英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

感銘受けたオバマ演説  米大統領の広島訪問をテレビで見て

2016年05月28日 13時40分12秒 | 時事問題と歴史
 バラク・オバマ米大統領が27日、現職米大統領として初めて被爆地・広島を訪問した。到着後すぐに原爆資料館を訪れ、その後、平和記念公園で原爆慰霊碑に献花。「核兵器なき世界」への決意を表明した。広島、長崎で亡くなった人々を含め、第2次大戦の全犠牲者を追悼し、戦争の惨禍を繰り返さないための誓いを新たにした。
 大統領の演説は素晴らしかった。深い知識に裏打ちされ、歴史を振り返る演説だった。最も感銘を受けた演説の一部を、少し長いが、抜粋して掲載する。


 広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。
 いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。・・・広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。
 ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。
 世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。
 しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。・・・
われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。
 広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。


 オバマ大統領が人類は戦争の歴史だったと話し、広島・長崎の原爆投下が核戦争を人類の自殺行為としたと強調した。この言葉におおきな感銘を受けた。ウィンストン・チャーチルも人類史上初めて経験した「第1次世界大戦」のおける総力戦について「諸君は自殺するのか」と著書「わが思想 わが冒険」(1932年出版)で問いかけている。戦後、米ソの核兵器による恐怖の冷戦のさなか、最晩年のチャーチルは戦争が国家紛争の解決手段の時代は過ぎ去ったと認識し、米ソの和解を訴えた。
 常識人なら、もはや紛争解決の手段は外交しかないと認識する。されど愚かな人類はいまだに世界各地で戦争をしている。国家のエゴと国益の衝突は世界いたるところで発生している。
 抑止力として核兵器を保有しなければ、国際テロや、中露の核保有国と太刀打ちできない、との見解がホワイトハウスや米国内にある。しかし「抑止力」の正当化は人間の愚かさ、強欲の裏返しだ。
  スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の15年版年鑑によると、核拡散防止条約(NPT)が核保有国と認める米露英仏中の5カ国にインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮を加えた核弾頭数は計1万5850発。米国(7260発)、ロシア(7500発)の2カ国で9割以上を占める。中国は前年に比べ10発増の260発となる。
  隣国の韓国や中国は自国の目でしかオバマ米大統領の広島訪問を理解しない。韓国メディアは、オバマ氏が韓国人被爆者の慰霊碑を訪れなかったことに不満を述べた。一方、中国の王毅外相は「被害者には同情すべきだが、加害者(日本人)は永遠に自らの責任から逃れられない」と語った。また中国国営中央テレビは、オバマ氏の広島訪問を通じて日本が「戦争で自ら行ったことを薄れさせ、被害者のイメージを強化しようとしている」との批判的な解説を交えて伝えた。
 韓国、中国両政府には、自国にも破滅的な被害を及ぼす核兵器の恐ろしさを認識していない。
 石器時代の昔から現在まで、人類の想像を超える科学の発展があった。それに比べて人間の頭の中身は変わらない。人類は偉大な科学の進歩を、自らの欲と既得権保持のために使ってきた。
 ある国家が誠意を示しても、誠意を示された国家は、利益をできるだけ得ようと、それを悪用してきた。長い長い歴史の中で法制度という慣習が定着しない国々の人々にその傾向が強い。他国を犠牲にして南シナ海の権利を武力の威嚇により主張している中国はその好例だ。
 オバマ米大統領は厳しい世界の現実を認識し、その認識を踏まえて核廃絶に向けて世界がその一歩を踏み出すように訴えた。最も多くの核弾道数を保有している米国の大統領が核廃絶へのイニシアチブをとったことを評価したい。
 現実と理想はいつもかけ離れているが、何世代もの人々がこれからバトンを引き継いでこの理想の松明をかかげ、その目標に到達してほしいと願う。欲にまみれた人間が核廃絶こそ共存と繁栄の道だということへの理解が遅れれば、人類の滅亡が近くなることを意味する。

チャーチルの政治資質     公用車を使用する際などのモラルを日本の政治家は学べ

2016年05月27日 12時45分32秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
 社から完全に退いて7カ月がたち、昨日は久しぶりにかつての仲間と再会した。「毎日が日曜日」だと嘆いていたが、皆それぞれ充実した一日を送ろうと色々と考えているようだ。
 筆者は現在、英米のアマゾンからウィンストン・チャーチルに関する書籍を取り寄せて読んでいる。チャーチル自ら書いた書籍や識者が書いた本だ。そのなかで特に面白かった書籍は、1921年ごろから約20年間(途中、約5年間のブランクがある)にわたりチャーチルの身辺警護を担当したロンドン警視庁のトンプソン警部の「わたしはチャーチルの影武者(I was Churchill’ Shadow)」だった。この本の日本語訳がないのが残念でならない。日本語訳があれば、より多くの日本人がチャーチルの実像を理解できるからだ。
 「第二次世界大戦回顧録」により、チャーチルは1953年にノーベル文学賞を受賞した。その著書の第1巻の冒頭に「戦争には決断、敗北には挑戦、勝利には寛大、平和には善意」と書かれている。
 この言葉にはチャーチルの性格が表れており、それは集約すれば、「勇気」、「好奇心」、「挑戦」だったと思う。2002年にBBCが放送した「100名の最も偉大な英国人」で、英国の大衆が投票した結果、歴史上最も偉大な英国人はチャーチルだった。葉巻を口に加え、スーツ姿に山高帽で、一見田舎の紳士にも見えるチャーチルが、いつしか「ジョン・ブル」と言われる、英国人の典型と見なされるようになった。
 確かに、現在の価値観という物差しを使えば、チャーチルは白人が有色人種よりも優秀だと信じたし、帝国主義者だった。現在、世界の人々から尊敬されているマハトマ・ガンジーを嫌っていた。ガンジーはチャーチルが永遠に続くと信じた英帝国の破壊者だと考えたからだ。彼が生涯にわたって敵だと心から思ったのは、インド独立運動の父ガンジーと、20世紀の「三大悪人」の一人と言われるアドルフ・ヒトラーだった。
 どんな人も完全無欠ではない。どんな人間も短所はある。チャーチルも例外ではない。それでも20世紀の巨人と言われるのにはそれ相応の理由があるようだ。その理由を、トンプソン警部の書籍はわれわれに伝えている。その一部を紹介する。
 チャーチルは政治家であり兵士だった。芸術家であり雄弁家、歴史家、行政官、それぞれの分野でひとかどの人物だった。正直そのものの人で、若い時から高潔な目的や野望を持っていた。また時代おくれの厳格な人物だったし、まったく隠し立てしない率直さがあった。
 チャーチルは首相や議員の特権を悪用しなかった。公共車でちょっとした私的旅行をする場合、自動車メーターを計算してガソリン代を支払った。旅行費用は当然だが自分持ちだった。旅行でも公私の別を明確にした。公用車を使用するときには家族や親戚を同乗させなかった。
 第2次世界大戦中、旅行は秘密裏に行われたが、それでも妻や子供のためにお土産を外国から買ってきた。そのときは必ず申告して税金を支払った。
 チャーチルは、約束は神聖だと考えていた。約束時と異なった状況変化により自分の力ではどうすることもできない場合を除いて約束は守った。約束を履行できない場合でも、約束を果たそうとする労苦を惜しまなかった。
 ある日、ダウニング通りで、チャーチル首相に話しかけてきた男をトンプソン警部が割って入ろうとした。チャーチルは警部を制止し、その男性の話を聞いた。男性は軍隊から除隊する際に何かの手違いで賜金(しきん)を受け取れなかった。「資格があるのです」とチャーチルに訴えた。
 チャーチルは「名前と住所を官邸の秘書に言いなさい」と話し、後日、調査するから関係資料を官邸まで送るように促した。その男が去った後、チャーチルはトンプソンにその類の訴えは受理するように命じた。
 18か月後、トンプソン警部は英国南部のブライトンの叔母の家を訪れた際、偶然にその男に会った。顔は覚えていたが、どこで会ったか思い出せなかった。彼が賜金を受け取れたと話したため、ダウニング街の出来事を思い出した。
 チャーチルは、選挙区の支援者の縁者に就職口を世話するなど不当な要請には取り合わなかったが、選挙区の有権者であろうがなかろうが、正当で利のかなった苦情には絶えず耳を傾けた。
 石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一の各歴代都知事にとっては苦笑いする話だと思う。今の日本の政治家のうち何人がチャーチルと同じモラルを持っているのだろうか。多分、そんな政治原則を心に刻んでいるのはごく少数だろう。誰もそんな原則を持っていないのかもしれない。国民は不幸だ。
 戦後70年。政治資金不正問題が世間を騒がしてきた。特に、この5~6年、その傾向が強くなっている。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの言う職業としての政治家が多くなってきたからだと思う。政治家は国民を幸福にしようと思う高い理想を持ち、それでいて現実主義者でなくてはならぬ。
 政治を職業とするなら、ほかにもたくさんの職業がある。税金を使い、私腹を肥やしたり、生活費に充てたるする政治家が今後、少なくなることを祈るだけだ。

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毎年一度のめぐり合い       日米地位協定、日本会議、広島などで花が咲く

2016年05月26日 23時10分46秒 | 交友
 2005年から毎年一度、かつての職場のOBや現役が場所を変えて東京近郊で会うことにしている。きょう、中華料理店に8人が集まり中華料理に舌つづみを打った。その後、喫茶店でしゃべった。
 話の中心はやはり、沖縄県うるま市の女性会社員の遺体遺棄事件と日本会議について記した書籍だった。舛添要一・東京都知事の公私混同疑惑問題は話題にするような問題ではないというのが皆の意見だった。
 国家主義者の安倍晋三首相が、日米地位協定の抜本改定に消極的な姿勢なのはなぜか? 19世紀に欧米列強がアジア諸国に押し付けた治外法権と何ら変わらない日米地位協定をなおざりにする態度は、米国に対する対等な同盟を望まず、米国に依存する同盟を望んでいるのだという結論に達した。右派思想の限界だろう。
 安倍首相の取り巻き連中を記した「日本会議の研究」(扶桑社)も話題になった。
 元サラリーマンの菅野完氏の書籍に対し、日本会議が出版差し止めを求めたのは、何か世の中にさらしたくない理由があるのだという意見が多数を占めた。日本会議の広報担当者は「内容に事実誤認があるが、詳しい話は現段階ではできない」と説明しただけだ。
 多分、教育基本法の改正を求める運動などをしてきた右派系団体が差し止めを求めた真意は、この書籍から推察されたくないことがあるからかもしれない。それは異見を封じ込め、事実上の思想の類型化を完遂することなのだろう。百家争論という民主主義の根幹を崩し、戦前の天皇中心の中央集権国家を目指しているからだろう。
 思想や見方を類型化して、意見を封じるのは民主主義制度の根幹を揺るす暴挙だが、2世議員と官僚出身の議員が大半を占める国会議員は、精神の根底に異見を嫌う体質がある。そして、議論で鍛えられていないため、考えや意見の類型化を好む。菅野氏が十分に取材していない箇所もある。また私見を客観的だと思い込んでいる箇所もあるが、総じて「日本会議」に対する日本人への警告書だということで一致した。
 明日のオバマ米大統領の広島訪問は歴史的な意義がある。彼が核廃絶の出発地に広島を選んだことに敬意を表したい。米国の謝罪を求めない。太平洋戦争の終わりを「終戦」と、この70年間、こう呼び続けている歴代日本政府にも問題がある。「敗戦」を「終戦」と呼ぶ日本人の内面心理を洞察すれば、太平洋戦争をめぐる日本人の戦争責任(過誤)の希薄さからきているのだろう。この意味で、謝罪を要請するのはおこがましい。また当時の軍部指導者の責任は重大だ。そんな結論になった。
 舛添の話は数分で終了。「辞めなさい」「言語道断」が全員の意見だった。久しぶりに話に花を咲かせた。またの再会を誓い別れた。

人間の価値は必ずしも勉強ができる人物ではない    舛添都知事の公私混同に思う

2016年05月24日 15時38分25秒 | 時事問題
 「過去に生きたすべての人々の拠り所うちで、最も価値があるものは何なのでしょうか。ひとりの人間にとっての価値あるものは何なのでしょうか。それは良心だけであります。(過去を振り返ったとき、自分を正当化できる)唯一の追憶の盾は、自分の行動に対する正直さと誠実さであります。この盾を持たずに人生を歩むことほど軽率なことはありません。なぜかと申し上げれば、自らが描いた望みに裏切られうまくいかなくなってしまっても、運命がいかようであろうとも、この盾を掲げて名誉の隊列を進むほかに選択肢はないからであります」
 英国の宰相ウィンストン・チャーチルは1940年11月12日の英下院で、3日前に亡くなった前任者のネビル・チェンバレンを追悼してこう述べた。チャーチルの政敵だったチェンバレンは生真面目で誠実な政治家だった。政敵とはいえ、互いは信頼し合い、ヒトラー・ドイツの侵略に立ち向かった。この二人の大政治家を結びつけたのは「良心」と「誠実さ」だった。
 英国の歴史家ダニエル・スミスは著書で、チャーチルの生涯の行動指針は「良心」「正直」「誠意」だったと述べる。
 チャーチルは1905年のマンチェスターでの演説で「諸君が政治において、行動に迷うなら、何もしないことだ。何か言わねばならぬ時は、自分の信じていることを正直に包み隠さず大衆に話しなさい」と語った。
 きょう、病院から自宅に帰る途中、書店に立ちより「週刊朝日」の見出し「舛添都知事 ケチの原点」に目が留まり、その週刊紙を買って読んだ。
 週刊紙によれば、舛添氏が、受け取った喫茶店の領収書に「18,000円」と書き込んだ。喫茶店のオーナーは「こんな領収書は切っていないと思う」と証言した。多分、白紙の領収書をもらい、自分で書き込み、それを政治収支報告書に記載したのだろう。私物のほとんどが政治資金で買い込んだように書かれているそうだ。
 舛添氏は北九州での少年時代、貧困の中で育った。苦学して東大へ進学した。フランス留学から帰国後、東大で国際政治学者として教鞭をとった。助教授時代を経て政界に転身。国会議員を経て、東京都都知事に就任した。
 国会議員や地方議員の中にも舛添氏らのような頭でっかちな政治家がたくさんいる。優秀な頭脳を持ち合わせているが、既得権益に汲々とし、政治資金をちょろまかす。その出自は富める両親から貧乏な両親まで色々だろう。金に対する考え方や哲学も千差万別だろう。
 チャーチルはパブリック・スクール(日本の高校)では出来の悪い生徒だった。入学試験のラテン語の試験では、名前と受験番号しか書けなかった、と著書「わが半生」で記している。それでも校長先生の識見から、「この生徒はほかの生徒と違う特性がある」との「お情け(チャーチル談)」でやっと入学を果たし、一番出来の悪いクラスに入れられた。優秀な貴族の子弟が学ぶオックスフォードやケンブリッジの両大学に入学できなかった。英国の歴史上、最も偉大な人物だと英国民から今日言われるようになるとは、当時の高校の先生の誰が想像しただろうか。
 これに対して、舛添氏は高校時代に旺文社の全国模試で常時2~3位だった。俗にいう「優秀な学生」だった。筆者が予備校時代などで体験した狭い判断からだけではあるが、東大の学生の多くは「学業成績(試験の点数)」で他人を判断し、とにかくプライドが高い。成績で人を判断し、成績の悪い人間をバカにする傾向が強い。
 ブログやテレビの同僚議員の話から判断すると、舛添氏もプライドの高い人物のようだ。優秀な官僚の域を超えられないということだろう。先見性溢れる立派な政治家にはなれないことだけは確かのようだ。
 ひとつの仮説を立てるとすれば、必ずしも青年時代に勉強(点数の高い)が優秀な人物が、世の中の大多数の人々から尊敬されるとは限らないということだ。ましてや、政治リスクをとり、人から魅入られる人間ではなさそうだ。

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虚実入り混じるミュージカル「王様と私」  渡辺謙さん演じるモンクット王 

2016年05月24日 09時01分17秒 | 書籍紹介と書評
 俳優の渡辺謙さんがニューヨークのブロードウェイで演じるミュージカル「王様と私」のモンクット王、旧海軍の山本五十六元帥の心友である堀悌吉、英国・名誉革命の父、初代ハリファクス侯爵を通して保守派の実像を理解してほしいと思い、このほど書籍「現実主義者の選択」を出版した。
 俳優の渡辺謙さんが好演しているモンクット王は史実とはかなり違う。英国の家庭教師により蛮王から開明的な文明人に変身するミュージカルのストーリーは虚実が入り混じっている。
 歴代タイ政府は、米作家マーガレット・ランドン夫人の書「アンナとシャムの王様」を下敷きにした「王様と私」を映画であろうが、書籍であろうが、ミュージカルであろうが、すべてのドラマ化を禁じてきた。このため、筆者は2008年、本当の史実を書こうと思い立ち、タイや日本国内の専門家に取材して拙書「現実主義者の選択」(ホルス出版)を書いた。
 モンクット王はアジアが19世紀に輩出した最高の政治家であり外交官だった。ほとんどの日本人から知られておらず、大多数のタイ人から忘れ去られている。名君ほど時がたてば忘れ去られる。
国王は、米国のペリー提督が鎖国日本のドアを叩いた2年前の1851年5月にシャム(現在のタイ)の国王として即位した。祖国の独立維持のため、英仏と「舌」(外交)で戦った。
 モンクット王のほかに、堀悌吉海軍中将と英国・名誉革命の父、初代ハリファクス侯爵を書き加えた。
 太平洋戦争に反対した山本元帥は日本人の誰からも知られている。しかし堀悌吉提督の実像はほとんど知られていない。このごろやっと名前ぐらいは知られるようになった。
 山本元帥の心友が堀さんだ。元帥が最も頼りにした人物が堀悌吉だった。彼は旧海軍の仲間から「至宝」と言われたカミソリのような頭脳の持ち主であり、バランス感覚の富んだ人物だった。そして冷徹な現実主義・保守主義者だった。
 初代ハリファクス侯爵。高校で世界史を選択した読者は、1688年から1689年の英国・名誉革命を記憶していると思う。大学入試でときどき出題される。ところで、名誉革命の指導者はだれかと尋ねられると、即座に答える人は何人いるだろうか。革命を成功に導いた政治家こそ初代ハリファクス侯爵だ。  
 卓越した指導力を発揮し、事実上の無血革命に成功した。また、英国の民主主義の発展と議会制度確立に大きな足跡を残した。現実主義に基づく英国の伝統的な外交基調をつくった。とりわけ、政治家が学ばなければならない珠玉の政治格言を残している。その格言のほんの少しを記した。
 筆者が「現実主義者の選択」を記した真の理由はこの三人の先哲が本当の意味での保守主義者だと思うからだ。かれらは現実を直視し、絶えず複眼で移りゆく時の流れを観察した。外交や国内政治で対象物を対立軸に捉え、どちらをも軽視せず、その狭間から解決策を見出して難局を乗り切ろうとした。
 また歴史上の人物の成功と失敗から教訓を引きだし、現在と未来を見据えた。この3人は、20世紀の偉大な政治家の一人、英宰相ウィンストン・チャーチルが再三述べた「歴史を学ぶ重要性」を心から理解していた。
 日本では保守派は少ない。西洋と日本との文化と思想の対立軸の中で自らの考えを主体的、ディタッチメントな精神で創造する保守が少ない。合理主義的な精神を帯びた西洋を学ぶ日本人は当然、日本の土壌で育ったがゆえに、東西思想の違いからくる相克による緊張感に苦しむ。当初、その対立軸で物事を考えていても、最後には、その緊張感に耐えられずに天皇制という日本独自の精神土壌から生まれる思想へと収斂して右派になる。そんな知識人が多い。その代表者が三島由紀夫だと筆者は思う。
 現在の右派の論客の中には、英米で学び、西洋の合理精神を理解しながらも日本精神との対立軸の中で物事を観察しないで、日本の文明、文化、精神だけに立脚した一眼的な観察へと回帰する識者が多いように思う。  
  西洋文化や日本文化に心酔することなく、その対立軸の中で思考する必要がある。ただ、それは緊張感を伴う。日本のマスメディアは保守と右派の識別が明瞭でない。一方、左派やリベラル派は、理想ばかりを提唱し、現実を無視する傾向が強い。現実を受け入れ、その中から、未来へ向かって理想実現のために努力しないように思う。
 モンクット王、初代ハリファクス侯爵、堀悌吉は掛け値なしの保守だと思う。筆者は読者に本当の保守は何かを、この3人を通して知ってほしいを願い、彼らの生き様を記した。
 三人とも歴史に埋もれた偉人であり、歴史を人生の道標にした人々。歴史を友とし、歴史を人生に役立てた賢人。歴史を学ぶ大切さを現代の人々に教えている。史実を掘り起して彼ら3人に光をあて、現代の人々に3人の生きざまを知ってほしいと思う。