英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

中国人を理解するには虚心坦懐の心   20世紀の文学者、林語堂が語る       「レーダー照射」エピローグ

2013年02月19日 21時34分07秒 | 歴史
  「お隣さんには参ったな。常識が通じない。独りよがりの言行ばかりだ」。人間関係においても、隣人の言行が自分とあまりにも異なっていると、こうぼやくことがある。しかし自分にとって「おかしなお隣さん」でも隣に住んでいることには変わりない。気長な気持ちで、忍耐して付き合っていかなければならない。中国との関係でも同じだと思う。日本人が、尖閣列島と日本列島とともに南太平洋に集団移住はできないのだから。
  中国人の国民性についてのマクマリーやタウンゼントが話しているのと同じ見方を、中国から日本に帰化し、中国文化・政治評論家として活躍している石平氏は抱いている。彼は著書で「中国人は“貴方が悪い”と非難し、日本人は“貴方に悪い”と一歩退く」と記す。
  われわれは中国人に対して、自らの意見を主張することだ。否、中国人だけでなくほかの民族に対してもそうすべきかもしれない。日本人が自らの思いを主張しないで、「わかってくれる」などと沈黙していれば、中国人には理解されず、間違ったシグナルを発信することになる。
  人間関係でも「相手に遠慮して暗黙の誠意を示せば自分を理解してくれる」と思い込み、相手の意志に従えば従うほど「つけあがってくる」人々がいる。中国人すべてがそうではないが、平均的な中国民族はそうなのかもしれない?
  20世紀が生んだ中国の偉大な文学者で評論家の林語堂(1895-1976)は、中国についてこう述べる。「確かに異なる文化を持つ外国、特に中国のような他の国家とは余りに違いのありすぎる国を理解するのは、凡人には荷が重すぎる仕事である」
  林は畳みかけるように述べる。外国人を理解するには「無私の態度と心に純朴さを持つことができた時に初めて異民族を理解することができるのである」「心の目で観察し、先入観を持ってはいけない」「子ども時代に培われた思想、文化、成功、宗教などに縛られずに虚心坦懐でなければ、中国(外国)を理解できない」。
  また、1940年と50年にノーベル文学賞候補にノミネートされた林先生は「中国を理解し世界の民族を理解する唯一の方法は、大衆の価値観を探究し、・・・男性の悲哀と女性の慟哭を通してのみ民族を真に理解できる」とも話す。
  われわれ日本人は「中国人」を「中国人」と呼ぶ。当然ではないか、とお叱りを受けるかもしれない。「中国人」は抽象概念であり、日本人ら外国人は中国を一つの文化にくくってしまう傾向がある。しかし、林先生は言う。「その枠をはずせば、北方の中国人(満州人やモンゴル人)と南方の中国人(福建人、広東人など)は体格も、気質、習慣なども全く違う。長江の東南流域の住民は、安逸な生活に慣れ、教養があり、世辞に長け頭脳は発達し、道を蔑(さげす)む性格の持ち主である。彼らは美食家で目先の聞く商人であり、優れた文人であるが、戦場では相手の拳が飛んでくる前に地面を転げ回って、泣きながら母親を呼ぶ臆病者である。かれらは晋代末期に北方より侵入してきた蛮族に逐われ、書画を携えて長江(揚子江)を渡り南下してきた教養ある漢民族の子孫である」
  林先生は中国諸民族の性格についてこう言及している。中国人の際だった特徴は、火薬の発明を爆竹につかう平和愛好家であり、三大性格は忍耐、無関心、老獪(ろうかい)だという。その性格は、数千年の文化と環境の中で育まれ、中国人の心理的な特性ではない他律的なものだ。
  中国人は儒家に、忍耐をもっとも大切な徳と教えこまれた。忍耐を培う中国人の学校は大家族制だ。今から約1600年前、唐の第3代皇帝の高宗は、宰相の張公芸に9代の家族が同じ屋根の下で暮らしている秘訣を尋ねたという。 張は皇帝に筆と紙を請い、100回「忍」を書いて示した。「百忍」は中国の道徳的な諺になっている。中国では、忍耐が最高の徳になってきた。
  林先生は言う。「中国人は100年にわたる西洋列強の半植民地支配に堪えた。西洋人が我慢できない暴政、悪政に耐えてきた中国人」
  林先生が欧米の人々に中国人を紹介した「My Country and My People」が1935年に出版された後も、中国人は忍耐してきた。(新中国、毛沢東時代の)文化大革命、大躍進、百家争鳴、反右派運動が次から次へと容赦なく中国人を襲ってきた。まるで圧制が自然法則の一部であるかのようだ。
  「中国人の忍耐と較べれば、キリスト教徒の忍耐はよほど短気に見える。恐らく中国人の忍耐は中国の景泰藍(けいたいらん=中国明の時代から作られるようになった工芸品)のように世界に二つとない」
  第二の中国人の特性は無関心だ。無関心は個人の自由が法律や憲法の保護を受けていないところから生じる。「個人の権利が法律の保障を得ていない社会にあっては無関心がもっとも安全な方法である」。林先生はこう述べる。
  林先生は英国の古典小説「トム・ブラウンの学校時代」を引用し、母親が息子のトムに「他人の質問には、顔を上げ、胸を張って、はっきり答えなさい」と訓戒をたれるところを紹介する。中国の母親なら息子に「他人のことに首を突っ込んではいけませんよ」というのが普通だ、と話す。
  中国人は単独で政治的な冒険をすることは、皇帝が君臨した時代も、現在の共産党の時代も同じように危険極まる行動だと考える。中国人は若いときに「公」の精神を持っていても30歳もなれば円熟し、無関心になる。家庭を守らなければならない。一般の中国人から見れば、中国の人権活動家は「円熟」の域に達していないのかもしれない。
  個人の権利が法で保障されていない社会では、公事に関心を持つことは危険きわまりないことだ。「管閑事」は余計なことに首を突っ込むなという意味だ。林先生は「中国の老人は身にしみてこのことを知っている」と話す。
  第3の特性は老獪。林語堂は「現在中国はすでに老齢の域に達し、・・・その魂の中には老犬独特の狡猾が潜んでいるのだ。その狡猾は非常に深い印象を与える。何と不思議な年老いた魂であることか・・・」と中国人を評している。
  老獪な人は豊かな人生経験を積み、老練で慎重、実利的で冷淡、進歩を懐疑する。体験と観察から勝ち得た人生観であり、中国古代の思想家、老子の精神に通じるという。「一卒を失いて全局に勝つ」「三十六計逃げるに如かず」「君子危うきに近寄らず」「一歩退いて考えよ」。 老獪は「中国人の最大の知恵」だという。
  老獪の最大の欠点は理想と行動を否定することだ。また人生の努力を徒労で無益だと断じる。冷淡で実利的な中国人の態度は老獪そのものだ。「四十にして老獪になれなければ、その人が低能でなければ、天才であろう」と、林先生は述べている。
  中国共産党が1949年に国民党を台湾に駆逐し、新中国が成立してから60年余が経つ。社会主義経済理論の生みの親、カール・マルクスが1840年に共産党宣言を世に出して170年余。これに対して中国の歴史は5000年。気が遠なる歳月が流れている。 
  モンゴル族や満州族などの北方異民族が中国・漢民族を征服しても、漢民族の文化、慣習、思想に飲み込まれた。同じように西洋人が創造した共産主義の独自性を、中国人は骨抜きにした。
  中国文化は、西洋人がつくり出した共産主義を飲み込んでしまった。汚職、縁故や人脈が共産党の屋台骨を、今日侵食しているのを目の当たりにするとき、すでに飲み込まれてしまったと見るのが妥当だ。
 中国共産党員は、経済発展に対して「中国の特色を持った社会主義市場経済」と呼ぶが、中国文化に飲み込まれた姿ではないのか。マルクス経済とは縁もゆかりもない姿に変貌した。
 中国は悠久である。中国史は悠久である。歴史の特質の一つである連続性の中に中国人は身を横たえ、自らの身の安全を法律に見い出すことができず、「賢人」の善政を追い求めている。昔は賢帝であり、今は共産党の指導者である。
 法家思想家、韓非が2000年以上前、著書「韓非子」で、法を国家統治の中心に据えるように説いたが、いまだ法は万人に平等に施行されていない。悠久の中国史を通して権力者の道具になってきた。今も昔も変わらない。
  韓非子が官僚の腐敗を嘆いたように、中国では2000年間、帝室が代わろうと、国民党が政権を握ろうと、国民党を倒した共産主義者の時代であろうと、多数の官僚は腐敗の海にどっぷりつかっている。清朝後期の林則除のような清廉な官僚を探すのには骨が折れる。
  林は1839年に広東に到着後、英国のアヘンを全て没収して処分した。広東の商人から賄賂を受け取り、アヘン貿易を黙認した多くの清国の官僚は、林則徐によりその金が絶たれた事を恨んだ。林則徐を要職(欽差大臣)から引きずりおろしたのは腐敗官僚であり、このことにより英国とのアヘン戦争(1839-42)に敗北したという説もある。
  新中国の建設者、毛沢東が1927年、国民党との内戦のさなか、解放軍将兵に腐敗を戒めた布告「三大規律八項注意」は闇のかなたに消えている。「三大規律八項注意」は(1)大衆のものは針1本,糸1すじもとらない(2)いっさいの捕獲品は公のものとするーなどを将兵に要求した。共産党の勝利と新中国統一は、腐敗した国民党軍と違って、規律と清貧を重んじた人民解放軍を、国民が支持したことが大きな要因だ。
  今日、人民解放軍は特権階級に登りつている。物資を横流しし、高速道をフリーパスで通過し、交通違反をしても警察官に注意されることはない。注意されるなら、「軍だ」の通行証を振りかざす。中国の悠久の歴史は、かつての規律正しい人民解放軍を骨抜きにした。
  1967年8月18日、赤い表紙の毛沢東語録を高く掲げた10代の紅衛兵約百万人を前に、天安門の楼上から毛沢東は叫んだ。大学受験に失敗した予備校生の筆者も北京放送から流れてくる毛主席の声を聞いた。「君たちは午前8時の太陽だ」
  「造反有理」を合言葉に文化大革命の先頭に立ち、すべての旧弊を叩き壊した紅衛兵はもう中国のどこにもいない。毛主席を慕った日本の「団塊の世代」も中国の紅衛兵も、毛主席が文化大革命を始めた年に間もなくさしかかる。自分を鏡の中に見て過去を振り返り、「我々は何をしてきたのだろうか」と、紅衛兵は自問しているだろう。
  社会主義は紅衛兵の希望であり、毛主席は輝かしい先生であり星だった。毛沢東の理想を実現するため、政治闘争の中で“反動派”(走資派)への苛酷な弾圧も遠い昔の出来事として、中国の歴史に刻み込まれている。まるで中国革命や文化大革命がなかったかのように、5000年の歴史が共産主義者を飲み込み、彼らを普通の伝統的な中国人にしてしまった。
  1930年半ば、林先生はこう予言した。「現在共産主義と非共産主義の2大陣営が中国の統一を争っている。統治階級の非共産政権は、時代の流れに逆らっている。彼らは反動的で、儒家思想を利用しているだけで、人々の支持を得られていない。日本侵略者と外国の動向が将来の中国の統治を決めるだろうが、共産党が天下を握っても、大衆の保守主義は永遠に存在し続けるだろう」
  林先生は、中国が社会主義社会になっても毛沢東の理想は実現しないどころか、5000年の歴史に飲み込まれると予言した。中国の慣習や文化は生き残り、その弊害は共産党を飲み込んだ。中国人の保守主義が共産党を飲み込んだのだ。 
  家族制度により親から権力を世襲した中国革命戦士の息子らは「太子党」と呼ばれている。コネや親族・姻戚関係だけで、良い職に就いている。腐敗・汚職は何ら2000年前と変わらない。中国革命は何だったのか?
 「共産主義政権が支配するような大激変が起ころうとも・・・それが古い伝統を打ち砕くよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし、共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしまうことであろう。そうなることは間違いない」。林先生の予言は的中した。
  「太子党」出身の共産党幹部は家族制度を政治に持ち込み、家の門札だけは共産主義者だが、中に入れば、中国人の文化や慣習、儒教などの古代思想の体現者につくり変えられてしまった。現在、「太子党」出身の習近平が強い権力を振りかざして中国を支配している。
  政治は「公」であり、家族制度は「私」である。林先生は「現代人の観点からすれば、こうした儒教の社会関係には、自己の社会の範囲外にいる人間に対して果たすべき社会責任が脱落している」と主張する。
  「家族はその友人とともに鉄壁を築き上げ、内に対しては最大限の互恵主義を発揮し、外に対しては冷淡な態度を以て対応しているのである。その結果、家族は堅固な城壁に囲まれた砦となり、外の世界のものは合法的な略奪物の対象になっている」とも述べる。
  平均的な中国人は平気で海賊版をつくり、外国の特許を盗んでも悪びれない。2008年1月、中国の「天洋食品製の餃子」を食べた日本人家族が中毒症状を起こし、ギョーザから、農薬に使用されるメタミドボスやジクロボスが検出された。中国政府は当初、農薬の使用元は日本ではないかと主張した。
 アフリカの中国援助は、「資源荒らし」「労働者も中国人が派遣され、アフリカ諸国の経済発展に寄与しない」とされる。習総書記は現在、「一帯一路」政策を推し進め、返済するめどが立たない開発途上国にさえ、法外な資金を援助する。そして破綻しかけて返済が滞れば、その国の土地を100年間も租借する。スリランカは、このようなプロセスで、中国に港湾を自由に使わせることに同意した。これも家族制度の弊害だ。
  また中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃管制用のレーダー照射について「日本が危機をあおり、中国のイメージに泥を塗った」「日本の完全な捏造(ねつぞう)だ」と中国外務省の華春瑩報道官が記者会見で述べた。林先生の発言と不思議に符合する。
  家族主義や老獪の思考、民族主義の排他性に“汚染”された中国人の言行を、日本人やほかの諸国民は理解できないように思う。
  中国には20世紀初頭まで、民族主義はほとんどなく、地方主義、家族主義しかなかった。中国では、民族主義は家族制度から生まれたのであり、国家から生まれなかったと、林先生は語った。四書五経のひとつ、大学は「身修まりてしかるのちに家斉(いえととの)い、家斉いてしかるのちに国治まり、国治まりてしかるのちに天下平らかなり」と言っているではないか。
  「社会生活の欠如 中国人は個人主義の民族であるといえよう。中国人の関心は常に自分の家庭にのみ向けられており、社会には向いていないのである」。   三つの成句 -「公共精神」「公民意識」「社会奉仕」- は中国にはなかった新しい考え方だと林先生は1930年代半ばに話した。
  この成句を国際社会に当てはめれば、どう解釈できるのか。国際社会では中国は一つの家族なのだ。家族でない者には冷淡だ。
  筆者の友人である建築家は1980年代に中国を訪問し、建築プロジェクトに携わった。中国人が彼を身内と認めてからはじめて仕事が順調にいったという。それまでは、騙されることがしばしばだったと述懐している。
  中国人の関心は常に中国にのみ向けられており、国際社会には向いていないのである、と解釈できる。「この家庭にのみ忠誠を尽くす心理はすなわち肥大した利己心である。中国の思想には『社会』という言葉に該当する概念が(最近まで)存在しなかったのである」と林先生は語る。
  そして老獪が加わる。老獪の思考は「中国人の攻撃的な策略というより、手ごわい防御的な策略を発展させた」と言うことだろう。
  中国人と対話し、対決する時は知恵比べをしているようだ。相手(中国人)の不可思議な行動を自民族の判断基準にそって非難したところで、何の役に立つのか。足しはしまい。日本人はとかく自分の尺度で相手を測る傾向が強い。
  一部の日本の保守派は、日中戦争は中国国民党が仕掛けたのだと主張する。「中国により日本は日中戦争に引き込まれた」のではない。中国の指導者、蒋介石将軍の2枚も3枚も上手な知恵と老獪な策略に敗北した。広大な中国大陸を味方につけて「退却戦」に引きずり込んだ中国軍に日本軍は敗北した。われわれは巧みな宣伝戦に敗北した。明代の学者は「一歩とらせて勝負に勝つ」と述べている。
  「己を知る」ことは、たいへん難しいことは誰しも分っている。日本人にも中国人にも言えることだ。また歴史に学ぶことはさらに難しい。「教育を受けた中国人にとって言語の上の障碍(しょうがい)はさして大きな問題ではない。むしろ自国の長く、膨大な歴史を把握することの方が遥かに難しいのである」。林先生はこう述べている。
  中国人は1世紀以上にわたって欧米と日本の帝国主義者の圧政に耐えてきた。その反動として今度こそ自分が「世界一の国になりたい」と思うのは心情的には理解できる。ただ中国人に言いたい。現在は21世紀だ。19世紀や20世紀前半ではない。日本は、帝国主義列強よりかなり遅れて、その仲間入りを果たそうとしたが、無残な結末を迎えた。君たちは十分に理解しているではないか。
  中国の指導者や軍部高官が「世界一になりたい」「中華民族の再興」と考えるのなら、時代錯誤もはなはだしい。日本人は80年前、バスに乗り遅れ、挙句の果てにそのバスに轢(ひ)かれて亡くなったではないか。
  中国人に言いたい。すでにバスは発車し、あなたらは「そのバス」に乗り遅れた。「世界一になりたい帝国主義」バスは20世紀半ばにバス停を出発した。現実的で常識な中国人は理解できるはずだ。中国人は質素倹約、勤勉質朴であるはずだ(家族主義の長所)。
  19世紀中葉の清国の名宰相、曽国藩は甥にあてた手紙の中で、奢侈の習慣を戒め、野菜をつくり、豚を飼い、畑に肥料を施して倹約・勤勉・質素な生活をすれば子々孫々にもわたって家は栄えると説いた。官吏の家が数代で落ちぶれるのは奢侈による、と語る。
  家族制度の質素、勤勉こそ中国社会の伝統的な道徳律だ。中国には階級がない。1905年に廃止された官吏登用制度「科挙」に関して、奴隷以外はだれでも受験資格があり、合格すれば一族は栄えた。「中国の絶対的な平等主義信仰の上に打ち立てられた」という。その科挙は1000年も続き、中国社会に大きな影響力を及ぼした。
  秦の始皇帝が紀元前221年、中国で初めて皇帝に就いて以来、中国は歴史を通して皇帝による絶対主義国家だ。この独裁政治は現在も続いている。読者もご存じの中国共産党だ。だが民主主義の芽がなかったわけではない。
  「歴史は明瞭に物語っている。漢代末までは3万人以上の文人ら知識人は積極的に時事問題を論じ、国家政策や皇帝や皇族の言行でさえ批判し、論評していた。結局、法律の保護がなかったため、(去勢を施され、宮廷で皇帝と一族に仕えた)宦官に弾圧され、200~300人もの知識人が処刑、追放、監禁され、中には一族が皆殺しになった。これは西暦166~169年かけて起こった事件で党錮の禍(とうこのか)と呼ばれていた」。林先生は歴史をひも解き説明する。
  「党錮の禍」は政治的な大弾圧だった。このため、それ以降、無関心の精神が中国に波及した。文人や学者は山奥に入り隠遁した。その後「竹林の七賢人」が出現した。酒におぼれ、政治的をめぐる多様な議論は死に絶えた。その意味では中国は西洋よりはるか以前に言論の自由を享受していたことになる。現代中国の民主化は、この歴史の流れが永続しているかどうかにかかっている。民主も平等も中国史の中に微光を放っている。中国人は歴史を紐解かねばならない。
  中国人は忍耐と平和主義に徹し、思想的な、文化的な違いを乗り越えて世界の、アジアの諸国民と共存してほしい。「民主」「自由」「人権」の隊列に加わる資格も能力もある民族だ。
  日本的な言い方だが「譲り合って」生きてほしい。そうしてこそ、中国人の経済的な繁栄は保障される。「他国からの妨害」もない平和な暮らしができる。原爆の恐怖の中で、それしか永久(とわ)に共に生きる道はない。「日米は中国の発展を妨害している」という中国軍部の叫びは妄想である。われわれ日本人は中国人が豊かになることを望んでいる。ただ、調和と協力と共存の上に、はじめてすべての民族の「発展」は保障される。中国人は国際社会から「公」を学んでほしい。
  15日にロシアのウラル地方に宇宙から隕石が落ち、約千人が負傷した。このニュースは、世界中のすべての諸民族は「地球」という船に乗っている運命共同体に属しているということを今一度われわれに思い起こさせた。中国の軍人がこのことに気づいてほしいと心から願う。またわれわれ日本人もこのことを肝に銘じなければならないと思う。
  中国軍人は、自らが憎んでもあまりある戦前の日本の軍人と同じ思考を抱き同じ道を進んでいる。その道は破滅への道である。その道をたどらないことを切望する。

  ◎筆者は林先生の話を下敷きにして中国人の国民性を記しました。さらに詳しく中国人について理解したければ、林先生が約80年前に書いた『中国=文化と思想』( 鋤柄治郎訳 講談社学術文庫 1999)を」を読むことを推薦します。「ダウニング街だより」の「賢者は歴史に学ぶ」にこの書物の書評を書きました。
(写真は林語堂 若い頃の写真 Public domain)