英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

ここらあたりで暴力精神論は幕引きと願いたい     柔道女子日本代表をめぐる暴力問題

2013年01月31日 18時44分32秒 | 時事問題
 今日の昼のワイドショーは、柔道女子日本代表の園田隆二監督とコーチの選手への暴力問題を取り上げていた。園田監督により暴力やパワーハラスメント行為を受けていた女子選手15人が柔道連盟を飛び越えて日本オリンピック委員会(JOC)に告発。園田監督がきょう辞任表明した。
全日本柔道連盟(全柔連)は、園田監督が約2年半前から暴力をふるっていた事態を把握しながら、選手への謝罪で解決を図ろうとし、問題を公表してこなかったことを認めている。
 全柔連の幹部や柔道関係者の多くは「運動での暴力は許される」と考えているのだろう。園田監督は「負けたのは精神がたるんでいる」という類の常套句で、日本最強の女子選手に身体的な暴力を振るったという。「死ね」という言葉の暴力も使ったそうだ。
 大阪の桜宮高校の男子生徒自殺事件での先生の暴言や暴力と同じだ。テープレコーダーの巻き戻し。
TBSのワイドショーで、陸上選手だった為末大さんが「運動選手の練習中の暴力は日本の文化であり、トップを据え変えてもどうしようもない」と話していた。同感だ。
 昭和の漫才師、花菱アチャコ(1897-1974)と、コメディアンの伴淳三郎(1908-1981)が出演した「二等兵物語」(1955年制作)を映画館で見た。もちろん子どもの頃で、父に連れられて見に行った。古参の兵隊が新兵を殴っていた。精神を鍛えるためだとかなんとか言っていた。子ども心の記憶だ。
「暴力で精神を鍛える」は、旧軍の兵舎から現在の運動選手に受け継がれている文化。運動選手だけではない。一般人も会社などで「精神」とやらをよく言う連中がいる。「精神論」を100%否定するわけではないが、「精神論」を重視すると、おかしなことになる。この意味で合理的で現実的でない日本人が多い。
 暴力ざたは日本だけではないようだ。1月31日付朝日新聞25面に、ロスアンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕さんが2004年のアテネ五輪の「事件」について話していた。
「韓国の女子選手が敗退すると、控室で男性コーチがその選手を平手打ちした。居合わせたカナダ選手が、驚き、国際オリンピック委員会に連絡した。指導を受けた国際柔道連盟はこのコーチのIDをはく奪した。韓国連盟幹部から『全身全霊で体罰の一掃に努めます』と謝罪があり、IJF理事だった私は『日本も同じ。私も努めます』と答えた記憶がある」
 韓流ドラマをテレビで見ていると、一般市民の間でも手を出すシーンがここかしこにある。東アジアの民族はどうも非合理と精神主義暴力を重んじるようだ。
 桜宮高校の問題でも筆者は申し上げたが、暴力を選手にふるって成績が上がるなら、筆者でも全日本女子柔道のコーチに就任できる。
  精神主義という魔物を社会から一掃してほしい。まずはコーチが経験と理論を教えて、選手の短所を指摘。選手が克服できなければ、それを選手と考える。そして最後に精神的な闘争心がくる。ただ、精神的な闘争心は個人の問題。フェアープレーの精神と相まって闘争精神は最後に個人が培うのではないのか。それをコーチがサポートする。
 高校時代に運動部にいた経験から、選手やコーチの中には「闘争心と精神が軟弱でなければ必ず勝てる」と思い込んでいる。旧日本軍もそうだった。自分より20倍も強い相手に精神論を唱えたところで勝てるわけがない。常識だ。運動部のコーチや選手の多くは日本人の中の日本人だ。
 ある一線を超えると無鉄砲になる日本人は怖いと思う外国人もいる。軍備を持つと何をやらかすかわからないと思う外国人もいる。否定できないところがつらい。精神主義重視の文化はここらあたりで幕としたいものだ。

現実を軽視し理想を語るべきではない  TBSの関口さんのサンデー・モーニングで考える

2013年01月27日 14時02分01秒 | 時事問題と歴史
 関口宏さん司会のサンデー・モーニングを見ていて、ふとひっかかった話があった。思わずペンを走らせている。ゲストの方々は有識者だ。それなりの見識を持った方々だ。
 番組の中で、幾人かの方々が「企業戦士」という言葉が気に入らないと言われた。安倍首相が、アルジェリアでテロリストに殺された日揮や下請け企業の社員を「企業戦士」を使って哀悼の意を表した。
 有識者の方々は「保守的で、時として右翼」とみられる安倍首相と「企業戦士」をだぶらせたのかもしれない。また安倍首相がなぜ「企業戦士」を使ったのか。想像の域を出ないので、コメントは控える。
 ただ、安倍首相も、「企業戦士」という言葉を嫌った有識者の方々も感情が先行しているのなら、諸問題を討議するときに観察の窓を曇らせることになると思う。
 筆者は時々、安倍首相や石原慎太郎前東京都知事を批判する。彼らが「心情的な」保守主義者だからだ。感情や理念が先行しているようにしか思えないときがあるからだ。リベラルな有識者にも同じことが言える。  
   また有識者は「日本が欧米にくみしてテロリストと戦うだけでは解決にならない。戦う以外の平和的な方法を見つけるべきだ」と述べる。しかし有識者はその道筋を示さなかった。時間に制約があるのは理解できるが、平和へむけてどんな方法があるのかについて一言でも持論をいってほしかった。
 日本人のリベラルな有識者も保守的な有識者も「気持ち先行」で持論を展開する傾向がある。観察(あらゆる角度の資料や移りゆく世界の変化、時の変化を観察)し、そこから思考し結論を出して持論を展開しない。
 「戦う以外の平和的な方法」をアルカイダ系のテロリストは受け入れるのか。「イスラム原理主義国家建設」に燃えている一種のファナシストに受け入れられるのか。オウム真理教の教主のような心理状態にある人々が耳を傾けるのか。筆者に方法を教えてほしい。
  政治や軍事、外交について議論する場合、自分の考えや理想と180度違った相手がいることを忘れないでほしい。それを無視した意見は、たとえ立派な理想意見であっても、現実の世界の中では危険だ。
  英国の故バーターフィールド教授が「冷たい現実はしばしば理想を捻じ曲げ、思ってもみなかった結果に直面することが多々ある」と言っている。
 アルジェリア人質事件の人々は現実を直視して「生存」への飽くなき努力をした。生死を分けたのは「運」だったように感じる。「運」はどうすることもできない。
 TBSの関口さんのサンデー・モーニングで、一般の人々にインタビューしていた。一人の方は「大多数の日本人は、危険を顧みず海外の危険な場所で働いている人々に食べさせてもらっている」。これも現実的観察からくる分析だと思う。資源のない国に住んでいる日本人は自らの誠実さと勤勉さ、何よりも優秀な技術などを輸出して食べている。
  海外で働く人々に心から感謝し、アルジェリア人質事件で殺された日揮と関連会社の社員の冥福を祈りたい。  

イナメナス人質事件をめぐるアルジェリア政府の強硬姿勢は正かったか

2013年01月26日 17時24分37秒 | 時事問題
 アルジェリアのイナメナス事件は日本人10人を含む、少なくとも38人の外国人人質の殺害で幕を閉じた。アルジェリア軍は、イナメナス天然ガス関連施設攻撃の首謀者モフタル・ベルモフタール司令官との交渉を拒否し、テロリスト32人全員を殺害した。
 アルジェリア政府は、テロリストによる人質の国外への連行と天然ガス施設の爆破が差し迫っていたため、攻撃はやむを得なかったと声明を発表した。
 アルジェリア政府の自己弁護に対して大多数の日本人はアルジェリア政府の声明に疑問を感じている。
 25日付朝日新聞の「声」で、日本人読者がアルジェリア、日本両政府を批判した。「アルジェリア政府のとった強硬策は、人命よりガス施設の方が大事なのかと非難されても仕方ないほど拙速だったように思います。・・・日本の首相(の人命尊重)の要請を無視した結果、尊い人質の命が奪われたのですから、日本政府は今後アルジェリアとの技術提携はやめて日本人は全員帰国させ、大使を召還するなどの強い姿勢を示すべきだと思います。・・・作戦行動後は安倍首相が記者会見で、今回の事件では100%テロリストが悪いという趣旨の話をするなど、政府の姿勢はアルジェリア政府に対し、弱腰に見えます」。その読者は日本外交の弱さを嘆いた。
 日本のメディアも社員が殺された日揮の社長に「人命尊重の立場からアルジェリア軍の行動は拙速だったのではないか」と質問した。社長は「大変残念だ」と話しただけで、心中を明かさなかった。
 これに対して、米マイアミ・ヘラルド紙の編集長に届いた米市民からの「声」は180度違っていた。「わたしは、アルジェリア政府によるイスラム武装テロリストへの迅速な対応を称賛します。人質23人が殺されたのは遺憾でしたが、アルジェリア軍の迅速な対応はアルジェリア人685人と外国人107人の命を救いました。もしアルジェリア軍の迅速な軍事行動がなければ、救出された人質全員も殺されたでしょう。米国と文明国はこの教訓を学ばなければなりません」
また英国のガーディアン紙のイアン・ブラック編集長はアルジェリア軍が人質を無視し、強硬作戦に打って出たことに対して「驚くにあたらない」と話している。
 欧米の政府やメディアの多くはアルジェリア政府と軍の行動にある程度理解を示し、テロリストが100%悪いと述べている。欧米の国民もある程度、アルジェリア軍の軍事行動を是認している。
 中東地域の専門家のブラック編集長はアルジェリアの歴史背景を説明し、アルジェリア軍幹部が1990年代の対イスラム急進派勢力との武力闘争(内戦)を「殺すか殺される」かの戦いだと位置づけた。現在もこの姿勢は変わらない。
 アルジェリア軍は少なくとも国家をイスラム原理主義者に乗っ取られると認識した。ブラック編集長は、人質を殺された国の人々に同情と理解を示しながらも、「アルジェリア経済(ひいては国家存立)の命運を左右する石油・ガス施設を攻撃したイスラム武装勢力との交渉を拒否したアルジェリア政府の強硬な態度は、残虐なアルジェリア史に対する本能的な反応以外の何ものでもない」と話を結んでいる。
  イナメナスのテロリストに対するアルジェリア軍の軍事行動が正かったかどうかは簡単に答えが見いだせない。筆者はこう言うだけだ。われわれの同胞10人が“戦死”し、われわれが事実上喪に服している現在、軽々にアルジェリア軍の行動を正しかったとはなかなか言えない。
ただ、アルジェリア軍を批判するとすれば、なぜアルジェリア軍400人がイナメナスの天然ガス関連施設を守れなかったか、ということだろう。テロリスト32人に対しして10倍以上の兵力を擁しながら、テロリストのガス関連施設内への侵入を許した。
 イナメナスのガス関連施設は軍が警護する軍事施設だ。一種の軍事要塞だ。戦国時代でいえば、砂漠に立っている城だ。アルジェリア軍は「敵」は2本の道路からしか攻撃を仕掛けてこないと踏んだのではないか。道路から施設に接近するのなら、施設のかなり手前で捕捉できる、と考えたのではないか。
 砂漠は海だ。軍はテロリストグループが砂漠を横切ってガス関連施設に現れるとは考えていなかった?もしそう考えていなかったのなら、歴史に学ばなかったということになる。
 「砂漠のキツネ」と呼ばれ、敵味方から畏敬の念を抱かれていたエルヴィン・ロンメル大将は第2次世界大戦中の1941年の春から秋にかけて、英軍が守備する北アフリカ・キレナイカの要衝トブルク(現在のリビアの都市)を海岸から攻めたが、攻略に失敗した。翌年5月26日、トブルクの攻略を再び目指し、ガザラの戦いを始めた。ロンメル大将は地理・気候を利用した巧みな用兵で、戦車軍団を海岸線から砂漠に迂回させ、星座を頼りに一夜、戦車軍団で疾走、英軍の意表を突き、海岸線でなく砂漠からトブルクに総攻撃をかけた。混乱した英軍はトブルクから退却。ドイツ軍は機甲部隊を消耗したが、6月21日、トブルクを陥落させた。翌日、ロンメルは元帥に昇進した。
 アルジェリア軍はこの教訓を頭に入れていたら、テロリストの攻撃に機敏に対処できた可能性が高っただろう。テロリストに対して油断していたといわれても弁解の余地はない。「敵」の10倍の兵力を擁していたアルジェリア軍がテロリストの砂漠からの攻撃を予想していたら、十分に天然ガス関連施設の民間人を守ることができた可能性が高い。 
 アルジェリア軍の戦術的ミスとあいまって、フランスの植民地の傷跡が今も残るアルジェリアに住む誇り高いアラブ人の血をひくアルジェリア軍が、欧米の対テロ専門特殊部隊を受け入れなかった。そうしなかったことも高い代価を支払ったことになった。たとえ受け入れたとしても、人質全員が救出されたかどうかはわからない。神様だけが知っている。しかし人質の殺害数が減っていた可能性は高い。
 日本政府は国民の心情に配慮して身代金を支払えば、日本人が救われたかもしれないが、イスラム武装勢力は、日本人から身代金を取れると判断し、今後日本人を標的にした誘拐が北アフリカだけでなく中東でも起こる可能性が高ったにちがいない。
イスラムのテロリストは、日本政府の行為を「人命尊重」から出た行為だとは考えず、「日本人の弱さ」だとみただろう。それでも日本人はイスラム急進派の度重なる誘拐行動を受け入れ、身代金を支払っただろうか。分からない。
 筆者はこのデリケートで難しい問題にあえて答えを出そうとは思わない。読者一人一人が熟考してほしい。どうして?われわれは好むと好まずとにかかわらず、イスラム武装勢力との「世代を超えた戦い」(キャメロン英首相)に巻き込まれるだろうから。われわれが中立だと主張しても、イスラム武装急進派はそうは思わない。
  イスラム・テロリストの理想のイスラム原理主義国家が打ち立てられたとき、われわれはどうなるのか。「かかわりません」で済ませられるのか。「かかわりません」で自らの生命の存立が安全でいられるのか。歴史をひも解いて熟考しなければならないと思う。
 われわれの同胞10人は無慈悲にイスラム武装勢力に殺された。「復讐する」「仇を討つ」という武士的な考えを持つ日本人もいると思うが、ここは現代社会に生きたいと望むイスラム教徒の人々、欧米の民主主義国家に生きる国民と団結して、対イスラム・テロリスト集団への毅然とした対応を考えるべきだろう。
  最後に1月24日付英タイムズのアルジェリア人質事件への背景と分析記事の抜粋を載せて、今回の悲劇の終幕としたい。殺された日本人10人と外国人に対し、あらためて衷心より哀悼の意を表します。


 ◎タイムズの分析

 2008年のクリスマス直前、イスラム・テロリストによりニジェールの首都ニアメ郊外で一人のカナダ人外交官が誘拐された。テロリストは56時間かかってサハラ砂漠を700マイル(約1000キロ)走破。ロバート・フローラ―氏を砂漠のど真ん中に連行し、そこで2カ月間捕縛した。「そこは砂に覆われ、かん木がわずかに燦々と照りつける太陽を遮っているにすぎなった」。フローラー氏は日記にこう書き記した。
 その地はテロリストのあたらしい拠点だった。その地域は9か国の一部が入り込んでおり、西ヨーロッパと同じ広さだった。どの政府の支配も及ばない地。国境は地図の上でのみ存在した。トゥアレグ族が住む無法地帯。
 テロリストは、西側に敵対するイスラム原理主義の国をこの地域に建国しようと思うようになった。
GSPC(イスラム過激派武装アルジェリアグループ Algerian  extremist Islamic offshoot of the Armed Islamic Group、フランス語でGroupe Salafist pour la Predication et le Combat)は1990年代、アルジェリア内戦で、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域のサヘルやマリ北部に移った。GSPCは2006年、アルカイダとゆるい同盟を結び、イスラム・マグレブ地域のアルカイダと改名(AQIM)した。
 英外務省の調べでは、GSPCはタバコ、麻薬を欧州に密輸出し、アフリカの人々をヨーロッパに密航させた。また欧州の旅行者、外交官、NGOの人々を誘拐して身代金をせしめた。2008年以来、西洋人25人がサヘルで捉えられた。
 武器は、カダフィ大佐の没落に伴うリビア内戦やサハラ砂漠の国々の内戦から奪った。世界から忘れ去られていた戦いから奪った武器だった。
 若者の武装集団へのリクルートはマリ、モーリタニア、ニジェール、セネガルであり、たいして難しくはなかった。職のない若者。貧困、定住先のない生活、内戦、腐敗、社会格差が若者の希望と生活の機会を奪い、若者は未来に絶望していた。 IQIMの武装勢力は600~1000人と、英国の情報機関はみている。
 サヘル地域にはほかの武装勢力も活動しており、かれらはアルカイダとゆるい連携を保持、西アフリカにおける彼ら同士の結びつきを強めている。AQIMの分派グループは、イスラム世俗政府の転覆と西側の利権奪取に全身全霊を傾けている。
 サラフィスト派グループのアンサール・アル・シャリーアは昨年、リビアのベンガジで、米大使を殺害した。イスラム過激派ボコ・ハラムはこの1年間で、西アフリカ・ナイジェリアの275カ所を攻撃した。
 カーネギー平和財団は報告書で「今やサハラ砂漠地域は安定を欠き、安全が保障されない温床として浮かびあがっている」と述べた。「世界の他の地域のテロ活動は下火になっているが、サヘル地域は様相を異にする」。ロンドンに本部を置く国際戦略研究所はこう強調している。
 テロの攻撃目標になっているマリ、ニジェールやモーリタニアのうち、この1年間マリ北部から40万人が難民になっている。テロリストは住民に残虐のかぎりを尽くしている。
 欧州の石油供給はリビアから10%、アルジェリアから14%にも上っている。欧州軍はたとえサハラ砂漠や北アフリカのマグレブ地域の主要都市をテロリストの攻撃から守ったとしても、広大なサハラ砂漠に展開するテロリスト・グループを壊滅させることはほぼ不可能に近い。
 西洋諸国は、米国が2004年から社会的に、道徳的にかんばしくないアフガニスタン政府を支持しているように、北アフリカの同様な政権を支持し、軍事訓練や武器供給を施すだろう。北アフリカやサハラ砂漠の国々の政権をイスラム・テロリストの「悪」よりましな「悪」とみなしている。
 欧州民主主義国家の“腐敗”政権への支援は、テロリストの格好のプロパガンダとなり、貧困にあえぐサハラ砂漠の若者のリクルートを容易にするだろう。

(写真はアルジェリアの首都アルジェ Public domain)
 


アルジェリア人質事件で無慈悲に殺された日本人   単眼分析でなく冷徹な観察力が問われる

2013年01月22日 19時44分23秒 | 時事問題
 アルジェリア東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きたイスラム武装勢力による人質事件は、われわれにとり最悪の結果になった。日本政府は21日夜、行方が分からなくなっていた日本人10人のうち、7人の死亡を現地の病院で確認した。7人はいずれも男性で、大手プラントメーカー「日揮」(本社・横浜市)の社員ら関係者だった。3人は依然行方不明。日本人以外にも日揮で働いていた外国人が行方不明だという。
   1人の日本人としてテロリストの所業を強く非難する。そして、祖国とアルジェリアの発展のために殉職した7人の皆さんに心から哀悼の意を表します。
 朝日新聞は21日の朝刊で、中東アフリカ総局長の石合力氏のコメントを載せた。「対テロ戦争 突き付けた課題」で次のように述べた。
 「この地域では、欧米諸国が国益や『対テロ戦争』の名の下で、強権的な政権に肩入れしてきた。アルジェリアの現政権も例外ではない。その矛盾に満ちた行動が、テロを支える温床を産んできた側面もある。・・・「テロとの戦い」への連帯を声高に叫ぶことが解決策でないことだけは確かである」
 一方、21日付英紙「ガーディアン」は多国籍テロリスト・グループがイナメナスの天然ガス関連施設を攻撃した様子を報じた。同紙は生き残ったアルジェリア人に取材した。チャベネというアルジェリア人はこう話した。
 「テロリストは英国人の人質を脅迫してこういわせた。『出てこい。出てこい。彼ら(テロリスト)は殺さない。彼らはアメリカ人を探している』。数分後、テロリストは、任務”を終えたこの英国人を殺した」
 ガーディアン紙は「テロリストの冷血な軍事行動」と総括し、さらに続けて、テロリストが攻撃を開始した様子についてノルウェー人生存者の話を載せている。ノルウェーのベルゲン市から来たというノルウェー人は匿名でノルウェーの新聞記者にこう話した。
 「朝5時、自分や仲間の西洋人を載せたバスが(イナメナス)空港に向かっていた。ジハード集団は天然ガス施設に向かっているように見えたが、突然、われわれの乗ったバスに発砲してきた。護衛警察は撃ちかえした。テロリストから波状的に弾が飛んできた。アルジェリア軍が到着するまでわれわれはバスの床に伏せた。アルジェリア軍が到着し安全を確保されたが、バスから軍の施設までの100メートル、われわれはほふくして進んだ。テロリストの弾はあらゆるところからきた」
 テロリストはバスを攻撃後、直ちに2グループに分かれた。ひとつのグループは天然ガス関連施設に、もう一つのグループは従業員の収容棟に向かった。
 BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)で働く40代のアブデルカデール氏は話を引き継いだ。彼は衛門にいた。テロリスト7人が乗ったジープが障害物を破壊してピタリと止まった。武装したテロリストは車から降りてきて、衛視に「動くな」と命令した。携帯電話を取り上げ、監視カメラの作動を不能にした。
 アブデルカデール氏によれば、テロリストの一人が彼に「君はアルジェリア人でイスラム教徒だ。怖がることはない。俺たちはキリスト教徒を探している。キリスト教徒はマリ(アルジェリアの隣国でフランス軍が軍事介入)やアフガニスタンで同胞を殺した。そして我々の資源を食い物にしている」と語りかけた。
  アブデルカデール氏の話は続いた。「武装集団は降伏している衛視の1人を殺し、残りを天然ガス関連施設内に連行した。わたしは4人の父親だとテロリストに告げると、釈放された」
 テロリストは天然ガス施設の配置や内部を知り尽くして攻撃を開始した、とガーディアン紙の記者は記している。つまり施設内に内通者がいたということになる。
 そしてわれわれ日本人の関心をひく文章に遭遇した。JCGコーポレーションで働くアルジェリア人のリアド氏の話だ。JCGはもちろん日揮。
 リアド氏の話(フランスのウェブサイト)によれば、ジハーディスト(聖戦者)はBPと日揮が運営しているガス施設と、従業員宿舎の細部を熟知しているようだった。どこの部屋にどこの国の人が住んでいるのかさえ知っているようだった。つまり外国人のルームナンバーも知っていた。「内通者がいたに違いない」
 リアド氏は日本人がどのようにして探し出されたかを話した。北アメリカの強いアクセント(英語)でテロリストの一人は「ドアを開けろ」と叫んだ。そして発砲した。日本人二人が倒れた。リアド氏はほかの日本人4人の遺体も見つけた。
 ブラヒムと名乗るアルジェリア人は「テロリストは無慈悲に日本人を殺した。彼は複数の日本人が殺されるのを目撃した」と言っている。
 ガーディアンは日揮の遠藤毅広報・IR部長の話も日本の英字紙「デーリー・ヨミウリ」を引用して掲載した。部長は生き残った社員から次のような話を聞いたという。
 最初のテロリストのバス攻撃を逃れ自室に逃げ帰った社員(日本人)はそこにしばらくしかいられなかった。テロリストは部屋のカギを壊し侵入。社員を引きずり出し、明るい部屋に連行した。そこには、縛られたほかの人質がいた。テロリストはアルジェリア人にアラビア語で話し始めた後、警告なしに突然銃弾の雨を降らせた。その社員の脇にいた二人が死んだ。
 社員は死を覚悟した。その後、社員とフィリッピンの同僚は縛られ、トラックに乗せられた。ガス施設に向かう途中、アルジェリア特殊部隊の攻撃を受けた。すぐにトラックの床に伏せた。テロリストは逃走したが、日本人社員は2時間、トラックと地面の間でじっとしていた。夕暮れが砂漠に迫った。真っ暗になる前、脱出を決意し、砂漠を走りに走った。アルジェリアの兵士の顔を見て、緊張感が解け、兵士らの前で崩れ落ちた。
 ガーディアン紙は遠藤広報部長の話を紹介したあと、中東のテレビ「アルジャジーラ」を引用した。
 テロリストにより、爆弾をネックレスのように首に巻きつけられたフィリッピン人(日揮従業員)は幸運にも爆弾が爆発しなかった。右腕を負傷。トラックの残骸のそばで2時間いたが、アルジェリア軍に救出された。人質とテロリストが乗ったトラックはアルジェリアの武装ヘリコプターに攻撃されていた。
 アルジェリアの首都アルジェの病院のベッドで、アンドラ―だと名乗るフィリッピン人はアルジェリア軍の作戦について「アルジャジーラ」にこうコメントした。「わたしはアルジェリア軍のしたことに対して感謝しています。アルジェリア国防相が見舞いに訪れ、軍事作戦に対して謝罪した。わたしは国防大臣にこういいました。『作戦を理解しています。テロリストの行動がこの国だけで終わりました。ほかの国に広がらなかった』」
 もう一度、テロリストのイナメナス攻撃を時系列的に書く。
  テロリストによる最初の攻撃は現地時間の16日午前5時に始まった。イナメナス空港に向かうバス2台を攻撃した。この攻撃で英国人1人、アルジェリア人1人が銃撃され死んだ。
 テロリストは天然ガス施設と従業員生活棟のアルジェリア人と外国人を人質にとった。
 アルジェリア軍はテロリストと人質を包囲した。その頃、日英ら首脳はアルジェリア政府のテロリストとの交渉を人命尊重の立場から求めた。
 現地時間の17日正午、アルジェリア軍は総攻撃を開始した。自力で脱出した人質もいたが、そうでない者は殺された。19日に最後の総攻撃を開始し、テロリストは人質7人を殺害した後、自らも殺された。人質48人とテロリスト32人が亡くなった。(暫定数字)
 「覆面旅団」を指揮したベルモフタール司令官はアルジェリアの隣国マリでのフランス軍の軍事介入と、アルジェリア政府がフランス空軍の領空通過を許したことをイナメナス攻撃の理由にあげている。
 アルカイーダの流れをくむ覆面旅団はアフリカのサハラ砂漠に広がるマリ北部、ニジェール西部、モーリタニア東部、アルジェリア南部の砂漠地帯を拠点に活動している。この地域は政府の支配が及ばないという。ここから「ジハード」を展開している。イスラム原理主義国家を建国し、厳格なイスラム教を国の隅々まで敷く、彼らにとってだけの理想国家。極論すれば7世紀のイスラム教創始者モハメッドの時代と同じ政治体制を敷くことなのだろう。
   当初アルジェリア軍の強硬姿勢に反対していたキャメロン英首相は、この状況をつぶさに観察してこの地域の状況に対する姿勢を変えている。イナメナス事件で英国人3人が殺され、3人が行方不明になっている。英国の状況は日本と同じだ。
   日本では全国に悲しみが広がっている。日揮の社員は戦死したも同じだと思う。時事通信社は日揮関係者に悲しみが広がっていると伝えている。
 後輩の悲報に接したOBの方々は「唇をかんだ」。海外経験が長かった70歳のOB社員は「アルジェリアは独立直後の1960年代から天然ガスなどで産業を興そうとし、それに協力した日揮とは深い関係にあった。一生懸命やって来たのに、たくさん殺されるなんて納得いかない」と過激派を非難した。
 われわれ日本人から見れば、これほどアルジェリアに貢献したのに、人命を尊重しないで攻撃したアルジェリア軍と、民間人を殺したテロリストは同じレベルで許せない。筆者もそう強く思うが、「他の目」で見る必要もある。
 21日の夜のテレビ朝日のニュースで古館伊知郎さんはテロリストに対して武力行使などの強硬姿勢を示すだけではだめだと話した。
 この事件を客観的に観察しようとする学徒なら、古館氏の考えは客観的な意見なのか、それともわれわれ日本人の「思い」なのか?考えるべきだ。
 古館両氏の意見は事実の一部を述べてはいるが、ごく一部にすぎないと感じる。偉そうな見解で申し訳ないが、広い視野からの考察や観察が足りないように思う。
 ジハードを唱え、世界中でテロ活動をしているイスラム原理主義者の最終目的は何か。読者はあらゆる資料を突き合わせて考えなければならない。彼らの目的は、一にも二にも7世紀の預言者モハメッドの世界を創ることだ。中東で、北アフリカで、西アジアでイスラム原理主義国家を建設する。歴史の流れに“偉大な挑戦”をしている。イスラム過激派にとり、目的達成のためには妥協はない。「敵」が発信する妥協や「敵」の足並みの乱れも弱さと判断する可能性が強い。
 イスラム過激派はイスラム原理主義国家建設こそが彼らの中枢目的だと確信している。そのためには同志の犠牲もいとわない。聖戦」であり、「殉教」だと考えている。
  テロリストは21世紀の国家制度を乗っ取ろうとしている。何千年もかかって歴史の変化の中で創り上げてきた現代社会を破壊しようとしている。平和の中に共同体が協力する相互依存社会を破壊しようとしている。イスラム過激派とって今の世界はモハメッドの教えを裏切った、決して住めない世界なのだろう。彼らは21世紀の社会を標的にしている。
 事実を冷徹に分析して現実と対峙しなければならない。そこには感情を殺さねばならないだろう。筆者の独断と偏見だが、現在、緊急の課題は、諸外国で働く日本人の安全をさらに高めることだろう。派遣国の政府と緊密な連携を普段からとることだろう。いざというときには、自衛隊をどう活用するかも検討しなければならない。派遣国の民心も掌握する努力が必要だ。資源途上国に経済援助して、途上国の国民を貧困から救うことも必要だろう。そして何よりも情報収集能力を2倍も3倍も強化することだ。
   キャメロン英首相が言うように、テロとの戦いは、世代を超えた戦いになる。しかしイスラム教は貧しい人々や困っている人々に目を向ける立派な宗教である。大多数のイスラム教徒は誠実だ。感情的になってイスラム教徒を批判・差別してはいけない。一方、ごく一部のイスラム過激派に対しては冷徹な観察力に基づいた行動が不可欠だと思う。
   一時的な感情からこの問題を眺めてはいけない。また、イスラム過激派に対していかなる幻想も持つべきではないと思う。日本人の短所である「思い込みや先入観念」を排すべきだ。一つの窓だけから見て、「良い」「悪い」「正義」「不義」などと即断することだけは禁物だと思う。

 (写真はアルジェリア・イナメナス天然ガス関連施設:ブリティシュ・ペトロレウム≪BP≫提供 Public domain)



木下監督の映画作品が再評価     NHK番組「クローズアップ現代」を見て

2013年01月17日 23時42分30秒 | 映画
名画「二十四の瞳」を制作した映画監督の木下恵介が世界中で再評価されている。 高度経済成長期には日本人から振り向きもされなかった。17日夜に放送したNHK番組「クローズアップ現代」で司会者の国谷さんがこう話した。
 木下監督は1912年に浜松で生まれた。今年で生誕100周年。浜松は中高時代、筆者が過ごした市だ。
 木下作品は、戦争や差別、貧困などに踏みにじられる人々への圧倒的な共感を表しているという。人間の弱さを描き、そこに監督の共感する眼差しがあるという。イデオロギーによる戦争反対ではなく、ヒューマンから湧き上がる戦争反対。
 出演した脚本家の山田太一さんが、黒沢監督は強い人を描いたが、それは黒沢監督の強さへの憧れであったと話していた。これに対して、木下監督は「社会的な弱者」「戦争や差別・暴力にふみにじられる庶民の慎ましい生き方への共感」に光を当てたという。
 木下作品は、不況から抜け出せない日本社会で苦しい生活を強いられている人々の共感を得ているらしい。不正規雇用に苦しんでいる若者が「ある種の救い」を木下作品に見い出しているという。
 世界も木下作品を再評価している。ライバル関係にあるカンヌ、ベネチアの両映画祭(2012年度)で木下監督作品がクラシック部門でダブル上映された。「極めて異例の快挙」だという。
 ベルリン国際映画祭フォーラム部門、香港国際映画祭でもことし上映される。インターネットサイトによれば、ベルリン国際映画祭では、『歓呼の町』『女』『婚約指環(エンゲージ・リング)』『夕やけ雲』『死闘の伝説』の5作品を上映。香港国際映画祭では、『女』を除く4作品が上映される。
筆者は青年時代、「二十四の瞳」を見て、涙を流したことを思い出す。2010年に86歳で亡くなった高峰秀子さんが大石先生役を見事に演じていた。大石先生と12人の子どもとの交流。そして別れ。12人の子どもは激動の昭和に翻ろうされ、男子生徒の半分は戦死する。反戦のメッセージを込めた日本映画が誇る傑作だ。
恥ずかしい話だが、木下監督の映画製作の意図は知らなかった。木下作品を世界中の政治家が見てほしい。特に「二十四の瞳」を鑑賞すれば、戦争の馬鹿さかげんも十分に分かる。中国の軍部は日本の軍国主義を叫ぶ前に、自らの軍備増強の愚かさをこの映画を見て理解し、現実を直視してほしい。世界は共存へと流れている。共産主義という力の理論はとっくの昔に破滅した。地球温暖化問題を解決するために、協力と共存こそ、自らの国益に合致する。

(写真は二十四の瞳 大石先生と子ども  作者は松竹大船 1954年 著作権の保護期間満了 現在 Public domain)