英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

英国の国内旅行は英国人にも高い                 B&Bの国内事情など

2014年08月27日 15時38分01秒 | 旅行
 ロンドン市民は、高い生活費に癖癖し、不満は止まることを知らない。だが、高い生活費にあえぐロンドン市民もびっくりするニュースが飛び込んできた。スコットランドの首都エジンバラの一夜の費用が英国で最も高い。
 旅行調査会社のトリップ・アドバイザーによれば、四つ星のホテルに泊まり、レストランで食事をして近距離でタクシーを利用すると、一晩の総費用はエジンバラで330ポンド、ケンブリッジで277ポンド、ロンドンで267ポンドだそうだ。これに対して、イギリスのイングランド中部の工業都市、シェフィールドが一番安く、154ポンド。バーミンガムの166ポンド、カーディフの173ポンド、ニューカッスル・アポン・タインの176ポンドと続く。
 旅行調査会社のジェームズ・ケイ氏は、休みに英国を訪れる旅行客はブリテン島の北に向かうことをお奨めすると話し、一晩、旅行するには価値があると強調している。
 この記事は英紙「インディペンデント」。また、ガーディアンは英国のベッド・アンド・ブレックファースト(B&B)ベスト10を紹介している。この中で、ロンドンからそれほど遠くないエセックス州のコルチェスター近郊のファームハウスは良いかもしれない。筆者が宿泊したわけではなく、「すばらしい」と断言できないが、観光地としては見逃せない。コルチェスターはローマ時代に建てられた英国で最も古い町のひとつ。海岸にも近く、風光明媚な場所だ。また、コルチェスターには英語学校があり、日本人の若者が学んでいるという。半年なり、1年間、英国に滞在して、英語を学ぼうと考えている日本人がいたら、一考に値する場所だと思う。

  http://www.theguardian.com/travel/2014/aug/26/10-best-british-bed-and-breakfast-sawdays

批判することが好きな日本人

2014年08月09日 09時23分20秒 | 時事問題と歴史
 どうも日本人は批判することが得意な民族だ。だからといって韓国人や中国人が批判をせずに相手の過誤を分析する民族とも思えない。大多数の民族は批判が好きだ。だが一日本人として読者に申し上げたい。中国人や韓国人のように批判することも結構だが、批判する前に「なぜ」を分析して何らかの形でこれを未来に生かしていくことを認識してほしい。批判することは誰でもできる。
 今日の産経新聞の電子サイトに「朝日新聞『慰安婦検証』与野党が批判の大合唱」の記事が掲載されていた。この記事を読んで二つのことが頭をよぎった。日本の政治家の質の低さだ。批判すればそれでよいということではないだろう。朝日新聞の慰安婦報道の誤報を蜂の巣をつつくがごとく批判している。

 産経新聞によれば、東京都の舛添要一知事は7日、首相官邸で記者団に「全くの虚偽報道であるということを反省するのは当然だ。そういうことが日韓関係をゆがめた一つの理由だ」と答え、朝日に猛省を求めた。
 また、維新の小沢鋭仁国会議員団幹事長は「三十数年の時を経て訂正された記事の影響は極めて大きかった。国会の場で議論をするのは当然だ」と指摘。結いの小野次郎幹事長も「いつの時点で記事の問題点に気づいていたのかを究明しなければならない。(誤った記事が掲載された以上に)記事をずっと保ってきたことの方が責任は大きく、影響は計り知れない」と続けた。

 これらの批判はその通りだが、与党自民党や野党の右派政治家の心理を覗けば、「朝日を批判して、自らの正当性をアピールし、朝日が日本を貶めた」という一点だけに集中している。産経新聞など右派のメディアもここぞとばかりに朝日新聞を批判している。「おれたちが正しいかった」と主張しているようだ。これに対して、リベラルな政治家やメディアはだんまりを決め込んでいる。右派もリベラルも左派も「慰安婦問題」全体の姿を考えて、客観視する姿勢で朝日新聞の過誤を見つめる姿勢に欠けている。自らの正当性だけを強調している。バランス感覚の欠如だ。
 確かに朝日新聞の「訂正」報道は遅すぎた。「女子挺身隊」を「慰安婦」と混同したことも許されない。勉強不足だ。団塊の世代の一員として親から「女子勤労挺身隊」の話は時々聞いた。国家総動員法に基づいて軍需工場などに若い女性を動員した。当時、韓国(朝鮮)は日本の植民地。日本の女性と同じように国家の一員として勤労奉仕をさせられたわけである。当時の女学校の生徒も軍需施設で働いた。ペンを捨てて工場へ行った。「女子勤労挺身隊」として働いた女性は現在、80歳半ば以上ではないだろうか。筆者の叔母も軍需工場で働かされたという。86歳になった叔母は現在でも天皇が大嫌いだ。リベラルに心情的だ。青春を奪われた叔母がそう考えるのも合点がいく。
 現代史家の秦氏が朝日新聞に寄稿したように、「強制連行の有無」をめぐる朝日新聞の検証があいまいだが、「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことを、まず評価したい」。朝日新聞は史料に基づき、他のメディアや識者から批判されようがされまいが、これからもこの問題に関して「ディタッチメント」な検証を続けてほしい。そうすることで、日本外交に与えた致命的な過誤を少しでも償ってほしい。英語で「訂正」を海外へ発信し、外国人がこの問題に客観的に分析できる土壌をつくってほしい。
 この意味で、朝日新聞は自らの電子ブログの「トピックス」欄に掲載した「慰安婦」を数日後に削除すべきでなかった。朝日の真摯な態度を疑われる。筆者も朝日新聞の誠実さを疑ってしまう。自らの過誤を公にさらすことは耐えられないだろう。だが、歴史と正面から向き合う姿勢を続けることだ。
 日本人は他人の長所をほめない。相手のあらを見つけたら集中砲火のように非難、批判する。日本人は「褒め下手」と言われる。スポーツ界などで外国選手がよく言う言葉だ。筆者も同感する。「褒める」ということは感情的にならずに、客観視できることだ。嫌いな相手でも「素晴らしい行為」に対してほめる。これがなかなか日本人にはできない。偉そうに言っているこのわたしもその傾向がある。
 20世紀のイタリアのバルジーニ記者は「虚心坦懐に、まるで他人の姿勢で、まるで他者の目から見るようにして物事を客観的に観察、分析する最高の民族はイングランド人(英国人)だ。舌を巻くほどの冷静さと自己抑制さだ」と述べている。イングランド人と長く付き合ってきた筆者の感想もバルジーニと同じだ。
 「慰安婦問題」を感情的、主観的にならずに、世界に説明する。客観的に分析したことを世界に発信することが、批判合戦より大切である。筆者が調べた限りでは、「日本軍の組織的な関与はなかった」と思う。ただ「慰安所」はあった。当時の価値観ではそれが普通だった。歴史(時)は変化して、現在の価値観では「慰安婦」は許されない。ただ軍の組織的な関与がなかったとしても「強制性」があったかどうか?その定義は難しい。
 インドネシアではオランダ女性を、一軍部隊が無理やり慰安所に連れてきた。中国でも現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことが連合軍の戦犯裁判などの史料に記述されている。この史料が真実かどうかは別問題だ。真実だとしても組織的な軍の関与があったかどうかは、この史料だけではわからない。軍部隊の命令でなかったとして、軍の小グループが業者と結託して、女性を「強制連行」したことは「軍の関与」「軍の組織的な関与」かどうかは解釈者の考え次第だ。
 とにかく、何度も言うが、日中韓の三国国民が「ディタッチメント」な精神で「他の目」からこの問題を見つめ、分析する。現在と過去の価値観が違うことも認識してこの問題を未来へ生かす。これが「軍の関与があった、なかった」と論争することより数段重要だ。それが歴史を活用したことになる。
 

少子高齢化で子どもに「冷淡」な日本社会を斬る

2014年08月08日 10時15分59秒 | 老人社会と年金、福祉
 きょうはもうひとつ書き記したい。8月8日付朝日新聞に「人口減 にっぽん」の特集記事が掲載されていた。この中で、「子に冷淡」に目が向かった。『「よいこは、しずかにあそべます。おおごえでさけばないで!!」。川崎市の東急田園都市線・宮崎台駅にほど近い公園。敷地内の柵に、にっこり笑うアンパンマンの絵入りのはり紙が掲示されている。あたかも、子どもはおとなしくしているべきだ言わんばかりに』『東京都杉並区のある公立小せは2年ほど前、登校時の校門前でのあいさつが自粛された。保護者らによると、近所の住民から苦情があり、子どもたちは数カ月間、校門前に立つ先生に黙礼したという。今も、公邸で放課後遊ぶ声に苦情が寄せられる』
 嘆かわしい時代だ。苦情を言っている大人にも子供時代があっただろう。なかったとは言わせない。大きな声で遊んだだろうに?それとも今日の病理社会を象徴している「自宅パソコン熱中派」だったのだろうか?
 誰でも例外なく子どもから大人になる。子どもの仕事は外で遊ぶことだ。人間形成にとり一番重要なことである。外で遊び、友だちとの付き合いから我慢を覚えるのだ。苦情をいう大人には「我慢」の訓練がされていないと判断せざるを得ない。このごろ「ストーカー事件」「同級生を殺す」「車内での喧嘩」「医者を刺す」。このような「21世紀病」に特質的な病理の背後にあるのは「我慢できない」日本人の精神の欠陥が露呈されている。このことは半世紀前の日本人との大きな違いだ。
 確かに子どもの泣き声や騒がしい声はうるさい。私もそう思う。母が住んでいた遠州地方の自宅の前は公園だ。わたしも毎月そこで1週間過ごしているが、ほぼ毎日うるさい。元気な声とはいえ、確かにうるさい。夕方ともなれば子供らの元気な声が聞こえる。
 また電車に乗っていると赤ちゃんの泣き声が聞こえる。ある時、新幹線で乗客が「うるさい!」と怒鳴り、母親が「すみません」と誤ってデッキに出た。わたしは母親に「気にするな」と申し上げて、その男を横目で見たら、60歳前後の人間だった。歳には関係ないらしい。
 子どもは「遊び」「泣きわめいて」仕事をしているのだ。そして将来の常識人になる訓練をしている。「仕事をしている」ことを大人は肝に銘じていほしい。大人が会社で仕事をするように、赤ちゃんは泣くのが仕事だ。幼児は大声で友達と遊ぶ。これも仕事だ。一生懸命仕事をしている。「苦情言う大人」に言いたい。子どもの職を奪うな!諸君も会社をクビにされたら困るだろう。
 近隣住民が「騒音」を理由に保育園の新設に反対するケースもあるという。かつて根付いていた日本社会の寛容さが失われているのは事実だ。これも教育のつけだろう。家庭教育(しつけ)や学校教育が1980年代から大きく変わり始めた。「体罰」かといえば、「皆が平等。体罰は駄目」というブーメランのように左右に大きくぶれるのが日本人の国民性。もっと自分で考え、「我慢」して温かい気持ちで子どもの成長を見守りたい。子どもの声がうるさいという御仁の猛省を期待する。
 

朝日新聞の「慰安婦特集」をめぐる産経新聞の批判に思う

2014年08月08日 09時37分23秒 | 時事問題と歴史
 産経新聞見出し「朝日新聞「慰安婦問題を考える」を検証する 随所に自己正当化と責任転嫁」
 『朝日新聞が5、6両日に掲載した特集「慰安婦問題を考える」はいくつか視点の欠落があり、「検証」と言うにはあまりに不十分な内容だった。朝鮮人女性を強制連行したと証言した自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の証言に関する記事16本を取り消したのはよいが、その他の論点に関しては自己正当化や責任転嫁、他紙の報道をあげつらう姿勢が目立つ。歴史を直視しようとしない朝日新聞の報道姿勢に改めて疑念を抱かざるを得ない』

 今朝の産経新聞のネットサイト電子版の記事の引用だ。この「見出し」とリードを読んで読者はどう思うだろうか。もろ手を挙げて賛成する読者もいるだろう。リベラル派は朝日新聞の訂正とお詫びをどう受け止めただろうか。筆者は産経を読んで、やはり「保守」の新聞では決してない。「右派」の新聞だとあらためて思った。退職前は産経と朝日を2紙購読していた。退職後、3カ月ごとに両紙を読んで自分の考えを整理している。
 産経が「随所に自己正当化と責任転嫁」と見出しに記している。ひとつの窓から見れば、そうもとれよう。ただ「慰安婦問題」をめぐる見方は「自分が正しい」という前提に立ってだろう。この意味で産経新聞は朝日新聞を利用して、自己の正当性をアピールし、相手を批判しているにすぎない。「フェアな精神」はない。「現実を客観視」する姿勢もない。自己を懐疑の目でみる態度もない。そこからは建設的な見解は出ないだろう。産経新聞の見解として、「右派」の新聞の見解として読み流すだけである。「保守の新聞」なら朝日新聞を批判する前に、この問題に対する自らの見方を再検証して、朝日とどこが、どうして違うのかを論じ、朝日の過誤を検証するだけだろう。ここに日本の新聞の限界がある。
 朝日新聞にも言える。朝日新聞にしてもほかの新聞にしてもあまりに感情移入が先行してしまい、分析と事実がぼやけてしまう。写真に例えれば「ピンボケ」の写真と言うことになろう。とくに朝日新聞などのリベラルな新聞には「お涙ちょうだい」的な記事も散見される。自らの意見は「社説」に書けば十分だ。
 昨日も申し上げたが、慰安婦問題は感情移入を極力避けて、「ディタッチメント」な精神で探究することが一番重要。この姿勢で進めば、この問題に対する共通認識が出てこよう。「官憲が介入した。しない」「官憲の命令だ。そうでない」という顕微鏡をのぞくような微小なものを見る態度で批判合戦に終始するのにはうんざりした。
 過去と現在は価値観が違う。その点を踏まえ、現在の人権感覚から考察することも必要だろう。それと同時に、太平洋戦争前の人権意識をも考えながら、この問題を考察する。朝日やほかの新聞社のこの問題に対する過誤を検証し、それを未来に生かすことだ。日本人も韓国人も「ディタッチメント」な精神からこの問題を分析する。相手を中傷するのではなく、相手のどこに誤りがあるのかを指摘し、その史料を提示する。このような互いの建設的なやり取り、議論の積み重ねだけが、より客観的な事実に迫ることを可能にする。互いの誤りに対する非難合戦からなにも生まれない。生まれるのは相互不信と憎悪だけだろう。飽くなき分析と「ディタッチメント」な精神。これこそが一番重要だと思う。昨日に続いて強調したい。

 

朝日新聞の「慰安婦問題特集」に思う    歴史に虚心坦懐に向き合うこと

2014年08月07日 09時43分45秒 | 時事問題と歴史
 猛暑の毎日。間もなく旧盆。都心はガラガラになり、新幹線や国内のエアターミナルは帰省客で混雑するだろう。朝日新聞は8月5日、6日に慰安婦問題の特集記事を組み、あらためてこれを検証した。日本国民は朝日新聞をリベラルな新聞だと考えている。産経新聞や読売新聞を保守、右だと考えている。筆者の認識も同じだ。この意味で「慰安婦問題」に関してリベラルと保守派新聞はこの20年間、「相手の目」で検証せず、「自分の目」だけから論争に終始した観を否めない。これを中国や韓国が政治、外交に利用してきた。
 まず朝日新聞が自己検証したことを評価したい。「遅ればせながら」と識者や他紙が述べている。わたしもそう思うが、そんなことは大した話ではない。なによりも朝日新聞が歴史と真面目に対話したことを評価したい。
 この問題は、朝日新聞が80年代から90年代に取り上げた「済州島で連行」証言が発端だった。といより、この証言が国際的に認知された決定打だった。朝日新聞は吉田証言を虚偽と判断した。新聞記者が裏を取って記事にしたとしても、時が変化し、裏をとった記事が真実ではないことがある。記者は事実を追い求め、結果としてうその記事を書いた。責められない。
 8月5日付朝日新聞記事に現代史家の秦郁彦氏の寄稿が掲載された。このコメントは多くの点で納得がいく。慰安婦問題は(1)官憲による組織的、暴力的な強制連行だったのか(2)慰安所における慰安婦らの生活が「性奴隷」と呼べるほど悲惨だったのかーという2点に絞れる、と秦氏は述べる。私は慰安婦問題はかなりの史料を読み込んでもなかなか結論が出ないと思う。慰安婦だった女性も年々少なくなり、日本軍の機密資料の多くも終戦直前、戦争責任に絡む証拠を隠滅するため破棄された。
 わたしはこの問題を軽々に論じたくない。ほんとうに事実を解明するには複雑で困難な過程を踏まなければならないからだ。とほうもない歳月が必要だし、一人の力では解明できないと思う。何よりも外交的、政治的な思惑を排して、歴史に基づく客観的な考察、なによりも、何度もこのブログで申し上げてきたが、「ディタッチメント」な心構えで歴史に対峙すべきだ。そしてどこまでも客観的な事実に迫ること。出された結論を皆が共有して未来につなげることだ。未来への教訓とすることだ。これがわれわれの使命である。
  秦氏は「強制連行を根拠づける唯一の証言だった吉田証言を否定しながら、中国やインドネシアで戦犯裁判にかかった命令違反や個人犯罪の数例を引いたり、慰安所での『強制』や『軍の関与』を強調したりして、『朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない』と曖昧に逃げてしまったのは惜しまれる」と記す。また韓国軍のベトナム戦争などでの韓国軍慰安婦問題を取り上げ、「自分のことは棚に上げ、他を責めるのは国際情報戦の定石とはいえ、日本も反撃姿勢に転じればよいのではないか」と結んでいる。
 「軍の関与」の定義は難しい。たとえ軍人個人が強制連行にかかわったとしても、それが「軍の関与」なのかどうかは解釈者の考え次第。「組織的」は参謀本部の命令が「組織的」なのか、それとも「部隊」単位の行為が組織的なのか、これもいろいろな定義が出てくるだろう。
 ただ個人的に言えば、参謀本部が命令を出すなど、明らかな形で慰安婦を集めたとは思えない。その証拠史料も戦後70年経っても出てきていない。それほど日本の参謀本部は暇だったのか、と筆者は思う。ただ日本人の国民性から末端の軍組織(例えば中隊や複数の個人)が慰安婦業者とグルになってしたとしても、合点がいく。「横並び意識」「独立心のなさ」からくる「いじめ」と同じ心理だ。特に日本だけでなく韓国もそうだが軍と言う閉鎖的な組織では「いじめ」は起こりやすい。「いじめ」られたくないから直属上官の命令に従って慰安婦を連れてくる。もしそうならこれが「組織的」なのかもまた定義が難しい。
 私は強制連行された「慰安婦」は存在したと思う。虚偽を述べている慰安婦もいるだろうが、真実を語り、自らの意志に反して「強制連行」された慰安婦もいただろう。誰に「強制連行」されたのか?この点を解明するのも難しい。それは強制連行された慰安婦の方々でさえ事実が明確に分かってはいまい。
 この問題は年月が経つほど、ますます事実を解明するのが難しくなる。その上、歴史をもてあそび、政治や外交に利用する政治家が後を絶たない。韓国も中国も、「南京虐殺事件」にしてもそうだが、権謀術数的な外交の道具にしている。米国に慰安婦の銅像を建てるのなら、その金をこの問題の歴史研究にあててほしい。関係諸国の歴史家が、「ディタッチメント」な心で史実を探求してほしい。関係国は自国の歴史家に圧力を加えて、自国の外交のバーゲニングチップにだけはしてほしくないものだ。これをしているうちは、真の解決も、日中韓の真の友好もないだろう。
 中韓国民はこの問題の複雑さを理解すべきだ。中韓の国民の感情的な姿勢に怒り心頭な日本人も頭を冷やして、彼らを粘り強く説得し、研究のテーブルに連れて行くことだ。この問題を解決するキイワードは「ディタッチメント」な態度と姿勢であろう。
 そしてもうひとつ。韓国国民が旧日本軍の「慰安婦」問題を追及するのなら、それと同じエネルギーを自国の軍隊がベトナム戦争でした同様の問題やベトナム人への蛮行を調査・研究し、それを未来に活かしてほしい。