英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

歴史を見つめ、過誤を理解し、未来に生かす     レコード論文や故フィッシャー米下院議員の話から思うこと

2014年03月23日 21時58分06秒 | 歴史
筆者はこのところ再び国民性について考え込んでいる。ロシアのクリミア併合プロセスを新聞などで読むと、この国の国民はやはりツアー(ロシア皇帝)の末裔だと思う。プーチン大統領の支持率は高い。ロシアの国民は自尊心が強く、強い人間を好むのだろう。民主政治より専制賢帝政治に信頼を置いているのかもしれない。
 中国人官僚の汚職は増えることはあってもなくなることはないだろう。この国に法制度が確立されていない。このため官僚は絶対権力者に媚入り、国民から賄賂をもらっても平然としている。伝統、文化や習慣などを反映している歴史(履歴書)を読めば、ある程度まで国民性が分かると言うが、中露の歴史を垣間見ると、そのように理解せざるを得ない。
 中国は日本の右派政権を批判し、「第2次世界大戦に勝利した連合国が戦後つくり上げた国際秩序をひっくり返す試みを、われわれは決して許さない」と強調する。中国にとって南京虐殺事件も尖閣列島問題も同じ構図なのだろう。ただ、第2次世界大戦と大東亜戦争(太平洋戦争)から生み出された新秩序形成に中国共産党が直接かかわっていないのは事実であり、それを棚に上げてそのことを力説するのもおかしい。
 「おかしい」という見方は日本人的な見方なのかもしれない。われわれの文化や歴史から積み上げられてきた中でのわれわれ独自の見方だ。中国人にはせせら笑われるかもしれない。
 われわれはあまり合理的な、実用的な国民ではない。しかし中国人はある意味、これほどまでに現実的で実用的な国民はいないと思う。中国人は一つの対象物を、独自の、いささか歪曲した解釈をし、独善的な事実に仕立て上げる一方、冷厳な現実を冷徹に観察しながら、その中に独善的に解釈した事実をいかにも客観的な事実であるかのようにカモフラージュするのが実にうまい。そして宣伝はさらにうまい。自らに適した「時」の到来を待ちながら、当面は現実に合わせる。
 中国人は、太平洋戦争も南京虐殺も100%日本人を「悪」と見なし、自らの過誤が全くないと繰り返す。韓国人も中国人と同じ発言をするが、中国人と違い、感情的であり、主観的だ。中国人は「嘘」を自覚して戦術的な振る舞いを繰り返すが、韓国人は、自らの発言に酔っているようだ。100%正しいと思い込んでいるようだ。
 「慰安婦問題」を被害者意識だけからしか考えないのはその典型であり、日本による韓国の植民地問題を、なぜ日本の植民地になったのかという第三者の見方から考えることができない。
 歴史は現在の目だけから見ていては将来の糧になるものは何も生まれない。当時(過去)の人々と同じ目線に立った時にはじめて一つの事件や出来事が両者(敵と味方)の織りなす過誤と”正義”によりつくられるということが理解できる。
 数日前に、「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか」(ジェフリー・レコード著、渡辺惣樹訳)を読み終え、過去の目線で歴史を見つめる大切さをあらためて理解した。大東亜戦争(太平洋戦争)の引き金を引いたのは日本だという一方的な批判はあたらない、とレコード博士は述べている。米陸軍戦略研究所のリポートは日米の文化や、文化から生まれ出る精神的心理の違い、合理的な民族かそうでないかの違いなどから誤解が生じて日米の破局に至ったと結論付けている。筆者は日本が帝国主義的な野心を抱いてアジアを支配しようとしたことを否定していない。ただ、日本が、古今東西の人々の誰が判断しても100%敗れる戦い(太平洋戦争)をなぜ仕掛けたのかを詳細に話している。日本の指導者は戦争する前から「米国を負かすことはできない」と確信していた。
 渡辺氏は、日本の指導者にハルノートを突き付けたフランクリン・ルーズベルト大統領を生涯軽蔑したハミルトン・フィッシュ米国議会下院議員の話を綴っている。1991年に103歳で亡くなったフィッシュは「ハルノート」を突くつけられれば、どんな国の指導者も「これが最後通牒」だと理解する。宣戦布告に相当するハル・ノートを議会に知らせないとは何事か、とフィッシュは述べる。議会が宣戦布告する権限を持っているのに、ルーズベルトは独断で日本に宣戦布告に相当する「ハル・ノート」を日本の野村吉三郎駐米日本大使に手渡した。ハルノートは日本がインドシナ全域と中国から撤退することを要求した。当然、日本の傀儡国家「満州国」(中国東北部)も含まれる。日本が自国民の血であがなった日露戦争からの利権をすべてチャラにせよとルーズベルトは事実上要求した。
 フィッシュは「これは日本が米国と戦争するか、米国に隷属するかを選択せよ、と要求しているに等しい」と述べる。当時の日本の軍部指導者は当然そう思っただろう。しかしルーズベルトは議会での宣戦布告演説で「日本は米国と交渉中に、突然攻撃してきた」と「米国民に嘘を言った」(フィッシュ発言)。交渉中に「理不尽な要求をしたこと」を米国民に話さなかった。
 フィッシュはそのことを戦後知り、ルーズベルトを軽蔑したという。米国人の国民性は理性と非理性の間を行き来している。これもアメリカ建国以来のフロンティア精神と清教徒精神に培われた国民性から出てきているのかもしれない。
 われわれ日本人にとり、過去を反省するアメリカ人は信頼に足る民族であると思う。反省するとは過誤を見つけ出す精神である。それは決して、日本脳は連中がしばしば発言する「自虐史観」ではない。中韓の政府と国民に対して最も信頼がおけないことは、歴史を自己正当化に使い、政治に利用し、歴史から何の反省もしないことである。かれらにとって過誤はないのだ。
 19世紀の帝国主義時代、欧米列強はアジアを侵略し、日本は中国を侵略し、大韓帝国(韓国)を併合した。現在の価値観からすれば、欧米列強も日本も帝国主義で100%非道なことをしたということになる。しかしローマ時代と19世紀は違っていた。ローマが侵略したいと思えば、そうすることができた。19世紀の帝国主義国は他国を侵略・併合したいと思っても、侵略される側が重大な過失を犯さなければ(例えば、あるアジアの国に滞在している帝国主義国の国民を殺害するなど)、侵略できなかった。
 19世紀にアジアで独立を保持できたのはタイと日本だけだ。タイは名君のラーマ4世(欧州人は畏敬の念をこめてモンクット王と呼んだ)がいて、彼の巧みな外交術により、欧州帝国諸国、とりわけフランスからの支配を逃れた。モンクット王は、ベトナムや中国、ビルマなどの王や皇帝の排外的な行動を目の当たりにして「愚かだ。欧州の帝国主義者に支配の口実を与えている」と述べた。現在、支配されたアジアの国々の人々も「なぜ植民地なったのか」を考えてこそ、それが未来への教訓になる。中韓の人々にはこの発想がない。だからと言って、日本の侵略が反古にされるわけではない。
 米国は過去の過誤を見つめている。少なくとも米国のかなりの人々は過去を、歴史を見つめなおしている。戦前からの反共主義者であり、この点からも、社会主義者が入閣したルーズベルト政権を批判したフィッシュは、ベトナム戦争が終わった直後の1976年にこう述べた。「日本人はあの戦争(太平洋戦争)を最後まで勇敢に戦った。わが国と日本の間に二度と戦いがあってはならない。両国は偉大な素晴らしい国家として、自由を守り抜き、互いの独立を尊重し、未来に向かって歩んでいかねばならない。わが国は日本を防衛する。それがわが国のコミットメントである。そのことを世界は肝に銘じておかなければならない」。
 フィッシュは、ルーズベルト(彼は中国びいきで日本人に偏見を抱いていたという)が日本に対して「不当な」要求を突き付けていなければ、日米戦争は起こり得なかったし、中国共産党が中国を支配することもなかったと考えた。共産主義が世界の脅威になることもなかったと言いたかったのだ。そうであれば尖閣諸島問題もなかっただろう。日米両国が、大東亜戦争(太平洋戦争)の互いの過誤を理解し見つめあうことが必要だ、とあらためてレコード論文とフィッシュから学んだ。太平洋戦争前夜の日本指導部にももちろん過誤があった。そのことを今日は触れる時間がない。日本の右派が言うように「自存自衛の戦い」とだけでは何の過誤も見いだせないし、「太平洋戦争は軍国主義者の仕業」だと左派やリベラルが言っても、歴史から未来に生かせる教訓はなにも生まれないのである。自らにとって嫌なことでも、現実主義者として事実や過誤を見つめてこそ未来への前進が可能になる。個人の場合も、国家の場合いもこの点では同じだと思う。

 写真は故フィシュ米国議会下院議員=彼は孤立主義者であり、反共主義者だった。何よりもアメリカ独立宣言起草者の精神を固く信じた議会主義者であった。1941年12月8日、日本海軍の真珠湾攻撃後、ルーズベルトは議会に宣戦布告を要請した。その時に、大統領の要請に対して議会を代表して受諾演説をした。彼はハルノートの存在をその時には知らなかった。

日本人の国民性に何が欠けているか     多くの特質は称賛に値する

2014年03月08日 11時29分21秒 | 国民性
 最後に投稿して半月がたった。歳月の流れは速い。歳をとると心理的に強くそう感じる。新聞の書籍広告欄を垣間見ると、愚韓論、嫌韓論、反中国論、嫌中国論が所狭しと載っている。そのすべてを読んでいないが、どうも感情論が先行している書物が多い。その中で韓国人で日本国籍を取得した吾善花さんと石平さんが書いた「売国奴」「もう、この国は捨て置け!」は韓国人の国民性をできるだけ客観的に話している。この点は評価できる。ただ石平氏も吾善花さんも日本人でないため、日本人を美化しすぎるきらいがある。
 もちろん彼らの日本人の国民性の長所を述べている点の多くは妥当だ。筆者は日本人だからよく理解できる。両氏は日本の文化や自然の景観を愛している。16世紀から日本を訪れた西洋人もこの点を絶賛している。日本の文化や景観の素晴らしさは世界を見渡しても五本の指に入るだろう。
 「売国奴」を書いたもう一人の台湾人、黄文雄氏は中華世界では「嘘をつくのは当たり前」だという。これに対して日本人は「誠」があると記している。また日本人は「美」を意識するという。勝つにしても堂々と勝つ。勝にしてもみっともない勝ち方は嫌だ。負けるにしてもきれいに負ける。さらに日本人は、誰も見ていないからといって手抜きはしない。手抜きをする人間を「汚い」という。
これに対して韓国人は「人の見ている前では一生懸命やるが、見ていないところでは手抜きする」「韓国では詐欺が窃盗より断然多い」。中国人は他人をだましたことを自慢する」という。 日中韓の文化の違い、特に形式を重んじる「儒教精神」に支配されてきた中韓と、儒教を日本文化の中で作り直した日本人との違いだろう。もちろん我々には武士が600年間にわたって創り上げてきた精神やものの見方(武士道)がある。
 日本を訪問した中韓の国民は日本人の法を守り、秩序正しく、清潔な公共物に感心して帰国するという。それなのに彼らは「なぜ日本人はそうなのか」を発しないようだ。「なぜ」日本人は「嘘」をつかないのか。「なぜ」を考えない。この点では日本人も同じだ。日中韓の多くの人々は相手を感情的に批判するだけである。表面上何も言わなくても、心の中で敵意と嫌悪感を仕舞い込んでいる。
 国民性と同じように、一国家内の人間同士でもお互いの性格は違う。それでもうまく付き合っている多くの人々がいる。性格の違いを理解し、それを認め合って長い間親友関係を続けている仲間を知っている。
 ただ、日本人は「嘘」を絶対つかないかと言うとそうでもない。「嘘も方便」と言うことわざがある。自分の周囲の環境が「真実」を喋ることで気まずくなったり、自分の意思と違った思わぬ方向にいって人間関係がこじれたりすることのないような嘘を許容する。ただ、平均的な日本人は、利害を挟んだ「嘘」を「悪」と思い拒絶する。中国人や韓国人は「利害」、自分の利益のために「嘘」をつくのだろう。これは日本人の道徳観に反する。
 英国人もこの点では同じだ。インドで一旗揚げようと、危険な海を顧みず英国からインドに渡り、英国の東インド会社に就職して頭角を表わしたロバート・クライブは1757年6月23日、プラッシーの戦いでインドの藩王を破った。それ以降、東インド会社はインドの植民地化に乗り出し、100年かけてインド亜大陸を征服、英帝国政府にインドを引き渡した。また19世紀初めには東、東南アジアに進出してビルマ(現在のミャンマー)、シンガポール、中国に植民地を建設した。
 植民地建設過程で、英国人がアジアの人々をどうしても理解できなかったことがある。それは「賄賂」「嘘をつく」ことだった。ただ、「知略」「智謀」と「嘘」を区別している。「出し抜く」と「嘘」を区別している。特に「弱者」「小国」が「強者」「大国」を「智謀」「策略」で打ち負かしたときに称賛する。たとえ大英帝国が小国に「智謀」で敗れたとしても、その「敵」を賞賛するのだ。日本でいえば、黒田官兵衛が大国、毛利氏を打ち破ったことに対して、英国人はきっと賞賛するだろう。
 また英帝国を散々手こずらせて敗北の淵にまで追い込んだが、最後に敗れ去る相手(敵)を英国人は賞賛する。「敗者への賞賛」だと20世紀の英国の作家、アンソニー・グリンは述べている。ましてやハンディを負った相手が孤軍奮闘し、最後まであきらめずに戦う姿勢を賞賛する。毎年開かれるウィンブルドンテニスで、何かの原因で試合中にけがを負った選手が最後まで試合をあきらめず戦い抜く姿勢に対し、惜しみない拍手をする。
 第2次世界大戦中、英国人はナチスを容赦できない不倶戴天の敵と見なした。その中で一人の将軍を心から愛した。彼の名はロンメル元帥。またの名を「砂漠のキツネ」。英軍よりも兵力の上で劣性にもかかわらず、堂々と知略を使って英軍を翻弄した。そして白旗を掲げた将兵に対し、「騎士道精神」を発露して丁重に取り扱った。英国人はロンメル将軍の中に「欧州の最後の騎士を見た」のである。最後には独裁者ヒトラーの殺害計画に加担して、自殺を強いられたことも、英国人が「敗者への賞賛」者とロンメルを見たのかもしれない。
 英国人は独立心に富み、冒険付きで個人主義だ。でも組織を重んじ、協力精神に富んでいる。個人主義と組織主義(グループでの行動)とは相反する。水と油のように考えるが、この二つの矛盾した概念を橋渡しにしているのが「フェアー(公平)」「法制度」である。
 「フェアー」「法順守」のなかで個人主義と協力精神は結ばれた。英国の歴史家や文学者は、1066年にノルマン人(先祖はバイキン)であるウィリアム征服王が,イングランドを征服する前に同地に住んでいたアングローサクソン人の文化の継承者だと考えている。ブリテン島は新石器時代以来、ケルト人、ローマ人、サクソン人、デーン人、ノルマン人(バイキング)などの征服の地であり、色々な民族の血がブレンドされ、文化の融合の地でもあった。その中から、「勤勉」「勇気」「内気」「フェアーの精神」「法治の心」が育ってきた。
 英国人がアジアを植民地にしたとき、「法の順守」と「フェアーの精神」に基づいてアジアを支配しようとした(もちろん例外もある)。ある日、地元のアジア人が支配者の英国人に「これこれをしてくれないか」と求めた。英国人は「法律に照らせば、この件はあなたの望みどおりにはいかない」といって、地元民の要請を拒否した。すると地元民は「袖の下」を差し出した。「賄賂」だ。英国人はめんくらって、受け取るのを拒絶した。「賄賂」を受け取れば、ほかの植民地の被支配者に対して「フェアー」ではないと考えたからにほかならない。「賄賂」は英国植民地者が中国や東南アジアで見た最も強い印象だったと書いている。
 第2次世界大戦の勝利をもたらした英国の宰相、ウィンストン・チャーチルの母親はジャネット・ジェロームという。彼女は夫のランドルフと一緒に日本を1895年の日清戦争の頃に訪れた。その時の印象を息子のチャーチルに話している。「日本人は嘘をつかない。親切で清潔で礼儀正しい。何よりも約束は必ず守る」。母親は息子のウィンストンに日本人の国民性を絶賛したという。不幸にしてチャーチルは日本と第2次世界大戦で戦ったが、生涯日本人に親しみを感じていた。
  太平洋戦争が終わって8年後の1953年に日本の皇太子(現在の天皇)は昭和天皇の名代として英国のエリザベス女王の戴冠式に出席した。大多数の英国人は日本人に好意を抱いていなかった。シンガポールを陥落させた日本軍の英軍捕虜に対する虐待行為を憎んでいた。このように日英関係が冷え切っていた中で、二度目の首相職を務めていたチャーチルは自国の皇太子のように日本の明仁親王を世話をした。日本人に敵意を抱いている内閣の同僚に日本の皇太子を歓迎するように説いた。皇太子が首相官邸に表敬訪問をして帰るおり、チャーチルは90度まで腰を折り深々と礼をして見送った。その写真が毎日新聞のアーカイブズに所蔵されている。
 確かにチャーチルは英王室を尊崇していた。その延長線上で他国の王室や皇室に対しても丁重な対応をしていた。「最後の王権神授説の信奉者」と英国人から皮肉交じりに言われていた。それを加味しても、チャーチルは日本人の国民性の特質に尊敬と親しみを感じていたことは事実だった。
 第1次世界大戦で海軍大臣を務めていたおり、旧日本海軍が英国海軍に自らの犠牲を惜しまず日英同盟を履行(約束を履行)しようと懸命に働いていたことを忘れてはいなかった。彼は第2次世界大戦後、「英米憎し」と太平洋戦争に無謀にも突っ走った日本人の気持ちをもう少し理解すべきだったと述べて、日英の対立と戦争を悔やんでいた。現在の中国指導者のように、チャーチルは、ナチス・ドイツと日本の軍国主義指導者を同列に見てはいなかった。もちろん、民主主義と相いれない権威的な軍国主義を嫌悪し、日本軍部指導者の「大東亜共栄圏」は大英帝国の利益を損すると明確に考えていたことを断っておく。歴史はこの意味で矛盾と複雑さに彩られている。
 確かに日本人も英国人も「フェアー」を重んじ、「勇敢」「嘘をつかない」「約束は必ず守る」という共通点はある。ただ日本人に惜しまれるのは「現実的に物事を観察しない」ことだ。英国人はこの点で世界中で一番の国民だ。
 英国から移民した米国人は”父親”のイングランド人ほど現実主義者ではない。理念と現実主義の双方が顔をのぞかせているのは、彼らの清教徒(プルグリム派)の精神から出ているのかもしれない。日本人と英国人の国民性は「理念」と「プラグマティック」という点で180度違う。
 日本人は中韓を嫌っている。嫌いな気持ちを筆者は同じ日本人として理解できる。中韓の国民性に嫌悪感を抱いている。それも理解できる。その反動として日本人を自らを美化しすぎるきらいがあるのではなかろうか。
 井上和彦氏の著書「日本人が戦ってくれて感謝しています、アジアが賞賛するあの戦争」は好例だ。日本人を美化し、戦争の一面だけを書いているにすぎない。毛沢東が1964年7月、訪中した佐々木更三・社会党委員長に「日本は謝る必要はない。日本軍国主義のおかげで新中国が成立した」と述べたことを紹介し、この発言を日本のアジア解放の正当性の一つにしている。毛沢東は歴史の本質を述べたのであって、日本軍の侵略を正当化していない。井上氏の貴書は太平洋戦争を正当化するために、歴史を表面的にとらえているだけのように思える。
 日本人には保守派が少ない。武士はある意味では保守派だったが、明治から大正時代の初めにかけて武士が滅んで以降、保守派は少なくなった。理念に塗れて周囲の変化する環境を一瞥さえしない右派か左派、リベラルが大勢を占めている。筆者はこう述べてきた。保守派は現実的な人々。思想や哲学を持っているが、それと当時にプラグマティストだ。 
 日本人は緻密な仕事をする。手先が器用だ。そしてオリジナルなものを工夫して一層良いものに改良する才能に富んでいる。最近では、iPS細胞を発見した山中伸也教授のようなオリジナリティーを持った人々も輩出されている。また約束を守り、汚職も少ない。それは文化的な背景から長い歴史により培われてきた。残念なのは、最近、大阪の出版社から出した拙書で筆者が指摘しているように、現実的で観察眼に富んだプラグマティストが少ないことだ。一人でも多くの日本人がプラグマティストであってほしい。それが国民益であり、国益だと思う。