英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

「失望の応酬」を憂慮       保守政治家がいない日本   

2014年02月21日 18時02分52秒 | 日本の政治
  筆者は2月19日付のブログで「安倍首相の靖国参拝は中国を利する」と現実主義的な立場から首相を批判した。
  20日の朝日新聞1面の「時時刻刻」に「『失望』の応酬 きしむ日米」の主見出しが躍っていた。また21日のオピニオンに米国在住の作家、冷泉彰彦氏が「(日本の右派)の国家主義的言動で(米国識者の)印象はかなり悪化 (日本の)国益損なっている」と、朝日新聞のインタビューに答えていた。
  米メディアは安倍首相を「国家主義者」と非難している。米国は首相の靖国参拝に対して「失望」と批判したことに対して、首相側近の衛藤晟一首相補佐官が動画投稿サイト「ユーチューブ」で「われわれのほうが失望した」とやり返した。
  朝日新聞は4面に衛藤氏の発言要旨を掲載した。その中の主要な内容はこう述べている。「米国がディサポインントメントと言ったことに対して、むしろ我々のほうがディサポイントメントだ。米国が同盟関係の日本を何でこんなに大事にしないのか。米国はちゃんと中国にものを言えないようになりつつある、と・・・・総理は参拝時に言った『国のために亡くなった方々に国の代表として慰霊を申しあげる、改めて平和を祈念する、不戦の誓いをする』。そういう純粋な気持ちで言っている』
  また米紙「ウォールストリート・ジャナール」のインタビューを受け、首相の経済ブレーン、本田悦郎内閣官房参与は、太平洋戦争末期に米艦に体当たりした神風特別攻撃隊について「日本の平和と繁栄は彼らの犠牲の上にある。だから安倍首相は靖国神社に行かなければならなかった」と語った。同紙は本田氏が「神風特攻隊の『自己犠牲』について語りながら、涙ぐんだ」と説明している。しかし本田氏は「特攻隊を挙げて、首相の靖国神社参拝を擁護したのではない」と否定した。
 冷泉氏はこの一連の動きを観察し、「米政府は、安倍政権が米国に対して反抗するとか、戦後の国際秩序に反抗するというふうには思っていないでしょう。単に無思慮な行為だと理解しているでしょう」と話す。
  衛藤氏や本田氏の発言を読んで読者はどう考えるだろうか。筆者はこのブログで読者に「現実主義たれ」と呼びかけてきた。また「保守」と「右翼(右派)」の違いはレアリストか、そうでないかの違いだと説いた。現実主義者は研ぎ澄まされた観察眼で世界の流れを読む。国際環境の推移を観察して思考する。そのために、感情的な、感性的な、観念的な「右派」からは「日和見」と叩かれ、理想主義的な、観念的な「左派」からは「右翼」とみなされる。
  日本の大学では政治の学問を「政治学」というが、英米では「Political Science」という。日本の政治家には「科学的な思考」が欠如している。 また日本人の多くは政治や外交を「良い」「悪い」の感性から捉えがちだ。良い悪いはさておき、メディアの人々にもその傾向がある。衛藤氏の発言「米国が同盟関係の日本を何でこんなに大事にしないのか」は、まさに彼の感情から出ており、そこからは米国が「なぜ失望したのか」を客観的に分析していない。
  衛藤氏や本田氏の発言そのものを否定するつもりはない。歴史は連続である。だから「若い特攻隊員の犠牲の上に、今日の日本の繁栄がある」と思う。ただそれだけではない。われわれが太平洋戦争を反省(中韓が主張する反省ではない)し、その上に立って努力した結果、今日の繁栄があるのも事実だ。衛藤、本田両氏はあまりにも過去と太平洋戦争に感性的な思い入れがあり、周囲の歴史の流れ(時)をまったく観察していない。
  彼らに不足しているのは「相手の目で見る」観察眼の欠如だ。右派にはそれがないが保守主義者にはそれがある。そして故福田恒存氏らの保守主義者は日本に少ない。欧米メディアが安倍政権に厳しい目を向けているのはそこである。欧米のメディアは安倍首相を「保守派」とは見ていない。「国家主義者」とみる。国家主義者の将来の言動は予測不可能だと、欧米メディアは見ている。それは国家主義者が感性的で、観念的で、周囲の時の変化を一顧だにしていないかだ。
  英紙「ファイナンシャル・タイムズ」は「米国からの何十年にわたる催促の末に、安倍氏は防衛力の増強や『安保ただ乗り』体制からの脱却に意欲を示しているが、今や米国は不安を抱き始めている」と分析した。朝日新聞によれば、ケリー米国務長官は日本を「予測不能で危険」とみなしている。これらの見解の根底には日本の「右派」や「左派」が持っている感性や観念で政治や外交を考える危うさがある。日本人の国民性なのかもしれない。筆者は冗談交じりに「日本人は政治、軍事、外交に向かない民族だ。米国の一州になったほうが安全かもしれない」と周囲に言っている。つまり日本人が、冷厳な現実を映し出す軍事や外交に対しての現実主義的な観察眼、つまり「サイエンス」が欠如しているからにほかならない。
  1937年5月に首相に就任したネビル・チェンバレンはヒトラー率いる独裁国家、ドイツに対して「悪名高い」宥和政策を遂行した。これに対して、第2次世界大戦で英国を指導したウィンストン・チャーチルは宥和政策を厳しく批判した。だからと言って、両者は最終目的が違っていたわけではない。「大英帝国と英国本土」の維持、独立、繁栄のために「ベストな政策は何か」について現実的なアプローチが異なっていただけである。チェンバレンもチャーチルも冷徹な現実主義者あり、保守主義者だった。
  米国在住の冷泉氏は「靖国参拝と国家主義的な言動に対する危機感が、日本では薄すぎます」と話し、米国政府の中国に対する見方を紹介する。「米国は中国の様々なことが気に入らないし、価値観もまるで違うが、我慢している。なのに、安倍首相の無分別な言動が(米中の)微妙な(勢力)均衡を狂わせ、米国の国益を左右している」「日本の行動は中国の改革を遅らせている。米国は硬軟合わせたメッセージを送り、国際ルールにのっとるように促している。軍事的な膨張を抑制し、より開かれた社会と政治体制に軟着陸させようというのが米国の国家意思です。しかしパートナーである日本が、中国を刺激し、こともあろうに連合国、第2次世界大戦戦勝国側の遺産を利用させるような事態となっている。・・・米国が主導してつくり上げた戦後の国際秩序だというのに、後から入ってきた中国の共産党政権が主役面して正義を名乗るなど、米国には許しがたいはずです」
  冷泉氏は「過剰な反原発感情もそうでしょう。大切な問題ではありますが、必要以上に大きく語られ、人口減少や産業競争力低下といった日本の根源的な問題が避けられている。(このままなら)日本は突然破綻するのではなく、時間をかけて衰退していくでしょう」とも語っている。
  日本人は歴史を連続して捉えないため、過去をすぐ忘れ、感情的な反省はあっても、科学的な反省はない。冷泉氏の指摘は、原発事故のような目の前に起こったことに対しては過剰反応を示すが、じわじわと水面下で進行している危険に対してはノー天気だと言いたいのだろう。パブロの犬だと言いたのだろう。目の前の困難にはつけ刃ででも対処し、当面の解決策を見いだしても、長期的な戦略が立てられない国民だと考えている。
  朝日新聞の記者は冷泉氏に「右が靖国、左が反原発にむかうならば、真ん中は?」と尋ねる。これに対して、冷泉氏は答える。「中間的な層が実は多数派です。この真ん中はじつはノンポリなんです。価値判断など面倒なことにはかかわりたくないという巨大な空白があるんですね。是々非々で判断する中間層というのが日本にはない。ふわっとしたノンポリという立場があり、それが巨大なのです。日本の教育には決定的に欠けていることがあります。社会、政治問題について『自分の意見を持つことの重要さ』を教えていないということです。自分の中に核となる考え、抽象的な原理原則を持ち、それに基づいて政策の賛否を決めるという当たり前のことを、公教育で一切教えていない。大きな問題です」
  冷泉氏の嘆きはもっともだ。日本の教育は暗記であり、思考の教育ではない。小中学校で、議論する場を生徒に与えない。先生は教壇から一方的に教科書を通して教えているにすぎない。生徒は疑問を持たずに、「なぜ」を発することもなく、ひたすら先生の言ったことをノートにとっている。大人になれば「なぜ」を思考する人々を日本人は嫌う。会社やスポーツ団体を見れば理解でくる。ひたすら上司の言うことを「ご無理ごもっとも」と言って従う。
  大学の入試試験は議論や思考、論理力を試す試験ではなく、記憶力を試す試験だといっても過言ではない。歴史教育や授業がいい例だ。生徒は歴史を暗記科目だと勘違いしている。歴史は人間を観察する科学であり、そのために必要な観察力、思考力、判断力、決断力などを養う科目だ。だから英国では、チャーチルが言うように、歴史は政治家になる必須科目だ。
  冷泉氏は日本人に素晴らしい提言をしたと思う。筆者も昨年11月下旬、拙書を世に出して日本人の暗記の歴史を批判し、歴史を人生に生かす重要性を力説した。日本を真の意味で愛するとは何か。それは「他の目で見る。自分本位に考えない。だからと言って相手に追随しない。相手の意図を十分に理解してから現実的に思考し、そして国益を追求する」。中韓の指導者も自分本位にしか歴史を見ないし、他国を「他の目でみない」ことをわれわれは理解している。だからこそわれわれ自身が「他の目で見る」ことが必要だ。

 写真は衛藤晟一首相補佐官

英国でも「一気飲み」  日本でもまもなく新学期  先輩は新入生に強いるな! 

2014年02月15日 14時28分29秒 | 生活
 2月に入り、大学受験シーズンの真最中だ。4月になれば、新入生が大学の門をくぐる。大学のクラブやサークルに入部する学生もいるだろう。毎年、新聞などに「一気飲みから急性アルコール中毒で死亡」という記事を見かける。くれぐれも飲ます上級生は注意してほしい。一方、英国やアイルランドでも、フェイスブックなどを通じて酒の一気飲みを仲間と競うゲーム「ネックノミネーション」が過激化し、死者が相次いでいる。
 筆者も大学1年の夏の合宿で4年生から「一気飲み」にちかい飲み方を強いられた経験がある。筆者も飲み始めたころで「俺は強い」といきがっていた。4年生の先輩は酒癖も悪く、飲むと態度が変わった。筆者はしきりに先輩に酒をすすめ、何度も便所に行くふりをして席を立ち、酔いつぶれたふりをして難を逃れたのを覚えている。無理をしないで「気持ちが悪い。お手洗いに行く」と言って、お手洗いから出てこないことだ。そのうち心配して誰かが来る。そうしたら「気持ちが悪い」と言って帰宅する。命を守るには自分しかいない。どこの国にもおかしな奴はいる。こんな人間に合理主義を説いても通じない。このような人間の多くは精神論者であると思う。筆者が若い頃、「おれのついだ酒が飲めないのか」と言われた。偏見も多分にあることをお許し願いたい。
 「一気飲み」は昔も今も変わらない。命を落とし、両親を嘆き悲しませるケースもしばしば起こっている。
 英国のネックノミネーションは、一気飲み(ネック)と指名(ノミネーション)を合わせた言葉だそうだ。ビールなど酒を一気飲みする様子を撮影した動画をフェイスブックなどに投稿。友人2人を指名し、指名された友人は24時間以内に同様の動画を投稿しないと仲間から罵倒や嘲笑を浴びせられるという。オーストラリアで始まったそうだが、最近になって英国などの若者の間で急速に広がっている。多分「勇気がない」とで言われるのだろう。「勇気がない」「卑怯」は英国人にとり恥辱の言葉だ。
 ビールのほかアルコール度の高いウオツカやアブサンなどの酒を飲むという。飲むだけでなく、いかに奇抜な行動をすることでも競うようになっており、英国社会のひんしゅくを買っている。
 英国の地元紙によれば、男性がまずビールを1缶飲んだ後、生きたひよこの頭を食いちぎり、さらにビールグラスに注いだウオツカに生卵を数個割り入れて一気飲みしている動画が出回っている。今月になってイングランドやアイルランドで20代の男性2人が一気飲みで死亡した。
 英公衆衛生局は、フェイスブックの仲間内での同調圧力の強さを懸念。「真の友人はあなたを『一気飲み指名』しない。あなたはノーという権利がある」として「極めて危険な行為」をやめるよう呼び掛けている。
 洋の東西を問わず、この馬鹿げた行為がはやっている。大学の新入生に先輩学生は決して「一気飲み」を強いないように。あなた方の前途洋洋な未来が台無しになるし、両親を悲しませることにもなる。

保守と右翼はまったく違う              「田母神氏 60万票の意味」の記事を読んで

2014年02月11日 10時34分52秒 | 民主主義とポピュリズム
  11日付朝日新聞2面の「時時刻々」で「田母神氏 60万票の意味」が掲載され、『「ネット保守」支持』の脇見出しが躍った。朝日新聞は「保守」と「右翼」を混同している。「右翼」と「保守」は同列なのかもしれない。朝日新聞の編集者自身も理念・理想主義者のようなので、この違いを理解していない。
 「9日投開票の東京都都知事選で、田母神俊雄氏が60万票余りを獲得した。支援者らは、従来の保守層よりも過激な傾向があり、愛国的なネットユーザーたちである『ネット保守』が予想を超える善戦を生んだと沸き立つ。これまで実態が見えなかった新たな保守層が、田母神氏の『基礎票』になって現れた、との見方もある」。朝日新聞はこう綴っている。
 さらにこの記事を抜粋すると「負けた気がしない。戦後日本の欺瞞、偽善にうんざりしている人たちがこれだけいる。新しい政治勢力の誕生だ」「選挙戦最終日の8日、JR秋葉原駅前の演説には大雪の中でも約200人が集まった。田母神氏が『侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ』と訴えると、大きな拍手が沸いた」そして、次の脇見出し「強さ共感 新勢力の兆し」を立て、「男性会社員(26)は『歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる』と語り、・・・・田母神氏に一票を投じた男子大学生(21)は『ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた』と語った。
 筆者は憂う。筆者は保守だが右翼ではない。保守派は「現実主義者」であり、右翼は「理念主義者」である。そしてリベラルな人々は「理想主義者」である。右翼もリベラルも現実主義者ではない。日本人は今も昔も理念主義者であり理想主義者である。また情感に弱い。感性を大切にする。上記の男子大学生は一例だ。しかし政治は現実そのもの。
 日本史を通じて、少なくとも明治以降、日本には現実主義者の政治家は少ない。その一人は勝海舟である。彼ほど現実的な政治家はいなかった。彼のおかげで、日本は19世紀の欧米帝国主義勢力の植民地にならずにすんだと思う。
 「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」。この発言からは観念や感情論を理解できても、現実を観察する片鱗さえうかがえない。そこにあるのは感情だけだ。「ぶれやすい政治家」を日本人は嫌う。確かに自己の思惑で「ぶれやすい政治家」がわが国には多い。筆者もこんな政治家はいかがなものかと思う。しかし時の変化、歴史の変化、時間の変化、環境の変動により政治家が政策を変えるのは当然だ。政治は生き物であり、何よりも相手がいる。
 「安保条約は日本にとり必要だ」「わたしは共産主義政権下では生きられない」「社会主義は理想は立派だが、現実と実践は悪である」「わたしは産経新聞を読んでいる」。このように言うと、筆者は1980年代に、現在でさえリベラルな人々からしばしば「君は右翼か」と言われる。筆者が「朝日新聞と産経新聞を読んでいる」と修正すると、彼らは混乱するようだ。彼らが現実主義者でないから混乱するのだ。現実主義者は観察主義者でもある。だからリベラル、保守新聞を読んで、現実を自らの頭で思考するのだ。
 筆者は右翼ではない。保守と言われればそうだが、現実主義者だと他人には言う。「あなたが見る日本の右翼は、英国では中道だ」ともかつて言った。英国の政治家ほど現実的な政治家はいないし、国民はそのような政治家を支持する。理想は理想として、現実に合致しなければ(そのような場合がほとんどだが)、理想をロッカーにしまい込み、当面は現実に沿った政策を遂行して時を待つ。時が熟したら、ロッカーから理想を取り出して実現に向かう。19世紀に大英帝国を指導したカッスルリー、パーマストン、グラッドストーン、ディズレーリー、ソールズベリーにしても、20世紀のチャーチル、チェンバレン、マクミランにしても現実主義者であった。
 これに対して、太平洋戦争を指導した軍部指導者は観念、理念主義者であり、現実主義者ではなかった。戦後の1970-80年代、元朝日新聞記者でリベラル派を代表した本多勝一氏は、現実主義者の山本七平氏を「ペンの横暴」で口汚くののしっていた。筆者はその本を読んだ。本多氏も、ほかの執筆者も難しい左翼の理論を持ち出して山本氏を糾弾した。そこにあるのは感傷主義と理念、観念のみで、現実的な観察眼はほとんどなかった。現実主義者の山本氏を「右翼」だと勘違いをしたのだろう。
 1980年代後半まではいわゆるリベラル派という知識人が幅をきかせていた。時代が現在へと経過するにしたがい、「リベラル派」が退潮し「右翼」が台頭してきた。いわゆる保守派(右翼)といわれる人々は、安倍首相に代表されるように、情緒、観念、理念で日本を「美しい国」だと訴えている。今日の建国記念日に発表された首相のメッセージは「私たちが愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしてきく責任を痛感し、決意を新たにしている」としている。
 20世紀の日本を代表する評論家で劇作家の福田恒存は1980年代、痛烈にリベラルや左派を批判した。彼らが感傷主義や理念だけで世界を見る眼を批判した。もし福田が今日生きていたなら保守派を痛烈に批判しただろう。彼が生存中、保守派からの支持があったが、福田自身は”保守派”からも自分の考えが理解されていないことを悟っていたように思う。彼に学んだ友人はそう言っていた。つまり友人は「日本人は保守の意味を理解していない」と述べている。 
 「年齢別で見て、20代では、田母神氏に投票したのは24%に上り、舛添氏の36%に次いで2位だった」(朝日新聞)。筆者は憂う。若者は戦争を知らない。日米が戦ったことさえ知らない若者もいるという。中韓の主観的な見方からくる日本批判にたいして、彼らは感情的、感傷的になっている。筆者は心情的には日本の若者の心を理解するが、中国人や韓国人が日本人を「偏狭な理念と宣伝」で叩けば叩くほど、日本の若者を教条的な愛国主義へと追いやるだろう。
 19世紀アジアで欧米植民地列強のくびきからの逃れられ、独立を維持できた国はタイと日本だけである。日本もタイも現実的な指導者がいたからにほかならない。日本は武士出身の人々であり、タイには英邁なモンクット王がいた。武士が日露戦争に勝って引退して以来、「理念主義者」がリベラルだろうが右派だろうが日本を牛耳ってきた。
 小沢一郎・生活の党代表は10日の記者会見でこうのべた。「世の中が不安定になればなるほど、極端な意見が出てくる。安倍政権がまた、そういう考え方を助長している」。筆者もそう考える。なぜか?現実を観察できず、感傷・観念主義に走る日本人の国民性が「なぜ」の答えのように思える。筆者は科学の目線で歴史を考えてほしいと力説したい。
 

 安倍首相を称賛    ソチ冬季五輪で中国選手団入場行進の際に拍手

2014年02月09日 12時23分18秒 | 日中関係
 9日付朝日新聞朝刊によれば、習近平・中国主席は中国と香港の選手団の入場の際には立ち上がり手を振って激励した。台湾選手団の入場時には座ったまま拍手を送った。ところが日本の入場がアナウンスされると、硬い表情で両手をひざの上に重ねたまま、身動き一つしなかった。一方、安倍晋三首相は、中国選手団の入場の際も拍手を送っていた。
 また、ソチ五輪の開会式セレモニーを生中継した中国中央テレビ(CCTV)の番組解説者3人が、日本選手団の入場シーンで関係のない話題を話し始め、無視を決め込んだことに、ネットユーザーから賛否両論の声が上がっている、と大公網が伝えた。大公網によると、日本選手団の入場に合わせ、安倍首相が立ち上がり手を振るシーンが画面に映し出されるや、解説者の3人はカーリング競技や冬季五輪に関する話題を話し始め、日本選手団と安倍首相を完全に無視した。
 筆者は日頃、安倍首相を批判しているが、今日は称賛したい。まさに日本人の持っている「矜持」を世界に示した。第二次世界大戦前、国際連盟の重責を担った新渡戸稲造が英米の人々のために日本人を紹介した「武士道」精神そのままの姿であった。騎士の国である英国の人々も首相の態度を称賛している。
 習主席と中国中央テレビ(CCTV)の番組解説者3人は大失点だ。中国人は皆、このような態度をとるとは思わない。多分、「力を信奉し、敵と味方を明確にする」共産主義者の習性であろう。太平洋戦争直後、中国国民党の蒋介石総統は、中国人を虐殺した日本の兵士やそれを命令した将校を除いて、日本の将兵を全員日本へ送還した。蒋介石は「敵の暴に報いるに暴を以てせず。恨みに対して恩で報いよ」と言った。これは中国古代の思想家、孔子の言葉を実践した。これに対して中国・共産党は日本人捕虜の多くを「思想改造センター」に送り、重労働を強いた。
 安倍首相は靖国参拝の失点を取り返した。われわれは現実主義者であると同時に、相手を尊重する姿勢を持つことが必要だ。日露戦争の旅順陥落後、旅順要塞のロシア司令官アナトーリイ・ステッセル中将を乃木希典大将は「敗軍の将としてではなく、旅順攻防戦の一人の将」として遇し、武士道精神を発揮した。
 われわれは、相手が感情的になればなるほど、冷静になり、観念論はさておき、現実重視と100年の戦略で対応すべきだろう。安倍首相にも、靖国参拝のミスを肝に銘じて、現実主義的な思考で外交を進めてほしい。ロシアは4島を戦争の勝利の結果としての領土変更だと主張している。だから交渉で返還させることは至難の業。もし3島でも返されれば、奇跡である。戦争で奪え返せても、交渉で返還させることは大変なことである。歴史上、交渉からの返還は稀だ。保守派や右翼は観念論や感情論から現実主義者を糾弾する前に現実的な目線で外交を考えてほしい。

またメダルに届かなかった上村選手に拍手を!   フリースタイルスキー女子モーグルの決勝で4位

2014年02月09日 11時52分38秒 | スポーツ
  「メダルが取れたかなと思ったんですが、また4番だったんだなと。でも、何ですかね、すごくすがすがしい気持ち。ソチ(五輪)まで準備してきたこととか、攻めて滑りたいというのが、(決勝の)3本全部かなったので、すがすがしい気持ちになりました。自信を持ってスタートに立って、最大の力を出して滑るというのが私の理想だったと思うけど、今日はそれがたくさん出来たので、自分としてはすごくうれしい」(読売新聞)
  バンクーバー五輪に続き4位になったモーグル女子の上村愛子選手の試合後の話だ。 ソチ五輪のフリースタイルスキー女子モーグルの決勝で、上村愛子は4位となり、メダルにあと一歩届かなかった。残念!しかし彼女の健闘を称えたい。「自分の力のすべてを出し切りすがすがしい気持ちだ」と話している。人生の中で、自分の夢が実現するのはなかなか難しい。それでもそれに向かってチャレンジする精神を称えたい。
  愛ちゃんは現在、きっと次の冬季五輪に出たいという気持ちと、もうこれでおしまいという気持ちが葛藤しているかもしれない。国民も「もう一度」と彼女の出場を望んでいるかもしれない。ソチ冬季五輪の開催に先立って、愛ちゃんは「やはりメダルがほしい」と話していた。わたしは彼女の気持ちを十分に理解できる。しかし人間には引き際がある。これができる人は少数だ。一種の既得権を捨てることになるからだ。わたし自身もその立場に立てば葛藤があるだろう。なかなか難しいかもしれない。
  彼女はソチ五輪で終わりだと話している。彼女の最終的な決断を待ちたい。彼女は指導者としてメダルを狙える選手を育て、将来の五輪でメダルをとってほしい。
  時は流れる。そして変わっていく。この流れの中で、望みを達成できる人はごくわずか。そのほかの人々は冷厳な事実を受け入れて、次の人生を歩みだしていく。冷厳な事実を受け入れて、それを糧として人生を歩む人々こそ、人生を終えるときに真の勝利者になり得るのだと思う。

 ◎追記 9日夜のテレビ朝日の番組に登場した上村選手は、次のオリンピックに再度挑戦するのか、という司会者の質問に対して「自らのイメージでやり抜き、すがすがしい気持ち。次のオリンピックには応援の側にいたい」と話していた。愛ちゃんの話に筆者も清々しさを感じた。引き際を心得ている。立派だ。久しぶりに素晴らしい日本人のコメントを聞いた。感謝。