日本の仏教が大幅な
衰退の危機にあると、
複数の海外メディアが報じている。
という記事に出会いました。
「仏教伝来以来の存続の危機だ」
と報じているのは、
英ガーディアン紙、
やはり、少子高齢化、後継者不足、
現在寺院は約77,000軒あるが、
25年以内には27,000の寺院
が閉鎖されると、
書いています。
また、こうした宗教離れは
世界的傾向で、アメリカの若者の
「教会離れ」も進んでいるという。
「桐ひと葉落ちて天下の秋を知る」
青いうちに落ちる桐、
その様子で将来を見通す、
ということでしょうが、
お寺の衰退ということは
取りも直さず、地方の衰退という
ことなのでしょう。
お寺がつぶれる、
あまり一般的には関係ないようですが
大きくいえば、日本が縮んでいっている
ということでしょう。
お寺もいろいろ工夫もしているようで
最近では「坊主バー」なるものも
出現しているとか、
しかし、そんなことで食い止められる
問題ではないでしょう。
お寺の危機といえば、
二つの問題があるように
思うのですが、
一つにはお寺が経営的基盤を
なくしつぶれていく、
もう一つは、お釈迦さまの教えが
廃れていくということです。
一番目は人口が減っていくのですから
お寺が無くなっていくのは
致し方ありません。
問題はもう一つの、
お釈迦さまの教えが途絶え
てしまうということです。
よく見てみると
この危機はお釈迦さまが悟りを
開かれた時から始まっています。
お釈迦さまはさとりを得て
まず教えを説かない、
とおっしゃています。
そこに梵天という方が出てきて
49日間も通いづめて
教えを請われるのです。
それから、
正法・像法・末法と
お釈迦さまが亡くなられてから
時代が下がってくると
次第に教えが無くなってくる、
といわれています。
もうすでに平安時代末期は末法
といわれています。
お釈迦さまの教説(教)と
その実践(行)そしてその結果(證)
この三つが備わっているのを正法
教えと行だけが残ったのを像法
教えのみの時代を末法、と説いています。
それから、いろいろのお祖師様が
必死の思いで教えをつないで
こられました。
明治のころにも仏教を
新しい目で見ようと改革が起こります。
かたち、お寺という
それを残すのも大事ですが
それよりも
その教えをどのように伝える
かが大きな問題です。
これはなにも、
大きな研究所を作って
仏教の研究をするという
ことではなく、
宗教というのはそれを求める
個人個人の心の中にあるのです。
今読んでいる安田先生という方
晩年、先生の全集を作りましょう、
といったら、
そんなものは作らんでいい!
と、
困ったところに、
三浦先生が、
お経はお釈迦さまのお弟子さんが
感動してつくられたのですよね!
すると、
そですね、感動がお経を作った
と答えられた。
その問答で全員どうしていいか
わからなかったのです。
すると、三浦先生
あなた達は感動してないのですか!
感動したら作ればいいのですよと、
そういう経緯があって
安田先生の本ができた
ということです。
本当の教えというのは
感動が感動を呼んで
続いて行くのでしょう。
お祖師方も何千年の時を超えて
お釈迦さまに会われて
その教えに感動されたのでしょう。
そういうことからいうと
仏教伝来以来の危機的状況
ではあるのですが、
どこかで誰かの感動した心に
伝わっていくとすれば
何も心配いらないことなのかもしれません。
しかし、呑気に構えるわけにも行けません。
安田先生も
「不安に立つ」ということを
おっしゃっています。
危機意識がないところには
教えも伝わらないと思います。
これからが、本当のことが
めばえてくる時でしょう。
「我らはゆかん、こころして」
です。