日本人がしばしば相手に語りかける「いいです」は肯定的な意味なのか、それとも否定的な意味なのか? 中国人は戸惑うという。中国メディア「今日頭条」がこのほど、こんな記事を掲載し、日本の中国専門紙「Searcha」が転電している。
日本人は、相手が自らの思いをすべて日本語で表現しなくても前後の文脈から、相手の言わんことを推測できるが、外国人はそうはいかないのだろう。日本語はこの意味で、難しい言語なのかもしれない。「わかりました」「どうぞ」なども外国人には理解するのが難しい日本語ではないだろうか。前後の文脈が理解できなければ、何が「わかりました」「どうぞ」はを理解できない。
言語はその国の文化や国民性を表していると思う。日本人は言葉を使い分けて表現を軟らかくしたり、攻撃的になったりする。例えば、「すみませんが、その日は用事があるので、ご招待をお断りします」と、丁寧な接頭語を使う。「断ります」「拒絶します」とは決して言わない。
英語も英国人の文化を背負っている。英国人とはイングランド人だ。イングランド人は「断る」場合、「Reject」とは言わない。「Decline」を使い、相手の感情を考慮して柔らかい表現にする。
英連合王国を構成しているウェールズ人、北アイルランド、スコットランド人もそれぞれの言語を持っている。私が半世紀前、ウェールズ大学の学生寮にいた頃、毎朝、掃除にやってくるおばさんはウェールズ語をしゃべっていた。私はまったく理解できなかった。
「今日頭条」は日本語の言葉「いいです」は肯定、否定の両方の意味があると紹介している。肯定、否定の意味の違いを「相手の語気、表情、状況から判断している」と解説。明確に自らの意思を示す中国人にとっては「日本人の意思表示をくみ取るのはたいへん難しい」と述べる。
また、「いいです」は「あなたとは関係がありません」と伝わりこともあると紹介。仕事などで日本人との距離を縮めたいと考える中国人は注意するよう助言している。
中国紙は日本人に誤解をもたらさずに意思表示する場合、「OK」の際は「お願いします」、「駄目」の際は身振りをくわえて「いいえ」と言うべきだと助言している。
日本語は、日本人の婉曲的な言い回しや相手を傷つけたくないという気持ちから、丁寧な表現言葉を持っているが、曖昧な言葉が多々ある。これに対して英語も婉曲表現はあるが、言葉自体が曖昧ではなく明確なため、相手に自らの意思をはっきり伝えることができる。
私は中国語を学んだことはないが、言葉は国の文化や国民性を表現しているから、中国人は明確に自分の意思を表示する国民なのだろう。そして曖昧で情緒的な言葉が少ないのかもしれない。
蛇足だが、「サーチナ」の中国メディア転電記事を読んで、ふと思い出した。韓国高官が「日本人は韓国人の自尊心を傷つけた」との声明を発表した。この言葉は、日本政府が半導体の対韓輸出優遇措置を撤回した(ホワイト国からの除外)ことに対する反発だった。
「自尊心」は感情的で心理的な言葉だ。韓国人は、英国人の「フェアプレー」の精神から推察される「行動や経験則や事実を重視する」国民ではない。フランス人や日本人のように、感情的で情緒的ではあっても最後には法に従う国民ではないようだ。
「法は、知性の地図にの上に、各自の感情と自由の境界を定める幾何学的な線である。・・・法はア・プリオリに規則の基板を割り振りし、行動はそれに従わなければならない」と国際連盟の軍縮局長を務め、英オックスフォード大学教授でもあったスペイン人のサルバドール・マドリアーガ(1886-1978)が名著「イギリス人、フランス人、スペイン人」の中で述べている。
言葉はその国の文化や習慣や性格を表現しているように思う。「今日頭条」が読者に伝えた日本語「いいです」を読み、日本人、中国人、韓国人の国民性の一端を垣間見たように感じた。
日本人は、相手が自らの思いをすべて日本語で表現しなくても前後の文脈から、相手の言わんことを推測できるが、外国人はそうはいかないのだろう。日本語はこの意味で、難しい言語なのかもしれない。「わかりました」「どうぞ」なども外国人には理解するのが難しい日本語ではないだろうか。前後の文脈が理解できなければ、何が「わかりました」「どうぞ」はを理解できない。
言語はその国の文化や国民性を表していると思う。日本人は言葉を使い分けて表現を軟らかくしたり、攻撃的になったりする。例えば、「すみませんが、その日は用事があるので、ご招待をお断りします」と、丁寧な接頭語を使う。「断ります」「拒絶します」とは決して言わない。
英語も英国人の文化を背負っている。英国人とはイングランド人だ。イングランド人は「断る」場合、「Reject」とは言わない。「Decline」を使い、相手の感情を考慮して柔らかい表現にする。
英連合王国を構成しているウェールズ人、北アイルランド、スコットランド人もそれぞれの言語を持っている。私が半世紀前、ウェールズ大学の学生寮にいた頃、毎朝、掃除にやってくるおばさんはウェールズ語をしゃべっていた。私はまったく理解できなかった。
「今日頭条」は日本語の言葉「いいです」は肯定、否定の両方の意味があると紹介している。肯定、否定の意味の違いを「相手の語気、表情、状況から判断している」と解説。明確に自らの意思を示す中国人にとっては「日本人の意思表示をくみ取るのはたいへん難しい」と述べる。
また、「いいです」は「あなたとは関係がありません」と伝わりこともあると紹介。仕事などで日本人との距離を縮めたいと考える中国人は注意するよう助言している。
中国紙は日本人に誤解をもたらさずに意思表示する場合、「OK」の際は「お願いします」、「駄目」の際は身振りをくわえて「いいえ」と言うべきだと助言している。
日本語は、日本人の婉曲的な言い回しや相手を傷つけたくないという気持ちから、丁寧な表現言葉を持っているが、曖昧な言葉が多々ある。これに対して英語も婉曲表現はあるが、言葉自体が曖昧ではなく明確なため、相手に自らの意思をはっきり伝えることができる。
私は中国語を学んだことはないが、言葉は国の文化や国民性を表現しているから、中国人は明確に自分の意思を表示する国民なのだろう。そして曖昧で情緒的な言葉が少ないのかもしれない。
蛇足だが、「サーチナ」の中国メディア転電記事を読んで、ふと思い出した。韓国高官が「日本人は韓国人の自尊心を傷つけた」との声明を発表した。この言葉は、日本政府が半導体の対韓輸出優遇措置を撤回した(ホワイト国からの除外)ことに対する反発だった。
「自尊心」は感情的で心理的な言葉だ。韓国人は、英国人の「フェアプレー」の精神から推察される「行動や経験則や事実を重視する」国民ではない。フランス人や日本人のように、感情的で情緒的ではあっても最後には法に従う国民ではないようだ。
「法は、知性の地図にの上に、各自の感情と自由の境界を定める幾何学的な線である。・・・法はア・プリオリに規則の基板を割り振りし、行動はそれに従わなければならない」と国際連盟の軍縮局長を務め、英オックスフォード大学教授でもあったスペイン人のサルバドール・マドリアーガ(1886-1978)が名著「イギリス人、フランス人、スペイン人」の中で述べている。
言葉はその国の文化や習慣や性格を表現しているように思う。「今日頭条」が読者に伝えた日本語「いいです」を読み、日本人、中国人、韓国人の国民性の一端を垣間見たように感じた。