英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

相撲は存続の岐路にある  貴乃花親方の降格処分に思う

2017年12月29日 21時10分58秒 | スポーツ
 日本相撲協会は、巡業部長でありながら巡業中に起きた元横綱日馬富士による暴行を協会に報告せず、協会の調査にも協力しなかった貴乃花親方(元横綱)の理事解任を求める方針を全会一致で決議した。2階級降格で役員待遇となる。協会の懲戒は7段階に分かれ、軽い順からけん責、報酬減額、出場停止、業務停止、降格、引退勧告、解雇。来年1月4日の臨時評議員会であらためて協議を行い、正式決定する。貴乃花親方は初場所後に行われる次の役員候補選挙には立候補できる。
 私は、貴乃花親方がいかなる理由があろうとも組織人として、鳥取県警に弟子の貴の岩の被害届けを出した直後、巡業部長の職責を遂行するため協会に報告すべきだったと信じる。大相撲協会に報告を鳥取県警に要請したからといって、それが貴乃花親方の報告にならない。
 また貴乃花親方が「捜査の障害になるから協会の聴取要請に応じない」というのも合理的ではない。警察が「支障はない」と協会幹部と貴乃花に言った時点で、応じるべきだった。「協会に協力すれば、真実が隠蔽されるおそれがあるから協力しないのかとの協会側の質問に対し、「そうではない」と述べたという。私には親方の原稿が理解不能で、どこかの宗教教祖のように自分だけの信念に生きているようにしか思えない。
 一方、協会の最高地位にある八角理事長が今回の騒動に関し、下から2番目の報酬減額の処罰を受け、一理事に過ぎない貴乃花親方が、理事長よりも重い処分になったことは合点がいかない。ましてや現場にいて直ぐに止めに入らなかった横綱の白鵬や鶴竜は少なくとも二場所出場停止処分にしなければバランスを欠く。現場にいなかった貴乃花親方にも、監督責任という点で非はあるが、これでは協会側が”反乱分子”の貴乃花をいじめているようにしか映らない。
 最も重い責任をとる立場にある八角理事長は報酬を減額するのではなく、来年2月の理事長選挙には立候補しないと公表し、事実上の辞任表明をすべきだった。これでは「協会のガバナンスを維持できない」と言って貴乃花親方に厳罰処分をした協会側が自ら「ガバナンス」に基づく行動をとっていない。
 私は協会への報告義務や協力をめぐって貴乃花の言動について理解できないが、彼の相撲協会改革には理解できる。
 夕刊フジによれば、貴乃花親方は、角界にはびこる「暴力」や、モンゴル力士会の「なれ合い」について「あれはダメだ」と強く批判してきたという。
 貴乃花親方は、部屋の福岡県・田川後援会長にこう話す。「暴力があると、将来的に若い力士が相撲界に入ってこない。ちびっこ相撲にも力を入れている親方としては、若い者を育てるには暴力沙汰は絶対にいけないと考えている。暴力問題が発覚したら、力士になりたくても親が反対するやないですか。そういうことを一番思っていた」
 またモンゴル力士会についても「モンゴルの力士会、あれはなれ合いになるからダメだ」と話したという。田川後援会長は「この発言を、八百長がなくても一般の人には八百長に見えてしまうっていうことじゃないかと受け止めた」と語る。
 「暴力」と「モンゴル力士会」の両方を危惧していたという貴乃花親方は、日馬富士が弟子の貴ノ岩にけがを負わせたことを、自らの相撲道哲学から、決して許せなかったのかもしれない。
 この「なれあい発言」を裏付ける事実がある。この事件が発覚する約2週間前の10月31日にモンゴルで放送されたテレビ番組「モンゴル民族の100人の偉人」で、朝青龍は白鵬に「チャンスがあるなら(日本人ではなく)別のモンゴル人を成功させるんだぞ。モンゴルの仲間に可能性を開いてあげるんだ」と強調した。さらにこう続けた。「“他人の犬を育てるよりは、自分の犬を育てろ”と言うだろう」
 この発言は、モンゴルの諺(ことわざ)で「身内を利する行動をとれ」という意味だという。他のモンゴル力士に優勝のチャンスを与えるよう“八百長”を促したと受け取られかねない発言だ。
 貴乃花親方は日本の伝統に基づく相撲に戻れと考えているのだろう。これに対して、興業を重視する協会側は、たとえ外国人でも白鵬のような強い横綱を欲するのだろう。
 「かわいがり」など相撲の世界だけにしか通用しない”常識”や、相撲という肉体の激しいぶつかり合いを基本にする格闘技は、日本社会が裕福になるにつれ、数十年前から日本の若者から敬遠されてきた。そして少子高齢化の到来。これにより、相撲協会はこの伝統技の存続を図るため、外国人力士を入れてきたが、「親方になるには日本国籍が必要だ」と力説する。これを白鵬は問題視し、モンゴルのテレビで番組で不満を口にした。
 私は貴乃花親方が守ろうとする「相撲道」を、外国人力士が理解できるはずがないと確信する。それは日本の伝統や文化に由来しているからだ。外国人力士として初めて1964年に初土俵を踏んだハワイ出身の高見山から多くの外国人が土俵を踏んだ。しかし徒党を組むほど同じ国籍の力士はいなかった。
 現在、モンゴル出身力士は徒党を組むほど多い。モンゴル本国の若者は日本でお金を儲け、一旗揚げる気持ちで力士になりたいという。モンゴルと日本の経済格差は極めて大きい。そして人間の業だが、習性として群れる。日本人が英国の英語学校で群れているのを、私は見ている。モンゴル人とて同じだ。
 大相撲は現在、岐路に立たされていると思う。大相撲協会は、伝統の維持と外国人力士の増大の矛盾に揺れる。彼らは日本の伝統を下敷きとした国技である相撲を真に理解するのが難しいと思う。これから半世紀後には外国人力士がいなくては相撲興行が成立しなくなるかもしれない。
 国技といわれる相撲を今後、どうするのか。いかに改革するのか。いかに現代にマッチした形にするのか。国技ではなく、サッカーのような国際スポーツにするのか。それとも、極論だが、「始めあれば終わりあり」という格言通り、相撲にさよならするのか。相撲協会と日本人はこの問題を突きつけられていると思う。
 

横綱白鵬はもっと人間を磨かなければならない 調査結果に思う

2017年12月22日 21時53分18秒 | スポーツ
 私は日本相撲協会の危機管理委員会が20日に公表した調査結果の概要を新聞で読み、横綱白鵬はもっと人間を磨かなければならないと思った。
 日馬冨士殴打事件の発端は秋場所中に東京・錦糸町のバーで、貴ノ岩が元幕内の先輩力士らと口論になったことがきっかけだという。この場で、酔っていた貴ノ岩が「俺は1月場所で横綱にも勝っている」「これからは俺たちの時代だ」と元幕内の先輩力士や白鵬のモンゴル人の友人に言い放った。この友人が貴の岩と言い合いになり、後日、白鵬に貴ノ岩の発言を伝えた。
 この出来事から約1カ月後、鳥取巡業を控えた10月25日夜、地元の高校関係者と白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱、同校OBの照ノ富士、貴ノ岩、石浦の関取衆3人ら計13人が食事会を開いた。
 食事会の終盤、白鵬が貴ノ岩に9月場所中の件に触れ、「だいぶん偉そうだったそうじゃないか。これからは俺たちの時代だと言ったそうじゃないか」とモンゴル語でとがめた。貴ノ岩はこれを否定し、日馬富士が間に入ってかばったため、その場は収まった。ただいずれもモンゴル語だったこともあり、同席した日本人には内容が理解ができなかった。
 一次会が終わり、午後11時過ぎから翌26日午前2時ごろまで、高校関係者のなじみのラウンジの個室で2次会が開かれた。その後の詳細は、何度もテレビなどの番組で報道されているので割愛する。
 私は、11月27日のブログ「日本人の考え方で公言してよいのか」と九州場所千秋楽での白鵬の優勝インタビューの発言を擁護した。この中で白鵬が「日馬富士関と(殴られたとされる)貴ノ岩関を再びこの土俵に上げてあげたい」と話し、観衆に万歳三唱を促した。この行動は日本人とモンゴル人の文化やメンタリティー、国民性の相違から来ているのではないかと論じた。
 白鵬の千秋楽発言をめぐって、私は11月27日付のブログの内容を訂正するつもりはない。しかし、貴の岩の錦糸町発言をめぐる白鵬の発言は文化や国民性の違いを超えた問題だ。これは白鵬の度量と人間性の問題だと思う。白鵬の人間性を垣間見る。「だいぶん偉そうだったそうじゃないか」と貴の岩に本当に言ったのなら、それは感情論であり説教ではない。
 白鵬は雅量の大きさを示すべきだった。貴の岩の発言を聞き流し、「おまえの言うように、私はいつか土俵を去っていくだろう。これからは君らの時代かもしれない。ただその発言が、私に勝ったことによるおごりから来ているのなら、君は反省しなければならない。謙虚であれと自覚しろ」とでも言えばよかった。しかし「偉そうな」と言ってしまってはどうしようもない。
 白鵬の立ち合いがこの1~2年、よくない。張り手を使い、肘でかち上げたりしている。勝つことを最優先している。また全盛期でなくなった証だ。
横綱は全盛期を過ぎていても、正々堂々と正面からきれいな相撲をするよう皆から期待される。それが横綱の品格だ。それができなくなれば引退する。
 白鵬は一次会で「50回は優勝する」と話したという。この言葉に彼の気持ちのすべてが現れていると思う。白鵬にとって相撲はスポーツなのだ。神事ではない。この考えに対し、相撲道とは何かという確固とした考えを抱いている貴乃花親方が白鵬を嫌っているのもうなずける。
 私は白鵬が勝ちにこだわって「張り手」など使わず、相手を正面から受け止め、堂々と横綱相撲で勝つかという日本精神を学んでほしい。
 異国の文化や国民性を理解し、それを自らの精神に昇華するのはまことに難しい。しかし白鵬はそれをやらなければならない。それを完全に自分のものにしたとき、彼は品格ある大横綱として後生に伝えられるだろう。それができなければ引退することを勧める。

不安があるが成功を!  大谷のエンゼルス入団に思う

2017年12月09日 22時16分25秒 | スポーツ
 日本ハムから大リーグでプレーすることを目指していた大谷翔平選手が、エンゼルスに入団することが決まった。一プロ野球ファンとして大谷選手の活躍を祈る。ただ、二刀流で上手くやれるのかという不安も私の脳裏にある。
 今日、私は自宅近くの散髪屋で散髪した。大の野球ファンで玄人顔負けの野球通の床屋の主人も私と同様、一抹の不安を感じている。
 主人は「大リーガーは大谷の素直な直球を開幕から数カ月すれば打ち込むようになるにちがいない。大谷の速球がいくら速くても大リーグの選手に通用するだろうか。大リーグの強打者を封じるのは、速球とともに揺れる玉のマスターが不可欠。ツーシームを大谷はマスターしていない。確かにフォークボールは投げることができるが、それだけで十分だろうか。また数千キロを移動する。日本の移動距離の比ではない。投球間隔は中4日。DHとはいえ、二刀流で長い間活躍できるのだろうか」と話し、成功失敗は半々だと強調した。
 「大谷は沢村賞などの大きなタイトルを獲得していない。日本のプロではランクは上だが、マスコミが褒めるほどの最上級の選手ではない。投手としては大谷より上のマー君(田中将大投手)にしてもダルビッシュでさえ、ずば抜けた活躍を大リーグでしていない」
 私は床屋の主人の話に聞き入った。主人の話には一理あるが、読者はどう思うだろうか。
 大リーグのエンゼルスで2011年から12年にかけてプレーしたことのある高橋尚成さんはNHKの電話取材で、「ピッチャーでは今のスタッフの中では2番目か3番目に名前を連ねるくらい期待されていると思う」と話した。そのうえで、指名打者のプーホールズ選手がファーストを守れることや外野手の層が薄いことを挙げ、「投げないときは指名打者はもちろん、ライトでも出られるチャンスがあると思う」と話し、二刀流で活躍できる環境はあるという見方を示した。
 大谷はリスクを恐れず勇気を出して大リーグに挑戦した。その行動はチャーチル精神そのものだ。大リーグ挑戦は彼の夢でもあった。
 日本ハムのチームメート、札幌のファンやエンジェルス本拠地のファンは来シーズンでの大谷の活躍を期待し応援している。私も一抹の不安をぬぐえないが、彼を応援したい。大谷が最も現実の厳しさを理解していると思う。それの乗り越え、ピッチャーとして通算94勝し、バッターとして通算714本のホームランを打った大リーグの球聖ベーブルースのような偉大な二刀流選手になってほしい。頑張れ大谷!

新刊書「人間チャーチルからのメッセージ」を紹介 

2017年12月04日 09時57分35秒 | 書籍紹介と書評
 きょう小学館スクウェア(本社:東京都千代田区)から発売される拙書「人間チャーチルからのメッセージ  不安な豊かさの時代に生きる私たちへ」を紹介します。拙書の各章の初めに、チャーチルの名言を載せ、その発言の背景を記述した。またその背景を記述する中で、彼のほかの名言をも書き、その背景から映し出される時代の潮流を記しました。堅苦しい学問的な考証を避け、20世紀の傑出した宰相のエピソードをふんだんに取り入れて彼の人生観や生き方を読者に伝える工夫をしました。
  12月上旬の発売以来、出版総合誌「出版ニュース」、信濃毎日新聞社、教育学術新聞社などが紹介、映画「チャーチル ヒトラーから世界を救った男」の配給元「東宝ステラ」の編集部から評価され、映画のパンフレットのコラムに「雄弁家チャーチル」を寄稿しました。

  【内容について】
  英国の大宰相ウィンストン・チャーチル自身の生き方について書きました。将来に漠然とした不安を覚えるわれわれに、彼の生き方が何らかのヒントを与えてくれるのではないかと思い、出版しました。私はそう望んでいます。本書は名言録や解説書ではありません。ましてや評伝でもありません。私はチャーチルその人を読者に伝えようと思いました。
 日本社会は現在、物質的には豊かに見えますが、将来に何の希望もなく、不安だらけの社会のように思います。若者の貧富の格差が拡大し、彼らは夢を語れず、自殺願望者が年々多くなっています。最近、神奈川県で起こった自殺願望者の若者9人の殺害事件はそんな世の中を投影しています。
また30~40歳代の働き盛りの人々は、老後の暮らしに不安を抱いています。また独居老人が増えています。私を含む団塊の世代が今から6~7年もすれば「後期高齢者」になり、その傾向はますます顕著になるでしょう。
 本書で、チャーチルは人生を生き抜くことの大切さや、長続きする趣味を見つけることの必要性、良心を持たずに人生を歩いて行く軽率さを説き、人生での羅針盤は何かを話します。また民主主義とは何か、リーダーシップとは何か、政治家の心構えや政治信念を読者に語ります。
 また、20世紀の大宰相がニューヨークで交通事故に遭ったとき、加害者に対しどう行動したかなどの小話やエピソードを交え、チャーチルの生活信条や人柄をもえぐり出しました。
 英国の「帝国戦争博物館」やドイツの「連邦公文書館」などが所蔵する写真48枚を掲載しました。この写真の中には、若き日のチャーチルの貴重な写真も含まれています。


【映画「チャーチル ヒトラーから世界を救った男」のパンフレットに寄稿】
 ウィンストン・チャーチルの映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男(原題Darkest Hour)」が、3月末より日本でも公開されています。
 拙書を閲読した映画配給会社が拙書を評価してくださり、当映画の公式パンフレット内コラム「雄弁家チャーチル」への執筆を依頼し、この度実現に至りました。

 【書評】
  出版総合誌「出版ニュース」、信濃毎日新聞の新刊紹介(3月4日)や教育学術新聞の書評欄(3月7日)などに取り上げられました。

【編集者からの言葉】
 この本はチャーチルの単なる評伝ではなく、“その言動に学ぶこと多し”という視点から書かれた、たいへん親しみやすくて面白い内容で、また現在の世界情勢にも鑑みてとても参考になります。

 【拙書の一部紹介】
 拙文書の一部を紹介します。チャーチルの評伝には書かれてない彼の人間性を知るエピソードを本文とは別立てで記しました。それと同時に、学者の方々が記した評伝には劣りますが、彼の政治経歴の中で最も苦しかった1930年代の政治活動も書きました。

 (1)チャーチルは「安全第一」で行動しようが「リスク」を恐れず行動しようが、死ぬときには死ぬのだと達観していた。彼の勇気はその死生観に深く結びついている。(なぜこの死生観に至ったかは、第1章のエピソード「政治家として挫折、40歳にして再び戦場へ」を読者がお読みになれば理解できます)  
 第2次世界大戦中の1940年7月から始まった「英国の戦い(バトル・オブ・ブリテン)」(一口メモ)の最中、ドイツ・ルフトワフェ(空軍)の戦闘機と爆撃機計数百機が毎日、英国に飛来し、軍需工場や飛行場、港湾施設などを猛爆した。9月に入ると、ロンドンやコベントリーなど英国諸都市に爆撃の重点を移し、その激しさが増していた。チャーチルはロンドン空襲が激しくなればなるほど、頻繁に首相官邸の屋上に上り、戦況を見つめ状況の把握に余念がなかった。上下つなぎの作業服の上に空軍の厚手の制服を着て葉巻をくわえ、屋根に立ってじっとドイツ空軍機の猛爆を眺めていた。
  ある夜、チャーチルは首相官邸の裏庭に出て空を見上げていた。数百のドイツ爆撃機がロンドンの空を覆い、英軍の激しい対空砲火が夜空を焦がしていた。そのうちの1機から爆弾がシュルシュルという音をたてて官邸内に落下、チャーチルからそう遠くない所で炸裂した。
首相警護のウォールター・トンプソン警部は瞬間青ざめ、首相に駆け寄った。チャーチルは爆発に動ずることもなく警部を振り返り、「すまんなぁ、危険な目にあわせて。それにしてもお前も動じない男だなぁ」と感心したようす。一瞬戸惑った警部が「謝ることはありません。ただ、首相閣下の身を心配しています。こんなことで閣下の身を危険にさらす必要はありません」と語気を強め、防空壕に入るよう懇請した。だが生死を決めるのは神だと達観しているチャーチルは、トンプソン警部の願いをきっぱりと拒絶してこう答えた。
 「死ぬときがくれば死ぬのだよ、トンプソン」

(2)音楽も生涯にわたるチャーチルの趣味だ。しかし好きな音楽はクラッシクやオペラではなく、ミリタリー行進曲や流行歌。誰からも見られていないとき、行進曲のリズムに合わせて大広間を往復して行進した。チャーチルは行進することで精神をリラックスさせると同時に、仕事のことなどについて何やら考えていたという。
ある夜、トンプソン警部が偶然、大広間を行進中のチャーチルを見た。チャックつきの上下つなぎの服姿で、蓄音機から流れる勇ましいメロディーに合わせ行進中だった。広間の端まで来ると、足踏みしてくるりと方向を変え、また行進を始めた。
チャーチルはいつも何かするときには集中するくせがあり、この時もそこにトンプソン警部がいるのに気づかないほど集中していたが、突然人の気配を感じた。警部を見上げ、ばつが悪そうな表情を浮かべて、ニコリとチャーミングな笑みを浮かべた。「それはいつも皆が見ている、少年のような笑みだった」と警部は述懐している。

【目次】
まえがき
序章  たとえ劣等生でも、優等生に生まれ変われます
第1章  リスクを恐れぬ勇気を抱いて人生を歩いていきなさい
    エピソード(1) 政治家として挫折、40歳にして再び戦場へ
    エピソード(2) 40代でパイロットに挑戦、あの世へ行きかけた話
第2章  自らの羅針盤を信じ行動を起こしなさい
    エピソード(3) 最高責任者のやっていいこと、悪いこと――シドニー街の銃撃戦
第3章  良心の盾を持たずに人生を歩むことほど、軽率なことはない
    エピソード(4) 激しく対立したが、互いに認め合った チャーチルとチェンバレン
    エピソード(5) 「悪いのは私だ、運転手ではない」――ニューヨークの自動車事故
第4章  批判や逆境・失敗を恐れてはなりません
第5章  理想を抱く現実主義者たれ!
第6章  自由を尊重する民主主義者であれ
    エピソード(6) 民主主義を護る「芸術的演説原稿」の完成まで
第7章  高い理想と細心の配慮をもってリーダーシップを発揮せよ
第8章  長続きする趣味を見つけなさい
    エピソード(7) 名優チャプリンとの交流
チャーチル年表
◎史料・参考文献
あとがき
◎主要人名索引

【主な販売書店】
・アマゾンや楽天などのネット通販
・札幌;三省堂札幌店など
・仙台;紀伊國屋書店仙台店
・東京;八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内、丸善本店、紀伊國屋新宿本店など
・横浜;有隣堂横浜西口店など
・大阪;紀伊國屋梅田本店、ジュンク堂大阪本店など
・名古屋;丸善名古屋本店など
・京都;ジュンク堂書店京都店など
・広島;ジュンク堂支店 広島駅前店
・鹿児島;紀伊國屋支店鹿児島店
・沖縄;ジュンク堂書店那覇店
・栃木;八重洲ブックセンター宇都宮パセオ店、うさぎや作新学院前店
その他全国主要書店で

貴乃花と協会幹部は冷静に   白鵬も言葉を選んで発言を

2017年12月01日 14時12分43秒 | スポーツ
「貴乃花親方の生き方はあっぱれだとは思うが、孤高になっては何も前には進まない。自滅するだけだ」。私は11月24日のブログで貴乃花親方の行動について、好意的な書き方をした。というより、できるだけ公平に書こうと努力した。また横綱白鵬についても、彼がモンゴル人だということを考慮して叱責すべきだと記した。
 現在も、相撲協会を巡る貴乃花親方の改革の精神は貴いと思う気持ちは変わらない。ただ信念に忠実に動くあまり、組織の一員であることを忘れていないだろうか。また千秋楽での白鵬のインタビューをめぐり、私は彼を擁護した。彼が外国人だからだ。しかし白鵬が八角理事長の講話の席で「冬巡業に貴乃花親方が出るなら、私は参加しない」との報道がある。それは白鵬が外国人であっても言ってはいけない言葉だと思う。
 長いものに巻かれろとの世の中の風潮がある中で、貴乃花の孤高の信念は見上げたものだとは思うが、横綱日馬冨士の暴行による弟子の貴の岩の傷害を鳥取県警に被害届を出しても、相撲協会にこのことを報告しなかったことは理解できない。批判されても仕方がない。貴乃花親方は理事と地方巡業部長だからだ。大相撲協会という組織の一員である。
 白鵬も「貴乃花親方が地方巡業に参加するなら行かない」と言ってはいけなかった。たとえ横綱でも協会のガバナンスを考えれば言ってはいけなかった。「考慮してほしい」とまでは言えたとしても「参加しない」では、だだっ子のようだ。白鵬が外国人だから許されるという問題ではない。モンゴル社会でも批判されるだろう。
 白鵬の「不規則」発言に対して、相撲協会の八角理事長は毅然とした態度を示さず、力士会などで話し合った上で提案するのがルールと注意したという。これは相撲協会のガバナンスが問われる。また、大相撲九州場所の11日目の11月22日、横綱・白鵬が嘉風に敗れた後、土俵下で手を挙げ、”待った”をかけていたと自ら”物言い”をつけたことも反省してほしい。
 確かに白鵬の窓から見れば、「待った」をかけたのだろう。スポーツでは抗議という形で、白鵬の行動が成立かもしれない。ただ、相撲はスポーツ以外の要素がある。それは神事や品格だ。私にも「神事と品格」の定義が明確には分からない。それは曖昧な言葉だが、相撲につきまとう伝統だ。また日本人の潔さを体現するものだ。外国人である白鵬には理解し難いことは分かるが、相撲を取り続ける限り理解する努力をすべきだ。
 日馬冨士の暴力事件は、彼の引退で幕引きにならず、いまや大相撲協会のガバナンスや協会内部の言い争い、ひいては権力争いにまで発展してきた観がある。この事件は、当初考えもしない方向へと進んでいるようだ。
 11月30日に開かれた大相撲協会の定例理事会では、八角理事長ら執行部と貴乃花親方の対立がヒートアップ。両者の感情のもつれは引き返せないところまで来ている。
 八角理事長の正面の席に陣取った貴乃花親方が「警察の捜査に支障があってはならない」と主張して反論すると、一部の出席者が「それなら警察に聞いてみよう」と言い、暴行問題を捜査中の鳥取県警にその場で電話するという異例の展開になったという。このまま決裂か、とも思われたが、外部理事の一人で元名古屋高検検事長の高野利雄氏が「心情はわかるが、理事、親方として説明する責務があるはず」などと説得し、貴乃花親方も「警察の捜査が終われば協力します」と、最終的には折れたという。AERAはこう伝えている。
 会議の席上、「警察に電話して真偽を聞こう」などと言うのは理解に苦しむ。もはや親方衆だけでは解決できないのだろうか。それは大相撲協会のガバナンスの欠如を意味している。この混乱と対立が続けば、いずれ相撲ファンの心が相撲から離れていくだろう。それは日馬冨士暴力事件に端を発した相撲崩壊の始まりになる。そうならない前に、貴乃花親方や協会幹部が冷静に、道理をわきまえて問題を解決してほしい。貴乃花親方の信念や生き方が、相撲協会の幹部と協力することで崩れるわけではない。貴乃花は十分に考えてほしいと願う。