英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

日本の食料不足の危機招く厳しい世界の水事情 英紙を読んで思う

2017年07月29日 22時30分39秒 | 地球環境・人口問題
 水問題がわれわれの未来を暗くしている。将来の真の脅威は水不足だ。原油なしに食料を生産できるが、水なしにはそれはできない。
 われわれは一日平均4リットルの水を飲む。しかしわれわれが一日で食べる食料を生産するのに2千リットルの水を必要とする。食料の中で大きな比重を占める世界の穀類の40%が潅漑(かんがい)により生産されている。地球人口の増加が、この60年で穀物生産を3倍にし、それを可能にしたのがかんがい設備の普及だ。かんがいで潤された世界の農地は1950年に2億5千万エーカだったが、2000年には7億エーカにまで拡大した。
 農業従事者は農業用水を河川か地下水から引いてきている。河川をせき止めダムを建設する方法は近年、ダムに適した地形が少なくなり、河川によるかんがい農業の将来は楽観を許さない。その上、地球人口が増え続けている。増え続ければそれだけ食糧増産をしなければならず、河川のほかに地下水に頼る比重が増えるが、地下水が無限にあるわけではない。
今日、世界人口の半分を占める18カ国は地下水を過剰にくみ上げており、雨水により供給される地下水を超えて利用している。18カ国のうち世界三大穀物生産国は中国、インド、米国。またイラン、パキスタン、メキシコといった人口の多い国も含まれている。
 18カ国のうちの数カ国は地下水を使いすぎ、井戸が干上がり始めているという。このままでは水不足は目に見えており、穀物増産も期待薄である。
 世界有数の石油産油国のサウジアラビアは豊富な資金を使って1970年代にかんがい設備をつくり、地下水を利用して穀物の自給に成功したが、30年も持たなかった。2006年を境にして、穀物生産は毎年急速に減り、2016年には穀物生産はゼロになった。3千万人の国民の腹を満たすため、原油代金を使って1千500万トンの米、大麦、小麦、とうもろこしを輸入し始めた。
 内戦の惨禍に苦しめられているシリアは2001年、穀物生産が最高に達したが、その後、地下水が減少。当時に比べて32%も穀物生産量が落ちている。シリアの隣国、イラクも現在、自国民の食料の3分の2を外国からの輸入に頼っている。かつての古代文明発祥の地にはチグリス・ユーフラテス河の豊富な水量があった。しかしその水量は目に見えて減少している。イエメンも同様の運命に直面している。メキシコ、イランやパキスタンも同様だ。
 三大穀物生産国の一つである中国の穀物生産の5分の4はかんがいによるものであり、揚子江や黄河などの大河川に依存する。
 2001年に発表した中国政府の地下水調査報告では、華北の大穀倉地帯(中国の小麦とトウモロコシの収穫量の半分と3分の1をそれぞれ占める)の地下水量が急速に減少している。その原因は地下水の取り過ぎである。世界銀行は中国が将来想像を絶する水不足に見舞われる可能性があると警告する。
 人口が毎年1500万人増えているインドの食糧事情は将来中国よりも深刻になると、世界銀行は警告している。インドでは地下水の掘削が野放しになっており、農業従事者はなりふり構わず地下水を農地に利用。このため、地下水量は目に見えて減少している。
 確かにインドの食糧増産量は増えているが、地下水を犠牲にしているのは明らかだ。そのうち、水不足におちいり食糧増産ができなくなるのは誰の目にもわかる。
 米国の事情もインドや中国と似たり寄ったりである。地下水の取り過ぎは明らかだ。地下水を犠牲にして、穀物増産を続けている。
 世界は水資源を犠牲にして穀物増産を続けている。水だけではない。土地を使いすぎ、肥沃な土地が干からび始めている。モンゴルや南アフリカのレソトが典型的な例である。
 水量の枯渇により食料生産の将来が暗い。それに気候温暖化が将来の食料事情の悪化に追い打ちをかけている。
 ちなみに日本の食糧自給率は40%。かつて穀倉地帯といわれた新潟や東北の農地は現在、農業を引き継ぐ人がなくなり荒れ放題だ。いったん田んぼの手入れを怠ると、二度と田んぼとして使えないという。
 日本人は食料を他国から買い、毎日暮らしている。しかし、日本が輸入している農業国の将来は暗澹としている。日本への穀物供給国が自国の国民を養うだけの穀物しか生産できなくなれば、当然ながら日本への輸出をストップするだろう。子どもや孫の時代に食糧危機に見舞われる公算は毎年大きくなっているといっても過言ではない。われわれは食料の自給自足をどうするかを真剣に考える最後の時を迎えているのかもしれない。この問題を真剣に考えなければたいへんなことになる。それだけは確かだ。

※最近の英紙「ガーディアン」の特集記事をベースにして書きました。

豪州に電気自動車専用高速道路建設へ  日本も温暖化対策にいっそうの努力を

2017年07月28日 22時15分08秒 | 地球環境・人口問題
 7月28日付けの英紙「ガーディアン」によれば、オーストラリアのクイーンズランド州政府は27日、6カ月以内に2000キロに及ぶ電気自動車専用高速道路を完成させると発表した。東海岸のクーランガッタからケアンズまでの高速道路には電気充電スタンド18カ所を備える。充電所要時間は30分程度で、今後1年間は充電料金はいっさいとらない。
クイーンズランド州政府当局は「この高速道路は野心的なプロジェクトであり、できるだけ多くに人々が電気自動車を運転してほしいと願っている。またオーストラリア国民に低排出ガス自動車への移行を促すものである」と話した。
クイーンズランドはオーストラリアで最も大気汚染が深刻で多量の二酸化炭素を排出しており、地球温暖化阻止に向けて真剣な取り組みを本格化している。
英政府は、2040年からガソリン車とディーゼル車の販売を禁止する方針を26日に発表した。大気汚染対策の一環で、電気自動車(EV)への完全移行を目指す。フランス政府も先に、40年までにガソリン車とディーゼル車の販売終了を目指す方針を発表している。
英紙タイムズによると、英政府はモーターとガソリンあるいはディーゼルエンジンを組み合わせたハイブリッド車(HV)の販売も40年までに終了する方針。
日本でも、日産やトヨタが電気自動車の普及に取り組んでいる。日本政府も電気自動車の普及を後押ししてほしい。電気自動車に搭載されているバッテリーパックの低価格化や電気自動車専用スタンドの増設など課題は山積している。しかし、昭和20年代後半から30年代にかけてテレビや電気洗濯機は高嶺の花だったが、数十年で一般家庭に入りこんだ。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、かけがえのない地球を守るため、子孫にこの素晴らしい惑星を残すためにも、人類が英知を絞って地球に優しいものをつくってほしいと願う。日本はこの分野で貢献できる数少ない国だ。

目的を抱いてポジティブに生きる  105歳で亡くなった日野原先生の人生に学ぶ

2017年07月20日 20時39分53秒 | 時事問題
 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏が一昨日の18日に105歳で天寿を全うした。国内だけでなく、英国のBBC放送やガーディアン紙など英国メディアが彼の死を取り上げ、彼の生涯を褒めていた。
 英字紙「ジャパン・タイムズ」の記者、ユディー・川口さんがBBC放送のインタビューに応じ、「私は日野原さんが90歳の時に初めて会った。彼との出会いは、私の年寄りの定義を根本から変えた。90歳になっても毎日18時間も働いていた。驚くべきエネルギーと活力に溢れていた」と語る。
 日野原先生の偉大な貢献は1954年、人間ドックを日本で初めて導入したことだ。年に一度の人間ドック制度確立に大きく貢献した。これが今日の日本人の長寿の礎になってきたという。
 1995年3月20日に発生したオウム真理教による「地下鉄サリン事件」で、聖路加国際病院に大勢の中毒患者が運び込まれた。それに十分に対応できたのも、日頃の日野原氏の心構えが職員に浸透していたころが大きかったという。将来の大地震や大事故を想定した準備を怠らなかった。当時、日野原さんは同病院の病院長だった。
 日野原先生の健康法の基本は、睡眠と食事と運動だ。食事は1日1300キロカロリーと決め、夜だけご飯を食べ、肉を1日おきに80グラムくらいずつ食べた。野菜はお皿いっぱいたっぷりと。
 実験では、先生は飽食のマウスよりもハングリーなマウスのほうが長生きすると語る。運動は歩くことが基本だと話す。どんなときもエレベータやエスカレータに乗らなかった。
 日野原先生はかつて「目的を持って人生を能動的に生きる人々は長生きする」と話した。この言葉は英国のウィンストン・チャーチルの話と似ている。チャーチルは酒が大好き。葉巻も吸う。日野原さんと同じように4~5時間しか一日に眠らなかったという。
 チャーチルは親友のモラン卿に「何か一心不乱に仕事をしている人々は、何か目的を持っている人々だと思って間違いない」と話し、目的をもって人生を生きるように助言した。チャーチルは90歳で亡くなった。
 筆者のような定年退職した人々にとって、日野原先生やチャーチルのような生き方はたいへん参考になるが、実行するのはなかなか難しい。しかし「人生においてポジティブに生きることこそが健康への一番の近道」(日野原先生)であり、それが長寿の秘訣であるのは違いない。
 

中国の民主化が真に中国を統一する  中国大衆と劉暁波氏の遺言

2017年07月16日 11時20分46秒 | 中国と世界
 中国の民主化を呼びかけた「08憲章」で、故劉暁波氏が中国国民に、お上の善政を受け身で待つのではなく、自らの権利を主張・行動し、その責任を負う「公民意識」を植え付けようとした。見解の異なる人々を尊重し、とことん議論してよりよい結論を導き出し、それを社会に反映させることを願った。中国では政府批判が許されない。
 周近平指導部は民主化運動の中核メンバーを次々と拘束し、民主化運動を押さえ込む一方、共産党内の権力を強化し、腹心を地方都市のトップにすげ替えて権力基盤を”盤石”にしてきた。遠い将来を見据えたとき、それは強化ではなく、崩壊の一歩である。歴史はわれわれにそれを教えている。
 ノーベル平和賞作家の故劉氏の大衆への呼びかけは、中国の長い歴史で、賢君がいかに少なかったかを思い起こさせる。筆者は知っている賢帝は、唐の太宗(李世民)と清の康熙帝ぐらいだ。名君がいれば法は必要ないというのが孔子の教えである。それに反対した韓非が法に基づいて統治する思想を主張した。それは中国では発達しなかった。大衆は支配者の善政を期待し、いつも受け身だった。中国大衆ほど支配者の圧政に耐える強靱な精神を持った民族はいない。その精神が中国の民主主義制度の定着を阻止し、それが現代社会ではマイナスに働く。
 中国大衆がまずこの「受け身の精神」を捨てることだ。劉氏の夢の実現はそこから始まる。法治が中国共産党の道具であるかぎり、その運用は恣意的になる。中国人から依頼された日本人の地質調査会社の人々がスパイ容疑をかけられ恣意的に拘束されたのは記憶に新しい。この拘束は国家を守ると言うより共産党を守ろうとする意思の表れだ。
 台湾でも香港でも劉氏に哀悼の意を表し、追悼式典が行われた。台湾の蔡英文総統は劉氏が亡くなった13日、中国に向け「民主主義を根付かせ、人々に自由と尊厳を与えてこそ、本当の大国の誇りが得られる」と呼びかけた。台湾も蒋介石率いる国民党の独裁政治が跋扈(ばっこ)した時代があった。それを乗り越え、また中国の孔子思想を乗り越えて、今日の民主化がある。
 香港では「一国二制度」が形骸化され、中国本土からの民主主義者への締め付けが日増しに強まっている。習をはじめとする中国共産党指導部はそうすることによって共産党の一党独裁支配が永遠に続くと錯覚しているのだ。共産党が生き残る道は中国を民主主義国家にすること。それ以外に選択肢がない。
 中国が民主国家になることで、台湾と香港は自らの意思で中国本土への統一を目指すだろう。それに気づかず、劉氏ら民主・人権運動家を弾圧している中国共産党指導部は歴史を意識していない。共産党理論はもともと歴史に依拠した弁証法理論である。ほんとうに皮肉だ。

中国共産党から何を学ぶべきか    劉暁波氏追悼に思う

2017年07月15日 20時47分30秒 | 中国と世界
「劉暁波氏の冥福を祈る」をブログに昨日載せた。それから一日がたち、哀悼の意が世界中に野火のように広がっている。英国のBBC放送ワールド・サービスで、劉氏の友人や識者からの悲しみの声がマイクを通して世界中に発信されている。しかし中国共産党は世界の声を無視する。
 劉氏の支援者によると、中国当局は劉氏が死去した13日夜に「すぐに火葬し位牌を海にまく」ことを同意するよう家族に求めたが、家族は「遺骨と位牌は返してほしい。わたしたちの権利だ」と拒否したという。(朝日新聞15日朝刊)
 言語道断の要請であり、共産主義者の独善の最たるものであると同時に、中国共産党が、劉氏が死しても恐れている証拠だ。中国政府は墓がつくられれば、支援者がそこへ集まり、民主主義者のシンボルになることを恐れている。
 中国古代の書籍「三国志」に蜀の名政治家、諸葛亮孔明が戦場で亡くなった直後、孔明の遺訓に従い、蜀軍は彼の人形を先頭にして魏軍に向けて前進した。この蜀軍の動きを見た魏の名将、司馬懿仲達は孔明がまだ生きているとみて全軍に退却を命じた。後世の人々は「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と述べた。まさに死せる劉、生ける中国共産党と周近平を走らせている。
 ナチス・ドイツとヒトラーを誰よりも憎んだ英国の名宰相ウィンストン・チャーチルは共産主義も同様に憎んだ。チャーチルは共産主義や社会主義者について「そうしてはいけないと学ぶ以外に何ら学ぶべきことはない」と切り捨てた。筆者も偉大なチャーチル首相のこの教えを学んだ一人だ。
 人々の個性を殺し、主義主張の奴隷となっている共産主義者から何を学ぼうというのか。そして現在の中国共産党はある意味において共産主義者ではない。人間の本性に反した共産主義の理論さえ捨てている。自らの既得権(中国支配)にしがみつく集団である。だからこ習指導部と共産党は政府批判につながる可能性を秘めた劉氏の墓をつくらせず、遺骨と遺灰を海に散骨するように遺族に強要するのだ。
 世界の自由・民主主義国は中国にどんな影響力をも与えることができないところまで追い込まれた。核兵器がある限り、武力で中国共産党の考え方を変えさせることはできない。また戦争で中国共産党員の思想を変えさせるなどと考えるのは愚の骨頂であり、非現実的だ。われわれは中国の民主主義・人権活動家を支援し、中国大衆を啓蒙し、偉大な中国という国が多党制による民主主義と自由を謳歌する国になることを望まずにはおれない。
 中国共産党は劉氏の投獄に対する民主主義国家の抗議に応える。「彼は中国の法律を犯した犯罪者だ。(米国などを念頭に)関係各国の態度表明は中国の司法主権と内政への干渉だ」。共産党の窓から見れば、確かに言い分はわかる。しかし、その思想そのものが歴史の流れに逆行しているのだ。自由と民主主義は1789年のフランス革命で、人類が苦難の闘争の中で勝ち得た素晴らしい制度と信条であり、それが歴史の主流だ。
 

追伸:このブログはあくまでも筆者の見解です。ブログを書く場合、できるだけ、一部分見解を述べても、反対論者の意見などを入れ、主観的になることを避けてきました。しかし、このブログは筆者の主観中心のブログだとの前提でお読みください。