英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

解決策は朝鮮半島の永世中立化   緊迫増す北朝鮮情勢

2017年04月14日 11時45分58秒 | 東アジアと日本
 アメリカ海軍の第1空母打撃群が明日中に朝鮮半島近海に到着し、朝鮮半島はかつてない緊張に包まれている。嵐の前の静かさなのだろうか。
 シリアのアサド政権が化学兵器を反政府地域に打ち込み、子どもや赤ちゃんまで殺害したのを受け、米国が59発の巡航ミサイルをシリア空軍基地に撃ち込んだことが、朝鮮半島状勢を悪化さ北朝鮮を疑心暗鬼にさせている。
 朝鮮半島が緊迫しているのにもかかわらず、日本国民はその緊張を肌で感じていない。70年以上も戦争を経験していない日本国民がそう感じるのも無理はない。第1次世界大戦から約20年間の平和を享受した英国人もそうだった。
 1939年9月1日に第2次世界大戦が始まった後でさえ、英国民は戦争を自分らの問題とは考えなかった。戦争が始まって9カ月後、ナチス・ドイツ軍がフランスを蹂躙し、英仏連合軍がダンケルクから英本土に退却、チャーチル首相が6月4日に議会で「英国は決して降伏しない。ひとりになっても戦い続ける」と述べて初めて、戦争は英国民とって最大の関心事になったのだ。筆者は日本人が「朝鮮半島問題を最大の関心事」にならずに済むことを祈るばかりだ。
 時は日々変化している。朝鮮半島問題の直接のプレーヤーは日本でも、北朝鮮の脅威を最も身近に受けている韓国でもない。直接のプレーヤーは米国と中国であり、もちろん北朝鮮である。
 米国のトランプ大統領は商売人だとつくづく思う。昨日、ロシアと仲が良いように見せれば、今日は100年の仇敵のように振る舞う。中国に対しても、為替操作国だと非難していたが、北朝鮮に効果的な圧力を加えれば「為替操作国とは思わない」という。長期的戦略に基づいて振る舞ってはいない。
 一方、北朝鮮の若い指導者、金正恩は太平洋戦争当時の日本の軍部指導者と同じだ。日本の軍部指導者が太平洋戦争前夜、日々強まる米国の経済制裁から米国が攻めてくると信じ込み、ハワイ・真珠湾を奇襲して13倍(軍部は日米国力差を1対20とみていたが、戦後、正確には1対13だとわかった)も国力が違う米国に敗北した。東条英機首相は当時、米国民の孤立主義やルーズベルト大統領の「ヒトラー・ドイツ政権打倒を最優先」する政策を理解でになかった。
 金正恩・国防委員長も「ミサイルと核開発が米国との交渉を開く唯一の道だ」と信じ込んでいる。国力のすべてが軍事力だと思い込んでいる。
 米国と北朝鮮の指導者に比べて、中国の最高指導者、習近平は現実主義者だ。ある意味、中国人の伝統である「権謀術数」に長けた人物であり、冷静に中国の国力を計算し、一歩一歩慎重に漸進している。「戦わずして勝利するは最上の策」は古代中国の兵法家、孫武の兵法書「孫子」の一説だ。
 米国に協調することをいとわない。だからといってすり寄らない。12日の国連での「化学兵器使用を巡るシリアのアサド政権の調査」決議に棄権した。シリア問題に関する7~8回の決議に対してロシアに同調していたが、今回は棄権した。今まで協調していたロシアを一瞬で見捨て、米国に味方した。それは中国が米国の真剣度を理解し、米国に楯を突いても勝ち目はないと踏んだからだ。まさに戦略的な接近である。
 長期戦略を胸に秘めた中国が現在、米国をなだめ、トランプ大統領に「協力」のシグナルを送っている。朝鮮半島をめぐるトランプ大統領の「独断」を押しとどめようとしているようだ。習近平や中国指導部にとって、朝鮮半島の安定は最も重視する国益だろう。北朝鮮が崩壊して韓国が朝鮮半島を統一し、韓国駐留米軍が中朝国境の鴨緑江まで来ることを恐れている。
 中国は米国が長期的で潜在的な敵だと思っている。「偉大な中華民族の復興」にとって、米国が大きな障害だと知っている。しかし、米国の国力の足下にも及ばないことを理解する。軍事力では以前よりはその格差は縮まったが、半導体などの最先端技術では、ひじょうな遅れをとっている。国力が軍事力だけでなく、外交力、経済力、技術力、国民の民度・士気、地勢的な位置などすべての要素から構成されていることを理解している。
 中国は朝鮮半島の安定化と米国との協力を目指す外交政策を当面追求するだろう。このような米中の思惑の中で、将来の朝鮮半島をどうするのか?
 トランプ政権誕生を控えた昨年12月17日、アメリカ国務省でアジア地域を担当するダニエル・ラッセル東アジア太平洋担当国務次官補が、ひっそりと来日した。同氏はオバマ前大統領の幹部の中で、唯ひとりトランプ政権で引き続き仕事をしてきた。
 ラッセル氏は日本政府首脳に「朴槿恵大統領の長年の友人で、権力を乱用したとして逮捕された崔順実は、北朝鮮出身者の娘だ。彼女は密かに北朝鮮と通じていた。このままでは、韓国が国家的な危機に陥るところだった……」と述べ、「金正恩は暴発するだろう。北朝鮮が暴発する前に、こちらから行動する。そして朝鮮半島を信託統治下に置く」と語ったという。要するに、米中ロの共同管理下に置き、三国が容認する北朝鮮の指導者を選ぶことだ。
 中国がこの提案に乗ってくるのかどうかは疑問符がつく。共同管理下に置いたとしても、いずれ韓国主導の半島統一が交渉のテーブルにのってくる。そのとき、中国は拒絶するのは火を見るより明らかだ。
 筆者は思う。唯一の恒久的な解決策は朝鮮半島の永世中立化だ。日米中ロが保証し、韓国が同意する。朝鮮半島を東アジアの「スイス」にしてこそ、非核化が実現され、日本が長年かかえている「拉致問題」も解決する。そしてなによりも、中国の国益が保証される。それは半島を永続的に緩衝地域にすることができるからだ。また、半島の中立化は平和を維持する観点から、日米の国益にも適う。韓国民にとっても平和を保証する道である。北朝鮮国民は独裁の頸木から解放される。
 半島を恒久的な緩衝地帯にする保証をして初めて、習近平指導部が朝鮮半島問題の解決に真剣に取り組むようになると思う。それが半島を戦火に巻き込むことなく、北朝鮮の金一族の3代支配を平和裏に終わらせる唯一の道ではないだろうか。

老いて元気に生きるには?    老人ホームを訪問して思う

2017年04月12日 10時37分32秒 | 老人社会と年金、福祉

歳をとっても元気に生きるにはどうしたらよいか。70歳を目の前にした筆者の最大の関心事のひとつだ。結論を先に言えば①人と話す②運動する③適度に食べる④頭を適度に使うーではないだろうか。
 筆者には95歳の母がいる。幸い認知症もなく頭脳は明晰。ただ、耳が遠く、緑内障で右目が失明し、歩行器を使わなければ歩けない。
 完全退職して約1年半。筆者はほぼ毎日、母が住む老人ホームを訪問する。入居している老人を見ていると3つに大別される。頭脳が明晰で自分の足で歩くことができる人、頭脳が明晰だが、車いすか歩行器の力を借りる人、そして認知症を患い、ヘルパーさんの助けが必要な人だ。この人々のうち、頭脳が明晰で、自らの足で歩ける人から、筆者のような老人予備軍が学ぶところは多い。
 数日前、老人ホームが企画したイベントで、心身ともに元気な老人と花見見物をした。90歳以上の老人が対象だった。母のように歩行器や車いすの助けを借りる老人は、子どもや親戚縁者が付き添った。参加した老人は6人。そのうち96歳と93歳の女性二人は自力で歩いた。
 その二人が老人ホームの従業員や看護婦さんらの歩行にあわせて、速めたり遅くしたりした。60歳代の介護者に遅れを足らずに二人は歩いた。私にとって驚き以外の何ものでもなかった。
 あと4年もすれば1世紀を生きる96歳の女性は中学校の元家庭科の教師。本人は「授業で先生は立ちっぱなしです。これが良かったのかもしれません」と話す。現在、ホームの食堂まで長い廊下を歩き、庭を散策する。またホームの周辺をヘルパーさんと歩く。
 「ここ数年、目が薄く(悪く)なり、新聞を読むことができなくなりましたが、それまでは毎日読んでいました」と笑みを浮かべて語った。
 朝昼夕の食事どきには、歳下の同居者にご飯を茶碗についだり、お茶を入れたりして世話している。80歳代後半で車いすに座っている同居者に何くれとなく世話するのを見かける。筆者の母と同じテーブルで食事するため、母もずいぶんお世話になっている。
 96歳の女性は人と楽しく話し、適度の運動を欠かさず、その上、食欲も旺盛だ。この女性やほかの入居老人を見ていると、人間という動物は食欲がなくなるとき、死への道を歩いているのだと感じる。
 もう一つ言えることは、好奇心を失わず、自助に努めることだと思う。栃木県下野市にあるこの老人ホームは、入居老人の自助努力を促している。いろいろな老人ホームを見たり、聞いたりしたが、従業員やヘルパーさん優先のホームが大半だ。つまり、能率的な仕事ができるように従業員優先の仕組みや規則をつくっている。朝食は7時から8時まで、これとこれはしていけないなどの規則だ。
 この老人ホームは朝食の時間を「何時まで」としていない。ヘルパーさんがあらゆることについて介護するようなことはしない。付き添ってはいるが、できるだけ入居老人が自分でするように仕向けている。入居当時、歩けなかった女性老人が歩行器を使い、ヘルパーさんの助けを得て歩くようになった老人までいる。これも驚きだった。
  34歳の所長は「ホームは自由な雰囲気にしなければ、実りある最後の人生を過ごせない」と話す。これが彼の運営方針のようだ。
 人間は「人と会話し、適度の運動をし、バラエティーに富んだ食事をする。そして死まで自分の趣味を全うする」中に、実りある老年期を過ごせるのだと理解した。息を引き取るまで、できることは自分でし、できないこともできるように努力することだと、この老人ホームから学んだ。

写真:母が入居している老人ホーム