英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

冷静に、観念一辺倒になってはいけない  国論2分の安保法制に思う

2015年09月22日 09時42分53秒 | 日本の安全保障
 9月19日未明に安全保障関連法が成立して3日がたった。この法律に対する反対が止まない。若者や主婦などを中心とした反対派は次の総選挙を見据え活動を強める構えだ。憲法学者や弁護士は「違法」との判断から、裁判でこの法律の違憲性を訴える構えだ。この動きに対し、安倍内閣は国民の理解を得ようと、議員を地元に返し、有権者を説得している。安保関連法の成立後に、有権者を説得する奇妙な動きだ。
 筆者はこの法律の制定をめぐって何よりも残念だったのは、冷静で現実的な議論がなされなかったことだ。理念と理念がぶつかり合い、現実的な議論が展開されなかったことだ。この責任の大部分は安倍晋三首相にある。
 手順が間違っていた。安倍首相が現実の東アジアの国際環境を踏まえた冷静で現実的な議論が話し合われる舞台を設定し、理想を具現している憲法9条と現実のかい離を説き、、多様な国民的な議論を巻き起こす起爆剤を提供しなかったことだ。
 安倍首相が率いる内閣は「お仲間内閣」と揶揄されている。安倍首相が自らの見解やビジョンを共有する人々を重視し、自分の意見に反対する人々を遠ざける傾向が強いというのは事実のようだ。筆者が取材した記者仲間がほとんど皆、安倍首相の「マグナニミティー」のなさを指摘していた。「マグナニミティー」とは寛容さだ。英語の真意は「寛容さ」以上の「寛大さ」だろう。政敵とも喜んで膝を交えて議論する寛大な心の持ち主をいう。
 この意味で安倍首相は首相としての大切な資質が欠けているのかもしれない。筆者は国際政治史や1930年代の英国政治史を若い時に英国で勉強したため、このブログでもネビル・チェンバレンとウィンストン・チャーチルをよく引合いに出す。この二人は性格も政策アプローチも違う。チャーチルは英国人には珍しいくらいのあけっぴろげで、ユーモアに富んだ快活な人物。時として大胆で積極的な政策を遂行した。しかしチェンバレンは典型的な英国人で、寡黙であり、実直な人だった。経験則に基づいた現実的な政策を臆病なまでの慎重さで遂行した。
 ほぼすべてにおいて水と油ほど違うチェンバレンとチャーチルには共通する部分があった。それは政敵とも議論を尽くし、一旦決まったことは誠実にそれを実行した。
 1939年9月3日、当時首相だったチェンバレンは、対独戦争の開始によりチャーチルを入閣させ、海軍相に抜擢した。それまで二人は対独政策でことごとく対立していた。それでもチャーチルの豊富な軍事知識と国民の人気の高さを買い、入閣させた。チャーチルが入閣後、スカンジラビア(ノルウェー)作戦などをめぐって両者は意見を異にしたが、徹底的に議論し、最後には歩調を合わせた。チャーチルはチェンバレンにこう言った。「あなたが首相だ。わたしは持論を述べてネビルに助言する。最終決定者は君であり、君が首相として全責任を負っている」
 1940年5月10日、チェンバレンから首相職を引き継いだチャーチルが挙国一致内閣をつくった。その時、チェンバレンを挙国一致戦時内閣6人の1人にした。野党の労働党や自由党に疎まれていたチェンバレンを、チャーチルはあえて労働党や自由党の党首と一緒に仕事をさせたのである。チャーチルが不在の時はチェンバレンが閣議を取り仕切った。あくまで異見を話し合いで解決する。そして内閣の秩序を維持する。両者には暗黙の合意がなされていた。どんなに意見が対立しても、話し合いで解決する。それがどうしてもできない場合は、最後は上に立つものに従う。チェンバレンが首相の時はチャーチルが従い、チャーチルが首相の場合は、チェンバレンが従う。首相が全責任を負っているからだ。議会を離れれば、互いを尊敬しあう友だった。
 チャーチルは議会で議論した。派閥を嫌った。議会で議論をしたら、真っ先に帰宅した。そして勉強した。議会だけがチャーチルにとりおおやけでの議論の場だった。もちろん、私的には自宅に友を呼び、討議した。
 選挙区にもどれば、有権者と政策や問題について議論した。決して「次の選挙でお願いします」と選挙運動をしなかった。通りで選挙スローガンを絶叫しなかった。それが政治家の仕事だと信じたのである。
 チェンバレンが1940年11月9日、胃がんで亡くなり、その数日後、チャーチルは彼の死を悼み、議会で有名な演説をした。たとえ政敵であっても、「マグナニミティー」の精神と民主主義の精神で対応したのがチャーチルだった。それを一番理解していたのがチェンバレンだった。
 今日、日本が重大な岐路に立っているとき、チェンバレンやチャーチルのような政治家が日本にいないのは日本国民にとり不幸なことだが、そう述べても詮無きことだ。
 国際政治学者の中西寛・京都大学教授が、22日付朝日新聞の「にっぽんの現在地」で「日本を取り巻く安全保障環境は50年単位で大きく変わるが、今はその時だ」と語っている。中国の台頭と米国の国力の総体的な衰えがそうさせているのだ。
 中西氏は今回の安保関連法案の議論で「合憲か違憲かに話が集中してしまったのは残念でした」と述べている。国際政治的な判断、国際法や安全保障を含めた中での判断が必要だったという。また「幕末の鎖国か開国か」の議論に重なるところがあるとも言う。そして何よりも「詰めた議論がなされなかった」と話している。「日本の安全保障や防衛の問題で不幸なのは、政府・与党は『おれに任せておけば、心配ない』という態度をとり、逆に野党や反対派は一律反対で揚げ足取りを優先し、議論が深まらない」
 筆者は中西教授に同感だ。現実的で冷静な議論が今こそ安倍首相や閣僚、野党各党、国民各派に求められている。
 安倍首相は独断専行して行動してはならない。自らの信念を過信し、猪突猛進すれば禍根を残す。安保関連法のような国家の安全と独立を左右する最重要法に対して、国論の分裂を顧みることなく自らの意思を通せば、結局はいかなる危機にも対応できる防衛体制を敷けない。国論の分裂ほど不幸なことはないし、国を弱体化させることになる。東アジアの大きな変化にも対応できなくなるだろう。
 民主主義制度の下で国論が一致し、国民が固い団結をつくり上げた時、それは中国のようないかなる独裁国家をも打ち破るだろう。第2次世界大戦の1940年の初夏から秋において英国の存亡をかけた「バトル・オブ・ブリテン」がそのことを立証している。英国のすべての人々は、チャーチル首相の指導下、英国人が700年以上にわたって築き上げた民主主義制度を守らんがために、一致団結して独裁者ヒトラーとナチスドイツの侵攻を退けたのである。
 国民が一致団結したとき、中国のような共産主義独裁体制であろうが、ナチス・ドイツのようなナチズム独裁体制であろうが、いかなる種類の独裁体制を民主主主義国家は打ち破ることができるのである。

 写真 ウィンストン・チャーチル(左)とネビル・チェンバレン(右)

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ラグビーの日本海海戦    優勝候補の南アフリカに勝利

2015年09月21日 12時07分17秒 | スポーツ
 例えが適切ではないかもしれないが、まさにラグビーの日本海海戦だった。1905年5月27日から28日にかけて、対馬沖で日本連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に完勝した。当時、世界の誰もが日本海軍が世界最強の海軍国のひとつであるロシア海軍に勝てるとは夢にも思っていなかった。
 2015年9月19日、21世紀の“軌跡”が起こった。日本がラグビーのW杯に2度優勝した南アフリカ(南ア)に辛勝した。たとえ辛勝であっても勝ちは勝ちだ。
 筆者は久しぶりに興奮した。ラグビー愛好者ではなく、ルールもあまり知らないが、英国に滞在した6年間、よくテレビで見ていた。選手から選手に手渡されるボール。パス回しの速さ、選手15人が一糸乱れずゴール目指して突進するときの美しいフォーメーション。
 日本に帰国後、日本のラグビーを見たとき、あまりにも英国のラグビーとの違いに愕然とした。パス回しが遅く、スクラムを組んだ後、ボールが出てきても相手選手にすぐにタックルされて選手が山のように倒れ込み、ボールが選手の中に埋もれるシーンが普通だったからだ。しかし、何十年ぶりかに見た19日の試合は違っていた。日本の選手のパス回しが早く、まるで若い時に英国で見たラグビーと同じだった。
 「歴史的大金星」「日本大快挙」「世界に衝撃 日本が南アに勝った」と日本のスポーツ紙はこぞって日本の勝利を祝った。世界ランキング13位の日本が同ランキング3位の南アに34―32で破る大金星を挙げた勝利を、英国のメディアも驚きと称賛の言葉を送っている。ラグビーほど実力が反映されるスポーツはなく、ほかのスポーツと比較して「番狂わせ」がほとんどないという。
 テレビ中継した英放送局ITVの解説者は試合中に「信じられない」と連発。次の試合の中継が始まった後も日本の試合を振り返った。
 英国の代表紙のひとつ、ガーディアン紙は「ラグビーは南アにとり宗教である。日本は奇跡を引き起こした。アマチュアと学生で構成された米国のアイスホッケーチームが1980年、世界最強の旧ソ連(現在のロシア)チームを打ち破った『アイスホッケーの奇跡』と同等の素晴らしい奇跡だった」と賛辞を送る。
 また別の英国の有力紙「インディペンデント」は「日本チームはラグビーW杯史上最大の衝撃を世界に送った。この劇的勝利は2019年のW杯東京大会に大きなインパクトを与えるだろう」と伝え、日本の状況をこう記している。
 「日本時間で午前1時前に試合が始まった。数少ない日本の熱狂的なラグビーファンは寝ずにテレビ中継に見入った。大多数の日本人は目が覚めて、この素晴らしいニュースを聞いた」
 英国の代表的な保守系の新聞「タイムズ」は「ブライトンに晴れわたった夜が訪れ、日本―南ア戦は観衆のスピリットを異常なまでに高めた。否、もっと正確に表現すれば、観衆がこの試合を猛烈に盛り上げていたのだ。日本チームは、興奮しきった“援軍“の素晴らしい声援を受けてその戦力を増していった。これとは対照的に南アチームは戦意をなくしていったのだ」とコメントし、「この試合でイングランド人もウェールズ人すべての英国人は日本に味方したが、唯一味方しなかったのはスコットランド人だった。彼らは日本と水曜日に戦うからだ」とユーモアで締めくくった。
  世界中で大ヒットした小説「ハリー・ポッター」の作者J・K・ローリングさんも驚きの声を上げた。ツイッターに「こんな話は書けない」と記した。ローリングさんは日本選手が、残り時間がわずかなのにもかかわらず、ペナルティーキックを選択して同点を求めず、一丸となって勝利したことに感動したのだ。
 日本の勝利に激しい衝撃を受けたマイアーコーチは南アの敗北を認め、「われわれにとり良い試合ではなかった。受けいれ難い敗北だ。わたしが全責任を負っている。選手は皆、国民を失望させたと思っている。われわれは次の試合のために心を切りかえなければならないが、なかなかそうもいくまい。次の試合では日本戦より100倍も良いパフォーマンスを見せなければならない」とショックの大きさを明かしている。
 「南アのマイヤー・ヘッドコーチはスプリングボックス(南アチームのニックネーム)の敗北後、国家と国民に謝罪すると語った」と「ガーディアン」は伝えている。
 英国人は今も昔も「フェアー」に戦う弱いチームや選手を応援する。フェアーの精神で強いチームに正面から挑みかかる弱いチームを半官びいきする。「弱い」上に祖国の政府の迫害から逃れ、最悪の環境の中で練習を積んで大会に出場したチームや選手が、最強の敵と戦うとき、文句なく応援する。英国人の「何事をするにもフェアーたれ」という金言を筆者も英国人からよく聞かされたものだ。
 まさに英国人の目から見て、ラグビーの「弱小国」日本は「フェアー」精神を抱き、いかなる逆境にもめげず、正面から卑怯な手段を使わずに「勇敢」に戦った「英国精神」を体現していると映ったのだろう。この「英国精神」は「日本精神」でもあると思う。
 筆者は「弱い」日本が「強い」南アを破ったとは思っていない。確かに戦力は劣っていたのだろうが、この数年、日本チームの激しい練習で戦力差は縮まっていたとみるのが妥当だと思う。
 21付朝日新聞によれば、「午前5時台からの練習、1日3度のトレーニング。そんな合宿が(ことし)4月から8月まで10度に及んだ。とにかく体力差に敗因を求めてきた日本だが、運動量、持久力を強みと呼べるほどに築き上げた」という。外国人選手の背丈や体重などでの日本人の劣勢を運動量などで補ったのだろう。
 朝日はこうも述べている。「試合が始まれば指導者の手を離れ、選手が目まぐるしく変わる状況(時)を的確に判断してプレーしなければならない。ヘッドコーチの指示通りに動く従順さだけでは世界の強豪に勝負できない。選手間で日頃から問題意識を共有するため、主将や副将は頻繁にミーティングを行った」
 日本がラグビーやサッカーでなかなか強くなれないのは、野球と違って、目まぐるしく戦局(状況)が変わり、スピードを重視するスポーツであるため、選手個々の速断を要求されることだ。野球は試合の流れがサッカーやラグビー違って遅い。このため監督の指令が試合をかなり左右する。
 サッカーやラグビーは選手個々の独立心を必要とするし、この性格を育む。日本人は司令官の指揮下、協力精神のもと、集団で行動するとものすごい力を発揮するが、独立心に富み、自らの判断と責任で行動するのが苦手な国民だと思う。責任も曖昧にするのが得意だ。
 ラグビーは19世紀にサッカーから生まれた。1823年、イングランドの有名なパブリックスクールであるラグビー校でのフットボール(サッカー)の試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスがボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出したことだとされている。偶然にサッカーで禁止されている「手」を使ったことが発祥の原因だという。
 1871年、イングランドでラグビー協会が設立され、同年、スコットランドとイングランドのラグビー国際試合が世界で初めて行われた。
 オックスフォード大学やケンブリッジ大学へ進学する学生を輩出するパブリックスクール「ラグビー」で生まれたラグビーは当初、中産階級や上流階級のスポーツだった。
 将来、軍人や政治家など国家の指導者になるためには体力が必要だというのが英国人の考え方。「頭が良い」だけでは駄目で、体力も必要だという英国人の伝統的な考え方である。「頭が良い」というのは勉強の成績がよいのではなく、思考力、発想力、判断、観察、決断、実行能力が高く、なによりも指導者として責任の自覚を持つことが大切だということだ。日本流に言えば「文武両道」に秀でていなければ国家の指導者にはなれず、国民を指導できないという「常識」的な考え方である。「常識」(Common Sense)も英国人の好む言葉だ。特にイングランド人に言える。
 体力と頭の良さが合わさって、英国を指導できる有能な指導者が生まれる。ラグビーはそれを育むスポーツのひとつだというのが英国人の考えである。その精神は、オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドなどの英帝国の連邦国家や旧植民地に波及した。
  エディー・ジョーンズヘッドコーチはリーチ主将の勇気を褒め称えたのも合点がいく。ラグビー精神を体現したということだろう。ちなみにリーチ主将も、勝利のトライを挙げたヘスケス選手もニュージーランド出身だ。ニュージーランドの母国は英国である。
 この両選手に負けずとも劣らない日本人選手もいた。スクラムハーフの田中史郎選手が「前半29分のリーチのトライの立役者だった」。防御を犠牲にして12人が一丸となってゴールに突き進んだ。その戦術を提案したのが田中選手だった。
 日本チームは勇気をもってゴールへ向かった。ペナルティーゴールを選ばず、スクラムを組んで勝利を目指した。ジョーンズ・ヘッドコーチは後半の最後のチャンスにキックして3点取り引き分けで試合を終わろうとした。しかし選手はスクラムを組み、敗北の危険を冒して勝利を目指した。トライで5点を取りにいった。
 これに対して南アは後半29~29の同点の時、日本のペナルティーから「スクラム」ではなく「ペナルティーキック」を選んだ。確実に3点を取って、逃げ切ろうとした。結果論だが、そこが分岐点だった。一つひとつの局面で日本選手は適格な判断をした。判断力が南ア選手より数段勝っていた。それに南ア選手が反則を繰り返したのは焦りの表れだったように思う。「弱国」と信じていた日本が予想を超えて強かった。日本選手は、「判断力」「独立心」「常識」を育む英国のスポーツで勝利したのだ。
 ジョーンズ・ヘッドコーチはこう述べた。「この試合の経験から驕りが出てはいけない。謙虚に勝利を受けとめよう。試合終了直後、スコア―を見たとき、それがほんとうかどうか理解できなかった。われわれは勇敢なんて言葉では表せなくくらいの勇敢さだった。われわれはW杯史で最も素晴らしい試合のひとつをつくり上げたのである。きょうは素晴らしかった。しかし、われわれはまだ目標を成し遂げていない。わたしは8強による決勝トーナメントに進出を決めた時、コーチから引退する」。ジョーンズ氏の母国はオーストラリアである。
 日本の勝利を祝福し、次のスコットランド戦の勝利とベスト8への進出を祈りたい。独立心と協力精神、常識と勇気、決断を次の試合でも期待したい。それこそ日本精神であり、英国精神だ。そうありたいものである。

 写真 決勝トライしたヘスケス選手

安保関連法と中国の民族主義者と共産党政府に思う 

2015年09月20日 12時45分35秒 | 日中関係
 昨日に続いて安保関連法について、中国共産党の見解と、それに対する意見を述べたい。中国共産党政府と民族主義者は日本の安保法成立をめぐる日本世論の対立をどう見ているのか。
 中国政府系シンクタンクに所属する日本問題専門家は、「9月3日の北京での軍事パレードに招待されたにもかかわらず、安倍晋三首相は来なかった。その直後に中国の国民感情を刺激する安保関連法を強引に成立させたことで、中日関係の回復は当分難しいだろう」と分析した。
 中国の官製メディアは安保法成立まで、「戦争準備のための法案」「日本が南シナ海に介入するための法案」と警戒していた。
 中国外務省の洪磊副報道局長も18日、「戦後日本の軍事・安全保障分野でかつてない行動だ」と警戒を呼び掛ける談話を発表。「日本は軍事力を強化し、専守防衛政策を放棄するのではとの国際社会の疑念を引き起こしている。日本に国内外の正義の叫び声を聞き、歴史の教訓をくみ取るよう促す」と述べ、歴史問題と絡めて日本を批判した。
 中国国営通信、新華社(英語版)は19日未明、安全保障関連法の成立を「日本は戦後の平和主義を破棄した」と速報した。これに先立ち「日本が戦後国際秩序に挑戦していると思うのは理にかなっている」との論評も配信した。
 英国のリベラル紙「ガーディアン」によれば、中国外務省は「われわれは安保法反対デモに参加した人々に共感する。日本政府は内外の正義の訴えに耳を傾けるべきだ。歴史の教訓を学び、平和的発展の道を堅持すべきだ」と発表した。
 中国政府と官制メディアは日本へのけん制と、中国国民への「日本に対して警戒心を抱き続けよ」というメッセージを伝えることで、共産党統治を正当化することにあると思う。
 毎年雪だるま式に膨れ上がる中国の軍事費は増大し、南シナ海の岩礁に軍事基地が建設された。東シナ海でのガス田の一方的な開発もある。またガス田をレーダーサイトにも使うとの情報がもたらされている。これらの事象は安保関連法成立に対する中国政府の批判との大きな矛盾を露呈する。
 中国政府とって自国の国益と今後のアジア・太平洋政策に利することに対しては「共感」と表明し、利さないことに対しては「反対」を叫んでいる。
 中国政府が安保関連法の反対デモに「共感」を表明しているのはあくまで中国の長期戦略に沿っているからだ。そして安保法をめぐる日本世論の対立を日本の弱さと判断するだろう。それを共産党の維持に生かすだろう。
 確かに安保関連法をめぐる対立は中国に隙を与えた。しかしそれは短期的なことである。民主主義国家と国民が対立を乗り越えて一致団結した時、民主主義制度の強さは最強の武器になる。
 古今東西を問わず、独裁国家はその形態がどうであれ、民主主義制度を「弱さ」と判断するか、「自国の人々には合わない制度」だと断言してその制度を忌み嫌う。ドイツの独裁者ヒトラーも、イタリアのファシストのムソリーニにも、旧ソ連のスターリンも、中国共産党政府も、独裁の中味は違っていても、ものの見方は同じである。
 これに対して、民主主義制度を固く信じたチャーチル首相は1940年夏、ナチス・ドイツにより存亡の危機にあった英国民の心意気を「第二次世界大戦回顧録」で、こう表現している。
「(軍需工場の)職工は熟練工も非熟練工も、男も女も、あたかも活動中の砲台であるかのように、鉄火の下で旋盤を離れず、工場を運転した。否、否、彼らは活動中の砲台そのものであったのだ」
 1930年代のヒトラーへの見方で世論が分裂した暁の団結であり、チャーチル首相の回顧録の中に「鋼の民主主義」を見ることができる。英国民がナチスという民主主義を否定する勢力に勝利した源を見つめることができるのである。
 産経新聞に9月15日に寄稿した京都大学名誉教授の中西輝政氏は「現代の世界では、国民の安全を守るための最も重要な手段は依然として軍事力をはじめとする国家のもつ力(パワー)に依存せざるを得ず、今のところその各国家の力を互いに均衡させることによってしか平和は保てない」と述べている。
 中西氏の見解に一部分は同調するが、日本を守ることができる手段は軍事力だけではない。軍事力、外交能力、世論の団結が三位一体になった時に、日本の安全はより確かなものなる。
  独裁国の中国には強大な軍事力や巧みな外交力はあっても、民主主義に基づく世論はないし、形成されない。たとえ偏狭な民族主義や熱に浮かされた国民主義が横行していても、それは一時的なことであり、共産党の衰退とともに消えてなくなる。
  このことは、かつて軍国主義にり患した日本人が一番理解している。安倍首相と与野党の政治指導者、与野党の政治家は、習近平を頭とする中国共産党幹部が決して理解できない民主主義制度の強さを信じ、安保関連法を再度国民とともに議論し、アジアの平和と安定に資してほしい。

安倍首相は時を無視し、ことを急いだ。 安保関連法成立に思う

2015年09月19日 22時01分55秒 | 日本の安全保障
 安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。この日も主婦や学生らが国会前だけでなく全国で法案反対のデモを行った。
 日本の安倍政権は民意を無視して、この重要法を成立させたことだけは事実のようだ。首相はこの法案を取り下げ、継続審議にして、引き続き安全保障について国民と膝詰で討議してほしかった。国民の理解を深めるために、法案の趣旨をもっと分かり易く説明すべきだった。時が首相に味方するまで、粘り強く国民に語りかける必要があった。
 8月末の日本経済新聞の世論調査では、集団的自衛権の行使、安保法案を今国会で成立させる政府の方針のいずれも賛成が27%で、反対は倍の55%に上った。
 野党が牛歩戦術で抵抗した1992年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法の際も193時間で、今回は国会に記録が残る戦後の安保関連の法案審議としては最長だという。審議時間は衆参両院あわせて200時間を超えた。しかし審議の中味は時間の長さほど濃くはなかった。
 2015年6月4日に行われた衆議院憲法審査会の参考人質疑で、与党自民党・公明党、次世代の党が推薦した早稲田大学法学学術院教授の長谷部恭男教授を含む出席した3人の学識経験者全員がいずれも安全保障関連法案について「憲法違反に当たる」という認識を示した。
 この発言以来、本来討議しなければならない安全保障問題とこの法案の整合性を論じるよりも、合憲か違憲かで与野党が激しい論戦を展開した。
 このようなピンとはずれの議論が衆参両院で展開された大きな要因のひとつは、安倍首相が時を無視し、焦って安保関連法案の成立を急いだことにあると思う。首相の念頭には、急速に軍事力を増大させている中国があったことは疑いない。この法案を国会に提出する前の4月29日、安倍首相が米議会の演説で「夏までに成就させる」と宣言したことにも彼の焦りを感じた。
 この焦りが議会制民主主義の手続きを事実上無視した。安倍首相は審議の最終盤で「法案にまだ支持が広がっていないのは事実だ」と述べた。そのように感じていても「必要な法律なのだから採決は当然だ」との確信があったからだろう。「時が経つうちに間違いなく理解は広がっていく」とも予言してみせた。
 この発言は「黙って俺についてこい」と言っているに等しく、十分な説明と説得力、裏付けとなる根拠に欠けていることを白日にさらした。安保政策を大転換するなら、それだけの危機がいま迫っていると分かりやすく説明しなくてはいけなかった。反対意見を十分に聞かなければならなかった。そのためには時間が必要だ。3~4年かけて、議論を深めることが肝要だった。
 安保関連法が憲法違反の疑いが強いと筆者も思う。首相は、遠回りをしてでも憲法改正をしてからこの法案を提出。そして、日本を取り巻く安保環境は、大きく変化していると説明しなければならなかった。
 また安倍首相は、成立した安全保障関連法が「日本の存立危機」にだけ対処する法律だと明示すべきであった。自衛隊が「日本の存立危機」とまったくかけ離れた米国の世界戦略の片棒を担ぎかねる危険があるということだ。日本の国益に関係のない紛争地域に米国の意向で派兵される可能性があるということだ。
 あくまで「日本の存立危機」に対処する法律でなければならないが、その点がもう一つ明確ではない。識者の幾人かは「この法律では日本政府は米国の自衛隊派遣要請を断れない」と述べている。筆者もそう思う。
 これでは首相がいくら「日本の民主主義体制」「集団的自衛権は日本の安全をより強国する」と言っても、首相自身が十分な議論を封じ、前ばかり見て突っ走り、民主主義制度の根幹をなすディベートを拒絶している印象を強く与えている。さらに自らの軍備拡張と国際法を無視している中国の共産党政府に格好のつけいる隙を与えたことになった。
 国会の「自民党1強」状態は、衆院選で過去最低の55・66%という低投票率と、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区の特性によるところが大きい。12年の衆院選で、自民党の得票率は48%と半数以下だったが、議席占有率は76%に及んだ。自民党の総得票数は、09年の衆院選から3回続けて減っている。
 若者や主婦らノンポリ大衆の政治の無関心や野党の体たらくに助けられた、といってもいい。安保法案をめぐる若者のデモ、特にその先頭に立ったSEALDs(シールズ)との関係を強め、選挙戦略の一環にしようとする野党民主党の体たらくは目に余る。独立心を持ち、現実に沿った政策を立案してこなかった民主党の責任も大きい。
 また、安保法の成立に賛意を表明している産経新聞の有元隆志・政治部長が「デモ参加者たちが民意を代表しているのではない」「目を覆いたくなるような議会の状況である。これが『良識の府』『再考の府』といわれてきた参院であろうか。とても子供たちには見せられない光景だ」と述べている。
 産経の別の記事では「(安保関連法案の反対)集会を主催する(した)護憲団体の1つ『戦争をさせない1000人委員会』の男性は『安倍政権はファシストだ。身近に戦争とファシズムが迫っている』」と紹介している。
 産経のこの一連の記事自体を読んで、「こまったことだ」と感想を抱いても、この一連の記事を出してくる意図に一抹のうさん臭さを感じる。これは議論ではなく、相手を貶め、この法律の賛成に肩入れする意図があるように思う。これでは民主主義の議論にはならない。
 同じことが安保関連法反対派の発言にも言えるのではないのか。「安倍政権はファシストだ」という前に、冷静に疑問点を相手にぶつけて議論を深めていくべきだ。
 安保関連法は成立したが、この法をこれからどのように扱うかは国民次第だ。修正するにも廃案するにも今後の日本の有権者の政治意識と総選挙への参加意識、異見の持ち主への中傷ではなく、ディベート力が試されると思う。

コーギー犬と人生を歩んだエリザベス女王 在位期間最長記録を樹立

2015年09月09日 14時33分18秒 | イギリス王室
 エリザベス女王が9日、王室の在位期間最長記録を更新した。これまでの記録保持者はビクトリア女王の63年216日。英国が大英帝国として世界に君臨した19世紀の君主だ。
 ビクトリア女王の在位記録を更新するエリザベス女王は、正確に言えば、エリザベス2世である。エリザベス1世は16世紀後半のイングランド女王で、1588年に当時欧州最強のスペインの無敵艦隊を撃破した時にその先頭に立った。生涯独身だったエリザベス1世は歴代の君主の中でも最も英邁な元首であり、国民の人気はたいへん高かった。
 エリザベス2世は1世に勝るとも劣らないぐらい英国民に親しまれている。本来なら女王になることができる境遇になかった。
 エリザベス2世の父親はジョージ6世。彼の兄、エドワード8世は、父親のジョージ5世の逝去(1936年1月)を受け、国王に即位。しかしエドワード8世が、イギリスと対立しつつあった独伊の独裁国家に親近感があるような態度をとった上、離婚経験のあるアメリカ人女性のウリス・シンプソン夫人との結婚をほのめかした。このため、スタンリー・ボールドウィン首相ら保守党幹部や世論に退位を迫られ、同年12月に退位することとなった。そして、エリザベス2世の父が即位して、ジョージ6世となった。
 もしエドワード8世が、国民に祝福された結婚をしていれば、当然子どもが生まれただろう。その子が君主になるのだから、エリザベス女王(2世を省く)が君主になるとは英国民の誰もが予想していなかった。
 誰もが君主になることを予想していなかったエリザベス女王は犬好きで、コーギーは女王の愛犬として広く知られている。2012年に開催されたロンドン五輪の開会式の映像で、女王の周りを歩いていた愛らしい犬の姿を覚えている人は多いのではないだろうか。
 女王自身はコーギーを「家族」と呼んでいる。幼いころから89歳となった現在に至るまで、人生の大半をコーギーとともに過ごしてきた。女王に即位してから飼ったコーギーの数は、実に30匹以上。一時は13匹ものコーギーを同時に飼育していたという。エリザベス女王の周囲に群がる犬が一斉に移動していく様子を、故ダイアナ妃は「動くじゅうたん」と揶揄したほどだ。
 現在飼育している2匹のコーギーは、エリザベス女王が18歳のときに飼い始めた犬から数えて14代目の子孫になる。エリザベス女王は、史上最長となる在位期間をコーギーとともに歩んできたといっても過言ではない。
 コーギーは、王室メンバーの一員としてVIP待遇を受けている。ロンドンのバッキンガム宮殿内には「コーギー・ルーム」と呼ばれる専用の部屋を特設。最も多いときには、6名のスタッフが世話をしていたという。ただ、あまりに元気がよく、人を追い立てたり、噛んだりする「腕白犬」で、王室の人々から敬遠されてきたという。
 故ダイアナ妃の執事を務めたポール・バレル氏は、宮殿の階段で9匹のコーギーに追い立てられて転倒した末に気絶した経験があると告白。「(王室関係者の)皆がコーギーを嫌っていた」と述べている。 
 エリザベス女王が飼育したコーギーたちはこれまでに、王室職員、郵便配達の職員、警察官、女王の母親のクイーン・マザーの運転手などを噛んだ「前科」があり、1991年には、十数匹のコーギーが喧嘩しているところを仲裁に入ったエリザベス女王の手さえも噛んでしまったという。
 女王がコーギーを飼い出したのは、今から80年以上も前。女王がまだ少女だったころにジョージ6世(当時はヨーク公爵)がプレゼントしたのだが、このプレゼントの背景にはひとつの悲しい物語があった。
 女王が幼児だったある日、テルマ・エバンズという名の9歳の女の子が飼っていた愛犬が車にひかれた。この車の所有者はヨーク公爵だった。心を痛めたヨーク公爵は、この女の子に新しい犬を贈った。その後テルマは大人になり、犬のブリーダーとして働き始めた。
 彼女が飼育に力を入れ、その魅力を広く伝えようとした犬種がコーギーだった。やがて著名なブリーダーとしての地位を確立したテルマは貴族から注文を受けて自身が育てたコーギーを提供。この貴族の家を訪れたエリザベス王女(当時)とその妹のマーガレット王女が、コーギーをいたく気に入った。
 親交のあったこの貴族の紹介を受けて、ヨーク公爵は後日、テルマに対し、コーギー数匹を連れて自身の家族の元まで訪れるよう依頼。その中から選んだ1匹が、女王が初めて飼うコーギーとなった。このコーギーは、公爵(英語でデューク)から名を取り、「デューキー」と名付けられた。
 後に国王となったヨーク公爵に対して、テルマは、自身が過去に犬をプレゼントしてもらった少女であることを告げぬままであったという。ジョージ6世が逝去した後、このエピソードを記した本が出版され、皆に知られるようになった。
 コーギーの愛称で親しまれるこの犬種の正式名称は「ウェルシュ・コーギー・ペンブローク」。ウェールズ地方原産の品種で、牧場に放牧されている家畜を誘導したり、見張ったりするための牧羊犬だ。
 コーギーの動きは俊敏で運動量が豊富、小型犬であるにもかかわらず吠え声は大きい。毛深いので寒さに強く、山道や沼地を歩くのが大好き。
 筆者は1980年秋からウェールズに9カ月間住んだ。休日には、学生寮を出発し、牧場を横切って散歩した。その時、コーギーをよく見かけた。ただ、当時、その犬がコーギーとは知らなかった。
 スコットランド特有の厳しくそして広大な自然 が広がるハイランド地方のバルモラル城で山道を散歩することを趣味とする女王にお供するには、最適のペットである。
 コーギーはエリザベス女王とともに英国の歴史を刻んできた。ウェールズで生まれ、スコットランドの山奥を駆け回り、女王とともにバッキンガム宮殿で暮らしてきた。史上最長の在位期間を誇る女王の側近中の側近なのかもしれない。女王陛下のさらなる長寿を祈ります。
 
(注)英国の邦字紙である生活情報誌を参考文献として引用した。