英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

カストロ氏は独裁者でありヒューマニスト  キューバ革命家の冥福を祈る

2016年11月27日 21時59分07秒 | 時事問題
 キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が11月25日に死去した。キューバ革命の父カストロ氏の評価は賛否両論だ。彼が搾取を正し、キューバ国民を貧困から救おうとした一方、半世紀にも及ぶ独裁政権を敷いたからだ。
 歴史は単純ではなく複雑だと筆者は何度もこのブログで主張してきたが、カストロ氏にも当てはまる。
 筆者はカストロ氏を非道な独裁者だと割り切りたくない。1953年7月、チェ・ゲバラらとともに武装闘争を開始し親米のバティスタ独裁政権を打倒。59年1月に革命政権を樹立した。
 バティスタ独裁政権は腐敗しきっており、ごく一部の富裕層に支持され、90%以上のキューバ国民を搾取した。大多数のキューバ国民は貧困のどん底で苦しみ、社会正義とは縁がなかった。
 バティスタは、アメリカ企業や、カジノを経営していたパートナーのマフィアのキューバ国内での利権の保護した。それと引き換えに莫大な利権保護に絡むカネを手に入れ、私欲を満たすようになった。またキューバ農業や工業にアメリカ資本が流れ込み、アメリカ企業による事実上の搾取が大手を振って行われるようになった。
 カストロ氏の革命の動機は不平等な社会を憎む青年の正義心から来ていた。バティスタの悪逆な政治を終わらせ、国民を貧困から救い出そうとした革命だった。彼は富農の息子で有り、共産主義者ではなかった。不平等な社会を憎む青年の正義心が革命の動機だった。
 1961年4月、アメリカ(ケネディ政権)はカストロ政権の転覆を狙い、CIAの支援を受けた亡命キューバ人部隊をキューバに侵攻させた。3日間の戦闘の末、その部隊はキューバ軍に撃退され、カストロ政権転覆の目論見は失敗に終わった。
 この事件がカストロ氏の反米主義を確固としたものにし、社会主義体制へと追いやった。当時冷戦のまっただ中にあり、米ソが激しく対立していた。
 1962年、アメリカはキューバに対し国交断絶を通告し、全面的な禁輸措置を実施。カストロはキューバ革命を守るため、社会主義の盟主ソ連に近づいた。
 カストロ氏は同年、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設することを認め、米ソ両国が対立。人類史上最も核戦争の危機が高まったとされる「キューバ危機」が発生した。キューバは東西冷戦を象徴する国の一つとなり、カストロ氏は反米・左翼勢力の象徴的人物となった。 
 当時の米国政権がカストロ氏を社会主義者に追いやったといえる。17世紀初めに米国大陸に初めて上陸したピルグリム・ファーザーズがもつ伝統的な宗教精神と自由の精神が米国人の血に流れている。このため、米国人は時として現実を無視する教条主義におちいる。
 カストロ氏の50年にわたる独裁の原因の一端は歴代の米国政府の反キューバ政策に帰しているとみて間違いない。ただカストロ氏が反米でなかったとしても独裁を敷いた確率は高いと思う。
 カストロ氏独裁の50年間、キューバの教育水準は向上し、医療技術も進歩した。その一方、ソ連が崩壊すると、サトウキビ栽培による砂糖の生産・輸出に頼ったキューバのモノカルチャー経済は立ち行かなくなり、多くの人々が国外へと亡命した。
 多数の有能な人々が社会主義を見限って米国に亡命したが、カストロ政権は続いた。それはカストロ氏が無私の心を持った人物だったからだ。自分の銅像を建てることを禁止し、偶像化を嫌った。また、愛息といえど能力がなければ、冷徹に罷免して公平な判断を下した。
 人間の一生は完全無欠ではない。誤りもある。カストロは民主主義者では決しなかったが、ヒューマニストだった。しかし、自分の正義が絶対だと思い、異見を許さずに政敵や反体制派や反対者を容赦なく弾圧した。自らの信念や価値観が絶対に正しいと信じるヒューマニスト、理想主義者、観念主義者が陥りやすい弱点だ。特に政治家にとっては致命的な欠点になる。カストロ氏も例外ではなかった。
 カストロ氏の政治信条や独裁政治には同調できないが、バティスタ独裁政権を倒した動機には、誰も反対しないだろう。この意味で、カストロ氏は偉大な革命家だった。人間に欲があるかぎり決して実現できない「公正で平等な社会」というユートピアを実現しようと孤軍奮闘した精神に敬意を表したい。彼の冥福を祈ります。

繰り返された南米の悲劇   一橋大生の殺害に思う

2016年11月22日 15時35分00秒 | 時事問題
 1年半以上前の2014年1月に記したブログ「南米エクアドルでの新婚夫妻の悲劇」の閲覧数が昨日、一日だけで83に達した。読者の方々が「南米コロンビアのメデジンで殺害された一橋大学生」に関連して読まれているのだと直ぐに推察した。
 またもや悲劇が起こった、という感をいなめない。井崎亮君は携帯機器を持って歩いているところを2人組の強盗に襲われ、そのうちの1人に銃弾2発を受け殺害された。
  一橋大によると、井崎君は今年4月から1年間の予定で休学していた。国際協力の実情を知るために発展途上国を中心に世界各地を訪問したい、との理由だったという。同大は「前途有為な学生が志半ばにして亡くなったことは痛恨の極みであり、ご家族の皆様に謹んで哀悼の意を表します」とコメントを出した。
  筆者もご家族の皆様に謹んで哀悼の意を表し、井崎君の志に敬意を表す。70歳近い団塊の世代の人間の一人として、志半ばにして倒れた井崎君の心中をおもんばかるとやりきれない気持ちになる。われわれの世代と彼との間に何が違うのかと考えた。
 われわれ団塊の世代の連中もアフガニスタン(現在と違って当時は平和な時代)、南米、アフリカへと冒険旅行をした。ただ、十分な資料を集め、治安情報を集め、危険を織り込んで出発した。
 井崎君は高邁な理想のために、開発途上国を訪れていたが、その国の社会事情に関する資料を集めたのだろうが、どこまで訪問国の社会事情・治安を把握していたのだろうか。
   南米の死因の3位は殺人。世界でもまれな安全な国に住む日本人が想像もできない劣悪な国々が地球上に散らばっている。政府が腐敗し、貧富の差が想像以上に大きな国々が南米やアフリカ、中東、アジアにはある。一握りの富裕層と90%以上の貧困層。その間にあるはずの中間層がない。
 最近、3年間のブラジル勤務を終えて帰ってきた甥が、夜に高層マンションからピストルの銃撃音を聞いたことがあると話した。
 井崎君のような青年の志に敬意を表するが、志ある若者はどうか両親を悲しませないでほしい。治安の悪い国へ行く場合、細心注意を払ってほしい。万一、強盗に遭った場合には抵抗しないこと。2人組に携帯電話などを奪われた井崎さんは犯人を追い掛け、追い付いた際に撃たれたという。
 ほかの国でパソコンを盗まれ、コロンビアで携帯電話を盗られては通信手段がなくなり、本国の友人と連絡がとれなくなると思い、必死に取り返そうとしたのかもしれない。その気持ちは理解できるが・・・。
 「南米エクアドルでの新婚夫妻の悲劇」の際に書いた注意点を再びこの場で書くつもりはないが、一つだけ強調したいことは高価な物品を不用意に見せないこと。現地人と溶け込む服装をすること。若者は命を大切にしてほしい。ただ一度の人生なのだから。

現在の不安を将来への希望につなげよう トランプ氏の米大統領選勝利に思う

2016年11月12日 11時56分41秒 | 国際政治と世界の動き
 ドナルド・トランプ氏が米大統領選に勝利して2日、世界は大きく揺れている。世界を震撼させたニュースだった。マグニチュード9以上の地震にも匹敵する出来事だった。今回の米国の大統領選挙であらためて大衆の近視眼的見方を強く感じた。
 2月28日付のブログ「トランプ氏とルペン氏は現代のヒトラー? ポピュリズムに染まった大衆を憂う」に、ここ数日、かなりの読者からアクセスがあった。現在でも筆者の考え方は変わらない。
 米国・ウォール街での株価大暴落に端を発した世界経済恐慌が吹き荒れていた1930年6月19日、20世紀の英宰相、ウィンストン・チャーチルはオックスフォード大学で「議会政治と経済問題」という演題で講演した。
チャーチルは大衆が遠い将来の利益よりも目の前の利益に固執する傾向が強いと論じた。「今後、大道を明示する政策はおそらく不人気になるだろう。たとえ大局を明示する政党が現れても、ほかの諸政党から一斉攻撃を被るのは不可避だ。だからといって多数の票を集めることができる政策によって国家百年の大計が立てられるかとなるとはなはだ疑わしい」
 第1次世界大戦まで、英議会の議論は政治・社会問題に限られ、名門出身の貴族や中産階級が政治を支配した。地方の地主が有能な若者を政党に推薦した。
 1930年代から現代まで、大多数の国家では、これといった長所はないが、そうかといって非難すべき欠点もない凡人が歴史の流れを主導している。それは大衆だ。彼らが今日、世界の政治・経済に決定的な影響力を及ぼしている。
 1920年代末から30年代前半の大恐慌によるドイツ大衆の経済的な困窮がアドルフ・ヒトラーとナチス・ドイツを生んだ。ドイツ大衆が熱狂的に独裁者を支持した。今日の人々は、ヒトラーが独裁者となり世界に大悲劇をもたらしたことを理解している。
 ドイツ大衆がヒトラーを投票用紙で選んだように、アメリカ国民がトランプ氏を大統領にした。米国有権者の愚かな選択が現在の不安を増大させている。しかし米国のポピュリズムが衰退することを願い、それを将来への希望につなげたい。