も遠い昔の出来事として、中国の歴史に刻み込まれている。まるで中国革命や文化大革命がなかったかのように、5000年の歴史が共産主義者を飲み込み、彼らを普通の伝統的な中国人にしてしまった。
  1930年半ば、林先生はこう予言した。「現在共産主義と非共産主義の2大陣営が中国の統一を争っている。統治階級の非共産政権は、時代の流れに逆らっている。彼らは反動的で、儒家思想を利用しているだけで、人々の支持を得られていない。日本侵略者と外国の動向が将来の中国の統治を決めるだろうが、共産党が天下を握っても、大衆の保守主義は永遠に存在し続けるだろう」
  林先生は、中国が社会主義社会になっても毛沢東の理想は実現しないどころか、5000年の歴史に飲み込まれると予言した。中国の慣習や文化は生き残り、その弊害は共産党を飲み込んだ。中国人の保守主義が共産党を飲み込んだのだ。 
  家族制度により親から権力を世襲した中国革命戦士の息子らは「太子党」と呼ばれている。コネや親族・姻戚関係だけで、良い職に就いている。腐敗・汚職は何ら2000年前と変わらない。中国革命は何だったのか?
 「共産主義政権が支配するような大激変が起ころうとも・・・それが古い伝統を打ち砕くよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし、共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしまうことであろう。そうなることは間違いない」。林先生の予言は的中した。
  「太子党」出身の共産党幹部は家族制度を政治に持ち込み、家の門札だけは共産主義者だが、中に入れば、中国人の文化や慣習、儒教などの古代思想の体現者につくり変えられてしまった。現在、「太子党」出身の習近平が強い権力を振りかざして中国を支配している。
  政治は「公」であり、家族制度は「私」である。林先生は「現代人の観点からすれば、こうした儒教の社会関係には、自己の社会の範囲外にいる人間に対して果たすべき社会責任が脱落している」と主張する。
  「家族はその友人とともに鉄壁を築き上げ、内に対しては最大限の互恵主義を発揮し、外に対しては冷淡な態度を以て対応しているのである。その結果、家族は堅固な城壁に囲まれた砦となり、外の世界のものは合法的な略奪物の対象になっている」とも述べる。
  平均的な中国人は平気で海賊版をつくり、外国の特許を盗んでも悪びれない。2008年1月、中国の「天洋食品製の餃子」を食べた日本人家族が中毒症状を起こし、ギョーザから、農薬に使用されるメタミドボスやジクロボスが検出された。中国政府は当初、農薬の使用元は日本ではないかと主張した。
 アフリカの中国援助は、「資源荒らし」「労働者も中国人が派遣され、アフリカ諸国の経済発展に寄与しない」とされる。習総書記は現在、「一帯一路」政策を推し進め、返済するめどが立たない開発途上国にさえ、法外な資金を援助する。そして破綻しかけて返済が滞れば、その国の土地を100年間も租借する。スリランカは、このようなプロセスで、中国に港湾を自由に使わせることに同意した。これも家族制度の弊害だ。
  また中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃管制用のレーダー照射について「日本が危機をあおり、中国のイメージに泥を塗った」「日本の完全な捏造(ねつぞう)だ」と中国外務省の華春瑩報道官が記者会見で述べた。林先生の発言と不思議に符合する。
  家族主義や老獪の思考、民族主義の排他性に“汚染”された中国人の言行を、日本人やほかの諸国民は理解できないように思う。
  中国には20世紀初頭まで、民族主義はほとんどなく、地方主義、家族主義しかなかった。中国では、民族主義は家族制度から生まれたのであり、国家から生まれなかったと、林先生は語った。四書五経のひとつ、大学は「身修まりてしかるのちに家斉(いえととの)い、家斉いてしかるのちに国治まり、国治まりてしかるのちに天下平らかなり」と言っているではないか。
  「社会生活の欠如 中国人は個人主義の民族であるといえよう。中国人の関心は常に自分の家庭にのみ向けられており、社会には向いていないのである」。   三つの成句 -「公共精神」「公民意識」「社会奉仕」- は中国にはなかった新しい考え方だと林先生は1930年代半ばに話した。
  この成句を国際社会に当てはめれば、どう解釈できるのか。国際社会では中国は一つの家族なのだ。家族でない者には冷淡だ。
  筆者の友人である建築家は1980年代に中国を訪問し、建築プロジェクトに携わった。中国人が彼を身内と認めてからはじめて仕事が順調にいったという。それまでは、騙されることがしばしばだったと述懐している。
  中国人の関心は常に中国にのみ向けられており、国際社会には向いていないのである、と解釈できる。「この家庭にのみ忠誠を尽くす心理はすなわち肥大した利己心である。中国の思想には『社会』という言葉に該当する概念が(最近まで)存在しなかったのである」と林先生は語る。
  そして老獪が加わる。老獪の思考は「中国人の攻撃的な策略というより、手ごわい防御的な策略を発展させた」と言うことだろう。
  中国人と対話し、対決する時は知恵比べをしているようだ。相手(中国人)の不可思議な行動を自民族の判断基準にそって非難したところで、何の役に立つのか。足しはしまい。日本人はとかく自分の尺度で相手を測る傾向が強い。
  一部の日本の保守派は、日中戦争は中国国民党が仕掛けたのだと主張する。「中国により日本は日中戦争に引き込まれた」のではない。中国の指導者、蒋介石将軍の2枚も3枚も上手な知恵と老獪な策略に敗北した。広大な中国大陸を味方につけて「退却戦」に引きずり込んだ中国軍に日本軍は敗北した。われわれは巧みな宣伝戦に敗北した。明代の学者は「一歩とらせて勝負に勝つ」と述べている。
  「己を知る」ことは、たいへん難しいことは誰しも分っている。日本人にも中国人にも言えることだ。また歴史に学ぶことはさらに難しい。「教育を受けた中国人にとって言語の上の障碍(しょうがい)はさして大きな問題ではない。むしろ自国の長く、膨大な歴史を把握することの方が遥かに難しいのである」。林先生はこう述べている。
  中国人は1世紀以上にわたって欧米と日本の帝国主義者の圧政に耐えてきた。その反動として今度こそ自分が「世界一の国になりたい」と思うのは心情的には理解できる。ただ中国人に言いたい。現在は21世紀だ。19世紀や20世紀前半ではない。日本は、帝国主義列強よりかなり遅れて、その仲間入りを果たそうとしたが、無残な結末を迎えた。君たちは十分に理解しているではないか。
  中国の指導者や軍部高官が「世界一になりたい」「中華民族の再興」と考えるのなら、時代錯誤もはなはだしい。日本人は80年前、バスに乗り遅れ、挙句の果てにそのバスに轢(ひ)かれて亡くなったではないか。
  中国人に言いたい。すでにバスは発車し、あなたらは「そのバス」に乗り遅れた。「世界一になりたい帝国主義」バスは20世紀半ばにバス停を出発した。現実的で常識な中国人は理解できるはずだ。中国人は質素倹約、勤勉質朴であるはずだ(家族主義の長所)。
  19世紀中葉の清国の名宰相、曽国藩は甥にあてた手紙の中で、奢侈の習慣を戒め、野菜をつくり、豚を飼い、畑に肥料を施して倹約・勤勉・質素な生活をすれば子々孫々にもわたって家は栄えると説いた。官吏の家が数代で落ちぶれるのは奢侈による、と語る。
  家族制度の質素、勤勉こそ中国社会の伝統的な道徳律だ。中国には階級がない。1905年に廃止された官吏登用制度「科挙」に関して、奴隷以外はだれでも受験資格があり、合格すれば一族は栄えた。「中国の絶対的な平等主義信仰の上に打ち立てられた」という。その科挙は1000年も続き、中国社会に大きな影響力を及ぼした。
  秦の始皇帝が紀元前221年、中国で初めて皇帝に就いて以来、中国は歴史を通して皇帝による絶対主義国家だ。この独裁政治は現在も続いている。読者もご存じの中国共産党だ。だが民主主義の芽がなかったわけではない。
  「歴史は明瞭に物語っている。漢代末までは3万人以上の文人ら知識人は積極的に時事問題を論じ、国家政策や皇帝や皇族の言行でさえ批判し、論評していた。結局、法律の保護がなかったため、(去勢を施され、宮廷で皇帝と一族に仕えた)宦官に弾圧され、200~300人もの知識人が処刑、追放、監禁され、中には一族が皆殺しになった。これは西暦166~169年かけて起こった事件で党錮の禍(とうこのか)と呼ばれていた」。林先生は歴史をひも解き説明する。
  「党錮の禍」は政治的な大弾圧だった。このため、それ以降、無関心の精神が中国に波及した。文人や学者は山奥に入り隠遁した。その後「竹林の七賢人」が出現した。酒におぼれ、政治的をめぐる多様な議論は死に絶えた。その意味では中国は西洋よりはるか以前に言論の自由を享受していたことになる。現代中国の民主化は、この歴史の流れが永続しているかどうかにかかっている。民主も平等も中国史の中に微光を放っている。中国人は歴史を紐解かねばならない。
  中国人は忍耐と平和主義に徹し、思想的な、文化的な違いを乗り越えて世界の、アジアの諸国民と共存してほしい。「民主」「自由」「人権」の隊列に加わる資格も能力もある民族だ。
  日本的な言い方だが「譲り合って」生きてほしい。そうしてこそ、中国人の経済的な繁栄は保障される。「他国からの妨害」もない平和な暮らしができる。原爆の恐怖の中で、それしか永久(とわ)に共に生きる道はない。「日米は中国の発展を妨害している」という中国軍部の叫びは妄想である。われわれ日本人は中国人が豊かになることを望んでいる。ただ、調和と協力と共存の上に、はじめてすべての民族の「発展」は保障される。中国人は国際社会から「公」を学んでほしい。
  15日にロシアのウラル地方に宇宙から隕石が落ち、約千人が負傷した。このニュースは、世界中のすべての諸民族は「地球」という船に乗っている運命共同体に属しているということを今一度われわれに思い起こさせた。中国の軍人がこのことに気づいてほしいと心から願う。またわれわれ日本人もこのことを肝に銘じなければならないと思う。
  中国軍人は、自らが憎んでもあまりある戦前の日本の軍人と同じ思考を抱き同じ道を進んでいる。その道は破滅への道である。その道をたどらないことを切望する。

  ◎筆者は林先生の話を下敷きにして中国人の国民性を記しました。さらに詳しく中国人について理解したければ、林先生が約80年前に書いた『中国=文化と思想』( 鋤柄治郎訳 講談社学術文庫 1999)を」を読むことを推薦します。「ダウニング街だより」の「賢者は歴史に学ぶ」にこの書物の書評を書きました。
(写真は林語堂 若い頃の写真 Public domain)

中国の30年間の善意は近隣諸国との紛争で台無し     豪州専門家の発言     攻撃用レーダー照射(最終回)

2013年02月17日 20時36分10秒 | 時事問題と歴史
  中国人は話術がうまく、人を引き付ける才を持っているという。そして何よりも宣伝や心理戦がうまい。日中戦争でも、中国は日本軍に軍事的には敗走していてが、宣伝や心理、諜報戦で日本軍を圧倒していた。ルーズベルト米政府の同情を得たのも中国人の言葉の巧みさや宣伝のうまさが大きかった。
  2月6日付の中国紙、法制晩報は「日本は一方的に情報を発信することで国際社会の同情を得んとしている」との北京大学の日本専門家の分析を紹介した。共産党機関紙、人民日報系環球時報のウェブサイト「環球網」も6日、日本が国際世論を味方につけるために危機を演出しているとの分析記事を伝えた。これも日本人に対する宣伝や心理戦であろう。
  中国が日米を揺さぶっている。中国政府は、尖閣をめぐり日本の後ろ盾は米国だと確信しているからだ。ヒラリー・クリントン前米国務長官をはじめ米国の政府高官は沖縄・尖閣諸島を日米安全保障条約の対象だと公言している。
  米国にとっては、尖閣列島の問題ばかりか、南シナ海をめぐる中国と比・ベトナム・マレーシアなど東南アジア諸国連合との紛争にも目を向けている。東シナ海の日中の領土紛争は南シナ海をめぐる領土紛争と密接な関係にある。南シナ海と東シナ海は影響し合っている。少なくとも米政府や中国政府・軍部はそう見ていると思う。米政府は両にらみで難しい対応に迫られている。
  19世紀の3流国家の米国が20世紀初頭に他国に脅威を与える海洋国家になってから、「公海の自由」は米国の譲れない国益となった。ローマ帝国時代以来、「公海の自由」対して挑戦してきた国は一国もないと思う。いかなる独裁国家も認めてきた海の公法だ。それに中国共産党政府は現在、挑戦している。
  米国は、中国の挑戦に警戒感を抱いていても、20世紀の大国のように直ちに中国に反旗を翻してはいない。米国は尖閣をめぐる日中の対立で、日米同盟堅持と、中国を敵に回したくない姿勢のはざまで苦悩しているようだ。
  米国防総省のキャシー・ウィルキンソン報道官(陸軍少佐)はこのほど「米国は当事国が誤算を生じさせるような危険な行為を避けるように切に要望してきた」と語り、日中双方に冷静になるように促している。
  米国政府は現在介入しているアフガニスタン紛争から撤退する予定で、今後はどんな紛争にも介入する意思はないと思う。米国の国力の衰退と米世論の反対が他国の紛争介入を許さないだろう。
  日米同盟の強化は米国にとり、アジアの戦略的地位をめぐる米国の優位性を確保することにある。決して、無人島の小さな島、尖閣列島をめぐる日中の領土紛争に関して、日本に一貫して味方することはまずない。言葉上は別だが・・・。
  米国はアジアでの日中の武力衝突を望まない。しかし日本の国力の衰退も望まない。また太平洋、特に西太平洋で、米国の戦略を弱体化させる中国の海軍力の大幅な伸張を促す環境が形成されることも望んでいないようだ。
  米国は日中の交渉を求めている。米国は中国に現実的な対応を促している。今後もこの政策は変わらないだろう。
「日本が尖閣列島を事実上行政管理している」。これを尊重すべきだ。現実的な対応を取れ、と米国は圧力を中国にかけている。韓国が事実上竹島(韓国名 独島)を支配している現実を日本が認識しているように、中国も同じ認識を持ち、現状を維持して気の遠くなるほど長い交渉を図れと暗示している。
  石原慎太郎前東京都知事は昨年、尖閣列島を都が当時所有していた民間人から買うと宣言した。心情的な保守派の石原氏は、状況を観察せず、感情が先行し現実を直視しなかった。したたかな計算に欠けていた。
  野田政権は、前都知事の「暴走」に危機感を感じ、尖閣を国有化、国の所有下で、中国と現実的な対応を取ろうとした。われわれ日本人から見れば「妥当な行動」だった。ただ残念ながら、野田前首相は、中国人の国民性と中国史に深い造詣がなかったようだ。このため、中国人の出方が読めず、かえって問題がこじれさせた。
  野田政権の対応に対して、当時の中国の胡錦濤政権はこれを拒否した。これを受け、日中紛争はエスカレート。多分、胡錦濤は、「国有化」という現状を追認すれば、軍部と中国国民が黙っていないと確信し、政権が持たないと思ったのだろう。
  また胡は現状を変えようとした日本を許せなかった。さらに、2012年9月9日にロシアのウラジオストックで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、野田佳彦前総理と15分間ほど立ち話をした際、尖閣国有化をしないように要請したにもかかわらず、野田政権は2日後、国有化した。胡は中国人だ。顔に泥を塗られ、面子を失ったと激怒したことは想像に難くない。「面子」は中国人には重要な問題だ。
  尖閣「国有化」にいらだちを募らせている中国政府と軍部は、日米同盟強化を、自らに対する軍事的、経済的包囲網とみなしている。自らの夢である「中華民族の再興」を妨害する企てだと信じ込んでいる。
  中國の海軍提督らの発言「中華民族の再興」「中国が世界一になる」とは何なのか。自らの発言力を国際政治の場で高めることなのか、それともアジアに再びアヘン戦争以前の「冊封体制」(主従関係)を樹立することなのか。
  AP通信は「中国の海軍力の伸張がアジア・太平洋の軍事的バランスを変える転換点に達している。中国はアジア・太平洋の軍事国家として、(日本が太平洋戦争で敗北した)1945年以降続いている米国一国中心の安全保障体制を再編しようともくろんでいる」と伝えている。
  米国のほかに、日中対立をじっと見つけ続けている国がある。英女王を元首にいただく、イングランドの末裔、オーストラリアだ。
  オーストラリアのケビン・ラッド前首相は1月30日付米専門誌「フォーリン・ポリシー」で「現在のアジア・太平洋の状況は21世紀の海のバルカンの火薬庫と同じだ」と、東、南シナ海の領土紛争についてコメントした。(AP)
  「バルカンの火薬庫」は第1次世界大戦前のバルカン半島をめぐるロシアとドイツの勢力圏拡大の鍔迫り合いを意味している。バルカン半島の複雑な民族的な多様性と相まって、フランス、英国を巻き込んだバルカン半島の独露対立が、第1次世界大戦の導火線になった。ラッド前首相は、ドイツを中国に例えていると思われる。 
  アジア・太平洋での海軍力の増強に血眼な中国に対して、日本の英字紙「ジャパン・タイムズ」は豪州の動きを伝えている。
  その中で、オーストラリア国立大学のラメシュ・サンカ―教授が、豪州は現在、中国と敵対するかどうかの瀬戸際にいると話し、「中國はこの地域の政治経済大国であり、世界の地政学的な新しいセンターだ。しかし中国は30年間蓄積してきた善意をこの3年での近隣諸国との紛争で台無しにした」と批評している。
  安全保障と軍備管理が専門のサンカ―教授は歴史を振り返り、19、20世紀の国際体系をこう述べた。「日の没することがない帝国、大英帝国は法支配の帝国を築いた。植民地の人々に法の支配体制を教えた。法支配下での植民地経営であり、その法の下に英国民は商業・貿易活動を支配した。法と商業活動は英国人に有利ではあったが、なるべく被植民地住民への直接統治を避け、地元民の協力者を通して間接支配した。植民地から天然資源を奪い、英国製品をつくり、世界中で売りさばいた」
  英国の世界支配を引き継いだのは米国だ。市場経済を通して世界の資源をコントロールした。独占的な米資本、米製品、米国のテクノロジーが米国人の繁栄と安全を保障した。米国中心の世界経済を構築することで、世界中の製品と資源の分配は米支配により保障された。国際秩序は、米国をシーソーの中心とするバランスの中で保持された。米国と覇を競ったソ連はわき役でしかなかった。
  中国は現在、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々のインフラを構築し、見返りに天然資源を手に入れている。この方法で世界への影響力と国力を拡大させている。しかし中国政府は物も人も現地で調達しない。中国から送り込んでいる。このため支援国家の経済発展に寄与していない、という学者も多い。
中国の長期戦略は、他国との地政学的関係を築き、貿易を促進し、エネルギー資源を中国へ運ぶシーレーンをつくることだ。中国の国益と世界の公共財を融合させ、共栄には無関心のように思える。ただ中国の国益にのみ邁進しているようだ。
  サンカ―教授は中国史をひも解いて4つの命題を提示した。
  ①かつての欧州植民地列強と違って、中国は大国間の国際体系の中で、ほかの大国と対等に付き合った歴史上の経験も伝統もない。中華として君臨し、近隣諸国と上下の関係の中で冊封体制を形成した。冊封国家に朝貢をさせ、臣下の礼をとらせてその見返りに冊封国家の独立を認めた。中国と冊封国家の関係はあくまで主君と臣下の関係だった。今日、歴史上初めて中国は本当の意味で世界大国にのし上がっている。北京政府と世界は、この劇的な歴史の変化と現実に対応せざるを得ない。われわれ(オーストラリア人)はこの現実に自らを適合させなければならない。(日本人にも豪州と同じ行動が求められる)
 19世紀から20世紀中葉にかけて、西洋列強は世界秩序を形成するため法と規範をつくり、国際経済、貿易、安全保障を主導した。西洋の考え方や法の規範は世界を支配した。それは西洋哲学や考え方が他の世界のものより本質的に勝っていたからではなく、圧倒的に強い西洋列強の武力によりバックアップされたのだ。
  ②今日、史上初めて同盟や2国間関係という国際秩序を形成する決定要因が衰え、多国間同盟や地域の絆が強まっている。米国は、この歴史の流れを理解して中国の興隆に対し、20世紀初頭の国家より寛容な姿勢を見せている。これに対して、中国の姿勢は米国より寛容ではない。対印関係にこれを見ることができる。中国はインドの東アジア・太平洋進出に寛容な姿勢をみせていない。
  ③中国は長い間(5000年)大陸国家だった。明王朝の名提督、鄭和が遠く東アフリカまで交易を求めて遠征した15世紀の一時期を除いて、海洋国家ではない。しかし、中国は自らの発展の命運と国益が海洋に依存すると確信し、海軍力を増強している。
   中国の国力が増強するにつれ、世界における米国の絶対優位は相対的に減じてきた。米国の国力が相対的に弱まっているからといって、米国がアジア・太平洋から撤退することは、この地域を不安定化させる。(国力を測る物差しは軍事力だけではない。経済力、工業力、国民の民度さえ国力の一部)
強い軍事力を保持したソ連は20世紀、米国の総合国力に裏打ちされた絶対優位に挑戦した。しかし軍事力ではほぼ同等であったとしても圧倒的な経済力に勝る米国に敗れた。 
  ④中国人は、国際的な威信や地位、外交・軍事の主体性は、経済的な損得より勝ると考えている。これに対して今日、世界中の多くの人々は次のように考えている。世界経済の統合と相互依存が現在強まっている。その中で、軍事紛争や戦争は割が合わない。軍事紛争は経済的利益を大いに損ねる。アジア・太平洋の軍事バランスは米国に依存しており、米国は圧倒的に勝っている。このような国際環境の中で、中国は米国に挑戦するような馬鹿なことはしない。
   (サンカ―教授はこの世界観に疑問を抱き)このような誤算や間違った概念が人類の歴史に血の川をもたらした。世界に破壊的な大火災をもたらす民族主義者の熱情を過小評価することほど愚かなことはない。(サンカ―教授は中国大陸に偏狭な民族主義が吹き荒れているとみる)
   現在進行している決定的な歴史移行期に、中国の合法的な叫び(世界の中心になりたい)を止めようとすれば、紛争は戦争になるだろう。もし中国の国益を損なうようなことをすれば、戦争になるだろう。特に西洋列強と日本がこの2世紀にわたって中国に対して行った「恥辱と不正義」のコンテックスの中でみればなおさらだ。だからといって中国への宥和政策(譲歩し続ける政策)も紛争と戦争への道になりましょう。

  サンカー教授は現在、アジア・太平洋の諸国家は難しい局面に直面していると感じている。教授は、1920年代と同じ民族主義の魔物が現在も徘徊していると語った。
  「万国の労働者よ、団結せよ」という階級闘争のタガが外れた中国の民族主義は、20世紀の民族主義より制御しにくいのではないのか。筆者はそう思う。「国家という枠を打ち破り、労働者の世界国家を創設する」という夢を失った中国は、毛沢東時代の「社会主義建設の理想」に対する揺り戻しとして、声高に民族主義を前面に押し出している。筆者にはそう映る。
  米国のワシントンポスト紙のジョン・ポムフレット記者は、2月6日付の紙面で、この数カ月間、日中は「チキン・ゲーム(A game of Chicken)」をやっていると記した。
日中は、妥協は敗北だと考え、一歩も譲らず衝突へむけまっしぐらに突き進んでいる。相手に妥協することは、「臆病」だと確信している。
  それどころか15日付の軍の機関紙「解放軍報」は「戦争をしない期間が長期間続いたので悪弊が軍内で起こっている」と、好戦的な姿勢を示している。
  ポムフレット記者は言う。中国では「パンとサーカス現象(大衆迎合、ポピュリズム、宥和=滅亡前のローマ帝国の政治状況を風刺した言葉)」が進んでいる。中国共産党は国民の民族主義的な反日・反米感情をあおっている。それは中国が抱えている難しい問題から国民の目をそらす一つの方法として採用している。中国国民は経済成長に誇りを抱いている一方、蔓延した腐敗、大気汚染、言論制限、不明瞭な法体制、食料需給体制の脆弱さを含む多くの難問について政府に不満を抱いている。政府が中国国民の目を“憎むべき隣人”に向けさせるはたやすい。
  尖閣列島と、南シナ海の小島群をめぐる中国の戦術は、まず相手に難癖をつけてプライドを傷つけ、紛争地は誰の主権のコントロールも及んでいないという既成事実を構築する。そして世界に示すことのようだ。この数カ月に起こった、南シナ海の小島群をめぐる北京政府のフィリピン、ベトナムに対する戦術を観察すると、そう感じる。
  ボムフレット記者は、領土をめぐる中国との対立は解決不能だとの答をだし、「日本は中国に尖閣を譲ることもない。中国もその問題を取り下げることもない」と締めくくった。中国は南シナ海問題でもフィリピンとベトナムに妥協はしない公算が大きい。
  日中の全面戦争はほとんど100%あり得ない。ただ、軍事・外交専門家の多くは、日中両軍の危機管理に対するコンタクト不足を心配している。たとえば、駐日本大使館付きの日本武官が中国の人民解放軍とコンタクトしても、返事に数日かかるという。緊急時にこれでは対応できない。(AP)
  冷戦中に米ソは、両国の利害が絡み合った航路を船舶と航空機が通過する際のルールをつくり、偶発的に起こり得る重大危機を避けようとした。日中は現在、このようなルールを持っていない。 
  日中両政府は2011年7月の防衛次官級協議で、緊急連絡体制を早期に構築することで一致、2012年中の運用開始を目指して協議を続けてきたが、同年9月の尖閣諸島国有化を切っ掛けに中断した。再開の目途は立っていない。緊急連絡体制は防衛首脳のホットラインや共通の無線周波数設置を含んでいる。無線周波数を共有化することは、現場でのコミュニケーションの円滑化を図り、無用な衝突を回避することができる。 日本は、中国軍との「ホットライン」を働きかけるべきだ。
  日中両政府による緊急連絡体制の欠如のほかに心配なことがある。戦前の日本軍のように、中国ではシビリアン・コントロールが効いいるかどうかだ。もし軍が政府をコントロールする時代になれば、元米国務省日本部長のケビン・メア氏が6日にした国会内での演説が現実味を帯びてくるだろう。中国の海洋戦略に関しては「尖閣諸島だけでなく(沖縄本島などの)琉球諸島も狙っている。中国の脅威にどう対処するか、日本は決断しなければならない」(2月6日の読売新聞ネットサイト)
   戦車、毒ガス、飛行機などの新兵器の出現により数千万の戦死傷者をだし、未曾有の悲惨な結末をもたらした第1次世界大戦は歴史の流れを変えた。1929年にはパリで不戦条約が欧米列強と日本の間で締結され、文書の上では戦争は否定された。それまで戦争は、スポーツと同様、ルールに従えば認められていた。
   19世紀初頭のナポレオン戦争時代に活躍したプロイセン(ドイツの前身)の軍人、カール・クラウゼビッツが「戦争論」で述べているように、国家は政策を完遂する外交の最終手段として戦争を行った。20世紀初頭に米国の大統領になり、強力な海軍建設を推し進めたセオドア・ルーズベルトは、戦争は国家に認められた「高潔なスポーツ」だとまで言っていた。
   第1次世界大戦まで、戦争は職業軍人の仕事であり、戦場が舞台だった。大衆は外野で観戦。危害が及ぶことはなかった。しかし第1次世界大戦は、すべてを変え、国家間の総力戦をもたらした。銃後も戦場も関係なくなった。国家はすべての国力を出し尽くして戦わなければ勝利はおぼつかなくなった。
   第2次世界大戦は原子爆弾を生み出し、原爆は広島と長崎に落とされた。広島・長崎の被爆者は年を取り、現在でも後遺症に苦しんでいる。戦後の冷戦時代、社会主義国家のソ連でさえ原爆を使用すれば自らも滅びると認識し、「原爆は使用しない」という暗黙の合意を敵対者、米国としていた。
   中国はどうか?1960年代後半、フランスの大統領だったジスカールデスタンが中国を訪問、核戦争の愚かさを当時の最高権力者、毛沢東に訴えた。毛沢東は「中国には10億の民がいる。1億や2億、原爆で死んでも中国は存在する」と豪語した。ジスカールデスタンはあきれて帰国したという。
   現在の軍指導部はどう考えているのか。中国国民の大多数はどう考えているのか。心配だ。歴史の流れは変化し、「核戦争はできない。もしすれば地球は亡びる。共存と協力、話し合いしか進む道はない」と大多数の諸国民は考えている。「議会制民主主義」「自由」「人権」「諸国民の民族独立と領土保全の尊重」は歴史の趨勢である。 
   フランス革命の申し子「民族主義」は、いまだに世界を徘徊している。しかし「民族主義」が行き過ぎるとおかしなことになる。「中華復興」を唱える中国軍部と政治指導者が、一日も早く世界の趨勢に気づいてくれることを願うばかりだ。
   アヘン戦争後に締結された南京条約(1842)から新中国が1949年に成立するまで、中国人は日本や欧米列強の侵略と脅しに苦しめられてきた。われわれはそれを理解し、反省する。しかし中国人と中国政府が現在、この「悲惨な歴史」を自国の国益の増進のために、政治的、外交的な道具として使うのなら、歴史に逆行した動きだと断ぜざるを得ない。
   歴史を政治に利用すればとんでもないことになる。歴史は科学であり、客観的に過去を究明しようという精神を持つことで過去の真実に迫れるのだ。歴史はそのような学問だと、筆者は英国人から教わった。
   中国人はもっとも「人間的な国民」だと思う。自らの感情、欲求を満たそうとする人間の本性を一番追求する国民なのではあるまいか。筆者はそれを否定しないが、あくまで他国民の協調と協力の中で実現することを願ってやまない。

  ◎4回にわたる長文を読んで下さった読者の皆さんに心から感謝します。数日中に「攻撃用レーダー照射」のエピローグとして「中国人について考える」を掲載します。


 「中国の夢」は世界一の米国を覆す    解放軍海軍将官の発言    攻撃用レーダー照射(3)

2013年02月16日 20時01分58秒 | 時事問題と歴史
  中国海軍による攻撃用レーダー照射事件は表面上沈静化に向かっているようだ。新聞はこの2-3日、ほとんど取り上げていない。国民の不安感も薄れ始めた。照射事件に関して「分が悪い」と感じている中国のメディアや中国政府、軍も、「照射はしていない」と照射そのものを否定した後、ことさらこの事件を大きくするのを避けてきた。しかし中国共産党や軍の尖閣列島への対応は今後も変わることはない。
  東シナ海と南シナ海を中国の海にしなければ、太平洋やインド洋への出口を自由に航行できない。地図を日本側から見るのでなく、ひっくり返して中国側から見れば、台湾、尖閣諸島、琉球諸島、日本列島は中国海軍にとり邪魔以外の何ものでもない。
  サンデー・モーニング・ヘラルド(豪州)はこのほど、「中國軍の強硬派将軍は、日本による尖閣列島国有化以来、厳しい軍事姿勢を崩していない」と報じ、党の機関紙や、検閲した新聞を使った中国共産党の宣伝戦に入ったと述べた。
なぜ中国が尖閣を必要とするのか?中国共産党と軍には「大きな夢」があるからだと思う。その夢とは何か。中国海軍の将官の話からおぼろげながら理解できる。そして中国陸海軍は、国家の軍ではなく、共産党の軍だということをも明確に理解しなければならない。軍と党は一体なのだ。メディアも共産党の宣伝機関だ。
  モーニング・ヘラルドはこう報道している。「上級大佐で、中国国防大学の劉明福教授は2週間前、豪州メディアのフェアファクスとのインタビューで『核攻撃の正当化』というシナリオにまで舵を切った。ただし彼は中国が核攻撃の引き金を最初にひかないことを明確にした」
  劉明福大佐は2010年3月、ベストセラー「中国の夢」を出版した。この著書で、中国が米国に代わり世界第一に、とアピールしたことで、たちまち西側メディアの注目を集めた。
  ロイター通信はこのほど、「中国の夢」は「米国の『世界一の国家』の地位を阿諛(あゆ)するものだ」と論評。英紙デイリー・テレグラフは、中国解放軍は、世界最強の軍事力を整備し、迅速に前へと進み、米国の「世界第一」の座を覆すべきだと考えている、と報じた。
  ロイターなど西側メディアが劉教授の主張をこう解釈している。「中国は世界的な目標において今後も低調であってはならず、『世界第一』を突き進むべきだ。中国の台頭は必然的に米国の警戒心を呼び起こす」
  中国が「平和的に台頭したい」と考えていても、戦争のリスクを減らすのは難しい、と劉提督は考えている。著書「中国の夢」で劉提督は「21世紀の中国は、世界第一になれなければ、最強の国になれなければ、必然的に脱落した国、淘汰された国となる」と記している。
  劉氏は言う。中米両国間の競争は「誰が最大の国になるかの競争であり、誰が勝利し、誰が衰退し、誰が世界の衝突を主導するかであり……中国は自らを救い、世界を救わなければならず、舵手となる準備をする必要がある」。そして、「中国の軍事力の目標が、米国にも、ロシアに追いつくことができなければ、軍事力の強化は世界三流のレベルに押し止められてしまうだけだ」と書いている。
  今も昔も軍人の視野は狭い。劉上級大佐の言葉は、視野の狭さを物語っている。危険な考えであり、さらに軍人は「暴力装置」を保持しているから、なおさら危険だ。
  劉氏の言葉の響きは、第2次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人600万人を虐殺したアドルフ・ヒトラーの「東ヨーロッパこそドイツ民族のレーベンシュトラウム(不可欠な生存圏)なのだ」という絶叫に似ている。また19世紀後半から20世紀前半の大英帝国の政治家でインド総督、カーゾン卿の「インドは大英帝国の真珠。植民地インドを失えば、大英帝国は三流国家に転落する」と意味において瓜二つだ。
  劉提督の見解は、まさに中国共産党が痛烈に批判する19世紀-20世紀前半の欧米帝国主義者や日本帝国主義者の見解と同じだと言わざるを得ない。日本軍部も中国大陸と東南アジアに広大な「大東亜共栄圏」を形成しなければ、日本は英米により滅ぼされると公言していた。否、そう思い込んでいたというほうが適切だ。
  劉提督以外にも中国軍人の見解が散見される。毛沢東に走資派として糾弾され、事実上殺された劉少奇・国家主席の息子、劉源人民解放軍総後勤部政治委員(上将=大将)の見解(「第18回党大会精神学習報告書」)が環球時報に掲載された。「われわれは再び偶発戦争により中国の前進を阻まれてはならない。米国人と日本人が恐れていることは、われわれが彼らに追いつくことだ。だからこそあらゆる手段を使って中国の発展を阻止しようとしている。その手段は尽きることはない。私たちはだまされてはいけない」
  また劉源人氏の見解は、中国軍艦による日本の艦艇・ヘリコプターに対する射撃管制レーダー照射が中国軍最高指揮部の指示に基づくものだと分析した2 
月7日付韓国・中央日報日本語版にも載せられ、「いま国家の最も重要な目標は平和と発展を成し遂げる戦略的な機会を維持することだが、戦争が避けられない場合は戦争をするいう点を排除してはならない」と主張した。また「党中央が決定すれば、いかなる状況でも武力を動員して戦争をする」と警告した。
  中央日報によれば、戚建国人民解放軍副総参謀長(中将)も2月4日、海上安全協力問題討論会に出席し、「中国の安全に対する脅威は主に海上で発生する」とし「(軍は)国家主権を必ず守らなければならず、一寸の領土も減らしてはならない」と強調している。続いて「中国が先に海上衝突を誘導したり、ある国家の安全を脅かすことはないが、領土と海洋主権と利益は決して放棄しない」と述べた。戚副参謀長のこうした発言は5日、国防省のホームページで伝えられた。
  黄東マカオ国際軍事学会会長は6日、香港明報で「射撃管制用レーダーを照射するというのは事実上、発砲直前の行動であるため、軍最高指揮部の指示がある場合に限り可能な措置」と述べている。
中国の提督らの発言を裏書きする記事が2013年1月22日の夕方、環球時報のウェブサイトに掲載された。見出し「日本は近代以降、中国発展のチャンスを2度も邪魔した天敵だった」が紙上に踊っている。

  1861年、中国は2度のアヘン戦争を経験(大英帝国の敗れた)してようやく目覚め、西側に学び始めた。「洋務新政」や「同光中興」と呼ばれる。その後数十年で中国の経済構造は大きく変化した。
  近代的な工業基盤が徐々に整い、新興資産階級が緩やかに成長し、中国の政治構造、特に法律や制度に変化が現れ、世界に歩み寄った。 まったく新しい中国が期待され、世界各国が平等な立場で中国に接する日もそう遠くはなかった。
  中国は自らのルールに基づき事を進めていたが、上流階級や軍部のタカ派は敵を軽んじ、洋務運動33年の時、既定の政策が変更され、朝鮮の将来を考慮した甲午戦争(日本名・日清戦争)が日本との間で起こった。たった数カ月で清軍の原形があらわになり、「同光中興」神話が跡形もなく消えた。
  中国は再び三十数年の動乱を経験し、1928年にようやく統一を果たし、新たな近代化が開始。1928年から1937年の10年は中国の資本主義発展の「黄金期」といわれる。
  中国の近代化はこの間飛躍的に推進。この10年がなければ、中国は日本と戦う底力も、世界の反ファシズム統一戦線の形成まで持ちこたえることもできなかった。
  甲午戦争と違い、抗日戦争は避けられなかったと中国人学者の多くが指摘する。いずれにせよ、日本が中国の近代化を中断したのはこれが2度目で、中国の資本主義の「黄金期」が突然終止符を打った。
 そして今、中国は再び歴史的発展の重要な時期を迎えている。改革開放34年で中国は「No!」といえる底力をつけた。
 今やわれわれはあの貧しく弱い年代から遠くかけ離れたが、日本が過去に2度も中国の近代化の夢を打ち砕いたことは決して忘れてはならない教訓だ。
  中国で34年間の経済成長において確かに問題が生じ、これは日本が読み間違い、中国に敢えて挑発する理由になるだろう。
  日本が釣魚島問題を巡って中国に挑発するさらに大きな理由は、中国で あと20年平和が続けば、これらの問題が中国の思い通りに解決されると思っているためだ。
  そのとき日本はGDPで中国に及ばないばかりか、中国が全面的に発展すれば、1世紀以上維持してきた中国に対する優越感を失ってしまう。中国が釣魚島で戦争状態に入れば、戦争に勝ったとしても、第3次近代化の道程は中断される。そうなれば中国社会に存在する問題が勢いに乗じて解決できないだけでなく、解決の時機を失してしまう。中国の戦略的チャンスは米国の焦点が他に移るのを待つのではなく、自らが創造するしかない。      作者:中国社会科学院近代史研究所研究員 馬勇)

 次に2月7日付環球時報の英語版の抜粋を掲載する。

  日本により、このニュース(攻撃用レーダー照射)が明らかになった時、中国人は動じなかった。多数の中国人は日中間の最初の一発(紛争勃発)の覚悟ができている。エスカレートする紛争への平和的解決に希望を抱く中国人はますます少なくなっている。中国の国民は以前、戦争は避けられると考えていた。 
 しかし今や、日本のメディアやインターネットを通して「魚釣島をいかなる犠牲を払っても守る」「交渉は受け入れない(領土問題は存在しない)」(安倍首相発言を引用したと思われる)のような極端な公約を聞く。また、われわれは自衛隊が戦争に対する準備万端だとの情報を得ている。日中間の情報のやり取りから、平和交渉余地がますます狭まっている・・・もし安倍内閣が「戦争はすぐそこに来ている」という考えを日本国民に植え付ける目的が真に抱いているのなら、中国も中国国民に同じメッセージを送らなければならない。もしそうでなければ、日本は中国世論の戦争勃発への懐疑心を打消し、日本側の行動に対する有害な副作用を除かなければならない。
  東中国海での中日間の緊張はすでに仮想敵国間のレベルを超えている。日本はこうした摩擦が続けば偶発的な武力衝突が起きる深刻な可能性があることを明らかに知っている。そのため日本は緊張を覚え、軍艦上の戦闘警報を極限まで敏感にしているのみならず、いくらか茫然とし、些細なことにもびくびくしているのだ。

  読者のみなさんはこれらの評論を読んで、どう感じるだろう。どう分析するだろう。中国社会科学院近代史研究所研究員、馬勇氏の論文は唯物史観的な論文であり、筆者は、共産主義者の典型的な見方だと強く感じる。「敵」と「味方」を分けて論じる。このため、どうしても「自分の眼」で世界の状況を理解する傾向がある。また先ほども申し上げたように、20世紀初頭の帝国主義者の考え方でもある。「持つ国と持たざる国」的な思考だ。
  馬氏は、1980年以降の改革開放をODAなどで支援したのは日本人だということを忘れている。支援した日本人が、中国の経済成長を妨害するはずがない。日本人の中国の経済発展は、自らのさらなる経済発展につながると考えた。だから支援した。いくら日本人がお人よしでも、塩を「潜在的な敵」に売って、自らの危険を招くようなことはしない。「日中戦争で迷惑をかけた」という中国人へ「謝罪の気持ち」と「困っているお隣さんを助けたい」という日本人の国民性とがない交ぜになって中国を援助してきた。日本人の「善意」であることは疑う余地はない。しかし中国人はそう考えていないのか。中国軍人の発言の中にも80年前のタウンゼント氏の分析の類似が見られる。日本を脅して屈服させ、自己の主張を通す「権謀術数」そのものだ。そう考えても不合理ではないと思わせる解放軍将官の発言だ。
  タウンゼントと同じ時代に生きた米外交官マクマリーが言うように、中国人は「力」しか信じないようだ。「力が正義」という中国人の国民性と、「鉄砲から政権が生まれる」(新中国の創始者、毛沢東の言葉)と信じる共産主義者の一面とが交じり合い、力を支持する傾向が非常に強いと判断することもできる。特に軍人にはその傾向が強い。「力への信奉」は中国軍人だけでなく、職業軍人の特質かもしれない。
  また悲惨な戦争を経験していない職業軍人は、それが将軍や提督であろうが、下士官であろうが、「戦争が避けられない場合は戦争をするいう点を排除してはならない」(劉提督)と言いたがる癖がある。そして戦争をしたがる。
  日本も例外ではない。太平洋戦争を指導した日本軍部指導者は、現場の指揮官だった山本五十六元帥を除いて戦場経験者はいなかった。そして山本元帥は最後まで戦争に反対した。筆者の知識が間違っていなければ、戦争遂行や戦略を立案する陸海軍省、陸軍の参謀本部や海軍の軍令部には戦争経験者は一人もいなかった。満州事変を起こした軍人の暴走を、事変直後に止めようとしたのは日清・日露戦争の経験者、金谷範三・陸軍参謀総長だ。事変勃発後数カ月して参謀総長を辞職、しばらくして事変に最後まで反対した幣原喜重郎外相を鎌倉の料亭に密かに読んで詫びたという。
  幣原の著書「外交五十年」によれば、金谷参謀総長は、部下を介して料亭「新喜楽」に幣原を招待した。そこには参謀総長と副官2-3人がいただけ。参謀総長は「あなたの在職中、私は非常にあなたに迷惑をかけた。何人よりも私が一番よく痛感しております。しかし不幸にして私の力及ばず、こんなになってしまって、心外に堪えません。せめてあなたに私の心からのお詫びをしたいと思って、お出かけ願いました」と話した。幣原は「金谷大将の至誠、律儀に胸を打たれた」と記している。金谷陸軍大将は、事変が勃発して2年後の1933年に亡くなった。明治の「侍」の長岡外史ら日露戦争の将軍はすでに退役し、事変を阻止する力はなかった。
  余談だが、日本の軍人は参謀総長の命令(当時、参謀総長の命令は軍の最高司令官である天皇の命令)でさえ無視した。ドイツ国防軍とここが違う。これだから、慰安婦問題は、参謀本部の命令(今だ文書が発見されていない)がなかったとしても、十分に起こり得ると、筆者は信じている。
  今日の中国軍の将軍も提督も誰一人として悲惨な戦場の経験がない。1934年から36年まで中国国民党軍の猛攻撃にさらされながらも陝西省の延安の片田舎に逃げのびた(長征といわれる)将軍は現在1人としていない。日中戦争、戦後の中国内戦に参戦した将官はすでに鬼籍に入っている。1997年に亡くなった「改革開放」の生みの親、小平のような戦争経験者は、中国解放軍(共産党)のどこを探してもいない。
  現在の中国軍の将官は皆、机の上で図上演習をしている連中ばかりだ。洋の東西を問わず、戦争を経験した将軍や提督はその悲惨さを十分に知り尽くしているために、鉄砲の引き金を引きたがらない。
  2月8日付読売新聞ネットサイトが伝えた中国人民解放軍機関紙・解放軍報の記事は、中国共産党の習近平総書記が4日に中国西部の蘭州軍区を視察、「戦争に打ち勝つ」との目標に向けて臨戦態勢を保つよう改めて指示した。われわれ日本人から見れば、中国共産党と解放軍の幹部は「独り相撲」をしていると言わざるを得ない。
  「独り相撲」と一笑に付すことができないのが問題だ。中国共産党や軍幹部の見解を下敷きにして、われわれが中国に対してどう向き合うべきかについての筆者の見解を、オーストラリアの専門家の意見を紹介しながら次回に述べたい。