英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

お粗末な政治家  サッカーW杯で日本人選手に称賛

2014年06月25日 18時25分42秒 | スポーツ
 東京都議会で晩婚化対策について質問していた塩村文夏(あやか)都議が「早く結婚した方がいい」とヤジを浴びた。この問題に対して都議会は25日、女性蔑視のヤジについて再発防止を求める「都議会の信頼回復に関する決議案」を可決した。
 筆者は都民ではないが、この事態に唖然としている。このヤジを飛ばした元自民党の鈴木章浩都議を批評する価値もないが、まともな人々が都議会議員なら、こんなヤジはなかったらだろうし、こんな決議案を出す必要もなかった。もっと都民に必要な決議案が山とあるだろうに。都民の血税はゴミ箱に捨てられているようなものだ。
 鈴木氏は記者の質問にうそをつき、その後、ヤジを認め、辞職した。あきれた都議だ。都議会の自民党が鈴木氏を”いけにえ”にして、彼以外にヤジを飛ばしたほかの議員を免罪したと勘ぐられても弁解の余地はない。
 塩村都議は20日、鈴木氏以外に「まずは自分が産めよ」「子どもを産めないのか」とのヤジも聞いたという。このヤジを飛ばした都議は生涯ダンマリを決め込むのか。私は政治家の質もここまで低下したのかと暗澹たる気持ちになる。塩村都議は外国人記者クラブの要請で同クラブで講演した。世界は日本と言う国や国民を軽蔑するだろう。
 一方、サッカーW杯で、日本はコロンビアに敗れ、1次リーグ敗退が決まった。1分け2敗。選手は全力を尽くしたが、現在の実力はこの程度であろう。ただ、20年前より格段の進歩。これからサッカー強国の常連になるには、まだ長い道のり。20年ぐらいかかるかもしれない。否もっと先か?それでも日々進化している。これからも頑張ってほしい。この事業は代を継いだ日本人の仕事だと思う。
 サッカーを理解するためにはイングランド人を理解することではないだろうか。筆者の持論である。サッカーの発祥の地はイングランド。英国人は独立心に富み、それでいて協力をいとわない。独立心とは個々の人々がぞれぞれの考えを抱いて協力する。個々の人々の発想力を尊重し育てる。サッカーの素人がW杯の強豪チームの試合を見ているとそんなことを考えた。瞬時の判断とボールを転がす際の発想がゴールに近づくおおきな要因ではないだろうか。
 日本選手は確かに協力する。それは指揮官である監督の指示のもとに協力と団結をする。監督の指示はさておき、局面、局面で変化の激しいサッカー試合には選手個々の発想力は欠かせないのではないだろうか?
 ザッケローニ監督の采配を批判したり、とやかく言う評論家がいる。何人かの話を聞いたが、ほめられたことではない。ザッケローニ氏は選手起用で悩んだのだろう。戦場で戦法を変えたり、選手を変えたりすることには批判もあろうが、それだけ日本チームが弱いから、何とかしようとしたのだ。評論家が考えているような采配をザッケローニが振るっても結果はほぼ同じだったにちがいない。
 この結果を真摯に受け止め、失敗を未来に活かしてほしい。そのほうが大切。ザッケローニ監督、ご苦労様でした。最後にテレビ解説者の方々に言いたい。希望的観測は止めてくれ。まるで日本が1次リーグを突破するような言い方はしなことだ。これは筆者のようなサッカーの素人をだますことに等しい。W杯開始前に、「日本チームの1次リーグ突破は4-6.通常は難しい」と言うのが客観的な見方だった。そう言うべきだった。
 
 

ブラジルW杯と日本チーム

2014年06月15日 13時52分34秒 | スポーツ
 生活水準向上をめぐるブラジル国民の政府への不満を横目に見ながら、待望のW杯が始まった。開幕戦のレフリーは日本人。PK判定をめぐってクロアチアの監督が記者会見で西村雄一主審を批判した。筆者はサッカーの素人ファンだが、クロアチアの選手の手がブラジルの選手の体を掴んでいたようにも見える。「誤審」かどうかは分からないが、もし「誤審」なら、それもサッカー試合の一コマである。西村氏は日本人らしく、誠心誠意、フェアープレーの精神で審判を務めたことだけは確かだ。
 日本時間の15日午前10時から行われた日本―コートジボアール戦では、ドログバ一人に日本選手はやられたように感じた。36歳の国民の英雄は、日本人、コートジボアール両選手の中でひときわ目立ったプレーをしていた。何よりもサッカー場全体を見渡し、両チームの選手全体の動きを一瞬のうちに把握して的確に走っていたように思う。軍人に例えれば戦略眼に富んだ、すばらしい人物となる。コートジボアールの勝利を祝福する。
 日本チームは敗北した。1次リーグ突破の可能性は著しく低くなった。ギリシャはともかくコロンビアは強敵だ。その上、南米で開催しているため、地の利がある。だが日本チームが最後の最後まであきらめずに、フェアプレーの精神でこれからも戦ってほしい。
 イングランドもイタリアに2-1で敗れた。イングランドチームも最後まであきらめずに全力をだした。イングランド人(英国人)のスポーツへの姿勢はゲームを楽しみ、勝ち負けは2番目に重要だという。そしてフェアプレーの精神の重要性を心に秘める。
 20世紀の英国の作家アンソニー・グリンは「公平な考えは人生のすべてには規則があるという前提から来ている。ルールを無視したり、侵害すると、『アンフェア―』『スポーツマンらしくない』『それはクリケットに反する』となる。英国人にとり、規則から免除される者は誰もいない。たとえボス(国王や首相)であっても、自分の好きなように法律を起草することはできないし、自分に都合のよいように法律を改正することもできない」と述べた。
 また、英国のジャーナリスト、ジェレミー・パックスマンもこう話している。「英国人はユーモア―の感性を誇ると同時に、フェアプレーに対する情熱を誇る。これは英国の国民性のうちでもっとも大きな、核心的な性格である。英国人が政治思想や政治制度対する世界への貢献は『フェアーな精神』の確信から由来している。公平な精神を持った人々はすべてにおいて正しいという信念である」
 スポーツ言語はイングランド人の国民意識に深く根を下ろしている。今日では少しばかり時代遅れになっているが、男性や女性に「グッド・スポーツ」と言えば、それは褒め言葉だ。グード・スポーツ」と褒められる人は、自分の敗北を認め、最高の人が勝利したと発言できる人である。
 クリケットの名選手のロバート・ウィンダーが1960年代にインドで同国と国際試合した。その時の感想をこう述べている。「英国人はスポーツを楽しむ。しかしインド選手は国家の威信をかけて戦っている。敗北したら自殺するのではないかと心配だ。西インド諸島(カリブ海)の選手はチームが敗れたら、地球が今晩なくなるような嘆き方をする」と語っている。
 日本人も日本人選手もW杯を楽しんでほしい。筆者も楽しみたい。おせっかいかもしれないが、韓国人もそうあってほしい。韓国人は勝ち負けにことのほかこだわり、民族至上主義を露骨に表す。ロンドンオリンピックでの韓国人サッカー選手が日の丸をかざして「竹島(独島)」の韓国領有権を主張。今年開かれたソチ冬季五輪でもフィギュアスケートで、ロシアの選手が金メダルをとり、韓国のキム・ヨナ選手が2位だった。韓国人は不満で、国際スケート連盟に提訴した。この行動に対して韓国人の6-7割は賛成している。さらに、フィギュアスケートの世界選手権で日本人の浅田真央選手が優勝すると、キムがいなかったから1位になれたと言っていた。これに対し、日本人や中国人から批判がわき起こった。
 韓国人を観察すると、情緒的で感情的な国民性のため、衝動的な行動に走るようだ。日本人が絡むと、過去の歴史問題(植民地問題)が彼らの感情を倍加させ、激情へと走らせている。韓国の新首相に指名された韓国紙、中央日報元主筆の文昌克(ムン・チャングク)氏が、朝鮮半島の日本による統治や南北分断について「神がわが民族に与えた試練」と発言したことなどで、徹底的な袋だたきに遭っている。
 文氏の発言は、「神」がしたかどうかは分からないが、歴史を真摯に見つめている。朝鮮王朝末期に言及し「朝鮮民族の象徴は怠けること。怠惰で自立心に欠け、他人の世話になること。それが民族のDNA(遺伝子)として残っていた」と述べた。(産経 6月15日付朝刊)
 フェアプレーを称賛できる民族は、冷静で客観的な観察眼を持っている。他人と比較して優劣をことのほか強調する文化を持っている韓国の国民性は感情的で、客観的にものごとを見る観察眼に乏しいようだ。われわれの国民性も情調的な側面がある。それを否定できない。
 W杯で、各国チームがフェアプレーの精神でこれから1カ月間戦って、素晴らしい大会にしてほしい。日本人も韓国人も勝ち負けにこだわらず、すばらしい試合を楽しんでほしい。

せっかちになるな!安倍首相   前のめりな行動は中朝に足をすくわれる

2014年06月01日 10時12分12秒 | 日本の政治
 安倍晋三首相はこのほど、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で基調演説を行い、「既成事実を積み重ね、現状の変化を固定しようとする動きは、強い非難の対象とならざるを得ない」と話し、尖閣諸島の領海や接続水域への中国艦船の侵犯を批判した。この論拠の上に立ち、「法の支配」の重要性を訴え、南シナ海の西沙諸島や南沙諸島をめぐって中国と対立するベトナム、フィリピンへの支持を表明した。
 一方、中国軍高官は米軍の高官に「われわれから行動を起こしたことは決してない。相手が行動したのだ」と話し、安倍首相の演説に反論した。確かに、尖閣諸島を国有化したのは日本だ。南シナ海で先に仕掛けてきたのはベトナムだ。一見正当な意見のように思えるが、相手に行動を起こさせる環境をつくったのは中国。まさに帝国主義者の発想である。
 19世紀、大英帝国やフランス帝国はこのような行動で、アジアの国々を挑発し、次々と植民地にした。フランスのベトナムしかり。英帝国のビルマ(現ミャンマー)やインドしかり。当時、欧米列強にうまく立ち回ってシャムの独立を維持したモンクット王は、アジアの国々を観察して、「愚かだ。植民地列強の手のひらで踊っている」と評した。
  南シナ海の岩礁をめぐる中越紛争に対して、ベトナム外相は内々に中国政府に交渉をするように持ちかけている。その意図は分からないが、自らの意志を明確にし、交渉と言うカードで中國を揺さぶるのは賢明な策である。
 中国に「法の支配」を説いても「馬の耳に念仏」。5000年間、「一君万民」の専制中央集権制を敷いてきた中国に言っても無駄だ。この国民性を変えるには気の遠くなる歳月が必要だ。「法の支配」を言い続けることは重要だが、「即効薬」ではないということだ。
 安倍首相は前だけを見て目的に向かって一直線に走っている。これは日本人の国民性であるが、感心しない。目的を抱いて走るのは結構だが、周囲を見渡してほしい。これから始まる、拉致被害者をめぐる日朝の正念場の交渉もそうだ。拉致被害者を救出することを第一義とするのは当然だが、そのことばかりに目が向いていると、とんだ墓穴を掘ることになりかねない。
 北朝鮮の目的は日本を媒介として米国と交渉する機会を得ることであり、日本から経済賠償を獲得することだろう。北朝鮮の政治体制の保障を米国に要求し、日本から植民地賠償を勝ち取って自らの体制を堅持することだろう。どちらも米国にはなかなか受け入れられなない。
 日本の経済援助がミサイル発射や原爆実験に使われては援助した意味がない。それどころか日本への危険が増大する。日本政府のかじ取りは難しい。それでも拉致被害者を救出しなければならない。