映画「チャーチル ヒトラーから世界を救った男(原題:Darkest Hour)」が封切られた。日本人ではじめて米アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した話題作。20世紀の最高の政治家の一人、ウィンストン・チャーチルが首相に就任する1日前の1940年5月9日から27日間の物語を描いている。この期間は宰相にとって人生で最も苦しい日々だった。
ジョー・ライト監督が制作した映画はチャーチルの人間性や性格を忠実に描いている。ただ、当然と言えば当然だが、虚実を交えていることを忘れてはいけない。例えば、映画のプロローグに映し出される党大会は5月9日だが、事実は5月7,8日。映画で、チャーチルが国王ジョージ6世から首相就任を要請された後、チャーチルの支持者アンソニー・イーデンが言ったことの一部も、事実は首相の警護警部ウォルター・トンプソンが述べた。映画の最後で、ハリファクス卿が「言葉を戦場に送り込み、皆の支持を得た」という下りは、米大統領ジョン・F・ケネディーが1963年、チャーチルに米国の名誉市民の称号を与えたときの発言だ。またチャーチルが地下鉄に乗り、英国民と対話するシーンも作り話だ。しかし、映画の核心は、チャーチルが英国の政治的伝統「自由と民主主義制度」を死守するところにあると思う。
ライト監督は地下鉄でのチャーチルと市民の会話を創作し、政治家が国民の声を聞くことが必要だと鑑賞者に訴える映画にしたかったのだろう。ポピュリズムや独裁者の強権政治に対する警鐘だとも受け取れる。映画のモチーフが明確だと思う。
チャーチルが、酒飲みで葉巻好きなのは事実。チャーチルは朝から飲んでいたが、かなり水でアルコールを薄めていたのも事実。この映画では良く描かれている。
辻氏がつくり上げたチャーチルは迫力十分だった。主演のゲイリー・オールドマン(チャーチル役)は「彼を演じるために、何でもやった」と話す。「チャーチルの音声や動画を見て」役作りに励んだという。
映画には悪役が必要なのだろう。この映画の悪役は、チャーチルの前任者ネヴィル・チェンバレンと、植民地インドの総督だったハリファクス卿。二人とも20世紀前半の大政治家だ。あまりにも悪役に仕立てられていて、かわいそうだと思った。天国の二人は苦笑いしているにちがいない。映画で描かれる27日間の史実では、チェンバレンはチャーチル寄りだった。チェンバレンはヒトラーを信じて「宥和政策」をとったが、「ペテンにかけられ」(チャーチルの言葉)裏切られた。このことを深く理解していたチェンバレンはヒトラーをもはや信用せず、最後にはチャーチルに味方する。一方、ハリファクス卿も、現在の政治家のように私益や党益からヒトラーと和平を結ぼうとしたのではない。国家と国民のため、英国の政治家がごく普通に持っている現実主義的な思考からそう考えた。もはや勝ち目はないから、完膚なきまでに敗北する前に少しでも良い条件でナチス・ドイツと和平に持ち込もうとした。
この映画では、リスクをとるチャーチルの勇気が描かれている。確かに、勇気を前面に出して難局に立ち向かうことは大切だが、時として勇気が命取りになることも銘記しなければならない。チャーチルの勇気は結果オーライだった。そのことは否定できない。この映画で描かれている1940年5~6月の英国の状況を踏まえれば、現実主義者であれば、ドイツの欧州での覇権を認める替わりに大英帝国の維持をヒトラーに認めさせることは決して間違ってはいない。ハリファクス卿の見解は決して間違ってはいない。英国一国だけで強大なナチス・ドイツといつまで戦えるのか。孤立主義を貫くアメリカ人は、この戦争に介入する気持ちはなかった。民主主義と資本主義を信用していなかった旧ソ連の独裁者スターリンはヒトラーとことを構えたくなかった。
遅かれ早かれドイツが東西欧州を支配下に置くことで、ドイツの軍事力は決定的に強大になるはずであった。ドイツが旧ソ連(ロシア)に侵攻する1941年6月22日まで、旧ソ連は穀物や軍需物資をドイツ本国へ送っていた。独ソは同盟国だった。
ドイツが旧ソ連に侵攻し、日本がハワイ・真珠湾を攻撃したことはチャーチルにとって天佑だった。ドイツと日本が歴史上まれに見る大失策を犯さなければ、英国はドイツによる1940年夏から秋にかけての攻撃に続いて、再び攻撃され、国土を蹂躙された可能性は高かった。歴史に「もし」はないが、そう考えざるを得ない。しかし、この映画から、チャーチルの人間性、人物像や生き方を、われわれが学ぶことがあると思う。もちろんチャーチルは長所や短所を持った人物であり、われわれとこの点では変わらない。彼の人物像はこの映画から観察できる。
チェンバレン、ハリファクス、チャーチルは、対独観、対ヒトラー観、そして世界情勢の中での英国の立ち位置についての考え方を共有していなかった。一方が正しくて他方が間違っているという問題ではない。チェンバレンとハリファクスの名誉のために言っておきたい。歴史がチャーチルに味方したのだ。そして結果としてナチスは滅び、民主主義は生き残り、共産主義は延命した。私は、ヒトラーとナチズムが滅び、民主主義が生き残って「良かった」と思う。
この映画の配給会社が、この映画が封切りされる約3ヶ月前に出版された拙書「人間チャーチルからのメッセージ」を評価してくださり、映画のパンフレットの一部への執筆依頼があった。このため2月22日に試写会に招待され、映画を鑑賞した。この映画を鑑賞後、上記のような感想を抱いたのである。
ジョー・ライト監督が制作した映画はチャーチルの人間性や性格を忠実に描いている。ただ、当然と言えば当然だが、虚実を交えていることを忘れてはいけない。例えば、映画のプロローグに映し出される党大会は5月9日だが、事実は5月7,8日。映画で、チャーチルが国王ジョージ6世から首相就任を要請された後、チャーチルの支持者アンソニー・イーデンが言ったことの一部も、事実は首相の警護警部ウォルター・トンプソンが述べた。映画の最後で、ハリファクス卿が「言葉を戦場に送り込み、皆の支持を得た」という下りは、米大統領ジョン・F・ケネディーが1963年、チャーチルに米国の名誉市民の称号を与えたときの発言だ。またチャーチルが地下鉄に乗り、英国民と対話するシーンも作り話だ。しかし、映画の核心は、チャーチルが英国の政治的伝統「自由と民主主義制度」を死守するところにあると思う。
ライト監督は地下鉄でのチャーチルと市民の会話を創作し、政治家が国民の声を聞くことが必要だと鑑賞者に訴える映画にしたかったのだろう。ポピュリズムや独裁者の強権政治に対する警鐘だとも受け取れる。映画のモチーフが明確だと思う。
チャーチルが、酒飲みで葉巻好きなのは事実。チャーチルは朝から飲んでいたが、かなり水でアルコールを薄めていたのも事実。この映画では良く描かれている。
辻氏がつくり上げたチャーチルは迫力十分だった。主演のゲイリー・オールドマン(チャーチル役)は「彼を演じるために、何でもやった」と話す。「チャーチルの音声や動画を見て」役作りに励んだという。
映画には悪役が必要なのだろう。この映画の悪役は、チャーチルの前任者ネヴィル・チェンバレンと、植民地インドの総督だったハリファクス卿。二人とも20世紀前半の大政治家だ。あまりにも悪役に仕立てられていて、かわいそうだと思った。天国の二人は苦笑いしているにちがいない。映画で描かれる27日間の史実では、チェンバレンはチャーチル寄りだった。チェンバレンはヒトラーを信じて「宥和政策」をとったが、「ペテンにかけられ」(チャーチルの言葉)裏切られた。このことを深く理解していたチェンバレンはヒトラーをもはや信用せず、最後にはチャーチルに味方する。一方、ハリファクス卿も、現在の政治家のように私益や党益からヒトラーと和平を結ぼうとしたのではない。国家と国民のため、英国の政治家がごく普通に持っている現実主義的な思考からそう考えた。もはや勝ち目はないから、完膚なきまでに敗北する前に少しでも良い条件でナチス・ドイツと和平に持ち込もうとした。
この映画では、リスクをとるチャーチルの勇気が描かれている。確かに、勇気を前面に出して難局に立ち向かうことは大切だが、時として勇気が命取りになることも銘記しなければならない。チャーチルの勇気は結果オーライだった。そのことは否定できない。この映画で描かれている1940年5~6月の英国の状況を踏まえれば、現実主義者であれば、ドイツの欧州での覇権を認める替わりに大英帝国の維持をヒトラーに認めさせることは決して間違ってはいない。ハリファクス卿の見解は決して間違ってはいない。英国一国だけで強大なナチス・ドイツといつまで戦えるのか。孤立主義を貫くアメリカ人は、この戦争に介入する気持ちはなかった。民主主義と資本主義を信用していなかった旧ソ連の独裁者スターリンはヒトラーとことを構えたくなかった。
遅かれ早かれドイツが東西欧州を支配下に置くことで、ドイツの軍事力は決定的に強大になるはずであった。ドイツが旧ソ連(ロシア)に侵攻する1941年6月22日まで、旧ソ連は穀物や軍需物資をドイツ本国へ送っていた。独ソは同盟国だった。
ドイツが旧ソ連に侵攻し、日本がハワイ・真珠湾を攻撃したことはチャーチルにとって天佑だった。ドイツと日本が歴史上まれに見る大失策を犯さなければ、英国はドイツによる1940年夏から秋にかけての攻撃に続いて、再び攻撃され、国土を蹂躙された可能性は高かった。歴史に「もし」はないが、そう考えざるを得ない。しかし、この映画から、チャーチルの人間性、人物像や生き方を、われわれが学ぶことがあると思う。もちろんチャーチルは長所や短所を持った人物であり、われわれとこの点では変わらない。彼の人物像はこの映画から観察できる。
チェンバレン、ハリファクス、チャーチルは、対独観、対ヒトラー観、そして世界情勢の中での英国の立ち位置についての考え方を共有していなかった。一方が正しくて他方が間違っているという問題ではない。チェンバレンとハリファクスの名誉のために言っておきたい。歴史がチャーチルに味方したのだ。そして結果としてナチスは滅び、民主主義は生き残り、共産主義は延命した。私は、ヒトラーとナチズムが滅び、民主主義が生き残って「良かった」と思う。
この映画の配給会社が、この映画が封切りされる約3ヶ月前に出版された拙書「人間チャーチルからのメッセージ」を評価してくださり、映画のパンフレットの一部への執筆依頼があった。このため2月22日に試写会に招待され、映画を鑑賞した。この映画を鑑賞後、上記のような感想を抱いたのである。