英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

「中国人はうそつき」  80年前の米外交官の見解   攻撃用レーダー照射(1)

2013年02月10日 14時52分38秒 | 時事問題と歴史
 
 中国は春節を迎え、中国人は新しい年に思いをはせているだろう。首都、北京をはじめ、日本の国土全体の何倍もの大地が大気汚染に見舞われている。それにもかかわらず、「春節名物の爆竹や花火の音が激しさを増し、煙とにおいが北京を覆う。爆竹お構いなし」だ。(2月10日付朝日新聞朝刊)
 爆竹や花火の中にも問題になっている超微小有害物質「PM2.5」が含まれているという。北京市当局の自粛の呼びかけも大きな効果を上げていないようだ。
  日本人は、筆者の独断と偏見で言えば、長期戦略を立てるのは苦手でも、目の前に現れた現象に機敏に対応するのに長けている。そしてなんとか困難を克服する。何よりも、他人を思いやる民族。自分の迷惑は他人にも迷惑だと考える民族。他人に迷惑をかけるな、と小さい時から教えらえる。日本人を構成する主要な民族である大和民族、琉球民族、アイヌ民族の見方、考え方、行動パターンはほぼ同じだと思う。
 これに対して中国人とはいかなる民族なのか。中国は多民族国家。一民族にくくることはできない。その中で漢民族の人口が一番多い。4000年の長い中国史を通して、支配者にも被支配者にもなった中国の主。モンゴル民族や満州民族に征服されても、へこたれなかった民族の国民性はいかなるものなのか。
 中国艦船による海上自衛隊の護衛艦への攻撃用レーダー照射が5日にはじめて報道されてから、筆者は、広大な大陸にすむ「漢民族とはいかなる性格を持っているのか」を考えている。島国に住む日本人や英国人とは性格も、ものの見方も、行動パターンも異なるのは確かだ。
 第1次世界大戦に敗れたドイツ皇帝、ウィルヘルム2世が「大戦前に読んでいれば・・・」と慨嘆させた中国の兵法書「孫子」の中の一節「彼を知り、己を知らば、百戦殆(あや)うからず」が脳裏をかすめる。「孫子」は、紀元前6世紀の武将で軍事戦略家の孫武により書かれたと言われ、20世紀の英国の戦略家で陸軍将校のベイジル・リデルハートや、新中国建国の父で傑出した戦略家、毛沢東(政治家としては同僚を震え上がらせた独裁者)に大きな影響を与えたという。
 中国駆逐艦による海上自衛隊の護衛艦に対する攻撃用レーダー照射は日本人を驚かせ、言いようのない不安を与えた。筆者も同じだ。戦後、平和国家に生まれ変わった日本が初めて、短銃を突き付けられたと感じた一瞬だった。
 今こそ中国人を知らなければならないと思う。知らなければ、祖国は危い。筆者は60歳半ばの人間。40年若ければ、中国語を学び、中国人を研究しただろう。一人でも多くの日本の若者が中国語を勉強して、中国人を正しく理解してほしい。筆者が若い頃、日本人は共産主義国家「ソ連」や社会主義経済を支えたマルクスやエンゲルス、それにレーニンの著作「国家と革命」を必死に読んだ。その多くは、社会主義に共鳴した人々だった。これに対して、社会主義を研究した英国人の大多数は「反共」「反ボルシェビキ」主義者だった。
 現代の若者が我々の過ちを繰り返してほしくない。嫌いな国や人々ほど研究対象になる。そうしてこそ、相手を理解することに一歩も二歩も近づけるのだ。それは平和へつながる道だと、筆者は信じる。今日から4回にわたって、中国人とは何か、中国の世界観などを自分なりに書きたいと思う。


 「確かに、日本人と中国人は体つきはよく似ている。が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。・・・口で説明するは難しいが、現地に行けばよくわかる」
 今から80年前、米国の外交官、ラルフ・タウンゼント(1900-1975)が著書「Ways That Are Dark: The Truth About China」(日本語の題名は暗黒大陸 中国の真実、2004年に芙蓉書房出版から翻訳版)でこう述べている。今回の攻撃用レーダーをめぐる日中の激しい言い合いを見ていると、タウンゼントと同じ感慨を抱かざるを得ない。
 防衛省は2月5日、東シナ海の公海上で1月30日午前10時ごろ、中国海軍のフリゲート艦が、約3キロ先から海自護衛艦「ゆうだち」に射撃管制用レーダーを照射したと発表した。また同月19日午後5時ごろにも、同海軍のフリゲート艦が、数キロ先から海自護衛艦「おおなみ」搭載ヘリにレーダーを照射したと疑われている。
 射撃管制用レーダーはミサイルや火砲などを発射する際、目標の距離や針路、速力、高度などを正確に捕捉し自動追尾する。「ゆうだち」の乗組員が「攻撃予告」と捉えても不思議ではなかった。直ちに反撃しても、国際法上問題はないという。元米国務省日本部長のケビン・メア氏は6日、国会内で講演し、中国海軍の艦艇による海上自衛隊艦艇への火器管制レーダー照射について、「米軍であれば、(自らへの)攻撃と判断して反撃する」と述べた。
 一方、中国外務省の華春瑩報道官は6日午後の会見で「わたしも、報道を見て知った。くわしいことは把握していないので、主管部門に問い合わせてください」と述べた。しかし翌日の記者会見で、話のトーンは一変し、「日本が危機をあおり、緊張をつくりだし、中国のイメージをおとしめようとしている」と反論した。8日にはトーンはさらに激しくなり、「日本の説明は、全くのでっち上げだ」「今回の事態を通じ、日本は一体何をしたかったのか。今後は2度と、こうした小細工をしないよう望む」とまで言い切った。(8日付朝日新聞朝刊2面)
 攻撃用レーダー照射をめぐる日本外務省の声明以来沈黙を守っていた中国国防省は7日夕、駐中国日本大使館の防衛駐在武官を呼び、「日本側の発表は事実に合致しない」と述べ、射撃レーダー照射を否定した。また8日には、インターネットの同省ホームページで、日本側の説明は「事実と異なる」として全面否定、監視用レーダーを使ったと主張した。
 日本の通信社、共同通信社の配信記事を転電した産経新聞社によれば、中国国防省は日中間の緊張が高まっている根本的な原因は「日本の艦船と航空機が至近距離で中国側の艦船を追跡、監視していることにある」と指摘した上で「日本側は事実をねじ曲げて、誤った情報をメディアに公開し、中国脅威論を言い立てている」と批判した。
 7日付の中国共産党機関紙「人民日報」は、「環球時報」の社説を同紙の日本語版に掲載した。「環球時報」は「人民日報」の国際版。社説「中日の民間に響き渡る日本の戦闘警報」を掲げ、火器管制用レーダーをめぐる日本政府の対応を激しく非難した。
 「中国は『口下手』であり、筋が通っていようとなかろうと、騒がしさでは日本にかなわない。中国は中日摩擦についていかなる情報も自分から発表したことはない。中日間のほぼ全ての衝突の第一報は日本の口から発せられたものだ」「だがこれは日本が本当に『是非を論じ、道理をわきまえている』という意味ではない。もしそうであるなら、釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題が今日の局面にいたったはずがないし、互いに貿易大国である中日が初めはおかしな神社(靖国神社)のために、後には小さな無人島のために世界を揺るがす対立に陥ったわけがない」
 この記事をもう少し詳細に知るため、「環球時報」の英語版を開くとこう書いていた。
 「中国は事件を公表するとき、事件を利用して巧妙にそれを利用することはなかった。日中紛争をめぐる情報を出すとき、それを主導することもなかった。最初の日中紛争はいつも日本側だった。・・・・攻撃用レーダーは日本の一方的な議論だ。日本はしばしば機会をとらえては、この種の問題を誇張する。議論をめぐる日本の合法性は疑問だ。日本がうまく世論操作して世論を利用しようが、日本自身が魚釣島(尖閣列島)紛争を軍事衝突へと持っていこうとしている。日本の戦闘機が魚釣島の上空に現れ、中国民間機を追い払った。また、日本の航空識別圏に入ったとみなされた中国機に対して、日本は最初に追跡弾を使用することを示唆したのだ。東シナ海の相互の軍事信頼性を壊したのは日本ではないか」
 中国外務省と国防相の説明を受けた日本政府は再び反論、程永華中国大使を外務省に呼び、「レーダーの周波数などの電波特性や(日本の)護衛艦と相手の位置関係などを詳細に分析した」と説明、主張の正しさを強調した。日本の国防省は、安倍総理に報告するのを遅らせてまで、間違いがないように念には念を入れ、結論に達したと思われる。
 日本の主要各紙も中国海軍の行動を批判、自制を求めている。読売新聞は2月7日付社説で「中国軍は危険な挑発を慎め」「軍隊の国際常識の一線を越えた、極めて危険な挑発行為である。到底看過できない」と中国政府と軍部を批判した。
 岸田文雄外相が5日、海上自衛隊護衛艦への中国海軍艦艇の攻撃用レーダー照射問題を記者団に発表してから5日が経った。インターネットサイトには日本人の義憤が噴出している。
 「(中国は)世界に恥を晒している」「馬鹿さ加減では底知らずの中国だ」「世界中に犯罪撒き散らし世界の常識は通じないし、人のものは自分のものとごり押し、平気で嘘つき、都合の悪い事は相手に擦り付けるこの生命力恐れ入る、ゴキブリや溝鼠も一目置きそうな人種」
 中国のポータルサイト「新浪」などでも日本政府と日本人に対する批判が展開されているだろう。残念ながら、筆者は中国語を理解できない。
 多くの日本人が抱いている中国人への気持ちは義憤だ。筆者は理解する。ただ、筆者は若い頃少しばかり勉強した「共産国家のソ連(1991年に消滅)」の戦術・戦略から判断すれば、共産主義者(理論上、実際はすでにこの鎧を捨てている)はすべての力(武力、経済、報道、宣伝など)を共産党に凝縮させる。中国共産党は現在、日本と世界に対して「宣伝戦」を展開し、「心理戦」を展開している。日本人は今こそ冷静に、相手を観察しなければならないと思う。
 しかし共産主義者だから、今回の行動を取ったのだろうか。それだけならもつれた糸をほぐすのは少しばかり簡単になる。共産主義者の行動理論だけでなく、4000年培った中国人(漢民族)の性格や国民性も影響しているのだろうか。もしそうなら、糸はさらにもつれてほぐすのがいっそう困難になる。
  筆者は、5日夕から報じられている射撃用レーダー照射問題をめぐる一連の動きを新聞やテレビで追っていると、ふと旧日本軍の関東軍作戦参謀、石原莞爾中佐(最終階級は中将、1889-1949)を思い出した。読者の方々もご存じの満州侵略を立案した陸軍の鋭才軍人だ。今、生き返ったら、日中対立を見て、何と言うだろうか。
  石原参謀は、極東軍事裁判で処刑された板垣征四郎・高級参謀(当時大佐、最終階級は大将)らと、1931年9月18日に柳条湖事件を起こし、金谷範三・参謀総長の停戦命令を無視、現在の中国東北部に進撃し、満州国を建国した。
  なぜ関東軍の石原参謀と若手将校が満州事変を起こしたのか。思いつきで侵略を画策したのか。ローマ帝国の皇帝のように、他国の領土を分捕ろうとして最初から侵略計画を練っていたのか。答えを出すには、1920年代の中国大陸を取り巻く歴史をひも解かなければならない。そして現在にも役に立つ検証をする必要がある。
  攻撃用管制レーダー照射をめぐる筆者の話の最初に登場した米外交官の中国観を聞いてみよう。タウンゼントは石原将軍と同じ時代に生きた外交官。1931年に上海副領事として中国に渡り、2年間中国で生活した。1933年に外交官を辞職し、「Ways That Are Dark: The Truth About China」を執筆した。猛烈な中国人批判を展開した。その批判は中国人の本性や性格に対するものだった。
 当時のフランクリン・ルーズベルト政権は親中・反日政策を取っており、中国人を批判して日本人に同情的なタウンゼントを“日本のスパイ”だと疑った。1941年12月8日、日米が開戦し、太平洋戦争が始まると、スパイの疑いで1年間投獄された。タウンゼントはあくまで自らの視点から中国人の性格をえぐったが、米政府は日本のスパイと勘違いした。その外交官が著書で中国人観についてこう述べている。

 「米国にとって極東問題とは、義務遂行能力のある先進国が、その能力がまったくない国(中国)とどう付き合うかということである。・・・中国人は借りるときは『耳を揃えてお返しします』と借用証書を出す。・・・ところが返済期限になると何やかやと難癖をつける。加えて契約を反故にするような事態を起こす。昔からある中国の手である。広東・漢口間の鉄道事業でも、中国人の妨害が入り、米国のJ・P・モーガン社は手を引いた。英国の企業が引き継いだが、またも妨害が入った。中華民国とは世界の中心にある花の咲き乱れる国という意味だ。しかしバラに棘ある。・・・こちらが寛大なのを見越して、少しでも隙を見せると襲いかかるのである」
 
 
 またタウンゼントの典型的な中国評を紹介しよう。「『礼には礼で応える』という精神がまったくない。遭難者が近くまで泳いできても誰も助けようとしない国。人が怪我しても倒れても助けようとしない国」「(中国・国民党政府=当時、共産党は延安の片田舎にいた一集団につぎなかった。中国を代表していたのは蒋介石が率いる国民党=は)アメリカ資産を保護するどころか、過激排外学生(民族主義者の学生が祖国中国の将来を憂い、中国の外国資産を攻撃した)におもねり、略奪を奨励する政府である。略奪行為の多くを私はじかに知っているのであるが、加担した政府役人でも何のお咎めもなし。アメリカの建物に火をつけたり、堂々と商品を盗んでも逮捕するわけでもなんでもなく、奨励するかのように役人をかくまう」「千変万化の交渉術。政府でも民間でも油断すると命取りになる」「いくら断ってもやってくる。あの粘り強さにはかなわない。いくら負けても涼しい顔。強者を手玉に取る才能に長けている。同情を得る天才。これを承知で交渉にあたらなければならない。(中国人は)目的のために手段を選ばない。氷のように冷たい心でいながら、同情を誘うために涙を流し、悲しみに暮れる演技が実にうまい。上から下まで、自分のことしか考えず、何でも分捕ろうとする人間。敵の心を読み、弱点に付け込むことしかない」「条約を結んでも何も解決しない国と付き合っているのである。条約は相手が誰であっても大切に守らなければならない。しかし道徳観念や経済事情が異なる国が相手では条約は当てにならない。彼らは近隣と揉め事を起こす天才である。これを承知の上であくまで火中の栗を拾う役を引き受けるならば、大変である。何の感謝もされない。今までされたこともない骨折り損のくたびれもうけである。アジアの問題児は中国だ」

 タウンゼントが執筆した著書の内容はあまりにも過激に感じた著者は、約4年前に買ったこの本を書棚にほったらかしにしておいた。あまりにも主観的だと思ったからだ。買った当時、東シナ海の中間線で開発されていた石油採掘事業で、日中が対立していた。中国政府は、いかにも共同開発に合意すると見せかけては合意しない。その繰り返しに不思議な国だと思った。そして中国人を理解しようとタウンゼントの本を買った。東シナ海ガス田問題はその後、メディアに取り上げられない。現在はどうなっているのだろうか。中国政府は今も、将来も、一生懸命に油田を掘り起し、既成事実を作り上げていくだろう。日本人のつつましい抗議をものともせず、声高に叫ぶことをしない日本人を見透かしているかのようだ。 
 タウンゼント自身、序文で「内容がいかに過激であろうが、そのことについて謝罪するつもりは全くない」と述べている。1997年版の序文を書いた、友人のウィリアム・A・カートは「原書が発行されたのは1933年であるが、内容が当時に比べても、いや当時以上に重要だから」と述べ、「今日中国は世界の大国となり、将来も無視できぬ存在である。しかし中国はいつまで経っても中国であり、変わることは絶対にありえない」と力説している。つまり中国人の国民性や性格は変わらないと強調している。
 タウンゼントが中国人を嫌悪したのは、個人から国家レベルに至るまで平然とうそをつく体質であり、そのことを恬として恥じない傲慢さであったようだ。しかし中国人にとり孫子の「戦わずして勝つ」には「うそ」も戦略のうちなのだろう。漢民族はモンゴル族や満州族に敗れても、巧みにうそをつき、したたかな策略をめぐらして、最後には異民族の征服者を同化させた。異民族の牙を抜いて、異民族支配をふぬけの支配に変えた。
 80年前のタウンゼントの発言を裏書きするような出来事が2011年10月、中国であった。広東省佛山で、ひき逃げされた2歳の女児を、通行人が見て見ぬふりをした事件。女児がひかれて、10分後にようやく1人の女性が助けるまでにもう一度車にひかれた。女性は女児を安全な場所に移し、助けを呼びにいった。この防犯カメラの映像は、中国社会に衝撃をもたらした。タウンゼントの「人が怪我しても倒れても助けようとしない国」を裏付けている。80年前も現在も変わらないのか。
 筆者はこの事件を契機にして、書棚の奥から、忘れていたタウンゼントの本を引っ張り出した。やっとじっくり読破する気持ちになった。「待てよ。タウンゼントの中国人に対する描写は感情的、主観的ではないのか?」
 中国社会には人助けは「危険」だという風潮があるという。例えば、2006年12月に南京市で起きた彭宇事件だ。バス停で転んだおばあさんを助け起こし、病院まで連れて行ってあげた青年の彭宇さん。ところがおばあさんは彭宇さんが突き飛ばしたと主張。裁判の末、「優しく助けてあげたのはやましいところがあったから」と彭宇さんに約4万6000元(約55万円)を支払うよう命じる一審判決が下った。「人助けしたら賠償金」と中国世論は強く反発した。このような裁判事例が散見される。
 また、約1週間前、NHKが朝7時にニュースを流した。一人の中国人が春節を迎え、オートバイで帰る途中、高速道路で誤って108枚の札束を道路に落とし、折からの風で札束が空中に舞った。高速道路にもかかわらず、何台もの車が止まって、札を拾い、落とし主に返さず、トンずらした。落とし主が回収したお札7枚だけ。官憲が監視カメラを分析して、拾い主を特定し、ほんの少しだけ戻ってきたという。
 一年間働いた給料が宙に舞っているとき、落とし主は、「拾わないで」と絶叫した。彼が日本人なら「すみません。拾ってください」と叫ぶだろう。拾い主は、拾って返すだろう。昔に比べて公共道徳心がなくなってきた日本人でも、ここまではしない。
 このような光景を見たのは2度目。最初は英国だった。約40年前、英国に住んでいた頃、一人のコロンビア人と下宿先が同じだった。ある日、コロンビア人と歩道を歩いていると、彼が財布を拾った。中を開けると、かなりの数のポンド紙幣が出てきた。筆者は彼に言った。「警察に届けよう」。名前を忘れたが、そのコロンビア人は拒絶し、「拾ったものをなぜ返すのか。俺は悪いことをしていない」と居直った。南米の連中は陽気だが、公徳心がないと感じた。ラテンアメリカ人がすべて彼のような行動を取るとは思わない。ただ、そのような気質だと理解している。
 タウンゼントの見た光景は、筆者の見たコロンビア人だった。タウンゼントは「中国にはスラム街よりひどく鵜の目鷹の目の連中が多い」と述べている。ただし彼の記述は80年前の中国人社会の姿だ。筆者は当初そう感じた。現在このような光景を見ていると、現在にも当てはまる公算は高いと思わざるを得ない。成人した人間が自分の性格をなかなか変えることができないのと同様、民族の性格もなかなか変わらないということか?
  話が飛んで申し訳ないが再び、本筋の石原将軍の話に戻そう。関東軍の心理を研究するために、タウンゼントの見解が必要だった。筆者は石原陸軍中佐ら関東軍将校の満州侵略を決して擁護しない。明らかに侵略であり、中国の主権を踏みにじった。ただ歴史は複雑だ。日本は、日露戦争(1904-05)でロシアに勝利し、ポーツマス条約で得た中国の大連・旅順や南満州鉄道という既得権を守り抜きたかった。(歴史の変化を考察しない関東軍にも問題がある)
 満州に駐屯する関東軍は、中国人の日貨排斥や在留邦人への暴言や危害を加えることに対してどう思ったのか。条約により日本が得た既得権を、中国が返せと日本側に主張し、在留邦人にも暴行を加えることに我慢がならなかった。中国(清朝)政府も認めたポーツマス条約を無視して、暴力に訴えて、日本の既得権を放棄せよ、とは何事か。法手続きがあるだろう、と考えた。日本軍将校の目から見て、こう考えても不思議ではない。
 もちろん現在の国際社会の通念では通らない。ただ、歴史は当時の人々と現在の人々の価値観が違うことを主張する。なぜ?時が変化すれば、人々の価値観も変わる。当時の価値観念から判断すれば、ということだ。次回は満州事変が勃発するまでの10年間、つまり1920年代の経緯を詳述する。中国人に対する石原将軍ら関東軍将校の心理を解き明かすには不可欠であり、その心理を理解することで、彼らの失敗を生かすことができる。関東軍将校もわれわれと同じ日本人だ。80年たっても考え方や感じ方はほぼ同じだろう。関東軍将校の失敗は、将来われわれが犯す失敗でもある。ましてや相手は、彼らがかかわった同じ中国人だから。

(写真はラルフ・タウンゼント・米外交官 戦前の写真と思われる Public domain)ni