英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

ストレス解消のひとつは読書  偉大な読書家だった英宰相チャーチルが語る

2019年09月16日 09時44分59秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
   チャーチルは、懸命に働く人々がストレスから解放される一つの方法として読書を薦める。読書は、歴史家や科学者、哲学者や詩人ら先哲の晴らしい知識やアイデアを手に入れ満足感に浸るとき、精神的な安らぎを感じると語る。
  19世紀後半~20世紀初頭に活躍した新聞記者で、自由党の政治家だったジョン・モーリー子爵の読書についての考え方を紹介し、「5千冊を下回るくらいのほんのちょっとの冊数を読むことは心の慰めになる」という。5千冊を「ほんのちょっとの冊数」だと言ってのけるほど読書家だった。
  ただ、膨大な本を精読したのかといえば、どうもそうではなかったらしく「私たちが持っている全ての本をどう読むか」との質問に対するチャーチルの答えはこうだ。 
  「全ての本を精読することができなければ、本に触れて愛でなさい。じっと見なさい。それからどのページでもよいから、まず開けなさい。そして拾い読みして目に留まった最初の文章をじっくり読みなさい。それから、ほかのページを開きなさい。たとえて言えば、海図のない海を探索して、発見の航海にするのです。終ったら本棚に戻しなさい。本棚を整理し、すぐ目的の本を取り出せるようにしなさい。内容が詳しくわかっていなくても、その本が本棚のどこにあるか直ぐにわかるように。もし本が諸君の親友でないのなら、とにかく知り合い程度で十分です。少なくとも知り合いだと認める程度まで読みなさい」
  本を多読、精読しても、そこに何か自分の心に響くものを発見できなければ何の意味もない、とチャーチルはいう。その意味で少年に多読を勧めていない。数多くの良書を読むことも禁じている。
  チャーチルは「本から受けた最初の感銘こそが大切だ。少年時代の読後感が浅ければ、本とはそんなものかと感じ、本に期待することもなくなる。……老人が食べ物を食べるのに細心の注意を払うように、少年は読書に細心の注意を払うべきだ」と強調している。
  チャーチルは読書の長所をこう述べているが、読書の短所も一つだけ指摘している。それは頭脳労働に近いため、人によっては気分転換にならないことだ。だから、体を動かす手仕事を見つけることの大切さも若者に語っている。
 私の知る限り、大政治家は例外なく、読書家だと思う。戦前の犬養毅や高橋是清にしてもそうだし、戦後の中曽根康弘元首相や石橋湛山にしてもそうだ。
 現在の政治家はどうだろか。選挙に勝つことばかりうつつを抜かして、地元の支援者回りばかりしている政治家が多いと聞く。これでは読書する時間もないだろう。
 世の中が平和な時は、政治家は誰がなっても大差はない。しかし、市民や国民、国家の難局の時は、勝海舟のような膨大な知識を駆使して危急存亡の秋に対処する政治家が必要だ。チャーチルも第2次世界大戦の指導者として英国民に「勇気を出せ」と激励した。
 チャーチルの読書観を拙書「人間チャーチルからのメッセージ 不安な豊かさの時代に生きる私たち」(2017年12月刊行、アマゾン、紀伊國屋書店などで販売)から抜粋した。読者の参考になればと思う。

せっかちで、瞬間湯沸かし器    20世紀の大宰相チャーチルの性格

2019年09月08日 12時51分58秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
  20世紀を代表する英国の宰相ウィンストン・チャーチルは、たぶん第2次世界大戦がなければ、並の政治家で終わったでしょう。まさに国難に際してのみ、政治家の能力を発揮できる人物だったと思います。それはリスクを恐れない勇気と決断力、実行力に富んでいたからです。平和な時代の政治家にとって、これらの政治能力は時として過激な行動や発言をしたと見なされ、政界の隅に追いやられることがあります。まさに時代の落とし子ではなかったでしょうか。
  チャーチルを通算20年間警護したウォルター・トンプソンの書籍やこの異能の政治家の著書などから判断すれば、彼はせっかちで、瞬間湯沸かし器でした。一言で言えば短気でした。
  また大嫌いなことには、素直に自分の気持ちを相手にぶつけた。決して遠慮しなかった。この点では異質の英国人です。平均的な英国人は日本人と同様、本心を明かしませんし、遠慮深いです。悪く言えば、何を考えているかわからないつかみどころのない人々です。英国人(イングランド人)の国民性だと言うことができます。
  拙書「人間チャーチルからのメッセージ」(2017年12月刊行)にも書きましたが、チャーチルの明けっ広げの性格を表すエピソードがあります。
  これは第2次世界大戦中のこと、首相官邸近くの通りを歩いていたとき、向こうから15歳ぐらいの少年が両手をポケットに入れ、口笛を吹きながらやって来ました。通りいっぱいに響き渡る大きな音で、何かうれしいことでもあったのか、機嫌のよい表情を浮かべています。チャーチルはかん高い音がする口笛が大嫌いでした。側を通りすぎる少年に「口笛を吹くのをやめなさい」と大きな声で怒鳴りました。
   警護のトンプソン警部は驚いたような表情を見せましたが、少年はまるで意に介さず「どうして、おじいさん」とけげんな顔で尋ねました。「口笛が大嫌いだ。本当に不愉快な音だからやめなさい」と声高に言い返す。少年は足を止めずにさらに数歩歩いた直後、振り向きざま「そんなに嫌なら、どうして耳をふさがないのさ」と言い、力いっぱい口笛を吹きながら歩いていきました。意表をつかれたチャーチルの顔は怒りに青ざめていました。
   トンプソン警部と外務省の敷地に入ると、先ほどまで怒り心頭だったチャーチルが笑みを浮かべはじめ、少年の言葉を口にしました。「そんなに嫌なら、どうして耳をふさがないのさ」。その言葉を繰り返すうちにクスクスと笑い始めた。警部も首相の顔を見ながら笑みを返しました。
 トンプソン警部は「カッとなるが、悪意はない。冷静になるとユーモアのセンスがあるため、すぐにユーモアできりかえしてくる」と語っています。
このエピソードから、チャーチルがわれわれと同じ長所と短所を兼ね備えた平凡な人物だと理解できます。だからこそ魅力的なエピソードが数多く生まれ、それが英国民を魅了しているのでしょう。拙書にもそれをいくつか書きましたが、私も魅了された一人です。

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日本の若者よ!人生は一度だ。現状に甘んじないでチャレンジ精神を持って進もう。

2016年10月02日 12時06分46秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
 このところ若者の自民党支持が強まっている。二階俊博自民党幹事長が同党の徳島県連大会で「私が(幹事長に)就任した時、調べたら党員数98万ちょっと、100万に2万足りない。大騒動して2万人募集するのはみっともない。そうっとしている間に集まった。ごく最近、今日ここで公に初めて発表できるが、おかげさまで100万人を超えた。党の元気、勢いが政策を実現する上でも一番大事だ」と喜んだ。筆者は社会が変化しているのを感じる。良い意味ではなく悪い意味で。
 1980年代まで、若者は現状を打破する政党を支持し、中高年は現状維持の保守を支持した。それが健全だと思う。若者はいつの時代もチャーレンジ精神がなくてはならない。既得権益を護るという人間の本性をさらけ出すのは中年から上の人で十分だ。
 中央大学文学部教授の山田昌弘さんは、社会に対する満足度を調べた。20代の満足度は40、50代はおろか70代以上も上回り、全世代で最高だと話す。70年ころまでは一番低かったのと比べると、大きな変化だ。
 山田さんは「結婚するまで親と同居する『パラサイト』(寄生)が増え、今や独身者の8割。親が住居費を負担し、収入の割に可処分所得は大きい。学卒後は別居するのが普通の欧米と決定的に違う」と語る。
 将来について、日米独韓など7カ国の比較調査で、「将来に希望を持っている」日本の若者が6割、「社会は変えられると思う」が3割で、いずれも最低。少子高齢化で成長は望めず、年金も危うい社会が、彼らの不安な気持ちを投影しているのだろうか。。
 日本社会では、安定した生活への近道は「男性は正社員、女性はその妻になる」ことだという。そして正規雇用は3分の2、非正規が3分の1となっており、高度成長期なら誰でもなれた正社員は今や既得権だ。
 学生が欲しいのは「プチ満足」だと話す山田教授。「日々接して痛感します。大それた夢を持たず、正社員になってパラサイトし、将来は家庭を築いて親と同程度の暮らしを得るのが目標。この基本構造が変わらぬ限り若者の保守的傾向は続くと思います」
  平野浩・学習院大学法学部教授が参加している「投票行動研究会」は、国政選挙での投票行動を調査した。平野氏によると、55年体制時代は年齢層が高いほど自民党支持率が高く、一方で若い層ほど低いという明確な関係があった。例えば1976年には、50代の自民支持は4割を超えていたのに対し、20代は、どの世代よりも低い、2割弱にとどまっていた。これに対して、今年7月の参院選では、朝日新聞の出口調査で、比例区での自民への投票率は18、19歳は40%、20代は43%に達し、20代は他のどの世代よりも高い。
 なぜ、こんな調査結果になるのか?北九州市の小倉高校3年生の安永彩華さんは朝日新聞記者の取材に「日本の教育に問題がある」と答える。「中学の時、『前髪が長すぎる』と言われた子が『先生だって長いのに』と反論すると『何を言っているのか』」と叱られたんです。『なんで?』と聞いても、理由は説明してもらえず『なんでも』と返される。最終的には、内申書に響くのが嫌で黙ってしまう。やがて、そういうものだと疑問を持たなくなります」
 現在の若者は冒険を嫌う。勇気を出してリスクを取る人生を嫌がる。一方、勇気を出してリスクを取って人生を歩む若者の数は現在よりも40年前のほうがかなり多かったと思う。作家の故小田実氏の「何でも見てやろう」に触発されて、青年は荒野を目指したものだ。
 筆者もその一人で、大学時代欧州と北アフリカをヒッチハイクとユーレールパスを利用して回った。モロッコのタンジールに向かうため、地中海を渡り、強い太陽の光線が照り返すアフリカの大地を見たときの感激を生涯忘れない。ただ、現在の若者の現状追認を批判することは容易いが、批判ばかりはできない。 
 日本の教育が「上位下達」だからだ。教壇の先生から生徒への一方通行だ。双方向授業ができない。安永さんの話を読むと、なるほどと思う。先生の姿勢が変わらなければならない。「なぜ」の授業が重要だ。先生と生徒が授業を通して「なぜ」を議論する。これなくしては、若者の意識も変わらないと思う。
 中高校の教諭が生徒の自発心や自考心を引き出す授業をしてほしいと切に願う。このブログはチャーチルのブログなので少しばかり、チャーチルの勉強方法をお知らせする。
 彼はパブリックスクール(現在の中高一貫校)で落第生だった。大学に行かずに陸軍士官学校に入学した。それも2度失敗して3度目に合格した。
 チャーチルのパブリックスクールでの成績は悪く、いつも先生から叱られ「怠け者」との烙印を押されたが、いつも物事を自考し移り変わる環境に「なぜ」と問うていた。彼は上から教えられることを嫌った、と晩年話している。
  彼は歴史が大好きだった。ただ、学校の授業は歴史の抜粋だけを読み、年号や人名、事件の背景を覚えることに大半の時間を費やすので好きではなかったという。
 ローマ帝国衰亡史やナポレオン伝を読むときは、その中に出てくる人物と対話し、ページの隅に自分の見解を走り書きしたという。「彼の行動はコウコウで間違っている。わたしならこうした」などと。
 チャーチルは「先生の話を鵜呑みにしないで、自分で考え、先生の意見に反論するときには反論することが大切だ」と述べ、それが将来、社会に出たときに役立ち、遠大な目的に向って進む原動力になると強調する。
 チャーチルはどうにもならない生徒がいる「がらくたクラス」に入れられたが、ソマーベル先生に出会った。先生はチャーチルやほかの「がらくたクラス」の生徒の性格と真意を見抜き、「生徒自身が考える授業」をした。
 チャーチルは晩年、先生に心から感謝しているという一文を書いている。その授業が偉大な政治家の基礎になったという。「失敗しても良い。何度も何度も失敗してから成功があるのだ。最も大切なことは自ら考え、それを信じ、勇気を出してリスクを取る人生を歩いていくことだ」と力説している。
 安定した人並みの生活の送ることも大切だが、それに色を添えるのは、自分で考えて人生を歩むことだ。失敗は成功の始まりなのだと思う。
 チャーチルに成り代わってこう言おう。「ヤングマン、失敗を問わない。失敗してこそ成功がある。問題は勇気を出してリスクを冒しながら人生を進むことだ。遠大な目的を持て。そうすれば、自然はあなたの味方になる」

 議会に初当選した1900年のチャーチル(26歳)

リスクを恐れず勇気を示せ    ウィンストン・チャーチルの助言に思う

2016年06月28日 09時10分02秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
 20世紀最高の政治家の一人といわれるウィンストン・チャーチルほど勇気を示し、リスクを取った政治家はいない。2002年の英国放送協会(BBC)の番組「100人の最も偉大な英国人」で、英国民が投票した結果、ウィンストン・チャーチルが一位になった。確かに、チャーチルは白人優越の人種差別発言をしばしばおこない、今の政治家と違って世論調査を軽視した。自らの信念に従い、大衆の抗議に強硬な姿勢を示した。何よりも大英帝国の永続を望んだ帝国主義者だった。存命中に同僚下院議員や有識者、大衆から批判を受けた。それでも英国民は今日に至るまでチャーチルを英国の偉大な指導者だとみなしている。なぜだろうか。
 その大きな理由の一つはチャーチルが勇気をもって失敗を恐れずリスクを取ったからだ。現在の日本の政治家にない資質であり、英国のほとんどの政治家からもなくなってしまった政治資質だ。
 そのほかに現代の政治家に欠けていてチャーチルが持っていた特質は、国民を説得する弁舌だろう。チャーチルは国民の意見と対立した時、必ず大衆の前に現れ、その雄弁を持って大衆の心をつかんだ。そして自らの政策がうまくいかなかったとき、その理由を話した。 
 チャーチルは1932年1月4~5日にデイリーメイルに寄稿した小論文にこう記している。「自然は慈悲深く、人間やほかの動物がどうすることもできないことをあえて試すことはありません。・・・(だから)リスクをとって生きなさい。何が起こっても逃げないで立ち向かいなさい。勇気を持ちなさい。(そうすれば)すべてはうまくいくのです」
 チャーチルは生涯、少なくとも5回死に直面した。それは交通事故、戦場、病気などだ。また少なくとも6回総選挙に落選した。このような体験から、15年以上チャーチルの身辺警護を担当したトンプソン警部に「死は神様の領域。死ぬ時が来れば死ぬ」と話す。つまり死を自らコントロールできないと述べている。
 チャーチルは1934年6月、英雑誌「アンサーズ」にも「わたしはいつもリスクをとる」のタイトルで寄稿し、その冒頭にこう記している。「われわれは今日、『安全が第一』という言葉をよく聞く。道路を横断するときに従う素晴らしい原則である。・・・また『安全が第一』を志向する政治家の政治活動にも非常に役に立つだろう。しかし、そんな政治家は閣僚になることを目的とし、閣僚に引き上げられれば、そのポストを多年にわたって保持することに努め、際立った仕事もせず、閣僚の責任だけを果たし、内閣維持の保証者として働くだけなのだ。しかし生涯にわたって『安全が第一』に固執するかぎり本当に価値のある仕事はできないし、立派な業績も残せない。それは政治家同様、市井の人々にも当てはまる」
 また「人生はスポーツの試合のようなものであり、勝敗が伴い危険が存在すると記している。スポーツプレーヤーは試合中、思いもよらずに怪我をする場合もある」と記している。
 第二次世界大戦中、英宰相として戦争を指導し、「安全第一」の将軍を最も嫌った。その中に、北アフリカ戦線を指揮したハロルド・アレクサンダー陸軍大将がいた。筆者から見れば、アレクサンダー将軍は臆病だったのではなく、「安全第一」だったのではなく、十分に戦力が整い100%勝つ見込みができるまで動かなかった典型的な英国人気質をもった将軍だった。しかしチャーチルの目には「安全第一」と映った。アレクサンダーの後任のウェーベル将軍にも何度となく、戦力がある程度整えば機を逃さず攻撃すべきだと電報で何度も催促した。英国では、攻撃・退却の最終決定権は首相にあるが、チャーチルは前線の最高司令官の決断を尊重した。
 筆者は今日、チャーチルの上記の言葉を思い出しながら、英国のデービッド・キャメロン首相と日本の安倍首相を比較している。キャメロン首相は政治生命をかけて、欧州連合(EU)の移民政策や主権制約問題などで不満を抱く国民に、EU残留の是非を問う国民投票を実施した。実施する必要もなかったが、勇気とリスクをとって英国民からEU残留の信任を取ろうとした。しかし離脱派が小差と言えど勝利し、キャメロン首相はその責任を取り辞任した。
 これに対して、安倍晋三首相は現実を無視し、参院選に勝とうと思うあまり消費増税10%を先送りした。日本は約1100兆円の借金に苦しんでいる。
  昨日、大手銀行の行員と話す機会があった。筆者は消費増税の先送りについて尋ねた。行員は「このまま政府が果断な政策を取らなければ、あと10年もすれば日本国民の総預貯金と日本の借金が同じ額になり、その後、政府が外国からお金を借りるようなことになれば、日本経済は本当の危機になるでしょう。そして経済破綻だけが待っています。国民の預貯金はハイパーインフレにより紙くず同然になります」と話し、長期的には日本の将来は暗いと示唆した。
 その若い行員は「他業種に就いた大学時代の親友はこの問題を深刻には考えていません。この暗い現実を実感しているのは金融に務めている連中ぐらいでしょう」「水面下で進行するガンは、痛みが現れるまで患者は分かりません。わかった時は手遅れです。日本国民も同じです。深刻な痛みが伴うまで、人間はどうしても容易な道に流れていきます」と話した。
 「多くの日本国民は日本の借金に実感がわかず、迫りくる危機に無頓着です」と大手銀行の行員が話すように、大衆は目の前に現れたことのみに従って行動する傾向が強い。一方、大衆を恐れる安倍首相や政治家は自分かわいさに有権者や国民に「先見的な見解や見通し」を述べることを恐れる。今日ほど政治家が大衆に迎合し、大衆の顔色をうかがい、世論調査に振り回されている時代はない。
 チャーチルは、自らの先見性や信念を国民に吐露し、説得し、理解を求め、大衆を納得させ、その先頭に立って難局を切り開いていった。キャメロン首相は英国民を説得できなかったが、勇気を抱きリスクをとった。安倍首相は勇気もなくリスクも取らず、説得することもしなかった。
 日本国民の悲劇がここにある。どうしてこんな質の悪い政治家ばかりになってしまったのだろうか。こればかりか解けない難問だ。
 
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支持率を気にしなかったウィンストン・チャーチル  日本の政治家は世論の風向きだけを気にしている

2016年06月03日 09時23分18秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
「日本の権力者の多くは平気で公約を破り、前言を翻す。残念ながら安倍晋三首相もその系譜に属する。消費税の引き上げをまたもや延期する。『再び延期することはない』と断言した2年前の言葉がなお耳に残る。原発事故の汚染水問題を『アンダーコントロール』と言い切り、経済の現況を『もはやデフレではない」と決めつける。9年前には『全身全霊をかけて内閣総理大臣の職責を果たす』と誓って翌々日に投げ出した』

 6月1日付朝日新聞の社説だ。筆者は朝日新聞の論説委員のように、必ずしも当初の政策を、後日変更する政治家を批判しない。客観的な社会・国際環境が変われば、政策を変更するのは当然だ。ただ、日本の政治家の多くはそのような変化に基づいて当初の政策を変更するのではなく、自分の首が飛ぶか飛ばないかを中心に据えて政策を変更する傾向が強い。
 日本の大多数の政治家は選挙の当落を最優先にするため、絶えず世論の風向きを気にする。支持率を気にして、時として大衆にすりよることさえする。大衆が好む政策に基づいて行動を起こす。言い換えれば、確固とした政治信念がない。国民への使命感や高い志がないため、私利私欲に走る。政治資金規正法などのザル法をうまく利用し、公金を私利のために使い込む。
 一方、世論は目の前の出来事に目が向きがちだ。長期的な目では見ない。情に流され、立候補者の肩書や、俗にいう”有名人”に惑わされ、政治家としての資質を観察しない。
 毎日の生活に追われている大衆に先見性(Foresight)がないからこそ、政治家が国家に必要であり、彼らがその任を担っている。
 政治家は長期的な展望に立ち、広い視野から政治戦略を練り、それを国民大衆に提示し、短期的な展望しか持たない人々を説得するのが主要な仕事の一つではないのか?
 20世紀の偉大な政治家の一人だと誰からも言われ、2002年の英国・BBC放送の調査で、英国の歴史上の偉人100人中1位だった英宰相ウィンストン・チャーチルには、多くの美点や欠点があった。
 美点のうちで称賛すべき一つの特質は支持率を気にしなかったことだ。60年以上にわたる政治生活の中で、世論の風向きに注意を払わなかったと言い換えたほうが適切な言い方かもしれない。
 チャーチルは政治家の資質に不可欠なものとして「歴史への深い洞察」「哲学や文学作品をたくさん読んで自らの血肉とする」ことを挙げている。
 彼は晩年の1953年(当時79歳)、20歳になるかならないかのジェームズ・C・ヒュームズ氏に会い、「歴史を勉強しなさい。歴史を勉強しなさい。歴史には、政治手腕や国政術を磨く秘密がたくさんある」とアドバイスした。孫の年齢に相当する青年に歴史に学ぶ重要性を説いた。
 ヒュームズ氏は米国の歴代大統領 - アイゼンハワー、ニクソン、フォード、レーガン - のスピーチライターを務め、作家になり、米国で晩年を送っている。
 チャーチルは名スピーチライターであると同時に政治資質に長け、とりわけ政治信念があった。英国人の大多数は1930年前半から半ばにかけて、ヒトラーを危険視していなかった。ヒトラーを批判し、社会主義を批判し、英帝国を擁護するチャーチルを「右派」とみなした。
 1936年7月20日の議会で、ヒトラーについての見方が間違っていることがはっきりするならば、ヒトラー支持者からの「勝どき」に耐えると告白した。
 チャーチルは結果がどのようになろうと自らが信じたことを発言した。誤解を恐れなかった。信念で動き、それでいて社会・国際環境が変われば、政策を変えた。
 チャーチルは1901年に議会人になってから一貫して自由貿易主義者だった。このために1920年代初め、自由党から保守党に鞍替えもした。しかし、1930年初め、彼はこの政策を放棄した。それは大恐慌によるものだった。だからといって自由貿易の原則そのものを捨ててはいなかった。「一時退却」したにすぎなかった。政治信念を抱いていたが、社会情勢や国際情勢の変化には柔軟だった。歴史の変化や時の変化に柔軟に対応しなければ、国民を塗炭の苦しみに突き落とす、と17世紀後半の英国の名政治家、初代ハリファクス侯爵は話した。その教えをチャーチルは理解していた。
 1950年初め、冷戦が最高潮を迎えた。再度首相に就任していたチャーチルは1951年10月23日、米国のプリマスでソ連と西側との歩み寄りを促した。チャーチルの考えは、米政府や彼の所属する保守党、英政界にとり、はた迷惑な行為だった。黙って国内政治と帝国経営に専念してほしいと思っただろう。しかし、チャーチルは「政治家であるかぎり、公の仕事しているかぎり、それが正しかろうが間違っていようが、誠実に自らの政治信念に従った」と話した。
 「わたしは第3次世界大戦を防ぎ、恒久の平和を引き寄せるために何らかの貢献ができると信じたからである」。若い頃、戦場を駆け廻り、自らも「戦争好きの冒険屋」と自称した元軍人のチャーチル少佐は、原子爆弾の出現が戦争を不可能にしたといち早く確信した。もはや戦争が国家の外交手段の一部にはなり得ないと誰よりも早く悟った。
 チャーチルは自らの見識や見通し、洞察力や先見性を披露することで閣僚や官僚を束ねた。チャーチルは批判や非難を喜んで受け入れた。批判は相手の率直な気持ちであり好意だと思った。批判や糾弾は議論につきものであり、当然だと考えた。またリーダーは批判を恐れてはならないし、それを喜んで受け止め、批判者を説得する技を磨く絶好のチャンスだと考えた。
 ノーマンブルック男爵 (1902~1967)は自伝の中で盟友のチャーチルについて次のように評した。
 「彼はいつも進取の気性の持ち主であり、誰からの意見にも耳を傾けた。特に彼が信頼する人物からの助言や判断に従う心構えがあった。いったん決心したことを、思い直させることは不可能に近かった。しかし決心がつくまでは、他人の見解や助言に耳を傾け、もし新しい証拠や議論がもたらされる場合は自分の意見を変えた」
 チャーチルは「わたしは首尾一貫した言行の人であるよりも事実や道理を理解する人でありたい。判断や行動が正しい人でありたい」という言葉を好んだ。また「人生では、しばしば自らの過ちを謙虚に認めることは大切だ。そうすることで、いつも健全な精神を心に宿すことができると思う」と思っていた。
 頑固でかたくなに自分の意見に固執し、それが絶対に正しいと思い込み、そして他人の意見に左右されない人には言えない言葉だ。議論しても自分の見解を決して変えない人には言えない言葉だ。批判を嫌がる政治家にはチャーチルのような発言は思ってもみないだろう。
 風の便りでは、安倍首相は頑固で頑なに持論を展開し、自分の意見が絶対に正しいと思い込む傾向が強い人物のようだ。
 安倍首相は消費増税10%を延期することで、アベノミクス失敗のリスクを回避した。消費増税10%を予定通り実施すれば、自らが唱えたアベノミクスが失敗する可能性が高まることを恐れた。
 消費増税10%実施による社会保障の充実と個人消費のさらなる冷え込みの可能性との矛盾を考えながら今後の経済政策をどうするかについての徹底した議論が与党から聞こえてこなかった。
 消費増税による7月の参院選の影響が心配だけなのではないのだろうか。与野党を問わず国会議員の最重要課題は自分の首をいかにしたらつなぎとめるかということだけだろう。
 現状を分析しながら政策を議論し、それを有権者に提示して説得し、その暁に有権者の支持を得ようとするのではなく、有権者の支持を得られるような政策を立案しようとしている。その政策が現実とかい離して実現が危うかろうが、そんなことはどうでもよい、選挙に勝てばすべて良し、と考えているのではないのか。
 英国・名誉革命を指導した初代ハリファクス侯爵は「政治家が人気(支持率)を求めようとした瞬間、犯罪者になる。良い仕事をして初めて支持を得ていると気づいたとき、美徳となる」と指摘する。侯爵の言葉を借りれば、今の与野党の政治家の大多数は「犯罪者」だということになる。

写真:大衆を前に演説するチャーチル首相

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