英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

映画「チャーチル ヒトラーから世界を救った男」を鑑賞して

2018年03月30日 16時24分53秒 | 映画
 映画「チャーチル ヒトラーから世界を救った男(原題:Darkest Hour)」が封切られた。日本人ではじめて米アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した話題作。20世紀の最高の政治家の一人、ウィンストン・チャーチルが首相に就任する1日前の1940年5月9日から27日間の物語を描いている。この期間は宰相にとって人生で最も苦しい日々だった。
 ジョー・ライト監督が制作した映画はチャーチルの人間性や性格を忠実に描いている。ただ、当然と言えば当然だが、虚実を交えていることを忘れてはいけない。例えば、映画のプロローグに映し出される党大会は5月9日だが、事実は5月7,8日。映画で、チャーチルが国王ジョージ6世から首相就任を要請された後、チャーチルの支持者アンソニー・イーデンが言ったことの一部も、事実は首相の警護警部ウォルター・トンプソンが述べた。映画の最後で、ハリファクス卿が「言葉を戦場に送り込み、皆の支持を得た」という下りは、米大統領ジョン・F・ケネディーが1963年、チャーチルに米国の名誉市民の称号を与えたときの発言だ。またチャーチルが地下鉄に乗り、英国民と対話するシーンも作り話だ。しかし、映画の核心は、チャーチルが英国の政治的伝統「自由と民主主義制度」を死守するところにあると思う。
 ライト監督は地下鉄でのチャーチルと市民の会話を創作し、政治家が国民の声を聞くことが必要だと鑑賞者に訴える映画にしたかったのだろう。ポピュリズムや独裁者の強権政治に対する警鐘だとも受け取れる。映画のモチーフが明確だと思う。
 チャーチルが、酒飲みで葉巻好きなのは事実。チャーチルは朝から飲んでいたが、かなり水でアルコールを薄めていたのも事実。この映画では良く描かれている。
 辻氏がつくり上げたチャーチルは迫力十分だった。主演のゲイリー・オールドマン(チャーチル役)は「彼を演じるために、何でもやった」と話す。「チャーチルの音声や動画を見て」役作りに励んだという。
 映画には悪役が必要なのだろう。この映画の悪役は、チャーチルの前任者ネヴィル・チェンバレンと、植民地インドの総督だったハリファクス卿。二人とも20世紀前半の大政治家だ。あまりにも悪役に仕立てられていて、かわいそうだと思った。天国の二人は苦笑いしているにちがいない。映画で描かれる27日間の史実では、チェンバレンはチャーチル寄りだった。チェンバレンはヒトラーを信じて「宥和政策」をとったが、「ペテンにかけられ」(チャーチルの言葉)裏切られた。このことを深く理解していたチェンバレンはヒトラーをもはや信用せず、最後にはチャーチルに味方する。一方、ハリファクス卿も、現在の政治家のように私益や党益からヒトラーと和平を結ぼうとしたのではない。国家と国民のため、英国の政治家がごく普通に持っている現実主義的な思考からそう考えた。もはや勝ち目はないから、完膚なきまでに敗北する前に少しでも良い条件でナチス・ドイツと和平に持ち込もうとした。
 この映画では、リスクをとるチャーチルの勇気が描かれている。確かに、勇気を前面に出して難局に立ち向かうことは大切だが、時として勇気が命取りになることも銘記しなければならない。チャーチルの勇気は結果オーライだった。そのことは否定できない。この映画で描かれている1940年5~6月の英国の状況を踏まえれば、現実主義者であれば、ドイツの欧州での覇権を認める替わりに大英帝国の維持をヒトラーに認めさせることは決して間違ってはいない。ハリファクス卿の見解は決して間違ってはいない。英国一国だけで強大なナチス・ドイツといつまで戦えるのか。孤立主義を貫くアメリカ人は、この戦争に介入する気持ちはなかった。民主主義と資本主義を信用していなかった旧ソ連の独裁者スターリンはヒトラーとことを構えたくなかった。
 遅かれ早かれドイツが東西欧州を支配下に置くことで、ドイツの軍事力は決定的に強大になるはずであった。ドイツが旧ソ連(ロシア)に侵攻する1941年6月22日まで、旧ソ連は穀物や軍需物資をドイツ本国へ送っていた。独ソは同盟国だった。
 ドイツが旧ソ連に侵攻し、日本がハワイ・真珠湾を攻撃したことはチャーチルにとって天佑だった。ドイツと日本が歴史上まれに見る大失策を犯さなければ、英国はドイツによる1940年夏から秋にかけての攻撃に続いて、再び攻撃され、国土を蹂躙された可能性は高かった。歴史に「もし」はないが、そう考えざるを得ない。しかし、この映画から、チャーチルの人間性、人物像や生き方を、われわれが学ぶことがあると思う。もちろんチャーチルは長所や短所を持った人物であり、われわれとこの点では変わらない。彼の人物像はこの映画から観察できる。
 チェンバレン、ハリファクス、チャーチルは、対独観、対ヒトラー観、そして世界情勢の中での英国の立ち位置についての考え方を共有していなかった。一方が正しくて他方が間違っているという問題ではない。チェンバレンとハリファクスの名誉のために言っておきたい。歴史がチャーチルに味方したのだ。そして結果としてナチスは滅び、民主主義は生き残り、共産主義は延命した。私は、ヒトラーとナチズムが滅び、民主主義が生き残って「良かった」と思う。
 この映画の配給会社が、この映画が封切りされる約3ヶ月前に出版された拙書「人間チャーチルからのメッセージ」を評価してくださり、映画のパンフレットの一部への執筆依頼があった。このため2月22日に試写会に招待され、映画を鑑賞した。この映画を鑑賞後、上記のような感想を抱いたのである。

世界の独裁化を憂う    日米中ソの最近の政治動向を見て

2018年03月14日 09時25分24秒 | 国際政治と世界の動き
 先進国の指導者の独裁傾向が強まっている。日米ロ中は顕著だ。ウィンストン・チャーチルが生きいたら嘆くだろう。
 森友学園問題や加計問題をめぐる安倍政権の失態は、もとはと言えば安倍晋三首相の政治姿勢にある。自分の意見に賛同した「イエスマン」だけを重用し、反対派を封じ込めてきた。現在の政権には確かに安倍首相に必ずしも同調しない人物が入閣している。野田聖子総務相と河野太郎外相がそうだ。しかし、安倍首相が自ら招いたのではない。外圧にこうしきれずにそうした。
 今回の森友学園をめぐる財務省の文書書き換え(改ざん)事件は、安倍首相の性格を反映しているのではないか。強引なまでの安倍首相の政治主導がこの悲惨な結末をもたらしたと言っても過言ではない。それは安倍首相の議論嫌いにも、その一因がある。彼の国会答弁を聞いていると、議論と言うより持論を展開・主張するだけの人物のようだ。相手の批判に時として我を忘れて反ばくしているときさえある。相手の意見をじっくり聞こうともしない。安倍首相は独裁者だと断定するのは言い過ぎだが、権威主義者で民主主義を理解しない人物だと言うことだけは確かだ。
 太平洋をこえて米国をみれば、これまたおかしな大統領が米国を指導している。言わずと知れたドナルド・トランプだ。米国務長官のティラーソン氏を解任した。この男も自分の意見と合わないと直ぐ部下の首を切る。いままで何人の首を切ったのか。累々たる屍が横たわっている。安倍氏もトランプ氏も民主主義制度の核心である「議論」を学んでいない非民主主義者だ。
 ロシアのプーチンは紛れもない独裁者だ。英国に亡命していたロシア人の元スパイが何者かに殺されそうになり、病院で手当を受けているが重体だ。ロシアがこの事件に関与した疑いが濃厚だ。プーチンの強権的な政治手法を見ていると、とうてい民主主義者とは呼べない。また中国の最高指導者の習近平氏も、憲法を改正して、総書記の任期を取っ払い、無期限にした。中国共産党の独裁の上に彼の独裁が加わるわけだ。
 私が尊敬する英国・ウィンストン・チャーチルはとにかく議論好きだった。特に政敵と議論するのを好んだ。チャーチルを20年近く側で見ていたウォールター・トンプソン氏(故人)は著書で「チャーチルはイエスマンを信用しなかった」と述べている。理路整然と反論する政敵を尊敬していた。労働党のアーネスト・ベビィンはその一人だ。第2次世界大戦では彼の挙国一致戦時内閣に招いている。
 喜劇王のチャールズ・チャプリンもチャーチルは反対異見論者の見解に耳をそばだてて聞いていたと、彼の自伝に書いている。反対論者に悪感情を抱かなかったとも書いている。
 現在の一連の世界の動きを見ていると不気味さを感じ、将来への不安が募る。安倍首相やトランプ米大統領のような民主主義を軽視する指導者が一刻も早くいなくなることを祈るばかりだ。ロシヤや中国が一日も早く民主主義国家に生まれ変わることを期待するばかりだ。
 

安倍首相の妻は悪妻として後世に伝えられるのか   財務省理財局の決裁文書書き換えに思う

2018年03月12日 23時13分51秒 | 日本の政治
 学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる財務省理財局と近畿財務局による14の決裁文書の書き換えが12日、明らかになった。この中で、鴻池祥肇元防災担当相ら政治家や昭恵首相夫人に関する記述などが、紙面から消えていたと各紙が報じている。昨年の今頃から始まったこのスキャンダルはいつ終わるのか。それにしても昭恵夫人とはどんな人物なのか。
 この一年間、「忖度(そんたく)」という2文字が日本中を駆け巡っている。森友学園との交渉で矢面に立たされた近畿財務局の職員の自殺。佐川宣寿国税庁長官の辞任。麻生太郎・財務相は佐川氏にすべての責任を負わせて幕引きを計ろうとしているようにも見える。誰を守ろうとしているのか。
 官僚が勝手に”改ざん”を決めたとも思えない。政治家の圧力があったと考えても不思議ではない。森友学園の小学校開校をめぐる籠池泰典氏と昭恵夫人の関係が、近畿財務局の官僚を惑わせたのか。
 私は官僚が文書を改ざんしてまで守ろうとしたのは昭恵夫人ではないかと推察する。彼女は最高権力者の妻だ。安倍首相は官僚の生殺与奪の権利を握っている。官邸が官僚の出世を左右する。官僚、特にキャリア官僚にとって、出世は人生の重大な関心事だろう。官僚が忖度を働かせる相手は、政治家でもよほど高位の者ではないだろうか。首相夫人の昭恵さんが浮かび上がる。
 昭恵夫人は、安倍首相のお母さんの洋子さんから「首相夫人の立場をわきまえない非常識な女性」と嫌われているという。森友学園問題では、洋子さんから「総理夫人失格」の烙印を押されたという。
 閣僚も務めた自民党ベテラン議員が、ある雑誌のインタビューでこう言っている。「洋子さんは昭恵夫人の脇の甘さと危機感のなさにもっとも怒っている。森友の件が明るみに出てすぐ、自宅で説教をしたと聞きます」
 このベテラン議員はこうも言う。「総理はこう言っていました。『昭恵は本当に人の言うことを聞かないんだ。今回のことがあっても、相変わらず毎日出歩いてばかり。少しは懲りてくれるかと思ったんだけど……』」
。別の自民党議員は「懲りる人なら、最初からこんなことにはなってませんよ」「総理も昭恵さんにはいろいろと握られているから、強く言えないだけなんじゃないの?」と話す。
 どうもこの女性は自分の置かれた立場を理解していないようだ。夫が重大な局面に立たされているのに、いまだに毎日、ブログやラインで「ある式典に出たとか、有名人に会った」と報告しているようだ。どうも自己顕示欲が強すぎて、客観的な事実を理解できないらしい。
 もし昭恵夫人が森友学園のキイパーソンだと明確になれば、安倍政権はもたないだろう。そうなれば、後世の世代から、室町幕府の八代将軍、足利義政の正室の日野富子と並び称される悪妻として日本史に載るに違いない。そして安倍首相は足利義政になるのだろうか。首相には同情を禁じ得ない(皮肉)。
 民主主義制度の根幹の議論を軽視し、賛同者ばかりで固めた安倍政権の末路だ。籠池氏も安倍首相も同じむじな。心情右翼だ。
第2次世界大戦前もそうだが、右翼がこの国をいつも壊し危険に陥れる。左翼はいつも大騒ぎし、時にはテロ行為のようなこともするが、国家を壊すことはできない。要するに日本国民は情緒に弱いと言うことかもしれない。私を含め、われわれ一人一人が反省しなければならない。

 追伸 フェイスブックに届いた「野党のバカげた質問ばかりで、旦那さんは毎日大変ですね。国会には、世間には先を読めない人が多すぎますね」という投稿に対し、昭恵さんのアカウントから「いいね!」ボタンが押されていることが発覚した。この投稿のあった11日は財務省が決裁文書の書き換えを認める前日。「夫を擁護するつもりだったのだろうが、いくらなんでもタイミングが悪すぎる」と各紙記す。昭恵さんは近畿財務局の森友担当職員の自殺が判明した9日にも、フェイスブックで「3月8日は国際女性デー。HAPPY WOMANのイベントに参加しました」と、ノリノリで報告。自殺の一報が耳に入っていてもおかしくない時間帯で、ネット上では「不謹慎すぎる」と大炎上した。
 KYだとネット上で述べる人々もいるが、それを超えている。それ以上はばかばかしくて何とも言えない。森友学園の名誉校長を引き受けたことなどを考えると、相当顕示欲が強い人物のようだ。


私は昭恵夫人を「相当顕示欲の強い人物」と申し上げたが、間違っていたようだ。自分の思ったことは直ぐ話す、善意のかたまりという人々もいる。子どものような心を持つ女性という。しかし、社会に与える悪影響ははかりしれない。60歳近くになったらほとんどの人々が持っている常識がないということなのだろうか。