英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

習近平総書記の人事は中国文化そのもの   家族制度は共産党を飲み込む 野望は果てしない

2022年10月31日 21時11分35秒 | 中国政治
  第20回中国共産党大会は10月16日から22日までの7日間、北京で開催された。5年に一度の大会だ。習近平政権の3期目は船出した。しかし前途は、はなはだ不透明だ。隣国に生きるわれわれに直接、間接に影響を及ぼすのは必至。日本は国難に直面するだろう。しかし日本人の多くは惰眠にふけっている。
  69歳の習近平・総書記は、68歳定年制と2期10年の慣例を破って異例の3期目の政権を発足させた。共産党の慣例では習は辞めなければならなかった。しかし辞めずに続投した。
  中国共産党の序列、ヒエラルキーというかヒエラルキーは約9670万人の一般共産党の党員が底辺にいる。日本の総人口ぐらいの数だ。そして、その中から100~150人の中央委員候補が選出される。その上に中央委員がいる。205人の中央委員に欠員ができれば、中央委員候補から補充する。その上に国家を指導し、政策を決める政治局員24人がおり、この政治局員24人から党の最高指導者のメンバー、政治局常務委員7人が選ばれる。中国は共産党による一党独裁ですから、党のトップは国家と軍のトップを掌握する。
  今回の共産党大会で新しい中央委員が選ばれ、大会閉会後の翌日の10月23日、新しい中央委員205人が中央委員会を開いた。中央委員会は新しい政治局員と新しい最高指導部のメンバー、政治局常務委員7人を選出した。新しい政治局常務委員のお披露目となった10月23日の記者会見でわれわれが目にしたのは、栄美を浮かべながら先頭を歩く習近平・総書記がいた。彼の後ろには常務委員6人が付き従った。すべて習近平の側近だった。
  習の派閥一色である。習近平は子飼いの人間を集めた。政策や能力が疑問があっても自らの側近を引き上げた。彼に忠誠を誓えば良いのだ。しかし自分自身と距離のある幹部を徹底排除した。
  一例をあげる。中国共産党内で早くから次代を担う「ホープ」と見られてきた胡春華副首相は政治局員をはずされた。政治局委員から政治局常務委員に格上げされるどころか中央委員に降格した。習と敵対するエリート養成機関の共産主義青年団出身だから、というのが専門家の見方だ。
  まさに習近平が信奉する共産主義、マルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないやり方で人事を決めた。この人事の選び方は、中国が2千年以上にわたって育んで生きた文化や慣習、国民性が色濃く出ている。
  中国社会の根幹をなすのは共産主義ではない。それは家族制度だ。さらに家族制度を一歩進めた村落制度だ。2000年以上にわたって中国の家族制度は一つの砦を築いてきた。孔子による儒教の教えに、その基礎がある。
  家族という砦の中の人々、つまり親類縁者、数百人の遠い親戚をも含めて、その砦の中にいる人々はお互いに助け合う。その家族が心から信頼する友人もその家族の1人と見なされる。
  この家族制度が2千年以上にわたって中国社会に弊害をもたらしてきた。この鉄壁のうちにいる家族1人1人は互助制度の中で情実を育む。それにとらわれて不正を働く。私腹を肥やす。皇帝の時代なら、身内から科挙試験に合格すれば、その身内の将来は保証される。栄達した暁には一族は繁栄する。科挙合格者は縁者に厚遇を与える。現在の支配者階級は共産主義者だ。1人の共産党員が栄達すれば、個人が私腹を肥やすだけでなく、一族も繁栄する。今の昔もこの社会構図は代わらない。
  これが公民意識の欠如、社会正義の欠如をもたらし、万人に公平な法律、為政者を縛る法律を失わさせて、法律は権力者の圧政の道具となってきた。今回の習近平の人事はまさに中国2千年の弊害そのものだと思う。
  習は法律を我が物にし、汚職という大義名分の旗をかざして、政敵や敵対する派閥の党員、ライバルを蹴落としてきた。ライバルが家族制度の垢にまみれ、実際に賄賂をもらったとしても、賄賂を罰するのが目的ではなかった。ただただ法律を悪用し、ライバルを蹴落としてきた。
  中国大衆は情理を優先し、あまりにも機械的な法制度を嫌悪する傾向があるという。中国人の国民性が法制度の確立を阻害してきたという。20世紀の中国の偉大な文学者、林語堂が家族制度の悪弊を「My country and mu people」という英語の本に記している。  
  習近平総書記は中央委員会総会後の演説でこう話す。「マルクス主義の中国化を進め、特色ある社会主義の新しいページを絶えず書く」。それは具体的に何か?「中華民族の偉大な復興」という民族主義だ、と習は説明する。
  まさに中国共産党という家の表札は「社会主義、マルクス主義」だ。家の中に入ったら、中国文化や伝統そのものをやっている。中国を中心とした中華思想そのものだ。まさに中国共産党は4千年の中国文化に飲み込まれてしまった。
  習近平が提唱するアジア、ヨーロッパ、アフリカ大陸にまたがる経済圏構想「一帯一路」も中国の家族制度の延長なのだ。開発途上国に擦り寄り、経済支援をすると話す。しかしその国の経済状況にお構いなく資金援助し、労働者は中国から派遣する。その国のことなど一顧だにしていない。たとえばスリランカなどの国々は雪だるまのように多額の債務が膨れあがり、債務を返済するため、港などの施設を事実上中国に売り渡している。
  中国を家族制度にたとえよう。家族は中国13億の国民だ。鉄壁の外のが外国民は家族ではない。冷淡そのもの。何してもいいわけだ。この悪癖は紀元前に生きた韓非子の時代にもあった。はびこっていた。韓非子は嘆いた。そして法こそがこの悪癖を除去できると信じたが、ものの見事に失敗した。中国人は今も昔も法の支配を嫌う傾向が強い。
  習近平は中央委員会総会後、「出発のラッパが鳴っている。われわれは勇ましく進み、輝かしい明日をつくり出すのだ」と演説した。輝かしい明日をつくりだす」というのはアメリカを経済と軍事で追い付き追い越し、中国中心の国際秩序を構築することなのだ。台湾を統一し、その暁に明帝国、清帝国時代の版図を回復する、権威主義国際秩序を作りことなのだ。「国恥図」の汚名をそそぐことが最終目的なのだろう。僕らにとっては「輝かしい」どころか「暗い」未来だ。中国共産党を警戒せよ、わが同胞よ。気づいた時には尖閣列島どころか沖縄もとられていよう。沖縄はかつて中華帝国の朝貢国だった。習は中華帝国が影響を及ぼした地域はすべて中国の版図だと主張しているのだ。

中国共産党は決して独裁権力を捨てない  区議選での香港・民主派の勝利に思う

2019年11月26日 20時11分12秒 | 中国政治
  香港民主派の選挙勝利は中国・共産党の圧政をさらに強める可能性を秘めている。香港の自治を認めた「一国二制度」はこれから、ますます形骸化するだろう。しかし香港の民主派の抵抗はやまず、彼らを引き裂いたとしても、そのブーメランは中国共産党を逆襲し、共産党はこの世から、いつの日か消えるだろう。
  中国共産党は官制メディアを総動員して「香港の混乱は海外勢力に操られた一部の過激派が起こした」といった宣伝工作を展開している。
  古希を過ぎた私には、この類いの「宣伝」は聞き飽きている。共産党の常套句だからだ。中国共産党だけでなく、1991年に地球上からいなくなった旧ソ連の指導者がよく使っていた。
  24日に投票が行われた香港の区議会(地方議会)議員選挙は、民主派候補の圧倒的勝利に終わり、数カ月前から続く民主化デモを香港の有権者が支持していることを証明した。中国政府寄りの香港政府の対応を拒否する民意を映した格好だ。
  公式結果によれば、民主派は452議席中85%の議席を獲得。前回2015年の選挙では、民主派の獲得議席は約4分の1だった。政府寄りの親中派陣営が獲得した議席の割合は4年前の65%から今回は約13%に低下した。投票者数は294万人余りと、有権者の約71%に上り、前回15年のほぼ2倍となった。
  中国共産党は今後、ますます香港の「一国二制度」を形骸化し、香港市民を中国国内並みの厳しい統制下に置くように画策するだろう。また、台湾を脅かし、形骸化した「一国二制度」を押しつけてくるだろう。
  香港と台湾の若者は中国共産党の真意を見抜いている。私は先日、台湾で働いている在日韓国人の医師に会い、台湾の若者の考えについて聴いた。
  台湾での国民党の蒋介石・独裁体制を知らずに民主主義社会に生きてきた台湾の若者は、反中国の蔡英文総統を支持するようになってきた。蔡英文総統は最近まで若者に不人気だったという。しかし台湾の若者の危機意識が高まりを見せ、来年の台湾総統選挙を見据えて民主主義擁護と反中国を鮮明に出してきている。在日韓国人の親友はこう語っている。
  中国共産党がマルクス・レーニン主義を掲げていた半世紀前には、それがいかに暴力的な理念であろうが、理想があった。中国共産党員はそれを正しいと信じて行動した。しかし、共産党が資本主義を経済理念とし、「中国に適合した社会主義」と唱え始めたとき、中国共産党は単なる独裁政権に墜落してしまった。自らの既得権を必死に守る政党にばけてしまった。
  中国共産党はチベットで、新疆ウィグル自治区で、香港で、自らの既得権を守るために圧政を強めてきたし、これからますます強めてくるだろう。台湾を”解放”するとの旗印を掲げて武力侵攻をする日が到来するかのしれない。
  共産主義者や独裁政権の最大の欠点は情報を遮断することだ。現在で言えば、インターネットやスマートフォンによる外国(民主主義国)からのショート・メッセージ・サービス(SMS)を遮断することだ。
  中国共産党は自らに不利な情報を国民に流さないことが政権の安泰につながると確信している。しかし、それはとんでもない勘違いだ。
  自由な情報の往来を許してこそ、国民の団結と共産党への信頼が深まる。戦国時代、徳川家康に最も恐れられた小藩の武将、立花宗茂はどんなことでも隠さず、足軽までの末端の部下にまで話した。そうすることで宗茂の考えを共有し、一致団結し、「殿様のためなら死をいとわない」という気持ちにさせたという。それが九州一の最強の軍団を築き上げた。
  明らかに、中国共産党は歴史の歯車を逆行した政策を実施している。だが、その末路は哀れになるにちがいない。時の流れは中国共産党に味方していない。
  習近平指導部と中国共産党に忠告する。民主主義は必ず勝利する。ドイツの哲学者ヘーゲルは大衆による政治が政治体制の最後の姿だと予言した。それをレーニンは利用して労働者階級の勝利こそヘーゲルの思想の具現化だと唱えた。しかしヘーゲルは民主主義制度の勝利を予言していたのは明らかだ。
   民主主義の危機が何度か訪れたが、その制度は生き延びた。圧倒的多数のドイツ人から支持されたアドルフ・ヒトラーとナチ党の独裁体制でさえ、民主主義の軍門に下った。それは歴史の流れに逆行したからだ。古希を迎えた私は中国共産党が滅びるまでは中国を訪れないと決めている。私の死までには滅びないかもしれないが、中国共産党はナチ党同様、必ず滅びると確信する。

(写真)香港の区議会選の勝利を喜ぶ民主派  
  

中国共産党の未来は明るいのか

2015年11月06日 16時40分08秒 | 中国政治
 筆者のブログにこのところ中国問題について持論を展開する回数が多い。できるだけ資料に基づいて客観的に書いているが、主観的な思いを書いた部分もある。
 読者に申し上げたいことがある。このブログに述べたことはあくまで私の見解であり持論だ。筆者と見解が違う読者もいるだろう。当然である。最も重要なことは、各自が、私のブログを含めた多くの人々の見解を読み分析し、それらに基づいて自分の意見を構築することだと思う。
 筆者は民主主義者だと自認しており、あらゆる独裁制度や権威主義制度に反対の立場をとる。もちろん、中国国民に何らの敵愾心を抱いてはいないが、中国共産党と共産党が敷く独裁体制に反対する。
 中国国民が共産党のくびきから解き放され、中国共産党に支配されているウィグル人やチベット人がいつの日か自由で、自らの運命を切り開く権利が持てるようになることを願っている。
 人間はある意味で愚かである。自ら手に入れた権利をなかなか手放さそうとしない。手放すことが自らの生存を保障するのにもかかわらず、目先のことだけから判断して既得権を手放さない。既得権を手放すには相当の勇気がいる。
 中国共産党と歴代の指導部が糾弾している日本軍国主義者、特に中国東北部(旧満州)を支配した関東軍は、時(歴史)が変化しているのにもかかわらず、日露戦争で獲得した権利を手放そうとしなかった。それどころか、その権利を拡大しようとして亡びた。
 中国共産党は東条英機元首相(陸軍大将)をはじめとする日本の軍国主義者を糾弾し、靖国神社に参拝する日本の政治家を非難するが、彼ら自身の行動様式は日本の旧軍部と変わらない。つまり、時を無視して、既得権を守ろうとしている。
 毛沢東主席が率いる共産党が地主や都市のブルジアジーを倒し、皆が平等に暮らせる社会を夢見て新中国を建設した。いつの時代も、革命は革命でしかなく、理想の実現は夢のまた夢である。毛沢東の夢も例外ではなかった。
 中国社会は現在、官僚の腐敗が目を覆いたくなるほど深刻だが、民主主義制度の萌芽を促す中産階級が育ってきている。「爆買い」のため日本を訪れる中国人観光客は年々増えている。
 中国共産党が唱える「中国の一部である台湾」では、国民党を率い、日本軍と戦った蒋介石総統の独裁を知らない台湾人が多数を占めるようになった。特に台湾の若者は生まれた時から自由と民主主義の権利を享受している。それを捨ててまで、台湾が権威主義的な独裁体制が敷かれている中国大陸に統合されるのを支持するとは思わない。
 1949年に中国と台湾が分断して以降、初めての中国共産党と国民党の首脳会談がシンガポールで11月7日に始まる。中国の習近平国家主席は台湾をつなぎとめ、中国の統一を実現しようと必死だ。だが、時は中国共産党に不利だ。時が流れていけばいくほど、中国本土を知らない台湾人が増え、中国本土より台湾への愛着心とアイデンティティーを抱くようになるだろう。なによりも民主主義制度を護ろうとするだろう。
 中国共産党は、日本の関東軍と同じように、既得権を死守するためになりふり構わぬ行動に出ている。また共産党崩壊の危機意識を抱いている。それを一番抱いているのは共産党員自身だ。さらに中国共産党のヒエラルキーの上部ほどその意識はますます強いと思われる。
 習主席が現在展開している反腐敗闘争も党内の権力闘争と深く結びつき、それは習自身の共産党崩壊への危機意識の表れだ。南シナ海問題も、共産党の権力維持と深く結びついているのかもしれない。
 中国共産党指導部にとり、強い中国、世界に影響力を与える中国、偉大な中国の復興、反腐敗闘争などは共産党の永続に欠かせないものにちがいない。
 それでも中国内外の識者から「中国共産党が崩壊する日時は言えないが、中国共産党はその終焉に入った」という声が漏れてくる。
 中国型の民主主義はどのような道をたどるのか。韓国型かロシア型か、東欧型か。旧ソ連のゴルバチョフのようない強いリーダーが民主主義を実現する起爆剤になるのか、それとも資本主義経済から生まれた中産階級が独裁体制を打倒するのか。
 中国専門家で、早稲田大学現代中国研究所長の天児慧教授は次のような条件で、中国が漸進的民主化の可能性が十分にあると考えている。その条件は①中国経済が急激に悪化しない②党の政治指導体制が公平さや透明性などを着実に強化していくこと③習近平自身が「紅二代」の利益代表者だけでなく、様々な難題に真に取り組む改革者であることーだという。
 「紅二代」とは、中国共産党の元高級幹部の子弟で構成されるグループ「太子党」のうち、1949年の新中国成立の前に共産革命に参加し、日中戦争や中国国民党との内戦で貢献した幹部たちの子女の呼称である。
 天児教授が挙げた条件を、中国共産党が満たすのは容易ではないと思う。その条件を満たすのを阻害している最大の要因は、中国が法治社会ではないということである。権力者であろうがなかろうが万人に等しく適用される法律が中国にはいまだかつて存在しない。コネが社会を動かしており、権力者により法律がいかようにも運用される社会。権力者の権力維持のために利用される法律がまかり通る社会になっている。
 日本の鎌倉幕府の執権、北条泰時公のような権力者が中国に出てこなかった。泰時公は1232年に御成敗式目を制定し、自ら率先してその法律に従った。武家の最高権力者といえども法を守る規範を大衆に示した。
 中国では古今を問わず、最高権力者は法律の枠外に置かれる。法律を統治するための道具に使う。人治の国の中国では、真の法律が制定され、民主主義と自由が根付くには相当の年月を要するだろう。
 漸進的民主主義の構築のほかに、中国がとり得る道は、長期にわたる非民主主義政治体制が続くか、劇的に共産主義体制が崩壊し、中国社会が政治的、社会的に混乱かのどちらかだろう。
 このいずれの場合も隣国の日本に大きな影響を及ぼす。中国共産党独裁の継続は、中国と東アジア諸国間の、中米間の摩擦を助長するだろう。一方、共産党体制の崩壊は、経済上の大混乱をもたらし、日本経済に計り知れない打撃を与えるにちがいない。そして中国社会の混乱は、亡命や難民を生み、日本社会にマイナスの波を波及させるだろう。
 われわれ日本人とり中国問題は、好むと好まずとにかかわらず、自らの問題として捉えていく必要がある。何度も申し上げるが、中国人や中国への感情的な反応は観察の窓を曇らせ、客観的な判断ができなくなる恐れがある。
 「南シナ海問題」「靖国神社参拝」「中国人や政府の反日」などに対して中国の指導者と政府はこれからも、しばしば外交カードとして使う。中国政府の行動に対して、日本人が冷静な姿勢を貫けば貫くほど、日本の独立と領土保全が保障され、自由で民主的な国家が続くと思う。そうあってほしい。
  自由と民主主義制度は最高の制度ではない。しかし100%完全な制度などこの世の中に未来永劫出現しない。この制度は他の制度と比べて優れている。その制度の恩恵を享受して晩年を迎えた筆者は、あと数十年でこの世を去る。子どもや孫の世代もこの制度の恩恵を受けることを願う。それは一愛国者の思いでもある。

◎写真:対中警戒を露わにする台湾学生の「ヒマワリ運動」


中国の軍事パレードとナチス映画「意志の勝利」 独裁国は古今東西同じ

2015年09月04日 16時37分41秒 | 中国政治
 昨日の中国軍の軍事パレードは、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の記録映画「意思の勝利(Triumph des Willens)を彷彿とさせる軍事行進だった。この映画は1934年9月4日から6日間にわたってニュールンベルグで開かれた党大会のために、独裁者アドルフ・ヒトラーの依頼によりリーフェンスシュタール監督によって制作された。
 「反ファシスト勝利70周年」「抗日戦争勝利70周年」と銘打って実施された軍事パレードだったが、皮肉にもヒトラーと同じ演出をしたことになる。つまり表看板は「反ファシスト」だったが、内実はファシストと同じパレードだった。独裁国家は古今東西を問わず、国家の威信と発揚、軍事力の誇示に大きな関心を示す。
 習近平国家主席が屋根をぶち抜いた車に立ち、「同志のみなさまご苦労さま」と言えば、将兵が「人民のために奉仕します」と答えていた。それはヒトラーがオープンカーから沿道の市民にナチ式の敬礼をし、感極まった市民がヒトラーに敬礼を返した光景とダブった。 
 個人の独裁であろうが、組織の独裁であろうが、独裁国家は軍事力をパレードで誇示するのがお好みのようだ。中国共産党指導者は中国が世界の超大国アメリカ合衆国にいつの日か肩を並べることを依然として夢見ていることをあらためて明らかにした。
 習主席は「中国は永遠に覇権を唱えず、拡張も図らない」と、平和的な発展を目指す姿勢を強調した。そして「中国は将来、兵力を30万人削減する」と宣言した。
 日本政府から国連の中立性への疑問を指摘されてもパレードに出席した潘事務総長は、中国が兵力30万人を削減したことを評価し、軍事パレードについても、中国人民の平和を願う思いが十分に伝わるものだと感想を述べた。
 潘事務総長が本心を述べていないことを祈る。これが本心なら相当「おめでたい」人だ。習主席は軍の近代化を推進するために、不必要になった兵力を削減するといっているにすぎない。
 それにしても独裁国家の指導者は「平和」という言葉が大好きだ。ナチス・ドイツのヒトラーも1934年9月の党大会でドイツの青年(ナチスのユーゲント)に向けて演説し、「ドイツは平和を愛する。第1次世界大戦後に締結されたベルサイユ条約を正したいだけだ。敗北したドイツは不当な扱いをこの条約で受けた。平和こそドイツが求めている」と述べた。しかし毎年軍備を拡張し、欧州を戦禍の渦に巻き込んだ。中国共産党指導部が「平和」を口ずさんでいる。
 民主主義国家がこんな軍事パレードをした歴史はない。第2次世界大戦終了後でも、英米国民が熱狂し、紙ふぶきで帰還兵を迎えたのを記録映画で知るだけである。旧ソ連や現在のロシア、中国など独裁国家や権威主義国家だけが多額の費用を使ってこんなバカげたパレードをするのだ。
 ヒトラーもそうだった。記録映画「意志の勝利」をご覧になれば、独裁者の前をナチ党の親衛隊やドイツ国防軍が整然と膝を曲げずに行進しながら通っていた。自動車で閲兵する習主席と同じ構図だ。
 ヒトラーの党大会への演出はドイツ国民を魅了した。中国共産党も楽隊による勇壮な抗日歌曲の演奏に続き、70発の礼砲が響き渡った。
 中国政府は式典当日の3日を休日にし、北京市当局は市民に「3日は極力外出を控え、式典をテレビで見るように」と呼びかけた。抗日行事への市民の関心を高めるため、9月1日から5日まで、全国のテレビ局は歌やダンス、バラエティーなどの娯楽板組の放送が禁止された。
 また、パレードに参加する軍の飛行機を妨害しないよう、式典とパレードの開始時刻である3日10時(日本時間同11時)から、北京の国際空港では全ての旅客機の離着陸が3時間停止され、北京周辺でのたこ揚げや風船を飛ばすことも禁止された。さらに2回以上の建物の窓から見物することを許されなかった。
 これに対して、ニュールンベルグの市民は建物の2階の窓という窓からナチスの軍事パレードを見ていた。前年の1933年1月に曲がりなりにも民主的に選ばれたヒトラー政権には、大衆を恐れる必要はなかった。映画「意思の勝利」が雄弁にこのことを語っている。 
 「鉄砲から政権」が生まれた中国共産党と、「投票」により政権を取ったヒトラー政権の違いが分かる。20世紀の「三大悪人」の一人であるヒトラーが民主主義制度の手続きを悪用したとしても、政権樹立当初は国民から信頼されていた。この違いをかみしめ、民主主義制度のすばらしさと弱点を理解し、いかなる独裁にも反対する姿勢が必要である。

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政治局常務委員を務めた周永康の規律違反立件に思う    中国人の文化と国民性

2014年07月31日 10時16分18秒 | 中国政治
 「中国共産党は7月29日、胡錦濤(フーチンタオ)政権で最高指導部にあたる政治局常務委員を務めた周永康(チョウヨンカン)・前党中央政法委員会書記(71)を重大な規律違反の疑いで立件することを決めた。1949年に共産党政権が成立して以来、文化大革命などの政治的混乱期を除き、常務委員経験者が摘発されるのは極めて異例だ」
 朝日新聞はこのように報じた。ほかの新聞も同様の記事を流し、中国共産党の権力闘争を白日の下にさらした。
 産経新聞は、周氏の立件をめぐって習近平総書記の思惑について記し、「習指導部は周氏の立件を通じ、いかなる高官も例外なく取り締まる『反腐敗』への強い姿勢を示して国民の支持を求めている」と報じる。
 権力が一グループや一人の人間に集中すると、汚職や権力の乱用を生みやすい。中国が歴史を通して腐敗がはびこる国家だった大きな一因は権力の集中に起因すると言っても過言ではない。毛沢東が権力を握った大きな理由は、毛が率いる八路軍(中国解放軍の前身)が「人民」の私物を盗まず、清貧だったからだろう。毛沢東は1927年に井崗山に根拠地を定めるにあたって,三大規律六項注意(のちに八項に改める)を制定し,〈人民の軍隊〉たる性格を明確にした。
 三大規律は,(1)いっさいの行動は指揮にしたがう,(2)大衆のものは針1本,糸1すじもとらない,(3)いっさいの捕獲品は公のものとする,八項注意は,(1)言葉づかいはおだやかに,(2)売り買いは公正に,(3)借りたものは返す,(4)こわしたものは弁償する,(5)人をなぐったり,ののしったりしない,(6)農作物をあらさない,(7)婦人をからかわない,(8)捕虜をいじめない,というものだ
 中国共産党の前の政権は国民党。蒋介石総統が率いた政党だ。現在、台湾で政治活動を行っている。この政党も1940年代、腐敗政党だった。蒋介石自身は汚職に染まっていなかったといわれるが、親族や国民党幹部、党員は汚職まみれだった。当時の中国国民は国民党に愛想を尽かし、毛沢東を支持。毛沢東は新中国を成立させた。1910-20年代の軍閥割拠の時代も、1911年の辛亥革命以前の気が遠くなるような長い帝政時代も汚職は中国の名刺だった。汚職は中国の文化であり、国民性と言えるだろう。
 なぜ汚職が起こるか。それは中央集権独裁国家と家族主義が原因だろう。それが全てではないが大きな比重を占める。家族主義は身内を大切にする。そして鉄壁の城壁の外に暮らす身内以外の人々には計算高く付き合う。権謀術数を弄する。極論すれば何をしてもかまわない。特許権を無視した海賊版や模倣品をつくっても平気。期限切れ食肉を出荷していた中国企業、上海福喜食品問題も身内以外なら何をしてもかまわないという発想から来ているのだろう。
 日本人が考える身内はせいぜい親子、兄弟ぐらいだろう。せいぜい叔父、叔母、従兄弟までではないだろうか。しかし中国は違う。帝政時代、9親等まで責任が及ぶと言われた。一人が国家に反逆すれば9親等まで過酷な刑を受けることになる。
 中国人が考える家族の範囲は大きい。筆者の知り合いは中国人女性と結婚した。嫁さんと初めて中国の義父母を訪問。盛大な宴が催された。この宴の出費負担は、一番金を稼いでいる人。つまり筆者の知り合いである。彼はわたしに「とにかく訳の分からない遠い縁者まで宴に駆け付けていた。その数は70人と下らなかった」と語った。法支配の伝統がない中国では、人民は統治者を信じない。信じるのは身内だけ。だから親類縁者の結束と協力は固い。
 この家族主義の根はひじょうに深い。中国を身内とすれば、身内の外にいる人間や国家には何をしてもよいということになる。中国共産党機関紙である人民日報と人民網は、2007年8月28日付の中国食品の「毒」は日本から来たと題する記事で、朝日新聞社の発行する週刊誌AERA(アエラ)の記事を引用する形で、もともと中国製の食品は安全であったが、中国の食品が農薬や抗生物質を含むようになったのは、中国に抗生物質を持ち込み、中国で品質を無視して買い叩く日本人が原因である。日本は中国の食品安全問題に対して逃れようのない責任があり、日本人が悪いのになぜ日本人はあれこれ騒いでいるのだと、日本の食品安全に対する姿勢を非難している。
 このような難癖は中国人の常とう手段だ。これで満州(中国東北)を侵略した日本の関東軍も怒らせた。満州に侵略する前、すべての事件を日本軍の責任に転嫁。法破りの中国人に関東軍将校は頭にきた。現在の日本人もそうだろう。ただ関東軍と現在の日本人に共通な性格は「感情的で観念的」「歴史を直ぐ忘れる」ことだ。もつと冷静になってほしい。
 もう一つの中央集権独裁政治体制の伝統も中国の汚職を生む土壌を提供している。独裁体制にはチェック機関がない。2000年前に法支配を唱えた韓非の時代から官吏の腐敗は中国社会の大きな問題。ある意味で中国人ほど人間の弱さを持っている国民はいないと思う。既得権を死守し、権力を求め、金が全てだという観念にとらわれている。日本人のように現実離れした理想論を抱かない。ただただ現実的、即物的だ。その良し悪しは別として、中国人の文化から出た国民性だろう。
 ただ中国共産党指導部にとり社会の腐敗は権力基盤を弱体化させる。これは中国史の冷徹な事実だ。習総書記はこの事実を理解しているはずだ。だから大衆の支持を得るために周一族の汚職疑惑を立件しようとしている。もちろん権力闘争の一環でもあろう。周一族の汚職疑惑をテコにして、習が自らの政治基盤を強化しようとしているのだろう。
 中国の民主化は遠い夢にすぎない。中国人が遠い将来に議会制民主主義と自由を獲得できたとしても、それを身体の一部として自由自在に使いこなすことにはならないだろう。それを使いこなすにはまた気の遠くなる歳月が必要だ。