英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

中越紛争と東アジアの将来  われわれは現実を直視してプラグマティックに対応しなければならない

2014年05月17日 10時09分18秒 | 時事問題と歴史
 中国による南シナ海の石油掘削に端を発した中越対立は、ベトナム人の憤激を呼び起こし、ベトナムの中国系企業で働く中国人技術者殺害を伴う暴動にまでエスカレートした。この暴動は、中国政府が南シナ海パラセル(西沙)諸島海域で一方的に石油掘削をしたことにある。
 中国政府は暴動の責任は、それを黙認したベトナム政府にあると非難し、賠償を要求している。一方、一昨年、日本の尖閣諸島の国有化に対し、中国各地で抗議のデモ隊が暴徒化し、日系の企業やスーパーが破壊や放火で甚大な被害を受けた。日本側の抗議に、中国政府は「責任は日本にある」と批判。暴動に対してまともな対応すらしなかった。
 中国とベトナム海軍は1988年3月14日、両国が領有権を争っているスプラトリー諸島(南沙諸島)の赤瓜礁で砲火を交えた。この海戦で中国が勝利。そのご着々と既成事実を積み上げ、この海域を完全に支配した。また同じ南シナ海のスプラトリー諸島にあるジョンソン南礁も埋め立て、滑走路とみられる施設の建設を進めている。ジョンソン南礁はかつてベトナムが実効支配し、フィリピンが主張する排他的経済水域(EEZ)内にある。
 一方、中国は1995年、台風シーズンで比国海軍の警戒が手薄になった隙に南沙諸島・ミスチーフ礁に小屋を建て、その後コンクリート造りの建物に変えて実効支配を強化した。中国が南沙諸島に空軍基地を建設すれば、制空権が強化され、この地域の軍事バランスに影響を及ぼすに違いない。
 この事態に直面しているフィリピンは米国との防衛同盟締結を急いでいる。米国は1992年、フィリッピン人の民族主義の台頭から、スービック湾の米海軍基地を返還した。アキノ比国政権は、米国に少なくとも、南シナ海に面した比国の三つの空軍基地の提供を申し入れている、とフィリピン紙「フィリピン・スター」は報じる。
 中国は、南シナ海のほぼ全域を囲む「九段線」を、自国の領海と主張しているが、国際法上、何ら根拠はない。中国共産党政府は、南シナ海パラセル(西沙)諸島とジョンソン南礁を死守する構えだ。何が何でも他国の干渉を許さない構えだ。比国が実効支配している南沙諸島の一部においても、中国は比国政府に共同開発を提案している。中国は見事なまでに状況に応じて戦略を使い分けている。
 中国が、ベトナム人により自国民が被害を受けたことに対して国際裁判所に訴えると強調しする。これに対して、尖閣諸島や南沙諸島のジョンソン南礁などについて、日本政府とフィリピン政府がそれぞれ中国政府に国際司法裁判所で決着を付けようと提案しても拒否し続けている。
  法が中国に有利に働けば法を利用し、不利に働けば利用しない。中国は力から他国と交渉し、力を行使する一環として法を利用できれば利用する。見事である。われわれの目の前で展開する光景は、戦国の軍師、黒田官兵衛や竹中半兵衛の世界だ。
  いずれ中国が尖閣諸島の奪取に成功すれば、そこに海空軍基地を建設し、二度と日本に返還することはないだろう。日本が尖閣諸島を中国との係争地だと認めれば、なし崩し的に共同開発を提案。共同開発のあかつきに、時が中国に味方した時に奪取するだろう。
  東シナ海の石油ガス田問題は、日本のメディアと日本人に忘れ去られた。日本に共同開発を提案した中国はその後、この提案を進めるどころか、着々と既成事実を積み上げ、今や中国が独断で石油をくみ上げるまでになった。
 筆者は何度も読者に言ってきた。歴史はその国の履歴書。その国の国民性を映し出す。中国史はわれわれに教えている。中国には、万人に平等な法律はない。帝朝時代は皇帝が法であり、現在は中国共産党が法である。中国古代の思想家、孔子は言う。「賢帝がいれば、法は必要ない」。確かにそうだが、賢帝はどこにもいない。欲にまみれ、既得権を死守する習性を身につけている人間に賢帝の徳など備わってない。習近平ら中国共産党の軍政幹部も人である。そしていまだ中国史は1人またはグループの「鶴の一声」が法律である。
 欧州では、16世紀にポルトガルが次いでスペイン、17世紀にオランダ、18世紀にフランスが覇権を握った。産業革命が大英帝国を出現させた。1904-05年の日露戦争で、日本がロシアに辛勝して、欧州とアジアは結ばれ、その後、アフリカがその隊列に加わった。そして世界は相互に影響し合うようになり、その密度は高くなるばかりだ。一国の孤立はなく、鎖国政策もとることはできない。一国の内政、外国政策は、大なり小なり他国の外交・内政政策に影響する。
 そのような状況下で、大英帝国が覇者のバトンを渡した国は米国。1921-22年にワシントンで開かれた5大国の軍縮会議がターニングポイントだった。米国はその後、世界の覇者(リーダー)になった。歴史上覇者になった国々は大なり小なり法治国家である。法を下敷きにして世界を統治した。たとえ法を自国に有利になるようにしても他国を排他的には扱わなかった。
 21世紀は中国の世紀なのか。米国の国力が相対的に低下し中国の力が増せば、世界に対する中国の影響力が増す。有史以来はじめて「賢帝政治」を標榜する国が世界を牛耳ることになる。「賢帝政治」とは法を基盤にしない統治だ。もっと具体的に言えば、中華帝国と冊封国家の現代版になる。中国の首都、北京に冊封国家は朝貢にいくのか。貢物を持っていくのか。現在の中国を世界のリーダーにすることはできない。してはいけないと思う。
(中越紛争の写真)

高齢化社会と日本

2014年05月12日 10時21分31秒 | 老人社会と年金、福祉
 未来は誰にも予測できない。「当然だろう」と皆さんは言うだろう。当然と言えば当然だが、母の入院でつくづく思った。5月2日の昼ごろ、老人ホームから携帯に電話があった。「お母さんの脈拍が140前後、病院へ行く許可を願いたい」。許可も何もない。二つ返事でお願いした。夕方、ケアマネージャーから電話報告があった。「軽い心不全を起こしていました。現在、脈拍は正常に戻りました。これからゴールデンウィーク後半。念のためゴールデンウィーク明けまで入院します。すぐ来てください」
 わたしは300キロを移動して病院に駆け付けた。母に「息苦しくなかったか」と尋ねた。「なかったわ」。92歳の母は頭脳は明晰。ケロッとしていた。脈拍140は陸上選手が全力疾走してかなりの距離を走っていることになる。
 母をホームに入れておいてよかった。ホームでは毎朝、血圧と脈拍を測る。血圧測定で異変にヘルパーさんが気づいた。自宅にいたら、毎朝、血圧測定はしなかっただろう。母が気分が悪いと訴えるまで気付かなかったにちがいない。気づいてから救急車を呼ぶ。手遅れだった可能性がある。母は高齢で心臓が弱い。ホームの方々に心から感謝する。また母の近所の方もいつも母のことを心にかけてくださる。心温かい人々の輪に涙する。
 妹が亡くなって1年2カ月。母は筆者の町に住むのを嫌い、暖かい町に留まった。母は親切の中で生活する。ほんとうによいホームに入った。
 日本は少子高齢化社会。これから認知症患者がますます多くなる。日本の高齢化はますます進んでいる。平成24年10月1日現在、総人口に占める65歳以上の人口割合(高齢化率)は前年から0.8%増加し、24.1%になった。平成24年10月1日現在日本の人口は1億2,752万人で、筆者を含む65歳以上の高齢者人口は、前年に比べ104万人増え、過去最高の3,079万人になった。
 65歳以上の高齢者のうち、認知症の人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上る(厚生労働省研究班調べ、2013年6月)。認知症になる可能性がある軽度認知障害(MCI)の高齢者も約400万人いると推計。65歳以上の4人に1人が認知症とその“予備軍”になる計算で、政府は早急な対策を考えなければならない。
 12日のNHKのテレビ番組がきっかけで、7年ぶりに行方不明の老女と夫が群馬県の老人ホームで再会した。夫や家族は警察の協力で捜したが、見つからなかったという。テレビの威力は大きい。まだ1万人以上の認知症老人が家族が気付かないうちに家を出て、行方不明になっている。
 認知症行方不明者の発見にテレビを使う必要性を感じた。一日に30分でもよいから、皆が見ている時間帯に捜索番組を流すべきだ。これからますます行方不明者は多くなるだろう。
 筆者はことしの夏、66歳になる。国が規定する老人だ。まだぼけてはいないが、これから先、どうなるか心配だ。叔父2人は90歳と82歳で健在。一人は毎日8、000歩、歩いている。もう一人は毎日パソコンをいじっている。二人とも75歳まで働いた。母も88歳まで台所に立っていた。規則正しい生活で、指を動かして何かしていた。今もトランプで頭を使い遊んでいる。認知症防止はいつも頭を使い、適度の運動だと思う。
 老人ホームの数は少ない。特に特別老人ホームの数は少ない。老人ホームに入所するにも金が要る。国が老人対策をどうするか。国家財政はますます逼迫する中、政府は節約できるところは節約し(例えば議会の議員数を半数にする)、難しいかじ取りをしてほしい。国民一人ひとりが叡智を出しあい協力し合って、日本の高齢化社会を乗りきるしかない。