英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

恥を恥と思わなくなった日本人  関電金品授受問題など次々起こる不祥事に思う

2019年10月06日 20時27分04秒 | 日本の安全保障
    「日本はもう限界だと思った。このままでは国が壊れてしまう」「自民党は、おそらく権威主義になってしまいました。反対意見を排除して、敵とみなした者を厳しく攻撃する」「政治にまともな議論がなくなったのも深刻です。消費増税や財政再建についても、先の見通しが立たないまま、言っていることがころころ変わる」
  10月4日付朝日新聞のオピニオン&フォーラム「保守政治家が選んだ道」で、元自民党の衆院議員で無所属の中村喜四郎氏が野党を支援する理由をこう述べた。
   元建設大臣の中村氏は自民党で将来の首相候補と目されながら、1994年に汚職事件で逮捕され、2003年に実刑が確定、失職したが、地元有権者の後押しを受けて、05年に国会へ復帰した。
   27歳で衆院議員に初当選し、40歳で初入閣した中村氏はわれわれ「団塊の世代」の仲間だ。飛ぶ鳥を落とす勢いだった若い時代をよく知っている。彼の人生に汚点があったとはいえ、彼の話すことは真面だ。この20年間、表に出るのを控えてきたという。
   国が滅ぶときは、外国に戦い敗れて降伏するときではない。ましてや属国になって苦渋をなめさせられるときでもない。国が滅ぶときは、政治家と国民の精神が腐敗し、恥を知らず、嘘と忖度がまかり通るときである。政治家の森友、加計学園問題、北海道の牧場で名馬のたてがみが切られ、それをフリーマーケット「メルカリ」に出品した事件、関西電力の役員らが福井県高浜町の元助役(故人)から多額の金品を受け取っていた問題、神戸市須磨区の市立東須磨小学校の20代男性教員が、昨年以降、同僚の先輩教員4人からいじめ行為を受けていた問題、80歳代後半の元高級官僚が池袋で母子を交通事故死させた事故など、数えたらきりがない。この数年の事件・事故を振り返れば、平均的な日本人の矜持や恥がなくなってきているように思う。
  日本人の間に、恥を嫌う武士の伝統精神がなくなってきたのは明らかだ。60年前、夫が戦死し、夜遅くまでミシンを踏んで家計を支えていた私の友人のお母さんがわれわれに「どんなに生活が苦しくても恥ずかしいことをしてはなりません」と諭した時代は遠くに過ぎ去った。
  国の借金が1000兆円を超えても、北朝鮮がミサイルをいくら撃とうが、政治家は具体的な行動は何も起こさない。口だけはピィチクパーチクと鳥のさえずりのように発言するが、それは国民から人気を得ようとする空虚な言葉だけだ。
  10月2日、北朝鮮がSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を発射したようだが、SLBMは北朝鮮にとって、核兵器の運搬手段として当面の最終開発目標と考えられている。北朝鮮は、SLBMを手に入れれば、すでに保有しているとみられる核兵器でアメリカの攻撃を抑止し、朝鮮半島統一のため、中国の暗黙の承認が得られれば、いつでも韓国を攻撃できる。日本に対してはどうかと言えば、狡猾な脅しをかけてくるのは必至だ。
 日本人による現実無視の危機意識のなさやモラルの低下、トランプ米大統領の個人利益優先は日本を存亡の危機に陥れようとしている。トランプは一国優先主義者ではない。自ら二期目の大統領を目指し、そのために米国と同盟国の国益を犠牲にしているようだ。私見として述べれば、米国の大統領としてこれほど愚かで無能力な人物は米国史を見渡してもいない。
 われわれ日本人は、この不幸を嘆く前に、自らの矜持を取り戻し、危機意識を抱いて、これから到来するであろう困難を克服する覚悟を持たなければならない。さもなければ、先人が営々として築き上げてきた日本の政治制度や文化、慣習など、すべてを失うばかりか、財政破綻や外からの侵略に立ち向かう勇気や矜持さえなくなっているだろう。

台湾問題が東アジア・太平洋の平和のカギ   アジア安全保障会議閉幕に思う

2019年06月03日 22時03分01秒 | 日本の安全保障
  「もしだれかが台湾を中国から分裂させようと図るなら、いかなる犠牲も惜しまず戦い抜く」
  中国の魏鳳和(ウェイフォンホー)国務委員兼国防相は今月2日の「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)」(英国戦略研究所主催)でこう述べ、米国を牽制した。
  台湾問題について、魏国防相は「(独立志向を持つ台湾の)民進党当局と外部干渉勢力に伝える」として、台湾への武器供与などを定める米国の「台湾関係法」を持ち出して「なぜ米国が制定するのか。道理はどこにあるのか」と主張。「中国軍の決意を過小評価するのは危険だ」と強調した。
  これに対し、台湾政府は台北から声明を発表し、中国の台湾への武力解放をも辞さないとする姿勢を非難。この地域を不安定化をあおり、既存の国際秩序を崩して「覇権を拡大しようとしている」と強調した。
  一方、シャナハン米国防長官代行はアジア安全保障会議の演説で、中国の名指しを避けつつ、「(インド太平洋地域における)重要な各国の国益にとって、長期的に最も大きな脅威は国際法秩序を毀損(きそん)しようとする国々だ」と指摘。これらの威圧的な動きの実例として、係争地域における軍事拠点化を始め、他国への内政干渉や借金漬け外交を挙げた。
   また米国防長官は中国側が他国と協力関係を構築する重要性を指摘しつつ、「(中国は)他国の主権を侵害したり、自国の意図に対して不信をもたれたりするような行為を終わりにしなければいけない」と強調した。
  シャナハン氏は中国の南シナ海における軍事拠点化や巨大経済圏構想「一帯一路」のほかに、台湾問題も念頭にあったと思われる。
  これから長期間にわたるアジア・太平洋の最大の懸念は、米中の覇権争いである。別の言い方をすれば、自由と民主主義国家と国家社会主義独裁国家との争いだと言える。
  一君万民の中華帝国と、労働者が支配する共産主義社会の理想をかかげて生まれた毛沢東帝国を継承した共産党が指導する中国が、米国、日本、オーストラリアなどの自由民主主義国家群を打ち負かして冊封体制の現代版を構築しようとする試みだと思う。現在の中国共産党には労働者はいない。ただ労働者から労働貴族に生まれ変わった特権階級が存在するだけだ。
  マルクス・レーニン主義の理想を30年前にかなぐり捨て、社会主義経済から資本主義経済に移行して経済的な発展をしてきたが、政治的には依然として共産主義理論の衣を着ているグロテスクな国家である。
  世界は中国が自由主義経済の下で国民が裕福になれば、政治体制は民主主義に移行すると期待したが、そうはならなかった。ナチス・ドイツのような国家主導の経済資本主義体制へと移行してしまった。
  中国共産党は人民解放軍という党の軍隊(共産主義下の軍は国家の軍ではなく党の軍)を先頭にして、これから外へ外へとその勢力を拡大していくだろう。独裁国家の指導者や団体は、共産主義国家だろうがナチスだろうがその形態如何にかかわらず、既得権を維持するために、拡張政策を取っていくだろう。
  世界の覇権は16世紀のポルトガルから、スペイン、オランダ、フランス、英国、米国へと移行してきた。19世紀に世界を制覇した大英帝国は20世紀前半に米国に覇権を渡した。両国は政治制度や価値観が同じだったために、覇権はスムーズに移行した。そして社会主義の旧ソ連は、米国の覇権に挑戦したが、社会主義経済が自由資本主義経済に劣っていたため、破れ滅びた。
  国家による資本主義計画経済を実践する中国が、相対的に国力が弱まっている米国に挑戦して覇権を求めている。もし中国が自由で開かれた民主主義国家であるなら、台湾は自ら中国への統合を希望しただろうし、南シナ海問題も現在のように先鋭化しなかっただろう。中国が21世紀後半には世界を主導し、米国やほかの自由民主主義国家はそれを認めただろう。しかし、共産党が中国を支配するかぎり、中国の指導を世界は認めないのは必至だ。
 今日もそして将来も、アジア・太平洋のトラブルの根源は中国ではなく中国共産党である。中国共産党が時代遅れの共産主義の政治理論を捨てないかぎり、中国は米国、オーストラリア、日本など自由民主主義国家の「潜在的な敵」だと見なされるだろう。
 先頃、オーストラリア海軍の強襲揚陸艦「キャンベラ」が中国海軍に属する武装漁船からレーダー照射を受けた事件は、中国が将来、自由民主主義国家群からの封じ込めを受け、孤立する可能性を秘めている。それは太平洋戦争前夜の日本に対する「ABCD包囲網」に似ているのかもしれない。

(写真)アジア安全保障会議で演説する中国国防相

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北朝鮮はトロイの木馬を韓国に送ったのか   文在寅氏の現実無視の理想は思ってもみない災難をもたらす

2018年02月11日 21時43分10秒 | 日本の安全保障
  平昌五輪の開会式に合わせて訪韓した北朝鮮の金永南・最高人民会議常任委員長と金正恩・朝鮮労働党委員長の妹、金与正・党中央委員会第1副部長ら北朝鮮の高級代表団は11日夜、文在寅(ムン・ジェイン)大統領ら韓国政府の3日間にわたる大歓待の後、北朝鮮に帰国した。北朝鮮の最高権力者の妹で実質的にナンバー2の金与正氏が、金正恩氏からの親書を文氏に渡し、北朝鮮に招待した。これに対して、文氏は即答は避けたが、前向きに検討すると述べた。
  マイク・ペンス米副大統領はレセプションや開会式で、北朝鮮代表団と言葉を交わすのを避け、韓国と北朝鮮の選手たちが統一旗を掲げて「コリア」として合同入場した際、ペンス氏は座ったままだった。冬季五輪を機に北朝鮮が融和姿勢を重ねて示していることについて、米トランプ政権は強い警戒感を示している。
  金与正氏が韓国大統領に渡した兄の親書は”トロイの木馬”なのか。”トロイの木馬”はトロイ戦争で、ギリシアのオデュッセウスがトロイ攻略に用いた計略。オデュッセウスは巨大な木馬を作らせてその中にギリシア兵を隠し、トロイ市内に運び込ませた。この際、トロイ王女カサンドラは予言によりこれが罠であると忠告したが、市民は誰も聞き入れなかった。深夜になりトロイ市民が寝静まった頃合いを見計らって木馬からギリシア兵が抜け出してトロイを占領。これによりギリシアは勝利し、トロイは滅亡した。
  韓国の文大統領は南北融和が米朝融和につながり、それが朝鮮半島の平和へと進んでいくと信じ切っているようだ。米国は金正恩氏の計略を疑い、文大統領に日米韓の結束と北朝鮮への圧力を訴えている。
  私は思う。国連による経済制裁が北朝鮮に相当効いている。金正恩委員長は韓国の文大統領の平壌訪問を実現することで韓国を取り込み、経済制裁を骨抜きにしようとしている。北朝鮮の美女応援団や三池淵管弦楽団を海陸からそれぞれ韓国に向かわせ、制裁の封鎖網に風穴を開けようとしている。
  文大統領の本音は北朝鮮訪問だ。日本の安倍晋三首相が米韓軍事演習を中止すべきではないと進言したとき、「内政干渉」だと反発したという。このことから推察すれば、この実現のために米韓合同軍事演習を中止する努力をするだろう。もし文大統領が米国の反対を押し切って軍事演習を延期か中止すれば、米韓同盟は危機的な状況に陥る。
  金正恩氏が米韓軍事同盟を葬り去れば、いよいよ彼自身の戦略を実施に移すだろう。つまり、米軍の朝鮮半島からの撤退を、韓国大統領に要求する。文大統領と韓国民がどう出るのか。ここが韓国の運命の岐路になるに違いない。文大統領が朝鮮半島の統一を夢見て、米軍の撤退を促せば、米軍は必ず撤退するだろう。このとき、韓国は完全に北朝鮮に取り込まれる。北朝鮮に手を焼いている中国も内心はほくそ笑むだろう。北朝鮮は全軍で韓国を攻撃。韓国の軍備は北朝鮮より勝っているとは言え、北朝鮮は中短核ミサイルで韓国国民を威嚇するにちがいない。それでも自由のために韓国国民は戦争するだろうか?
北朝鮮の核攻撃のさられたとき、米国は韓国を支援するだろうか。米国民はいったん「裏切った」と思う国民には頑ななまでに支援しない。
欧州から移民してきた白人米国人の国民性は、土地争奪をめぐる先住民のインディアンとの戦いの中で形作られてきた。私は、1944年に書かれたD.W.ブローガンの著書「The American Character(アメリカの国民性)」を読んで、そう思う。
旧日本海軍の山本五十六元帥は米国の国力を知り尽くしてはいたが、米国人の国民性までは理解していなかった。 真珠湾で米国に強烈な一撃を加えれば、米国人が交渉のテーブルにつくと読んだ。米国に大打撃を与えて、なんとか和平に持ち込もうとしようと考えた。しかし、米国人は「真珠湾を忘れるな」と叫び、日本の無条件降伏まで戦いの手を緩めなかった。
  米国の歴史学者ブローガンこう述べる。「いったんことを起こしたら、いったん決裂したら米国人は妥協しない。目標達成までとことんそれを追求する」。それはインディアンとの戦いで会得した。「欧州での戦術はアメリカ大陸では通用しなかった(和平や妥協)。インディアンが勝つか、植民地者が勝つかのどちらかしかなかった。勝利か滅亡か。、和平はなかった」
  金正恩氏は現在、”金王朝”体制を護ることに必死だ。これが最大の国家目標だ。核もミサイルも、このためにつくっている。米国本土に届く核搭載ミサイル発射の成功は間近に迫っている。この完全成功の直前に、米国は北朝鮮に限定攻撃を仕掛けてくるのか。日韓両政府を無視して米国が単独で実施するか。
米国はジレンマに陥りだろう。しかし、米国の建国以来培ってきた国民性から判断するれば、トランプ大統領と米国人は北朝鮮に限定攻撃をするだろう。核攻撃をしないまでも、核施設を破壊するだろう。
  平昌五輪に合わせて訪韓した北朝鮮訪問団に対する韓国国民のうち訪問賛成派は「訪問は統一を促進する」と歓迎するが、「統一」とは「赤化統一」なのか。それを望んでいるのだろうか。「赤化統一」という言葉が嫌いなら「自由と民主主義のない世襲独裁北朝鮮への統一を望んでいるのか。北朝鮮との融和を望んでいる韓国人の誰一人として北朝鮮による独裁統一を欲してはいないと思う。ただ民族統一という閃光により未来が見通せないだけである。
  大衆は、チャーチルが生前述べていたように、目の前の出来事に敏感で、遠い未来を見つめない。目の前の美辞麗句や感性上よいと思うことに賛成し、その背後にある相手の真意を見抜かない。目の前のことに酔う傾向が強い。そして、今日、チャーチルのような政治家がいない。大衆に未来を指し示し、彼らの誤りを指摘し、説得できない。大衆に迎合するポピュリスト政治家が大半を占める。
  歴史は皮肉である。歴史を振り返れば、理想の旗を高く掲げ、現実を顧みない理想主義者が、自ら抱く理想を実現した事実はない。フランス革命の理想は、ロベスピエールの独裁を生み、ナポレオンの軍事独裁を生んだ。ソ連社会主義革命はスターリンの独裁を生んだ。時の流れを無視した理想や、急激な改革は激しい反動を生む。
 金正恩氏が自由と民主主義を受け入れ、金王朝を閉じさせてまでして、韓国主導の統一を認めるなどと思うなら、幻想以外の何物でもない。自由と民主主義に基づく南北統一は現在、夢以外の何ものでもない。もし民族を優先し、それに基づく統一を韓国民が認めるのなら、彼らの未来は暗い。北朝鮮の金王朝に奉仕する社会の中で、後悔の念にさいなまれ、圧政の中で呻吟するだろう。
 厳しい現状を認識し、平和をいかに護るかを考えることが、破滅的な戦争を回避する唯一の方法だと思う。経済圧力を強めながら金正恩委員長に、自らの体制を維持する唯一の方法は非核化だと説得し続けることが必要だ。  
  

冷静に、観念一辺倒になってはいけない  国論2分の安保法制に思う

2015年09月22日 09時42分53秒 | 日本の安全保障
 9月19日未明に安全保障関連法が成立して3日がたった。この法律に対する反対が止まない。若者や主婦などを中心とした反対派は次の総選挙を見据え活動を強める構えだ。憲法学者や弁護士は「違法」との判断から、裁判でこの法律の違憲性を訴える構えだ。この動きに対し、安倍内閣は国民の理解を得ようと、議員を地元に返し、有権者を説得している。安保関連法の成立後に、有権者を説得する奇妙な動きだ。
 筆者はこの法律の制定をめぐって何よりも残念だったのは、冷静で現実的な議論がなされなかったことだ。理念と理念がぶつかり合い、現実的な議論が展開されなかったことだ。この責任の大部分は安倍晋三首相にある。
 手順が間違っていた。安倍首相が現実の東アジアの国際環境を踏まえた冷静で現実的な議論が話し合われる舞台を設定し、理想を具現している憲法9条と現実のかい離を説き、、多様な国民的な議論を巻き起こす起爆剤を提供しなかったことだ。
 安倍首相が率いる内閣は「お仲間内閣」と揶揄されている。安倍首相が自らの見解やビジョンを共有する人々を重視し、自分の意見に反対する人々を遠ざける傾向が強いというのは事実のようだ。筆者が取材した記者仲間がほとんど皆、安倍首相の「マグナニミティー」のなさを指摘していた。「マグナニミティー」とは寛容さだ。英語の真意は「寛容さ」以上の「寛大さ」だろう。政敵とも喜んで膝を交えて議論する寛大な心の持ち主をいう。
 この意味で安倍首相は首相としての大切な資質が欠けているのかもしれない。筆者は国際政治史や1930年代の英国政治史を若い時に英国で勉強したため、このブログでもネビル・チェンバレンとウィンストン・チャーチルをよく引合いに出す。この二人は性格も政策アプローチも違う。チャーチルは英国人には珍しいくらいのあけっぴろげで、ユーモアに富んだ快活な人物。時として大胆で積極的な政策を遂行した。しかしチェンバレンは典型的な英国人で、寡黙であり、実直な人だった。経験則に基づいた現実的な政策を臆病なまでの慎重さで遂行した。
 ほぼすべてにおいて水と油ほど違うチェンバレンとチャーチルには共通する部分があった。それは政敵とも議論を尽くし、一旦決まったことは誠実にそれを実行した。
 1939年9月3日、当時首相だったチェンバレンは、対独戦争の開始によりチャーチルを入閣させ、海軍相に抜擢した。それまで二人は対独政策でことごとく対立していた。それでもチャーチルの豊富な軍事知識と国民の人気の高さを買い、入閣させた。チャーチルが入閣後、スカンジラビア(ノルウェー)作戦などをめぐって両者は意見を異にしたが、徹底的に議論し、最後には歩調を合わせた。チャーチルはチェンバレンにこう言った。「あなたが首相だ。わたしは持論を述べてネビルに助言する。最終決定者は君であり、君が首相として全責任を負っている」
 1940年5月10日、チェンバレンから首相職を引き継いだチャーチルが挙国一致内閣をつくった。その時、チェンバレンを挙国一致戦時内閣6人の1人にした。野党の労働党や自由党に疎まれていたチェンバレンを、チャーチルはあえて労働党や自由党の党首と一緒に仕事をさせたのである。チャーチルが不在の時はチェンバレンが閣議を取り仕切った。あくまで異見を話し合いで解決する。そして内閣の秩序を維持する。両者には暗黙の合意がなされていた。どんなに意見が対立しても、話し合いで解決する。それがどうしてもできない場合は、最後は上に立つものに従う。チェンバレンが首相の時はチャーチルが従い、チャーチルが首相の場合は、チェンバレンが従う。首相が全責任を負っているからだ。議会を離れれば、互いを尊敬しあう友だった。
 チャーチルは議会で議論した。派閥を嫌った。議会で議論をしたら、真っ先に帰宅した。そして勉強した。議会だけがチャーチルにとりおおやけでの議論の場だった。もちろん、私的には自宅に友を呼び、討議した。
 選挙区にもどれば、有権者と政策や問題について議論した。決して「次の選挙でお願いします」と選挙運動をしなかった。通りで選挙スローガンを絶叫しなかった。それが政治家の仕事だと信じたのである。
 チェンバレンが1940年11月9日、胃がんで亡くなり、その数日後、チャーチルは彼の死を悼み、議会で有名な演説をした。たとえ政敵であっても、「マグナニミティー」の精神と民主主義の精神で対応したのがチャーチルだった。それを一番理解していたのがチェンバレンだった。
 今日、日本が重大な岐路に立っているとき、チェンバレンやチャーチルのような政治家が日本にいないのは日本国民にとり不幸なことだが、そう述べても詮無きことだ。
 国際政治学者の中西寛・京都大学教授が、22日付朝日新聞の「にっぽんの現在地」で「日本を取り巻く安全保障環境は50年単位で大きく変わるが、今はその時だ」と語っている。中国の台頭と米国の国力の総体的な衰えがそうさせているのだ。
 中西氏は今回の安保関連法案の議論で「合憲か違憲かに話が集中してしまったのは残念でした」と述べている。国際政治的な判断、国際法や安全保障を含めた中での判断が必要だったという。また「幕末の鎖国か開国か」の議論に重なるところがあるとも言う。そして何よりも「詰めた議論がなされなかった」と話している。「日本の安全保障や防衛の問題で不幸なのは、政府・与党は『おれに任せておけば、心配ない』という態度をとり、逆に野党や反対派は一律反対で揚げ足取りを優先し、議論が深まらない」
 筆者は中西教授に同感だ。現実的で冷静な議論が今こそ安倍首相や閣僚、野党各党、国民各派に求められている。
 安倍首相は独断専行して行動してはならない。自らの信念を過信し、猪突猛進すれば禍根を残す。安保関連法のような国家の安全と独立を左右する最重要法に対して、国論の分裂を顧みることなく自らの意思を通せば、結局はいかなる危機にも対応できる防衛体制を敷けない。国論の分裂ほど不幸なことはないし、国を弱体化させることになる。東アジアの大きな変化にも対応できなくなるだろう。
 民主主義制度の下で国論が一致し、国民が固い団結をつくり上げた時、それは中国のようないかなる独裁国家をも打ち破るだろう。第2次世界大戦の1940年の初夏から秋において英国の存亡をかけた「バトル・オブ・ブリテン」がそのことを立証している。英国のすべての人々は、チャーチル首相の指導下、英国人が700年以上にわたって築き上げた民主主義制度を守らんがために、一致団結して独裁者ヒトラーとナチスドイツの侵攻を退けたのである。
 国民が一致団結したとき、中国のような共産主義独裁体制であろうが、ナチス・ドイツのようなナチズム独裁体制であろうが、いかなる種類の独裁体制を民主主主義国家は打ち破ることができるのである。

 写真 ウィンストン・チャーチル(左)とネビル・チェンバレン(右)

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安倍首相は時を無視し、ことを急いだ。 安保関連法成立に思う

2015年09月19日 22時01分55秒 | 日本の安全保障
 安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。この日も主婦や学生らが国会前だけでなく全国で法案反対のデモを行った。
 日本の安倍政権は民意を無視して、この重要法を成立させたことだけは事実のようだ。首相はこの法案を取り下げ、継続審議にして、引き続き安全保障について国民と膝詰で討議してほしかった。国民の理解を深めるために、法案の趣旨をもっと分かり易く説明すべきだった。時が首相に味方するまで、粘り強く国民に語りかける必要があった。
 8月末の日本経済新聞の世論調査では、集団的自衛権の行使、安保法案を今国会で成立させる政府の方針のいずれも賛成が27%で、反対は倍の55%に上った。
 野党が牛歩戦術で抵抗した1992年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法の際も193時間で、今回は国会に記録が残る戦後の安保関連の法案審議としては最長だという。審議時間は衆参両院あわせて200時間を超えた。しかし審議の中味は時間の長さほど濃くはなかった。
 2015年6月4日に行われた衆議院憲法審査会の参考人質疑で、与党自民党・公明党、次世代の党が推薦した早稲田大学法学学術院教授の長谷部恭男教授を含む出席した3人の学識経験者全員がいずれも安全保障関連法案について「憲法違反に当たる」という認識を示した。
 この発言以来、本来討議しなければならない安全保障問題とこの法案の整合性を論じるよりも、合憲か違憲かで与野党が激しい論戦を展開した。
 このようなピンとはずれの議論が衆参両院で展開された大きな要因のひとつは、安倍首相が時を無視し、焦って安保関連法案の成立を急いだことにあると思う。首相の念頭には、急速に軍事力を増大させている中国があったことは疑いない。この法案を国会に提出する前の4月29日、安倍首相が米議会の演説で「夏までに成就させる」と宣言したことにも彼の焦りを感じた。
 この焦りが議会制民主主義の手続きを事実上無視した。安倍首相は審議の最終盤で「法案にまだ支持が広がっていないのは事実だ」と述べた。そのように感じていても「必要な法律なのだから採決は当然だ」との確信があったからだろう。「時が経つうちに間違いなく理解は広がっていく」とも予言してみせた。
 この発言は「黙って俺についてこい」と言っているに等しく、十分な説明と説得力、裏付けとなる根拠に欠けていることを白日にさらした。安保政策を大転換するなら、それだけの危機がいま迫っていると分かりやすく説明しなくてはいけなかった。反対意見を十分に聞かなければならなかった。そのためには時間が必要だ。3~4年かけて、議論を深めることが肝要だった。
 安保関連法が憲法違反の疑いが強いと筆者も思う。首相は、遠回りをしてでも憲法改正をしてからこの法案を提出。そして、日本を取り巻く安保環境は、大きく変化していると説明しなければならなかった。
 また安倍首相は、成立した安全保障関連法が「日本の存立危機」にだけ対処する法律だと明示すべきであった。自衛隊が「日本の存立危機」とまったくかけ離れた米国の世界戦略の片棒を担ぎかねる危険があるということだ。日本の国益に関係のない紛争地域に米国の意向で派兵される可能性があるということだ。
 あくまで「日本の存立危機」に対処する法律でなければならないが、その点がもう一つ明確ではない。識者の幾人かは「この法律では日本政府は米国の自衛隊派遣要請を断れない」と述べている。筆者もそう思う。
 これでは首相がいくら「日本の民主主義体制」「集団的自衛権は日本の安全をより強国する」と言っても、首相自身が十分な議論を封じ、前ばかり見て突っ走り、民主主義制度の根幹をなすディベートを拒絶している印象を強く与えている。さらに自らの軍備拡張と国際法を無視している中国の共産党政府に格好のつけいる隙を与えたことになった。
 国会の「自民党1強」状態は、衆院選で過去最低の55・66%という低投票率と、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区の特性によるところが大きい。12年の衆院選で、自民党の得票率は48%と半数以下だったが、議席占有率は76%に及んだ。自民党の総得票数は、09年の衆院選から3回続けて減っている。
 若者や主婦らノンポリ大衆の政治の無関心や野党の体たらくに助けられた、といってもいい。安保法案をめぐる若者のデモ、特にその先頭に立ったSEALDs(シールズ)との関係を強め、選挙戦略の一環にしようとする野党民主党の体たらくは目に余る。独立心を持ち、現実に沿った政策を立案してこなかった民主党の責任も大きい。
 また、安保法の成立に賛意を表明している産経新聞の有元隆志・政治部長が「デモ参加者たちが民意を代表しているのではない」「目を覆いたくなるような議会の状況である。これが『良識の府』『再考の府』といわれてきた参院であろうか。とても子供たちには見せられない光景だ」と述べている。
 産経の別の記事では「(安保関連法案の反対)集会を主催する(した)護憲団体の1つ『戦争をさせない1000人委員会』の男性は『安倍政権はファシストだ。身近に戦争とファシズムが迫っている』」と紹介している。
 産経のこの一連の記事自体を読んで、「こまったことだ」と感想を抱いても、この一連の記事を出してくる意図に一抹のうさん臭さを感じる。これは議論ではなく、相手を貶め、この法律の賛成に肩入れする意図があるように思う。これでは民主主義の議論にはならない。
 同じことが安保関連法反対派の発言にも言えるのではないのか。「安倍政権はファシストだ」という前に、冷静に疑問点を相手にぶつけて議論を深めていくべきだ。
 安保関連法は成立したが、この法をこれからどのように扱うかは国民次第だ。修正するにも廃案するにも今後の日本の有権者の政治意識と総選挙への参加意識、異見の持ち主への中傷ではなく、ディベート力が試されると思う。