英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

安保法案反対デモに思う  理想と現実の乖離に悩む

2015年08月31日 11時26分09秒 | 日本の安全保障
 安全保障関連法案に反対する人々が30日、国会前に集まった。大学生、1960年安保の運動家、戦争体験者らの人の波は主催者発表で12万人となり、国会議事堂前や周辺を取り囲んだ。抗議のうねりは全国各地にも広がった。また幼児を持つお母さんも参加した。
 朝日新聞によれば、午後2時すぎ、国会議事堂の正門前。「戦争NO!」「9条壊すな」などと記された、赤や青、黄色のプラカードを手にした市民で、東西に延びる幅50メートル近い車道が埋め尽くされた。拡声機から流れる「戦争法案いますぐ廃案」のかけ声に合わせ、「ハイアン・ハイアン」と声をあげる
 1960年、1970年代の安保闘争を彷彿とさせる。1970年代の安保闘争では、左翼過激派が大学構内を封鎖し、警察当局と対峙。しばしば暴力の応酬だった。
 あれから約半世紀が経ち、再び国会が包囲された。多数の若者も参加しているという。彼らは政治意識に目覚めたのだろう。そして整然としたデモだったことも印象に残った。これまでの暴力デモとは違う。そのこと自体は歓迎すべきである。彼等こそ将来の日本を担い、日本の命運が握っているからだ。
 音楽家の坂本龍一さんや、都内の学生らがつくるSEALDsの中心メンバーで明治学院大学の奥田愛基さん(23)は「憲法を守った方がいいっておかしな主張ですか」と声を上げた。(朝日新聞)
 民主党の岡田克也代表、生活の党の小沢一郎代表、共産党の志位和夫委員長らも参加し、安保関連法案に反対した。
 野党党首の参加は安倍政権打倒の政治的な思惑が大きな比重を占めていると勘ぐるが、若者を含む12万人(主催者側発表)が抗議集会に参加した意義は大きい。
 デモ参加者の気持ちは痛いほど理解できる。平和が一番だ。そして憲法9条の精神が国際政治に定着し、どの国も話し合いでものごとを解決することを望む。筆者の願いだ。欲に彩られた人間がもうすこし賢くなってほしいと切望する。ある意味で地球上最悪の動物だからだ。しかし平和を切望し、憲法保持を叫んでも、現実は厳しい。冷徹である。
  米ロ英仏中は核兵器を保有し、互いに疑心暗鬼で手放すつもりはない。イスラム国がシリアの世界遺産を破壊して時計の針を巻き戻そうとしている。中国は時代遅れの「力の政策」を行使して南、東シナ海を自らの領土のように振る舞っている。南シナ海に軍用飛行場を着々と建設し、既成事実をつくり上げている。いつの時代もそうだが、現実と理想のかい離は気の遠くなるほど大きい。
 筆者は30日のデモに参加しなかった。デモ参加者の気持ちは痛いほどわかるが、「平和の確立」「戦争放棄」「非武装」を実現する前提には、相手がいるからだ。外交や軍事には相手が必ず存在する。個人の間でもそうだ。時として対立した関係だ。
 「自らが範を示せば、相手も従う」。若い20歳代前半まで、筆者はそう信じていた典型的な日本人だった。だが、どうも世界はそうではないらしい。いくつかの国の国民性を知れば知るほどそう思うようになった。国民性は民族の鏡であり、平均的な性格だ。良い悪いではなく、それが現実であり、そのことを考慮して行動すべきだろう。
 筆者は思う。デモ参加者が主張するように、今回の安保関連法案は憲法違反である。安倍首相は、中国の膨張を目の当たりにして焦っているのではないのか。
 安倍首相はこの法案を廃案にして、国民とともに将来を見すえた青写真を議論すべきである。複雑極まりない世界、特にアジアでは時代遅れの「力の政策」がまかり通っている。ましてや中国共産党は「鉄砲から政権が生まれる」ことを今だ信じ、民主主義の根幹である言論の自由や出版の自由、結社の自由、人権を蹂躙。中国大陸を支配し、「中華帝国」の再現を夢見ている。
 このような党が支配している中国に対し、「憲法9条を守るから、あなた方も軍備を自衛の範囲に縮小してほしい」「日本が率先して平和憲法を守れば、中国人も日本にならう」と考えるのは、いささか計算違いであり、見当外れだろう。
 米中とどう向き合うか、どの程度まで軍事費を増やすか。われわれ一人一人が知恵をしぼり、国民的な議論を展開する。それが民主主義であり、中国共産党が一番恐れる制度である。民主主義制度を通しての国民のコンセンサスほど強いものはない。いかなる独裁政治をも倒すエネルギーを秘めている。
 われわれが冷徹に自己の能力を検証して軍事力にかぎりがあることを認識し、外交力を一番にして東アジアの複雑な問題に対処しなければならない。それが現実政策である。「憲法9条実現」を理想として心に仕舞い、まずは現実を直視して、臆病なまでの慎重さで漸進すべきである。
 先日のブログに書き込んだネビル・チェンバレン首相の言葉を引用して終わりにしたい。チェンバレン首相は、ナチス・ドイツを率いたヒトラーの欧州侵略を阻止し、欧州の平和を維持するため宥和外交を展開。1939年9月30日に、ミュンヘン条約をヒトラー・ドイツと仏伊と結んだ。
 チェンバレンは、ヒトラーの意図が何なのかをまだ十分に理解していなかった。ロンドンに帰った後、ハリファクス外相にこう述べた。「We hope for the best. However, we prepare for the worst」
 「これから先、最高のシナリオを望もう。しかし最悪のために準備もしておこう」。日本政府と日本人が現在、中国共産党に対してとる姿勢かも知れない。たぶんそうだろう。否、そう確信する。正しい政策は両極端にあるのではなく、真ん中にあるのだから。

「日本は中国のひとつの省ほどの力しかない」  はたしてそうなのか?

2015年08月30日 12時35分52秒 | 日中関係
 ドイツメディアの「Der Freitag」がこのほど、「中国のアジアでの経済・軍事的な勃興はもはや抑えることができず、中国の周辺国は中国を押さえつけようと望んでいるが、日本やベトナムはもはや中国の1つの省ほどの力しかない」と伝えた。
 この記事を紹介した中国メディア「BWCHINESE」は「日本と中国の力の差は極めて大きい」と論じた。 英国の調査会社「YouGov」が米国人を対象に実施した調査を引用し、調査対象者の42%が「米国は中国と友好関係を保つべき」と回答、「日本と友好関係を保つべき」との回答が25%にとどまったことを紹介した。
 サーチナからこの記事を転電したが、この記事に少なからず疑問を抱く。国家の総合力は経済力や軍事力だけでは決まらない。確かに軍事力、経済力が国家の総合力に占める割合は大きいが、決定的な要因ではない。
 有名なスペインの作家、オルテガは「大衆は目の前で起こったことしか理解できず、大局を分析できず、愚かだ」と述べたと言う。筆者はその言葉に全面的な賛意を示さないが、その側面もあることを否定できない。特に大衆の民度が落ちて、衆愚民主主義になったときに顕著に現れる。 
 国家の総合力は、技術力、科学レベル、国民性、士気、道徳観、政治制度など多くの要素から成り立っている。
 1940年6月、フランスがナチス・ドイツに降伏した後、英国一国だけがヒトラー・ドイツと戦うことになった。世界中の人々は英国が数カ月以内に降伏し、ドイツがヨーロッパを支配すると信じていた。米国のフランクリン・ルーズベルト大統領さえ英国が持ちこたえられないと考えていた。
 しかし英国宰相のウィンストン・チャーチルはそうは考えていなかった。チャーチル以上に英国の勝利を信じたのは英国民だった。彼らは民主主義制度を守ろうと決意していた。「民主主義の死守か死か」。選択は二つに一つ。それしか考えていなかった。
 英国のナチスに対する勝利は英国民の決意だけでは実現しなかったが、民主主義の国民が一たび団結すれば、独裁国家を打ち破るエネルギーを持ち合わせていることを実証した。チャーチル首相でさえ、自国国民の団結と闘争心に驚いていたという。
 中国は共産党の一党独裁によって支配されている。共産党幹部は「人民の団結」を何にもまして恐れている。だからメディアを統制し、自らに不利な出来事を隠蔽する。
 中国・湖北省のショッピングモールでこのほど、母親がエスカレーターに巻き込まれて死亡する悲惨な事故が発生した。子どもを何とか事故から救い出し、自らはエスカレーターのチェーンに吸い込まれて死亡した。母親が昇り切ったところで一歩足を前に出したところ、鉄の板が抜け落ちて踏み板が無い状態だった。警察が事故調査にあたったところ、踏み板のボルトが緩んでいたことがわかったという。人命軽視の手抜き工事だったことは明らかになった。
 中国紙「中国日報網」は国内のエスカレーター事故の続発を憂い、この事故を報道したが、自国のエスカレーター事故の実態を報道できないでいる。中国を独裁下に置く共産党が実態を公表していないからだ。共産党は自らの支配に不都合な事実を公表しない。
 一方、日本でもエスカレーター事故が年々増え問題になっているが、政府は事故原因を究明し、法律を改正までして人命を重視している。何よりも、事故の実態を公開している。民主主義国家と独裁国家の際立った違いがそこにある。
  さらに2000年にも及ぶ「一君万民」から、中国人は時の権力者を信じない。そして役人の汚職がはびこり、人々は親戚の壁を越えれば、何をしてもかまわないという国民性がある。これも民主主義国家に暮らす人々との大きな違いであり、共産党下の中国人にとっての弱点である。
 毎日経済新聞は8月7日、中国には日本の「サンヨー」ブランド(サンヨーはパナソニックに吸収合併)とは無関係でありながら、「三洋」の名を冠したエスカレーター製造会社が多数存在すると報じた。日本の製造会社の名前を勝手に使い、売り上げだけに狂奔する中国人の姿がそこにある。商標権や特許を無視する中国人が多数いるのは今に始まったことではない。その違法行為を悪いとも思っていない。当然なことだと考えている。
 塀の内にいる親兄弟や親族一同とは協力し、塀の外にいる他人には何をしてもかまわない、という悪習が中国には世紀を超えて続いている。塀の内にある親族や親兄弟との絆が強いため、汚職がはびこる。塀の外の他人には有名ブランドの模造品をあたかも本物のようにして売る。
 中国のエスカレーター事故の続発も中国の国民性に起因している。湖北省のショッピングモールでの母親の死亡事故では、事故の30分前に、ショッピングモールの店員がエスカレーターの不具合に気づいていたが何もしなかったと伝えられている。公徳心がないのだ。公共精神がないのだ。日本の百貨店の店員なら上司に直ちに報告し、エスカレーターを止める措置をとっただろう。
 20世紀の著名な中国文学者の林語堂は中国人の公徳心のなさは長い間の歴史を分析すれば一目瞭然だと述べている。旧陸軍の植田謙吉大将も生前、「日本軍は弱い中国軍とばかり戦っていたから自分は強いと過信し、また増長もして、国家の総合力で圧倒的に勝る米国に敗北した」と述べている。
 植田陸軍大将は中国軍の士気が低かったことや、何よりも政府を信用していなかったことを問題にした。前線に立つことを誰一人として好まないのは当たり前だが、それでも日本軍には公徳心と公共の精神、国家への義務が中国軍よりかなり勝っていたと述べている。つまり犠牲の精神が日本軍将兵に存在したのだろう。
 新中国の最高指導者だった毛沢東は「鉄砲から政権が生まれる」と述べ、政治や社会の多様性を認める民主主義を軽蔑した。現在の中国共産党幹部がそう考えているのなら、大きな間違いだ。
 民主主義制度はひ弱な草のように見えるが、ひとたび、この制度の下で国民が鋼の団結を示すなら、独裁者や独裁国家を打ち破ることができる。共産党独裁下の中国がいかに強くなろうとも、民主主義制度下の人々を屈服させることはできない。これを歴史が証明している。チャーチル首相と英国民は第2次世界大戦で、民主主義の「鋼」のような強さを示した。「日本は中国のひとつの省ほどの力しかない」は明らかな誤りである。

 PR:チャーチルの人生観や生き方をエピソードを交えながら記した「人間チャーチルからのメッセージ」をご一読ください。アマゾンなどで販売しています。また左端に内容を記した案内があります。
 

アジアは社会・政治腐敗がまん延 未来の若者に期待 外国調査機関が報告

2015年08月19日 15時40分36秒 | 国際政治と世界の動き
 カンボジアやパキスタンの若者の大多数は腐敗が自国の発展を阻害していると述べる。
 8月12日は国際青年デーだった。この日、ドイツ・ベルリンに本部を置く、国際的な反腐敗運動機関「トランスペアレンシー・インターナショナル」が世界の若者に反腐敗運動に立ち上がるように訴えた。
 今年に入って、この機関が若いボランティアへ調査ノウハウを教える訓練をほどこした後、バングラデシュ、カンボジア、パキスタン、ベトナムに送り出し、腐敗に対するそれぞれの国の若者を取材した。
 アジア・アフリカ、ラテン・アメリカや欧州の一部地域では官民の腐敗は日常的で、ごく普通のことだ。日本人から見れば、目を覆いたくなる惨状である。
 腐敗は官僚への賄賂、学校や大学のトップへの賄賂や不法な献金など多種多様だ。「若者が住む世界の60%の社会に腐敗がまん延している。アジア・太平洋地域も例外ではない」
 カンボジアとパキスタンでは、それぞれ99%、80%の若者は腐敗が自国の経済・社会発展の阻害になっていると考えている。そして90%以上のバングラデシュとベトナムの若者が富よりも正直が大切だと答えている。しかし理想と現実のギャップはひじょうに大きい。いつの時代もこのギャップは同じだが、現実と理想のかい離はいかんともしがたい。
 アジアの若者は社会腐敗に反対しながらも、法を犯さなければ、人生を前に進めないと思っている。またそれが必要だとも考えている。「トランスペアレンシー・インターナショナル」はこう報告している。
 バングラデシュの半数の若者は仕事を得るためには、自らの良心を捨てなければならないと考えており、カンボジアの59%の若者は仕事を続けるために、自分の給料の10~20%の賄賂が必要だと認めている。ベトナムでは、41%の若者が家族や友人と絆を保持し、所得を得るためにうそをつく必要があると回答している。
 カンボジアの若者の69%は警察組織が最悪の汚職の温床だと述べ、彼らに助けを求めたり、相談したりする時、警察官が賄賂を要求すると回答している。警察の上層部も例外ではないという。バングラデシュとパキスタンの3分の1も同じ回答をしている。
 またパキスタンの若者の3分の2は政治家が反腐敗運動に真剣に取り組んでいないと述べ、政治家が賄賂など腐敗社会から恩恵を受けているとも話す。バングラデシュの若者も政治家を信用していない。
 アジア諸国の社会における深刻な腐敗状態にもかかわらず、80%以上の若者が反腐敗運動に取り組み、その運動を支援する用意があると話す。
 アジア諸国での汚職や賄賂などの社会腐敗は歴史的な産物であり、きょう始まったことではない。それぞれの国の歴史を通して蔓延している社会悪だ。文化遺産とでも言っても過言ではない。
 中国で起こった天津の化学物質を納めた倉庫の大爆発にしても、官僚と倉庫会社の癒着が取りざたされている。それは中国の歴史そのものである。2000年以上前、中国戦国時代の思想家、韓非が孔子の「賢帝政治」を批判し、法による統治を訴えたが、うまくいかなかった。名君が統治すれば、法は無用の長物というのが孔子の教えだ。中国にいまだ理想の名君は現れていない。これに対して、「権力は腐敗する。絶対権力は必ず腐敗する」と英国のアクトン卿が述べる。アクトン卿は人間の本質をつく。孔子は理想を説き、韓非とアクトン卿は現実を提示する。
 イングランド人がアジアを植民地化した時、一番驚いたのは「袖の下」の横行だった。アジアのこの悪習の中にあって、ただ日本だけが比較的腐敗の少ない国だった。それは武士の支配に負うところが大きい。1192年に源頼朝が武家政権を打ち立てるまでは、中国の律令制度を輸入した日本の貴族は腐敗していた。「袖の下」が横行していた。
 武士は実力と公平を重んじた。この社会気風の中から、腐敗が根絶されないまでも、少なくなっていった。今日、日本人の文化にこの気風が根付き、警察官僚や警察官が賄賂絡みの温情などをすれば、「ニュース」になり、世の中は大騒ぎになる。
 中国をはじめ、多くのアジアの国には賄賂が横行し、社会的な腐敗がまん延している。そこから社会・政治不安が引き起こる。腐敗が少ないというのは日本人の美徳であり、世界に誇ることができる。また、紛失した品物や現金が警察を通じて紛失先に戻ってくることが多いのも日本人の美徳から来ている。これも誇りたい。
 ただ、謙譲の精神が40年前に比べて、なくなりつつあるのは残念だ。駅構内で人と人がすれ違う場合、40年前では、互いに助け合っていた。肩と肩が触れ合えば、「すみません」と昔は声を掛け合っていたが、そんな光景は今日稀にしか見かけないが、世界に誇れる美徳を今後も日本人が持っていくことを切に願わずにはいられない。

敗戦(終戦)70周年と「バターン死の行進」 歴史の複雑性

2015年08月18日 13時10分24秒 | 歴史
 先日、出社したら、同僚から週刊新潮の連載「変幻自在」の切り抜き記事を渡された。「読め」という。そこには高山正之氏の「21万個のお握り」「恥ずかしいドイツ」があった。
 「21万個のお握り」では、日本軍が「バターン死の行進」中に米兵に「お握り」を与えた。決して「ジュネーブ協定」に違犯して、米兵を虐待したわけではないと書かれていた。「死の行進」は与太鼓を創作して世界に振りまいた、と述べている。
 「恥ずかしいドイツ人」では、ナチス・ドイツが恐ろしいほどの虐殺をユダヤ人や非占領国の国民にしてきたのに、「スズメの涙」しか補償せず、それを持って世界からドイツの姿勢が称賛されている。ドイツを「不遜」だと述べ、「ドイツは今こそ歴史を直視し、頭を下げるがいい。そして二度と日本に謂われない因縁をつけるではない」と強調する。
 高山氏はドイツが日本に比べて、世界から侵略国の「模範生」と見られいることに対し、そうではないと言いたいのだろう。
 高山氏は日本のジャーナリストで元産経新聞記者。昨年「アジアの解放、本当は日本軍のおかげだった! 」を出版した。筆者は本屋でこの本を立ち読みした。彼の主張は明快で、分かり易い。
「バターンの死の行進」とは何か。太平洋戦争開戦当初、日本軍がフィリピンに上陸し占領した。投降した米比軍の捕虜を捕虜収容所に移動させる途中、多数が熱射病や疲労で死亡したことを言う。移動距離の全長は140キロ。その約3分の2を鉄道とトラックで運び、残り約45kmを徒歩で移動させる計画だった。
 高山氏は溝口郁夫氏の「絵具と戦争」を引用し、「行軍途中、捕虜の士官に紅茶が閏間割(ふるまわ)れる写真や海水浴を楽しむ米兵の姿が記録されている」と記した。また高山氏は「彼らが餓え、病にかかったのは、降伏前に目の前の部下の窮乏や疲労に手当しなかったマッカーサー将軍のせいだ」と批判している。「マッカーサーの無策で医療や糧食が欠乏し、かなりへばっていた」とも書いている。高山氏は読者に日本軍が残虐非道な組織ではないと主張したかったのだろうと思う。
 これに対して、ことし、「バターン死の行進」保存団体は、安倍首相が訪米して米議会で演説する前、米議会上下両院議長あてに「飢餓状態の捕虜には水も食料も与えられなかった」「少しでも休めば殴られ、銃剣で刺された。射殺される者もいた」と抗議文書を提出した。
 人間は明確な主張ほど頭に入りやすく、それを何度も繰り返して主張されれば、そう思い込む。日本人右派には、すでに日本軍のイメージが頭に確固としてあるから、「死の行進」への定着した話に拒絶反応を示すのだろう。日本軍による「バターン死の行進」の非人道行為は右派にとっては受け入れられないのだろう。また左派にとっても、「死の行進」を日本軍の残虐性の一端だと信じ込んでいる。その上、米国人の中にも、事実を究明せず、憎悪に彩られた虚偽がまかり通っている。
 白黒を求めたがり、主義主張を抱いている人々には左右両派の主張は分かり易い。左派にしても右派にしても一面的な事実を全体の事実として捉え、それを読者に提示する。右派的な考えでもなく、左派的な思い込みをしていない「真っ白」な読者は“感染”しやすい。
 歴史や政治、外交はそう単純な代物ではない。歴史は複雑である。絶えず多くの人間が絡む領域であるため、複雑であり、時として灰色の景色を生む。「白黒」を求めるたがる人々には、「灰色」の分析記事は物足りないとの感情を抱く。
 「バターン死の行進」を日本軍が故意にしたとは筆者は思わない。対立矛盾した資料からそう結論を出した。ただ、結果として非人道的な扱いを米軍将兵にした。ジュネーブ協定に違反した事実は消えない。過失致死罪といえるだろう。殺人罪では決してない。良心に従った行動をしようと心掛けても、自分の思惑とはまったく違った結果になることがしばしば起こる。
 日本陸軍は精強な軍だった。「精強」というのは、前近代的な軍だ。太平洋戦争から35年前の日露戦争の将兵とそんなに変わっていなかった。歩兵主力の軍であり、日露戦争当時とあまり変わらない三八式歩兵銃をもち、何十キロもの背嚢を担いで何十キロも行軍する。日本軍将兵はそれを当たり前だと考えていた。日ソが戦った1939年のノモンハン事件の記録映画を見るとよくわかる。ソ連軍の戦車に日本軍歩兵が向かって行く姿は悲惨の一語に尽きる。
   ソ連軍同様、米軍は近代的な軍であった。移動手段はトラックだった。しかし、米軍の一部はトラックを破壊したため、日本軍はそれを利用できなかった。一方、トラックを破壊しなかった米軍部隊は、そのトラックで捕虜収容所まで運ばれた。
 米軍将兵は現在のわれわれのような者である。マイカーばかり乗っている人間に、炎天下、何十キロも歩けと言われれば、そのうちの何人かは脱水症状で亡くるのは目に見えている。その上、「マッカーサーの過誤」により、食料や水、医薬品が不足していた。マッカーサーは日本軍に勝つと信じていたから、退却に伴う周到な準備をしていなかった。
 マッカーサーの米軍はマニラを放棄し、バターン半島に撤退。半島のコレヒドール要塞やその周辺に立てこもった。抵抗を続けたが、コレヒドール要塞の将兵を除いて、米軍は1942年4月9日に降伏した。
 日本軍は計算間違いした。日本軍の捕虜後送計画が実態に基づいてつくられたものではなかった。捕虜の状態や人数が想定と大きく異なっていた。約7万6000人もの米軍将兵が捕虜になった。これは、日本側の2万5000人の捕虜数予想を大きく上回った。
 米軍捕虜は一日分の食料を持っていると考えた日本軍司令部は、マリベレスから経由地のバランガまで一日で行軍できると考えた。しかし米軍捕虜は戦闘により極度に疲労していたため、実際には最長で三日かかった。
 バランガからサンフェルナンドの鉄道駅まで約50キロを、日本軍は全捕虜をトラックで輸送し、サンフェルナンドーカパス間約50キロを鉄道で運び、残りの10数キロを歩いてカバスの捕虜収容所に到着するはずだった。しかし、予想を超える米軍将兵が投降した上、トラックの大部分が修理中だった。トラック200台しか使用できなかった。
 米軍から捕獲したトラックも、継戦中のコレヒドール要塞攻略のための物資輸送に充てねばならなかった。当時の日本製のトラックの信頼性は低く、現場では米国製トラックの方が重宝されていた。
 結局、マリベレスからバランガを経由してサンフェルナンドの区間88キロを、将軍も含めた捕虜の半数以上が徒歩で行進することになった。マラリアやテング熱にり患し体力がない多数の米兵はバタバタと倒れた。日本軍に追い立てられた米軍将兵の極度の疲労。食料も尽きていた。日本軍にも敵に十分な食料を与えるだけの余裕がなかった。こうして、逃げ回ったあげくに降伏した米軍捕虜は猛暑の比島を行軍させられたのである。サンフェルナンドからカバスまで鉄道輸送する前に悲劇が起こった。
 この捕虜輸送を命令したのは本間雅晴・陸軍中将だった。戦後、マッカーサー元帥に恨まれ、迅速な裁判で、マニラで処刑されたが、陸軍で最も人道を重んじる名将だった。
 マッカーサー将軍は、本間中将が4年前にフィリピンの米軍が立てこもるバターン半島への総攻撃を命じた日時、つまり1946年4月3日午前零時53分に処刑した。マッカーサーの復讐だと言われている。人間は感情の動物である。いかに冷静であろうとも、時として感情に走る。マッカーサー元帥も例外ではなかった。
 そのマッカーサーでさえ、本間中将を絞首刑でなく銃殺刑にした。米軍は大部分の日本の戦争犯罪人の処分と異なり、本間中将を絞首刑ではなく銃殺刑にし、軍人としての名誉を尊重した。
 マッカーサー元帥は「文武両道の名将だね。文というのは文治の面もなかなかの政治家だ。この名将と戦ったのは僕の名誉だし、欣快だ」だと述べている。本間中将は陸軍きっての英語通だった。
 本間中将はマニラ進駐にあたり、将校800名をマニラホテルの前に集め、1時間に渡り「焼くな。犯すな。奪うな」と訓示した。
 米英人を個人的に憎んでいた大本営参謀の辻政信は東京から「偽の大本営命令」を出し、米軍捕虜を虐殺しようとしたが、現地軍司令官が本間中将に確認。それが偽だと分かり、事なきを得ている。もし、この偽情報が実行されていたら、史実以上に多くの米国人が亡くなり日本の汚点となったであろう。偽情報により米軍将兵への虐殺は実施されなかったとはいえ、本間中将の意に反し、結果として予想を超える米国人将兵が亡くなった。
 本間中将は「死のバターン行進」を後で知り、十分な捕虜計画がなされなかったことを後悔した。バターン戦ののち、陸軍参謀本部からバターン攻略の不手際をとがめられ予備役編入となり、終戦まで第一線には復帰しなかった。
 中将は東京からマニラに連行され、部下の責任を負い処刑されたが、人道主義者であったことに変わりはない。辞世の句「「栄えゆく 御國の末疑わず こころゆたかに宿ゆるわれはも」などを残し、悠揚として刑場に向かった。 
 歴史は複雑である。とかく自らの歴史観を抱いている人々は、その歴史観に沿った史料を持ち出し、それをもって、異見を主張する人々を批判する。右派は「米兵に紅茶を振る舞い、お握りを与えた」。左派は米軍将兵の経験を引用し、少人数で監視にあたった日本兵の多くは捕虜が脱走する可能性を残すより、捕虜をその場で刺殺するか銃殺したと述べた。また「ある者は何の理由も無く殺され、ある者は監視兵が日本語で与える命令に従わなかったために殺され、さらにある者は、指輪やその他の貴重品を差し出すことを拒んだために殺された」という。
  すべては事実だと思う。取材し、実際に見た光景を述べている。しかし、それが史実全体を映し出しているのではない。対立した事実、対立概念から真実に迫らなければ、本当の史実に近づけないと思う。史実の全体像を見ることができない。
   筆者は「死の行進」を経験した米軍将兵の発言から、戦争は人の精神をむしばみ、非人間的な動物に変えると思う。そうは思っていても、問題はその個々の証言から「バターン死の行進」の全体像をいかに把握するかだ。相対立する個々の史料をいかに組み立て、事実に迫るかだろう。そこから全体像が見えてくる。
 元産経新聞の高山氏にしても、米国の「バターン死の行進」保存団体にしても、歴史の「つまみ食い」をしているように思う。それは読者受けするが、歴史の史実全体に迫ることができない。
 歴史の客観的な事実とは、人々がもっともつまらないと思えるところにあるのかもしれない。劇的ではないストーリーであり、1688ー89年の英国の名誉革命を指導したハリファクス侯爵が述べた「歴史の事実は両極端な主張の真ん中」にある。それは対立し、矛盾する事実が積み上げられた結果から生じる。それでも100%、事実が証明されるわけではない。

(訂正)米兵の移動距離に間違いがありました。お詫びします。訂正しました。

 PR:チャーチルの人生観や生き方をエピソードを交えながら記した「人間チャーチルからのメッセージ」をご一読ください。アマゾンなどで販売しています。また左端に内容を記した案内があります。

大気汚染で1日に4000人が死亡 中国の環境問題の現状

2015年08月16日 23時56分31秒 | 地球環境・人口問題
 天津市港湾部での12日深夜の危険化学物質貯蔵倉庫の爆発をめぐる中国政府の対応は、独裁政府の素顔をあからさまに表している。爆発直後の記者会見で、倉庫に何が貯蔵されていたのかを明らかにしなかった。隠しているとしか思えない。100歩譲って、上海当局が有害物質を特定していなかっとしても、あまりにもずさんだ。
 産経新聞によると、原因究明や事故責任の所在は不明確なまま。インターネット上では、爆発を起こした企業が中国共産党の元幹部や天津市当局と密接な関係にあったとの情報が流れた。当局が危険物の管理などを十分に監督しなかった恐れがある。
 大爆発から数日たって、中国紙は、爆薬の原料となる硝酸カリウムや、水に触れると可燃性ガスが発生する炭化カルシウムなど16種類の取り扱いがあったと報じている。
 いずれにしても中国政府や上海当局が全貌を明らかにしていないことだけは確かなようだ。中国政府のオブラートで包んだような対応は、米国のAP通信社がこのほど報じた大気汚染の深刻さと相通じるところがある。
  中国政府は大気汚染の撲滅に躍起になり、日頃から尖閣諸島や日中戦争での侵略問題で強く批判している日本に支援を要請する。背に腹は代えられないと言わんばかりの要請だ。
 AP通信社によると、中国の大気汚染をめぐって、カリフォルニア大学、バークレー校の医師グループが調査した。大気汚染で中国人4千人が毎日、亡くなっているという。人口が13億と世界最大の人口を抱えている国とはいえ、それでも6人に1人が大気汚染で早死にしていると報ずる。
 中国人約1600万人が毎年、大気汚染による心臓病、肺がん、脳溢血などの病気で亡くなっていることになる。医師グループは中国の統計などに基づいた初めての調査発表だという。ということはこの数字は「少なくとも」という言葉を付け加えたほうがより正確なのかもしれない。中国政府がすべてを明らかにしていないからだ。
 調査グループ長のロバート・ロード氏は「中国の総人口の38%が、米国の環境保護局が自国の基準で「不健康」と設定した場所に住んでいる」と述べ、「これはすごく大きな数字だ。中国で最悪の大気汚染は北京から南西の場所である」と警告した。またカリフォルニアのマデイラ地区が米国で最悪の大気汚染地区だが、「中国の東半分に住む99.9%の住民がマデイラ地区よりもひどいPM2.5(微小粒子状物質)の中で住んでいる」とも話す。ほとんどすべての中国人が米国における最悪の大気汚染場所マデイラよりも劣悪な場所で生きていることになる。
 中国の大気汚染は冬になると、中国人が暖房に石炭を使用するため、ますます悪化する。工場のばい煙と合わさってダブルパンチになる。中国は2022年、冬季五輪を開催する。皮肉をいえば、この世界で最悪の大気汚染の中で五輪が開催される。
 有効な手を打てない一因は、政治体制によるところが大きい。共産党の一党独裁支配体制が、報道の自由を抑圧し、事実の隠ぺいに動き、大気汚染の実態を明らかにしない。明らかにすれば、大衆の不満が募り、体制が揺らぐことを指導者は恐れている。また官僚と国営企業の共産党上層部も既得権益を守る。要するに、彼らは皆共産党員であり、特権階級。どれほど多くの党の人間が「甘い汁」を吸っているか分からない。
 彼らは皆、膨大な既得権益を保持し、賄賂と資金の横流しなどの汚職で、稼いだ金を海外に貯蓄している。そして息子や娘を留学させ、米国籍を取得させ、共産党がつぶれるときは、皆亡命しようと思い、その準備をしている。
 中国のサイトでは、汚染源は日本だと述べ、日本を非難しているという。東京電力の原子力発電所事故以降、日本は火力を大幅に増やしているのが原因だと述べている。これも中国共産党の事実隠しの確たる証拠だろう。独裁者が人民を恐れ、隠蔽された世界に住む国民は何も知らない。これが独裁国家の現状だ。独裁がファシズムだろうが共産主義だろうが、個人独裁だろうが、その内実は変わらない。
 これでは中国は大気汚染問題を永遠に解決できない。隣人の日本人にとり、大きな迷惑であり不幸の極みだが、ひとつだけ確かなことは、独裁主義国家が永続できないということだ。中国人と中国は永遠に続くが、共産党は必ず滅びるだろう。これは歴史の流れだと思う。安倍政権は中国の軍拡に備えると暗に言い、安保関連法案を成立させようとしているが、「案ずるより産むがやすし」とのことわざ通り、案外、そう遠くない時代に、中国共産党が瓦解するのかもしれない。