英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

ヒトラーと同じ容疑者の心理状態の解明を! 悲惨な「津久井やまゆり園」事件に思う

2016年07月27日 10時33分25秒 | 時事問題
  悲惨な事件が神奈川県相模原市で起きた。知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で26日未明、19人が首を切りつけられるなどして死亡、26人が重軽傷を負った。元職員植松聖容疑者が意図的に入所者だけを殺害した。職員には抵抗したとみられる者を除いて危害を加えなかった。
 植松容疑者が今年2月14日、「障害者を安楽死させられる法案を出せ」などと書かれた手紙を持って衆議院議長公邸を訪れ、座り込みのすえ無理やり手渡した。
 私は新聞でその文面を読んだ。その中で目を引いた言葉は「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります」「障害者は不幸を作ることしかできません」「今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます」「私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます」。植松容疑者は”正義”のために行動したと思い込み、何らの罪の意識を今も持っていないという。
 植松容疑者と同じ心理で、大量殺人に走った人物が少なくとももう一人いる。ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーと「彼のギャング一味」だ。少なくともユダヤ人500万人以上を現在のポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所やドイツのトレブリンカ強制収容所などで、何らの罪意識もなく殺害した。その虐殺行為を「最終解決策」と叫んだ。ユダヤ人を殺害することがドイツ国民の利益になり、世界のためになると信じた。
 ヒトラーとナチスはユダヤ人虐殺のほかに、植松容疑者と同様、知的障害者をドイツのために役に立たないと考え、迫害し、管理し、刑務所など閉鎖された空間に閉じ込めた。そのうちの大多数を人体実験で殺した。
 植松容疑者とヒトラーは、殺害した相手は違う。またヒトラーは権力の頂点にいた人物であり、植松容疑者は一介の市民だ。その差が殺害数に現れているが、心理は同じだ。
 植松容疑者は「知的障害者」は「不幸をつくる」と信じた。ヒトラーはユダヤ人が「人間のくず」だと信じ、知的障害者を「ドイツのお荷物」だと確信した。
 ではなぜ、この二人が邪悪でよこしまな、歪曲された精神に変わったのかが問題になる。
  第1次世界大戦前、ヒトラー青年はオーストリアの首都ウィーンで画家をめざし、貧乏な生活をしていた頃、金融業に従事する多くのユダヤ人の裕福な暮らしと、貧乏な債務者への容赦ない取り立てを目の当たりにして、ユダヤ人を「敵」とするようになったと言われている。
 筆者はこの説明に十分納得していない。複合的な理由があると思う。幼い時からの家庭環境や当時の世の中の状況、自らの経験に多分に影響されていると考える。植松容疑者についても言えることだ。
 警察当局は植松容疑者の殺害動機をこれから調べ、裁判で検察官が話す。ただ、それを理解しただけでは十分ではない。植松容疑者が殺害動機に至った心理状態を知る必要がある。なぜ?われわれは皆、自分が敵視する複合的な環境が整えば、植松容疑者と同じ心理状態に至るからだ。
 植松容疑者が知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に職員として働き始めて以降に育んだとみられる知的障害者への偏見の心理的推移を解明しなければならない。数年前まで、誰からも好かれ、明るい青年が、なぜ狂気な犯行に至ったのかを解明しなければならないと思う。心の奥底に眠っている偏見や差別を、われわれ皆が持っているのだから。何かの拍子に潜在的な偏見が目を覚ますこともある。精神心理学者が偏見の正体を、植松容疑者の心理状態を通して白日の下にさらしてほしいものだ。そうすれば、植松容疑者のような人物がこれから現れることが少なくなると思う。

 写真は植松容疑者

中国共産党は将来、必ず滅ぶ  南シナ海をめぐるハーグの仲裁裁判所の判決に思う       

2016年07月13日 14時55分27秒 | 中国と世界
 オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、中国の南シナ海での主権の主張を退け、南シナ海をほぼ囲い込む境界線「九段線」は「歴史的な権利を主張する法的根拠はない」などとする判決を示した。ハーグの仲裁裁判所に中国の不法を提訴したフィリピンは全面的に勝利した。
 一方、中国国営の新華社通信によれば、中国の王毅外相は、「仲裁案は、法律の衣をまとった政治的茶番劇だ」と非難、「判断は、地域の平和と安定に役に立たず、中国とフィリピン両国の共通利益にそぐわないものだ」と述べ、改めて判断を受け入れない姿勢を示しました。
 フィリピン外相は仲裁裁判所の判決を歓迎しているが、先月末に就任したドゥテルテ大統領は、「(仲裁手続きの結果が)フィリピンに有利な場合も、話し合おうではないか」と中国に呼び掛けるなど、アキノ前政権が回避してきた中国との2国間協議に前向きだ。経済支援や鉄道網整備と引き換えに、領有権問題を棚上げし、係争海域での中国との共同資源開発も容認する姿勢だ。
 アキノ前政権と違って、ドゥテルテ大統領は主権の問題で中国と取引しようとしている。中国はドゥテルテ大統領の商人的気質を利用して、比国政府に経済援助の甘い飴をしゃぶらせ、南シナ海をわがものにするだろう。ドゥテルテ大統領は国家の核心的な利益である領土をソロバンの材料にしようとする愚を犯すのかもしれない。
 日本のメディアはリベラルも保守系新聞もそろって、「南シナ海仲裁裁 中国は判決に従う義務がある」(読売新聞)、「南シナ海判決 中国は法秩序を守れ」(朝日新聞)と中国政府に勧告している。
 筆者は中国の習近平政権を観察していると、戦前の日本の歩みに似ているように強く感じる。欧米列強に独立を踏みにじられそうになった日本が必死で近代化していく19世紀後半。そして日露戦争に勝利し、世界の5大国として自己主張をはじめ、自らの国力を顧みることなく、アジアの主導権を握ろうとし、中国を侵略。中国を支援した米英と衝突し、奈落の地獄へ落ちていく悲惨な道だった。1945年8月15日、日本はすべてを失った。今日、中国は日本と同じ道をたどっているとしか思えない。中国政府と国民は、かつて日本から受けた悲惨な被害から日本を憎んでいる。ことあるごとに日本を批判する。時として不当極まる攻撃もする。筆者は中国共産党と幹部に忠告する。日本ばかりに目を向けて批判しているうちに、足元の土が崩れ始めているではないか。
 習近平政権が「日本の軍国主義を決して忘れない」「侵略を忘れない」と繰り返し述べ、日本を批判する前に、現在の自らの行動が戦前の日本の侵略行動と似ていることに気付くべきである。多分、気づいているにちがいない。中国は判決を無視する構えだが、主権を巡る主張の根拠が否定されたことになり、外交的に厳しい立場に立たされるのは必至だ。
 中国が判決前、南シナ海の実効支配を誇示しようと、大規模な軍事演習を実施したことも看過できない。南シナ海の権益確保に躍起になるのは、戦略原潜の拠点として利用するなど、軍事面で米国に対抗する意図があるのだろう。
 日本は戦前、中国東北部(旧満州)を侵略、当時の蒋介石国民党政府が従わないとみるや、中国本土(華北、華中、華南)へと侵略を繰り広げて行った。現在、中国はベトナム、フィリピンの領土を事実上侵略し、日本の尖閣諸島をも狙っている。
 想像力を膨らませれば、中国は、戦前の日本と同じように、ますます国際的な孤立を深めていくだろう。英宰相ウィンストンチャーチルはアイゼンハワー大統領の若きスピーチライター、ジェームズ・ヒュームズに「歴史を勉強しなさい。歴史から学ぶものがたくさんある」と言った。
 中国も日本に「歴史を学べ」と説く。中国の「歴史を学べ」は自国に都合のよい「学べ」だ。そのような「学べ」ではなく、中国がチャーチルの言葉「過去の過誤と成功に学び、それを現在と将来に生かせ」を肝に銘じるべきだ。そうでなければ中国共産党は将来、必ず滅びるだろう。中国は危機に直面するだろう。
 チャーチルは晩年、第2次世界大戦中に秘書として仕えてくれたジョン・コルビル卿に「わたしはソ連の崩壊を見ることなくこの世を去るだろう。しかし君はソ連の崩壊を見られるだろう」と話した。チャーチルは政治制度における歴史の中心的な流れは民主主義と自由だと喝破していた。旧ソ連のような全体共産主義国家、一党独裁制国家は必ず淘汰されると読んでいた。コルビル卿はベルリンの壁が崩壊する2年前に死去した。1991年ソ連は崩壊した。
 旧ソ連の崩壊を目の当たりにした鄧小平ら当時の指導部は、共産主義独裁制の維持を血眼になって探し出し、経済を資本主義にして政治の一党独裁を維持した。習近平ら彼の弟子はそれを引き継いでいる。しかし、どう考えても、自由主義経済と政治制度である共産党一党独裁は矛盾する。民主主義と自由の中でこそ資本主義経済は花開くのだ。
 中国社会は現在、矛盾だらけだ。共産党は言論を弾圧し、国内の少数民族を弾圧し、上意下達の硬直した政策を推し進めている。そこには自由な発想と言論のぶつかり合いがない。政府への批判もない。中国共産党と御用メディアは「国民の政府批判と政府の誠実な説得と反駁」が政府と国民を最後には一致団結させることを知らない。いかなる困苦にも耐え、国家が難局を切り抜ける唯一の政策だとは理解していない。それは彼らが投票ではなく「鉄砲」で政権を奪取したからにほかならない。
 ほころびは中国社会のあらゆる階層に出てきており、そのほころびはこれから大きくなるだけだろう。共産党独裁と、そこから富を蓄積してきた共産主義者には先見性も勇気もない。想像力もない。ただただ彼らにとり唯一の強力な拠り所であり味方は「武器」「懐柔」「脅し」という古典的な手法だけであり、彼らの頭脳は100年遅れている。中国共産主義者は最後まで「力」を信奉し、それに基づいて行動するだろう。しかし恐怖の核時代の中で、中国がしゃかりきに軍備を増強し、核弾道を増やしても、民主主義と国際協調という大きな歴史の流れがが大河となって中国共産党は飲み込むだろう。第1次、2次世界大戦の戦間期に、日本の政治指導者や軍部政府がこの歴史の流れに気づかず、依然として日清・日露戦争の国際環境だと勘違いして滅んだように、中国共産党も滅亡するだろう。

議論なき憲法改正を憂慮   参議院選での与党大勝に思う

2016年07月11日 11時15分43秒 | 日本の政治
 参院選は自公の与党が大勝し、非改選も含め、改憲に前向きな自民党(追加公認1人を含む)、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の3党と無所属、「加憲」を掲げる公明党の合計議席が、憲法改正発議に必要な3分の2(162)を確保した。
 安倍晋三首相は10日夜のTBSのニュース番組で、憲法改正について「この選挙で是非が問われたとは考えていない。今後、与野党関係なく憲法審査会でしっかり議論してほしい」と述べた。
 朝日新聞社が10日に全国で実施した参院選の出口調査で、今の憲法を変える必要があるかどうか尋ねたところ、「変える必要がある」は49%で、「変える必要はない」の44%よりやや多かった。一方、比例区で自民、公明、おおさか維新、日本のこころを大切にする党の「改憲4党」に投票をした人でも、「変える必要はない」が3割を超えていた。
 戦後、社会党(現在の社民党)が築いてきた憲法改正をめぐる厳しいハードルが崩れ去った。まさに戦後政治の分岐点を迎えた。時が変化したと思う。
 筆者は憲法を不磨の大典だとは思わないし、歴史が変化して国民の生命と財産が危機に瀕するとあれば、憲法を変えなければならないと確信する。もっと明確にいえば筆者は憲法9条の一部を改正し、中国の国防と領土拡大の脅威にたいして、抑止できる軍事力を準備し、自衛隊の位置を憲法に銘記すべきだと考える。しかし前提がある。それは国民の間に議論が沸き起こり、安倍首相がその議論を巻き起こす導火線となり、議論の輪に飛び込むことが不可欠だ。
 『首相は憲法改正について、選挙前は「自分の在任中には成し遂げたい」とまで語っていたのに、選挙が始まったとたん、積極的な発言を封印した。それでいて選挙が終われば、再び改憲へのアクセルをふかす――。首相は自らの悲願を、こんな不誠実な「後出し」で実現しようというのだろうか』。11日付朝日新聞は社説でこう述べている。
  筆者はこのブログでたびたび安倍首相を批判してきた。それは彼には勇気がない。リスクをとらない。批判を恐れる。リーダーシップがない。正直ではない。政治家の資質として不可欠なこれらの事柄が欠落しているからだ。
 安倍首相が今回、憲法改正への意欲を積極的に語らなかったのはなぜか。 「2010年に憲法改正案の発議をめざす」と公約しながら07年の参院選に惨敗。退陣したトラウマがあるからにほかならない。首相は、憲法改正を具体的に語れば語るほど、世論の反発が大きくなると思っているにちがいない。
 ここが偉大な政治家と平凡な政治家の違いである。一流の政治家と二流、三流の政治家の違いである。第2次世界大戦中、英国民を率いたウィンストン・チャーチルは1930年代、野党ばかりでなく自分が所属する保守党議員からも疎んじられ、煙たがられながらも一貫して独裁者アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツの軍事的、政治的脅威を説き続けた。「戦争屋」とメディアから叩かれても、自らの信念に従い、英国軍、とりわけ空軍の戦力強化を国民に訴え続けた。
 国民は1938年晩秋までチャーチルの声に耳を傾けなかった。しかし、ヒトラー・ドイツが自ら進んで結んだミュンヘン協定を破棄してチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離独立)のプラハに進駐したとき、自らの誤りに気づき、チャーチルを支持し始めたのである。
 これに対して安倍首相は「自らの本意」をアベノミクス経済政策で隠し、国民が関心をもつ経済政策や社会福祉政策、子育て支援に声を大にしてがなり立てている。
 また首相は、改憲案を最終的に承認するのは国民投票であることなどを指摘して「選挙で争点とすることは必ずしも必要ない」と説明した。
 朝日新聞は言う。「それは違う。改正の論点を選挙で問い、そのうえで選ばれた議員によって幅広い合意形成を図る熟議があり、最終的に国民投票で承認する。これがあるべきプロセスだ。国会が発議するまで国民の意見は聞かなくていいというのであれば、やはり憲法は誰のものであるのかという根本をはき違えている」
 要するに、一言で言えば、安倍首相と自民党は議会制民主主義の根幹を理解していない。「議論、議論、そして理解、理解」してこそ国民と政府が心を一つにすることができ、万一の困苦に立ち向かうことができるのだ。
 第2次世界大戦が始まって約10カ月後、ドイツのルフトワフェ(空軍)数千の爆撃機と戦闘機がロンドンを空襲、ロンドン市民を殺戮し、建物やビルを破壊した。チャーチル首相はこの「バトル・オブ・ブリテン(英国の戦い)」の最中、64回にわたりロンドン市街に足を運び、ロンドン市民を激励し、「苦労をかける」と詫びた。それに対して市民は異口同音に首相を逆に励ました。「首相、われわれは耐えます。共に戦いましょう。ヒトラーとドイツ軍に倍返しで打撃を与えましょう。子どもや孫のためにわれわれの制度(議会制民主主義制度)を死守しましょう。」。逆に国民から励まされたチャーチルの目はうるんでいたという。
 国民と首相の固いきずなは、チャーチルが1930年代に国民や与野党政治家の批判にひるむことのなく、自らの主張を訴え続けたからである。安倍首相と与党は国民からの反発を恐れ「改憲隠し」をし、姑息な手段で憲法を改正しようとしている。
 国民も国民だ。有権者も有権者だ。彼らには好奇心がない。今回参政権を認められた19歳の若者は「選挙に興味がない」と言って投票所に足を運ばなかった。
この参院選挙の結果で一気に進むほど、憲法改正は容易ではない。それでも、安倍首相は念願の憲法改正へ向かって進むだろう。改憲が現実味を帯びながら進められていくのは間違いない。
 政府、与野党議員、国民が真剣に憲法改正問題を議論しなければ、日本国民の団結が失われ、大きな禍根を残すだろう。世界から日本人は未成熟な民主主義国民だと言われるだろう。筆者は国民と政府、与野党が真剣に憲法改正についての議論を始めるまで、この問題、とりわけ9条改正に反対する。

日本人は過去を振り返らないため反省しない  イラク戦争参戦をめぐる英国・調査委の発表に思う   

2016年07月08日 11時08分13秒 | 時事問題
 英国の独立調査委員会(チルコット委員会)は6日、同国のイラク戦争参戦とその後の経緯についての調査結果を発表した。報告書は、当時のブレア政権(労働党)がイラクのサダム・フセイン大統領の脅威に過剰に反応し、準備不足の英軍部隊を戦地に送り出したと批判。戦後の計画は「まったく不十分だった」という見解を公表した。
 独立調査委員会のサー・ジョン・チルコット委員長の記者会見を受け、ブレア元首相は約2時間に及ぶ記者会見で「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた。戦後の状況は、予想をはるかに超えて敵対状況が激しく、流血にまみれて、長く続いた。(略)我々はイラクの人たちをサダムの悪政から解放したかったのだが、その国は代わりに宗派対立によるテロリズムに苦しむようになってしまった」と認めた。
 これに対して、朝日新聞は8日付社説で「国民の求めに応じて政府が設けた独立調査委が、政治家や官僚の抵抗に屈さず、過ちを暴いた努力は評価されるべきだ。・・・過去の政策を冷徹に評価し、過ちを繰り返さない努力を尽くす責任は、どの国家にもある。残念ながら、日本政府にはその自覚がうかがえない」と述べる。
 さらに社説は「そもそも安倍首相が昨年夏の国会答弁で、イラク戦争について、フセイン政権の責任を強調し、米英などの武力行使は国連安保理決議で正当化されていたとの認識を示している。戦争を主導した米英も過ちを認める開戦の根拠について、安倍首相はじめ日本政府はいまだに正当化し、自ら加担した責任も認めようとしていない」と自民党政府を批判する。
  イラク戦争参戦は日本人の国民性を映し出している。横並び意識だ。いったん事を始めたら、見向きもせずにひたすら走る国民性だ。周囲の変化には目もくれない。そして「なぜ」を問わない。行為の理由を話したがらない。意識して理由を考えない国民性なのかもしれない。
  イラク戦争が始まった時の日本の首相は小泉純一郎氏だ。小泉内閣は、イラク戦争の開戦後、直ちに米英にもろ手を挙げて支持表明した。「日米同盟ありきの判断だった」ように思える。そこには思考の「思」の字もなかった。日本人は自考し、自ら信じる道を進む国民ではないように思う。
 何でも他人を見て行動する。何か品物の売れ行きが良ければ、なりふり構わず、自らも店に行ってそれを買おうとする。流行に敏感で、流行に乗り遅れることを嫌がる国民でもある。ベストセラー本が出れば、読まなくても買う傾向が強いのが日本人だ。取り残されると感じるからだろう。
 朝日新聞の社説はイラク戦争への日本政府の関与と無反省を批判し、「(その)疑念がぬぐえないまま今年、安全保障法が施行された。自衛隊が米軍と一体化した軍事行動をとるシナリオはより現実味を帯びている」と憂慮する。また「『米国の戦争に巻き込まれることはない』。安倍首相の断言に説得力をもたせたいなら、日本にとってのイラク戦争を検証することから始めるべきだ」と主張する。
 日本人の国民性から考えれば、「イラク戦争を検証」することは未来永劫ないだろう。太平洋戦争(大東亜戦争)を、まだ真の意味で反省していないのだから。太平洋戦争は「アジア解放の戦争」だとか「侵略戦争」だとか、うわべだけの言葉を並べているうちは、日本人は決して反省をしていないのだ。日本人は反省という意味を理解していないと思うことさえある。「終戦」とのたまわっているうちは「反省」していないということだ。「敗北した」という出発点から「反省」が始まる。
 英国の独立調査委は7年間もの時間を費やして調査した。それは英国がイラク戦争に敗北したとは言えないまでも、勝利からほど遠い形で終結したからだ。イラク戦争後の中東はイラクやシリアの混乱とイスラム国(IS)のテロで無茶苦茶だ。そのことも反省材料なのだろう。筆者がよくこのブログで言う「当初考えた青写真通りに将来必ずしもことは運ばない。それどころか考えてもみなかった最悪の状況に至ることがよくある」ということだろう。
 英国人は過去を見つめ、過誤を現在と未来に生かすのに長けた国民だ。筆者が若い頃、7年間におよぶ滞英生活の中で交わった多くの英国人から感じたことだ。筆者はそのことを英国人から学んだ。過誤から学ばない民族や国民は将来、必ず再び同じ失敗をする。それは命に係わる致命的な失敗にもつながることを肝に銘じてもらいたい。

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