英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

横断歩道で一時停止  長野が最高、栃木が最低    JAF調査に納得

2019年05月30日 20時09分14秒 | 時事問題
   信号機のない横断歩道での車の一時停止率が長野県は58・6%と、日本自動車連盟(JAF)が行った全国調査を始めた平成28年以来、3年連続で都道府県別全国トップを記録し、長野のドライバーのマナーの良さが浮き彫りになった。ワースト1位は栃木県のドライバーだ。
  JAFが昨年の8月15日から9月13日にかけて各都道府県2カ所ずつでおこなった調査では、全国平均は8・6%で、前年の調査時と比べて0.1ポイントの増加に留まり、依然として9割以上の車が信号機のない横断歩道を一時停止せずに通過している。言い換えれば、全国の1万1019台のうち、止まったのは948台だけだった。
  警察庁の分析を引用した産経新聞によれば、、昨年までの5年間に全国で発生した車対歩行者の死亡事故計6576件のうち、4811件(73%)は歩行者が道路横断中だった。
  信号機のない横断歩道を一時停止しない理由について、「自分が運転する車が停止しても対向車が停止せず危ないから(44.9%)」、「後続から車がきておらず、自車が通り過ぎれば歩行者は渡れると思うから(41.1%)」、「横断歩道に歩行者がいても渡るかどうか判らないから(38.4%)」となっている。また「後続車の追突を恐れる」というのもある。
  長野のほかに一時停止が高かったのは静岡39・1%、石川26・9%、島根26・5%など。ワースト2位は広島、3位は三重。
  道路交通法第38条は、「横断しようとしている、あるいは横断している歩行者や自転車がいるときは、必ず一停止する」を明記し、それが義務であることを示す。違反点数は2点で、罰金は普通車で9千円、大型車で1万2千円だ。
  JAFの調査を読んで、まさにその通りだと思った。私が記した2015年3月31日付ブログ「栃木県人の運転マナーは最悪「と2017年8月5に日付「なぜなのか、栃木県の運転マナーの悪さ 静岡県浜松市を訪れて思う」はズバリ、JAFの調査から裏打ちされた。
  神奈川県横浜市から数十年前に栃木に移り住んで感じたことは、栃木県がドライバー天国だということだ。浜松市と比べて運転手のマナーがこれほどまでにはっきりわかるのに驚いている。浜松市に行くたびに、このことを思う。
  今日も信号機のない横断歩道を、自転車を引いて渡ろうとしている青年3人がいたので、私は車を一時停止したが、対向車はお構いなく3台通過し、4台目で止まった。青年3人は何度も頭を下げて渡っていた。歩行者が頭を下げて渡るのは、栃木県では普通の光景だ。横断歩道を渡っている歩行者が頭を下げるのは栃木県ぐらいではないのか。これだけで、ドライバーが”専制君主”だと理解できる。
  栃木県のドライバーには申し訳ないが、一言で言えば、「田舎運転手」なのだ。横浜や東京都で、栃木県のドライバーのような運転をしていたら、命がいくつあっても足りない。状況判断ができない。どんな状況でも自分のペースで運転する特徴がある。
 また栃木県警はドライバーに甘いように思うし、特に悪いのは自動車教習所だ。運転法規を徹底的に教えているのだろうか、と疑問視してしまうほどのドライバーの乱暴で未熟な運転なのだ。数十年観察し、こんな考えを抱く。
  JAFは「歩行者がいれば横断歩道を渡るかどうか分からなくても、いったん止まるようにしてほしい。歩行者側もドライバーに向かって手を上げ、横断する意思表示をするなど互いに安全に努めてほしい」と呼び掛けている。 すべてのドライバーへの呼びかけだが、栃木県のドライバーはこの呼びかけを心に刻んでほしい。

殺伐とする社会から児童を守る方法をいかにすべきか  川崎・登戸事件に思う

2019年05月29日 10時48分27秒 | 時事問題

  神奈川県川崎市の登戸駅付近で28日朝、男が18人を刃物で刺し、小学6年生の女の子と39歳の現職外交官が死亡した事件は、言いしれぬ不安や、言葉には表せないほどの怒りを社会に与えている。刺した男は岩崎隆一容疑者で、身柄を確保されたが、自分で首を切っていてその後、死亡した。
  小学生は整列し、学校側が用意したスクールバスに乗り込んでいるところに岩崎容疑者が走りながら次々と刃物をかざして切りつけてきたという。
  無防備でいたいけな児童に刃物を向けること自体、決して許すべきことではない。その上、児童を次々と殺傷したことに激しい怒りを感じる。ただ、感情的な発露だけでは、殺害されたカリタス小学校6年生の栗林華子さんと外交官の小山智史さんは浮かばれない。
  児童を狙った凶悪犯罪は過去にもあった。2001年、児童8人を殺害した大阪・池田小事件。この事件の犯人は宅間守・元死刑囚だった。また児童を狙わなかったが無差別殺害事件として、2008年、秋葉原通り魔事件の加藤智大被告がいる。
  岩崎容疑者が自ら命を絶っているため、この事件の全貌は正確には見えてこないのかもしれないが、犯罪心理学者が言うように、岩崎被告が社会に何らかの偏見に満ちた不満を抱いていたと思える。そして彼のような人々が少なからずいることを、われわれは確認しなければならない。
 『無差別殺人の精神分析』 (新潮選書)の著書がある精神科医の片田珠美氏(Yahooニュースから引用)は宅間元死刑囚事件を振り返りながら川崎での事件を心理分析しこう話す。
  「宅間は自殺を図ったこともあり、裁判でも控訴を取り下げるなど自暴自棄の傾向が見られました。無差別殺人犯の特徴は、人生に絶望し、でもおとなしく一人で死ぬのはいやだから、他人を巻き添えにしたいと考えることです。そこには自己顕示欲や承認欲求もある。2008年、秋葉原通り魔事件の加藤智大も無差別殺人犯ですが、不特定多数を狙った犯行でした。今回、登戸の犯人がカリタス学園の生徒さんをターゲットにしていたとしたら、エリート校である池田小を狙った宅間と近いものがあります」
  一方、カリタス小学校には非がなかったのか?尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏は「本当に痛ましい事件が起こってしまった。・・・学校側に落ち度はないと思います。駅から歩いて5、6分の距離でもスクールバスを8往復し、教員も輪番でついていた。これ以上の安全策はなく、防ぎようがない」と話す。
  このところ老齢者ドライバーの運転によって歩行者や児童が殺傷される事故が相次いでいる上、殺傷事件が再び起こった。社会の不健康さやいびつさを表しているとしか思えない。
  格差社会の拡大と地域コミュニティーの崩壊が一連の事件や事故を起こしているようにみえてならない。スマートフォンやAIなどによる通信革命は派遣労働者を生み出し、貧富の差を拡大させた。特に1990年代後半から2000年代前半までの不況期に、大学などを卒業して社会人に巣立った人々の中には、社会的偏見を抱いている人々が他の世代に比べて多いのではないかと推察する。
  われわれ「団塊の世代」と違って、時代の巡り合わせからくる不運の側面は確かにあるが、歴代政府や社会が再雇用や、再雇用に伴う職業訓練など、十分なケアを彼らにしてこなかったことにも一因がある。
  また地域コミュニティーの崩壊が人々の孤立感を深め、人々の間の信頼感や相互扶助の精神を喪失させていることもあると思う。全国各地で、自治会活動が衰退していることは、コミュニティー崩壊の一現象だろう。
  われわれはこれまで、このような凶悪事件を未然に防ぐ手だけを真剣に議論し実施してきたのだろうか。自省をこめて思う。
  このような社会状況にあっては、今回の「川崎事件」や2001年の池田小事件が再びおこっても何ら不思議ではない。政府や地方自治体が児童を凶行から守る方策をたてることはもちろんだが、われわれ一人ひとりが我がことと思い、教育委員会や最寄りの警察、各町内の自治会などと話し合い、連携していく必要を感じる。
  

日本の民主主義は危機なのか   幻冬舎社長の実売数投稿に思う

2019年05月18日 14時47分51秒 | 民主主義とポピュリズム
  百田尚樹氏のベストセラー「日本国紀」を批判した作家の版元の社長が投稿したツィッターが物議を醸し出し、民主主義社会での出版社のあり方を世間に問うている。
  作家の津原泰水さんが「日本国紀」を批判したことで、幻冬舎から「刊行予定だった文庫本が出せなくなった」と訴えたことに対し、同社の見城徹社長が初版の発行部数と、その5分の1にとどまる実売部数を挙げて津原氏を批判している。
  出版界では書籍の売れ行きは発行部数で公表するのが一般的。業界の慣例を破ってまでして、津原氏の単行本「ヒッキーヒッキーシェイク」の売り上げの少なさを揶揄した見城氏。これに対し、作家や評論家から批判の声が上がっている。
  見城氏は右派の作家の百田氏の「日本国紀」の売れ行きが良いことを評価し、内容がなくても、コピペの疑いがあっても「売れれば良い」と示唆していることは明らかだ。また同社の編集者は、18日付朝日新聞によれば、「日本国紀の販売のモチベーションを下げている作家の著作に営業部は協力できない」と津原氏に伝えたことを認めている。
  さらに一般人の中には訳のわからない批判を津原氏に浴びせている。津原氏は自身の18日付ツイッターで「実売数がそんなに低くて恥ずかしくないのか、版元への責任は感じないのか、と絡んでこられる方が後を絶ちませんが、売れるものを書いてほしいという依頼が僕には無いのです。リスクはこちらで負うから、まだ誰も読んだことのない新しいものを書いてほしいという依頼に、懸命に応じているだけなのです」と話す。
  津原氏は「日本国記」のコピペを批判した。わたしも津原氏と同様、百田氏のこの書籍の違う版を3冊買い込んで検証し、百田氏のコピペを、「百田氏の『日本国紀』は日本社会の右傾化を映す」と批判した。
  幻冬舎の見城社長と百田氏は友人であり、同じ思想の持ち主だという。それはそれで良いとして、だからといって「売れないから」「『日本国紀』販売の邪魔をするな」という理由だけで、津原氏との「文庫化」の約束を反故にするのは、民主主義への挑戦だけでなく、人間性をも破ることになるのではないのか。中国人の約束破りを批判する右派が、自らの約束破りには何の後ろめたさを感じないというのであれば言語道断だ。そればかりではない。幻冬舎は出版社の使命を放棄していると言わざるを得ない。出版社の使命は、たとえ社長の思想と異なっていても、読者の好みに合っていなくても、時代を超えた、読者の人生にとって必要な本を世に出すことではないのだろうか。
  メディアや出版社は読者の好む本を出すこともあろう。それはそれとして必要だが、読者にとって興味がなくても時代を映す必要な書籍を出版する必要がある。それはメディアの記者とて同じだ。記者は読者の好奇心をそそる俳優のスキャンダルを書くだけでなく、政府統計なども書かねばならない。  
  オウム真理教の取材で有名になったリベラル派の江川紹子さんは「多様な言論より稼ぐ著者、表現の自由より金になる商品が大事。出版社としての矜持はどこへ?」と幻冬舎に問いかけ、同社の姿勢に疑問を呈する。
  見城氏は自らのツイッターに書き込んだ「問題のブログ」を後日、削除したということは、何かしらの思いがあるのだろう。批判されたので引っ込めたのなら何をか況んやだ。どうも右派の連中は情緒に流されやすい傾向がある。見城社長と幻冬舎編集部は民主主義制度の根幹をなす「言論の自由、出版の自由」を疎かにしているようだ。これではいくら中国の共産党一党支配を批判したところで説得力がないし、単なる「中国憎し」の情感だと思われるだろう。
  リベラル派を日頃から批判している、保守派を自認する私だが、今回は「民主主義擁護」の点で、彼らに同調する。それにしても、津原氏の「実売数がそんなに低くて恥ずかしくないのか、版元への責任は感じないのか、と絡んでこられる方が後を絶ちません」との話を聞いて、日本社会の右傾化が強くなってきているのを憂う。

  

丸山氏の暴言の背景にある日本社会を見極めるべき  北方4島「戦争発言」に思う

2019年05月14日 20時19分14秒 | 日本の政治

  日本維新の会の丸山穂高衆議院議員が北方4島の返還について「戦争しないと、どうしようもなくないですか?」という発言がネットを賑わしている。この発言は論評する価値がないことは百も承知だが、この言葉の背景に投影された日本社会に言いしれぬ不安を感じる。
 この議員は1984年生まれということは、まだ30代後半。彼にとって「戦争」という言葉自体が死語に近く、実感がわかないのだろう。ということは彼と同じ30代の人々の何人がどんな心理、精神構造を持っているのか。彼の後ろの何万、何十万の丸山氏がいるのかもしれない。考えるだけで言いしれぬ怖さを感じる。
 丸山議員は元島民でビザなし交流訪問団長の大塚小彌太さん(89)に、BuzzFeed.Newsから引用すると、以下のように発言した。
  丸山議員「団長は、その戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」
  大塚さん「戦争で?」
  丸山議員「だから、ロシアが混乱しているときに、取り返すのはOKですか」
  大塚さん「いや、戦争なんて言葉は使いたくないです。使いたくない」
  丸山議員「でも取り返せないですよね」
  大塚さん「いや、戦争したって、戦争するべきではない」
  丸山議員「戦争しないとどうしようもなくないですか」
  大塚さん「戦争は必要ないです」
 1945年8月15日の無条件降伏(終戦=敗北)直後の旧ソ連軍(現在のロシア)の北方4島への不法占領以降の70年間にわたる日ソ(日ロ)交渉に絶望した発言とは言え、許されるものではない。そして丸山衆議院議員は酒に酔ったから暴言を吐いたのか。3年前に酒に酔って男性と喧嘩になり、「議員在職中に一切酒を口にしない」と宣言したのに、再び騒動を起こしたから許されないのか。
  私はそうは思わない。酒に酔ったから「戦争でこの島を取り返すのに賛成ですか」と発言したのではない。酒に酔ったから本音がでたのだ。
  丸山衆院議員が所属する日本維新の会の松井一郎代表は「国会議員として、あるまじき不適切な行為と発言。大勢の皆さんに申し訳ない思いでいっぱいです」と話し、議員辞職を勧告した。しかし、図らずもこの党の体質を露呈している。松井代表がいかに弁解しようとも、丸山氏を公認したのは日本維新の会。この党の独裁的で右派的な体質をものの見事に露呈している。それはこの党をつくり、現在も党に影響力を維持している橋下徹氏の体質でもある。
 この党は、橋下氏に代表されるように、大衆操作がひじょうに上手い。私が橋下氏が政界に現れ、一般の人々が草木もなびくがごとく橋下氏の支持者になって大阪へはせ参じた7~8年前、私はブログで書いた。「ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーを連想させる」。橋下氏の名誉のために言っておくが、彼はヒトラーのような政治家では決してない。ただ、ヒトラーと同じように、大衆を熱狂させる巧み(空虚)な弁を持っている。
 橋下氏は弁が立つが、演説が上手いのではない。チャーチルのように筋道を立て歴史をひもといて脚色せず事実を話して説得し、聞き手を引き込んでいく演説ではなく、単なるデマゴギーに長けている。屁理屈をまくしたて、論敵を自分のペースに巻き込んで、大衆に「橋下は弁が立つ」と錯覚させる人物だと見抜いた。弁が立つが中身がない。その弁に踊らされている大衆を見た。
 北方4島をめぐる丸山氏の暴言は図らずも日本維新の会の右派体質をさらけ出し、この党との連携を模索する安部自民党政府の右派体質を明らかにした。多くの日本人、メディアでさえ、保守と右派との違いがわからない。なぜ右派と保守が違うのかを学ぶべきだ。右派と保守の違いがわからない日本人がこれからますます多くなれば、日本はもと来た暗い道を戻るかもしれない。日本人の国民性から判断して、左派や極左が日本を支配することはほとんどなく、右派が日本人の情緒をくすぐり台頭する。それは歴史が証明している。 

分別ごみ出しは辟易  日本社会に馴染めずホームシックの中国人女性

2019年05月04日 22時03分39秒 | 日中関係
 中国人女性が日本人と結婚生活をはじめて1カ月もたたないうちに「仕分けごみ」が原因で帰国したくてたまらなくなった、と日本語の中国サイト「サーチナ」がこのほど、中国メディア「捜狐」の記事を転電して報じている。
 日本を旅行中に日本人男性と知り合い結婚した中国人女性は「交通は便利で、生活環境もよく、健康被害を心配させる公害などがなく、社会規範も整っている」と感じたが、日本社会で生活を初めて1カ月で「不便を感じた」という。
 「捜狐」によれば、中国人女性は「ごみの分別」に苦労し、生ごみや不燃ゴミ、ビニールなどを指定された日時に出すのに嫌気がさした。
  彼女は日本で生活してみて、日本旅行中に感じた日本社会の清潔さが「すべて住民の犠牲のうえになりたっている」と思ったという。
 中国でも日本同様、ごみは指定された場所に捨てられるが、時間、ごみの種類についての厳しいルールがない。
  中国人女性は日本のごみ処理ルールに辟易し、中国への里心がどうにもならなくなったようだ。
  「サーチナ」の編集を担当する村山健二氏は「これは極端な例だと言えるが、日本人からするとたかが『ごみ分別』と思ってしまうが、中国人によっては帰国を考えるほどの理由になるならば、かれらにとっては決して些細なことではないと言えるだろう」と結んでいる。
 私は日本人がこの手の「ルール」を嫌だとは思わないと推察する。たとえ「めんどくさい」とおもっても日本人のDNA(国民性)が「ルール」を実践させるのだろう。日本人ほど規則を守る点では秀でた国民はいない。英国人も規則を守るが、日本人ほどではないと思う。
  旧帝国陸軍の梅田謙吉大将が大東亜戦争(太平洋戦争)や日華事変(日中戦争)を反省した寄稿文で、中国軍は日本軍と違って統率がどうしようもなく低かったという趣旨のことを語っていたのを記憶する。日本人は、遺伝かどうかはわからないが、集団やチーム、組織で力を発揮する国民。中国共産党幹部が日本人を恐れているところもここらあたりではないかと推察する。