英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

安倍首相に欠けているのはリーダーシップ、勇気、行動    沖縄県民投票後の対応で再び露呈     

2019年02月26日 10時47分47秒 | 日本の政治
 沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古沿岸部への移設をめぐる県民投票で、安倍晋三首相はリーダーシップを発揮しなかった。言葉のみに終始し、具体的な行動は起こさず、政治家の道具(資質)である議論と説得を使わなかった。このため、沖縄県民(琉球民族)の安倍政権への不信感を増幅させている。
 安倍首相は辺野古移設問題で、解決を他人任せにしている。また「対立概念」で国民に語ることなく、「最初から「二元論」に基づく空虚な言葉だけを発するのみだ。
 沖縄の有権者の半数以上が投票所に足を運び、そのうちの72.15%が安倍政権の沖縄政策に「ノー」を突きつけた。首相は「県民投票の結果を真摯に受け止める」と言いながらも、宜野湾市の中心部にある普天間飛行場の危険性除去を主張し続け、辺野古工事を続行する姿勢を変えていない。
 安倍首相の政治姿勢と能力を、トランプ大統領のノーベル平和賞推薦を引き合いに出して米有力紙「ワシントンポスト」はこのほど論評した。「(安倍首相の解決依存体質を)トランプ氏のエゴ(国際秩序に背を向け、国内では分断をあおり、外交で国民からの支持を挽回しようとする)にこびへつらい、日本の有権者の前では(言葉だけで)敬意を示す。その微妙な間合いで(難問を)切り抜けようとする」
 厳しい言い方をすれば、米紙は安倍首相には政治能力がないと指摘しているのだ。首相はリスクを恐れずに勇気を出して行動することがなく、国民に持論を述べるだけで、反対者を「説得」することもない。歴史の変化と時の変化を説き、歴史をひも解いて「過去を遡り、未来を予測」することもない。そんな教養は持ち合わせていないということだろう。また、われわれがそれを求めること自体、高望みなのかもしれない。
 橋本竜太郎元首相(故人)は、首相就任後の1995年秋に起こった海兵隊員による少女暴行事件に遭遇した。その事件に対する沖縄県民の怒りはすごかった。そして基地負担軽減や海兵隊の削減等を要求する声が頂点に達した。
橋下首相は沖縄県民の怒りの気持ちを正面から受けとめ、宜野湾市の中心部にある普天間飛行場返還に心血を注いだ。何度も沖縄入りして当時の大田昌秀県知事(故人)と直談判し、説得に説得を重ね、普天間返還後の米軍基地の存続の必要性を説いた。県知事との会談は都合17回、数十時間に及んだ。
 江田憲司衆院議員は自身のホームページでこう語っている。「外務、防衛当局、殊に外務官僚は、いつも『事なかれ主義』で、まったく取り合おうとはしなかった。普天間基地のような戦略的に要衝の地を米軍が返すはずがない、そんなことを政権発足後初の首脳会談で提起するだけで同盟関係を損なう、という考えだった。あたかも、安全保障の何たるかも知らない総理という烙印を押され馬鹿にされますよ、と言わんばかりの対応だった」
 橋本元首相は夜、公邸に帰ってからも関係書物や資料を読みふけり、専門家の意見を聞いた。当時のクリントン米大統領との会談で、この問題について話す決意をした。江田氏は「絶対返すはずがないと言われていた普天間基地全面返還合意を1996年4月に実現できたのは、すぐれて、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な態度、それを背景として、事務方の反対を押し切って『フテンマ』という言葉を(クリントン大統領)に出したことによる」と語っている。
 橋本元首相はリスクを恐れずに勇気を出して行動した。道理と現実を重んじ、日米同盟を重視したクリントン大統領の性格と政策にも助けられた一面があるが、それでも橋本元首相が持ち出さなければ何も起こらなかった。
 20世紀の英国の大宰相ウィンストン・チャーチルは1934年6月30に英誌「アンサーズ」に寄稿した文章でこう述べた。「今日安全第一という言葉をよく耳にする。道路を渡る際の一番大切な掟(おきて)だ。これは、危ない橋を渡ろうとしない政治家の政治活動には役に立つだろう。・・・しかし安全第一を死ぬまで心掛ける限り、本当に価値ある仕事はできないし、立派な業績も残せない」(「人間チャーチルからのメッセージ」33ページを引用)
 チャーチルは1935年5月22日の下院で「アンサーズ」の寄稿文と同じことを話した。彼は同僚議員に、勇気を奮い立たせて失敗を恐れず、自らの信念で行動を起こすことが肝要だと述べた。大衆や有権者の声に耳を傾けるが、決して迎合せず、有権者に対して説得を重ね、その後、一部から反対されても決然と行動を起こす。その結果が悪ければ説明し、責任をとることを力説した。一番悪いのは他人任せにして、その結果を他人に押し付けることだ。
 安倍首相は橋本元首相の勇気と行動について考えてほしい。チャーチルを尊敬し、昨年春に日本で公開されたチャーチルの映画を鑑賞したという安倍首相は英国宰相のこの言葉をかみしめてほしいものだ。自らの考えを国民に吐露して、反対する国民に長期的展望を示して説得し続け、その暁に反対があっても自らの信念に基づいて行動する。その結果が失敗すれば、批判を受け入れ、なぜ失敗したかを国民に説明する。持論だけをまくしたてて、国民に説明したというのでは話にならない。それで終わりというのでは政治家の資質が問われよう。
 独裁国家の指導者なら持論を述べるだけして独断実行すれば良いだろうが、民主主義国家の政治家としては失格だ。民主主義国家の指導者になるには議論力、説得力など多くの資質が必要不可欠だ。それは万人が認める事実だと思う。

「神様は乗り越えられない試練は与えない」   同じ言葉を述べたチャーチルが天国から、池江さんを応援していると思う

2019年02月17日 21時16分23秒 | スポーツ
2020年東京オリンピック競泳女子の金メダル最有力候補の池江璃花子さんが12日に自身のツイッターで白血病と診断されたことを公表してから約1週間がたとうとしている。この1週間、病気に立ち向かおうとする健気な勇気を彼女がツイッターで発信したのを受け、SNSには、日本だけでなく世界の人々から励ましのコメントが寄せられている。また骨髄バンクにはドナー登録を希望する問い合わせが殺到しているという。
 池江さんは4月の日本選手権を欠場する。今夏の世界選手権韓国大会出場も絶望的だ。20年東京五輪も参加できるかどうかは闇の中だ。彼女はツイッターで「私自身、未だに信じられず、混乱している状況です」と自らの気持ちを素直に書いている。数多の人々から応援と激励のメッセージを受け取った後、ツイッターを更新。「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分の乗り越えられない試練はないと思っています」と自らを鼓舞、東京五輪の夢を抱いて闘病生活に入った。
 私は池江さんのツイッターや新聞で「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない」を読み、20世紀の偉大な政治家ウィンストン・チャーチルも同じような言葉を記しているのを思い出した。
 チャーチルは1931年12月、ニューヨークで交通事故に遭い重傷を負った。その翌年の1月4日と5日に英紙「デーリーメール」に寄稿し、こう述べた。「創造主(神)は人間がどうすることもできないことをあえて試すことはありません。だからリスクを恐れず生きなさい!何が起こっても逃げないで立ち向かいなさい!そうすればすべてがうまくいくのです」。この寄稿文で、彼はいかなる困難にも負けない勇気を持つことを力説した。池江さんも18歳という若年ながらもどんな困難にも打ち勝つ勇気を持っていると感じた。
 35年前の1985年、有名女優だった夏目雅子の命を奪ったのも白血病だった。当時は不治の病だったが、今では治療法の向上で、当時よりは治癒する病気になった。池江さんはツイッターで「私にとって競泳人生は大切なものです。ですが今は、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います」とつづる。
 彼女のこの言葉を読んで、戦国大名の石田三成を思い出す。彼が関ヶ原の戦い(1600年9月)で敗北して捕らえられ、処刑される直前、のどが渇き水を求めた。徳川方の足軽が水はないが柿があるから食え、と言ったところ、三成は柿は腹が冷えるからと断った。足軽は間もなく処刑されるのに何を言うかと言って冷笑したという。
 三成が後世のわれわれに、最後の最後まで命を大切にして生き抜くことの大切さを教えている。池江さんも勇気を抱いて、この難病と戦うことを誓っている。全国の津々浦々からわき上がる池江さんへの応援メッセージ。私もそのメッセージを送る。彼女が再びプールのスタート台に立つことを心から祈っている。

(注)英紙「デーリーメール」に掲載されたチャーチルの寄稿文のタイトルは「My New York Misadventure」。「The Collected Essays of Sir Winston Churchill,Vol. 4 ed Michael Wolff, 1976」のP88~95に載っている。また拙書「人間チャーチルからのメッセージ」(小学館スクウェア)のP35, P99~103にも記した。興味のある方は国立国会図書館で参照してください。


一刻も早く子ども虐待防止法の成立を      国連が日本に親の体罰禁止の法制化を勧告

2019年02月08日 09時14分31秒 | 時事問題
国連子どもの権利委員会(本部スイスのジュネーブ)が7日の記者会見で、親の体罰の全面的禁止の法制化を日本政府に勧告した。私は全面的な賛意を表明し、安倍晋三政権と与野党が協力して一刻も早く法の成立をきすよう切望する。また高い専門性と、子どもを守る強い意志と能力を持つことが不可欠な児童相談所職員は国家資格を必要とすると考え、そのような資格を一刻も早く創設するよう厚生労働省に訴えたい。さらには、虐待した親は精神的な病を患っているのだから、彼らを更正施設に入れるよう勧める。
 栗原心愛さん(10)を長期間虐待して死なせた父親の勇一郎容疑者(41)は現在でも自らおこなった行為を虐待とは認めず、「しつけ」だと信じているという。
また、かつて子どもを虐待した父親は昨日の民放番組で、「虐待したとは全く考えていなかった。しつけだと信じていたが、厚生施設でのプログラムを受けてようやく自分が子どもを虐待したことを自覚した」と話す。ドメスティック・バイオレンス(DV)や虐待をしている人々は自らしている行為を正しいと信じているようだ。
 8日付朝日新聞によれば、全国の警察が昨年1年間に虐待の疑いがあるとして児童相談所(児相)に通告した子どもの人数や、配偶者などパートナーに対するDV被害件数が過去最多となった。検察庁は同日、児相に通告した18歳未満の子どもは前年より22.4%増え、8万104人と発表した。言葉による脅しや無視などの子どもの心を傷つける「心理的虐待」が5万7326人と7割を占め、身体的虐待が1万4821人。心理的虐待では、子どもの前で配偶者らに暴力を振るうといった「面前DV」が目立つという。児童虐待を事件として摘発した件数は最多の1355件だった。
 この重大な事態を前に、国連子ども委員会は日本でも子どもの虐待、性的虐待、搾取が高い水準にあるとの懸念を抱いており、学校で虐待が禁止されていても、家庭で親が子どもをしつけるときに許容されていると指摘。「明確で全面的な禁止」を法制化するよう勧告した。つまり加害者への厳格な刑事罰追求を日本に求めている。
 記者会見した同委員会のサンドバルグ委員は、心愛さん事件について「起きてはならない残念な事件だった。誰か大人が反応すべきだった」(日刊スポーツから引用)と述べ、日本社会全体で向き合うべきだと指摘した。
 これに対して、日本政府は同委員会に「体罰ゼロ」を訴える啓発運動などで、体罰根絶への取り組みを強化していると説明したという。しかし、生やさしい啓発で、この問題が解決できる時代は過ぎ去ったと思う。
 半世紀前、親は教師を「偉い人だ」と思っていた。飲んだくれで暴力を振るう親でも、家庭訪問した教師が切々と暴力を辞めるよう訴えると、「申し訳なかった」とかしこまって讒言したという。私の小学校時代の女性教師が2006年頃、話してくれたことを覚えている。
また、父親が戦死した家庭では、母親が夕方、黙々と足踏み式ミシンで生計を立てているのを小学生の私は見たのを今でもはっきり覚えている。私の友人(母親の息子)と私に「どんなに貧乏でも恥ずかしいことをしてはいけません」と言った。
友人の母親の言葉は、大人になって分かったことだが、武士の時代から受け継がれてきた日本人の「廉恥の心」だ。現在、そんな日本人の美風は失せてなくなった。親が先生を敬うという風土もとっくの昔になくなった。親が学校を訪れ先生を怒鳴り、文句を言う。また教師の素養がない教師が多くなってきた。
 日本社会が日本人の伝統的な美風により子どもを守ってきた時代があった。もちろん、昔も子どもに罵声を浴びせる親はいた。一過性ではなく、執拗に何年間も、自分のストレスのはけ口としてこどもを虐待し、妻にDVをおこなう父親はいた。しかし現在よりは少なかった。
 欧米諸国では、子どもを虐待した親は刑法で罰せられるが、日本にはそのような法律はない。今まではそんな法律がなくてもよかったからだ。しかし欧米のような法律をつくる時期に来ている。
野田市教育委員会や県柏児童相談所の栗原容疑者への対応から理解できるように、身を挺して子どもを守る教師や教育委員会の職員が過去に比べて少なくなってきたからだ。
野田教育委員会や柏児相の職員は心愛さんを守る前に、「恫喝をかけてきている父親からの攻撃が向かないように、自分たちの身を守るために行動した」(大阪児相の元所長で、現在はNPO法人児童虐待防止協会理事長の津崎哲郎さんの話、8日付朝日新聞から引用)。柏児相の「援助方針会議録」には明確に、心愛さんが危険に瀕していると書かれているが、それでも栗原容疑者に返している。
 恫喝する親に対して、児相職員は(1)安全のため、警察や弁護士が同行できる(2)親の意向を無視して職権で(虐待されている子どもや、その疑いがある子どもを)保護できる(3)親への指導の勧告を求めて裁判所に申し立てることができるーなどの特権を活用すべきだ。柏児相はその特権を使わなかった。
 安倍晋三首相は7日の参院予算委員会で、児童虐待防止に関する関係閣僚会議を8日に開くと明らかにし、「関係機関のさらなる連携強化などの対応策を協議する」と述べた。また文部文科省は8日、浮島智子副大臣をトップとする虐待児童についての検討会を立ち上げる。安倍政権に心から期待したい。
 虐待という精神的な病気に罹っている親から「親権を剥奪」し、子どもを社会が守る仕組みを伴う厳格な法律を創設することが、心愛さんやこれまで親の虐待の犠牲になって無念の死を遂げた子どもに報いる道だと信じる。また、それが健全な子どもを育てることになり、健全な社会を形作ることにもなる。
 
 写真:日本政府に児童虐待対策強化を要請する国連子ども権利委員会

未必の殺人罪で起訴し、こども保護の法律を制定すべし   野田市での父親による少女虐待死を考え訴える

2019年02月06日 09時43分02秒 | 時事問題
●昨日に書いたブログを差し替えます。

「もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします」。2018年3月に目黒区で、継父の船戸雄大被告によって結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)が虐待され死亡した。それから1年もたたないことし1月下旬、千葉県野田市の小学生、栗原心愛(みあ)ちゃんが実父の勇一郎容疑者に浴室で虐待を受け、帰らぬ人となった。目を背けたくなる悲惨な事件であり、全国の大人がこの解決策を一刻も早く見つけ出さなければならないと思う。
  父親や母親が子どもを虐待し死亡させ、警察に逮捕されて取り調べを受けたとき、「しつけのためだった」という常套句を発する。親の“特権”を振りかざす。この“葵のご紋”に学校の教師、教育委員会の委員や児童相談所の相談員は反駁することなく地べたにひれ伏す。栗原容疑者は親の特権を振りかざし、自らの残虐行為を反省していない。
 5日付産経新聞によれば、栗原容疑者は警察に「(心愛さんが亡くなった24日の)午前10時頃からしつけで休ませずに立たせた。悪いことをしたとは思っていない」と供述している。
 この男には想像力がない。大人でさえ4~5時間も立ちっぱなしなら座りたくなる。疲れる。ふらふらになる。だから衛兵は数時間ごとに交代する。
 栗原容疑者は娘が疲れて座ったところを、冷水を浴びせて死に至らしめたと推察する。この男を「傷害容疑」で起訴すべきではない。検察は「未必の殺人容疑」を視野に入れて起訴すべきだ。この男を厳罰にして、現在も全国のどこかで行われている子どもへの虐待を防ぐ一助とすべきだ。民主主義国家にはそぐわないことを重々承知で発言するのだが、「一罰百戒」という意味で、栗原容疑者を厳罰にすべきだ。
 心愛さんは11月6日、「ひみつをまもります」と記された全校児童対象のいじめアンケートに、こう書き込んだ。
 「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりします。先生、どうにかできませんか」また先生の聞き取り調査に「口をふさいで ゆかにおしつける→自分の体だいじょうぶかな?」と悲痛な叫びを上げる。
 その状況を推察できない野田教育委員会は栗原容疑者の威圧的な態度に恐れをなし、心愛さんとの約束を破ってアンケートのコピーを渡した。アンケートの内容が判明した後のことし1月31日と2月1日だけでも800件を超える抗議文が寄せられたという。
 野田市教育委員会の誤りは償っても償いきれない。NHKの報道によれば、心愛さんは「私がアンケートで話したことは噓です。・・・もう先生に会いたくない」との趣旨を同意書に書いているという。「もう先生に会いたくない」は本心かもしれない。
同委員会は「心愛さんがお父さんに無理やり書かされた」と感じながらも、栗原容疑者にアンケートのコピーを手渡したという。後日、心愛さんが先生に同意書を「お父さんに書かされた」と話している。にもかかわらず、何らの対応をとっていない。言語道断だ。
 厚生労働省の調査によれば、2016年に児童相談所に報告された児童虐待相談対応件数は12万2,578件で過去最多になった。相談されていない件数を合わせると15万件を超えるのではないかといわれている。
 半世紀前、最も恐れられた4つは「地震、雷、火事、親父」だった。当時も虐待はあったが、これほどまでの件数ではなかったと推察する。多くの「親父」は大声で怒鳴った。そして殴りもしたが、その場限りのことだった。翌日からは何事もなかったかのように父親は振る舞った。しかし今日の父親は執拗だ。「しつけ」と称して何年も虐待し続ける。まるで会社のストレスを子どもへの虐待で晴らしているかのようだ。
 わたしも小学生の頃、父親にしばしば大声で怒鳴られ、すごい恐怖感を味わった。幸い殴られることはなかったが、父親に対して萎縮したのを覚えている。ましてや肉体的な虐待が加われば、その恐怖心は言語に絶する。
 スウェーデンでは1960年代、6割近くの親が体罰を容認し、9割以上の親が子どもに体罰をしていた。1978年に有名な作家がドイツ書籍協会の賞を受けた際、体罰不要論を講演で話した。翌年には子どもへのあらゆる体罰と心理的虐待を禁止する法律が制定され、罰則がもうけられた。そして政府主導で啓発キャンペーンを始め、牛乳パックなどに「どうすれば体罰を使わずに育児するかの情報」を載せた。誰の目にも触れることで、2010年には1割の親しか体罰をしなくなった。
 子どもは親に無力だ。だからこそ北欧のスウェーデンのように、子どもを虐待から守る法律を一刻も早く制定すべきだ。世界には、親の虐待から子どもを守る法律が54カ国にあるという。
 法律の制定だけではない。児童相談所と教育委員会、警察、弁護士が連携してこどもを守る仕組みをつくるべきだ。虐待する親に、児童相談所、教育委員会、教師が実力行使をするバックアップを国が保証すべきだ。つまり栗原容疑者が「裁判所に訴える」というような脅迫に対して、児童相談所の所員らが安心して反駁する“武器”を供与すべきである。
 その“武器”は、虐待する親から親権をはく奪する法的措置をつくることだ。親が子どもに対して長期にわたり虐待することは、それ自体精神疾患だとみなさなければならない。一言で言えば病気なのだ。
 今となっては、心愛さんの命を取り戻すことができない。彼女に償いをするためにも、野田市教育委員会と教師は先頭に立ち、子どもへの虐待を防ぐ法律や、警察などとの効果的な連携策を確立するための方策をつくることだ。それが心愛さんの魂を鎮めるただひとつの道だと信じる。
  昨年6月6日の結愛ちゃん虐待事件の記者会見で、警視庁一課の課長がは目に涙を浮かべながら、彼女の悲痛な言葉を語った。後日、東京新聞の記者に「結愛ちゃんの言葉を埋もれさせてはいけないと思った」と心境を語っている。
  大人が一課長の気持ちを共有しなければならない。子どもは国の宝である。未来の日本を背負って立つ宝だ。親の虐待から健全な成長が妨げられて大人になったとき、子どもが何らかの心的疾患を抱えていたのでは健全な社会はつくられないと思う。
 われわれ一人一人が、親から虐待を受けている子どもを見つけたら、児童相談所や警察に届けるなりの温かい手を差し伸べてほしい。この問題は「疑わしきは罰せず」ではなく「疑わしきは子どもを親から引き離す」行動をとることだ。


追伸:5日午後7時のNHKニュースの一部を転載する。
 児童相談所は親族の家で暮らしていた心愛さんを自宅に戻すかを判断するため、勇一郎容疑者と面会しました。その際、勇一郎容疑者は心愛さんが書いたとする文書を示しました。
 「お父さんに叩かれたというのは嘘です。小学校の先生に聞かれて思わず言ってしまいました。お父さん、お母さん、妹、親族にたくさんの迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。ずっと前から早く4人で暮らしたいと思っていました。お父さんに早く会いたいです。児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください。会うと嫌な気分になるので、今日でやめてください。お願いします」と書かれていたということです。
 勇一郎容疑者は児童相談所の職員に文書を示したあと、「心愛をこのまま連れて帰る。これ以上、ひっかき回さないで欲しい。ひっかき回すようなことをする場合、児童相談所の職員個人を名誉毀損で訴えることも検討している」と述べたということです。
 このあと児童相談所は心愛さんにこの文書を自分の意思で書いたかどうかを確認しないまま、心愛さんを両親のもとに戻す決定をしたと説明しました。
 これについて柏児童相談所の二瓶一嗣所長は会見で、「文書は父親に書かされている可能性が高いと認識した。リスク要因として考えて検討を行ったが、総合的な判断で心愛さんを両親のもとに戻す判断をした。もう一度、児童相談所で一時保護するという選択肢もあったが、小学校で身体的な傷、あざが認められなかったこと、学校での適応がよかったこと、それをもって虐待の再発がないと考えた。そこまでの虐待のリスク要因はないのではないかという判断となった」と述べました。
 6日付朝日新聞によれば、児童相談所の職員が2018年3月19日、心愛さんが書いたとする「噓文書」について質した。彼女は小声で「言っていいのかな」と話した上で、父親から母親にメールで届いた文面を「見ながら書き写した」と打ち明けたという。
 職員が「書いてあったのは(心愛さんの)気持ちと違う感じ?)と尋ねると、「お父さんとお母さんに早く会いたい、一緒に暮らしたいと思っているのは本当のこと」と答えたという。
 心愛さんは父親から虐待を受け続けても、なお「一緒に暮らしたい」と言う。日頃、冷静になろうと心がけている私も心愛さんの心根に涙する。そして父親が娘の心を理解して反省しなければ、「厳罰にせよ」と裁判長に訴えたい気持ちでいっぱいだ。