英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

中国は歴史の変化を理解すべきだ   台湾総統選に思う

2016年01月17日 14時19分21秒 | 中国と世界
 阪神大震災は17日、発生から21年を迎えた。犠牲になった6434人の御霊にあらためて哀悼の意を表し、冥福を祈りたい。さて、きょうは台湾総統選について私見を述べる。
 16日に実施された台湾総統選で、野党・民進党の蔡英文主席が与党・国民党の朱立倫主席、親民党の宋楚瑜主席を大差で破り、当選した。
 8年ぶりの政権交代で、総統に女性が当選するのは初めて。中央選挙委員会の集計では、蔡氏の得票率は56・12%の圧勝。民進党は同時にあった立法院(国会、定数113)選で68議席を得て、初めて過半数を占めた。得票率は、過去の総統選で最高だった2008年の馬英九総統の58・44%に迫る。
 蔡氏は同日夜に記者会見し、政権交代だけでなく立法院でも過半数を得たことで「台湾人は投票で歴史に新たな一ページを加えた」と述べた。
 日本の大手新聞各紙の報道の要約だが、この報道に歴史の変化を感じ取るのは筆者だけだろうか。立法院でも独立志向の強い民進党が過半数を占めたことは明らかな歴史の変化の流れである。
 歴史は変化し流れている。これは歴史原則の一つだと筆者は拙書「過去のない国」で主張した。また、2月に出版される予定の「現実主義者の選択 先哲の人生に学ぶ」でも強調ししている。
 この流れは過去から現在、未来へと流れていく。時として人々の目には見えない場合もある。それを、英国のローハンプトン大学のジョン・トッシュ歴史学教授らは「インパーソナル・フォーシズ」と呼ぶ。
 中台の歴史の流れについて言えば、中国共産党の指導者で、新中国の創建者の毛沢東との内戦に敗れた蒋介石・国民党総統が台湾に逃れた時から始まる。
 蒋介石も毛沢東も血みどろの内戦を演じたとはいえ、「中国はひとつ」という考え方に疑問を挟んでいなかった。二人は中国の統一をかけて覇を争ったのだ。
 蒋介石は台湾に国民党の独裁を敷き、権力を息子の蒋経国にゆずった。蒋経国も独裁を敷いたが、賢明な人物だった。権威主義的な政治を利用して台湾の経済を発展させ、また民主主義市民社会の土壌をつくった。蒋経国の死後、副総統の李登輝が総統に就任。1996年に初めて実施された総統直接選挙で、大衆から信任された。
 台湾で初めて民主的な選挙で選ばれた総統だった。これまでの政権が叫んでいた「大陸反攻」のスローガンを降ろし、中国共産党が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾・澎湖・金門・馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張した。
 李登輝政権後、民主進歩党の陳水扁氏が総統に選ばれ、2000年から8年間にわたり政権を担ったが、「中国からの台湾独立」を提唱し、中国共産党の怒りを買った。陳は汚職スキャンダルと中国本土への強硬姿勢から、国民の離反を招いた。その反動により、国民は国民党の馬英九を台湾の最高指導者に選び、08年から今年まで台湾を統治した。
 馬は中国の台頭により、大陸との経済的な結びつきを強め、台湾が中国本土経済に依存するまでになった。
 台湾の歴史は紆余曲折をへながら、歴史の流れに乗り、一定の方向に進んでいるようだ。それは民主主義制度の確立と中国からの独立への道だ。
 その象徴が、中国とのサービス貿易協定に反対し、2014年3月18日夕刻に300名を超える学生のデモ参加者が立法院議場内に進入した事件だ。俗にいう「ひまわり革命」だ。
 若い世代ほど台湾人意識が強い傾向にある。今後強まりこそすれ、弱まりは決してしない。今回の総統選と「ひまわり革命」から歴史の変化を見て取れる。時がたてばたつほど、この変化は大きくなる。
  蒋介石と毛沢東が「中国は一つの認識」のもと、中国の覇者となるために内戦を戦った。その世代の人々は今日、ほとんどいない。
 蒋介石が1949年に内戦に敗れ、台湾に逃れて以降、台湾で生まれ育った人々がますます多くなる。そして1990年以降の民主主義制度のもとで育ち、その制度を享受してきた若者が台湾社会の多数を占める。
 台湾社会は共産党の一党独裁より民主主義社会で住むことを「良し」とする傾向がますます強まるだろう。「中国は一つ」だという認識を実感できない台湾生まれの台湾育ちの人々がますます多くなるだろう。
 中国共産党指導部と中国本土大衆はこの歴史の流れにどう立ち向かうのだろうか。「一つの中国」原則を中台間で確認した「92年コンセンサス」を中台交流の前提するのだろうか。
 この原則が打ち立てられて約四半世紀がたつ。歴史の変化の流れの中で、この原則は現在でも有効なのか。それとも時代遅れとなっているのか。第2次世界大戦で、ナチス・ドイツの独裁と闘った英国の宰相ウィンストン・チャーチルは議会の同僚にこう語った。「歴史は過去からの単なる延長にすぎないと思うだろうが、そうではない。歴史は思いがけない変化と後退の連続だ」
 チャーチルは歴史の原則を理解していた。だからこそ、植民地主義者であり大英帝国の永続を信じていたチャーチルは世界に散らばる英帝国の属領の独立を「いかんとのしがたい歴史の変化」だと認識して独立を承認した。
 チャーチルの帝国政策を知っていた英国国王ジョージ6世がチャーチルのこの考えの機微を知り、「驚いた。あれほど英帝国と植民地の存続に固執していたウィントンが帝国植民地の独立を認めるとは」と話した。チャーチルは歴史家だった。
 はたして、中国共産党の指導者が、台湾と中国の変化を認めることができるのか? 中国人と中国共産党はいくら憎んでも足りない日本の軍部指導者と同じ轍をふむのか、それとも、歴史家のチャーチルのように、歴史の変化を見据えて舵を大きく切るのか。日本の軍部は歴史の変化を理解せず、19世紀の遺物「植民地の維持」に汲々とし、侵略戦争を遂行し滅んだ。
 17日付朝日新聞7面の国際欄で、中国総局長の古谷浩一氏が台湾総統選の結果を踏まえ「中台のきしみ避けられず」と報告している。
 古谷氏の取材によれば、30代の中国共産党幹部は「今や台湾経済は大陸のおかげで成り立っている。いったい何が不満なんだ」と語っている。古谷氏はさらにこう述べる。
 「『一つの中国』の受け入れを求める共産党政権を支えるのは、『中華民族の偉大な復興』とのプロパガンダにあおられた、この強硬な13億人の要求である」「日本から見ると、南シナ海や東シナ海での中国の強硬な拡張路線は理解できないものだ。ところが、北京に暮らしていると「元々すべて中国のもの。これまで我慢してきたが、兄弟になった今、当然の権利を言ってどこが悪いのか」との反論が頻繁に聞かれる」  
「香港の若者が民主的な選挙を求めた際、中国では逆に『香港を甘やかしすぎた』との不満の声が相次いだ」
 読者はこの一連の発言をどう解釈するだろうか。筆者は、「中華民族の偉大な復興」の中に中国人の中華思想を強く感じる。このスローガンをさらに分析すれば、中国共産党政府は共産主義者の論理「鉄砲は政権から生まれる」という闘争を盾にして、英帝国との間で行われた1839年~42年のアヘン戦争以前の中華支配をもくろんでいるのかと疑いたくなる。
 今日の国際秩序は国家間の平等の上に成立している。19世紀以前のような支配と被支配の関係ではない。強国が弱国を脅す時代ではない。大国が小国をあごで指示する時代ではない。大国が小国を植民地にする時代ではない。現代は強国といえども、世界の世論の支持がなかえれば自分の思うようには事が運べない。米国のイラク、アフガン政策を見れば理解できる。
  歴史は変化したのだ。中国人は嫌でも認めなければならない。自分がいじめられた19世紀から20世紀半ばまでの時代に引き返すことはできない。もし中国がこの時代に戻ろうとするなら滅びる。
 アヘン戦争に始まる100年間にも及ぶ中国人の苦難は理解できる。欧米や日本列強から半植民地にされた時代だ。中国が強国になったからと言って、今までの「負債」を取り返そうと19世紀に戻ることはできない。「歴史は繰り返さない」。これも歴史の哲理である。
 一方、蔡英文次期総統にも申し上げたい。くれぐれも歴史の流れを無視して、ことを急がないように。理想と現実は乖離する。いつの時代も同じである。臆病なまでの慎重さで現実を直視しながら理想(台湾の自立と独立)を追い求めてほしい。
 理想が現実とかけ離れ、時が熟していなければ、中国共産党とも妥協をしてほしい。名誉革命の父、ハリファクス侯爵が言うように「急いてことを進めれば、歴史の流れに逆らい、諸君(蔡英文)の上に輝こうとしている星が消えうせるだろう」。歴史の大きな流れは蔡英文氏と台湾に味方している。焦ってその流れに逆らってはダメだ。
 各紙が報じた蔡氏の横顔によれば、蔡英文氏は常に冷静さを失わず、論理的な鋭い発言には定評があるという。「父親から冷静、理性的であれという教育を受けた」と語り、大げさな感情表現は苦手だ。女性であることを強調する場面もほとんどない。仕事には厳しいが、「強力なトップダウンでなく、意見を吸い上げて人を動かすタイプのリーダーだ」(党地方幹部)。
 彼女は英国で勉強し、名門中の名門であるロンドン大学の経済政治学院(LSE)から博士号を獲得した。英国の政治的な伝統を身に着けていると信じる。
 「現実を尊重し、そこから理想を求めよ」ということだ。
 古谷氏は中国の対台湾政策の変更に悲観的だ。「中台のきしみは避けられまい」と語っている。筆者も中国の国民性や共産党のものの見方は一朝一夕では変わらないだろうとみる。共産党幹部が、共産党が滅ぶ前に歴史の変化を理解することを願う。なぜソ連共産党が滅んだのか。中国共産党は答えの半分は正しいが後の半分は間違っている。
 資本主義経済は社会主義経済より勝っている、と考えた。これは正しいと思う。ただ、共産党支配と民主主義制度、中国と冊封体制、中国を中心とした国際秩序の形成は21世紀ではもはや通じない。それを理解してほしい。