英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

アギーレ監督の考え方と日本人の国民性    「戦術自在 柔軟な指揮官」       

2014年11月20日 09時46分09秒 | スポーツ
 今朝の朝日新聞のスポーツ欄に「戦術自在 柔軟な指揮官」という題でアギーレ監督の話が出ていた。その話で気づいたことを話したい。
 日本代表はオーストラリアに2-1で勝った。試合の途中で、4-3-3の布陣から4-2-3-1に変えた。この布陣は前監督のザッケローニが好んだ布陣だという。
 朝日新聞によると、アギーレ監督は危機管理と臨機応変を選手に求めている。つまり状況の変化に対して柔軟に対応しなければならない、と選手に説いている。
 これに対して、前監督のザッケローニは「数十センチ単位での位置取り、体の向きまで最初から突き詰めたのがザッケローニ監督だった」「長谷部は『アギーレ監督からこれをするな、というのは言わない』。
 この朝日新聞の引用から理解できることは、「ザッケローニ監督と違い、アギーレ監督は現実主義者だ」。アギーレ監督は選手に、絶えず変化する局面を観察し自ら考えて局面にあった戦術で対応しなければならない、と言っている。
 朝日新聞はこうも述べている。「対戦相手、戦況、時間帯によって柔軟に対応するサッカーは容易ではない」。筆者もそう考える。独断と偏見で言えば、日本人の性格は、目標を定めて、その目標に向かって邁進する。それは将来決して動かないという前提に立つ。つまり変化しないという前提だ。日本人は、そのような目標に向かって努力し、それを達成する能力に長けた民族である。最初に定めた目的に向かって真一文字に進むぶれない人を、日本人は尊ぶ。心変わりする人間を日本人は信じない。周囲の環境が変化しても、当初の考えを貫く傾向が強い。(環境が変化しないのに自らぶれる人は論外であり、私の主張する人ではない)
 このような民族性や国民性を持った日本人がサッカーで世界の強豪の仲間入りをするのは至難の業だ。サッカーは創意工夫と独創性を必要とするスポーツだと思う。小学生から暗記ばかりさせられ、そして塾通いしている日本人が創意工夫と観察眼を養うことはたいへんな努力がいる。このような社会環境では、発想の転換はなかなかできない。
 アギーレ監督が就任して、日本代表の成績は3勝2敗1分け。FIFAは引き分けたベネズエラ戦を勝利扱いにしているが、それでも良い印象を持たれていないようだ。日本サッカー協会の中にもアギーレ監督の采配を疑問視している人々もいるという。
 朝日新聞のアギーレ監督の記事を読んで感じたことは、このメキシコ出身の監督は日本のサッカーに挑戦しているだけでなく、日本人の国民性にも挑戦しているように思えてならない。
 日本のサッカー選手がアギーレ監督の考え方を自分のものにするには、まず日本人の国民性から脱却しなければならないと思う。それには時間がかかる。ローマは一日にしてならずだ。
 アギーレ監督の采配に疑問を抱いている日本サッカー協会の人々に、日本人の国民性について考えてほしい。そうすればおのずとアギーレ監督の采配を理解できるだろう。アギーレ監督と日本代表選手のすばらしい挑戦を応援したい。

高倉健の突然の訃報         映画通でない初老の感想

2014年11月19日 18時39分31秒 | 時事問題
 生きていると、毎日いろいろな出来事が起こる。高倉健が亡くなった。83歳。死因は悪性リンパ腫。突然の訃報だった。
 世の中の人々が彼の死を知ったのは、亡くなって8日後。初七日まで伏せるようにとの彼の遺言だったかもしれない。
 この情報化社会に8日も伏せることができたのは、最後を看取った人々が高倉を信頼していた証だろう。健さんの人柄がこの事実から明らかになる。人は死して、本当の人柄や性格が理解されるという。
 高倉健の人柄を筆者はあまり知らなかった。亡くなってはじめて彼の人柄を知った。そして俳優の亡者原稿が新聞の一面トップに載るのはよほどのことがないかぎりないように思う。健さんの業績と生き様がそうさせたのだろう。
彼の座右の言葉「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」だ。それは彼の生き様を表している。この言葉は言うは易し、行うは難しだ。筆者には自信がない。
 高倉は生涯205本の映画に出演した。任俠(にんきょう)映画の「健さん」として一時代を築いた。私は1965年から始まる『網走番外地』シリーズなどの任侠映画はまったく見ていない。筆者が高校生の頃、あまり「義理人情」の映画を鑑賞しなかった。興味がなかったというのが本音だ。「切った張った」も好きではなかった。見てもいないのに、どうこう判断することの愚かさは理解しているが・・・。
 高倉が出演した映画では、寡黙で一本気な「日本の男」を演じた「鉄道員(ぽっぽや)」と、遺作になった「あなたへ」(2012年)しか見ていない。映画を批評するほどの映画通ではないが、「あなたへ」を鑑賞して、高倉健の人柄を感じた。
 新聞によると、「あなたへ」のロケ地では、地元の人々と交流。ロケが終わっても、交流した人々へ手紙を書く律義さ。
 元妻は江利チエミ。われわれ団塊の世代の人間は誰でも知っている歌手だった。離婚の原因はチエミさんの親族にまつわるトラブルからで、チエミさん側からの申し入れで離婚したという。チエミさんは1982年2月に心不全で45歳という若さで死去。健さんは元妻の命日の前後には必ず墓参りを欠かさなかった。映画「鉄道員」の中では、チエミさんの代表曲「テネシー・ワルツ」がテーマ曲として使われている。離婚後再婚しなかった健さんは生涯、チエミさんを唯一人の妻だと思っていたのだろう。映画の中でしかお目にかかれない理想的な人間が高倉健その人だと思う。もちろん本人が生きていれば、即座に否定するだろう。冥福を祈ります。合掌

錦織は日々高みに向かっている。  フェレール戦を観戦して    

2014年11月15日 10時57分26秒 | スポーツ
  ロンドンで開幕したATPツアー・ファイナルで、錦織圭が準決勝に進んだ。男子テニスの年間成績上位8人による今季最終戦。1次リーグB組で世界ランキング6位のアンディ・マリー(英国)と対戦し、6-4、6-4で勝利したが、ロジャー・フェデラー(スイス)に3-6、2-6で完敗。彼にとりB組最後の試合で、ダビド・フェレール(スペイン)に4―6、6―4、6―1で逆転勝ちした。世界ランキング2位のフェデラーに敗れた。現実を見れば納得する。
 わたしは、太もも負傷のため直前に棄権を発表したミロシュ・ラオニッチ(カナダ)に代わって出場したフェレールとの戦いを第2セットまでテレビ観戦した。
 筆者は中学生時代、当時人気がなかったテニスクラブに1年間在籍した経験がある。「経験がある」と発言することがはばかられるかもしれない。ただ、ルールは覚えた。そして現在も理解している。
 テレビニュースのスポーツ番組で何度か見たが、錦織の試合を生中継で見るのは初めて。恥ずかしいが、あえていえば、これほどの選手が日本にいたのかと強く感じた。サーブの正確さは抜群。最初のサーブで決めてしまうのを見て、日本にもこんな選手がいたのかと感じた。長いラリーに根負けしなかった。すばらしいラリーだった。フェレールのレシーブがベースラインを割るのをしばしば見た。球に力強さがある証拠だ。
 フルセットにもつれ込み、逆転勝利。フルセットにもつれた試合の勝率は、ことしは9割以上。驚異的な記録だ。
 フェレールは小柄ながらも粘り強いストロークが持ち味だという。これをはねのけ勝利した。第2セットは攻撃的だった。各紙によれば、「ミスを恐れず打ち抜けた」という。フォアの決定打はフェレールの4倍近い19本。バックハンドの決定打も6倍の12本と圧倒した。
 第1セットを取られ、即座に2セットの攻撃方法を変えたのには驚いた。実力がなければできない。素人の筆者でもトスの位置を修正したと分かった。このため第1サーブの成功率が上がっていた。回り込むフォアの強打も目立っていた。
 明朝、仕事があったので後ろ髪を引かれながら最終セットは見なかった。目が覚めて朝のテレビニュースを見た。最終セットは6-1の完勝。見ていたら圧巻だっただろう。
 試合中、解説者の松岡修造氏は サーブの正確さを絶賛していた。また「いい時のサーブに戻り、本来のプレーができていた。本当に強かった」と新聞で褒めている。松岡氏は「今季はフェレールに3連勝していることもあり、相手は雪辱に燃えていた。しかし圭はそれをはね返し、最後はフェレールが(ラケットを折って)かないませんという態度を示した」と話し、心技体すべてで上回った勝利と分析した。
 フェレールも「今季の圭はサーブと体力が向上した。一枚上だった」と話し、宿敵をほめたたえている。
 世界の実力者だけが立てる大会に初出場し、初出場選手は誰でも苦戦する中で2勝1敗。錦織は記者に「誰にとってもタフな大きな舞台で大変だと思う。たまたま自分はいいテニスができて自信がついてきている。(フルセットの勝負強さは)自分でもわからないが、大切なのは精神力。体力的にも成長した」と話した。
 「自信がついてきている」の言葉からわれわれが推察できることは、歴史が変化している。時が変化しているということだろう。「昨日の真実は今日の真実ではない」と筆者は言ったが、この言葉は錦織に当てはまる。現実主義に照らせば、彼は日々変化している。この意味で彼への評価や姿勢を変える必要がある。
 フェレール戦を観戦するかぎり、錦織は変化している。変化の途上だ。今晩、世界の覇者(ランキング1位)、ジョコビッチと対戦する。テニスはほかのスポーツに比べて、運が極めて少ない競技だという。実力が直接反映されるスポーツだと聞く。今晩の準決勝では、順当ならジョコビッチが錦織に勝つだろう。ただ、錦織は日々進化している。日々向上している昇り竜だと強く感じた。
ジョコビッチに勝つチャンスはある。たとえ勝ったとしてもそのことに歓喜する必要はない。錦織が世界の覇者になる一里塚と思えばよいと思う。負けてもそのことに落胆する必要はない。錦織は日々向上している。進撃をつづけているのだ。そのことを確認すれば十分だ。
 フェレール戦で強く感じたことは、彼の時代がいつか来るかもしれないということだ。その確率は高いと思った。今晩は錦織―ジョコビッチ戦を、錦織の世界ランキング1位への過程のひとつの戦いとして観戦したい。

錦織の出現で世界が日本のテニスを認めたのか?          ATPツアー・ファイナル初戦勝利

2014年11月10日 22時57分11秒 | スポーツ
  男子テニスの年間成績上位8人による今季最終戦、ATPツアー・ファイナルは9日、ロンドンで開幕した。錦織圭が、1次リーグB組で世界ランキング6位のアンディ・マリー(英国)と対戦し、6-4、6-4で破った。シングルスでアジアから初出場となった世界ランキング5位の錦織は四度目でマリーに初めて勝った。まさに破竹の進撃だ。
 英紙「インディペンデント」はスコットランド人のマリーにとり「猛烈なショックと落胆」だったと伝えている。そしてマリーは錦織に敗れたことを「恥ずべきではない」とも述べ、その理由を「錦織は全米テニスのファイナリスト(決勝進出者)であり、ランクもマリーより一つ上の5位だ」と紹介している。
 共同通信社によれば、マリーはストローク戦で精彩を欠き、得意のカウンター攻撃も不発だった。過去3戦全勝だった錦織に初黒星を喫したマリーは「技術やショットは大きく変わっていないが、プレーに自信があふれている。以前より攻撃的なテニスになった」と成長を認めた。
 錦織は「最初は硬かったけど、ゲームが進むにつれてフィーリングが良くなり、自信が増してきた。第2セットはほぼ完璧だった。準決勝、決勝に行くことがゴール。相手が堅実な選手なのでいつもより攻撃的にいった」と試合後に話した。
 力や肉体的な劣勢をショットの冴え、直観力、不屈の闘志で補い(インディペンデント)、初戦を勝利した。
 30-40年前はデビスカップで外国に勝てば大騒ぎした。日本選手は非力だった。テニスはどこか野球と比べてひ弱な奴がするスポーツだと思われていた。ラケットも現在に比べればたいへん重かった。すべてが変わった。
 そこへ錦織が現れ、テニス人口も増えるのではないだろうか。世界ランキング一位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)、2位のロジャー・フェデラー(スイス)に、錦織が勝ってこの大会を制するかどうかは分からない。希望的観測は控えたいが、まずはないというのが妥当な考えだ。だが、その可能性が少しでもあるかぎり頑張ってほしい。敗れて当然。勝てば世界が大騒ぎするだろう。

異文化、異政治制度から生まれる日中の国民性             中国漁船のサンゴ採取違反などに思う         

2014年11月08日 22時45分58秒 | 国民性
  台風20号が日本を去り、再び中国のサンゴ漁船が小笠原諸島周辺に戻っている。海上保安庁によれば、7日時点で小笠原諸島周辺に191隻を確認した。
  台風の襲来を知らせる日本側の措置は法治国家として当然だったが、それを逆手にとった中国漁船のしたたかさには恐れ入る。中国が法治の国でない明らかな証明である。ただ、そんなことを言ったところで何の効果もないのは事実だ。
 海上保安庁は中国の漁船団の対応に苦慮しているという。一方、岸田外相は中国の王毅外相との会談の中で「強い遺憾の意」を伝え、中国側に実効性のある対策を求めた。これに対して王外相はこの事態を重大だと認め、実効措置を取ると述べたという。
 法治国家の外相の発言なら信じるが、中国外相の発言を額面通りには受け取れない。権謀術数の一環ではないのか。疑心暗鬼だ。まさに法治国家が非法治国家に対処する難しさを明らかにしている。ましてや中国漁船員は「法治とは何なのか」など理解できないだろう。ただ、取り締まりが緩いと見て、押し寄せているだけだ。
 20世紀の中国の文学者、林語堂は「中国人はもっとも人間らしい民族」だと述べる。これを解釈すれば、本能の思うがままに行動するということだろう。一攫千金を夢見て、数十億円を稼げるサンゴがある日本の領海に入る。長期の懲役刑になることはない。天文学的な罰金を払うこともない。うまくやれば問題ない。日本へ行こう。こういう人間の欲望だろう。
 海保には摘発を求める電話が相次いでいる。「なぜもっと捕まえられないのか」。大多数の日本人の素朴な疑問だろう。海保から見れば、法律に照らしてしか行動できない。法治国家の苦しいところだ。
 また、警戒に充てられる大型巡視船は、中国公船が領海侵入を繰り返す沖縄・尖閣諸島周辺の警戒にも必要で数に限りがある。海保は少ない要員で漁場である領海内への侵入阻止に全力を挙げている。
 産経新聞や右派系知識人は尖閣と中国のサンゴ漁船を絡めて、中国政府の手の込んだ作戦だと指摘する。筆者は証拠がないかぎり、その意見に組みすることはできないが、中国政府がどこまでこの問題に真剣なのかは今一つ確信が持てない。
 宝石サンゴのほとんどは、周辺海域の領海内に生息しているそうだ。読売新聞のサイトによれば、限られた要員で効果を上げるため、海保は大型巡視船を巡回させて中国サンゴ漁船を領海内に入れさせない“戦術”に重点を置いており、今のところ、サンゴを積んだ漁船は見つかっていない。 「サンゴはろくに採れていないはずで、じきに漁船は燃料や食料が尽きて帰るしかない。ねばり強く対応するだけだ」と幹部は語る。
 一方、岸田外相は中国サンゴ漁船をめぐって中国政府に「強い遺憾の意」を表明したが、日中外相の相互訪問や外務次官級の戦略対話、日中安保対話の早期再開を提起した。これに対して、王外相は今後の関係改善にあたり(1)日本側の歴史認識を巡る問題(2)発展する中国をライバルと見なさないか(3)日本が平和国家の歩みを続けるか――などを注視していくとした。
 この言い方はまさに宗主国の要人が朝貢国の派遣団に「上から目線」で言っているに同じだ。対外関係をめぐる中国の長い伝統に対して怒ることもないが、どうも安倍首相は前ばかり見ているのではないか。
 安倍首相は焦って日中関係を自分の意に添うようにしたいと思うあまり、「時」を忘れているのではないのか。中国との交渉は代を継いでやる。「時」や「歴史」は民主主義制度を持つ国家に味方している。日本は焦らないこと。安倍が自分の内閣で解決を図ろうと焦れば焦るほど墓穴を掘る。時は変化する。昨日の真実は今日の真実ではない。政治、外交、軍事を観察する人々に言いたい。
 中国サンゴ漁船に対する海保の対策にしても、日本政府の対中策にしても、長期的な姿勢で臨むことだ。持久戦しかないだろう。
  中国漁船が「領海内でサンゴを採れていない」という海保の発言を信じるなら、この作戦を続けると同時に、一日も早く法律を改正して、中国漁船に厳しく対処することだ。領海に入れば拿捕する。どこの国でもしていることを実行することが、中国漁船員への効果的な抑止力だと信じる。

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