英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

リスクを恐れず勇気を示せ    ウィンストン・チャーチルの助言に思う

2016年06月28日 09時10分02秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
 20世紀最高の政治家の一人といわれるウィンストン・チャーチルほど勇気を示し、リスクを取った政治家はいない。2002年の英国放送協会(BBC)の番組「100人の最も偉大な英国人」で、英国民が投票した結果、ウィンストン・チャーチルが一位になった。確かに、チャーチルは白人優越の人種差別発言をしばしばおこない、今の政治家と違って世論調査を軽視した。自らの信念に従い、大衆の抗議に強硬な姿勢を示した。何よりも大英帝国の永続を望んだ帝国主義者だった。存命中に同僚下院議員や有識者、大衆から批判を受けた。それでも英国民は今日に至るまでチャーチルを英国の偉大な指導者だとみなしている。なぜだろうか。
 その大きな理由の一つはチャーチルが勇気をもって失敗を恐れずリスクを取ったからだ。現在の日本の政治家にない資質であり、英国のほとんどの政治家からもなくなってしまった政治資質だ。
 そのほかに現代の政治家に欠けていてチャーチルが持っていた特質は、国民を説得する弁舌だろう。チャーチルは国民の意見と対立した時、必ず大衆の前に現れ、その雄弁を持って大衆の心をつかんだ。そして自らの政策がうまくいかなかったとき、その理由を話した。 
 チャーチルは1932年1月4~5日にデイリーメイルに寄稿した小論文にこう記している。「自然は慈悲深く、人間やほかの動物がどうすることもできないことをあえて試すことはありません。・・・(だから)リスクをとって生きなさい。何が起こっても逃げないで立ち向かいなさい。勇気を持ちなさい。(そうすれば)すべてはうまくいくのです」
 チャーチルは生涯、少なくとも5回死に直面した。それは交通事故、戦場、病気などだ。また少なくとも6回総選挙に落選した。このような体験から、15年以上チャーチルの身辺警護を担当したトンプソン警部に「死は神様の領域。死ぬ時が来れば死ぬ」と話す。つまり死を自らコントロールできないと述べている。
 チャーチルは1934年6月、英雑誌「アンサーズ」にも「わたしはいつもリスクをとる」のタイトルで寄稿し、その冒頭にこう記している。「われわれは今日、『安全が第一』という言葉をよく聞く。道路を横断するときに従う素晴らしい原則である。・・・また『安全が第一』を志向する政治家の政治活動にも非常に役に立つだろう。しかし、そんな政治家は閣僚になることを目的とし、閣僚に引き上げられれば、そのポストを多年にわたって保持することに努め、際立った仕事もせず、閣僚の責任だけを果たし、内閣維持の保証者として働くだけなのだ。しかし生涯にわたって『安全が第一』に固執するかぎり本当に価値のある仕事はできないし、立派な業績も残せない。それは政治家同様、市井の人々にも当てはまる」
 また「人生はスポーツの試合のようなものであり、勝敗が伴い危険が存在すると記している。スポーツプレーヤーは試合中、思いもよらずに怪我をする場合もある」と記している。
 第二次世界大戦中、英宰相として戦争を指導し、「安全第一」の将軍を最も嫌った。その中に、北アフリカ戦線を指揮したハロルド・アレクサンダー陸軍大将がいた。筆者から見れば、アレクサンダー将軍は臆病だったのではなく、「安全第一」だったのではなく、十分に戦力が整い100%勝つ見込みができるまで動かなかった典型的な英国人気質をもった将軍だった。しかしチャーチルの目には「安全第一」と映った。アレクサンダーの後任のウェーベル将軍にも何度となく、戦力がある程度整えば機を逃さず攻撃すべきだと電報で何度も催促した。英国では、攻撃・退却の最終決定権は首相にあるが、チャーチルは前線の最高司令官の決断を尊重した。
 筆者は今日、チャーチルの上記の言葉を思い出しながら、英国のデービッド・キャメロン首相と日本の安倍首相を比較している。キャメロン首相は政治生命をかけて、欧州連合(EU)の移民政策や主権制約問題などで不満を抱く国民に、EU残留の是非を問う国民投票を実施した。実施する必要もなかったが、勇気とリスクをとって英国民からEU残留の信任を取ろうとした。しかし離脱派が小差と言えど勝利し、キャメロン首相はその責任を取り辞任した。
 これに対して、安倍晋三首相は現実を無視し、参院選に勝とうと思うあまり消費増税10%を先送りした。日本は約1100兆円の借金に苦しんでいる。
  昨日、大手銀行の行員と話す機会があった。筆者は消費増税の先送りについて尋ねた。行員は「このまま政府が果断な政策を取らなければ、あと10年もすれば日本国民の総預貯金と日本の借金が同じ額になり、その後、政府が外国からお金を借りるようなことになれば、日本経済は本当の危機になるでしょう。そして経済破綻だけが待っています。国民の預貯金はハイパーインフレにより紙くず同然になります」と話し、長期的には日本の将来は暗いと示唆した。
 その若い行員は「他業種に就いた大学時代の親友はこの問題を深刻には考えていません。この暗い現実を実感しているのは金融に務めている連中ぐらいでしょう」「水面下で進行するガンは、痛みが現れるまで患者は分かりません。わかった時は手遅れです。日本国民も同じです。深刻な痛みが伴うまで、人間はどうしても容易な道に流れていきます」と話した。
 「多くの日本国民は日本の借金に実感がわかず、迫りくる危機に無頓着です」と大手銀行の行員が話すように、大衆は目の前に現れたことのみに従って行動する傾向が強い。一方、大衆を恐れる安倍首相や政治家は自分かわいさに有権者や国民に「先見的な見解や見通し」を述べることを恐れる。今日ほど政治家が大衆に迎合し、大衆の顔色をうかがい、世論調査に振り回されている時代はない。
 チャーチルは、自らの先見性や信念を国民に吐露し、説得し、理解を求め、大衆を納得させ、その先頭に立って難局を切り開いていった。キャメロン首相は英国民を説得できなかったが、勇気を抱きリスクをとった。安倍首相は勇気もなくリスクも取らず、説得することもしなかった。
 日本国民の悲劇がここにある。どうしてこんな質の悪い政治家ばかりになってしまったのだろうか。こればかりか解けない難問だ。
 
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自らの思いとは別の道をたどることがよくある 英国のEU離脱支持者の投票に思う

2016年06月25日 12時24分42秒 | 時事問題と歴史
  欧州連合(EU)からの離脱を問う国民投票が23日に行われ、離脱票が残留票をわずかに上回り、英国の脱退が決まった。離脱を受け、キャメロン首相は辞意を表明した。英国は底の見えない暗闇に飛び降りたと思う。
 1930年代、保守党の嫌われ者だったウィンストン・チャーチル議員(後の首相)はナチス・ドイツとアドルフ・ヒトラーへの宥和政策を支持して保守党幹部を批判し、「素晴らしいカーペットの上を歩いていると、いつのまにかカーペットが擦り切れているのに気づき、階段を降りていくとその先に深い闇がひろがっている」と警告した。現在の英国民も同じ状況だろう。
 離脱支持者は東欧などからの移民が自分の職を奪っていると考え、この一点から英国の離脱を支持した。ベルギーのブリュッセルに本部があるEUのエリート主導の政治・経済政策から“独立”を取り戻し、再び職にありつけると考えたようだ。
 古今東西を問わず大衆は目の前の危機や困難に目を奪われ、長期的な展望に立ったソロバン勘定ができない傾向が強い。目に見えている景色の背にある真実を理解することも、予測することもできない。フォーサイト(Foresight)ができなのだ。ポピュリズムの宿命である。
 日本経済団体連合会(経団連)会長の榊原定征氏が昨日、ニュース番組で「英国には1000社以上の日系企業があり、投資残高は10兆円規模。英国を拠点として欧州大陸と商売をしている。英国の離脱で関税が敷かれ、英国を拠点とする意味やメリットがなくなる」。榊原氏は日系企業が英国を去る可能性を示唆した。
 筆者は経済の専門家ではない。市井の人間として長期的な観点から考えれば、離脱派の思惑と違ってますます失業者が増大するだろう。日本企業だけでなく、中国や米国などの企業も英国から欧州大陸へと拠点を移していく可能性が高い。
  今や政治的にも英国の将来は不透明だ。英国は正式には、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドからなる英連合王国。そのうちスコットランドではEU 残留支持者が62%、離脱支持者が38%で、過半数のスコットランド人がEU残留を希望した。英国全体では離脱支持者が52%で、残留支持者が48%。
 このため、英紙ガーディアンによると、スコットランドのスタージョン行政府首相は24日、同地域の投票では欧州連合(EU)残留が多数を占めたことを受け、「民主的な観点から、われわれは国民投票を受け入れることはできない。再度、独立の是非を問う立法措置(国民投票)の準備を始める」と述べ、EUに残留するため英国からの独立を求める意向を示唆した。
 英連合王国は、沈静化したとはいえ北アイルランド問題も抱えている。そしてスコットランド問題。将来英連合王国は空中分解し、12~13世紀のような独立した王国がブリテン島に出現する可能性がある。もしそうなれば英国(イングランド人)が長年築き上げてきた欧州大陸に対する、世界に対する政治的な影響力は一段と低下するだろう。
  歴史は変化する、と名誉革命の指導者、初代ハリファクス侯爵が述べた。よく言ったものだ。19世紀に7つの海洋を支配した英帝国は現在、すでになく、イングランド人の経済・政治的発言力は低下する一方だ。
 21世紀に入り、「エリート主導、理念先行」の欧州連合と、それに伴う加盟国の主権制限に反対する右派グループがドイツ、フランスなどで活動している。その活動は日々、強まっている。マリーヌ・ル・ペン党首に率いられたフランスの国民戦線、ドイツの国民民主党などだ。
 欧州の極右諸政党が政権を握れば主権を主張し、欧州連合自体の存在が危うくなる。そのとき、かつてのように、英国が勢力均衡のバランサーとして欧州に影響力を及ぼすことはない。
 英国のEU離脱は欧州大陸諸国の右派政党を勢いづかせ、19世紀から20世紀前半の欧州大陸に逆戻りするかもしれない。その時、バランサーとしてかつて君臨した英国はどこにもいない。欧州は動乱といわないまでも不安定になるだろう。
 英国民、とりわけEU離脱支持者は10年後に自らの選択を後悔するだろう。EU側にも域内の国民の民意を十分にくんでこなかった失敗がある。離脱支持者はそれを離脱という形で反意を表明し、漸進的な改革の道を選ばなかった。
  20世紀に英国を代表するケンブリッジ大学の歴史学者ハーバート・バターフィールド教授は「歴史の歯車は当初思っていたのとは違う方向に進むことがよくある」と語った。目標を抱いて始めた事業や思惑は、将来考えてもみなかったゴールに行き着くということだ。離脱支持者は将来、この言葉を噛みしめるだろう。

人間の資質で大切な「勇気」とは何か 英議員コックスさん殺害の政治テロに思う

2016年06月18日 11時34分42秒 | 国際政治と世界の動き
  英国の最大野党・労働党の女性下院議員ジョー・コックスさんが路上で男に銃で撃たれ死亡した。英BBC放送などによれば、コックス氏を殺害したのは、地元在住で52歳のトミー・メイア容疑者。コックス氏は図書館で支持者との面談を終えて外に出た際、頭部付近を複数回、銃撃されたほか、刃物で何度も刺された。近くにいた77歳の男性1人も腹部を刺され負傷した。デーリー・ミラー紙(電子版)は、容疑者が南アフリカの白人至上主義雑誌を一時購読していたと報じ、極右思想に染まっていた可能性を指摘している
 コックス議員はイギリスのEU離脱の是非を問う国民投票を前にして、離脱反対を有権者に説いていた。先週もツイッターで「移民問題に関する懸念はもっともだが、それがEUを離脱する理由にはならない」と呼び掛けた。
 政治家になる前は、貧困のない世界を目指す国際協力団体、英オックスファムの慈善活動に携わり、乳児死亡率の低下や現代の奴隷撲滅に向けた取り組みにも関わっていた。コックス議員は事件が起きた英中部ウェストヨークシャー州出身。父は化粧品工場勤務で母は教職員。名門ケンブリッジ大学に進学し、家族の中で初めて大学を卒業した。典型的な労働者階級の出身だ。
 ニューズウィークによれば、夫のブレンダン・コックスさんは事件を受けて声明を発表し、彼女は英国が分断されることを望んでいなかったとした。そして次のように述べた。
 「彼女が今生きていれば、二つのことを願っているはずだ。一つは2人の子どもたちにいっぱいの愛情をそそぐこと。もう一つは、彼女の命を奪った憎悪と戦うために、われわれが団結することだ。憎しみは害悪しかもたらさず、そこには信念も人種も宗教もない。これまでの人生に悔いはないはずだ。一日一日を精一杯、生きてきたから」
 筆者はご主人のこの声明を読んで、深い感動を感じた。それとともに、民主主義発祥の地で、民主主義制度を破壊する暴力が起こったことに失望した。また米国と違って治安が比較的安定している英国で、それも拳銃保有が厳しく取り締まられている国で、このような悲惨な事件が起こったことに驚いた。 
 筆者はコックス議員の「勇気」を褒め称えたい。「小柄な体に、社会を変えたいという熱意をみなぎらせた人だった」とメディアは伝えている。殺害される前日も、ロンドン・テムズ川で「残留キャンペーン」運動をしていたところ、残留反対派からホースで水をかけられたという。難民保護に注力したため、極右派から狙われていたという。生命の危険を感じても、自らの政治信念に生きた。
 バーストルの教会で行われた追悼集会で、この集会を主催したポール・ナイト牧師は「人々を巻き込み、正義と社会の結束のために熱心に取り組んだ」と語り、コックス議員の冥福を祈った。
 今頃、コックス議員は天国で、英史上最も偉大な宰相の一人、ウィンストン・チャーチルに会い、チャーチルから「勇気を出して奮闘した」とお褒めの言葉を送られているかもしれない。
 チャーチルは、どんな逆境にも勇気を持ち、それに立ち向かう人々を最も尊敬した。自らも何度も死神に会いながらも、死を恐れない勇気と挑戦の人生だった。チャーチルは、1932年に出版した「現代の最も偉大な人物」の中で、そのような人物にスペインのアルフォンソ13世を挙げている。フランコ独裁体制から民主主義制度への移行に決定的役割を演じたファン・カルロス前国王の父親だ。
 アルフォンソ13世(1886-1941)はスペインの前近代的な政治・社会体制を変えようとして社会改革に懸命に取り組んだ。しかし、途絶えることのないテロの中で政府高官は次々に暗殺されていった。このため、自らの理想から次第に距離を置き始め、改革は失敗して亡命した。
 チャーチルはアルフォンソ13世の政治・社会改革の失敗にもかかわらず、暗殺を恐れない彼の勇気を称賛した。「大衆も国王も人生行路を歩く中で、自らを試される事態に遭遇(困難な状況や危機的状況)したときにこそ、(自らの行動について他人から)判断されるにちがいない。勇気こそ人間の資質の中で最も尊重される資質だ。勇気という資質があってはじめてほかの資質が担保されるのだ。実際の行動においても、モラルの面であっても、アルフォンソ国王はあらゆる場面で勇気を証明した。陛下の命の危険がさらされる場面でもあっても、政治的逆境に遭遇したときでも同じだった」
 コックス議員も時代は違っていても「勇気」を抱き自らの信念で政治課題に挑んだ。そして殺害された。彼女は政治信念に生きた。決して政治家になることを目的としなかった。この意味で政治資質があった。
 日本を振り返れば、政治家の資質がなくても、食い扶持を稼ぐ職業とする政治家が大半だ。舛添氏しかり、甘利氏しかり。この一年でマスコミを騒がせた“落第生”政治家が何人いただろうか。そして何よりも「勇気」の「勇」もない政治家が多すぎる。いつも政治リスクを回避し、困難な問題を先延ばしにする安倍晋三首相や取り巻き政治家は好例だ。
 日本の政治家はコックス議員の政治テロに思いをはせ、民主主義制度とは何かをもう一度問い直してほしい。

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元官房長官の与謝野さんが安倍政治の本質を語る 

2016年06月17日 10時58分58秒 | 日本の政治
 22日に参院選が公示される。安倍晋三首相は「アベノミクス」をことさら全面に出しす。これに対し有権者と国民に態度を鮮明にせよと迫る。また野党各党は「安全保障問題」隠しだと批判する。
 6月17日付朝日新聞に第1次安倍政権の官房長官だった与謝野馨氏が「アベノミクス」を「偏った経済政策」だと批評した。
 咽頭がんを患った与謝野氏は「異常ともいえるお札の発行は『インフレの種まき』にほかなりません。通貨価値の下落などインフレの形で、本来責任のない国民に襲いかかることを、とりわけ弱者の生活苦につながることを、わたしは強く懸念にしています」と訴え、難しい課題を先送りする安倍首相を批判している。
 「安倍政治は、国民の評価を落とす危険のある政策を避けて通るという基本体質を持っています。一番の例は、『沖縄』です。沖縄との和解には触れようとしません。消費増税の先延ばしも同様です」
 与謝野氏は日本の財政を憂慮する。日本銀行は毎年80兆円のお札を発行し、それは実質国民の貯金が毎年5%ずつ目減りしていることになると説く。子どもでも理解できる話を、与謝野氏は朝日新聞の「オピニオン」欄で話す。
 筆者は単にお札を刷って何が儲けているかと言いたい。与謝野氏は消費税を10%に引きあげても「膨大な借金に比べれば『焼け石に水』という人もいますが、現行の医療、介護などの社会保障の水準を維持するには、・・・いずれ20%程度の消費税が必要です」と話した。
 与謝野氏は、経済成長さえ持続すれば成長の果実が自然に弱者にも回ってくるという安倍首相の経済政策を批判。「吉田茂、池田勇人両首相は働く人や所得の低い人への目配りを怠らず、税制も弱者に配慮した。それが日本の保守本流でした」と力説。「一時しのぎの金融政策を行い、借金をためるばかりで難しい問題に自分の政権では手をつけない」と安倍首相を批判している。
 そして最後の言葉として筆者が感銘したのは「大衆は必ずしもいつも正しいとは言えない」と言ったことである。「民主主義の中で、『国民の声』というものが、必ずしも正しいとは限らない、と私は考えています。残念ながら、国民は楽な道を喜びがちです。長期的なこと、子や孫のことまで心配しない。あえて申し上げれば、『国民の声』という建前論だけで運営すれば、国を誤るのです。大切なのは国民の豊かさを長く維持すること。それが保守政治です」
 筆者は与謝野氏に同感する。国民や大衆は舛添問題への見解は正しくても、自らの利害が絡む消費増税問題を公平に見ていない。それは既得権にしがみついているからだ。それは人間の本性である。だからこそ、政治家は大衆の批判を受けてでも、勇気を出して30年先によかれと信じた考えを実行すべきなのだ。そして大衆を説得する。自分の政治家の地位を危うくしてでも、長期的ビジョンを実行する。
 日本には現在、あまりにも大衆に迎合する政治家が多すぎる。それは自分の地位を守りたいからにほかならない。総選挙で落選することを恐れているのだ。
 与謝野さんが言うように、日本は現在、経済的に破滅し国民が超インフレにより貧困にあえぐかどうかの分岐点にいる。船は45度以上傾けば復元は難しく、沈没の運命がまっている。日本経済がすでに45度以上傾いているかどうかはわからないが、危機に瀕していることだけは確かである。
 真の保守政治家の与謝野氏は事実上の戦時下だと言っているのかもしれない。本当の戦争ではないが、経済困難の真っ最中にいるのだということだろう。がん細胞が活動して体内に広がっているが、患者はまだ痛みを感じていない。健康診断に行かないのでわからない。そんな状態が日本だ。
 安倍首相は保守ではなく、典型的な右派だ。それはそれでよいのだが、この経済緊急時に「勇気」「挑戦」「説得」という政治家としての資質がないのだ。いつも国民に迎合し(野党政治家の多くもそうだ)、迫りくる困難に立ち向かおうとしない。これでは「日本丸」という船に乗っている国民も安倍首相ら政治家も海の藻屑と消えるだろう。
 第2次世界大戦の英国の指導者ウィンストン・チャーチルは1940年5月10日に首相に就任した。同じ日、独裁者アドルフ・ヒトラーのナチス・ドイツは150万の兵力と2000両以上の戦車と装甲車を引っ提げ、怒涛のごとくオランダ、フランス、ルクセンブルグ、ベルギーに侵攻を始めた。
 13日、チャーチルは議会で演説した。有名な「血と涙、汗」演説だ。日本の経済危機に直面しようとしているこのとき、安倍首相はチャーチルのような演説ができるかどうかは疑問だ。多分できないだろう。戦争と経済危機との違いはあるが、危機は同じだ。最後にチャーチルの演説の抜粋を読者に記し、今回のブログを終わります。
 「先週の金曜日、国王陛下より首相に推挙されました。国民と政府の意思により、できるかぎり多くの与野党の連立政権を樹立し、挙国一致内閣を組閣しました。わたしはこの政府の目的の最も重要な仕事を完遂しました。・・・われわれの前に最も深刻な試練が立ちはだかっています。われわれの前に長期にわたる闘争と苦難が待ち構えています。議員諸君は内閣に『政策は何か』とお尋ねるになるでしょう。私は、神が我々に与え給うた渾身の力で、人類に数限りない罪を犯した怪物のような専制者(ヒトラー)に対し、陸と海と空から戦うと申し上げます。これが政策です。目的は何かと問われれば、一語で申し上げる。勝利。万難を排しての勝利。恐怖に打ち勝っての勝利。どんなに長く厳しい道であろうと勝利あるのみです。勝利なくして自存の道はありません・・・力を合わせて共に進もう」と強調し、ヒトラー打倒こそが英国と大英帝国が生き残る唯一の道だと指摘した。
 チャーチルは国民に迎合して国民から絶大の支援を引きだしたのではない。チャーチルが現状を包み隠さずに国民に話したからこそ、国民が団結して苦難に立ち向かい、それを克服したのだ。英国民は自分に不利なことも受け入れ、チャーチルを支持した。それはチャーチルが正直に話し、困難を避けなかったからだ。日本国民はどうか?筆者は日本国民には英国民と同じ資質が備わっていると固く信じる。既得権にがんじがらめになった政治家がそれに気づかないだけである。
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よかった、頑張った、大和君!    北海道不明男児発見に思う

2016年06月04日 11時34分42秒 | 時事問題
 「よく頑張った!」。北海道七飯町の山中で5月28日から行方不明になっていた北海道北斗市の小学2年、田野岡大和(やまと)君が6日ぶりに保護された。7歳の男児は、捜索範囲外の約5キロ北東の陸上自衛隊駒ケ岳演習場にいた。
 大和君は自力でたどり着いた無人の宿泊施設(兵舎)で水道の水を飲んで過ごし、発見時は少しやつれていたものの、しっかりしていたという。
 行方不明になった地点からこの施設まで、左右に曲がりくねった林道が続いているという。夜道は漆黒の闇に包まれていただろう。月夜ではなかった。一歩先でさえほとんど見えなかったと思われる。
 その中を必死に歩いたのだろう。7歳の少年が何を考えていたのか。多分、何も考えず、左右に曲がりくねった林道をひたすら自宅に帰ろうと歩いたにちがいない。そして偶然に自衛隊の演習場の兵舎にたどり着いたにちがいない。兵舎に鍵がかかっておらず、中に入れたのも幸運だった。マットがあったのも、クマに遭遇しなかったことも幸運だった。見えざる手に守られていたとしか考えられない。
 悔恨の念に苛まれていた父親の貴之さん(44)は再会に声を震わせ、「つらい思いをさせてごめん」と最愛の息子に謝った。
 お父さんに車から降ろされ、林道で独りぼっちになった時の心境はいかばかりかと想像する。筆者は大和君と同じ年齢の頃、いたずらをして、しばしば母親に物置小屋に連れて行かれ、鍵を閉められ数時間、そこで過ごしたことを思い出した。子ども心に寂しさと恐怖心が入り混じり、「ごめんなさい。出して」と言った記憶がある。
 大和君にとり、筆者が幼き頃味わった寂しさや恐怖心の何千倍も大きかったにちがいない。子ども心には「勇気を出して前へ進もう」という意識はなかったにちがいないが、それでも7歳の男児の勇気を誉めたたえたい。危険を冒してでも生きようとする彼の勇気に神様も温かい手を差し伸べたのだろう。 
 大和君は「28日夜から演習場にいた」と話している。その間、たびたび雨が降った。2日夜から3日未明の最低気温は5度を下回った。産経新聞の取材によれば、気象台の担当者は「山間部など場所によっては、観測地点よりもさらに気温が下がっていたことも考えられる」と説明する。
 「山の中で1人で過ごす孤独感、恐怖感は想像以上に大きい。小さい子が、本当によく我慢した」と感心するのは、平成26年5月、東京、埼玉、山梨にまたがる雲取山(2017メートル)に向かう途中で遭難し、8日後に保護された経験のある東京都東久留米市の画家、鈴木信太郎さん(66)だ。「風雨を防ぎながら、じっとしていたことが結果的に体力の消耗を抑え、生存につながったのではないか。我慢強く、知恵のある子だと思う」と話す。
 筆者も鈴木氏に同感だ。大人でさえ、兵舎で数日過ごせば、「このままでは死ぬ」と思い人家を探そうと兵舎を後にするだろう。大和君のような小さな子供なら、そんな大人が抱く気持ちから兵舎を後にすることはなかったとしても、寂しさや恐怖から兵舎を去ったかもしれない。一カ所に留まろうとした本能と勇気を称えたい。
 父親は涙をため、人々に石を投げた大和を「しつけようとしたとはいえ、行き過ぎだった」と深く反省する。英国の主要紙 ――タイムズ、ガーディアン、インディペンデント ―― など各紙とBBC放送は、詳細に「行方不明だった大和君の発見」を報じた。
 この出来事から、英国人には日本の「しつけ」に大きな関心を持っている。また、父親の貴之さんが当初、「山菜取りをしている最中に息子を見失った」と警察に話したが、前言を翻し「しつけのため、車から息子を降ろした」ということにも興味を抱いたようだ。
 英国の主要紙「ザ・タイムズ」は「面子を失い、他人に迷惑をかけることは行き過ぎたしつけよりも大きな罪だ、と一般の日本人は考えている」と報じた。「面子を失う」ことよりむしろ父親は世間から批判されることを恐れたのだろう。恥ずかしい気持ちもあったのだろう。
 ザ・タイムズの記事は続けていう。「多くの日本の伝統的な家族では、両親の権威は1950年代の英国社会と同じだ。大和君の父親が話した『しつけ』という言葉は良い意味を内包している。子どもの権利は西洋社会ほど明確ではない。学校の児童は先生の言うことを聞くように教えられ、社会規範を厳格に守るように仕向けられる。・・・この出来事はいろんなことを考えさせる物語だ。昼間でさえ薄暗く、クマが出没する林に見捨てられた児童、“残酷”な両親、大掛かりな救助と救出による人々の安堵の気持ちなどだ。そんなさまざまな感慨があるとはいえ、大和君は保護された。両親は良い教訓を教えられたようだ」
 英国紙の指摘通り、父親の貴之さんにとり厳しい教訓だった。親の「しつけ」は必要だが、常識を欠いていたのははっきりしている。ただ、この不幸な出来事があったからといって、貴之さんが大和君へのしつけを止めることはしてほしくない。ただ常識をわきまえ、大和君が「悪いこと」をすれば、これからも叱ってほしいと思う。
 筆者の孫のような年齢の大和君がこれからの長い人生の道を一歩一歩踏みしめて生きてほしい。筆者の年齢(67歳)ぐらいになった時に、少年時代を思い出し、父親の愛情あふれる叱責を懐かしくて、それでいてほろ苦い気持ちで振り返ってほしい。お父さんから「行き過ぎた叱責」を受けた大和君のこれからの長い長い人生に幸多きことを、晩年を迎え老境に入ろうとしている筆者は心から祈る。お父さんもこの教訓を糧にして、厳しいながらも愛情はあふれる子育てをしてほしい。