英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

南米の死因の3位は殺人 世界の子どもの死亡率は年々低下

2012年12月31日 17時36分31秒 | 時事問題
 「世界中どの地域でも、人々の寿命は年々長くなり、子どもの死亡率は低下している。しかし病気にかかる人々は年々増え、現代社会に適応できない人々も増えている」。AP通信はこのほど、ロンドンからこのように伝えている。 
 1990年の最大の問題は、5歳以下の幼児の死亡だったという。毎年1000万人以上が亡くなった。この年以降、世界保健機構(WHO)や各国政府の努力で、5歳以下の幼児への小児マヒやはしかのワクチン接種率が向上し、この年代の死亡者は約700万人に減った。
 開発途上国の子どもの脅威は、伝染病だけでなく、栄養失調だ。「現在、アフリカを除いて、世界の子どもは少なくとも飢餓から解放された」(AP)。
 いまや子どもの死亡率の低下と反比例して成人病が増えている。こどもの生存率が上がっているが、大人の成人病は増えている。その主要な原因は高血圧、それに続いて喫煙とアルコール。喫煙やアルコールが原因と思われる病気が年々増えている。
ワシントン大学の健康評価研究所のクリストファー・マーレー所長は「幼児や未成年の死亡ではなく、成人の慢性病、交通事故死、精神病、病気の合併症が世界の人々の健康への脅威になっている」と話している。
 先進国ではこの傾向が顕著で、「健康問題の半分以上を占めている」(AP)という。この傾向は高齢化によりさらに拍車がかかっている。
 寿命が延びれば延びるほど、人々が“友人”として成人病と付き合う期間が長くなる。また白内障や緑内障などにかかり視力が失われていくし、耳も遠くなる。躁鬱(そううつ)病患者も多くなる。
 英医学週刊誌『ランセット』(The Lancet)12月13日、この報告をインターネット上で発表した。同誌は、世界で最もよく知られ、最も評価の高い世界五大医学雑誌の一つであり、編集室をロンドンとニューヨークに持っている。
 50カ国の研究者480人以上が2010年までに医学データ、各自の研究報告や各国の国勢調査を分析し、その結果を報告したという。この報告書によると、日本の平均寿命は1990年同様2010年も世界一で、男性は79歳、女性は86歳。米国は男性が76歳で女性が81歳だった。
 南米では、殺人が死因の第3位を占めている。「治安が悪い」という言葉では表現できないほどのひどい状況だ。米国は21位、西ヨーロッパでは57位。各国の死因を合計した世界統計では、「殺人」が20位にランクされている。
 自殺は世界で21位番目に多い死因。地域別でみれば、インドから中国にかけての“自殺地帯”で死亡原因の9番目にランクされており、北アメリカでは14位、西ヨーロッパでは15位を占めている。アフリカでは、15-49歳の死因のトップは糖尿病だ。
 世界的に見て、心筋梗塞などの心臓病や、脳溢血などの脳卒中が依然として死亡原因の第1位。肺がんが5位に上がってきた。エイズは1990年には35位だったが2010年には6位に浮上した。
 成人の慢性病が世界の死亡原因の主流を占めているが、アフリカではこの傾向が見られず、エイズ、マラリア、結核が主要な死亡原因。
 公衆衛生の向上にはさらに多くのデータが必要だという。そうして初めて世界の病気を撲滅する糸口が見いだせる。ロンドン衛生・熱帯病スクールの熱帯病学者のサンディー・カーンクロス氏が「ランセットの報告書だけでは不十分で、もっとデータを集めてよりよい“映像”を映し出さなければならない」と話している(AP)。
 AP通信社の報道から、現在、世界が抱えている死亡原因を理解できる。ただ、南米で殺人が死因の3位だというのには驚く。日本の治安がどんなに良いかを理解できる。日本の治安の良さは過去からの積み上げであり、一夜でできあがったものではない。14世紀半ばの南北朝の頃、京都で野盗が横行し、庶民を苦しめたと記録にあるが、現代の南アメリカの殺人件数の高さはこの比ではないのだろう。
 今年最後は暗い話になった。健康がもっとも大切だ。健康であれば、歴史がわれわれに味方した時にはどんなことでもできる。一にも二にも健康だ。よいお年をお迎えください。

安倍さん、歴史的なスパンで政策を考えて   保守主義者といえるのか?

2012年12月31日 13時18分52秒 | 時事問題
 「『気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべえ』という空疎な前向きな感性」「気合があれば実現できる」「歴史的スパンで物事を考えることが苦手です。だから当座の立て直しには強いけれども、長期的な視野に立った発想はなかなか出てこない」。12月27日付朝日新聞が精神科医の斎藤環(たまき)さんの発言を紹介している。斎藤さんは自民党は「ヤンキー政党」だという。
 26日から27日にかけて、米国のニューヨーク・タイムズ紙、英国のインディペンデント紙やタイムズ紙は、安倍首相を「タカ派の民族主義者」と異口同音に紹介。安倍氏が尖閣や靖国参拝問題をめぐる日中韓国民の対立感情をさらにあおるのではないかと危惧している。
 安倍首相ばかりでなく、平均的な日本人は「歴史的スパンで物事を考えることが苦手」なように思える。長期的な視野に立った発想はなかなか出てこない。一直線に突っ走る傾向がある。白黒はっきりさせないと満足しない。
 安倍政権の茂木経済産業相が「2030年代の原発ゼロ」という方針を見直すとともに、「未着工の原発の新増設は認めない」という方針も白紙にする考えを示した。
 このままいくと、一直線になし崩し的に原発OKになるかもしれない。「今」だけから判断して原発を増設し、福島原発事故の「過去」を忘れ去っていくだろう。日本民族のお得いのパターンだ。
 原発事故が「なぜ起こったのか」を徹底的に検証する。その検証の結果と「太陽光などの自然エネルギー開発の商業的な実現性」などを加味して、原発政策をどうするか。原発と火力発電、風力発電をバランスよくどうすれば利用できるか。これから時の変化に応じて、柔軟に原子力政策を変更しながら、風力、地熱、太陽光開発を進めていく。地球温暖化阻止をも頭に入れて中長期な構想を練る。現在の構想が、将来のある時点での時の変化とそぐわなければ、現在の構想を修正する。原発を必要最小限にして、現在の経済レベルを維持できるようにするための道筋を見つけていく中長期的戦略の必要性がある。
 われわれ日本人は、決めたことを守る素晴らしい民族だ。しかし「歴史的スパン」でものごとを考えないために、いったん決めたことを守らないと「ひよっている」と言い出す傾向が強い。自らのご都合で当初の言葉を変えるのは言語道断だが、周囲の変化に応じて当初の姿勢を変えるのは正しい。
 ただ、なぜ見解を変えたのかを説明をしなければならない。その説明が多くの政治家にないように思う。尖閣にしても、靖国参拝、慰安婦問題にしても、自らの感情をストレートに表に出してしまう。
 ピューリタン(清教徒)を先祖にもつ米国人も理念の顔が時々前面に出てくる。歴史上、現実的な政治家もいるが、一直線に走る政治家も少なからずいるように思う。ベトナム戦争やイラク戦争は好例だ。ブッシュ前大統領は典型的ピューリタン米国人だと思う。
 イングランド人はこの点、日本人が大嫌いないな手練手札を使って押したり引いたりしてくる。じっと相手を観察している。時が自分に味方しないなら、退いて好機を待つ。ぼんやりと待つのではなく、好機をつくり出す努力をする。特に政治や外交ではそうする。
 「保守は知性に支えられた思想ですが、ヤンキー(安倍氏)は反知性主義です。徹底的に実利主義で『理屈をこねている暇があったら行動しろ』というスタンス。主張の内容よりも、どれだけきっぱり言ったか、言ったことを実行できるかが評価のポイントで、『決められない政治』というのが必要以上に注目されているのはそのせいです」。これも斎藤氏の発言だ。
 確かに本当の保守は「知性に支えられた思想」だ。絶えず変化し続ける時の流れを目をこらして観察、分析し、臆病なまでの慎重さで行動を始める。そして時の流れの変化を読み取り、スタンスを変え、妥協し、最後に核心的な利益をつかみ取る。現実を直視した行動である。
 取り留めのないことを書いているが、理想にばかり囚われて、現実を見なかった人物が嘉田・滋賀県知事だろう。知事が日本未来の党を立ち上げたとき、筆者は批判した。「夢ばかり見るな」と。
 現実ばかり見て政治権力をもてあそび、現実の中に理想を追い求める欠片もない小沢氏とは対局にいる人物だ。現実の中に理想は生まれ、理想の中に理想は生まれない。
 また小沢氏が理想の政治家かというと、そうではない。現実の政治をもてあそび、現実を分析や思考もしない中には、長期的な政治目標は生まれないからだ。
  チャーチルのように、長期的な政治目的を心に抱き、絶えず変化する時の流れを的確に判断し、時にはリスクを恐れず勇気を出して一歩も二歩も後退し、他人から変節したと思われても長期的な政治目的は決して曲げない政治家こそが信頼すべき政治家ではないだろうか。
 

 11月にこのブログで、私のホームページを12月中旬に立ち上げると書きました。約1週間前に立ち上げ、公開して試験運転をしていました。お知らせします。ホームページにお出かけください。「ダウニング街だより」。www.downing.jp/です

 (2012年12月28日 21時38分39秒)

愛煙家にとり世界は窮屈  インドネシアでは61地域が禁煙地区に指定される

2012年12月31日 13時16分24秒 | 時事問題
 愛煙家はますます肩身の狭い思いをしている。日本では駅構内が全面喫煙禁止になり、会社でも喫煙ルームが設けられ、そこでしかすえない。日本でたばこがすえる場所はますます狭くなっているのが現状だ。
 インドネシアの愛煙家も同じ境遇のようだ。インドネシアのアンタラ通信がこのほど、国内の61地域が「ノンスモーキング・エリア」に指定されたと伝えている。
 インドネシア政府はタバコの悪影響を減らすために苦肉の政策を実施した。禁煙指定地域の大部分は、首都ジャカルタ、バリ、西スマトラなおの大都市や主要地域だという。
 禁煙プログラムは法律により制定され、政府は将来の世代をタバコの被害から守るためにもこの法律の施行が不可欠だと述べているという。
 インドネシアは世界中でもっともヘービー・スモーカーの数が多いそうだ(世界保健機構『WHO』)。15歳以上の男性のうち67%は愛煙家。13歳から15歳の少年の4分の1もたばこを吸っているというデータが出ている。
 筆者は学生時代の一時期、いきがってたばこを吸ったが、身体的に合わなかったためやめた。英国滞在中に年配の英国人が葉巻とパイプを吸っていた。パイプはいいなあ、と思い買い込んだが、うまくパイプの葉に火がつかない。何度か試みたが、失敗しあきらめた。それ以降今日まで、たばこなどを吸ったことはない。
 筆者の亡父はヘビースモーカーだった。18歳から亡くなる数年前まで、缶入りピースを一日60本吸っていた。ピースの葉がなくなるまで、うまそうに煙を揺らせていた。医者に「これ以上たばこを吸うと死にますよ」と警告されるまで吸っていた。肺がんで亡くなった。70歳半ばまで生きたが、たばこが死因だと筆者は確信している。
 愛煙家に「禁煙する?」と聞くと、「やめない」という。なかなかやめられないようだ。断酒より禁煙が難しいのだろうか。最近、電車で女性の体を触ったとして警視庁に強制わいせつ容疑で逮捕されたNHKの職員は酒で人生を狂わせたが、酒もたばこもほどほどにしたほうがよいようだ。できるならたばこはやめたほうが、健康な人生を送れる。筆者はそう思っている。

(写真はpublic domain)

 (2012年12月24日 21時47分36秒)

イノウエ米上院議員の死去を悼む   武士道精神をもった明治のステーツマン

2012年12月31日 13時14分36秒 | 時事問題と歴史
「私が米国人であることを疑う人はいないと思いますが、同時に私は誇り高い日本人であります」(2012年12月19日付朝日新聞朝刊引用)
 日本人がかつて持っていた「さむらい魂」を心に秘めたダニエル・イノウエ上院議員(88)が17日、肺気腫の合併症のため東部メリーランド州のウォーター・リード・ナショナル・ミリタリー・メディカル・センターで死去した。88歳。日系人初の米連邦議員。最後の言葉は「アロハ」だった。
 イノウエ上院議員は1959年に下院議員に初当選し、2期下院を務めた後、1962年に日系人初の上院議員なった。下院と上院に選ばれた初の日系アメリカ人。連続9期目と歴代2位の長期在任を記録した民主党の重鎮で、日米のパイプ役としても重要な役割を果たした。
 日米の絆の大切さをいつも日米国民に説き続けた、高潔で典型的な良き日本人だった。オバマ大統領は声明を発表し「米国は真の英雄を失った」と追悼した。
 日系人ら人種的少数派の権利擁護に尽力し、日系人が大戦中に強制収容所に送られた問題で、88年に米政府の公式謝罪と補償を勝ち取った。最近では米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設など米軍再編の推進を訴えた。
 12月19日付の朝日新聞朝刊の評伝によれば、イノウエ議員の座右の銘は「義務と名誉」だという。この銘は、祖父から受け継がれた家訓だった。日露戦争前の1898(明治32年)、家屋3軒を焼いた出火元として賠償の責務を負い、一家でハワイに出稼ぎ移住した。祖父はいつもこの言葉をイノウエさんに教えたという。
 生活保護費をくすねて平然としている日本人や義務を履行せず権利ばかりを主張する日本人が多い昨今、こんな日本人はほとんどいなくなった。「義務と権利」はまさに民主主義を民主主義たらしめる決定的な要素だ。多くの日本人は権利ばかりを主張せずに、権利を主張すれば義務も生じることをイノウエさんから学んでほしい。
 イノウエ家の家訓は、第2次世界大戦中や戦後のある時期まで差別と偏見の米社会で生きていくための上院議員の心の支えであったのだろう。1924年にハワイで生まれ、日本を一度も訪れたことがなく、父や祖父からしか教えられなかった母国が1941年12月8日、ハワイ・真珠湾を奇襲し、米国と開戦した。
 真珠湾攻撃当時、イノウエさんは医学の道を志し、ハワイ大学で医学部準備コースに登録、勉強していたという。日本の真珠湾攻撃は、日系アメリカ人にとりイバラノ道の始まりだった。読者の方々も知っているように、日本人に偏見を抱いていたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日系アメリカ人と日本人移民約120,000人を米国の砂漠地帯の強制収容所に送った。ルーズベルトは、本国に忠誠を示す日本人のスパイ活動を恐れたという。
 日本政府は、米国の「強制収容所」政策を、白人の黄色人種に対する横暴と宣伝し、これを憂慮した米政府は、1943年1月28日、日系人による連隊規模の部隊の編制を発表し、強制収容所内などにおいて志願兵の募集を始めた。
 ハワイと強制収容所から日系2世の若者約3500人が志願した。そのなかにイノウエ議員もいた。イノウエさんは、今日まで米陸軍最強部隊として米陸軍史に刻まれる第442連隊に所属した。第442連隊は歩兵を中核とし、砲兵大隊、工兵中隊からなる独立した戦闘部隊だった。
 編成当初、ハワイ出身者と米本土の強制収容所出身者との地域に根差した感情的な対立があったが、米国社会による日系人敵視感情をのり越えるために一致団結。"Go for broke!"(「当たって砕けろ!」、「死力を尽くせ!」の合言葉の下に、欧州戦線に出陣した。
 ウィキペディアによれば、米陸軍上層部は当初、日系人が白人部隊の弾除けにされることを恐れ、前線に投入しなかった。しかし、日系人の強い希望で、部隊は前線に投入され、ドイツ軍との戦いに参戦した。442部隊に所属していたイノウエ議員はオバマ大統領が哀悼声明で褒めたたえた勇敢な兵士のひとりだった。

12月17日付ニューヨークタイムズ紙が詳しく報じているので紹介する。
 
 1943年、米陸軍は日系アメリカ人の入隊禁止措置を解除した。イノウエ氏は新しく編成された442連隊に入隊。この連隊はすべて日系アメリカ人2世から編成されていた。そしてこの部隊は米陸軍史上もっとも勲章を排出した部隊となった。
 1944年、イノウエ議員は、陸軍中尉として前線指揮官に任命された。彼は胸を撃たれたが、胸ポケットに入っていた銀のドル硬貨2枚に救われたこともあった。このような生死の淵に立たされた前線で活躍しながら、運命の1945年4月21日を迎えた。
 ドイツの敗色は濃く、イタリア戦線でもドイツ軍は最後の抵抗を試みていた。イノウエ中尉はイタリアのサン・テレソ近くのドイツ軍防衛陣地を攻撃する任務を負った。イノウエ議員が率いる歩兵小隊は、トーチカのドイツ軍が発砲する機関銃3機に前進を阻まれた。イノウエ議員は腹に負傷を追いながらも突撃、手りゅう弾をトーチカに投げ込んでドイツ兵を黙らせ、別のトーチカに機関銃を浴びせドイツ軍兵士を戦死させた。三番目のトーチカに向かってほふく前進を開始。その時、敵軍から機関銃射撃が始まり、イノウエ中尉の右腕に命中し、ほとんど腕がもぎとれそうになった。
 イノウエ議員の話によれば、「手を握り締めて歯を食いしばった。もはや右腕は身体についていないような感覚だった。落とした手りゅう弾をやっとの思いで左手で拾い、トーチカに投げ込んだ。手りゅう弾がさく裂し、トーチカは破壊された。イノウエ中尉はよろめきながら前進し続けた。さらに足を撃たれ、意識を失うまで、機関銃を撃ち続けた」
 イノウエ氏の右手は野戦病院で切断され、きわだった戦功のために米軍で2番目の勲章「サービス・クロス」を与えられた。2000年にクリントン元大統領から米軍最高の勲章「メダル・オブ・オナー」を授与された。442部隊の日系2世将兵は、当時の人種偏見と日本人蔑視のために戦功に沿った勲章を与えられなかったようだ。イノウエ中尉は2年間、いくつかの陸軍病院に入院し、そこでロバート・ジョセフ “ボブ” ドール元上院議員ら、戦後の米政治家と出会った。1947年大尉で除隊した。

 ニューヨーク・タイムズ紙はこのように記している。
 イノウエ議員は、温厚な人柄で、「目立ちたがらない。自己主張しないで人に道を譲る」という伝統的な日本人の美徳を生涯持っていた。しかしここぞという国家の危機では前面に出て、解決に努力した。好例はニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件、とイラン・コントラ事件だった。
 1973年に起こったウォーターゲート事件では、ニクソン大統領の再選にあたり、大統領と側近の不法活動を調査する上院の委員会の一員だった。イノウエ議員は、ジョン・ミッチェル司法長官やホワイトハウスの大統領側近のハルドマン氏らを「粘り強く、一貫した質問」で追いつめた。調査終了後、ギャロップ調査は、調査委員会の活動をテレビなどで見ていた米国民の84%が井上議員の活動に好意的な発言をした。
 首尾一貫した姿勢が評価され、1987年のイラン・コントラ事件を調査する上院の委員会の委員長に選ばれた。米政府高官がレーガン大統領の政策に違反。隠密に武器をイランに売り、売却した資金を駐米ニカラグアの左翼勢力、サンディニスア政権を支援するために使った。イノウエ委員長はこの事実を白日の下にさらした。
 晩年には、上下両院による従軍慰安婦非難決議(2007年)に反対し、F22新型戦闘機の日本売却見送りでも日米の調整役を引き受けた。
 日本政府は2011年に日本の桐花大綬章をイノウエ氏に授与した。朝日新聞によれば、「ワシントンの大使公邸での祝賀会で、目を潤ませながら繰り返した。『義務と名誉が私を支えてきた』と」。
 イノウエ氏はこう述べている。「日米は長い年月をかけて、お互いに名誉と尊敬を抱く合う関係に近づいてきた。その積み重ねを決して損ねてはいけない。人は義務を果たそうとすると過剰な行動に出てしまうことがある。いまは声を和らげ、柔らかく考えることが大切だ」。日米関係は現在、ぎくしゃくしている。
 「名誉と尊敬を抱きあう関係」。同じアングロサクソン人を祖先に持つ米英は、チャーチル英首相が1940年5月に就任してから70年間、そのような「スペシャル・リレーションシップ」が続いている。イノウエ議員の事実上の遺言が本当なら、素晴らしいことだ。
 日米は文化や考え方が違っても、法順守の精神は同じだ。国際法に基礎を置く国際関係には不可欠なことだ。米国人の先祖は英国から新大陸に渡ってきた。英国の精神は「騎士道精神」と「法の遵法」だ。日本は「武士道精神」と「法律の尊重」だ。この精神は両国とも約800年間、続いている。
 約束したことは守る。この精神がある限り、相手を信頼できる。筆者の見解だが、法遵法の精神が日米英人にあるからこそ、お互いに信頼できるのだ。だからこそ同盟関係も信頼でき、維持できる。
 中国には「法遵法の精神」がない。それは4000年の中国史を読めば理解できる。中国人がこの精神を会得して、世界から信頼されるには数百年かかるだろう。中国人を批判していない。それが中国人の歩んできた専制皇帝・共産主義国家の伝統なのだ。それが慣習なのだ。それが国民性なのだ。個人でも同じ価値観の人とは付き合いやすい。夫婦も価値観が違うと離婚する。そんなケースが多い。だからこそ日米関係を大切にしなければならない。
 朝日新聞のアメリカ総局長の立野純二氏が書いたイノウエ氏の評伝の最後に「今の日本ではなかなか出会うことのできない、日本魂の政治家だった」と記している。同感だ。明治の日本人の精神を受け継いだ残り少ない日本人だった。勇気、名誉、義務をこのうえなく重視した政治家だった。ニューヨーク・タイムズ紙や英国のガーディアン紙はイノウエ氏を「ステーツマン(statesman)」と書いていた。ふつう英米紙が使う「Politician」ではない。われわれは偉大な「ステーツマン」を失った。イノウエ氏の冥福を祈ります。合掌。

写真はイノウエ上院議員(米政府 public domain)

2012年12月19日 09時10分02秒

自殺した英看護婦の悲劇  偽電話を取り次ぐ

2012年12月31日 13時10分47秒 | 歴史
 第1子を妊娠した英王室キャサリン妃が入院していたロンドンの病院に務める46歳の女性看護師が自殺した問題は日本でも大きくワイドショウなどで取り上げられた。女性看護師の自殺の原因として、オーストラリアのラジオ局のDJ2人がキャサリン妃の夫、ウィリアム王子の祖母であるエリザベス女王と父のチャールズ皇太子を装って病院に電話をかけたもの。それに応対した女性看護師は、最初に電話を受け、キャサリン妃の担当看護師に電話を回し、「体調は安定しています」などと同妃の様子を伝えていた。
 数日前には、2人がテレビで泣きながら弁明していた。アングロサクソン人のブラック・ジョークというか、ふざけた行為というか、とにかく相手がインド系英国人だったことも悲劇につながった。
 「行き過ぎたジョーク」「王室のプライバシーへの介入」「ふざけた小話」。看護婦のジャシンタ・サルダーナさんが自殺するまではこの程度の反響だった。AP通信社は「害のないジョークで始まり、最後に悲劇が訪れた」と伝えている。ジョークと考えて発言しても、相手を傷つける。注意が必要だ。
 この手のジョークをジョークとは日本人は受け取らないだとう。看護婦の自殺後、多数の英国人は怒っている。「DJは責任を取れ」との脅迫がDJが勤務しているオーストラリアの放送局に届いており、地元警察も警戒態勢を敷いている。
 APが14日に伝えた英警察の調査によれば、サルダーナさんは、「偽電話を受けた3日後の7日、キング・エドワード7世病院の看護婦宿舎のワードローブ(大きな洋服ダンス)にスカーフをかけて首をつって自殺した。事件は明らかに自殺。同僚の看護婦と警備員が発見した。検視官の話では、サルダーナさんを蘇生させようとしたが、手遅れだった。英警察捜査官は、彼女の手首に傷があったと話している」。
 ハーマン捜査官は「遺書が2通見つかり、サルダーナさんの持ち物からさらに1通が発見された」と語っている。ハーマン捜査官は他殺をうかがわせる物証はなにも見つかっていないと述べた。
 英警察は、自殺した看護婦の職場仲間、家族、友達に職務質問し、遺書や携帯電話のやりとりの内容も調べ、自殺の動機を解明中だという。英警察はオーストラリア警察の協力を求めて、関係証拠を集めている。
 DJ2人が勤めているラジオ放送局に一通の脅迫状が届いたため、DJ2人の身辺警護を強化しているという。一方、サルダーナさんの遺体は昨日の13日、家族に引き渡された。彼女はインドで生まれ、英国のイングランド南西部のブリストルに住んでいた。10代の子供二人がいる。
  子供も悲劇だ。夫は遺体をインドに埋葬すると話している。弁護士は「そっとしてやってほしい」と周囲の人々に求めいているという。明日の土曜日にロンドンのローマカトリック教会のウェストミンスター大聖堂でミサが執り行われる予定だ。 
 何ともやりきれない事件だ。ウィットを飛ばす英国人を筆者は大好きだが、時として脱線するケースがある。この事件は脱線どころか、列車転覆の大惨事だ。何事も加害者より被害者は永遠に忘れない。皇室がらみのニュースは日本でも取り上げられるが、英王室絡みのニュースは異常なほど英大衆紙を熱狂させる。異常なほどだ。英国民(豪州も英連邦の一員)の王室好きのネガティブな面だろう。サルダーナさんの冥福を祈る。


 (2012年12月14日 21時36分47秒)