沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古沿岸部への移設をめぐる県民投票で、安倍晋三首相はリーダーシップを発揮しなかった。言葉のみに終始し、具体的な行動は起こさず、政治家の道具(資質)である議論と説得を使わなかった。このため、沖縄県民(琉球民族)の安倍政権への不信感を増幅させている。
安倍首相は辺野古移設問題で、解決を他人任せにしている。また「対立概念」で国民に語ることなく、「最初から「二元論」に基づく空虚な言葉だけを発するのみだ。
沖縄の有権者の半数以上が投票所に足を運び、そのうちの72.15%が安倍政権の沖縄政策に「ノー」を突きつけた。首相は「県民投票の結果を真摯に受け止める」と言いながらも、宜野湾市の中心部にある普天間飛行場の危険性除去を主張し続け、辺野古工事を続行する姿勢を変えていない。
安倍首相の政治姿勢と能力を、トランプ大統領のノーベル平和賞推薦を引き合いに出して米有力紙「ワシントンポスト」はこのほど論評した。「(安倍首相の解決依存体質を)トランプ氏のエゴ(国際秩序に背を向け、国内では分断をあおり、外交で国民からの支持を挽回しようとする)にこびへつらい、日本の有権者の前では(言葉だけで)敬意を示す。その微妙な間合いで(難問を)切り抜けようとする」
厳しい言い方をすれば、米紙は安倍首相には政治能力がないと指摘しているのだ。首相はリスクを恐れずに勇気を出して行動することがなく、国民に持論を述べるだけで、反対者を「説得」することもない。歴史の変化と時の変化を説き、歴史をひも解いて「過去を遡り、未来を予測」することもない。そんな教養は持ち合わせていないということだろう。また、われわれがそれを求めること自体、高望みなのかもしれない。
橋本竜太郎元首相(故人)は、首相就任後の1995年秋に起こった海兵隊員による少女暴行事件に遭遇した。その事件に対する沖縄県民の怒りはすごかった。そして基地負担軽減や海兵隊の削減等を要求する声が頂点に達した。
橋下首相は沖縄県民の怒りの気持ちを正面から受けとめ、宜野湾市の中心部にある普天間飛行場返還に心血を注いだ。何度も沖縄入りして当時の大田昌秀県知事(故人)と直談判し、説得に説得を重ね、普天間返還後の米軍基地の存続の必要性を説いた。県知事との会談は都合17回、数十時間に及んだ。
江田憲司衆院議員は自身のホームページでこう語っている。「外務、防衛当局、殊に外務官僚は、いつも『事なかれ主義』で、まったく取り合おうとはしなかった。普天間基地のような戦略的に要衝の地を米軍が返すはずがない、そんなことを政権発足後初の首脳会談で提起するだけで同盟関係を損なう、という考えだった。あたかも、安全保障の何たるかも知らない総理という烙印を押され馬鹿にされますよ、と言わんばかりの対応だった」
橋本元首相は夜、公邸に帰ってからも関係書物や資料を読みふけり、専門家の意見を聞いた。当時のクリントン米大統領との会談で、この問題について話す決意をした。江田氏は「絶対返すはずがないと言われていた普天間基地全面返還合意を1996年4月に実現できたのは、すぐれて、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な態度、それを背景として、事務方の反対を押し切って『フテンマ』という言葉を(クリントン大統領)に出したことによる」と語っている。
橋本元首相はリスクを恐れずに勇気を出して行動した。道理と現実を重んじ、日米同盟を重視したクリントン大統領の性格と政策にも助けられた一面があるが、それでも橋本元首相が持ち出さなければ何も起こらなかった。
20世紀の英国の大宰相ウィンストン・チャーチルは1934年6月30に英誌「アンサーズ」に寄稿した文章でこう述べた。「今日安全第一という言葉をよく耳にする。道路を渡る際の一番大切な掟(おきて)だ。これは、危ない橋を渡ろうとしない政治家の政治活動には役に立つだろう。・・・しかし安全第一を死ぬまで心掛ける限り、本当に価値ある仕事はできないし、立派な業績も残せない」(「人間チャーチルからのメッセージ」33ページを引用)
チャーチルは1935年5月22日の下院で「アンサーズ」の寄稿文と同じことを話した。彼は同僚議員に、勇気を奮い立たせて失敗を恐れず、自らの信念で行動を起こすことが肝要だと述べた。大衆や有権者の声に耳を傾けるが、決して迎合せず、有権者に対して説得を重ね、その後、一部から反対されても決然と行動を起こす。その結果が悪ければ説明し、責任をとることを力説した。一番悪いのは他人任せにして、その結果を他人に押し付けることだ。
安倍首相は橋本元首相の勇気と行動について考えてほしい。チャーチルを尊敬し、昨年春に日本で公開されたチャーチルの映画を鑑賞したという安倍首相は英国宰相のこの言葉をかみしめてほしいものだ。自らの考えを国民に吐露して、反対する国民に長期的展望を示して説得し続け、その暁に反対があっても自らの信念に基づいて行動する。その結果が失敗すれば、批判を受け入れ、なぜ失敗したかを国民に説明する。持論だけをまくしたてて、国民に説明したというのでは話にならない。それで終わりというのでは政治家の資質が問われよう。
独裁国家の指導者なら持論を述べるだけして独断実行すれば良いだろうが、民主主義国家の政治家としては失格だ。民主主義国家の指導者になるには議論力、説得力など多くの資質が必要不可欠だ。それは万人が認める事実だと思う。
安倍首相は辺野古移設問題で、解決を他人任せにしている。また「対立概念」で国民に語ることなく、「最初から「二元論」に基づく空虚な言葉だけを発するのみだ。
沖縄の有権者の半数以上が投票所に足を運び、そのうちの72.15%が安倍政権の沖縄政策に「ノー」を突きつけた。首相は「県民投票の結果を真摯に受け止める」と言いながらも、宜野湾市の中心部にある普天間飛行場の危険性除去を主張し続け、辺野古工事を続行する姿勢を変えていない。
安倍首相の政治姿勢と能力を、トランプ大統領のノーベル平和賞推薦を引き合いに出して米有力紙「ワシントンポスト」はこのほど論評した。「(安倍首相の解決依存体質を)トランプ氏のエゴ(国際秩序に背を向け、国内では分断をあおり、外交で国民からの支持を挽回しようとする)にこびへつらい、日本の有権者の前では(言葉だけで)敬意を示す。その微妙な間合いで(難問を)切り抜けようとする」
厳しい言い方をすれば、米紙は安倍首相には政治能力がないと指摘しているのだ。首相はリスクを恐れずに勇気を出して行動することがなく、国民に持論を述べるだけで、反対者を「説得」することもない。歴史の変化と時の変化を説き、歴史をひも解いて「過去を遡り、未来を予測」することもない。そんな教養は持ち合わせていないということだろう。また、われわれがそれを求めること自体、高望みなのかもしれない。
橋本竜太郎元首相(故人)は、首相就任後の1995年秋に起こった海兵隊員による少女暴行事件に遭遇した。その事件に対する沖縄県民の怒りはすごかった。そして基地負担軽減や海兵隊の削減等を要求する声が頂点に達した。
橋下首相は沖縄県民の怒りの気持ちを正面から受けとめ、宜野湾市の中心部にある普天間飛行場返還に心血を注いだ。何度も沖縄入りして当時の大田昌秀県知事(故人)と直談判し、説得に説得を重ね、普天間返還後の米軍基地の存続の必要性を説いた。県知事との会談は都合17回、数十時間に及んだ。
江田憲司衆院議員は自身のホームページでこう語っている。「外務、防衛当局、殊に外務官僚は、いつも『事なかれ主義』で、まったく取り合おうとはしなかった。普天間基地のような戦略的に要衝の地を米軍が返すはずがない、そんなことを政権発足後初の首脳会談で提起するだけで同盟関係を損なう、という考えだった。あたかも、安全保障の何たるかも知らない総理という烙印を押され馬鹿にされますよ、と言わんばかりの対応だった」
橋本元首相は夜、公邸に帰ってからも関係書物や資料を読みふけり、専門家の意見を聞いた。当時のクリントン米大統領との会談で、この問題について話す決意をした。江田氏は「絶対返すはずがないと言われていた普天間基地全面返還合意を1996年4月に実現できたのは、すぐれて、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な態度、それを背景として、事務方の反対を押し切って『フテンマ』という言葉を(クリントン大統領)に出したことによる」と語っている。
橋本元首相はリスクを恐れずに勇気を出して行動した。道理と現実を重んじ、日米同盟を重視したクリントン大統領の性格と政策にも助けられた一面があるが、それでも橋本元首相が持ち出さなければ何も起こらなかった。
20世紀の英国の大宰相ウィンストン・チャーチルは1934年6月30に英誌「アンサーズ」に寄稿した文章でこう述べた。「今日安全第一という言葉をよく耳にする。道路を渡る際の一番大切な掟(おきて)だ。これは、危ない橋を渡ろうとしない政治家の政治活動には役に立つだろう。・・・しかし安全第一を死ぬまで心掛ける限り、本当に価値ある仕事はできないし、立派な業績も残せない」(「人間チャーチルからのメッセージ」33ページを引用)
チャーチルは1935年5月22日の下院で「アンサーズ」の寄稿文と同じことを話した。彼は同僚議員に、勇気を奮い立たせて失敗を恐れず、自らの信念で行動を起こすことが肝要だと述べた。大衆や有権者の声に耳を傾けるが、決して迎合せず、有権者に対して説得を重ね、その後、一部から反対されても決然と行動を起こす。その結果が悪ければ説明し、責任をとることを力説した。一番悪いのは他人任せにして、その結果を他人に押し付けることだ。
安倍首相は橋本元首相の勇気と行動について考えてほしい。チャーチルを尊敬し、昨年春に日本で公開されたチャーチルの映画を鑑賞したという安倍首相は英国宰相のこの言葉をかみしめてほしいものだ。自らの考えを国民に吐露して、反対する国民に長期的展望を示して説得し続け、その暁に反対があっても自らの信念に基づいて行動する。その結果が失敗すれば、批判を受け入れ、なぜ失敗したかを国民に説明する。持論だけをまくしたてて、国民に説明したというのでは話にならない。それで終わりというのでは政治家の資質が問われよう。
独裁国家の指導者なら持論を述べるだけして独断実行すれば良いだろうが、民主主義国家の政治家としては失格だ。民主主義国家の指導者になるには議論力、説得力など多くの資質が必要不可欠だ。それは万人が認める事実だと思う。