英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

中韓の対日非難と世界工作        日本人は宣伝戦に弱い

2014年01月31日 21時34分28秒 | 時事問題と歴史
 中学・高校向け学習指導要領の解説が28日改訂され、領土に関する教育が強化された。下村博文・文部科学省は28日の講演で「独立国家として自分の国の領土を子どもに教えることと、近隣諸国に丁寧に説明するのは別問題。こういうのをおもねっていたら、背骨の入った教育ができない」と語った。
 下村氏のお話はごもっともだが、文部科学省がこの発言を戦後一貫して生徒にしてこなかったことを暴露しているに等しい。竹島(韓国名は独島)と尖閣諸島は歴史上、日本の固有の領土だが、これを「相手に遠慮して」この半世紀にわたって発言してこなかったことが問題。「自らが発言を控えれば相手も控えてくれる」と、事なかれ主義に徹したのが問題だ。
 中韓は反発を強めている。韓国外務省は28日、金第一次官が別所大使を呼んで解説書の「即時是正」を要求した。趙報道官は「日本の侵略と略奪で最初に犠牲になった独島に関し、日本が虚偽の主張を後世に教えるのは過去への望郷を捨てられない証拠だ。過去を忘れる者に未来は見えない」と非難した(朝日新聞)。
 中国と韓国は国連の安全保障条約で安倍首相の靖国神社参拝を批判。各国の代表はどんな気持ちで聞いたのだろうか。仏漫画祭には韓国が「慰安婦」をテーマに60点を展示した。展示開幕式には趙允旋・女性家族相が出席し、「この問題は(日本との)2国間の問題にとどまらない。ユニバーサルな問題だ」と訴えた。一方、鈴木庸一駐仏大使は29日、パリで記者会見し、「漫画を通じて相互理解を深める場。一国の政治的主張をそのまま伝えることは、趣旨に沿わない」との見解を主催者とアングレーム市に伝えたと発表した。また、会場で日本の立場を説明するちらしを配布する方針だと述べた(読売新聞サイト)。
 「過去を忘れる者に未来は見えない」と韓国の報道官は言った。その通りだと思う。日本人は過去を忘れやすい。ご指摘はごもっともだが、韓国人と中国人は歴史を歪曲する。歪曲どころか、政府や祖国に不都合な歴史を隠す。
  日本が朝鮮半島を併合したころの韓国の支配者は李氏朝鮮。現在の韓国政府は自国の子どもに「李氏朝鮮の悲惨な500年にわたる統治体制」を教えていない。美化することに終始する。中国の明・清両帝国は李氏朝鮮の宗主国であり、韓国は中国の属国だった。歴史好きな日本の学生なら誰でもしっている。しかし韓国政府は1970年代初め以降、韓国が歴史を通して独立国であったように教えている。
 中国政府も、いかにも中国共産党が主導して対日戦争に勝利したと自国の子どもに教えている。天国で、日中戦争を指導した中国国民党(共産党の不倶戴天の敵)の蒋介石は苦笑いをしているだろう。新中国の創始者で、1949年に共産党の大陸支配を確立した毛沢東も歴史の真実を喋れ、と後輩の共産党指導者に天国から言っている。蒋介石に戦争を主導させたのは毛沢東だからだ。毛沢東は共産党の戦力を対日戦に使いたくなかった。毛沢東は国民党との内戦に勝利し中国を統一するために、戦力を消耗したくなかった。毛沢東はこう言った。「いずれ侵略者の日本は中国から出ていく。国民党との内戦に勝利するために兵力を温存せよ。対日戦は国民党に任せよ」
 1933年から45年までドイツを支配したナチス党の宣伝相ゲッペルスは「百回も繰り返しウソをつけば真実になる」というセリフを残している。中韓政府は嘘をついているのか、それとも歴史を知らないのか、歴史を自国の国益の宣伝に使っているのかはわからない。あえて言えば、「嘘を100回もつけば真実になる」を実践しているのだろうか?歴史を冒とくしていると言わざるを得ない。そして歴史とは何か、を理解していない。その点では日本人も人後に落ちない。
 1月が終わり、明日から2月と言うときにとりとめのない話になったが、中国人、韓国人はとにかく宣伝がうまい。とくに中国人の宣伝のうまさは天賦の才能と言うべきものがある。これに対して日本人は下手だ。下手の上に「ばか」がつく。歴史をかじった者には、戦前の日中戦争における国民党政権の宣伝のうまさに舌を巻く。日本人は中国人の足元にも及ばない。蒋介石は英語が堪能な宋美齢夫人を米国に派遣して、米国各地で演説させ、「日本侵略の非を語った」。それまで米国庶民は極東という”片田舎”で繰り広げられている日本と中国の戦争をほとんど知らなかった。宋美齢女史の働きで、米国民が日中戦争を知るようになり中国人に味方した。このことが米国人が中国に好意的になったすべてではないが、かなり大きなインパクトがあった。
 現在、国連など世界で繰り広げられている中国や韓国の宣伝戦は、日本人がやったことに基づいて語っている揚げ足取りのようだが、批判していることは「事実」を取り上げている。それを自分の都合の良いように解釈して、世界の人々に訴えている。

 ※写真は国連の安保理で日本を非難する中韓の政府代表者

橋下大阪市長の文楽補助金カット発言            功利か伝統芸術の保護か

2014年01月29日 22時04分19秒 | 時事問題
筆者の友人に演劇関係者がいる。彼と最近飲んだ。彼は「兵庫県知事の井戸さんは芸術振興に理解があるが、大阪市長の橋下さんは理解がない。すべて功利的にしか考えていない」と言っていた。
 確かに、神戸に行くと、博物館や劇場、兵庫県立美術館があり、文化の香りがする。これに対して、大阪は商業の街だ。筆者は芸術や芸能に疎い。ただ、伝統芸能は子々孫々まで守っていかなければならないと思う。
 橋下市長は、文楽協会が市の補助金3900万円の満額支給の基準となる国立文楽劇場の有料入場者10万5000人を達成できなかったことについて、「よく頑張って10万人を超えたが、目標設定なので、残念だが減額だ」と述べた。しかしその後の文楽協会や技芸員らとの話し合いで、現代に適した演目を考え、採算を考えていく改革の意思を確認したとして、来年度の補助金カットを撤回した。
 橋下大阪市長は協会や技芸員との話し合いで、協会にも「技芸員の思いを事業化させてほしい」とマネジメント強化を要望。観客が増えれば協会の収入が増える仕組みも求めた。
 この発言に対して、あるブロガーはこう述べている。「橋下市長は『オレ様好みでない文化・芸術は存在価値なし』という意味の事を公言しているのですか。ナチスのビルダーシュトゥルム(敗退芸術排斥運動)を思い起こさせる言葉ですね。(ナチス・ドイツの独裁者)ヒトラーも自分の好みに合わない芸術を排除しましたね。シャガールやカンディンスキーなどはヒトラーから言わせれば芸術ではなかったようです。近・現代芸術は文化や表現の『多様性』が重要になっているのだと思います。ちょうど近代民主主義の根本にある思想が『個々人、ひとり一人の多様性の肯定』をするのと繋がっているのではないでしょうか。そもそも独裁的な思考回路の人間には「多様性の肯定」というものが存在しないのでしょう。・・・いまでは上から下まで「カネ・カネ・カネ」になってしまったようです。いったい、この国は、どこでどう間違えてしまったのでしょうか」
 これに対して、ノンフィクション作家で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した上原善広さんは自らのブログで「ぼくは基本的に、伝統芸能は庇護すべきという立場ですが、やはり変革が必要なときもあると思っています。ですから今回の騒動も、長い文楽の歴史からすると、そうたいしたことではありません。ただ演者たちや上演形態を見直す時期にきているのは確かだと思いますと述べている。
 筆者は日本人一人一人が伝統芸能を温かく見守っていくべきだと思う。しかし、庇護だけにあぐらをかいていてもいけない。時代の変化の中で、庶民に愛されるために演目を工夫することも必要だ。現代に合った演目を創作している歌舞伎に見習うべきだ。そして古典に対しても伝承していく姿勢が必要だ。
 利益に走らず。かと言って、守りにばかりに徹してはいつかは衰退して滅びる。これは文楽だけではないと思う。何事にも当てはまる。利益と振興、古典の守護をどう調和させるかは今後の課題だろう。橋下市長の上演形態を見直す提案には賛成だが、それが採算に直結することだけに頭がいくと、それも間違いだろう。なかなか難しい問題だが、文化は人間の心に潤いを与える。筆者はクラッシック音楽、ラテン・タンゴや映画音楽は大好き。疲れた時にコーヒーをすすりながら聞くのは格別。芸術は白黒の問題ではない。資金と折り合いながらも、われわれは後世に残していく義務があると思う。

「日本との軍事衝突は避けよ」   中国共産党の最高首脳が一致か

2014年01月23日 15時18分55秒 | 日中関係
  軍識曰く、「時に応じて従と剛を使い分ければ、その国いよいよ光(栄)り、弱と強を使い分ければ、その国ますます強くなる。逆に、純ら(あくまで)柔と弱にこだわれば、その国は必ず衰え、剛と強だけをめざせば、その国必ず亡ぶ」。中国の古典軍法書「三略」の中の「上略」の一節である。
 まさに中国共産党政府の外交政策そのものではないかと思われ、「弱と強」を使い分けている。黒田官兵衛(如水)なら「敵ながらあっぱれ」と褒めるだろう。
 中国共産党は昨年10月下旬、党中央政治局常務委員会を開いた、と日本の英字メディアは伝えている。7人の共産党最高幹部から構成され、習近平総書記が主宰したという。この2日間の秘密会には、党の上級幹部や軍幹部も同席し、30カ国の近隣諸国に駐在する中国大使や国営企業の幹部も参加した。
 関係筋(匿名)の話によれば、この秘密会で、最高幹部7人は中国が日本との軍事衝突を避けることを決定した。そして米国にいかなる介入の口実を与えない、米国の介入阻止に合意したという。言うまでもなく、尖閣諸島をめぐる日中の領土紛争を指す。
 この会議で、共産党の最高幹部はコンセンサスを形成した。このコンセンサスを反映してか、安倍晋三首相の靖国参拝(昨年12月26日)への中国政府の抗議はそれほど激しくなく、同政府は若者の抗議行動を抑え込んだ。このことは、中国政府の日本や米国に対する基本政策を反映しているのだろう。
 「中国は日本と戦う意思を持たない。日本は中国とあえて戦う勇気を持ち合わせていない。米国の尖閣問題介入を阻止する。中国がまあまあの経済繁栄を2020年までに達成するには、安定した平和環境が不可欠である」。コンセンサスの概要である。習近平政権は、当面の政策を実現するためには平和な環境が絶対条件だと考えているようだ。ただ、中国政府は基本政策をあくまで極秘にする。最大の理由は日本に悟られないようにすることだという。
 「中国政府と軍部は日本との偶発的な衝突を欲してはいない。ただ、尖閣諸島問題でいかなる妥協もする計画はない」。この前提に立って、中国は昨年11月23日、日本が実質的に統治している尖閣諸島上空に排他的な防空識別圏を敷いた。軍事衝突を欲しないにもかかわらず、尖閣上空に自国の防空識別圏を設定した中国の政策は一見矛盾したかに見える。日本も軍事衝突を欲していないことを、中国は理解しているため、「強」と「柔」を使い分けながら、相手の反応を観察しているように思える。
 日米は中国の新領空識別圏設定を批判する。日本は中国の防空識別圏を無視して軍用機を飛ばし、日本民間機の中国への領空飛行計画についての事前報告を認めない措置を執った。一歩も「妥協しない姿勢」を中国に見せている。
 日本との軍事衝突を欲しない中国は防空識別圏に侵入した日本軍用機に対して強硬な手段に訴えなかった。「不必要な安全リスクを避けよ。挑発的な行動を避けよ」ということだろう。そして日本の出方を探っている。
 一方、中国は海警局の船舶を尖閣諸島に派遣し、接続水域を航行、ときには領海侵犯をしている。これでもかこれでもか、と執拗な侵犯をしている。中国政府は、尖閣諸島水域での日本艦船とのトラブルが衝突に発展する危険が低いことを知っているからだ。
 英字紙は、尖閣諸島をめぐる中国の日本に対する「強」と「柔」の複雑な動きをこう解釈する。中国国内に対して、政府は日本に妥協しないという明確なメッセージを伝え、海外に対して、尖閣諸島紛争問題は存在しているとアピールするためのものだと。一方、米国は尖閣諸島の主権に対して明確な立場を明らかにしていない。ただ、現在、日本が統治していることを認めている。
 中国は、尖閣諸島をめぐる軍事衝突を避けながらも、米国の言動を巧みに利用して米国を揺さぶっている。安倍首相の靖国参拝に対して米国政府が「失望した」と表明すると、この言葉を巧みに利用しながら米国を揺さぶっている。中国の国益のために、日米同盟を弱体化させるのが中国の長期的な政策と思われる。
 23日付(今日)の朝日新聞朝刊にケネディー大使のインタビュー記事が掲載された。この中で目を引いたのは「『失望した』という異例の談話を発表したが、それは参拝したことに対するものではなく、あくまで『地域の緊張を高めたこと』に対する不満の表明だった」というくだりだ。
 朝日新聞によれば、中国政府は、米国の「失望」談話を受けて、「談話は良かった。米国政府はもっと日本に言うべきだ」と外交チャネルを通じて言ってきたという。また「米国が日本をコントロールできなければ、中米間のさまざまな課題をめぐる協力が影響を受ける」と話し、暗に北朝鮮やイランをめぐる協力を見直すことまで示唆したという。さらに世界各国に駐在する中国の大使が、日本批判論を現地の新聞に投稿する例が相次いでいる。
 中国は武力以外のあらゆる手段を使って心理戦を展開している。これに対して米国は「日本は同盟国だ」と突っぱねているが、内心は日本に対しても「あれだけ(靖国神社)行かないで欲しいと言ったのに」という不満が漏れている。
 米国は、国力が増大する中国に対して警戒しながらも、アジア・太平洋における中国の経済的、軍事的台頭を認める。米国はアングロサクソン人の伝統である現実主義からそうしているのは確かだ。そして中国が法統治の伝統がない国であることも知っている。冷厳な現実の世界を射るような目で観察している。中国も同じように米国を冷徹に観察している。ただ日本は違う。どうしても観念や理念が先行する。観察眼が弱い。このため、日本はオバマ政権の軸足がどこにあるのか不安なのだ。
 日本政府は、中国が最近主張する「新型大国関係」を受け入れる姿勢を示している米国の動きに神経をとがらせる。不安を募らせる。そうだろう。多くの日本人がもっと現実を重視していれば、米国の本心も理解できるのだが。米国は国際秩序の変貌を意識している。「歴史」の変化を意識している。この新しい変化に対応してアジアと太平洋の平和を維持するにはどうしたらよいか、を考えている。それを達成するには日本なくしてはできないことも理解している。ASEAN諸国をも味方につけて、ロシアとも友好関係を維持し、かつ中国とはつかず離れずの状態を維持したいとも願っている。
 中国はどうか。中国人もわれわれが舌を巻くほど現実的な国民だ。中国共産党にはもはや共産党理論という看板はどこにもない。中国5000年の伝統に共産党理論は飲み込まれた。乱暴だが中国の伝統は「法の統治がない一君万民」「常識を礎とした権謀術数」だと思う。最初に書いた「三略」そのままに、尖閣諸島問題など中国の対外政策について「戦わずして勝利」することを最高の目標にしている。
 米国は中国の戦略を熟知している。中国人の複雑な、機知にとんだ戦略を知っている。しかし、安倍首相は米中に言う。「胸襟を開けば、日本の言い分は理解してもらえる」。そう望みたいが、それは日本人の間だけで通じることだ。
 「ケネディー大使は提起する『歴史問題の和解による解決』が、日米中韓の各国間に横たわるさまざまな問題を鎮静化する『万能薬』と言える」。朝日新聞はこう述べている。この新聞の編集者も日本人らしい”善良な心”で満ちている。しかし中国政府は「歴史問題」を外交戦略の一環として、過去も現在も未来も利用するだろう。「歴史」を客観的な姿勢で考えることは今のところない。この問題が「万能薬」になることはないだろう。
 われわれは冷厳な現実を見つめ、分析、観察し、感情や理念で行動してはならない。1月19日のNHK 大河ドラマ「黒田官兵衛」で、竜雷太さん役の官兵衛の祖父が、初恋の人を殺され怒りにまかせて隣国を攻め滅ぼせと言った官兵衛を叱責していた。これは演出家の脚色ではあるが、ものの心理をついている
 筆者は安倍首相に言いたい。個人の理念や信念、選挙公約に縛られて、再び靖国参拝を強行してはならない。それは国益に反する行為だと肝に銘じてもらいたい。参拝しないことは中国に屈することではない。それは現在の冷たい国際環境を計算した賢者の行動である。 
 中国人は現在、米国におおっぴらに対抗していない。表面的には米国との良好な関係を求めている。中国政府は中国の総合国力が米国にいまだ追いついていないことを熟知しているからだ。戦前の日米国力比が1対20だったように、中米比は1対10以上あるだろう。
 理念的で精神的な日本人は日米国力比1対20でも太平洋戦争を始めた。日中戦争で、蒋介石の中国政府は日本軍が中国軍より圧倒的に優っていることを熟知していた。だからこそ、広大な中国大陸を利用して退却し続け、敵(日本)の国力の消耗を待ったのだ。
 常識的な中国人は、米国が優っているうちは戦わないだろう。それに核戦争がもはやトータルウォーを不可能にしていることも中国政府の指導者は理解しているはずだ。理解していなくても、好むと好まずとにかかわらず、そのことを知るだろう。全面核戦争はできない。局地戦争の犠牲は大きすぎる。戦わず勝つことが戦略の本義なり、と中国の為政者は考えているだろう。
 話しがそれるが、先日の平田被告の裁判で、オウム真理教の幹部の中川死刑囚が仮谷清志さん(当時68歳)監禁致死事件(1995年2~3月)について証言し「事件をやめていれば良かった」と後悔の念をにじませた(毎日新聞)。
 オウムの数々の凶悪事件についても中川死刑囚はそう思ったにちがいない。一人のまじめな医学生が、麻原と言う言葉巧みな男の説教にはまっていった。ほかの「まじめな」学生あがりの幹部も同じ心理だっただろう。もっと冷静に観察眼を持ち、麻原の“理念”や“理想”の”素晴らしさ”に惑わさなければ、現在ごく平凡な生活を送っていたにちがいない。
 日本人は美辞麗句に弱い。「表面上の素晴らしさに酔う」傾向がある。「苦労してやり遂げた人」「一番になった人」「人格者」に必要以上に惚れる傾向がある。絶対的な賢者に祭り上げてしまう。どんな立派な人間でも「弱点」「欠点」は存在する。何の思い入れもなく、虚心坦懐に対象物を観察してこそ、実像が浮かび上がる。懐疑の心を持つことも必要だ。「疑うこと」は決して悪いことではない。中世のフランスの哲学者、ルネ・デカルトは懐疑を通して「われ思う、故に我あり」と後世の人々に述べ、「懐疑」「思考」の大切さを説いている。そして鋭い観察眼を養うことだ。
 現実を観察し、その時に一番良いと思われることを実行する。それが理想とかけ離れていても、現実には良策である。幕末の徳川幕府の知恵袋で名臣、勝海舟はこう言っている。「現実と理想はいつもかけ離れている。現実の中から良策が生まれるのだ。理想から生まれるどころか、理想を実行することで、さらに状況悪化を招く」。また「時」が変化すれば、「約束をたがえた」などと言わないで、その現実を受け入れる勇気も必要だ。 なぜ?時は止まることはない。絶えず変化するのだ。
 中韓とはあくまで現実に即した付き合いでなければならない。中韓の「思い入れの政策や言動」や、中国の一挙手一投足に怒らないことだ。中国人は計算づくでわれわれが怒るようなことを仕掛け、われわれの出方を観察しているのだから・・・。中国人や韓国人への偏見を持たない姿勢、思い込みの態度を持たないことが一番大切なことだと思う。
 私見だが、中国人は、日本人や韓国人より、少なくとも指導者にかぎって観察すれば、冷徹な現実主義者である。日本人や韓国人は感情的、感傷的だ。失礼な言い方をすれば、韓国人や韓国の指導者のほうが、この傾向が日本人より強いように思う。それは政治、外交という現実的なアプローチを必要としなければならない分野において百害あって一利なしである。

日本とイギリスの文化の違い   一時帰国した英国長期滞在者が見たJAPAN

2014年01月22日 19時56分04秒 | 生活
 英国生活に慣れた日本人が一時帰国後、滞在中に行動しがちな5つの“失敗例”を挙げていた。文化の違いから起こるちょっとした話だ。「失敗」とは筆者は思わないが・・・。その日本人はロンドンの邦字紙に勤務する記者で、年末から年始にかけて日本の実家に一時帰省した。「日本滞在中に取ってしまいがちな5つの行動」と語っていた。
  ①他人にぶつかったときに思わず「Sorry」(すみません)って言っちゃう。
 「こういう反射的な言葉って日本語と英語の切り替えが大変難しいですよね。しかも英語がまともにできない人ほど海外における日常生活ではとりあえず「Sorry」を連発してしまうから、もう半ば口癖みたいになっているんだな。友人らには「お前はルー大柴か!」と突っ込まれました」
 邦字紙記者のおっしゃるように、筆者も約30年前帰国した当時、よく「Sorry=すみません」と言っていた。もう一つよく使う言葉が「Thank you=ありがとう」。レストランで食事を終えて、料金を払うとき、英国では客が「thank you」を使う。帰国直後、筆者もレストランで「ありがとう」と言っていた。レストランのレジ嬢の中には、ニコニコして「ありがとうございます」と言い返す人もいれば、キョトンとしていた人もいた。しばらくして「Thank you」は「ごちそうさま」だと理解して、今日までレストランで食事をすませて勘定をするときには「ごちそうさま」と言っている。、
 「ごちそうさま」と言うと、紋切り型に「ありがとうございます」と言っていたレジ嬢が笑みを浮かべながらあらためて「ありがとうございました」と心を込めて言ってくれた場合もあった。こういう挨拶はお互いに気持ちが良い。
  このごろ「ダンマリ日本人」が多くなっている。俺はお客だ、と大名ずらしている客も多い。日本人に「俺は客だ」という強い意識があるのだろう。レストランでの日本人の態度は今も昔も同じようだが、昔は駅構内などで肩と肩が触れ合えばお互いに「すみません」と言っていた。お互いにいたわりあう気持ちが薄れつつあることだけは事実なのかもしれない。
②車が来そうでなければ赤信号でも歩道を渡ろうとする
 「そう言えば、僕も渡英したばかりのときに『ロンドンの歩行者って赤信号でもガンガン渡るんだな』と驚いた記憶があります。それが今や『赤信号 一人で渡っても全然怖くない』という字余りな感覚にすっかり慣れてしまいました。日本ではたとえ車が全く来そうでなくても信号待ちする人が多いですよね。今回の一時帰省では、一緒に歩いている人に『ちょっとまだ赤だよ!』ってびっくりされたことにびっくりした」
 邦字紙記者の言うように、英国に比べれば、まだ日本人のほうが赤信号を守る。それでも赤信号無視の日本人も20年前に比べれば、多くなってきた。英国人に近づいたということか。
 そのほかの3つは、個人的な観察だが、邦字紙記者の固有の失敗談だと思う。その中で、「男なのに『女性専用車両』に乗っちゃった」という発言はまさに現在の現象だ。
 記者は言う。「だって僕が日本で暮らしていたときには、『女性専用車両』なんて制度はなかったんだもーん。しかもあれ、時間によって女性専用になったりならなかったりするんですね。車両の内装も外装もほかの車両と違いないし。別に乗ってしまったからって罰則措置があるわけでもないんですよね」「ロンドン長期滞在者としては、日本からロンドン・ヒースロー空港に戻ってきた瞬間に『女性専用車両』という感覚になれるのが実は一番うれしかったりするのだけれど」
 記者は何年英国に滞在しているのかは言っていないが、久しぶりに帰国した時の戸惑の気持ちは理解できる。日本との文化の違いを肌で感じたことだろう。
 若い時は何年外国に暮らそうが、望郷の念はない。ただ歳をとると祖国に帰りたいと大多数の日本人は思う。日本人ばかりでなく、外国人もこの気持ちは同じだ。
 筆者の独断で言えば、国があるということは幸福だ。外国の地で迫害されても帰る所がある。英国に暮らして筆者はこのことを心から感じた。現在もこの気持ちは変わらない。

大酒飲みの中年はご注意   急速な頭脳の衰えまねく

2014年01月18日 15時18分05秒 | 生活
 中年の大酒のみの男性は、そうでない人より頭脳の衰えが早いー。こんなニュースを見つけた。何年も多量にお酒を飲んでいると理性や思考力などの頭脳が衰える。ロンドン大学のユニバシティー・カレッジのサバリン・サビア先生のチームの報告が最近英国の専門誌「ニューロロジー」に掲載された。
 最低の酒量を一日ワイン13オンス(28.412ml)、ビール30オンス。この三倍以上飲むドリンカーを大酒のみと定義する。ワインは中ジョッキーの3分の2、ビールは中ジョッキー1杯分と3分の1が最低酒量ということか。大酒のみはこの量の3倍以上を毎日飲むということにある。
 英国の公務員5000人を調査。調査を初めて10年してから脳の破壊が顕著になったという。平均して56歳までの十年間、毎日アルコールを飲んでいると、10年を境にして脳は退化をはじめ、次第に加速する。調査は20年間続けられた。つまり物忘れがひどくなり、論理的に思考できない。また理性的でなくなり、我慢できず怒りっぽくなる。 女性にはその傾向がなかったと報告されている。ただ、調査した女性の数が少なかったので、正確なことは言えないそうだ。
 ただ最低量の飲酒では、大きな脳の退化は見られなかった。脳の退化の原因がアルコールなのかははっきりしなかったが、とにかく酒の量と脳の退化には相関関係がある、と調査は示している。
 この調査を読んだ米フロリダ大学のサラ・ニクソン先生は「中年の男女だけでなく若い人々も今までのお酒を飲む習慣を振り返り、今後の酒を飲む習慣と量について注意を払う必要がある」と述べている。
 「酒は百薬の長」。適度に飲めば、健康促進。多量に述べが百害あって一利なし。先人の教えだ。筆者は現役の時は酒を飲む機会が多かった。あまり強くなく、すぐに顔に出た。もともと酒が好きではなかったので、自分でコントロールしながら飲んだ。退職してから飲む機会が急減した。退職後しばらくの間、週に1-2度自宅でビールやワインを飲んでいたが、現在、それもなくなった。「ノンアルコール」ビールを週に一度飲んでいる。「ノンアルコール」ビールは酒ではないから、現在は酒を飲んでいないと言うほうが正確だろう。
 退職しても自宅でワインやビールを毎日かなり飲んでいる同僚がいる。飲むことが楽しみのようだ。彼は趣味を持っている。趣味があれば、まだ精神的な意味で健康にはよいかもしれない。退職してから趣味もないと酒びたりになりかねない。残りの人生を有意義に過ごすにはどうしたらよいか。このことは筆者のような、初老を迎えた「団塊の世代」の緊急の課題のように思える。