「クロネコヤマト」のヤマト運輸がきょうから「正午~午後2時」の配達時間をなくす。10月には個人向け配送料金を27年ぶりに値上げする。これで長時間労働を強いられたドライバーの労働負担がどれだけ軽減されるかはだれもわからない。でもヤマトの幹部が、違法労働時間が明るみに出たのを機に改革に着手したことを称賛する。
2016年度にヤマトが扱った荷物は約19億個で、10年前の6割増になった。ヤマト運輸はこの現実を軽視して顧客にばかり目を向け、従業員の命と健康を考えてこなかった。ただ、ここまでドライバーの労働負担が増えた責任の一端はわれわれにもある。われわれは便利になればなるほど、それが当然だと思うようになってきたからだ。
筆者が学生時代、足を棒にして神田の古本屋街を歩き回り、読みたい古本を捜したが、見つからなかった思い出がある。約50年前の話だ。現在、欲しい本があれば、アマゾンのサイトからすぐ見つけることができる。英国の地方にある古本屋やロンドンの出版社にアマゾンを通して注文を簡単にすることができる。しかし、何かを失った気がする。それは「苦労」という言葉だろう。また人間との接触がなくなった。めんどくさい人間関係があってこそ人間は成長すると思う。
「便利」になることは悪いことではないが、「便利」を手に入れることで、「何か」を失う。このことを認識しなければ、われわれの将来は暗い。
「便利」はほどほどが良い。先人の言葉「過ぎたるは及ばざるがごとし」をかみしめたい。
「共謀罪」法や「加計学園問題」、「森友学園問題」をめぐる政府、与党、官僚の言行を見ていると、「便利」に慣れ、めんどくさいことは省く精神を垣間見る。めんどくさい「議論」を省き、結論ありきでことを進める姿勢だ。
長谷部恭男・早稲田大学教授が「公が私によって占拠されている。濃密な人間関係で強く結ばれた集団が、官僚機構や一部マスコミも縄張りにおさめ、社会一般に対して説明責任を果たそうとしないで権力を行使する・・・・現政権は丁寧に説明する必要はない、反対するやつは切り捨てればいいと」(朝日新聞2017年6月19日朝刊)と語っている。
政敵と議論を深め、結論に持っていく努力は、政権にとりめんどくさい手続きだろう。意見が同じ仲間どうして仲良くやれば楽だ。18世紀後半に始まった産業革命以降、日々生活は便利になってきた。しかし「便利」がわれわれをますますダメにしているのだろうか
「クロネコヤマト」の改革は、われわれに「便利」にも限度があることを示唆している。従業員を犠牲にしての「便利」はわれわれに必要な「手間」「苦労」を奪うことである。それは我々に不利益をもたらす。
2016年度にヤマトが扱った荷物は約19億個で、10年前の6割増になった。ヤマト運輸はこの現実を軽視して顧客にばかり目を向け、従業員の命と健康を考えてこなかった。ただ、ここまでドライバーの労働負担が増えた責任の一端はわれわれにもある。われわれは便利になればなるほど、それが当然だと思うようになってきたからだ。
筆者が学生時代、足を棒にして神田の古本屋街を歩き回り、読みたい古本を捜したが、見つからなかった思い出がある。約50年前の話だ。現在、欲しい本があれば、アマゾンのサイトからすぐ見つけることができる。英国の地方にある古本屋やロンドンの出版社にアマゾンを通して注文を簡単にすることができる。しかし、何かを失った気がする。それは「苦労」という言葉だろう。また人間との接触がなくなった。めんどくさい人間関係があってこそ人間は成長すると思う。
「便利」になることは悪いことではないが、「便利」を手に入れることで、「何か」を失う。このことを認識しなければ、われわれの将来は暗い。
「便利」はほどほどが良い。先人の言葉「過ぎたるは及ばざるがごとし」をかみしめたい。
「共謀罪」法や「加計学園問題」、「森友学園問題」をめぐる政府、与党、官僚の言行を見ていると、「便利」に慣れ、めんどくさいことは省く精神を垣間見る。めんどくさい「議論」を省き、結論ありきでことを進める姿勢だ。
長谷部恭男・早稲田大学教授が「公が私によって占拠されている。濃密な人間関係で強く結ばれた集団が、官僚機構や一部マスコミも縄張りにおさめ、社会一般に対して説明責任を果たそうとしないで権力を行使する・・・・現政権は丁寧に説明する必要はない、反対するやつは切り捨てればいいと」(朝日新聞2017年6月19日朝刊)と語っている。
政敵と議論を深め、結論に持っていく努力は、政権にとりめんどくさい手続きだろう。意見が同じ仲間どうして仲良くやれば楽だ。18世紀後半に始まった産業革命以降、日々生活は便利になってきた。しかし「便利」がわれわれをますますダメにしているのだろうか
「クロネコヤマト」の改革は、われわれに「便利」にも限度があることを示唆している。従業員を犠牲にしての「便利」はわれわれに必要な「手間」「苦労」を奪うことである。それは我々に不利益をもたらす。