英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

外国人の批評は日本人の国民性を映す鏡    中国人の批評「礼儀正しく、仕事熱心」

2013年02月24日 21時15分52秒 | 歴史
 日本最大の中国情報サイト「サーチナ」を時々読む。その中で、筆者は中国人が書いた日本人観についてのブログを気にとめている。日本を訪れた中国人が日本人についてどんな印象を持っているかを理解したいためだ。筆者の印象ではサーチナは日本人に好意的なブログを載せているような印象を持つ。日本人に批判的なブログもどしどし載せてほしい。われわれ日本人にとっても、「他の人」の眼から見た意見も大いに参考になるからだ。最近サーチナに掲載された中国人2人の日本人についての印象が興味深かったので、その文章の抜粋を転載する。

 一人目の中国人
  仕事の関係で半月ばかり日本に行ってきた。日本では様々な点で驚嘆させられてばかりだった。飛行機を降りて感じたのは高層ビルが少ないこと、道路も広々としていないことなど・・・しかし、すべてが合理的で清潔、人間に優しい設計であることを実感した。・・・日本と中国で最も違うのは何か?と聞かれれば、私は「そこにいる人間」だと答えるだろう。日本人はとても文明的で礼儀正しく、遠慮深く、仕事熱心で責任感があるのだ。・・・ 中国人もいつの日か、調和を知り、責任感を持つと同時に遠慮深く、文明的になることができれば、中国も真の強国になることができるだろう。私はいつかこの日が本当に来ることを信じている。
 
 二人目の中国人
  日本に留学していた中国人が日本で経験した「アルバイト」について紹介した。ブログのタイトルは「これが本当の日本人」。中国人留学生は、ある夏休みにエアコンの清掃会社でアルバイトをすることになった。仕事内容は深夜にJR車両のエアコン清掃をすることだった。作業は清掃会社の幹部なども参加して行われていたというが、留学生は当初から企業の上層部の人間が現場で作業を行うことに中国との違いを感じていたようだ。夜中に留学生は1人の60代の日本人男性と一緒になって、たいへん蒸し暑い過酷な条件で掃除をした。・・・休憩時間に中国からの留学生であることを知った60代の日本人男性は、「賢くて立派」と褒めてくれたそうだ。ようやく過酷な環境下での作業が終わると、現場に来ていた幹部たちは朝の仕事に出勤していったそうだ。留学生が60代の日本人男性に「なぜ幹部たちが現場を訪れていたのか」と尋ねると、「社長が現場に来ているのに、幹部が来ないわけにはいかないだろう」と言われたという。驚くべきことに一緒に仕事をしていた60代の日本人男性こそ、留学生がアルバイトをしていた会社の社長だったという。留学生は、「日本はどうしてこんなに経済が発展しているかが分かった」と述べ「社長がこんなに働くのならば中国人の自分が勤勉に働くのは当然」だし、「一生懸命に働けばきちんと評価してもらえる」と語った。中国人留学生は自らの体験をもとに、外国で差別を受けることを心配している中国人に対して「自分の態度にも問題があるのではないか」と主張。その国の人びとよりも一生懸命に働き、努力をすれば「必ず認められるはず」と述べている。

 この二人の中国の若者が見た日本人像は「礼儀正しく、遠慮深く、仕事熱心」「人一倍の責任感」だと思う。さらに「トップが部下と同じ仕事をして、先頭に立って働く」ことだった。
 日本人のすばらしい国民性であり、中国人2人のうちの一人は「日本の発展は、『そこにいる人間』によるところが大きい」と話している。
 この記事を読んで思い出したことがある。約35年前、英国の大学の寮で、一人の英国人と話したことだ。その英国人は学部を間もなく卒業するところだった。筆者は尋ねた。「卒業が決まっておめでとう(英国では日本の大学のように『ところてん式』には卒業させてくれない)。ところで就職は決まった?」
 若い英国人は自慢そうに答えた。「ブリティシュ・レイル(英国の国鉄)」。労働階級出身のイングランド人の若者はニコニコしていた。筆者はうかつにも次の言葉を発した。「日本で言う国鉄(JRの前身で当時はまだ民営化されていなかった)ですね。そうか、では切符切りから始めるわけだ」。日本では大卒でも現場から仕事を始めるのは当然だ。筆者は、日本の慣習からそう思った。
 英国の若者の顔がみるみる険しくなり、「なぜ大卒の新入社員が切符切りから始めなければならないのか」と刺々しい言葉を発した。現在どうなっているのか分からないが、約35年前、英国では高卒の約9-10%しか大学に進学していなかった。これに対して日本は高卒の40%が大学に進学していた。日本人にとって大学進学は特別な意味はなかった。ここを理解していなかった筆者がうかつだった。と言うより知らなかった。
 若者は「大卒の新入社員は、現場は経験しない。マネージメントの訓練をはじめから受ける。一般従業員用の食堂で昼ごはんは食べない。管理職用の食堂がある」と文句を言った。
 筆者は日本社会における大学の位置や大卒の新入社員の現状などを話した。若者は信じられない様子で驚いたが、日本の社会事情を理解した。
 英国人の指導者は日本の指導者同様、仕事の先頭に立つが、労働者と同じ仕事はしないと、筆者はその時に理解した。第1次世界大戦で戦死した死者の階級全体に対する割合は貴族が一番大きかった。貴族出身の指揮官は兵の先頭に立って戦場を駆けていった。つまり司令官の職責を果たすという意味で責任を全うしたが、兵士の職責を全うしたのではない。
 国々により事情は違う。上記の2人の中国人の話から推測すると、中国のお偉方は現場で部下と汗を流してともに働くことはないのだろうか。多分ないのだろう。
 一番大切なことは、中国人の若者が日本社会を直接見たことだ。そこで観察したことは何事にも代えがたい。昨今、日本の若者は外国で生活したがらないという。それが事実なら、筆者は憂う。若者は、日本人であろうが外国人であろうが、外国で生活してほしい。自分が育った社会と違った社会で生活し、そこで得た経験は必ず将来、役に立つし、何物にも代えがたい。そして何よりも、外国人を理解する一助になると思う。
 中国の若者が一人でも多く日本でしばらく生活すれば、日本人の長所も短所も理解でき、その鏡を通して自民族や自分の長所や短所を振り返ることができる。それはとりもなおさず両国民の理解の増進につながる。
 100年、150年単位で眺めれば、このような相互理解が日中の対立が今後、少なくとも先鋭化せずに、解消しなくても、相互の暗黙の了解(中立的な立場)にいたる一助になるだろう。歴史は変化する。その変化から解決の糸口も見つかるかもしれない。
 直ぐに解決しようとして慌てないことだ。焦らないことだ。英国の歴史家で外交官のジェームス・ブライスは1919年、ワシントンで幣原喜重郎・駐米大使に再会した。
 当時、米国政府は日本人移民を排斥していた。黄色人種と言う人種偏見も手伝っていた。この排斥の高まりに日本人の怒りが日に日に増していた。幣原外相は、日本人の怒りの気持ちをブライスに説明した。幣原は当時50歳前後で、ブライスは80歳ぐらい。親子ほどの年齢差があった。
 ブライスはこう忠告した。「あなたは国家の運命が、永遠であるということを認めないのですか。国家の長い生命から見れば、5年や10年は問題ではありません。功を急いで紛争を続けていれば、しまいには二進も三進もいかなくなります。いま少し長い目で、国運の前途を見つめ、大局的見地をお忘れにならないように願います」
 筆者はこの有名な名言が大好きだ。読者のみなさんの中にもご存じの方もいるはずだ。個人の場合でも、国家の場合でも、急がず、状況をつぶさに観察して行動する。感情で話したり行動したりしない。忍耐して気長に時を待つことだ。時間こそがわれわれの味方だと思う。
 ちなみにブライスは19世紀後半から20世紀初頭を代表する英国の歴史家でもあり、死に至るまで毎日多忙な生活を送った。毎日勉強し、社会活動に勤しんだ。亡くなる前年の1921年に公刊された1200ページの大書である『近代民主政治』(Modern democracies)は、現在でも英米人に読まれている。ロンドン・タイムズ紙は出版当時、82歳の高齢になってもたゆまぬ研究を続けているブライスを称えた。
 われわれも謙虚に世界を観察し続け、時には外国に出かけて地元の人々と話を交わし、亡くなるまでテニスやゴルフなどのスポーツや、川柳や読書、旅行などの趣味など自分の好きなことを続けたいものだ。
(写真はジェームス・ブライス Public domain)