香港での民主主義制度が完全に葬り去られるかどうかのリトマス試験紙の役割を果たす「逃亡犯条例」改正案について、香港政府トップが事実上、成立を断念する考えを示した。
林鄭月娥行政長官は会見で「現状では改正審議の再開はできないと認識している」と話し、「撤回」という言葉を封印した。これに対して、民主派は「即撤回することだ」と反発する。
林鄭氏が「撤回」を封印した背景を考えると、中国共産党政府の存在が浮かび上がる。中国政府は「逃亡条例」改正案を全面支持していただけに、香港行政長官は本土政府の失策を隠したかったと思われる。
この条例改正案が事実上の廃案になったことは、中国共産党の習近平指導部にとって大きな挫折であり、香港の民主主義を守ろうと立ち上がった人々に対する敗北だ。共産党は大きな敗北を味わった。
とはいえ、中国共産党政府がこれからますます香港に圧力を加えてくるのは間違いない。現在でも、香港政府高官は就任だけでなく辞任にも中国共産党政府の承認が必要だ。辞める権利もないのが行政長官の現実である。1997年に英国から中国に返還されるにあたり、50年間は資本主義を採用し、社会主義の中国と異なる制度を維持すると決めた「一国二制度」は事実上、崩壊している。
習近平指導部は今後、「逃亡条例」改正案に反対した香港経済界などへの説得工作を水面下で展開していくだろう。そしてデモを完全に押さえ込むことを狙うにちがいない。しかし香港市民の怒りが収まる保証はなく、「撤回」表明を避けた判断が、長期的な観点から、中国政府をさらに窮地に追い込む可能性がある。
現在の香港の状況を見て、20世紀が生んだフランスの偉大な歴史家マルク・ブロックの「歴史(学)は、その本質からして変化の科学(History is , in its essentials, the science of change)」を思い出す。職業軍人でもあったブロックは著書「奇妙な戦争」で、このフレーズを使用し、フランス軍がナチス・ドイツ軍に1940年5~6月の戦争で敗北したのは、歴史の変化に気づかず、軍の改革を怠ったからだと語っている。
また、ブロックは著書「歴史のための弁明(Historian's craft)で、「『歴史学が過去に関する学問だ』と言われたことがある。それは『私の見解では』悪い表現である」と述べ、「歴史学の対象は本質的には人間である」と断言している。
人間は時間の中で生きている。つまり継続の中で生きているのだ。歴史という時間的空間は、長くて100年しか生きない一人の人間の時間を遙かに超えている。ブロックは歴史家ミシュレーの著作「民衆」の冒頭文「現在に、つまり今日のことに固執する者は、現在を理解しないであろう」を引用し、歴史(時)が変化する必然性と重要性を強調している。
ブロックは、人間は歴史の時の流れという広い視野から今日の出来事を見つめなければ、今日の出来事を把握できないばかりか、将来に必ず禍根を残すと話す。「人は人類の進化の流れを、それぞれのわずかな人々の生涯の期間しか続かないような一連の短く大きな不規則の波からなるものとして思い描く」とも語る。
中国共産党と習指導部は「歴史の本質」を理解しているのだろうか。歴史に刻まれていく時の変化の潮流から、自分たちの現在の立ち位置を理解し、将来の立ち位置を推測しているのだろうか。彼らがそれを理解していても、人間の性である既得権(共産党の一党独裁体制)に縛られているのだろうか。それとも理解していないのか。
1949年10月1日、毛沢東が新中国の成立を宣言したとき、中国共産党は、中国国民にとって、それなりの「存在理由」があった。しかし今日はどうなのだろうか。社会主義の理念と理想の多くをかなぐり捨てたが、いまだに一党独裁の旗印をかかげ、人権、民主主義、少数民族の尊重などの今日の歴史の変化を無視している。今日、中国共産党に「存在理由」があるのだろうか。
歴史の変化の流れの中で、いかなる人も集団も自らを変えていかなければ生き残れない。それは定理と言っても良い。もし自らを時の変化に適応することができなければ、滅びるのは必至だ。われわれが歴史を紐解けば、そんな例は枚挙にいとまない。中国共産党と習指導部はじっくりと考えなければならない。
(写真)マルク・ブロック
林鄭月娥行政長官は会見で「現状では改正審議の再開はできないと認識している」と話し、「撤回」という言葉を封印した。これに対して、民主派は「即撤回することだ」と反発する。
林鄭氏が「撤回」を封印した背景を考えると、中国共産党政府の存在が浮かび上がる。中国政府は「逃亡条例」改正案を全面支持していただけに、香港行政長官は本土政府の失策を隠したかったと思われる。
この条例改正案が事実上の廃案になったことは、中国共産党の習近平指導部にとって大きな挫折であり、香港の民主主義を守ろうと立ち上がった人々に対する敗北だ。共産党は大きな敗北を味わった。
とはいえ、中国共産党政府がこれからますます香港に圧力を加えてくるのは間違いない。現在でも、香港政府高官は就任だけでなく辞任にも中国共産党政府の承認が必要だ。辞める権利もないのが行政長官の現実である。1997年に英国から中国に返還されるにあたり、50年間は資本主義を採用し、社会主義の中国と異なる制度を維持すると決めた「一国二制度」は事実上、崩壊している。
習近平指導部は今後、「逃亡条例」改正案に反対した香港経済界などへの説得工作を水面下で展開していくだろう。そしてデモを完全に押さえ込むことを狙うにちがいない。しかし香港市民の怒りが収まる保証はなく、「撤回」表明を避けた判断が、長期的な観点から、中国政府をさらに窮地に追い込む可能性がある。
現在の香港の状況を見て、20世紀が生んだフランスの偉大な歴史家マルク・ブロックの「歴史(学)は、その本質からして変化の科学(History is , in its essentials, the science of change)」を思い出す。職業軍人でもあったブロックは著書「奇妙な戦争」で、このフレーズを使用し、フランス軍がナチス・ドイツ軍に1940年5~6月の戦争で敗北したのは、歴史の変化に気づかず、軍の改革を怠ったからだと語っている。
また、ブロックは著書「歴史のための弁明(Historian's craft)で、「『歴史学が過去に関する学問だ』と言われたことがある。それは『私の見解では』悪い表現である」と述べ、「歴史学の対象は本質的には人間である」と断言している。
人間は時間の中で生きている。つまり継続の中で生きているのだ。歴史という時間的空間は、長くて100年しか生きない一人の人間の時間を遙かに超えている。ブロックは歴史家ミシュレーの著作「民衆」の冒頭文「現在に、つまり今日のことに固執する者は、現在を理解しないであろう」を引用し、歴史(時)が変化する必然性と重要性を強調している。
ブロックは、人間は歴史の時の流れという広い視野から今日の出来事を見つめなければ、今日の出来事を把握できないばかりか、将来に必ず禍根を残すと話す。「人は人類の進化の流れを、それぞれのわずかな人々の生涯の期間しか続かないような一連の短く大きな不規則の波からなるものとして思い描く」とも語る。
中国共産党と習指導部は「歴史の本質」を理解しているのだろうか。歴史に刻まれていく時の変化の潮流から、自分たちの現在の立ち位置を理解し、将来の立ち位置を推測しているのだろうか。彼らがそれを理解していても、人間の性である既得権(共産党の一党独裁体制)に縛られているのだろうか。それとも理解していないのか。
1949年10月1日、毛沢東が新中国の成立を宣言したとき、中国共産党は、中国国民にとって、それなりの「存在理由」があった。しかし今日はどうなのだろうか。社会主義の理念と理想の多くをかなぐり捨てたが、いまだに一党独裁の旗印をかかげ、人権、民主主義、少数民族の尊重などの今日の歴史の変化を無視している。今日、中国共産党に「存在理由」があるのだろうか。
歴史の変化の流れの中で、いかなる人も集団も自らを変えていかなければ生き残れない。それは定理と言っても良い。もし自らを時の変化に適応することができなければ、滅びるのは必至だ。われわれが歴史を紐解けば、そんな例は枚挙にいとまない。中国共産党と習指導部はじっくりと考えなければならない。
(写真)マルク・ブロック