その7.
実際のところ、彼の言うとおりになった。少なくともロイドの目から見る限り、事態はそうなったのだ。あるとき、ドーリーは自分がマギーの家の台所にいることに気がついた。夜中の十時、自分が涙をこらえながら鼻をすすり、ハーブティーを口に含んでいることに。ノックしたときは、ドア越しにマギーの夫の「やれやれ、いったい何なんだ?」と言う声が聞こえたのだった。マギーの夫はドーリーのことを知らなかった。眉を上げ、口を固く結んでドーリーのことをじろじろと見ているマギーの夫に向かって、ドーリーは「ご迷惑をおかけして、ほんとうにごめんなさい」と謝った。そこへマギーがやってきた。
暗闇の中、ロイドと一緒に住んでいる家の近くの砂利道を歩き、さらに幹線道路をずっと歩いてきた。そこでは車が来るたびに、道路端の溝に身を隠していたので、すっかり時間がかかってしまった。追い越していく車がロイドのものかどうか、注意して見た。見つかるのはいやだった。いまはまだ。脅かしてやる。ロイドの頭を冷やすのだ。いままでは自分でなんとかしてきた。泣きわめきながら頭を床にガンガンぶつけて「そんなことない、そんなことない、そんなことない」と繰り返すのだ。するとロイドも辛抱しきれず、自分の言ったことを取り消してくれる。「もういい、もういいから。おまえを信じることにする。黙んなさい。子供たちがいるじゃないか。信じてやるよ、ほんとうだ、だからもうやめてくれ」
けれども、今夜、ドーリーはまさにそのお芝居を始めようとしたところで、すっと気持ちが冷えるのを感じた。だからコートを羽織ってドアを出た。ロイドの「そんなことをするんじゃない。言っておくぞ。そんなことをするとどうなるか!」とわめく声を背にして。
マギーの夫はベッドに向かったが、ドーリーが「ごめんなさい、ほんとにごめんなさい、こんな夜分におじゃましてしまって」と謝り続けても一向に表情を和らげるようすはなかった。
「もう謝るのはおしまい」マギーは親切だけれども現実的な調子でそう言った。「ワインでも一杯どう?」
「わたし、お酒は飲まないんです」
「じゃ、こんなときに初めてのことはするもんじゃないわね。お茶をいれましょう。とっても気持ちが落ち着くのよ。ラズベリー・カモミールなの。子供たちのことではないんでしょうね?」
「ええ」
マギーはドーリーのコートを脱がせてやると、クリネックスの束を渡して、涙を拭いて鼻をかみなさい、と言った。「まだ話そうとしなくていい。じき、落ち着くから」
あるていど落ち着いてからも、ドーリーはあらいざらいぶちまけようとは思わなかった。ほかならぬマギーが問題の根本なのだと告げることになるからだ。ロイドのことを、あらいざらいぶちまけるのは、もっといやだった。どれほどうんざりしていたにせよ、それでもロイドはドーリーにとってはこの世で誰よりも近しい存在だ。そんな人間のありのままの姿がどんなだか、誰かに話すような羽目にでもなれば、つまり、そんなふうにあっさりと不実な態度を自分が取ってしまえば、何もかもが根こそぎ崩れてしまうような気がしたのだった。
だからこう言った。ロイドとあたし、ケンカしちゃって。言い争うのにうんざりしてしまったから、ちょっと家を空けたくなったの。でも、もう大丈夫、と言ったのだ。わたしたち、仲直りできるから。
「どんな夫婦だって、そのくらいあるわよね」とマギーは言った。
そのとき電話が鳴り、マギーが出た。
「そうね。このひとは大丈夫よ。気分転換に、ちょっと歩いた方がよかったのよ。わかりました。いいわ、明日の朝、お宅まで送っていきますから。あら、全然かまわないわ。はい。じゃ、おやすみなさい」
「ご主人だった」とマギーは言った。「わかったと思うけど」
「どんな感じだった? いつも通りだった?」
マギーは笑った。「いつもがどんなだか知らないもの。酔っぱらってる感じじゃなかったわ」
「彼もお酒は飲まないの。うちにはコーヒーだってないんだから」
「トーストでも食べない?」
朝になると早いうちにマギーはドーリーを家まで送った。マギーの夫はまだ仕事に出る前で、子供たちと家に残っていた。
マギーは早く戻りたくて焦っていたので「じゃあね。話せるようになったら電話して」とだけ言って、庭でミニバンを方向転換させた。
早朝の寒い時間帯で、地面にはまだ雪も残っていたのだが、ロイドはジャケットも着ないで外の階段に腰をおろしていた。
「やあ、おはよう」大きな声、嫌みなまでに馬鹿丁寧な口調だ。ドーリーも、おはよう、と返し、彼の声音など気がついていないふりをした。
ロイドは彼女が中に入れるよう体を横にずらそうとはせず、「入ることはできない」と言った。
ドーリーは、たいしたことじゃないわよ、と自分に言い聞かせた。
「お願い、って頼んでも? お願いよ」
ロイドはドーリーをじっと見たが、何も言わなかった。きつく結んだままの唇が、にやっと持ち上がった。
「ロイド? ねえ、ロイド?」
「中へは入らない方がいい」
「あたし、あの人によけいなおしゃべりなんかしてないわよ、ロイド。出て行ったりして、ごめんなさい。ただ、ちょっと息をつけるところがほしかったんだと思うの」
「入らない方がいいんだ」
「どうしたの? 子供たちはどこ?」
ロイドは頭を振った。まるで自分が耳にしたくないようなことをドーリーが口にしたかのように。なにか乱暴な言葉を、ちょうど「クソッ」といった言葉を。
「ロイドったら。子供たちはどこにいるの?」
ロイドがほんの少し体の位置をずらしたので、入りたきゃ入れよ、というぐらいの隙間ができた。
ディミトリはまだベビーベッドにいた。横を向いたまま。バーバラ・アンはベッド脇の床に。自分で抜け出したか、引きずり出されたかのように。サーシャは台所のとびらのところにいた――なんとか逃げようとしたのだ。彼だけが、喉に痣ができていた。ほかのふたりには枕が使われたのだ。
「昨夜、電話したときには」とロイドが言った。「電話したときには、もう、こうだったんだ」
「すべておまえが自分でまねいたことだ」と重ねて言った。
のちに評決は彼の精神障害を認め、裁判を受ける能力がない、とされた。彼は触法精神障害者である、と。保護施設に収容すべし。
だがそのときのドーリーは、家から飛び出すと、みぞおちのあたりで腕を固く交差させたまま、こけつまろびつしながら庭を駆けたのだった。まるで体をすっぱりと切り開かれたのを、なんとかつなぎあわせておこうとするかのように。マギーが見たのもその光景だった。引き返すことにしたのだ。何か悪い予感がして、通りに出てからミニバンの向きを変えた。最初に思ったのは、ドーリーが夫に腹を殴られるか蹴られるかしたのだ、ということだった。ドーリーが何かわめいていたが、ひとことも聞き取れない。だが、相変わらず階段に腰をおろしたロイドの方は、黙ったまま、鄭重にわきへよけたので、マギーは家の中に入って、こんなことになっているのでは、とあらかじめ予測していたものを見つけた。それから警察に電話をかけた。
しばらくの間、ドーリーは手当たり次第に自分の口の中にものをつめこむことをやめなかった。泥や草のつぎはシーツでもタオルでも着ている服でも。そうしていれば、身体のうちからわきあがってくる叫び声だけでなく、頭の中の光景さえも、息の根を止めて圧し殺すことができるかのように。ドーリーは鎮静効果のある薬剤を注射され、しかもそれは定期的に続き、実際に効果はあった。つまり、ドーリーは緊張病の別の状態が現れたのではなく、ただ静かになったのだ。症状は安定した、と言われた。退院すると、ソーシャルワーカーが新しい場所にドーリーを連れて行き、ミセス・サンズが引き継いだ。ミセス・サンズは住むところと仕事を見つけてくれて、週に一度、定期面談するように段取りを組んだ。マギーも、もしよかったら会いに行きたい、と言ってくれたのだが、ドーリーにとって、会うことに耐えられない人がいるとすれば、それは彼女だった。そう感じるのは自然なことよ、とミセス・サンズは言った。連想が起こるのね。マギーだってきっとわかってくれるでしょう、と。
ミセス・サンズは、ロイドとの面会を続けるかどうかはあなた次第よ、と言う。「わたしはそうしなさい、とか、そうしちゃだめ、とかと言うためにここにいるんじゃないんですからね。会えばあなたの気持ちがましになる? それとも悪くなる?」
「わからない」
ドーリーにはうまく説明できなかったのだ。自分が会っている相手が、ほんとうの彼ではないような気がしていること。ちょうど、幽霊かなにかのような。ひどく青ざめていて。同じように青白い、だらんとした服を着て、ちっとも音を立てない靴、室内履きか何かだろうか、そんなものをはいて。髪の毛が少し薄くなっているような感じだった。豊かに波打つ蜂蜜色の髪だったのに。肩からは厚みというものがなくなったようだった。いつもドーリーが頭をもたせかけていた鎖骨のくぼみも消えていた。
事後、彼が警察に言ったのは、そうして新聞にも引用されたのは、この言葉だった。「子供たちを不幸と悲しみから救うためにやったことだ」
どんな不幸と悲しみだ?
「母親が自分たちを残して出て行ったことを知ったときの、不幸と悲しみだ」
その言葉はドーリーの脳裏に焼きついた。もしかしたら彼に会おうと決めたのも、その言葉を撤回させようと考えたからかもしれない。彼に見せてやるのだ、認めさせてやるのだ。実際には何があったか。
「あなたが言ったんでしょ、口答えするな、さもなきゃ家から出ていけ、て。だからあたしは家から出たんだわ」
「たった一晩、マギーの家に行っただけじゃない? 家出なんて夢にも思ってなかったのに。誰も捨てたりしてないのに」
けんかがどうやって始まったか、ドーリーはあますところなく記憶していた。ほんのちょっとだけ、缶がへこんだスパゲッティソースを買ったのだ。へこみのせいで安売りになっていて、うまく節約できたと思うとうれしかった。かしこい買い物だった、と思っていたのだ。ところが、ひとたび彼にそのへこみを問いつめられたときには、そのことは言わなかった。どういうわけか、気がつかなかったふりをした方がいいような気がした。
こんなへこみに気がつかないやつがあるか、とロイドは言った。みんな毒を盛られてたかもしれないじゃないか。おまえ、どうかしてるんじゃないか? ひょっとしたら、そのつもりだったのか? 子供たちやおれをどうかしてやろうなんて腹づもりでもあるんじゃないか?
おかしなこと、言わないで、とドーリーは言った。
おかしいのはおれじゃない。頭のおかしい女以外に、家族のために毒入りのものを買ってくるやつはいないだろう?
子供たちが居間のドアからじっと見つめていた。生きている子供たちを見たのは、それが最後だった。
自分が考えていたのはそういうことだったのだろうか――結局、頭がおかしいのはいったい誰だったのか、わからせてやることが自分にできるとでも?
(この項つづく)
実際のところ、彼の言うとおりになった。少なくともロイドの目から見る限り、事態はそうなったのだ。あるとき、ドーリーは自分がマギーの家の台所にいることに気がついた。夜中の十時、自分が涙をこらえながら鼻をすすり、ハーブティーを口に含んでいることに。ノックしたときは、ドア越しにマギーの夫の「やれやれ、いったい何なんだ?」と言う声が聞こえたのだった。マギーの夫はドーリーのことを知らなかった。眉を上げ、口を固く結んでドーリーのことをじろじろと見ているマギーの夫に向かって、ドーリーは「ご迷惑をおかけして、ほんとうにごめんなさい」と謝った。そこへマギーがやってきた。
暗闇の中、ロイドと一緒に住んでいる家の近くの砂利道を歩き、さらに幹線道路をずっと歩いてきた。そこでは車が来るたびに、道路端の溝に身を隠していたので、すっかり時間がかかってしまった。追い越していく車がロイドのものかどうか、注意して見た。見つかるのはいやだった。いまはまだ。脅かしてやる。ロイドの頭を冷やすのだ。いままでは自分でなんとかしてきた。泣きわめきながら頭を床にガンガンぶつけて「そんなことない、そんなことない、そんなことない」と繰り返すのだ。するとロイドも辛抱しきれず、自分の言ったことを取り消してくれる。「もういい、もういいから。おまえを信じることにする。黙んなさい。子供たちがいるじゃないか。信じてやるよ、ほんとうだ、だからもうやめてくれ」
けれども、今夜、ドーリーはまさにそのお芝居を始めようとしたところで、すっと気持ちが冷えるのを感じた。だからコートを羽織ってドアを出た。ロイドの「そんなことをするんじゃない。言っておくぞ。そんなことをするとどうなるか!」とわめく声を背にして。
マギーの夫はベッドに向かったが、ドーリーが「ごめんなさい、ほんとにごめんなさい、こんな夜分におじゃましてしまって」と謝り続けても一向に表情を和らげるようすはなかった。
「もう謝るのはおしまい」マギーは親切だけれども現実的な調子でそう言った。「ワインでも一杯どう?」
「わたし、お酒は飲まないんです」
「じゃ、こんなときに初めてのことはするもんじゃないわね。お茶をいれましょう。とっても気持ちが落ち着くのよ。ラズベリー・カモミールなの。子供たちのことではないんでしょうね?」
「ええ」
マギーはドーリーのコートを脱がせてやると、クリネックスの束を渡して、涙を拭いて鼻をかみなさい、と言った。「まだ話そうとしなくていい。じき、落ち着くから」
あるていど落ち着いてからも、ドーリーはあらいざらいぶちまけようとは思わなかった。ほかならぬマギーが問題の根本なのだと告げることになるからだ。ロイドのことを、あらいざらいぶちまけるのは、もっといやだった。どれほどうんざりしていたにせよ、それでもロイドはドーリーにとってはこの世で誰よりも近しい存在だ。そんな人間のありのままの姿がどんなだか、誰かに話すような羽目にでもなれば、つまり、そんなふうにあっさりと不実な態度を自分が取ってしまえば、何もかもが根こそぎ崩れてしまうような気がしたのだった。
だからこう言った。ロイドとあたし、ケンカしちゃって。言い争うのにうんざりしてしまったから、ちょっと家を空けたくなったの。でも、もう大丈夫、と言ったのだ。わたしたち、仲直りできるから。
「どんな夫婦だって、そのくらいあるわよね」とマギーは言った。
そのとき電話が鳴り、マギーが出た。
「そうね。このひとは大丈夫よ。気分転換に、ちょっと歩いた方がよかったのよ。わかりました。いいわ、明日の朝、お宅まで送っていきますから。あら、全然かまわないわ。はい。じゃ、おやすみなさい」
「ご主人だった」とマギーは言った。「わかったと思うけど」
「どんな感じだった? いつも通りだった?」
マギーは笑った。「いつもがどんなだか知らないもの。酔っぱらってる感じじゃなかったわ」
「彼もお酒は飲まないの。うちにはコーヒーだってないんだから」
「トーストでも食べない?」
朝になると早いうちにマギーはドーリーを家まで送った。マギーの夫はまだ仕事に出る前で、子供たちと家に残っていた。
マギーは早く戻りたくて焦っていたので「じゃあね。話せるようになったら電話して」とだけ言って、庭でミニバンを方向転換させた。
早朝の寒い時間帯で、地面にはまだ雪も残っていたのだが、ロイドはジャケットも着ないで外の階段に腰をおろしていた。
「やあ、おはよう」大きな声、嫌みなまでに馬鹿丁寧な口調だ。ドーリーも、おはよう、と返し、彼の声音など気がついていないふりをした。
ロイドは彼女が中に入れるよう体を横にずらそうとはせず、「入ることはできない」と言った。
ドーリーは、たいしたことじゃないわよ、と自分に言い聞かせた。
「お願い、って頼んでも? お願いよ」
ロイドはドーリーをじっと見たが、何も言わなかった。きつく結んだままの唇が、にやっと持ち上がった。
「ロイド? ねえ、ロイド?」
「中へは入らない方がいい」
「あたし、あの人によけいなおしゃべりなんかしてないわよ、ロイド。出て行ったりして、ごめんなさい。ただ、ちょっと息をつけるところがほしかったんだと思うの」
「入らない方がいいんだ」
「どうしたの? 子供たちはどこ?」
ロイドは頭を振った。まるで自分が耳にしたくないようなことをドーリーが口にしたかのように。なにか乱暴な言葉を、ちょうど「クソッ」といった言葉を。
「ロイドったら。子供たちはどこにいるの?」
ロイドがほんの少し体の位置をずらしたので、入りたきゃ入れよ、というぐらいの隙間ができた。
ディミトリはまだベビーベッドにいた。横を向いたまま。バーバラ・アンはベッド脇の床に。自分で抜け出したか、引きずり出されたかのように。サーシャは台所のとびらのところにいた――なんとか逃げようとしたのだ。彼だけが、喉に痣ができていた。ほかのふたりには枕が使われたのだ。
「昨夜、電話したときには」とロイドが言った。「電話したときには、もう、こうだったんだ」
「すべておまえが自分でまねいたことだ」と重ねて言った。
のちに評決は彼の精神障害を認め、裁判を受ける能力がない、とされた。彼は触法精神障害者である、と。保護施設に収容すべし。
だがそのときのドーリーは、家から飛び出すと、みぞおちのあたりで腕を固く交差させたまま、こけつまろびつしながら庭を駆けたのだった。まるで体をすっぱりと切り開かれたのを、なんとかつなぎあわせておこうとするかのように。マギーが見たのもその光景だった。引き返すことにしたのだ。何か悪い予感がして、通りに出てからミニバンの向きを変えた。最初に思ったのは、ドーリーが夫に腹を殴られるか蹴られるかしたのだ、ということだった。ドーリーが何かわめいていたが、ひとことも聞き取れない。だが、相変わらず階段に腰をおろしたロイドの方は、黙ったまま、鄭重にわきへよけたので、マギーは家の中に入って、こんなことになっているのでは、とあらかじめ予測していたものを見つけた。それから警察に電話をかけた。
しばらくの間、ドーリーは手当たり次第に自分の口の中にものをつめこむことをやめなかった。泥や草のつぎはシーツでもタオルでも着ている服でも。そうしていれば、身体のうちからわきあがってくる叫び声だけでなく、頭の中の光景さえも、息の根を止めて圧し殺すことができるかのように。ドーリーは鎮静効果のある薬剤を注射され、しかもそれは定期的に続き、実際に効果はあった。つまり、ドーリーは緊張病の別の状態が現れたのではなく、ただ静かになったのだ。症状は安定した、と言われた。退院すると、ソーシャルワーカーが新しい場所にドーリーを連れて行き、ミセス・サンズが引き継いだ。ミセス・サンズは住むところと仕事を見つけてくれて、週に一度、定期面談するように段取りを組んだ。マギーも、もしよかったら会いに行きたい、と言ってくれたのだが、ドーリーにとって、会うことに耐えられない人がいるとすれば、それは彼女だった。そう感じるのは自然なことよ、とミセス・サンズは言った。連想が起こるのね。マギーだってきっとわかってくれるでしょう、と。
ミセス・サンズは、ロイドとの面会を続けるかどうかはあなた次第よ、と言う。「わたしはそうしなさい、とか、そうしちゃだめ、とかと言うためにここにいるんじゃないんですからね。会えばあなたの気持ちがましになる? それとも悪くなる?」
「わからない」
ドーリーにはうまく説明できなかったのだ。自分が会っている相手が、ほんとうの彼ではないような気がしていること。ちょうど、幽霊かなにかのような。ひどく青ざめていて。同じように青白い、だらんとした服を着て、ちっとも音を立てない靴、室内履きか何かだろうか、そんなものをはいて。髪の毛が少し薄くなっているような感じだった。豊かに波打つ蜂蜜色の髪だったのに。肩からは厚みというものがなくなったようだった。いつもドーリーが頭をもたせかけていた鎖骨のくぼみも消えていた。
事後、彼が警察に言ったのは、そうして新聞にも引用されたのは、この言葉だった。「子供たちを不幸と悲しみから救うためにやったことだ」
どんな不幸と悲しみだ?
「母親が自分たちを残して出て行ったことを知ったときの、不幸と悲しみだ」
その言葉はドーリーの脳裏に焼きついた。もしかしたら彼に会おうと決めたのも、その言葉を撤回させようと考えたからかもしれない。彼に見せてやるのだ、認めさせてやるのだ。実際には何があったか。
「あなたが言ったんでしょ、口答えするな、さもなきゃ家から出ていけ、て。だからあたしは家から出たんだわ」
「たった一晩、マギーの家に行っただけじゃない? 家出なんて夢にも思ってなかったのに。誰も捨てたりしてないのに」
けんかがどうやって始まったか、ドーリーはあますところなく記憶していた。ほんのちょっとだけ、缶がへこんだスパゲッティソースを買ったのだ。へこみのせいで安売りになっていて、うまく節約できたと思うとうれしかった。かしこい買い物だった、と思っていたのだ。ところが、ひとたび彼にそのへこみを問いつめられたときには、そのことは言わなかった。どういうわけか、気がつかなかったふりをした方がいいような気がした。
こんなへこみに気がつかないやつがあるか、とロイドは言った。みんな毒を盛られてたかもしれないじゃないか。おまえ、どうかしてるんじゃないか? ひょっとしたら、そのつもりだったのか? 子供たちやおれをどうかしてやろうなんて腹づもりでもあるんじゃないか?
おかしなこと、言わないで、とドーリーは言った。
おかしいのはおれじゃない。頭のおかしい女以外に、家族のために毒入りのものを買ってくるやつはいないだろう?
子供たちが居間のドアからじっと見つめていた。生きている子供たちを見たのは、それが最後だった。
自分が考えていたのはそういうことだったのだろうか――結局、頭がおかしいのはいったい誰だったのか、わからせてやることが自分にできるとでも?
(この項つづく)