英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

腐敗指数が最も低いのはデンマークなど。日本は17位 中国は80位 北朝鮮は最下位

2013年07月25日 22時35分07秒 | 国際政治と世界の動き
汚職・腐敗を監視するNGOトランスペアレンシー・インターナショナ(TI)が2012年の汚職・腐敗指数を発表した。日本は2011年から3つランクを下げて17位で腐敗指数は74、英国は日本と同じく17位、韓国は45位で56、中国は80位で39。米国が19位で73。ロシアが133位だった。
 最も腐敗が少ない国はデンマーク、フィンランド、ニュージーランドで腐敗指数はともに90で、4位がスェーデンで、5位にアジアのシンガポール。同じ中国人でも本国とシンガポールでは雲泥の差なのは興味深い。アフガニスタン、北朝鮮、ソマリアが前回の調査に続いて最下位にランクされた。
 毎年、贈収賄や公権力の乱用などからはじき出された腐敗・汚職指数を発表しているドイツのNPO法人TIによれば、腐敗指数が最も低い100から最も低い0までにスケールで表すと、176カ国のうち3分の2が腐敗指数50以下だという。
  フィリピンの全国紙「フィリピン・スター」はITの調査を引用し、フィリピンが176カ国中105位だったと報じた。また、この指数を具体的に示した数字を、同紙は掲載。同紙が引用した比国の国家統計局の統計は、10家族に1家族は国家公務員や地方公務員に“袖の下”を渡すという。フィリピンの人口は9000万人。家族数は分からないが、かなりの数になる。
 同紙が報じた「2010年版貧困指標」は、役人に“袖の下”を渡すメンバーが少なくとも1人いるフィリピンの家庭は全体の41.3%を示している。父親か母親かは分からないが、とにかく1人は存在する。
 “袖の下”を渡す理由は、税金やライセンス取得に対する便宜供与を受けるためであり、健康保険や就職などの社会サービスへの便宜や警察や裁判所からの便宜を確保することなどなど。
 “袖の下”を渡す家庭のうち9%が金銭や贈り物で役人を〝釣る“そうだ。金銭や贈り物を渡した家族の75%は、自らの意志でそうしたという。残りの25%は役人から金品を要求されたケース。役人から金品を要求された人々のうち1%しか当局に報告していない。
 日本人には想像がつかない数字だが、世界ではフィリピンのような国はめずらしくない。
  TI の理事長ユゲット・ラベルは「政府は、あらゆる意思決定のなかに腐敗防止のための行動を起こさなければならない。優先順位の高い項目には、ロビー活動と政治資金に関する適切な規則の制定、公共支出と公共契約のさらなる透明化、公的機関の説明責任を追求することなどが含まれる」と述べている。
 筆者は、汚職や腐敗は昨日や一昨日に始まった問題ではないと思う。長い歴史の中で培われてきたものだ。上位30位以内の国のうち約20か国は欧州と日本。アラブ首長国連邦やカタールなどを除けば、アフリカのボスワナにしてもシンガポールや香港にしても長い間、英国の植民地だった。
 英帝国主義者は植民地経営の基本を法の統治に据えた歴史がある。欧米諸国や日本は封建制度を経験した。腐敗が高いロシアや中国は中央集権絶対帝政国家の歴史が長い。韓国にしても李氏朝鮮の中央集権国家が約400年も続いている。
 筆者の主観だが、封建制度の中から、腐敗・汚職を「悪」とみなす人々の倫理が芽生えたのかもしれない。封建制度を経験した国は民主主義制度もうまく機能している。それが何を意味するのかは、素人の私には分からない。ただ、そこらあたりに答が隠されているのだろうか。
  日本の武士道や西洋の騎士道は武士や騎士それぞれの倫理規範になった。最初は武士や騎士だけの倫理規範や価値基準だったが、次第に庶民に波及した。12世紀後半に武家政権が始まって以来、「御恩と奉公」「公への忠誠」などに基づいて、社会への責任を育んできたと思う。
 江戸時代には山鹿素行が「職分論」で、武士は社会全体への責任を負う立場であると考えた。明治時代には新渡戸稲造は、武士が封建社会で率先して倫理義務を負ったと指摘している。西洋の騎士道も映画「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公、フロド・バギンズの騎士道精神に体現されている。「公」への責任だ。
  日本や西洋諸国に腐敗や汚職が少ないのは歴史の中に原因を見つけ出すことができると思う。トランスパレンシイ・インターナショナルは世界約100カ国に拠点を持ち、日本にも支部がある。

(素材はpublic domain)

議会制民主主義制度は日本人に適しているのか?  参院選に思う

2013年07月06日 22時57分46秒 | 民主主義とポピュリズム
  参院選が公示され、本格的な選挙戦が始まった。ネットやフェースブックを使って有権者にアピールし、「アイデア」を出す総力戦(朝日新聞サイト7月6日)だという。  
  有名芸能人との対談番組をネットで流したり、街宣車に登壇した有権者に立候補者への注文や希望を言わせたり、と趣向を凝らしている。
  新趣向が今回の国政選挙に出てきても、基本的には従来と変わらない。 「お願します」の連呼。原発や憲法改正にしても、「いい」『ダメ』や「賛成」『反対』だけで、「なぜ」や「廃止の道筋」を現実の環境を分析しながら持論を展開する候補者は少ない。候補者の党首も同じような演説をしているのだから無理もない。
 ネットなどの新趣向も従来の感情型選挙を強めているように思う。
  筆者は立候補者が「原発賛成」「原発反対」や「憲法改正賛成」「憲法改正反対」の「WHY」と「道筋」を現実的に説明してほしいと思う。理想ばかり言って、明日にでもその理想が実現するかのような選挙スローガンでにぎわう国政選挙には聞き飽きた。有権者と見解が違っていても、その違いを感情的、観念的ではなく、現実的でわかりやすく説明してほしい。理想を述べるにあたっても、その理想実現にいたる現在における道筋を示してほしい。筆者はもちろん現在の道筋は将来環境の変化とともに変わることを理解する。時の流れが変化すれば、理想実現の道筋も変わるのは明白だからだ。
 われわれ日本人は、こと政治においてはいったん政治家が言ったことは永遠に同じであるべきだと考える傾向がある。政治家が将来、かつての話を変えることが“犯罪”のように考える。“変節”だと批判する。
 政治家もなぜかつての話と変わったのかを論理的な明快さで話さない。議会制民主主義政治はそこが核心だと思う。議会制民主主義制度は現実的で、観察と思考、対話と自由を尊重する国民に適した制度。それを尊重しなければ成り立たない制度だ。
 議会制民主主義制度の発祥の地は英国。英国人のような現実主義者に最も合った制度なのかもしれない。現在のエジプトの政治混乱を見ていると、議会制民主主義は多くのアジア、アフリカ諸国には適さない制度なのかもしれない。
 日本はどうか?今回の国政選挙戦を含めて過去の選挙を見ていると、議会制民主主義制度が日本国民に合った制度かどうかはあやしい。ただ民主主義制度こそが立派な制度であり、それに沿って政治を履行することも正しいと思う。第2次世界大戦時の英国の首相であるウィンストン・チャーチルは民主主義制度は最悪の制度だが、ほかの制度に比べればましだ、というようなことを述べている。
 われわれはもっと民主主義とは何か、を学ぶ必要がある。こんな愚痴をまた言うと読者からまた叱られる。ただ筆者の率直な意見だ。