英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

フィリピンは「世界一涙腺がゆるむ」感情豊かな国?   今回の比国中間選挙での死者は50人以上

2013年05月24日 15時51分24秒 | 国民性
 筆者がこの2カ月間、書き込むことができなかった。それでも、読者がブログを読んでくださった。特に、コメント「外国人の批評は日本人の国民性を映す鏡」を読んでくださる読者が一番多かった。
われわれは自分のことを他人がどう思っているかが気にかかる。同じように自国を他国がどう思っているのかにも関心を抱く。人間の心理だと言えば、それまでだが、そうはいっても面白い。
 政治、軍事、外交についての筆者の信念は、何度も申し上げたように、ディタッチメントな精神、観察する姿勢、私情や思い込みや感情で判断しないことに尽きる。何よりも周囲の環境・状況や過去の史実を観察することが大切だ。
 人間は誰でも感情を持っている。筆者は否定しないどころか、筆者自身も涙腺のゆるい人間であり、感情に弱い。ただ、国家権力や暴力装置、利害関係が絡んだ上記3つの分野を取り扱うときは、「泣いて馬謖を斬る」姿勢が何よりも大切だ。
 この有名なことわざは、紀元3世紀の名政治家の諸葛孔明の言葉だ。「孔明の前に孔明なく、孔明の後に孔明なし」と言われるくらいの政治家・軍略家であり、中国史上最高の傑物と言われている。
 フィリピンでは5月(今月)13日、アキノ大統領の任期(6年)の折り返し点となる中間選挙の投開票が行われた。中間選挙は上院選が定数24の半数の12議席、下院選は小選挙区234議席と比例代表58議席が改選された。知事、市長選や地方議員選なども実施され、上下両院選と合わせ約1万8千議席が争われた。
 2010年6月に就任したアキノ大統領の人気は高い。大統領の経済政策の成功から、かつて「アジアの病人」とまで陰口をたたかれたこの国の経済は、昨年通年の成長率が6・6%を記録し内需主導の堅調な拡大を続けている。
 さて、この中間選挙に絡んで興味を引くニュースが15日付の全国紙「フィリピン・スター」に掲載された。「選挙飲酒禁止令が14日午前零時に解除されたが、銃器禁止令は6月12日まで継続される」。フィリピン国家警察(警察庁)長官の談話だ。これだけだと多くに日本人には理解できないと思う。長官は続いてこう述べた。「警察は選挙が終わるまで警戒を緩めない。選挙法に基づいて銃器の取り締まりを徹底する」
 フィリピンでは、選挙をめぐる殺人事件が日常茶飯事だという。今回の選挙でも50人以上が殺され、65人以上が負傷した。また81件の暴力事件が発生した。2007年の選挙では56人が銃器により殺され、2010年には54人が凶弾に倒れた。
 今回の選挙で銃器禁止令の違反者のうち、実に3024人が一般人だ。警備員137人、警察官44人、政府の役人43人も含まれている。また押収した銃器のうち、1035丁がピストル、ショットガン417丁、ライフル330丁、267丁の改造銃、自動拳銃28丁。考えられないが、手りゅう弾発射装置21基も含まれていた。
 5月5日付の同紙の社説は「選挙暴力が終わらず」「(ルソン島の最南端の)マスバテ島の議員が銃殺され、バランガイ地区でも副市長候補が凶弾に倒れた」と記し、選挙をめぐる比国の悪しき伝統を嘆いている。
 日本人には想像できない海の向こうの選挙の実情だが、米国の世論調査研究所「ギャラップ」が最近、フィリピン人の国民性についての興味深い調査結果を公表した。これは「世界の人々の感情の豊かさ」についての調査結果の一環として報じた。
 フィリピン人は世界で最も感情豊かな国民だという。「フィリッピン人は世界で最も涙腺が緩む民族で、涙腺が最も固いのはシンガポール人」
 フィリピン人の10人中6人が毎日、気持ちがたかぶることがあると回答した。エル・サルバドルとバハレーンが続く。感情に動かされにくく、「最もイモーショナルでない」国民はシンガポール人で、調査対象者の36%しか涙腺が緩まない。次いでジョージア人、リトアニア人だという。日本人は調査対象に含まれていない。
  フィリピン人の感情の豊かさと選挙をめぐる暴力事件とは密接な相関関係があるという仮説が十分に立てられる。政治・軍事には不向きな国民性なのだろう。
 日本人や中韓の国民を含めたアジア人は一般的に、感情豊かで美意識の高い国民だ。それに面子や威信にこだわる傾向が強い。欧米列強によりアジアが植民地化された主要な原因の一つだと断言しても間違いない。
  そう考えると、明治時代の日本人は現在の日本人と違っているのかもしれない。政治や軍事、外交に長けていたのだろう。よくも植民地にならなかったものだと思う。現在の政治家が明治時代に生きていれば、日本がほぼ100%の確率で植民地になっただろう。
 筆者がきょう主張したかったことはここで終わるが、ギャラップ調査の続きを参考までに記す。
 ギャラップは150か国の国民にこう質問した。「前日にほっとした気持ちになったか、相手から尊重されたと感じてうれしかったか、笑みや大笑いしたか、興味があることを学んだなど良い意味で涙腺が緩んだか」。それとも「前日に怒ったか、ストレスや悲しみに見舞われたか、心配の意味で感情的になったか」。
 シンガポール人は「いい意味」でも「悪い意味」でも感情的な気持ちにならない。フィリピン人とは180度違うという。
 怒りやストレスなど否定的な感情面だけから観察すると、イラク、バハレーン、パレスチナが最も怒りやストレスを感じている。
 笑みが絶えないという良い意味だけから見ると、南米のパナマ、パラグアイ、ベネズエラが最高だとギャラップは述べる。
  約30カ国に拠点を設けて世論調査などを行っているギャラップはこの調査が各国の社会福祉の実体を測るのに不可欠だと述べるが、GDPや労働条件の良し悪しでは国民の幸福度は測れないと強調している。
 「高所得が人間の幸福度にある程度まで影響を及ぼすかもしれないが、それが全てではない」。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネーマン博士とプリンストン大学のアンガス・ディートン教授は、毎年7万5000ドル(約700万円)を稼いでいる人々は、さらに所得が増えても幸福が増したとは思っていないと述べている。
 GDPや労働条件など物質面を「最も感情に動かされにくい」と思われるシンガポール国民に当てはめる。シンガポールは世界で失業率が最も低い国で、GDPが最も高い国の一つ。しかし生活での幸福度を感じる調査では最低だ。
 ブルンバーグのビジネスウィークによると、シンガポールは金融、医薬、エレクトロニクスなどの工業力向上のおかげで、この10年で経済成長は2倍なった。530万人のシンガポール国民は世界で最も裕福な国民の仲間入りをして、国内総生産(GDP)は3万3530ドル。
 「何でも買える金持ちという昔からの物質からだけの指標で幸福度を測れば、世界で最高に満ち足りた国民だと思う。だが、精神的な価値観や人生観などを含めて測れば、うまくいっていないということになる」。 米国の首都ワシントンで活動している、ギャラップのジョン・クリントン、ギャロップ調査員がこう語った。
 ギャラップは2009から2011年まで毎年、150か国以上に住むそれぞれ1000人(15歳以上)に電話や対面調査した。
 所得がいくら伸びても、金がいくら儲かっても、それだけでは幸福になれない。精神的な満足度が幸福感には不可欠だ。古くから言われたことだが、あらためて証明された。ただ、この調査は、毎日の衣食住にこと欠く貧しい人々には金持ちのたわごとであり、参考にならない。先進国の人々は最貧国の国民にそう言われても返す言葉を見い出せないだろう。

写真はPublic domain

橋下氏の慰安婦発言    半年前に熱狂した大衆

2013年05月16日 22時04分59秒 | 国民性
 橋下氏は慰安婦制度について発言し、あげくのはてに沖縄の米軍司令官に対して風俗産業の活用を提案した。日本人と米韓中の国民が怒るのは当然だ。
  橋下大阪市長は民放の番組でこう述べた。「慰安婦の問題についても容認はしていない。僕が言いたかったことは、世界各国がひどいことをやっていたにもかかわらず、どうして日本だけが特別な非難を受けるのか、ということだ」
 政治家なら子供じみた反論をすべきではない。橋下氏は歴史の流れの中で、歴史の知識に立脚した説明をすべきだった。「日本だけが特別な非難を受けるのか」と不平を鳴らすのではなく、第2次大戦中の連合国軍と日本軍がこの問題でどんな対処をしていたのかを史料をひも解いて大衆に説明すべきだった。そして有権者が判断できる史料を提供する。それだけで十分である。
 16日付産経新聞のインターネットサイトによれば、現代史家の秦郁彦氏が、橋下氏の慰安婦についての「当時は必要だった」との発言も、真意はともかく、「政治家なら内外情勢を勘案し、何か主張する際には裏付けとなる証拠を示すなどもっときめ細かな配慮をすべきだった」と指摘した。
  橋下氏は政治家である。政治家は現代の価値観に立って現代の価値観を共有する有権者に話をするのである。歴史家ではない。沖縄の米軍司令官に対して風俗産業の活用を提案したのは人権無視と時代錯誤もはなはだしい。
 長い歴史の流れ中から変化が生まれる。俗にいう「赤線(あかせん)」が1958年に売春防止法の施行で廃止された。GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた日本の地域である。
 磯村英一・元東洋大学長は東京都渉外部長だった終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)から「占領軍の兵隊のために女性を集めろ」と命令された。産経新聞(産経新聞平成6年9月17日付)への寄稿によると、名目は「レクリエーション・センターの設置」だった。
 米軍は(1960年代後半-70年前半の)ベトナム戦争時にも慰安所を利用していたほか、韓国は朝鮮戦争時に「軍が慰安所を管理していたことが、韓国陸軍戦史に出ている」(秦氏)。当時の価値観と比較すれば、この半世紀で人間の人権に対する価値観は大きく変化してきた。
 さらに広い歴史的な視野で見れば、20世紀に入ってから歴史の変化の中で最も際立ったひとつは人権尊重と女性の権利の向上だった。権利向上は一朝一夕で達成されたものではなく、長い歳月を要した。
 歴史用語を使えば、これは明らかにインパーソナル・フォーシズだ。人権尊重と女性の権利向上は歴史の主流に躍り出た。そして現在は確固とした地位を築いている。
 歴史は変化する。橋下氏は歴史を勘案せずに情感で語るから、このような暴言を吐くのだ。「政治家なら内外情勢を勘案し、何か主張する際には裏付けとなる証拠を示すなどもっときめ細かな配慮をすべきだった」。秦氏の発言に賛成する。
 筆者は半年前、読者に向けてこのブログにこう書いた。「彼(橋下氏)の演説は有権者や国民の情感に訴えているのだ。演説に何の論理性もない。ただ、ひたすら有権者の情感に訴えている。大衆の弱点に訴えているのだ。ナチス・ドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーと変わりない。・・・権力志向が強く、独裁的、強権的な思考が強い橋下氏のような政治家に心を許してはならない。彼の出自は問題ではない。彼は差別されてきたのかもしれない。それを克服した。その意志力を認めるが、政治思考とは別の問題だ。それをしかと有権者は情緒に振り回されずに冷静に心に銘記すべきである」
 半年前、橋下氏の人気はすごかった。彼が立ち上げた政治塾に確か2000人もの一般人や政治家が集まった。大阪へ大阪へと草木はなびいた。
 きょうこのブログで筆者が一番言いたいことは橋下氏の愚言と暴言だけではない。「大衆の愚かさ」だ。大衆はデマゴギストやカリスマ的な人物に今も昔も弱い。そして大衆は歴史を振り返り反省しない。
 筆者は過去と現在の人々の価値観が違うことを認めるが、現在と過去の価値観をごちゃごちゃにして話す橋下氏のような政治家、とりわけ情緒的な政治家を嫌う。民主主義と自由にとり危険だからだ。
 半年前、橋下氏に熱狂し、大阪までいって政治塾に参加した人々や彼を支持した人々は反省してほしい。政治は情感ではない。冷厳な事実から出発するのだ。冷たい事実から理想が生まれるのだ。

 写真はPublic Domain

 死と告知、結婚と人生について    妹の死に考える

2013年05月09日 20時45分21秒 | 生活
 3月7日から約2カ月間、ブログの書き込みを休んだ。身内の重体。妹が末期がんに侵され、4月3日にこの世を去った。生涯独身だった。2月には大学時代の恩師が亡くなり、部下から慕われていた社の上司が3月に死去した。そして4月の下旬、長年の親友の娘さんが華燭の宴をあげた。2月からの3カ月で色々な人生を一度に見た。生と死、葬式と結婚式。そして老人ホーム。筆者はあらためて自らの人生について考える機会を得た。
 2月26日午前零時59分、わたしの携帯電話のベルが鳴った。その日は残業で夜半に帰宅したため、風呂から出てきた直後だった。
 携帯番号は故郷の市外局番。わたしは91歳の母に何か重大なことが起こったと思った。そんな考えが一瞬、脳裏をよぎった。しかし担当医からの電話で倒れたのは妹だということが分かった。
 手術をするという。手術中に亡くなる危険があると告げられた。妹は無事手術を乗り切ったが、担当医は「数カ月の命」だと告げた。末期大腸がん。肝臓の大半にも転移していた。
 「告知するか」。新幹線で息せき切ってやって来たわたしに担当医は言った。私は思った。「助からないのになぜ告知をするのか」
  わたしは難しい決断に迫られた。命が尽きるまでに彼女がしなければならないことがあるのか。自問自答した。そんなものがなければ、告知しないほうがよいではないか。一人で決断した。「告知しない」
 担当医が治療の観点から「肝臓の転移」を妹に告げた。看護婦さんによれば、妹は落ち込んでいたという。
 入院して37日で妹は逝った。遺体を車に乗せ、病院を出発した。担当医2人と看護婦1人がいつまでも頭を下げていた。遺体を乗せた車は夜の道を自宅に走った。道の両側の街灯と歩道を歩く歩行者をぼんやり見ながら、「これで二人目か」と思った。父が亡くなって18年。
 「あと何人の身内を見送ったら俺の番か」と考えていると、ふと19世紀の鉄人政治家モンクット国王の最後の言葉を思い出した。
  シャム(現在のタイ)の国王は64歳で1868年10月1日に亡くなる数日前、嘆き悲しむ側近にこう言ったという。「死は誰にでも訪れる。私の番が来たにすぎない」。妹の番が来たのか。それにしても60歳は現在の寿命では若い。
 なぜ?健康診断を専門学校卒業から約40年間にわたって一度も受けていなかった。めんどうくさがり屋だった。医者嫌いだった。健康に自信もあった。病気で倒れる要素をすべて持っていた。
 わたしのこのブログを読んでいる読者の中で、長い間、健康診断を受けていない人がいたら、ぜひ受けてほしい。長生きしたいと思うならの話だが・・・。
  会社でも妹のような同僚がいた。昨年亡くなった。社の決まりから健康診断を受けなければならなかったので、受けることは受けた。健康診断で「要診断」の警告が出ているのに病院に行かなかった。健康に自信があったという。
 同僚も妹も大腸がん。下血しているのに病院に行かなかった。きっと下血する頃になると、医者に行くのが怖かったのだろう。わたしはそう推察する。
 80歳を過ぎる叔父は告別式で、妹が自分で寿命を設定したと言い、深い同情を示した。例外なく人は死ぬ。それでも健康診断を受けてほしい。筆者はそう思う。
 わたしは一人残された母に聞いた。「私の住む町に来ますか。来てほしい」。頭脳明晰で、娘の死にも気丈に振る舞った母は断った。「寒いところはどうもね。老人ホームに行くわ」。私は母を、ことし2月にオープンしたばかりの有料の老人ホームに入れた。これから介護が始まる。ぼけていないだけ「よし」としなければならない。毎月1週間は母の町に帰る。母の家で母と住むことにする。母はホームと家を往復するだろう。
 4月下旬、教会にわたしはいた。アベマリアを女性歌手3人が歌い、その美しい歌声を聴きながら友人と友人の娘さんがバージンロードを歩いて祭壇に向かっていた。祭壇には花婿が待っていた。ウェディングドレスに包まれた娘さんはきれいだった。外国人の牧師の前で新郎と愛を誓った。アベマリアを聞いていると、涙が出そうになった。その涙は娘さんへの涙というより妹への涙だった。妹の人生に対する涙だった。人は生まれ、結婚し、子どもをもうけ、老いて逝く。老人の多くは老人ホームで人生の最後を過ごす。「多く」は?かもしれない。
 この人生の道は平凡だが、ある有識者は「平凡こそ非凡だ」と言っている。わたしは本当にそう思った。この3カ月で実感した。2月からの3カ月は人生のすべてを見て、人生について考えさせられた。残りの人生をできるだけ悔いのないように生きたいと思う。読者の皆さんもそうしてほしい。皆さんの奮闘をせつに祈る。