安全保障関連法案に反対する人々が30日、国会前に集まった。大学生、1960年安保の運動家、戦争体験者らの人の波は主催者発表で12万人となり、国会議事堂前や周辺を取り囲んだ。抗議のうねりは全国各地にも広がった。また幼児を持つお母さんも参加した。
朝日新聞によれば、午後2時すぎ、国会議事堂の正門前。「戦争NO!」「9条壊すな」などと記された、赤や青、黄色のプラカードを手にした市民で、東西に延びる幅50メートル近い車道が埋め尽くされた。拡声機から流れる「戦争法案いますぐ廃案」のかけ声に合わせ、「ハイアン・ハイアン」と声をあげる
1960年、1970年代の安保闘争を彷彿とさせる。1970年代の安保闘争では、左翼過激派が大学構内を封鎖し、警察当局と対峙。しばしば暴力の応酬だった。
あれから約半世紀が経ち、再び国会が包囲された。多数の若者も参加しているという。彼らは政治意識に目覚めたのだろう。そして整然としたデモだったことも印象に残った。これまでの暴力デモとは違う。そのこと自体は歓迎すべきである。彼等こそ将来の日本を担い、日本の命運が握っているからだ。
音楽家の坂本龍一さんや、都内の学生らがつくるSEALDsの中心メンバーで明治学院大学の奥田愛基さん(23)は「憲法を守った方がいいっておかしな主張ですか」と声を上げた。(朝日新聞)
民主党の岡田克也代表、生活の党の小沢一郎代表、共産党の志位和夫委員長らも参加し、安保関連法案に反対した。
野党党首の参加は安倍政権打倒の政治的な思惑が大きな比重を占めていると勘ぐるが、若者を含む12万人(主催者側発表)が抗議集会に参加した意義は大きい。
デモ参加者の気持ちは痛いほど理解できる。平和が一番だ。そして憲法9条の精神が国際政治に定着し、どの国も話し合いでものごとを解決することを望む。筆者の願いだ。欲に彩られた人間がもうすこし賢くなってほしいと切望する。ある意味で地球上最悪の動物だからだ。しかし平和を切望し、憲法保持を叫んでも、現実は厳しい。冷徹である。
米ロ英仏中は核兵器を保有し、互いに疑心暗鬼で手放すつもりはない。イスラム国がシリアの世界遺産を破壊して時計の針を巻き戻そうとしている。中国は時代遅れの「力の政策」を行使して南、東シナ海を自らの領土のように振る舞っている。南シナ海に軍用飛行場を着々と建設し、既成事実をつくり上げている。いつの時代もそうだが、現実と理想のかい離は気の遠くなるほど大きい。
筆者は30日のデモに参加しなかった。デモ参加者の気持ちは痛いほどわかるが、「平和の確立」「戦争放棄」「非武装」を実現する前提には、相手がいるからだ。外交や軍事には相手が必ず存在する。個人の間でもそうだ。時として対立した関係だ。
「自らが範を示せば、相手も従う」。若い20歳代前半まで、筆者はそう信じていた典型的な日本人だった。だが、どうも世界はそうではないらしい。いくつかの国の国民性を知れば知るほどそう思うようになった。国民性は民族の鏡であり、平均的な性格だ。良い悪いではなく、それが現実であり、そのことを考慮して行動すべきだろう。
筆者は思う。デモ参加者が主張するように、今回の安保関連法案は憲法違反である。安倍首相は、中国の膨張を目の当たりにして焦っているのではないのか。
安倍首相はこの法案を廃案にして、国民とともに将来を見すえた青写真を議論すべきである。複雑極まりない世界、特にアジアでは時代遅れの「力の政策」がまかり通っている。ましてや中国共産党は「鉄砲から政権が生まれる」ことを今だ信じ、民主主義の根幹である言論の自由や出版の自由、結社の自由、人権を蹂躙。中国大陸を支配し、「中華帝国」の再現を夢見ている。
このような党が支配している中国に対し、「憲法9条を守るから、あなた方も軍備を自衛の範囲に縮小してほしい」「日本が率先して平和憲法を守れば、中国人も日本にならう」と考えるのは、いささか計算違いであり、見当外れだろう。
米中とどう向き合うか、どの程度まで軍事費を増やすか。われわれ一人一人が知恵をしぼり、国民的な議論を展開する。それが民主主義であり、中国共産党が一番恐れる制度である。民主主義制度を通しての国民のコンセンサスほど強いものはない。いかなる独裁政治をも倒すエネルギーを秘めている。
われわれが冷徹に自己の能力を検証して軍事力にかぎりがあることを認識し、外交力を一番にして東アジアの複雑な問題に対処しなければならない。それが現実政策である。「憲法9条実現」を理想として心に仕舞い、まずは現実を直視して、臆病なまでの慎重さで漸進すべきである。
先日のブログに書き込んだネビル・チェンバレン首相の言葉を引用して終わりにしたい。チェンバレン首相は、ナチス・ドイツを率いたヒトラーの欧州侵略を阻止し、欧州の平和を維持するため宥和外交を展開。1939年9月30日に、ミュンヘン条約をヒトラー・ドイツと仏伊と結んだ。
チェンバレンは、ヒトラーの意図が何なのかをまだ十分に理解していなかった。ロンドンに帰った後、ハリファクス外相にこう述べた。「We hope for the best. However, we prepare for the worst」
「これから先、最高のシナリオを望もう。しかし最悪のために準備もしておこう」。日本政府と日本人が現在、中国共産党に対してとる姿勢かも知れない。たぶんそうだろう。否、そう確信する。正しい政策は両極端にあるのではなく、真ん中にあるのだから。
朝日新聞によれば、午後2時すぎ、国会議事堂の正門前。「戦争NO!」「9条壊すな」などと記された、赤や青、黄色のプラカードを手にした市民で、東西に延びる幅50メートル近い車道が埋め尽くされた。拡声機から流れる「戦争法案いますぐ廃案」のかけ声に合わせ、「ハイアン・ハイアン」と声をあげる
1960年、1970年代の安保闘争を彷彿とさせる。1970年代の安保闘争では、左翼過激派が大学構内を封鎖し、警察当局と対峙。しばしば暴力の応酬だった。
あれから約半世紀が経ち、再び国会が包囲された。多数の若者も参加しているという。彼らは政治意識に目覚めたのだろう。そして整然としたデモだったことも印象に残った。これまでの暴力デモとは違う。そのこと自体は歓迎すべきである。彼等こそ将来の日本を担い、日本の命運が握っているからだ。
音楽家の坂本龍一さんや、都内の学生らがつくるSEALDsの中心メンバーで明治学院大学の奥田愛基さん(23)は「憲法を守った方がいいっておかしな主張ですか」と声を上げた。(朝日新聞)
民主党の岡田克也代表、生活の党の小沢一郎代表、共産党の志位和夫委員長らも参加し、安保関連法案に反対した。
野党党首の参加は安倍政権打倒の政治的な思惑が大きな比重を占めていると勘ぐるが、若者を含む12万人(主催者側発表)が抗議集会に参加した意義は大きい。
デモ参加者の気持ちは痛いほど理解できる。平和が一番だ。そして憲法9条の精神が国際政治に定着し、どの国も話し合いでものごとを解決することを望む。筆者の願いだ。欲に彩られた人間がもうすこし賢くなってほしいと切望する。ある意味で地球上最悪の動物だからだ。しかし平和を切望し、憲法保持を叫んでも、現実は厳しい。冷徹である。
米ロ英仏中は核兵器を保有し、互いに疑心暗鬼で手放すつもりはない。イスラム国がシリアの世界遺産を破壊して時計の針を巻き戻そうとしている。中国は時代遅れの「力の政策」を行使して南、東シナ海を自らの領土のように振る舞っている。南シナ海に軍用飛行場を着々と建設し、既成事実をつくり上げている。いつの時代もそうだが、現実と理想のかい離は気の遠くなるほど大きい。
筆者は30日のデモに参加しなかった。デモ参加者の気持ちは痛いほどわかるが、「平和の確立」「戦争放棄」「非武装」を実現する前提には、相手がいるからだ。外交や軍事には相手が必ず存在する。個人の間でもそうだ。時として対立した関係だ。
「自らが範を示せば、相手も従う」。若い20歳代前半まで、筆者はそう信じていた典型的な日本人だった。だが、どうも世界はそうではないらしい。いくつかの国の国民性を知れば知るほどそう思うようになった。国民性は民族の鏡であり、平均的な性格だ。良い悪いではなく、それが現実であり、そのことを考慮して行動すべきだろう。
筆者は思う。デモ参加者が主張するように、今回の安保関連法案は憲法違反である。安倍首相は、中国の膨張を目の当たりにして焦っているのではないのか。
安倍首相はこの法案を廃案にして、国民とともに将来を見すえた青写真を議論すべきである。複雑極まりない世界、特にアジアでは時代遅れの「力の政策」がまかり通っている。ましてや中国共産党は「鉄砲から政権が生まれる」ことを今だ信じ、民主主義の根幹である言論の自由や出版の自由、結社の自由、人権を蹂躙。中国大陸を支配し、「中華帝国」の再現を夢見ている。
このような党が支配している中国に対し、「憲法9条を守るから、あなた方も軍備を自衛の範囲に縮小してほしい」「日本が率先して平和憲法を守れば、中国人も日本にならう」と考えるのは、いささか計算違いであり、見当外れだろう。
米中とどう向き合うか、どの程度まで軍事費を増やすか。われわれ一人一人が知恵をしぼり、国民的な議論を展開する。それが民主主義であり、中国共産党が一番恐れる制度である。民主主義制度を通しての国民のコンセンサスほど強いものはない。いかなる独裁政治をも倒すエネルギーを秘めている。
われわれが冷徹に自己の能力を検証して軍事力にかぎりがあることを認識し、外交力を一番にして東アジアの複雑な問題に対処しなければならない。それが現実政策である。「憲法9条実現」を理想として心に仕舞い、まずは現実を直視して、臆病なまでの慎重さで漸進すべきである。
先日のブログに書き込んだネビル・チェンバレン首相の言葉を引用して終わりにしたい。チェンバレン首相は、ナチス・ドイツを率いたヒトラーの欧州侵略を阻止し、欧州の平和を維持するため宥和外交を展開。1939年9月30日に、ミュンヘン条約をヒトラー・ドイツと仏伊と結んだ。
チェンバレンは、ヒトラーの意図が何なのかをまだ十分に理解していなかった。ロンドンに帰った後、ハリファクス外相にこう述べた。「We hope for the best. However, we prepare for the worst」
「これから先、最高のシナリオを望もう。しかし最悪のために準備もしておこう」。日本政府と日本人が現在、中国共産党に対してとる姿勢かも知れない。たぶんそうだろう。否、そう確信する。正しい政策は両極端にあるのではなく、真ん中にあるのだから。