自由民主党(自民党)の副総理兼財務大臣の麻生太郎氏が「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。(政治は)結果が大事だ。何百万人も殺したヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と述べ、野党政治家やメディアから批判されている。麻生氏の発言は同氏の派閥研修会で発言された。
筆者は麻生氏はほかの政治家に比べて勉強していると思うが、どうも生半可な知識と主観が入り込んでいるように思う。今の政治家は政治理論のイロハや歴史を学ばずに政治家になっている人々が多い。不退転の気持ちを持ち、勇気を抱いて政治活動をしている政治家が少ない。政治家の心構えを持たないで政界に入る人々もいる。そんな政治家に比べて、麻生氏は歴史観や政治観を持っている政治家だと私は考えるが、この発言はあまりに軽率で、失言では済まされない。
「いくら動機が正しくてもだめだ」と2度繰り返し発言したという。ヒトラーの動機は正しいのか?この答えを、元自民党幹事長で自由党代表の小沢一郎氏が述べている。「ヒトラーの動機とは自民族優越主義と反ユダヤ主義だ」。動機が邪悪だからこそ、目を背ける結果になったのではないにか。
少なくとも500万人以上のユダヤ人をポーランドやドイツ国内各地の強制収容所のガス室で殺害したのはヒトラーの思想だ。彼は1924年のミュンヘン一揆後、ランツベルク刑務所で、悪名高い著書「我が闘争」を書き上げた。確かではないが、ドイツでは現在、この書は禁書になっていると聞く。筆者は約40年前、この本を読み嫌悪した。ドイツ・アーリア民族以外はすべての民族が劣等民族なのだ。日本民族の伝統文化もアーリア人の模倣だ、とヒトラーは主張し、日本民族を劣等民族だと述べている。
ヒトラーは英国のアングロサクソン民族はアーリア民族の親戚だと述べ、第2次世界大戦で英国との戦いを避けたがっていた。しかし、ヒトラーとドイツ国家社会主義労働者党(ナチ党)に強硬に反対し続けた人物が英国には一人いた。その人物が、言わずと知れた、ウィンストン・チャーチルである。ヒトラーは何度も刺客を派遣してチャーチルを殺そうとしたが失敗した。
ヒトラーが彼の思想(動機)を実践に移したのが1938年11月9日夜から10未明にかけての「水晶の夜(クリスタル・ナハト」だ。少なくとも7500のユダヤ人の商店やユダヤ教の教会をヒトラーの私兵(SA)が襲い、100人近い人々が殺されている。
戦前、「我が闘争」は日本で出版されたが、「ヒトラーの日本人への見方」は削除されている。その理由は簡単だ。日本はドイツに接近し、軍事同盟を結んだからだ。大多数の日本の軍人や政治家は、欧州でのヒトラー・ドイツの破竹の外交勝利や、第2次世界大戦初頭の軍事的勝利に目がくらみ、ヒトラーの動機をないがしろにした。ヒトラー・ドイツが英国に勝利し、欧州を席巻すると信じ込み、日独伊三国同盟を締結した。つまり「勝ち馬」に乗ろうとした。
この状況を憂えた旧海軍の良識派といわれる人々は対ドイツ同盟に反対した。その中でも、井上成美・海軍大将は有名だ。彼が若い頃、ドイツに武官として派遣され、そこで「我が闘争」全文をドイツ語で読み、ヒトラーを恐れた。井上氏はヒトラーの動機を恐れ、それが実践された暁には、日本民族がアーリア民族に征服されるか、服従を強いられるのを恐れ、米英との同盟を欲したのだ。
海軍次官にまでなり、その後、海に戻されたとき、ドイツとの同盟を執拗なまでに反対している井上艦長を不思議に思った士官が「なぜ、艦長は反対するのか」と同僚に尋ねた。同僚は「井上さんはわが闘争をドイツ語で読んだのだ」と答えた。このエピソードは有名だ。
麻生氏が述べるように「政治家は結果が大切」だが、それ以上に「動機」は大切である。麻生さんのような考え方をしていれば、再び日本はとんでもない失敗を犯すだろう。また麻生氏のヒトラー発言から推察すれば、政治家は結果がすべてだとも解釈できる。誠実でなくても、良心に反しても結果を出せば「すべて良し」ともとれる。
麻生氏に100歩譲って、彼の発言の真意がほかにあったとしても、ヒトラーを持ち出すのは間違っている。今年7月29日にも、東京都内で行われたシンポジウムに出席した麻生氏は憲法改正問題に関連し、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述もべている。
麻生氏はもう少し慎重な発言をすべきだ。「政治家には結果がすべてだ」と麻生氏がおっしゃるのなら、私は「政治家は言葉がすべてだ」と言いたい。政治家という職業は「弁舌」が上手く、適切な言葉を使い、「言葉」の重みを理解しなければなれない職業だ。麻生氏だけでなく、二階・自民党幹事長ら言葉を軽視する政治家が多い。政治家資質(ステーツマン・クラフト)に欠けた政治家が現在、日本にはあまりにも多い。私の残り少ない人生で、チャーチルのような政治家に巡り会い、素晴らしい弁舌を聞けるのだろうか。
麻生さんの国会答弁から、知識を駆使した弁舌を期待したが、裏切られ落胆した。皮相的な知識はかえって命取りになることを麻生氏の発言から学んだ。
筆者は麻生氏はほかの政治家に比べて勉強していると思うが、どうも生半可な知識と主観が入り込んでいるように思う。今の政治家は政治理論のイロハや歴史を学ばずに政治家になっている人々が多い。不退転の気持ちを持ち、勇気を抱いて政治活動をしている政治家が少ない。政治家の心構えを持たないで政界に入る人々もいる。そんな政治家に比べて、麻生氏は歴史観や政治観を持っている政治家だと私は考えるが、この発言はあまりに軽率で、失言では済まされない。
「いくら動機が正しくてもだめだ」と2度繰り返し発言したという。ヒトラーの動機は正しいのか?この答えを、元自民党幹事長で自由党代表の小沢一郎氏が述べている。「ヒトラーの動機とは自民族優越主義と反ユダヤ主義だ」。動機が邪悪だからこそ、目を背ける結果になったのではないにか。
少なくとも500万人以上のユダヤ人をポーランドやドイツ国内各地の強制収容所のガス室で殺害したのはヒトラーの思想だ。彼は1924年のミュンヘン一揆後、ランツベルク刑務所で、悪名高い著書「我が闘争」を書き上げた。確かではないが、ドイツでは現在、この書は禁書になっていると聞く。筆者は約40年前、この本を読み嫌悪した。ドイツ・アーリア民族以外はすべての民族が劣等民族なのだ。日本民族の伝統文化もアーリア人の模倣だ、とヒトラーは主張し、日本民族を劣等民族だと述べている。
ヒトラーは英国のアングロサクソン民族はアーリア民族の親戚だと述べ、第2次世界大戦で英国との戦いを避けたがっていた。しかし、ヒトラーとドイツ国家社会主義労働者党(ナチ党)に強硬に反対し続けた人物が英国には一人いた。その人物が、言わずと知れた、ウィンストン・チャーチルである。ヒトラーは何度も刺客を派遣してチャーチルを殺そうとしたが失敗した。
ヒトラーが彼の思想(動機)を実践に移したのが1938年11月9日夜から10未明にかけての「水晶の夜(クリスタル・ナハト」だ。少なくとも7500のユダヤ人の商店やユダヤ教の教会をヒトラーの私兵(SA)が襲い、100人近い人々が殺されている。
戦前、「我が闘争」は日本で出版されたが、「ヒトラーの日本人への見方」は削除されている。その理由は簡単だ。日本はドイツに接近し、軍事同盟を結んだからだ。大多数の日本の軍人や政治家は、欧州でのヒトラー・ドイツの破竹の外交勝利や、第2次世界大戦初頭の軍事的勝利に目がくらみ、ヒトラーの動機をないがしろにした。ヒトラー・ドイツが英国に勝利し、欧州を席巻すると信じ込み、日独伊三国同盟を締結した。つまり「勝ち馬」に乗ろうとした。
この状況を憂えた旧海軍の良識派といわれる人々は対ドイツ同盟に反対した。その中でも、井上成美・海軍大将は有名だ。彼が若い頃、ドイツに武官として派遣され、そこで「我が闘争」全文をドイツ語で読み、ヒトラーを恐れた。井上氏はヒトラーの動機を恐れ、それが実践された暁には、日本民族がアーリア民族に征服されるか、服従を強いられるのを恐れ、米英との同盟を欲したのだ。
海軍次官にまでなり、その後、海に戻されたとき、ドイツとの同盟を執拗なまでに反対している井上艦長を不思議に思った士官が「なぜ、艦長は反対するのか」と同僚に尋ねた。同僚は「井上さんはわが闘争をドイツ語で読んだのだ」と答えた。このエピソードは有名だ。
麻生氏が述べるように「政治家は結果が大切」だが、それ以上に「動機」は大切である。麻生さんのような考え方をしていれば、再び日本はとんでもない失敗を犯すだろう。また麻生氏のヒトラー発言から推察すれば、政治家は結果がすべてだとも解釈できる。誠実でなくても、良心に反しても結果を出せば「すべて良し」ともとれる。
麻生氏に100歩譲って、彼の発言の真意がほかにあったとしても、ヒトラーを持ち出すのは間違っている。今年7月29日にも、東京都内で行われたシンポジウムに出席した麻生氏は憲法改正問題に関連し、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述もべている。
麻生氏はもう少し慎重な発言をすべきだ。「政治家には結果がすべてだ」と麻生氏がおっしゃるのなら、私は「政治家は言葉がすべてだ」と言いたい。政治家という職業は「弁舌」が上手く、適切な言葉を使い、「言葉」の重みを理解しなければなれない職業だ。麻生氏だけでなく、二階・自民党幹事長ら言葉を軽視する政治家が多い。政治家資質(ステーツマン・クラフト)に欠けた政治家が現在、日本にはあまりにも多い。私の残り少ない人生で、チャーチルのような政治家に巡り会い、素晴らしい弁舌を聞けるのだろうか。
麻生さんの国会答弁から、知識を駆使した弁舌を期待したが、裏切られ落胆した。皮相的な知識はかえって命取りになることを麻生氏の発言から学んだ。