英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

失言で済まされない妄言   麻生副総理のヒトラー例示発言

2017年08月31日 08時53分46秒 | 日本の政治
 自由民主党(自民党)の副総理兼財務大臣の麻生太郎氏が「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。(政治は)結果が大事だ。何百万人も殺したヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と述べ、野党政治家やメディアから批判されている。麻生氏の発言は同氏の派閥研修会で発言された。
 筆者は麻生氏はほかの政治家に比べて勉強していると思うが、どうも生半可な知識と主観が入り込んでいるように思う。今の政治家は政治理論のイロハや歴史を学ばずに政治家になっている人々が多い。不退転の気持ちを持ち、勇気を抱いて政治活動をしている政治家が少ない。政治家の心構えを持たないで政界に入る人々もいる。そんな政治家に比べて、麻生氏は歴史観や政治観を持っている政治家だと私は考えるが、この発言はあまりに軽率で、失言では済まされない。
 「いくら動機が正しくてもだめだ」と2度繰り返し発言したという。ヒトラーの動機は正しいのか?この答えを、元自民党幹事長で自由党代表の小沢一郎氏が述べている。「ヒトラーの動機とは自民族優越主義と反ユダヤ主義だ」。動機が邪悪だからこそ、目を背ける結果になったのではないにか。
 少なくとも500万人以上のユダヤ人をポーランドやドイツ国内各地の強制収容所のガス室で殺害したのはヒトラーの思想だ。彼は1924年のミュンヘン一揆後、ランツベルク刑務所で、悪名高い著書「我が闘争」を書き上げた。確かではないが、ドイツでは現在、この書は禁書になっていると聞く。筆者は約40年前、この本を読み嫌悪した。ドイツ・アーリア民族以外はすべての民族が劣等民族なのだ。日本民族の伝統文化もアーリア人の模倣だ、とヒトラーは主張し、日本民族を劣等民族だと述べている。
 ヒトラーは英国のアングロサクソン民族はアーリア民族の親戚だと述べ、第2次世界大戦で英国との戦いを避けたがっていた。しかし、ヒトラーとドイツ国家社会主義労働者党(ナチ党)に強硬に反対し続けた人物が英国には一人いた。その人物が、言わずと知れた、ウィンストン・チャーチルである。ヒトラーは何度も刺客を派遣してチャーチルを殺そうとしたが失敗した。
 ヒトラーが彼の思想(動機)を実践に移したのが1938年11月9日夜から10未明にかけての「水晶の夜(クリスタル・ナハト」だ。少なくとも7500のユダヤ人の商店やユダヤ教の教会をヒトラーの私兵(SA)が襲い、100人近い人々が殺されている。
 戦前、「我が闘争」は日本で出版されたが、「ヒトラーの日本人への見方」は削除されている。その理由は簡単だ。日本はドイツに接近し、軍事同盟を結んだからだ。大多数の日本の軍人や政治家は、欧州でのヒトラー・ドイツの破竹の外交勝利や、第2次世界大戦初頭の軍事的勝利に目がくらみ、ヒトラーの動機をないがしろにした。ヒトラー・ドイツが英国に勝利し、欧州を席巻すると信じ込み、日独伊三国同盟を締結した。つまり「勝ち馬」に乗ろうとした。
 この状況を憂えた旧海軍の良識派といわれる人々は対ドイツ同盟に反対した。その中でも、井上成美・海軍大将は有名だ。彼が若い頃、ドイツに武官として派遣され、そこで「我が闘争」全文をドイツ語で読み、ヒトラーを恐れた。井上氏はヒトラーの動機を恐れ、それが実践された暁には、日本民族がアーリア民族に征服されるか、服従を強いられるのを恐れ、米英との同盟を欲したのだ。 
 海軍次官にまでなり、その後、海に戻されたとき、ドイツとの同盟を執拗なまでに反対している井上艦長を不思議に思った士官が「なぜ、艦長は反対するのか」と同僚に尋ねた。同僚は「井上さんはわが闘争をドイツ語で読んだのだ」と答えた。このエピソードは有名だ。
 麻生氏が述べるように「政治家は結果が大切」だが、それ以上に「動機」は大切である。麻生さんのような考え方をしていれば、再び日本はとんでもない失敗を犯すだろう。また麻生氏のヒトラー発言から推察すれば、政治家は結果がすべてだとも解釈できる。誠実でなくても、良心に反しても結果を出せば「すべて良し」ともとれる。
 麻生氏に100歩譲って、彼の発言の真意がほかにあったとしても、ヒトラーを持ち出すのは間違っている。今年7月29日にも、東京都内で行われたシンポジウムに出席した麻生氏は憲法改正問題に関連し、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述もべている。
 麻生氏はもう少し慎重な発言をすべきだ。「政治家には結果がすべてだ」と麻生氏がおっしゃるのなら、私は「政治家は言葉がすべてだ」と言いたい。政治家という職業は「弁舌」が上手く、適切な言葉を使い、「言葉」の重みを理解しなければなれない職業だ。麻生氏だけでなく、二階・自民党幹事長ら言葉を軽視する政治家が多い。政治家資質(ステーツマン・クラフト)に欠けた政治家が現在、日本にはあまりにも多い。私の残り少ない人生で、チャーチルのような政治家に巡り会い、素晴らしい弁舌を聞けるのだろうか。
 麻生さんの国会答弁から、知識を駆使した弁舌を期待したが、裏切られ落胆した。皮相的な知識はかえって命取りになることを麻生氏の発言から学んだ。

銭湯は日本文化のふる里  英紙「ガーディアン」が報道

2017年08月23日 20時43分38秒 | 生活
 「この数世紀の間、日本の銭湯は隣人同士が裸で風呂に入る社交場だった。脇目も振らずに近代化をに邁進し、それを達成した1964年の東京オリンピックまで、東京に住む人々の40%は自宅に風呂がなく、何百万もの人々が銭湯に通っていた。そんな時代はとっくの昔に霧の彼方に消え去り、東京の空に林立した銭湯の煙突はどこを探してももはやない」
 英紙「ガーディアン」は8月10日付紙面で銭湯をこう紹介している。かつては東京で2700軒あった銭湯は現在、600軒を割り込んでいる。経営者の大多数は年配者だ。老夫婦が経営していると言っても言い過ぎではない。
 この状況の中で、物珍しさも手伝ってか、外国人観光客の銭湯行きが毎年、増えているという。銭湯経営者は外国人の誘致に熱心なだけでなく、銭湯にゲームを取りそろえたりして、日本の若者にも来てもらおうと頭をひねっている。
  240年以上前の安永2(1773)年に開業した東京都・葛西にある銭湯「あけぼの湯」の経営者の島田テルオさんはガーディアンの記者に「銭湯は今や体を洗う場所ではなく、年金受給者の社交の場です。ビールや酒を飲み、大きなテレビ画面で相撲を観戦しています」と話したが、銭湯の未来は暗いと強調している。
 島田さんは娘さんを見合いさせ、お婿さんと銭湯を引き継いでもらおうとしたが、娘さんにその気はなく、19代目の島田さんが最後の経営者になる可能性が強いという。
 英紙が銭湯に一陣の日本精神を見ると表現しており、消え去る運命にある銭湯を残念に思っていることが行間から読み取れる。
 筆者も子どもの頃、よく銭湯に行った。番台に経営者の女将さんや娘さんがいた。ニコニコ笑みを浮かべながら、近所の人と冗談を言い合っていた。そこには、英紙が述べるような「日本精神」がなかったとしても、日本人の国民性があった。
 「あった」というより、銭湯が日本人の国民性を育んできたのかもしれない。もちろん銭湯だけが国民性を育ててきたのではないが、それも一つの要素だったことだけは明らかだ。それは助け合い、互助精神だ。
 今日、助け合いの精神が次第に薄れてきたように思える。しかし外国人は日本人のヘルプに驚き、賞賛する。特に、中国政府に反日をたたき込まれた中国人が日本を旅行し、日本人の心に触れて感激するという。
 中国旅行者や外国旅行者が賞賛する日本人の親切や協力を育んだ銭湯がなくなるのは寂しいかぎりだ。だが、たとえ銭湯がなくなっても、日本人の親切心や、協力の心、他人を思いやる心などの美点は子から孫、ひ孫へと伝えていってほしいと願う。

なぜなのか、栃木県の運転マナーの悪さ  静岡県浜松市を訪れて思う

2017年08月05日 16時48分38秒 | 生活
 昨日までの4日間、静岡県浜松市を再び訪れた。両親が住んだ町。私が中高と6年間過ごした町だ。温暖で冬も数十年に一度しか雪が積もらない遠州地方の政令都市。NHKで現在放送されている井伊直虎の故郷は浜松市の北部。浜名湖の北にある。魚もうまいし、新鮮だ。舞阪漁港などから新鮮な魚が水揚げされる。浜名湖の養殖ウナギは絶品だ。今回の訪問で舞阪にちかい弁天島でうまい魚を食べた。
 2015年5月のブログで、栃木県人には申し訳なかったが、彼らの運転マナーの悪さを記した。栃木県人の運転マナーの悪さを色々な面から記した。栃木県人に申し訳ないので、栃木県警の警察官の言葉を借り、栃木、茨城、群馬の関東地方北部のドライバーの運転マナーは「全国でも最悪の部類に入る」と述べたい。このブログは現在でも毎日読んでくれている。どんな読者かはわからない。
 栃木県人の運転マナーで最も理解できないのが、横断歩道を渡ろうとしている歩行者を無視して横断歩道を突ききって走行することだろう。この点で浜松市のドライバーとのマナーの違いが際立つ。
 今回の浜松訪問でこの点を身に染みて感じた。浜松市中心街から幾分離れたレストランや100円ショップなどが建ち並ぶ道路。一歩裏に回れば住宅街だ。そこの片道一車線の横断歩道を2度渡ろうとしたら、向こうから車が来た。運転手はぴたりと止まった。2度のうちの1度は運転手が「渡れ」と手招きした。反対車線を見ると別の車が停車していた。筆者が横断歩道を渡るときだけではない。ほかの人々が渡るときも、車は停車する。歩行者優先が守られている。
 栃木ではこうはいかない。栃木では、筆者はドライバーだ。浜松市のドライバーと同じことをしていたが、歩行者にとり、それがかえって危険な行為だとわかった。反対車線の対向車が筆者の車が止まるのに、平気の平左で横断歩道を突き切るのだ。ここでは歩行者が運転手に「先に行け」と指示する。筆者の観察では、浜松市では、10台に8台から9台は止まるが、栃木では10台のうち1台か2台が程度しか停車しない。
 浜松市を訪れた筆者はランドリーで、洗濯物が乾燥し終わるまで窓から同市のドライバーの運転をぼんやりと眺めながら、なぜこんなに違うのかと思った。なるほど、車のスピードも浜松の運転手が遅い。どこかのんびりと運転している。これに対し、栃木の運転手はせわしなく運転する。前方に車が見えたら、追いつこうとしてスピードを上げる。言い換えれば余裕がない。
 県民性だろうか。筆者は浜松の高等学校を卒業した。高校時代、長野から赴任した先生(なぜ長野から来たのかは忘れた。普通は来ない)が、遠州地方は温暖で、人々ものんびりしていると感想を述べた。寒冷地の人々は「せかせか」と動き回り、一歩でも二歩でも先んじようとする傾向が強いと言っていた。
 運転マナーは県民性なのか。確かに栃木県は静岡県に比べて冬は寒い。否、これだけが理由ではあるまい。栃木県の県都、宇都宮を除いて、栃木県は大都市は少ない。田舎が多い。人口も少ない。これに対して浜松市は100万都市だ。静岡県は浜松市のほかに県都、静岡市や県西部には熱海がある。人も多ければ車も多い。これも浜松市のドライバーの運転意識の高い一因なのだろうか。
 日本は狭いといっても、ある意味では広い。県民性も異なるのだろう。ただ、安全運転意識だけは栃木県のドライバーも浜松の運転手に見習ってほしいと願う。くれぐれ車道を私道だと勘違いだけはしてほしくない。筆者は約20年、栃木県に住む。もう栃木県人だ。浜松市のドライバーの運転を見て、はずかしくおもった。今回の浜松市訪問でこんなこと感じた。

(写真)浜松駅周辺

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