リオデジャネイロ五輪が始まり、日本は36個のメダルを獲得した。12個もの金メダルを取り、19日現在、メダル獲得順位は6位。素直に喜びたい。
五輪は国威発揚の場とみて、冷戦時代には社会主義国家が力を入れていた。今日、世界の指導者を目指す中華人民共和国は五輪を国威発揚の場としている。
1936年にベルリンで開かれたオリンピックを、国力が著しく伸びていたナチス・ドイツと指導者アドルフ・ヒトラーが国威を見せる場としたことを思い出す。
中国にしてもナチス・ドイツにしても、それを動かす人間は今も昔も変わらないということだ。欲と競争心。ポジティブな言葉を借りれば、向上心と努力だと思う。
日本の選手を見て色々なことを感じた。まず、卓球のエースの水谷隼選手。団体戦の2番手に登場し、過去12戦全敗だった中国の許昕選手を相手に、最終第5ゲームの7―10から5連続得点を奪取、12―10で競り勝った。
20世紀の大宰相チャーチルが言う「死に物狂いでやれ(Keep Beggars On)」ば勝てる段階にまで到達したのだろう。許が得意とするフォアハンドのドライブの打ち合いでも、力負けしなかった。立派な銀メダルだと思う。努力が実った。
徐々に中国選手との力の差が縮まっているようにみえるが、それでも現在の中国との差を潔く認め、理想(東京オリンピックでの金メダル)を目指して頑張ってほしい。
人間にとって、現状を認識することこそが最も大切なことだ。それを受け入れ、理想に向かって努力する。それを、チャーチルが生涯にわたって実践し、書籍や論文、寄稿記事で英国の若者に呼びかけたことである。
名誉革命を指導した初代ハリファクス侯爵も、現状を認識し、それを糧に慎重なまでの姿勢で漸進する必要性を説いている。
この意味で、レスリング女子53キロ級決勝で銀メダルを獲得した吉田沙保里(33)選手に伝えたいことがある。
吉田選手は2回戦から登場し、無失点で決勝まで進んだ。だが、決勝では昨年の世界選手権55キロ級を制したヘレン・マルーリス選手(米)に1―4で敗れ、銀メダルに終わった。
試合後、吉田選手は「たくさんの方に応援していただいたのに銀メダルに終わって申し訳ない。日本選手(団)の主将として金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」などと泣きながら話した。また吉田は観客席にいる家族のもとへ行き、抱き合い、泣きじゃくった。「父がいない五輪は初めてだった。最後の最後に銀メダルに終わると思っていなかった。悔しいです」
吉田選手の気持ちは痛いほどわかる。発言のひとつひとつに、日本人らしさが出ていた。日本人の心だった。「日本選手(団)の主将として金メダルを取らないといけないところだった」との趣旨の発言を英国人からは聞いたことがない。多分、強すぎる日本人の責任感から出ているのだろう。しかしもう少し広い視野からみてほしい。
五輪でのレスリング3連覇は誰にもなし得なかった。世界大会16連覇、個人戦200連勝を達成し、圧倒的な強さを誇る。この前人未踏の記録を評価され、2012年11月7日には日本政府から国民栄誉賞が授賞された。
吉田選手に限らず、人間は誰でも転機がある。「自分の力を出し切れなくて申し訳ないです」と言っているが、そうではない。時が少しずつ変化しているのだ。大げさに言えば、歴史が変化しているのだ。
吉田選手を“霊長類最強”とメディアが持ち上げているが、それは一瞬の出来事を表現したに過ぎない。吉田選手に限らず、人間は老い、全盛時の力を出せなくなっていく。老いは誰も止めることができない。
吉田選手に言いたい。潮時を間違えないように。日本人は事を始めると、潮時が分からず一途に走る傾向が強い。馬鹿な戦争を始めた太平洋戦争の指導者は敗北が濃厚になってもなかなか降伏しなかった。原子爆弾が広島と長崎に落ちてからやっと連合国の無条件降伏を受諾した。時の変化を無視し、貴重な命が失われた。
東京五輪でロスのリベンジを果たす、などとは言わないでほしい。たとえこれから精進し、必死に努力したからといって、衰えつつある体力を克服することは難しい。
「広い視野を持ち、大原則を抱き、良心を持ち、高い目標を掲げ、確固とした目標を抱くことで、われわれは長い(人生の)航海での海図と羅針盤を見つけるかもしれない」。英国の傑出した指導者チャーチルは雑誌「ストランド」の1931年2月号にこの文章を記した。また「わが思想、わが冒険」のなかにも書いた。
吉田選手が「海図と羅針盤」を一刻も早く見つけ、新しい人生を歩みは始めてほしいと願う。将来、立派なレスリングの指導者を目指すことも「海図と羅針盤」のひとつかもしれない。「ありがとう、吉田選手。たくさんの希望と勇気、挑戦の精神を日本人に与えてくれました。若い青少年男女はあなたを誇りにするだろう」。この言葉を送り、このブログを終わりたい。
(写真)無念の涙を流す吉田選手
五輪は国威発揚の場とみて、冷戦時代には社会主義国家が力を入れていた。今日、世界の指導者を目指す中華人民共和国は五輪を国威発揚の場としている。
1936年にベルリンで開かれたオリンピックを、国力が著しく伸びていたナチス・ドイツと指導者アドルフ・ヒトラーが国威を見せる場としたことを思い出す。
中国にしてもナチス・ドイツにしても、それを動かす人間は今も昔も変わらないということだ。欲と競争心。ポジティブな言葉を借りれば、向上心と努力だと思う。
日本の選手を見て色々なことを感じた。まず、卓球のエースの水谷隼選手。団体戦の2番手に登場し、過去12戦全敗だった中国の許昕選手を相手に、最終第5ゲームの7―10から5連続得点を奪取、12―10で競り勝った。
20世紀の大宰相チャーチルが言う「死に物狂いでやれ(Keep Beggars On)」ば勝てる段階にまで到達したのだろう。許が得意とするフォアハンドのドライブの打ち合いでも、力負けしなかった。立派な銀メダルだと思う。努力が実った。
徐々に中国選手との力の差が縮まっているようにみえるが、それでも現在の中国との差を潔く認め、理想(東京オリンピックでの金メダル)を目指して頑張ってほしい。
人間にとって、現状を認識することこそが最も大切なことだ。それを受け入れ、理想に向かって努力する。それを、チャーチルが生涯にわたって実践し、書籍や論文、寄稿記事で英国の若者に呼びかけたことである。
名誉革命を指導した初代ハリファクス侯爵も、現状を認識し、それを糧に慎重なまでの姿勢で漸進する必要性を説いている。
この意味で、レスリング女子53キロ級決勝で銀メダルを獲得した吉田沙保里(33)選手に伝えたいことがある。
吉田選手は2回戦から登場し、無失点で決勝まで進んだ。だが、決勝では昨年の世界選手権55キロ級を制したヘレン・マルーリス選手(米)に1―4で敗れ、銀メダルに終わった。
試合後、吉田選手は「たくさんの方に応援していただいたのに銀メダルに終わって申し訳ない。日本選手(団)の主将として金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」などと泣きながら話した。また吉田は観客席にいる家族のもとへ行き、抱き合い、泣きじゃくった。「父がいない五輪は初めてだった。最後の最後に銀メダルに終わると思っていなかった。悔しいです」
吉田選手の気持ちは痛いほどわかる。発言のひとつひとつに、日本人らしさが出ていた。日本人の心だった。「日本選手(団)の主将として金メダルを取らないといけないところだった」との趣旨の発言を英国人からは聞いたことがない。多分、強すぎる日本人の責任感から出ているのだろう。しかしもう少し広い視野からみてほしい。
五輪でのレスリング3連覇は誰にもなし得なかった。世界大会16連覇、個人戦200連勝を達成し、圧倒的な強さを誇る。この前人未踏の記録を評価され、2012年11月7日には日本政府から国民栄誉賞が授賞された。
吉田選手に限らず、人間は誰でも転機がある。「自分の力を出し切れなくて申し訳ないです」と言っているが、そうではない。時が少しずつ変化しているのだ。大げさに言えば、歴史が変化しているのだ。
吉田選手を“霊長類最強”とメディアが持ち上げているが、それは一瞬の出来事を表現したに過ぎない。吉田選手に限らず、人間は老い、全盛時の力を出せなくなっていく。老いは誰も止めることができない。
吉田選手に言いたい。潮時を間違えないように。日本人は事を始めると、潮時が分からず一途に走る傾向が強い。馬鹿な戦争を始めた太平洋戦争の指導者は敗北が濃厚になってもなかなか降伏しなかった。原子爆弾が広島と長崎に落ちてからやっと連合国の無条件降伏を受諾した。時の変化を無視し、貴重な命が失われた。
東京五輪でロスのリベンジを果たす、などとは言わないでほしい。たとえこれから精進し、必死に努力したからといって、衰えつつある体力を克服することは難しい。
「広い視野を持ち、大原則を抱き、良心を持ち、高い目標を掲げ、確固とした目標を抱くことで、われわれは長い(人生の)航海での海図と羅針盤を見つけるかもしれない」。英国の傑出した指導者チャーチルは雑誌「ストランド」の1931年2月号にこの文章を記した。また「わが思想、わが冒険」のなかにも書いた。
吉田選手が「海図と羅針盤」を一刻も早く見つけ、新しい人生を歩みは始めてほしいと願う。将来、立派なレスリングの指導者を目指すことも「海図と羅針盤」のひとつかもしれない。「ありがとう、吉田選手。たくさんの希望と勇気、挑戦の精神を日本人に与えてくれました。若い青少年男女はあなたを誇りにするだろう」。この言葉を送り、このブログを終わりたい。
(写真)無念の涙を流す吉田選手