英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

ゼロコロナ政策に抗議する中国国民  歴史の大流は習総書記と共産党に味方していない

2022年11月29日 16時01分49秒 | 書籍紹介と書評
 中国政府によるゼロコロナ政策への抗議活動が中国各地に広がっている。「習政権は退場せよ」「共産党は退陣せよ」とのスローガンが叫ばれているという。
 「習政権は退場せよ」というスローガンは驚きはしないが「共産党は退陣せよ」には驚く。1949年に毛沢東が天安門の楼閣の上から新中国誕生を宣言してから、初めてではないだろうか。
  興梠氏をはじめ中国の専門家は共産党没落に至らないと解説している。確かに短期的にはそうだろう。しかし長期的には、中国共産党の終わりの始まりなのかもしれない。
  1990年代後半に始まった通信革命は中国共産党による徹底した監視社会を可能にした。蟻の這い出る隙もない監視社会を実現した。誰しも中国共産党の最大の核心的利益は保証されたと思うだろう。それは何か。永続的な中国支配だ。
  習近平・総書記の最大の核心的利益は「共産党による永続的な中国支配」だ。通信革命はそれを可能にしたとも言えるが、通信革命は中国共産党にとって、諸刃の刃だ。
  通信革命はスマホをもたらし、インターネットをもたらした。中国共産党がいかに言論統制を厳しようが、上手の手から水がこぼれるように中国国外から習近平や共産党に不都合な情報を中国国民は手に入れることができる。20世紀のように新聞やテレビを統制していれば、すべてが上手くいく時代は過ぎ去った。
  中国共産党と習近平・総書記は歴史の変化に気づいているのだろうか。メディアによると、習近平は中国モデルによる社会主義発展を主張し、西洋モデルを批判する。それは中国に適さないと強調する。西洋モデルは民主主義と自由、法治主義だ。
  果たして習近平の主張は正しいのか?私はそう考えない。習は大きな歴史の流れに逆らっている。そしていつの日か、習体制と共産党はそれに飲み込まれるだろう。民主主義と自由、法治主義、国際法への尊重、複数政党制は歴史の潮流だ。歴史の流れは壮大だ。それに逆らう者は滅亡する。
  東京・新宿駅の朝のラッシュ時間帯。通勤客は足早に私鉄や地下鉄からJRに向かって歩いている。まるで大きな川の流れのように通勤客の群れは帯状になって動いていく。
  この流れの中にいれば、流れからはずれるのは難しい。流れから外れようと思ってうまく脱することができたとしても、流れに乗りながら離脱していくしかない。思い立って直ぐに流れの外に出ることは難しい。もしこのような状況で、通勤客や観客の流れに混乱が起これば、将棋倒しのような大事故につながることは疑いの余地はない。
  これを歴史の流れにたとえる。歴史の大勢はわれわれの目にぼんやりとは見えても、それが何を意味するのかまでは理解できない。民主主義や自由は、歴史の「インパーソナル・フォーシズ」であり、歴史の流れの原動力になっている。歴史の大きな流れに逆らう中国共産党は、民主主義と自由・人権など、現在の「インパーソナル・フォーシズ」と激しく戦っている。
  人間と人間が無意識のうちにつくり出す環境(インパーソナル・フォーシズ)が歴史を動かす。このインパーソナル・フォーシズと人間が意識してつくり出すパーソナル・フォーシズの二つの要素が政府に影響する。そしてこの二つの要素から政府が政策を決定し、世論や環境に影響を及ぼす。ただ、政府の政策実行によってこの世論や環境は反作用の様にして政府の行動を制約する。この環境が長期的な歴史の流れをつくり出す。
  英国・ケンブリッジ大学のエバンズ教授は「歴史はパーソナル・フォーシズとインパーソナル・フォーシズの相互作用で動くのです」と話す。われわれの目にぼんやりと見えているが、意識しないと気づかない「インパーソナルフォーシズ」と、我々自身の行動によりもたらされる「パーソナル・フォーシズ」の相互連関作用だ。
  「もし諸君がそのような表現を使うなら、インパーソナル・フォーシズは慣性力(momentum)を持っていることは明白です。インパーソナル・フォーシズが自らの力をなにかほかのものに強いて、人間の行動に自由をもたらしたり、制約したりします。カール・マルクスは次のような有名な言葉を残しています。『人々は自ら歴史をつくる。ただ、自らが選択した条件で歴史をつくることができない』。これはまさに正しい。諸君がマルクス主義者でなくても、それを受け入れねばなりません」
  習近平や中国共産党はどれだけ情報統制をしても「歴史の趨勢」に勝利することはできない。習近平・総書記に助言する。あなたがマルクス主義者なら、一刻も早く、民主主義を受け入れることだ。さもなくがルーマニア共産党のニコラエ・チャウシェスクが30年前、独裁の塵と歴史の大流のなかに消えていったように、哀れな末路をたどるのは必至だ。
  思想、観念、イデオロギーのよろいで武装し、現実を無視ないし軽視して自らの野望に邁進する独裁者は例外なく歴史の流れに溺れて消えていく。それはインパーソナル・フォーシズの仕業なのだ。習近平・総書記は一刻も早く、それに気づかなければならない。

野田氏の安倍元首相追悼演説に、本来あるべき政治家像を見る

2022年11月05日 12時02分32秒 | 民主主義とポピュリズム
  先月10月25日の午後1時から衆議院本会議場で、安倍晋三・元総理を追悼した野田佳彦・元総理の演説を、読者の皆さんはどう思われたのだろうか?
  読者の皆さんもご存知のように、ことしの7月8日、安倍元総理は背後から暴漢に銃撃され亡くなりました。現職の国会議員が亡くなると、その議員が所属する院の本会議でライバル政党の議員が追悼演説する習わしになっています。戦後、衆議院では260回、参議院では172回行なわれてきました。
  今回、亡くなった安倍元首相は衆議院議員でしたから、ライバル政党の立憲民主党、その政党の最高顧問の野田さんが追悼演説をしました。安倍首相の妻、昭恵さんから要請があった、と新聞は報じています。
  野田さんの追悼演説の評価はどうだったか。昭恵さんの言葉がすべてを映し出していると思います。昭恵さんは国会内で野田元首相に面会しました。夫人は目に涙を浮かべて「先生にお願いしてよかった」と謝意を示したとのことです。
  私はSNSを読みました。8~9割の人々が、老いも若きも、野田元総理の追悼演説を評価しました。「言葉に魂が入っていた。想いが溢れていた」。読者の皆さんはどんな感想を抱いたでしょうか。
  私の個人的な意見を率直に言えば、「素晴しい」と思います。大げさに言えば「歴史に残る演説」だったと思います。私は今まで、死ぬまでに一度でいいから政治家の名演説を聞きたい、と思ってきました。「無理だろうな」と思っていましたが、思いが実現しました。
  野田さんの演説はバランスがとれていました。名演説でした。安倍さんの人柄、政治信条などについて好意的に話したと同時に、政治上の失敗を間接的に話しました。
  2人だけしか知らない秘話を取り上げ、歴史を紐解きました。「憲政の神様、尾崎咢堂(行雄)は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂(毅)を(1932年の)五・一五事件の凶弾でうしないました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。『人生の本舞台は常に将来に向けて在り』」
  とりわけ、野田さんが「遊説中に大失言」したことを謝罪しました。謝罪する機会がなく後悔している、と。野田さんの正直で実直な人柄が出ていると感じました。
  2人だけの秘話を2つ挙げ、その1つが私には印象に残りました。2012年12月26日、野田・民主党が総選挙に破れて、皇居での安倍新首相の親任式。前の首相は出席する必要があるんです。控え室に2人だけ。気まずい沈黙だけが支配していました、と野田さんは話します。
 「その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは安倍さんだった」「お疲れ様でした。野田さんは安定感がありました。私は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそう言う日が来ますよ」。
  しかし、森友学園、加計学園、桜を見る会の負の問題にも間接的に触れたのも、演説に客観的でバランスを与えたと思います。この一連の問題を「強烈な光も、その先に伸びた影」と話しました。与野党議員、故安倍氏に共感する人々にも反感を抱く人々にも、安倍氏に対して意見の違う人々にも共感をよんだ、と私は感じました。
  「安倍さんは歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です」「その『答え』は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません」。
  総理を経験した野田さんは自らにも問い続ける思いで、この言葉を発したのでしょう。宰相の宿命を話したんだろうと思います。首相の最終決断と、それに伴い歴史に対する責任を述べたのでしょう。
  そして、私が最も感銘を受けたのは「民主主義とは議論を戦わせることなんだ」ということを力説した箇所です。国会は与野党が政策論争をする場であって、決して政敵の挙げ足取りをする場ではない。野田さんは暗に自らが所属している立憲民主党の党員ひとりひとりに反省を促すと同時に、与野党議員全員に「民主主義とは何か」をもう一度考えてほしい、と語りかけていると思いました。
  現在の国会は揚げ足取りとポピュリズム場でしかない。野党は与党議員の揚げ足取りに終始し、与党自民党と岸田政権は、その場限りの政策を打ち出し、国民の歓心を買うことだけに目を向けています。長期的な視野に立って30年~50年先の国民の幸せを考えない。国民の反感を買う政策を打ち出す必要があると認識しても、国民感情を恐れて何もできない。野田氏は現在の国会のあり方を憂い、民主主義の心構えを議会議員と国民に語りかけたのです。
  野田さんは続けます。「あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです」
  同感です。100%賛成です。野田元総理の演説で私が思ったこと。政治家は中味のある演説をしなければならない。あるときは国民から反感を買う政策であっても、国民を説得する勇気を持たなければならない。そして、国難に際しては国民を鼓舞する。国民が政治家の演説に感動し共感してはじめて政治に参加し、政治家とともに歩むことができるのです。いかなる困難にも政治家とともに歩む決意をするのです。
  雄弁家の野田さんは最初から演説が上手かったわけじゃないんです。彼が千葉県議会に立候補する前、初めて政治家の道を歩み始める前、「演説が下手で困っている」と松下政経塾の塾長、故松下幸之助に相談しました。松下さんは現在のパナソニックの創業者です。
  松下さんは野田さんに「駅に立って大きい体と顔を覚えてもらったら」とアドバイスしたそうです。元首相の野田さんは地元・千葉県船橋市の駅前などで街頭演説を始めました。長年の努力のたまものが実り、野田氏は政界有数の「演説上手」として知られるようになりました。街頭演説を始めてから今日まで毎朝、駅前に立っています。
  余談ですが、僕が素晴しいと思う名演説は4つあります。イギリスのウィンストン・チャーチルの1940年6月4日演説、1963年のアメリカのキング牧師の人種差別反対演説、1961年の池田元首相の浅沼稲次郎・社会党党首への追悼演説、斎藤隆夫が戦前の1940年2月2日に衆議院本会議で行なった反軍演説です。軍が行なっていた日中戦争(シナ事変)を批判しました。彼は衆議院が追放されました。除名されました。言葉の恐ろしさを当時の軍はよく知っていたからです。
  政治家の命は演説です。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーのような、国民を煽る演説ではありません。中味のある演説です。国民を説得し、国民が納得して政治家とともに歩いていこうとする決意を抱かせる演説です。野田・元首相の演説は素晴しい、模範的な演説だったと思います。