「あきらめる」
広辞苑には、
仕方がないと断念したり、
悪い状態を受け入れたりする。
とあります。
漢字で書けば、
「諦める」と、「諦」という字を
使います。
しかし、この「諦」という字は
お釈迦さまの悟りの内容を
『四諦八正道』といいます。
お釈迦さまの悟りは
四つの真理と
八つの実践方法なのです。
苦・集・滅・道
あきらめるということも
本来は明らかに見る
ということが元の意味です。
物事を本当に明らかに見ると
これはしてはいけないこと、
ここはがまんすべきこと
そういうことが認識できるのです。
出産で帰っていた長女の子
赤ちゃん返りというか
ことあるごとに、「おかあちゃん」と
一時も離れようとしません。
これから入院したりしたら
どうしようと、頭の痛いことでした。
しかし、
子ども心にもわかるのでしょう。
いざ赤ちゃんが生まれると、
病院に行っても、
赤ちゃんを見て、母親に甘え、
しばらくして帰る段になると、
母親に向かって
「バイバイ」と手を振って
ジイジとバアバと手をつないで
なんなく帰り、
お風呂もジイジと一緒に入り、
そこまではよかったのですが、
ちょっとしたことが気に入らなくて、
泣き出してしまいました。
やはり、理性では
お母ちゃんに甘えてはいけないと
必死に我慢をしていたのでしょう。
でも、寝る段になると
母親が恋しくなり、
本能の心が芽生えてきたのでしょう。
「おかあちゃん、おかあちゃん」
といいながら、
バアバの胸で寝てしまいました。
明らかに見る、
諦める、
子ども心にちょっとだけ
事実を明らかに見たのでしょう。
お母さんは赤ちゃんと一緒、
自分は爺と婆と帰らなければ,
と認識したのですが、
やはりこみあげてくるさびしさは
どうしようもできなかったのでしょう。
小さな子供心にも
明らかに見て、諦めて、
覚悟を決める。
ということを垣間見ました。
だから、
あきらめる、といっても
仕方なしにあきらめるのではなく、
物事に事実を明らかに見る
そこに初めて、
「諦める」
ということがでてくるのでしょう。