英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

日本人は「理想論と希望的観測」に走り、データに基づく科学的な思考せず コロナ禍で理解できた国民性

2021年05月17日 21時09分01秒 | 国民性
 日本に約30年滞在するイギリス人のインタビュー記事が目にとまった。このインタビューの記事の見出しは「日本人が語る『日本』は理想論」だ。毎日新聞のインタビューに応じたのは、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の有識者懇談会メンバーとして、大会コンセプト作りなどに関わった小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン社長だ。
 この人はオックスフォード大学で「日本学」を学んだ国際金融グループのゴールドマン・サックスの元アナリスト。新・観光立国論」を書いて山本七平賞を受賞したほか、「新・生産性立国論」などを記し、イギリス人のものの見方から日本人に警鐘を鳴らしてきた。読者の皆さんの中にはご存知の方もいると思う。
  アトキンソンさんは日本人の東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の有識者懇談会の会合で日本人の論議を聞き、「日本人には決定的に欠けているものがある」と強く感じたと語る。
  アトキンソンさんはこういう。「日本人は理想論を話す。こうあってほしい、という願望に近い。それを一般化しようとする」。また「日本人は思い込みや俗説が多い。専門家に確認しない、検証しない」。例えば、日本人の有識者は東京五輪が日本経済の起爆剤になるという。
  アトキンソンさんは「データを分析すれば、数週のイベントで日本経済の起爆剤にはならない」と分析。日本人の決定的な問題は、クリティカルシンキング(批判的思考法)が十分にできていないと語る。「これは、仮説を立てて、ロジックを組み立て、データで検証し、結論を導き出すものです」
 人間は、勝手な思い込みをする生き物なので、それをなくすため大学教育がある。クリティカルシンキングができるようになるのは大学生の年齢。大学の4年間、先生とのやりとりして、学生が思い込みで発言したら、先生は根拠は何かとただす。「評価に客観性はあるか」と質問する。 アトキンソン氏は日本の大学はそれが十分できていない、と強調する。
  今回のコロナ禍での政府の対策はアトキンソン氏の主張を立証している。彼は「クリティカルにものを考えないから、必然的に日本人は事後対応しかできず、いつも後手に回る。私がアナリストとして関わった銀行の不良債権問題もそうでした。いくところまでいかないと変わらない」と話す。
  私は悔しいが、そう思う。コロナワクチンの場合もそうだ。ワクチンの副作用についてのデータを自ら分析せず、欧米のワクチン動向に対して様子見に徹する。そこには勇気がなく、リスクを取らない。アトキンソン氏ら欧米人にはそう映るのだろう。
 私が若い頃、イギリスに滞在していイギリス人を観察した経験から、アトキンソンさんはまさにイギリス人だと思う。理想を持ってはいるが、現実を直視し、現実をデータに基づいて分析し、理想に一歩でも二歩でも近づこうとする。
 これに対して日本政府と日本人為政者はコロナ禍で、希望的観測に陥る。そうなってほしいという思いが、いつの間にか現実だと思い込んでしまう。ことしの1月始め、菅首相は「1カ月後に必ず事態を改善させる」との菅首相の言葉も虚しく、緊急事態宣言は延長された。科学的データに基づいて対策を立てない。データに基づく合理的判断でなく、希望的観測のみ。
 昔も同じだ。第二次世界大戦前夜の日本指導者、日本海軍の永野修身(ながの・おさみ)軍令部総長や陸軍参謀本部は、日米国力差1対20と理解していても、「アメリカに最初の一撃を加えれば、アメリカ政府は和平交渉に応じる」「インドネシアの石油地帯を占領すれば、持久戦により米国との和平の糸口が開かれる」すべてが希望的観測によって動いた。その結果を、読者はご存知だろう。
 菅義偉首相はワクチン頼みだが、それが功を奏してコロナを克服することができたとしても、この致命的な思考方法は変らず、次の危機でも繰り返されるだろう。次の危機?中国共産党の台湾侵攻だ。そうならないことを願うばかりだ。さもなくばコロナ禍よりも数倍の危機が訪れるからだ。

 {写真)左がアトキンソン氏、右が菅首相

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韓国与党が日本の放射能汚染データを改ざん 嘘をつかなければ生きてこれなかった?

2019年09月30日 23時21分57秒 | 国民性
  韓国与党「共に民主党」の議員らが、日本の放射能土壌調査サイトの数字を利用し、来年の東京五輪の競技会場周辺の放射性物質の検出量を示した地図を公表した。しかし、日本のサイト団体が、韓国与党がサイトの数字を改ざんしたことを明らかにし、韓国与党に抗議している。
  東京電力福島第1原子力発電所事故の福島県を含む1都16県で土壌汚染調査を行っている「みんなのデータサイト」(福島市)は「われわれの情報から作製されたことは事実に反する」として韓国与党に「「事前の連絡なく、事実と異なる測定値の情報が公開され、団体の信頼性を損ねた」と抗議。地図作成の経緯をたずねているが。9月30日午後6時の時点で返答はないという。朝鮮日報によれば、数値は「みんなのデータサイト」に公開されている資料から引用したという。
  共に民主党の地図が「福島県営あづま球場」(福島市)周辺で土壌1平方メートルあたり205万ベクレルの放射性物質が検出されたとしているのに対し、みんなのデータサイトが今年行った調査では14万ベクレルだった。
  何と言っていいのか。ラグビーのワールドカップ(W杯)1次リーグA組で日本に敗れたアイルランド代表選手やアイルランド国民がこぞって日本チームを賞賛し、「フェアプレー」と「公正の精神」を発揮しているだけに、韓国与党の不条理がひときわ目を引く。これは韓国与党の政治家だけの性格なのか、それとも平均的な韓国人の国民性なのか、いまひとつ理解できない。
  ことし6月、中国の成都で開催されたサッカー男子のユース大会「パンダカップ」で、優勝した韓国の選手の一人が、優勝トロフィーを踏みつけてポーズをとり、記念写真を撮ったことが、多くの中国人から批判を浴びたことは記憶に新しい。
  2009年には野球のWBCで、日本に勝った韓国がマウンドに国旗・太極旗を立てて問題になった。1988年ソウル五輪ボクシング・ライトミドル級決勝で、米国選手が韓国選手から2度のダウンを奪ったものの2―3で判定負けした試合では、後の調査で5人中3人の審判が韓国側に買収されていたことが判明している。
  サッカーに限らず、あらゆるスポーツの国際大会で韓国の試合は疑惑のジャッジ、ラフプレー、判定を不服としたゴネといった後味の悪さが目立つ。
  「スコパ(トランプゲーム)について、イタリア人がナポリで書いた手引書の鉄則の第一は『相手のトランプカードを盗み見ようと四六時中努力すること』。これはイタリア人にとり具体的で実践的なすばらしい規則である」と、イタリア人のジャーナリスト、ルイジ・バルジーニ(1908~1984)は皮肉を込めて著書「ヨーロッパ人」で述べ、イタリア人に対する悪評判の一因は「不公平と不正行為」がまかり通っていることを嘆いているが、韓国人はイタリア人に似ているのか。
  理不尽で不正な言行は韓国人の弱さを反映しているように思う。イタリア人が欧州の弱小国であるように、韓国は東アジアの弱小国だ。経済的な反映を謳歌している時期は、この20年余にすぎない。
  韓国人がこの1千年もの間、「手練手札」を使わなければ生きてこれなかった側面は否定できない。コンプレックスの表れなのかもしれない。
  英国人は国際政治の舞台では、外国人からしばしば「不誠実な裏切り者」と罵られてきたが、数字や事実を改ざんしてまでも、嫌いな相手をおとしめることまではしてこなかった。そして、スポーツの世界では、フェアプレーに専念してきた。
  日本人に帰化した拓殖大学の呉善花教授は「韓国人は平気でうそをつく。詐欺が窃盗より断トツに多い国は韓国だ」と話す(共著、売国奴の中で)。
  うそをつく韓国与党や、アンフェアープレーが多い韓国スポーツ選手は、百歩譲って「不実」であっても、せめて「うそ」だけはついてほしくないと思う。このような理不尽な行為を繰り返していると、いずれ世界から相手にされなくなるだろう。イソップ寓話の「おおかみ少年」を思い出すのは私だけだろうか。

(写真)韓国与党が公開した日本の放射能汚染地図

日本人のいう「いいです」は肯定、それとも否定?  中国人が戸惑い

2019年08月31日 10時41分10秒 | 国民性
 日本人がしばしば相手に語りかける「いいです」は肯定的な意味なのか、それとも否定的な意味なのか? 中国人は戸惑うという。中国メディア「今日頭条」がこのほど、こんな記事を掲載し、日本の中国専門紙「Searcha」が転電している。
  日本人は、相手が自らの思いをすべて日本語で表現しなくても前後の文脈から、相手の言わんことを推測できるが、外国人はそうはいかないのだろう。日本語はこの意味で、難しい言語なのかもしれない。「わかりました」「どうぞ」なども外国人には理解するのが難しい日本語ではないだろうか。前後の文脈が理解できなければ、何が「わかりました」「どうぞ」はを理解できない。
  言語はその国の文化や国民性を表していると思う。日本人は言葉を使い分けて表現を軟らかくしたり、攻撃的になったりする。例えば、「すみませんが、その日は用事があるので、ご招待をお断りします」と、丁寧な接頭語を使う。「断ります」「拒絶します」とは決して言わない。
  英語も英国人の文化を背負っている。英国人とはイングランド人だ。イングランド人は「断る」場合、「Reject」とは言わない。「Decline」を使い、相手の感情を考慮して柔らかい表現にする。
  英連合王国を構成しているウェールズ人、北アイルランド、スコットランド人もそれぞれの言語を持っている。私が半世紀前、ウェールズ大学の学生寮にいた頃、毎朝、掃除にやってくるおばさんはウェールズ語をしゃべっていた。私はまったく理解できなかった。
  「今日頭条」は日本語の言葉「いいです」は肯定、否定の両方の意味があると紹介している。肯定、否定の意味の違いを「相手の語気、表情、状況から判断している」と解説。明確に自らの意思を示す中国人にとっては「日本人の意思表示をくみ取るのはたいへん難しい」と述べる。
  また、「いいです」は「あなたとは関係がありません」と伝わりこともあると紹介。仕事などで日本人との距離を縮めたいと考える中国人は注意するよう助言している。
  中国紙は日本人に誤解をもたらさずに意思表示する場合、「OK」の際は「お願いします」、「駄目」の際は身振りをくわえて「いいえ」と言うべきだと助言している。
  日本語は、日本人の婉曲的な言い回しや相手を傷つけたくないという気持ちから、丁寧な表現言葉を持っているが、曖昧な言葉が多々ある。これに対して英語も婉曲表現はあるが、言葉自体が曖昧ではなく明確なため、相手に自らの意思をはっきり伝えることができる。
  私は中国語を学んだことはないが、言葉は国の文化や国民性を表現しているから、中国人は明確に自分の意思を表示する国民なのだろう。そして曖昧で情緒的な言葉が少ないのかもしれない。
  蛇足だが、「サーチナ」の中国メディア転電記事を読んで、ふと思い出した。韓国高官が「日本人は韓国人の自尊心を傷つけた」との声明を発表した。この言葉は、日本政府が半導体の対韓輸出優遇措置を撤回した(ホワイト国からの除外)ことに対する反発だった。
  「自尊心」は感情的で心理的な言葉だ。韓国人は、英国人の「フェアプレー」の精神から推察される「行動や経験則や事実を重視する」国民ではない。フランス人や日本人のように、感情的で情緒的ではあっても最後には法に従う国民ではないようだ。
  「法は、知性の地図にの上に、各自の感情と自由の境界を定める幾何学的な線である。・・・法はア・プリオリに規則の基板を割り振りし、行動はそれに従わなければならない」と国際連盟の軍縮局長を務め、英オックスフォード大学教授でもあったスペイン人のサルバドール・マドリアーガ(1886-1978)が名著「イギリス人、フランス人、スペイン人」の中で述べている。
  言葉はその国の文化や習慣や性格を表現しているように思う。「今日頭条」が読者に伝えた日本語「いいです」を読み、日本人、中国人、韓国人の国民性の一端を垣間見たように感じた。
  

韓国左派は宗教を盲信する信者と同じ心理をもつ 日英韓の国民性を書籍から考える

2019年08月21日 16時31分39秒 | 国民性
  日本人は事実を観察できるが、感性的である。韓国人、とりわけ左派は最初から最後まで宗教の信者である。英国人は事実を観察し、それを客観的に分析する。
 私が最近読んだ呉善花さんの書籍「韓国を蝕む儒教の怨念」「攘夷の韓国・開国の日本」や2001年に崔基鎬氏が記した「堕落の2000年史」、それに元英国の金融アナリストで小西美術工藝社長のデービッド・アトキンソン氏の著作「日本人の勝算」「新・所得倍増論」などから、日英韓の国民性を感じた。また私が1974年から約6年間にわたる滞英生活から日英の国民性の違いをも記す。
 読者の中には国民性は抽象的であやふやだと述べる人々もいると思う。しかし私は歴史、言語、地勢、気候、文化、支配宗教、支配思想や哲学、共に生きようとする民族の一体性などから国民性は築かれていくと思う。もちろん例外はあるが・・・。
 故笠信太郎さんが1950(昭和25)年、英国人、ドイツ人、フランス人、日本人の国民性を記した名著「ものの見方について」の中で「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。スペイン人は走った後で考える」と書いている。
 この名言を笠さんは、国際連盟事務局長でオックスフォード大学教授のスペイン人サルバドール・マドリアーガの名著「イギリス人、フランス人、スペイン人」(1928年出版)から引用した。
 この著書で、マドリアーガはこう話す。「国民性は存在する。・・・国民とは心理と一体だといえる。国民とは一つの性格なのだ」。「国民性とは何か」との質問に対して、その答えが曖昧であっても、長所と短所という形で、最大公約数という形で、それは存在する、と私も思う。国民が形成する領土という鋳形はもう一つの国家の特質である国民性を決定する。
 英国人は「実践的で、論理的だが、感情を排する冷徹な観察眼の持ち主であり、偽善者だ」、フランス人は「明晰だが、勝手気ままで協調性がない」、アメリカ人は「功利的で活動的だが、宗教心に根ざす理想へ絶えず前進し、その実現のためには妥協を嫌う」、スペイン人は「誇り高く、信義を重んずるが、残酷だ」、イタリア人は「頼りないが洗練されている」となる。 
 私は日本人の一人として、2000年頃から韓国人の不可解な言行に面食らってきた。特にこの数年の文在寅大統領が率いる韓国政府の動きには、率直に言って、理解不能だ。なぜ?たぶん、私が韓国人の国民性を理解していないからだと思う。
  韓国政府は1965年の日韓基本条約や日韓請求権協定で解決済みの「元徴用工」問題を再び持ち出し、2015年には、日韓両政府が設立した基金によって解決した「元慰安婦」問題を無効にした。約束と信義を重んじ、法を遵守することを正しいと見なすわれわれ日本人から見れば、韓国人が悪びれずに、ちゃぶ台をひっくり返したとしか言いようがない。

  ● 朱子学が韓国人を独善に走らせ、「絶対善」を生む
 呉善花さんらの書籍を読んで理解したことは韓国人、特に左派が強固な理念主義の朱子学に支配されているということである。勧善懲悪を明確に定義している朱子学に支配された平均的な韓国人は、自民族の言行は「絶対善」だと盲信し、自己中心的な民族の「情理」を築く。築いてきた、というほうが正確だ。
 私は韓国人の朱子学が長い間の時を経て、宗教心にまで昇華しているとみる。一族の「身内正義」が国家レベルにまで高まったのが対日態度だろう。
  1392年から約500年続いた李氏朝鮮は朱子学を官学とした。そして韓民族は、明帝国(中国の漢民族の帝国、17世紀前半に中華圏外の異民族、満州族よって滅亡)からの正当な継承者だと自らを自認する「小中華」思想を形成する。その思想は中華圏外の「蛮族」日本人を蔑視している。
 朱子学至上主義は、「過ぎたるは及ばざるがごとし」「罪を憎んで人を憎まず」という日本人の心的精神から来る考え方や法精神の尊重を超えたところに韓国人の「ものの見方」を押し上げている。
 日本人が「日本による朝鮮半島併合と植民地化」に対する道義的責任を感じ、これまで他国にない譲歩をしてきたが、この独善的な思想に罹患している韓国人には日本人の「心」が理解できないようだ。民間宗教に心酔した人々に、いくら道理を説いても通じないのと同じだからだ。

  ● 解決策を抽象論に求める日本人
  日本人の国民性はどうなのか?笠信太郎氏は「ものの見方について」で、中国や欧米からの日本人の対外思想の受け入れ方は、江戸期や明治時代において「熱心かつ忠実に解釈が試みられた」と記している。つまり韓国人が朱子学を教科書のままに忠実に実践するのと違って、日本人は日本の文化や心情にあった形で解釈・変更してきた。
  日本人は事実や現実を虚心坦懐に受け入れる。しかし問題を解決するときに、虚心坦懐に受け入れた事実や現実への解決策を「感性」で解決しようとする。そのため、結果が思惑とはまったく違った形になる場合がたいへん多い。
  笠氏は、日本人は論理的にものを見、ものをつかむよりも感性的に把握すると語る。同じ見方を、アトキンソン氏は「新・所得倍増論」や「日本人の勝算」で述べ、「日本人は構造分析が苦手」だと話す。ひとつの現象を正確につかんでも「その特徴と因果関係が区別できない」と分析する。「データーサイエンスが足りないから抽象的な議論になる」と強調する。
  この20年の日本経済の停滞を、日本人は「われわれは自信をなくしている。自信を持てば日本は復活する」と主張する。アトキンソン氏は日本人のこんな分析に違和感を感じる。また「なぜ日本経済はここまで成長したのか」という話題になると、「日本文化や社会システムが優れている」「日本人の技術力が高く、勤勉だ」という意見が大半を占めると紹介する。
  この日本人の抽象的な分析に対し、英国人のアトキンソン氏は「戦後日本の経済成長は人口増にあった」とデータに基づく具体的な原因を語り、「経済停滞は人口減と少子高齢化」と指摘。経済成長を視認できる国内総生産(GDP)をこれから起こる大幅な人口減少のもとで上げていくには、生産性を上昇させていくしかないと強調する。平均的な英国人の国民性(現実直視と経験主義、観察力、第三者の視点で眺める分析力、データに基づく客観的で具体的な結論、それを実行する勇気とリスクをとる精神)を表している。

  ● 日韓両国民は自らの性格を理解することが先決
  朱子学が韓国人を観念でしか世界を見ることができなくしている。最初から、朱子学の「善悪」の定義を下敷きにして、世の中の流れ、歴史の流れを判断する。つまり複眼的に見、判断し分析できない致命的な短所がある。
  特に文政権ら左派韓国人の民族主義者に当てはまる。この延長線上にあるのは「思い込みと思い違い」だ。北朝鮮の金正恩独裁政権に対しても、この欠点がいかんなく発揮されている。文在寅大統領は南北が「同床異夢(南北統一という同床と、統一の方法論での異夢)」だとはまったく理解できないでいる。
  一方、日本人は冷厳な現実を観察することができるが、感性的、抽象的にしか分析することができない。複眼的に見ることができないのは韓国人と同じだ。
  日韓両国民は「空気」「雰囲気」に支配される。日韓関係悪化の中で、テレビニュースで話すほとんどの韓国人は「日本に旅する、日本人が好きだ、とは公言できない空気がある。嫌いだというのが無難だ」と話す。これに対して、日本人も「空気」に支配される傾向が強い。
  日本人に独特のメスを入れた評論家の故山本七平氏は著書「空気の研究」(1983年出版)で「空気」について記す。「(日本人の結論は)絶対的な支配力を持つ『判断基準』で、客観情勢の論理的な検討の下に判断を下した結論ではない」
 日本人は事実をありのままに見、それを認めても、そこから解決策を求めるとき、「感情移入」(山本氏の言葉)をしてしまうため、論理的な解決への道を閉ざす。
  山本氏はいう。「日本人は対象にたいして、なぜの疑問をいだき、分析し、現実の基準に基づいて行動してこなかった。いつも他律的で、状況に左右され、それに依存して、受け身な行動を繰り返してきた。われわれは何一つとして創造的な思想も大系も体制も生み出さなかった」
  日本人は、この意味で、主体性がないといえる。朱子学に支配され、あらかじめ決められたこの思想の観念でのみ動く韓国・北朝鮮人にも主体性がない。両民族とも「人間中心」(「ものの見方について」の表現)の主体性をもつ独立心のある思考をしない。
  日韓両国民の性格に対して、平均的な英国人はどうか。人種差別をする傾向が強い短所があるが、知識階級、支配者階級は複眼的に物事を見、流れゆく時を正確に把握し、データや資料を用いて分析してできるだけ客観的な判断を下すのに長けている。それは100年以上にわたる大英帝国の経営で証明されている。
  色濃く残る階級社会の英国では、労働者、中上流社会の人々は個々が独立心を持ち,自らの行動に責任をもっている。「付和雷同」はしない。
  私は英国人のアトキンソン氏の書籍を読み、彼が平均的な日本人の短所(例外もある)を理解していることに感嘆した。山本氏の分析と同じトーンだ。ただ、最初から観念で見て観察し、分析する韓国人、特に韓国知識人、さらに言えば、文在寅大統領と彼の側近ら民族主義者よりは救われると思う。
  日韓両国民は、ある限界を超えると、不満を爆発させるが、日本人は心の中にしまい込む。韓国人も当初、心の中にしまい込むが、最後には爆発して表に喜怒哀楽の感情が噴射するという。呉さんはこれを「恨嘆(ハンタン)文化と火病(ファビョン)文化」だと紹介している。
  韓国人は朱子学的な絶対道徳の判断基準から、日本の対韓外交姿勢に憤怒している。これに対して「心」の感性を重んじる日本人は、「心ない」韓国人の「理不尽さ」に対して憤怒の沸点にさしかかっているようにみえる。そしてフランス人の「考えた後に走り出す」ように、日本人の国民性から、沸点を過ぎれば、脇目も振らず一途に走るだろう。
  日本人は言う。「韓国人の気持ちを理解して心を寄せようとしているのに、韓国人はそれを仇で返す。理不尽だとおもう返答を繰り返す」。大多数の日本人と韓国人はそれぞれの国民に嫌悪感を抱き、和解の出口が見えない。
  もう一度、それぞれの国民が相手の性格(国民性)を理解し合い、自らの性格の短所を学ぶこと以外に和解する道はないようだ。この困難な道を克服するのは、“宗教”におぼれている韓国人のほうが日本人よりも難しいのかもしれない。



日韓対立から日本人の国民性を観察   振り子のように左右に大きくぶれる

2019年01月20日 22時37分02秒 | 国民性
 海上自衛隊の旭日旗(自衛艦旗)掲揚をめぐる摩擦、元徴用工をめぐる韓国最高裁による日本企業への賠償命令判決、韓国軍による自衛隊機へのレーダー照射についての日韓対立は、日本人の「ものの見方」が振り子のように左右に大きくぶれることをあらためて認識した。
 1980年代に吹き荒れた左派による保守派の現実主義的、懐疑的な(灰色的)見方に対する糾弾は30年以上の時をへて、右派のリベラル派や反対派への厳しい、有無を言わせぬ批判へと変貌してきた。右傾化は顕著だ。
 1980年代に左派が言論界を牛耳り、左派の見方が日本を席巻していた頃、当時の心ある人びとは太平洋戦争前後の「皇国史観」を振り返り、振り子が右から左へと大きくぶれていると強調。それが日本人の国民性だと主張した。現在、再び振り子は韓国(や中国)という動力によって左から右へと揺り戻している。
 昨年11月13日付の私のブログ「韓国人と日本人の国民性の違いはどこにあるのか」で、私は韓国人が「感情や観念のみに支配されている」「あまりにも恨みが強く、寛容の精神がない」と力説した。それだけではない。「自民族優位主義」に起因する反日的な考えがある。
 韓国人、そのなかでも知識人は古代から、特に1492年に開かれた李氏朝鮮王朝から、中華思想と華夷秩序の世界観を抱いてきた。それは中国が世界文明の中心であり、韓国はその中華文明圏に存在しているとの認識だ。
 漢民族が打ち立てた明帝国が異民族(満州族)に17世紀前半に滅ぼされると、韓・朝鮮民族は自らを明帝国の正当な継承者だと公言し、「小中華主義」を唱えた。そして中華圏外の日本民族を非文明圏にある蛮族だと認識し、日本人を蔑視してきた。そして日本による韓国併合(1910~45)の歴史が対日蔑視を強めているようだ。
 拓殖大学の呉善花・国際学部教授は著書「私はいかにして『日本信徒』になったか」で「それが韓国人の意識の深層を形成したまま現在にいたっているのである。そこをはっきり押さえておかないと、韓国人にだけ特徴的な対日姿勢はまったく理解することができなくなる」と話す。
 一方、大半の日本人は、右派だろうが左派だろうが、「ひとりよがりで同情心がない為」「日本文化の確立なき為」「日本文化に普遍性がない為」に、外国に対する見方が独善的になるという。この言葉は太平洋戦争のフィリピン戦線に派遣された化学者の小松真一(1911~73)が自らの戦場での体験を踏まえて自費出版した「慮人日記」で記している。
 20世紀の日本の評論家の山本七平(1921~91)は小松の言葉を解釈し、「ほかの文化と接触をして自分がいろいろの行動をしたばあいに、反省することができなかった。精神的な弱さとひとりよがりに加えて文化の確立がなかった」と述べる(「比較文化論の試み」から引用)。「日本人は自らの考え方は真理だと信じている」とも話す。
 この考え方を言い換えれば、大多数の日本人は物事を「対立概念」で捉えることができないということだろう。ひとつの対象物を最初、善悪両面で捉えながら、善か悪かの結論へと導いていかない。一人の対象者を現実主義者と理想主義者の両面から最初はとらえていくことができない。対立概念で決して論じず、二元論で論じるということだ。つまり、一人の人間を最初から善玉、悪玉と提起して議論を進めていく。「ひとつの対象物を見た場合、どっちかを悪玉、どっちかを善玉としないと気が済まない」(「比較文化論の試み」からの引用)。日本人の国民性に対する生前の小松、山本両氏の指摘は当たっているように思う。
 左派の見解が主流だった1980年代、「中国の旅」で有名になった元朝日新聞記者の本多勝一氏ら左派12人は「ペンの陰謀」(1977年刊行)で山本七平を「ペテンの論理を分析する」として、山本のキリスト教的リアリズムを口汚いまでに糾弾し罵倒した。また20世紀の保守派の論客、福田恆存(1912~94)を蔑視した。「二元論」で論じている「ペンの陰謀」から本多氏の「知識」は感じられたが、「教養」や「知性」がまったく感じられなかった。
 今日、右派の百田尚樹氏は著書「日本国紀」で日本人を礼賛し、ツイッターで彼を批判する人びとを罵倒する。事実の誤記やコピペだと指摘する読者を批判する。これもまた私は「教養」と「知性」を感じなかった。
 30年前の左派や今日の右派も、韓国政府要人や韓国反日派も二元論で論じるあまり、「あなたのために思ってやっているのに何を言うか」(比較文化論の試みから引用)と思っているようだ。
 海上自衛隊の旭日旗(自衛艦旗)掲揚を巡る日韓摩擦、元徴用工をめぐる韓国最高裁による日本企業への賠償命令判決などの問題を二元論で論じるべきではなく、対立概念で論じるべきだ。事実を踏まえた客観的な議論をすべきであり、感情的、情緒的、観念的であってはならないと思う。この点では、韓国政府よりも日本政府のほうが冷静で、対立概念で論じていると思う。
 反米感情を抱く日本人は30年前、左派の言行に乗った。今日、ブログを読むと、反韓、反中感情を抱く日本人は右派知識人の言行に拍手喝采している。しかし、韓国の国民性や韓国からの情報を的確に把握して冷静な態度で対応する姿勢がほしい。そして「自ら胸襟を開けば相手も心を開いてくれる」と、価値観やものの見方が違う韓国人のような民族には決して思わないことだ。民族にはそれぞれ違う感じ方がある。日本人は他民族へのこの違いを無視して太平洋戦争で失敗し、戦後の米国、ロシア、中国、韓国への反感を繰り返し抱いてきた。
 また、中国人や韓国人の多くは歴史を自分の都合の良いように歪曲するようだが、日本人は過去を無視する傾向がある。歴史を学ばない点では3者は同じだ。歴史を学ばなければ、現在と将来において、何かを決断するとき、その一助は体験だけと言うことになる。「日本国紀」に関わった百田氏にしても有本香氏にして1950年代半ばから60年代前半に生まれ、戦争を知らない世代だ。親も戦場へ行った世代ではないだろう。
 体験でしか過去を学ばなければ、世代ごとに過去は分断される。ひとつの世代の人びとが死に絶えれば、後の世代の人びとは死に絶えた世代から何も学ばないことになる。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と19世紀のドイツ帝国の「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルクは語っているではないか。
 日本帝国陸軍は、有史以来最も悲惨を極め、初めて市民(銃後)を巻き込んだ第1次世界大戦に参戦しなかった。欧州を舞台とした初の総力戦を日本陸軍は体験しなかった。またその歴史を研究した軍人指導者はごくわずかだったという。
 太平洋戦争を指導した東条英機陸軍大将ら陸軍軍人指導者の99%は悲惨な日露戦争を知らない。日本陸軍将兵の屍で埋め尽くされた日露戦争の激戦地「203高地」の戦いに参加していない。太平洋戦争の陸軍指導者の大多数は日露戦争直後に陸軍士官学校に入学した。「歴史に学ばないこと」も悲惨な太平洋戦争を始めた一因かもしれない。
 老人ホームで元気に暮らし、毎日ラジオでニュースを聞いている97歳になる私の母は先日、「中国や韓国もおかしな態度をとるけど、今の政府も国民を煽っているわね。日支事変(日中戦争)の頃と似ているわね。あの頃も中国人をチャンコロと言って軽蔑し嫌っていたのよ。今の日本人は政府に煽られて韓国人や中国人を感情的に嫌っているわね。変にならなければよいけど」と話す。もちろん、その逆も事実であり、自国に都合の良い歴史を政府から思い込まされている反日の中国人や韓国人は感情的なまでに日本人を嫌っている。
 21世紀に入り、太平洋戦争を体験しない世代が日本の全人口の大半を占める。共産党の独裁国家、中国の台頭や韓国の「理不尽とも思える」厳しい対日姿勢、強権政府を持つロシアの対日強行的態度など厳しい国際環境を前にして、われわれはこれからどうすればよいのか。
 客観的な姿勢で過去を学び、「自分の窓」と「相手の窓」から見ながら相手と粘り強く交渉することが我々には不可欠だ。価値観やものの見方の違う中国人、韓国人やロシア人との交渉に当てはまる。決して現在の右派や30年前の左派のような前方だけを見て自分だけが正しいと考え、「白黒」でしか判断しない「ものの見方」になってはならないし、期限を区切って交渉に臨んではならない。保守派を自認する私はそう思う。

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