英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

女優とは何かを示唆     八千草薫さんが亡くなる

2019年10月29日 22時26分59秒 | 生活
  女優の八千草薫さんが8月24日、すい臓がんで亡くなった。88歳。近親者のみで葬儀を済ませ、お別れの会は開かないという。
  2017年にテレビ朝日で放送された倉本聡脚本の昼ドラマ「やすらぎの郷」で、「姫」と呼ばれる元女優を演じたのを毎日見ていた。古希を過ぎた私にはこのドラマが他人ごととは思えなかった。八千草さんは好演しておられた。
  1931年に生まれ、終戦後まもない1947年に宝塚歌劇団に入り、51年には映画デビュー。稲垣浩監督の「宮本武蔵」や日伊合作映画「蝶々夫人」で主要な役をこなし、息長く活動を続けた。
  20歳も歳の離れ、2度離婚していた映画監督の故谷口千吉と結婚し、50年連れ添った。結婚するときは、メディアから「略奪婚」と報じられたという。
  私は中学生の頃、何かで八千草さんの写真を偶然見て、きれいで清楚な女性だと思った。大人になったら、こんな女性と結婚したいと思ったほどだ。
  私は20歳代半ばまで、俳優を軽く見ていた節があった。「俳優とはどんな職業か?」。所詮、人を楽しませるだけの芸人ではないかと考えていた。しかし、イギリスに滞在中、イギリス人から「偉大な男優や女優は人々に有形無形の影響を与えている。人生の生き方を示唆している。人生の範を示している」と言われた。
  それは離婚歴があるなどという皮相的なことではなく、人生に取り組む姿勢だという。確かに英国の男優クリストファー・プラマーらはイギリス人に映画や舞台を通して「生き方」を示唆している。映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくる男優や女優はもそうだ。イギリス人の私への批判は堪えたし、私は愚かでもあった。
  そのイギリス人の範疇(はんちゅう)から言えば、八千草さんは間違いなく「名女優」であり、「大衆に影響を与えた女優」だと個人的には思う。膵臓がんを公表し、最後まで仕事に真剣に、そして全力で取り組んだ。また、一般の人々や彼女の同僚俳優に仕事の取り組み方などで何らかの影響を与えた。
  八千草さんは「お別れの会」を開かないという。彼女の遺言だろう。「お別れの会」を開いても問題はないと思うが、「開かない」ところに彼女の人生の生き方が表れているのだろう。それもわれわれに有形無形の影響を及ぼしている。
  また昭和の名女優が鬼籍に入った。ご冥福を祈ります。
  
  
  
  

地球温暖化はスピードを増している  ヘーゲル思想でこの問題を切る

2019年10月25日 11時30分49秒 | 地球環境・人口問題
     地球温暖化は相当深刻な様相を呈しながら進んでいるようだ。愚かな人間はそれに気づいていない。否、気づいていても「地球温暖化ではない」と呪文のように唱えながら現実を見ないように努めている節がある。哲学者ゲオルク・フリードリッヒ・ヘーゲルの思想と照らし合わせると、人間の愚かさが理解できる。
  哲学思想はそれぞれの人々の生き様から生まれる。17世紀末から18世紀前半を生きたドイツの哲学者ヘーゲルは古代ギリシャのソクラテスからの欧州の哲学を集大成し発展させた偉大な哲学者である。ヘーゲルの前にヘーゲルなし、ヘーゲルの後にヘーゲルはなし、と言われた人物だが、決して聖人君主ではない。
    若い頃は学校の勉強ができず、女たらしで、不倫して既婚女性に子どもを産ませ、10年以上も、今で言えばフリーター(家庭教師)をしながらその日その日を食いつないでいた。しかし47歳のとき、ベルリン大学に招かれた。以降13年間在職し、広汎な講壇活動を展開した。
  彼の思想の中核は「弁証法」だ。大学時代ほんのちょっとだけこの思想をかじった私は「テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ」と難解な理論を振りかざす思想家だとしか認識してこなかった。カール・マルクスやサルトル、西田幾太郎らに大きな影響を与えたぐらいにしか理解していなかった。
  会社を完全に退職してから4年過ぎ去り暇をもてあましていた私は、この4月から白鴎大学(栃木県小山市)の聴講生としてヘーゲル哲学を学んでいる。そこで、素晴らしい教授に出会い、ヘーゲル哲学の一端を理解した。
  弁証法とは平たく言えば、「勝ち組が負け組になり、負け組が勝ち組になる」と言うことだ。ヘーゲルは「人間社会と、そこに住む自分を固定化して考えてはならない」という。
  高校時代、まれに見る優秀な生徒が40年後に再会すれば、平凡な生活をしていることがよく見かける。当時の先生が将来を嘱望したほど優秀な生徒が転落の人生を歩むこともある。平凡が悪いのではない。それもまた「是」である。しかし、高校時代、校則に何度も違反して謹慎処分を喰らい、成績は下から数えた方が早かった生徒が40年後に一流会社の枢要な職責についているケースもある。私の友人の1人だが、後に担任の先生が驚いているを目の当たりにした記憶がある。
 ヘーゲルは著書「精神現象学」で「自分があるものを肯定する。自分が気づいていようがいまいが、必ず肯定するものがあれば否定するものが存在する」「社会は矛盾だらけだ。しかし社会はそれを超えた有機的な統一がある」
  ヘーゲルは「弁証法」を編みだし難しいことを言っているが、要するにそれは「自らが経験したこと、それを叙述して把握したあかつきに、そのものを俯瞰(ふかん)して見なければ、統一した全体像は見えてこない。ものは変化しながら動いていくのだから」。だから永遠不滅の真理は存在しない。トータルにものを見なければならないのだ。
  19歳のとき、ヘーゲルはフランス革命を隣国ドイツ(当時は日本の江戸時代と同じように諸侯の国々《藩》に分かれていた)から見た。彼は最初、一般の人々が国王・貴族社会をひっくり返し自由と博愛を手に入れたことを諸手を挙げて支持した。しかし、彼らが国王と貴族と同じ圧政を始めたことにお驚き落胆した。
  マクシミリアン・ロベスピエールらフランス革命の急進派は国王ルイ16世や貴族を断頭台に送り、自らの理想に反対する人々を殺した。ヘーゲルは革命と理想は虐殺を生み反動に変ることを、自らの経験で理解した。つまり「世の中は定在(動かずに存在)することはない」と悟った。時とともに変化するのだ。理想は理想のままではありえず、真っ黒などぶに変るのが普通だ。
  地球温暖化も社会の変化のひとつだと私は思う。人間は営みの中で、社会や環境を変えていく。トランプ大統領のような人物はものは「定在」しているかのようなことを主張し、地球温暖化を否定する。彼は愚か者か、それとも偽善者のどちらかだと思う。社会と時の変化から目を背けている。
    このまま地球温暖化が進めば今世紀末に海面が1メートル強上昇し、世界の氷河は40%以上失われる恐れがある。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が9月25日、特別報告書を公表し、こう述べた。生態系に深刻な被害が生じ、高潮や巨大台風による災害リスクが増すと警告する。
  IPCCは「温暖化抑制のためエネルギーや土地利用といった社会のあらゆる面で変革が必要だ」と指摘、来年に本格始動するパリ協定の下で温室効果ガス排出を迅速に減らす必要性を強調する。
  特別報告書によると、海面の高さはこの100年ほどで最大21センチ上昇した。南極などの氷が解けて上昇のペースが加速している。
  われわれはヘーゲルの思想を思い浮かべながら、地球温暖化と正面から向き合い、適切に対処していかなければならない。そうしなければ、その変化は人類を飲み込み、人類は死滅することは火を見るよりも明らかだ。

選手は「横並び」意識の日本人でなくなった  ラグビーW杯のスコットランド勝利を見て     

2019年10月14日 20時50分26秒 | スポーツ
      ラグビーの第9回ワールドカップで、日本チームの快進撃がとまらない。日本が13日に横浜国際競技場で、強豪スコットランドを28-21で勝った。これで日本は1次リーグ4戦全勝でA組1位となり、初の決勝トーナメント(8強)に進出した。
  大げさに言えば、日本国中が沸きに沸いた。最後の15分の攻防は凄まじかった。必死で攻めるスコットランド。これに対して、必死で守る日本。その攻防は日本と世界に感動を呼んだ。
  日本の各選手は、前任者のジューンズ前ヘッドコーチ(現在のイングランド指揮官)の就任から8年の歳月をへて、ようやくラグビーの極意を会得した。それは「自ら考え判断する」ことである。
  4年前の2015年11月1日、私は南アフリカを撃破したジョーンズ前ヘッドコーチの日本チームからの退任会見についてブログに書き込んだ。その際、彼のコメントを引用した。
  ジョーンズヘッドコーチは「出る杭は打たれる、という言葉が日本のスポーツを表している」と話した。私は彼の発言の真意を記した。「日本人は『横並び』を重視する国民である。ジョーンズヘッドコーチが発言した『出る杭は打たれる』と『横並び意識の国民』は同義語である。この国民性を別の形で言えば、TBS番組が取り上げた『風を読む』の主題『物言えぬ空気』につながる」
  ジョーンズ氏は就任当初をふり返り、選手は質問されないようミーティングで下を向いていたが、次第に顔を上げてHCを見るようになり、議論をするようになったと語っている。
 議論は当然「あつれき」を生む。異なった議論がぶつかり合い、激しい論争になることもある。しかし、相手の意見を尊重しながら、自らの意見を述べ、相互がその精神で議論するかぎり、譲歩が生まれ、新しい、魅力的な結論が導かれる可能性が大きい。
  日本のラグビー選手はようやく日本人の国民性を卒業し、イングランドやスコットランドなど英連合王国とかつての英帝国の仲間入りを果たした。つまり、英連邦の強豪チームと肩を並べたと信じる。たとえ肩を並べていなくても、並べようとしている。それは英国人の国民性を会得したということだ。
  ラグビーは1823年、イングランドの有名なパブリックスクールのラグビー校でのサッカー(フットボール)の試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリス青年がボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出したことだとされている。
  ラグビーの誕生後、英国の指導者を養成するパブリックスクールで盛んになった。この点で、ストリートで生まれたサッカーとは違う。サッカーが庶民(労働者階級)のスポーツとして発展したように、ラグビーは指導者階級(中産階級以上)のスポーツとして育まれていった。今日では、このような明確な線引きがなくなってきたといえども、その歴史的な伝統がある。
  野球やサッカーで、監督はグランドで指揮をとる。しかしラグビーでは、ヘッドコーチ(監督の相当)はスタンドの高い場所に陣取り、ゲームの推移を見守る。ヘッドコーチは選手がグラウンドに上がるまでは直接アドバイスできるが、選手がいったんグラウンドに上がれば、人を介してしか助言できない。選手自身が瞬時の試合の流れを的確に判断してゲームを進めていかなければならない。そうしなければ勝てない。
  そこが野球やサッカーと違う。野球やサッカーでは、監督が選手にアドバイスするというよりも命令し指示する。監督がゲームを支配する。選手は監督の命令に従ってゲームを進める。
  指導者を養成するパブリックスクールは、オックスフォードやケンブリッジ、ロンドンなどの伝統ある大学へとつながる。パブリックスクールの先生方は、ラグビーを通して生徒の独立心、判断力、思考力、決断力、リスクを恐れぬ勇気、体力など、指導者にとって不可欠な能力を育てている。
  ラグビーの指揮官を監督とは呼ばずに、ヘッドコーチと呼ぶ。それは指揮命令する人物ではないということを示唆している。あくまでアドバイスする人物だ。選手は服従する姿勢を教わるのではなく、協力と団結力を求められる。
  「横並び」の空気が強い日本の学校や社会では、異見を封じる「いじめ」を生む。突出した“おかしな異見”を嘲り、嘲らないまでも、多数の意見や行動と違った“おかしな”ことをした人間をいじめる。「横並び」と「指揮官の命令を忠実に実行する」意識がある国では、ラグビーは強くはならないと断言する。
   小中学校で、先生が教壇から生徒を見下ろして教える国からは、ラグビー精神は生まれない。英国の小学校はともかく、パブリックスクールやセカンダリースクールでは、先生は教壇を降り、生徒の議論の輪に入り、結論へと導くアドバイスをする。それはラグビーのヘッドコーチも同じだ。
   ラグビーは英国人(イングランド、スコットランド、ウェールズ)と旧英帝国の白人国家であるニュージーランドやオーストラリアなどの教育と議論を重んじる民主主義制度を体現している。
   日本代表でプレーする具智元選手の母国の韓国人も、10年前の日本人と同じように、ラグビーに興味がない。日本でラグビーW杯が開催されることさえも知らなかった人がほとんどだという。 そうなれば日本代表でプレーする具智元選手のことさえも知るはずがない。
   韓国人も日本人以上に「横並び」の国民だからだと思う。日韓関係の悪化から、今まで大挙日本に押し寄せていた韓国人観光客はこなくなった。「こんな事態の中で、自分が日本へ観光に行ったら何をいわれるか分からない」と大多数の韓国人はテレビ報道で言う。韓国人の国民性がラグビーを遠ざけている。
   最近の日本でのラグビー人気が、日本人の性格を変えていく一助になればと思う。でも、日本のラグビー代表選手と韓国の具智元選手だけはそれぞれの国の「横並び意識」から脱却し、「独立心と判断力」などを持った人間に生まれ変わったのではないだろうか。

(写真)騎士道精神を持ったスコットランド選手がグランドから去っていく日本人選手を拍手で見送る。敗者は勝者を褒める。武士道精神と騎士道精神は一脈通ずるものがあるようだ。  
  

結果責任を負う勇気がない  大川小教師をめぐる最高裁決定に思う 東日本大震災の津波で

2019年10月13日 13時41分28秒 | 時事問題
     大川小学校(宮城県石巻市)の全校児童108人の7割に当たる74人が東日本大震災の津波に巻き込まれ死亡、行方不明となってから8年。ようやく最高裁判所は石巻市と宮城県の上告を棄却する決定を下し、14億円余りの賠償を命じた判決が確定した。
  せめて何人かの先生が結果責任を負う強い責任感を持って勇気を奮い起こし、反対意見を押しのけて直ちに行動を起こしていれば、悲劇は起こらなかった。最高裁の決定を聞き、あらためてそう思う。これは人災だと確信する。
  津波により多くの幼い命が奪われてしばらくの間は自然災害だと思われていたが、教師らが「小田原評定」をして貴重な時間を費やしたことがわかってきた。
  地震は2011年3月11日午後2時46分に起こった。私はそのとき、栃木県南部で車を運転し赤信号で停車していた。突然起こる強い揺れ。車が踊り始め、一瞬エンジン故障だと思いエンジンを切った。それでも強い揺れを感じ、地震だとわかった。信号機を見ると故障していた。
  栃木県南部よりも強い揺れを感じただろう大川小学校の教師は当然、生徒全員を校庭に集合させた。しかしこの日、指揮命令する校長は出張のため、不在だった。このため“避難派”と“待機待ち派”の意見が真っ二つに分かれ、「小田原評定」に落ちいり、いつ果てるともない議論を続けていた。貴重な時間はどんどん失われていく。
  地震発生から3分後に津波警報が出された。消防団や市の広報車数台が市民に避難を呼びかけ始めた。そのうちの一台が大川小学校に到着。運転手は車から降り、早く避難するように先生をせかした。説得もしたが、教師は「これからどうするか」で頭がいっぱいだったようで、広報車の運転手の呼びかけに耳を傾けなかった。
  この光景を見ていた当時小学校6年生の故今野大輔君は先生に向かって「裏山に逃げよう」と大声で先生を促したが聞き入れられなかったという。大輔君のお父さんは今回の裁判の原告団長の浩行さん。今野さんの妻ひとみさんは、先生は息子の必死の進言を聞き入れなかったと聞いていると話す(12日付朝日新聞3面)。
  大輔君と同じ見解を持っていた先生もいた。最高権限を持つ教頭は当初、裏山への避難に傾いたが、強硬に「裏山避難」に反対する先生を説得できずに、議論は続けられた。
  “強硬待機派”は「津波はこないかもしれない。もし津波が来ずに裏山に登って生徒がけがを負ったら、教師の責任が問われる」と強調し、裏山退避に強硬に反対した。教頭がこの意見を聞いて、裏山退避をためらったとしても不思議ではない。
  そのうえ、スクールバスが来ても、生徒を乗せなかった。先生の何人かは生徒全員がバスに乗れないことがわかり、「不公平だ。何度も往復するのは時間がかかる」と言ったという。
  貴重な時間は費やされ、津波が海岸に迫っていた。広報車の運転手が、津波が堤防を越えているのを先生に知らせた。それでも5分間、教師らは避難すべきかどうか議論を続けたという。裏山に避難した学校付近に住む住民は眼下を北上川へ向かって歩き出した先生と生徒を見た。その直後、轟音とともに川の堤防が決壊し、児童74人と先生約10人が津波にのみ込まれていった。
  最後尾を歩いていた先生1人と生徒数人は裏山に逃れて助かった。津波が来るとわかってからでも避難できるほど校庭と裏山は近かった。5分で安全な場所に行ける距離だった。最後尾を歩いていて裏山に逃れ、生き残ったただ1人の先生は未だに口を堅くつぐんでいるという。
  この経緯を知った人々の何人かは「なぜ教師が2派に分裂して校庭で口論を続けたのか、校長不在のなかで教頭派と反教頭派が派閥闘争をしていた疑いが強い。おそらく反対派の教師にとって避難は口実に過ぎず、教頭を批判して打撃を与えたかったのではないだろうか」と推察する。
  私はそうは思いたくない。たとえ派閥闘争だったとしても。自らの命がかかっているときにこんな非常識な行動に出るだろうか。しかし教頭を含む教師のほぼ全員が保身に走ったことはいなめないと思う。責任をとりたくなかった。直ちに行動を始める勇気がなかった。状況を的確に判断できなかった。的確に判断できなくとも、最悪を想定して行動することができなかった。このことだけは確かだった。
  先生の何人かでも結果責任を負う強い意志を持ち、勇気を抱き、反対派を押しのけてでも裏山に生徒を連れて行く行動をとっていれば、生徒全員が助かった。先生や生徒は課外授業で裏山を行くことがあり、裏山の安全な場所に行く道を知っていたという。明らかに人災だと思う。
  先生に強く進言した今野大輔君は天国でチャーチルに激賞されているだろう。先生に進言するには勇気がいったことは想像に難くない。チャーチルは失敗を恐れず、リスクを避けずに勇気を抱いて行動する人間が大好きだったからだ。
  最高裁が最後の審判を下しても大輔君やほかの生徒が生き返ることはない。しかし、この悲劇から教訓を引き出すことが大輔君らへの供養と鎮魂になる。
  われわれは命を失うかもしれない差し迫った危機に直面したとき、少しの勇気と結果責任を負う気持ちを持って迅速に行動を始める。それが危機を乗り越えるチャンスを切り開く唯一の方法だ。それが大川小学校の先生にはなかった。われわれはこの致命的な失敗を肝に銘じ、この教訓を後世の人々に伝える義務がある。

(写真)無残な姿をさらけだす大川小学校の校舎

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人間の本性を見る     消費増税が始まって10日

2019年10月10日 10時49分52秒 | 時事問題
  消費増税が始まって10日がたった。表面上はトラブルもなく、順調な滑り出しだ。しかし軽減税率やキャッシュレスのポイント還元など複雑な仕組みになっているため、潜在的なトラブルを抱え込んでいる。その奥には人間の本性を垣間見る。
  増税にあわせ導入した軽減税率では、飲食店の税率を8%に据え置く一方、店内で飲んだり食べたりする場合は10%だ。今月8日付朝日新聞が財務省幹部の話を引用。その幹部は「目立ったトラブルは起きていない」と語る。しかし朝日新聞は、消費増税の仕組みはほころんでいると記す。
  スーパーやコンビニは「店内で飲食する」と客から申告しないかぎり、税率を8%にしているという。同紙の取材に用じた兵庫県内でファミリーマートを営む店主は自己申告があったのはわずか1~2割だと話し、「声をかければ、トラブルになりかねない」と戸惑う。また申告しないイートインを批判する声がネットにアップされている。
  これが人間の本性だ。出世欲、名誉心、金銭欲、性欲などの欲得を持つ人間のありのままの姿をさらけ出している。この「不正行為」を批判する人々も欲得はあり、既得権を死守することに余念がないだろう。彼らがこれから、税率8%でイートインすることもあるだろう。たとえしたとしても驚くに当たらない。筆者も世間並みの欲得を持っている。
  人間の本性を無視した最大の実験は共産主義革命だった。民間宗教にしても、当初、純粋に人類を救済しよう思い立ち、布教を始めた教主はいただろう。しかし、浄財金や寄付金が入ってくれば、いつの間にか民間宗教が金のなる木に変ってしまうことがある。現にそんな民間宗教を、読者は目の当たりにしているのではないのか。
  20世紀最高の政治家といわれ、英国民から現在も最も人気が高い英宰相ウィンストン・チャーチルは共産主義制度についても酷評し、「そうしてはいけないと学ぶこと以外に何らの価値もない」と切り捨てている。
  カール・マルクスが大英図書館で寝食を忘れて書いた「資本論」を、旧ソビエト連邦の創始者ウラジミール・レーニンが実践した。皆さんもご存じだと思う。
  レーニンは「皆が平等で搾取されない自由な社会」を夢見たが、後継者のヨシフ・スターリンがものの見事にレーニンの夢を葬り去った。レオン・トロッキーら数多くの同志を殺したスターリンの権力欲が社会主義独裁体制を実現させた。
  チャーチルはこう話す。共産主義者は「すべての人々が平等な社会で生きる」という〝素晴らしい理想郷〟の構築を目指す。この理想社会の実現を求めて共産主義者が信じた施策を始めると、「不完全な人間」は激しくこの動きに抵抗し、社会は瞬く間に弾圧と暴力に彩られたものに変貌する。
  旧ソ連や中華人民共和国は蜂社会を手本としている体制だ。女王蜂と働き蜂を拘束している法則は、気まぐれな習性をもつ人間社会には当てはまらない。英宰相は「指導することはたやすいが、強制することは難しい。しかし、それは人類社会の安全弁であり誇りである」とも話す。
  よこしまな心と移り気な感情と崇高な理想を合わせ持った人間は、非の打ち所がない完璧な組織や、例外を許さない整然とした社会に抵抗する。そんな社会に息苦しさを感じて逃げ出す。働き蜂が何らの疑問も抱かずに女王蜂に奉仕する蜂社会に、人間はなじめないと思う。最後に行き着く先は独裁体制だ。
   今日の中華人民共和国も同じだ。その国を支配する、習近平を頂点とする共産党の党員は自らの特権を手放したくない欲にがんじがらめに縛られている。中国革命により、毛沢東が手に入れた政治権力や個人権力、富の独占を特権を、ほしいままにしている。あげくのはてに、国家主義的な「偉大な中華の再興」とまでのたまう。
   中国共産党の独占欲に抵抗する香港市民、とりわけ若者は、自由と民主主義を求めて戦っている。また台湾市民は中国共産党の「一国二制度」が共産党幹部の欲得を守る制度だと気づいている。そこにはレーニンが夢見た理想のひと欠片もない。
   習を頂点とする共産党を批判しない。それが人間なのだ。だから、欠点だらけの民主主義制度が最善なのだ。
  崇高な理想は人間の欲得にいつも潰される。消費増税にしても、複雑にすればするほど人間の欲得が入り込む隙間を大きくする。たとえ100歩譲って、安倍政権が深刻な不況の到来を避けようとつくったとしても、不備はいなめない。日本の借金財政や年金・介護などを考えて国民を説得し、単純に10%に消費税を増税すべきだった。それが一番公平だと思う。