陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

アリス・マンロー「局面」 その10.

2013-01-01 23:41:38 | 翻訳

 君が帰ってからずっと、君のことを考えているんだ、ドーリー。そして、君を失望させてしまったことを後悔している。君が向かい側にすわっていると、どうも私は外見以上に感情的になってしまっているようだ。君を前にして感情的になる権利などないのだが。君こそ、私に対して感情的になる権利があるのに、いつも自分を抑制しているのだから。だから前言を撤回することにする。結局、話すより書く方がいいだろうという結論に至ったのだ。

 どこから始めたら良いだろう。

 天国は存在する。
 
 というのはひとつの考え方だが、私は天国だの地獄だのといったことは信じていないので、うまい方法とはいえない。私にとって、そういう種類の話はいつだって世迷い言にすぎない。だから、いまそんな話を持ち出しても、ひどく異様なだけだ。

 では、こういうのはどうだろう。私は子供たちに会っている。

 会って、話もしている。

 なあ。君はいま何を考えている? きっと、あの人、ほんとにおかしくなったんだわ、とでも思っているのだろうか。そうでなければ、夢を見ただけなのに、夢だとわからずにいるんだわ、夢を見ているときと、目覚めているときの区別がついてないのね、と。

だが、これだけは言っておきたい。確かにちがいはわきまえているのだし、その上で、子供たちがいるということをちゃんと理解して書いている。私がいうのは、子供たちは存在している、ということで、生きているという意味ではない。生きているというのは、われわれのいるこの地平にいるという意味だが、何も彼らが同じ地平にいると言っているわけではないのだ。実際、彼らはここにはいない。けれども、存在しているのは確かで、もう一つ別の地平――もしかしたら地平は無数にあるのかもしれないのだが、とにかくこことはちがう地平――があるにちがいないのだ。私にわかっているのは、子供たちのいる地平に自分がたどりついたということだ。おそらくひとりきり、自分が考えなければならないことを、来る日も来る日も考え続けたから、見いだせたのだろう。あんな苦しみと孤独のあと、恩寵が、この報いにいたる道が開かれたのだ。この私、世間のものの見方からするならば、これほど恩寵から遠い人間もいまいと思われているのに。

 さて、もし君がここまでこの手紙を引き裂かずに読んできたのなら、おそらく知りたいことがあるにちがいない。子供たちのようすがどうだったか、といったことだ。元気でいたよ。ほんとうに幸せそうで、きちんとしていた。良くないことの記憶は少しもなさそうだった。もしかしたら、少し大きくなっていたのかもしれないが、その点に関してはなんとも言えない。それぞれの段階に応じて理解しているようだった。まだ話せなかったディミトリが、話ができるようになっていた。子供たちがいた部屋は、どこかで見たことのあるような部屋だった。我が家のようでもあったが、もっと広々としていて立派だった。子供たちに、どんなふうに世話をしてもらってるのか、と聞いてみたところ、笑って、自分たちでできるよ、といったことを答えていた。そう言ったのはサーシャじゃなかっただろうか。ときどき一緒にしゃべりだすのか、もしかしたら単に私が別々に聞くことができなかっただけなのかもしれないのだが、それでも彼らの特徴はそれぞれはっきりしていて、とにかく私はうれしかった。

 どうか私の頭がおかしいと結論づけないでほしい。この話をすると、そう思われるのではないかと心配で、話したくはなかったのだ。ある時期、狂っていたことはあったが、ちょうど熊の毛がはえかわるように、私も自分の狂気をふりすててしまったのだ。いや、ヘビの脱皮と言った方が良かっただろうか。もしそうしていなければ、サーシャやバーバラ・アンやディミトリとふたたび結びつけるような能力を持つことはなかっただろう。

いまとなっては君にもこんなチャンスが認められればよいのに、と思う。ふさわしい人間というなら、私なんかよりも君の方がはるかにふさわしいのだから。だが、君はむずかしいかもしれないな。君は私より、ずっと世間と深く関わり合いながら生活しているのだから。だが、少なくとも情報――というか、事実なら与えてやれる。君に私が見たものを伝えてやることで、君の心が軽くなることを願っている。


 ドーリーはミセス・サンズがもしこの手紙を読んだとしたら、いったい何と言い、何を思うだろう、と考えた。ミセス・サンズは、あたりまえのことだが、慎重に対処するはずだ。狂っていると即断するのではなく、慎重に、やさしくドーリーをその方向に誘導していくのだろう。もしかしたら、誘導しているとさえ言えないかもしれない――単に混乱からドーリーを引き離して、最初から自分はこう考えていたと思えるような結論に、ドーリーが直面しなければならないようにする、というだけのことだ。ドーリーは、危険なたわごと――ミセス・サンズの言葉だ――を頭の中からすべて閉め出さなければならないのだろう。



(この項つづく)